2024年7月28日日曜日

『黒い駱駝』E・D・ビガアス/乾信一郎(訳)

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黒白書房  世界探偵傑作叢書4
2019年12月発売



★★★★★  終盤の駆け足は惜しいが、この抄訳版は楽しめる




南の島へ遊びに行くとしても歴史を感じさせる場所が好きなので、タヒチに行ってみたい願望は若い頃あった。でもあそこはかなり遠くて、旅費がガーンと跳ね上がるのがネック。そうなると狙い目はバリ島。現在の相場は知らないが昔の感覚で言えばバリはそこそこリーズナブル。波の荒い海・火山・ガムラン・ケチャを楽しめるし、ハイソ気取りな風情じゃないのが良い。

 

 

とにかく日本人は大のハワイ好きだ。友人の誘いで80年代の終わり頃オアフ島に行った時の記憶では、ジャパニーズ向けのインフラが整い過ぎてて便利は便利なんだけど、そこが逆に自分には合わなかった 。年末年始になれば日本人タレントがこぞって群がるのも、あまりハワイを好きになれない理由のひとつだな。




ヤ、そんな事はどうでもよくて、さっさとビガーズの話題に移ろう、抄訳であるこの黒白書房版「黒い駱駝」に出てくる日本人は現地女学生の娘ただ一人。もしも将来、新たに完訳版「黒い駱駝」が発売された時、この辺のチョイ役キャラを注意して見て行けば、抄訳でカットされた部分がどれぐらいあったのか思い出す手掛かりになるだろう。現行本で完訳と謳ってはいるが、論創海外ミステリの『黒い駱駝』(林たみお訳)は例によって訳文のクオリティーが人様から金を取れるレベルに達しておらず、読む必要無し。


 

 

〝しかし、世の中つて判らんものですよ。御承知かも知れないが東洋の古い諺に(死といふものは何處の家の門にもしやがんで待つてゐる黒い駱駝だ。)といふのがありますね。〟

 

 

オアフ島に滞在しているシーラ・フエーンは三十代前半の有名な女優。業界では彼女のピークは過ぎたという声もある。そのシーラが自分のコテージで胸を刺されて殺された。事件を担当するホノルル警察/チャーリー・チャンから見て、疑わしい人物はいくらでもいる。シーラに求婚したが「NO」と返答されたアラン・ジエーンズ、シーラだけではなくチャーリー・チャンにも接近する占い師ターネベロ、別れたシーラの夫で公演のためハワイを訪れていたロバート・フイフ、嘘の証言をするシーラの女秘書ジユリー・オニール、シーラのコテージの周りをうろついていた絵描きの宿無しスミス etc。





シーラの遺した手紙の封を開けて中身を読もうとしたチャーリー・チャンを殴打せし者の指に填まっていた指環。一部切り取られた図書館の新聞記事。序盤からちょくちょく言及される三年前ロサンゼルスで起きたデニー・メーヨの事件に謎が隠されている様子。シーラはその時デニーの家に居合わせており、デニーを殺した犯人を知っていたらしい。





乾信一郎は『新青年』流のやり方で、余分だと思った箇所は遠慮なく削ぎ落として訳している。終りのほうがやや駆け足気味なのはもったいないけれども、会話中心のストーリー展開になっているので誰にでも読み易い。本書はなぜかフリーマンの傑作短篇「オスカア・ブロズキイ事件」が併録されているが、これってたしか乾が「吉岡龍」名義で発表してたっけ。

「黒い駱駝」を縮めてまで別の短篇を挿入するくらいなら、最初から「黒い駱駝」を極力カットせずに訳してもよかったのだが、森下雨村より代々引き継がれてきた翻訳マナーは「ムダな部分を取り除いて、全体を活かす」がモットーだったから、自然とこのようなカタチに落ち着いたのだろう。





(銀) チャーリー・チャン・シリーズは戦前に映像化されたものが数多く存在する。1931年にワーナー・オーランドが主役を務めた映画「The Black Camel」(「黒い駱駝」)は2007年頃アメリカでDVD化され、現在Youtubeにて視聴可能だ。怪しげな水晶を使う占い師のターネベロはヴィジュアル的に見映えが良く、脚本さえ原作どおりに書かれていれば、そこそこ面白いかもしれない。






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2024年7月26日金曜日

『死の三行広告』藤村正太

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青樹社
1972年4月発売



★★★   筆名を藤村正太に変えた時、
         既に探偵小説の時代ではなくなっていた




言わずもがな、これらは『藤村正太探偵小説選』Ⅰ / Ⅱ に収められている川島郁夫名義の産物ではなく、筆名を藤村正太に改め、再スタートを切った1958年以降に書かれたものである。

 

 

「死の三行広告」

冒頭に配置され表題作にもなっている「死の三行広告」がモロに機密書類のコピーを盗み取ろうとする産業スパイの話ゆえ、本書に入っている作品はどれも産業ミステリじゃないの?と早合点されるかもしれないけれど、そんな事はない。

 

自慢じゃないが私、結末に行き着く前にミステリの犯人をズバズバ見破ってしまうほど頭は鋭くない。しかしこれは中盤あたりで、黒幕なのか簡単に読めてしまって物足りなかった。電機会社勤務の主人公を鞭打ちでSM漬けにしてしまう謎の女性・奈保子が登場するが、朝山蜻一ならいざ知らず、そっちの性癖が主題ではない。

 

 

「乗車拒否」

エラリー・クイーンの有名なトリックを日本人の生活向けにスケール・ダウンして使用、さらにアリバイ崩しもあって、本書の中では最も技巧を凝らした内容。タクシー業界の問題、社内派閥に絡む殺人がベースになっている。「死の三行広告」同様、こちらの導入部でも酒場で吞んだくれていた新聞記者・田代が女の部屋に誘い込まれ、渦中の人となっていくのは・・・「もうちょっと他のパターンは思いつかなかったの?」と茶茶を入れたくもなる。

 

蒼社廉三の長篇「紅の殺意」でも空気汚染された工業地帯が描かれていたが、ここでの視界が効かぬほど垂れ込めたスモッグって、一体どんだけヘビーな公害なんだ?そりゃ「公害Gメン」も結成されるわな(「スペクトルマン」の話です、閑話休題)。

 

 

「偽りの出演」

民放テレビ番組にレギュラー出演している、他人の誹謗中傷など日常茶飯事な素人ミセス族の間で起こる脅迫事件。ミステリ的な趣向は地味。本作と「絆の翳り」における主婦の醜さは何かに似てるなぁと思ったら、「X」依存症者そっくりだった。

 

 

「惑いの背景」

オトコを見る目がないというか、まったく男運の無い生命保険勧誘員・浅井梨枝。司馬遼太郎の「豚と薔薇」に出てくる田尻志津子しかり、この種の女性キャラには全然感情移入できん。読んだ後に生保レディの悲哀しか残らないのもイヤだ。

 

 

「絆の翳り」

西東京の郊外。田舎だった土地をブルドーザーで削って新興住宅地が出来つつある当時の中央線新設駅。そんな場所でもギスギスした主婦社会は存在し、それに順応できぬ者は孤立を余儀なくされる。夜ひとり歩きするには危険も多い環境下、まだ子供はなくデパートに勤めている主婦・江崎佐和子の話し相手になれるのは、高円寺でホステスをしている橋本美穂ただひとり。

とりあえず意外な犯人、意外な動機とは言えるかもしれない。

 

 

 

 

(銀) 川島郁夫を名乗っていた初期の頃と比べて、だいぶ世相は変わった。物語の中でコント55号への言及があるぐらい(「絆の翳り」)時代が下ってきてしまっては、もはやこれらの作品を探偵小説扱いするのは難しい。

 

 

読んで退屈こそしないのに、本書の何が不満だったのだろうと、よくよく考えてみたが、酔ったサラリーマン男性のだらしなさ/安易な性交渉、そしてひたすら鬱陶しそうなオバハン、もとい主婦の女性達、松本清張らの台頭により社会問題を織り込まざるをえなくなっているプロット、敗戦から立ち直ってきたのに戦前よりも貧乏臭く映る昭和の日本人・・・こういった要素が混ぜ合わさってしっくりこないのだと思う。

 

 

川島郁夫時代はアマチュア然としていて、力任せなところが見られた。
『藤村正太探偵小説選 Ⅰ 』の記事では満点にしている反面、ダメ出しも多い。
でもあの頃の彼は確かに推理小説家ではなく探偵小説家だった。





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2024年7月23日火曜日

『江戸川亂歩全集第十一巻/白髪鬼』江戸川亂歩

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平凡社
1932年4月発売



★★★★★   光文社の「屠殺」狩り





昭和6年から一年に亘り刊行された平凡社版『江戸川亂歩全集』は、乱歩にとって初めての個人全集である。長篇「白髪鬼」「地獄風景」短篇「火縄銃」はいずれも、この時初めて単行本に収められた。その中から、「涙香白髪鬼」にすっかり魅了され、自らも筆を執った「乱歩白髪鬼」について見ていこうと思う。

 

 

「白髪鬼」の元ネタはマリイ・コレリ「ヴェンデッタ」。「涙香白髪鬼」は外国舞台のまま、疫病のため主人公が死亡~埋葬されてしまうところなど、「ヴェンデッタ」に準拠している部分が多い。乱歩はそこから更に固有名詞をすべて日本風に移し替え、エゲツない演出をプラスし、エロ・グロ・ナンセンスの風潮にも合いそうな改作を行っている。

 

 

オリジナルの「ヴェンデッタ」からして主人公はもともと悪人ではないのだが、「乱歩白髪鬼」の大牟田敏清 子爵は復讐モードに入っている間はともかく、生来のお人好しぶりが目立つ。その落差があるからこそ、蛇のような彼の執念が快哉を呼ぶとはいえ、マリイ・コレリ/黒岩涙香/江戸川乱歩による三作品のうち、好みの分かれるポイントは意外と主人公の性格付けにあるのかもしれない。それぞれに良さがあり、私はどれも好きなので優劣は付けないけどね。






ところで「乱歩白髪鬼」後半、「死刑室」の章には次のような一文が見られる。
(以下、下線は私=銀髪伯爵による)

 
 平凡社版『江戸川亂歩全集 第十一巻 白髪鬼』
 
罠にかゝつた哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。そして、彼の血走つた兩眼は、屠殺者の斧を見返す、牝牛の目であつた。




同じ箇所を光文社文庫版『江戸川乱歩全集』で確認すると、こんな具合。


 光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面』所収 「白髪鬼」


罠にかかった哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。

 

そう、『空中紳士』の記事(☜)にて述べたとおり、『江戸川乱歩全集』を担当した光文社の人間には、「屠牛」「屠殺」等の単語があると語句改変したり、あるいは文章丸ごと消去すべしという方針があったようだ。だから光文社文庫版『江戸川乱歩全集』のテキストでは、〝そして、彼の血走つた兩眼は、屠殺者の斧を見返す、牝牛の目であつた。〟の部分はごっそり削除されている。




では、その他の全集はどうかというと、


 講談社版第二次『江戸川乱歩全集 第7巻 吸血鬼』所収 「白髪鬼」

 

罠にかかった哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。そして、彼の血走った両眼は、屠殺者の斧を見返す牝牛の眼であった。


こちらは当り前に、平凡社版全集どおりの正しいテキストを再現。








もうひとつ、平凡社版全集「白髪鬼」における「死刑室」の章には、こんな文章もある。


 平凡社版『江戸川亂歩全集 第十一巻 白髪鬼』

 

川村は犬殺しの檻の中へ投げ込まれた野犬の樣に、ギヤンギヤンと狂はしく泣き叫んだ。

 

横溝正史「八つ墓村」のオリジナル・テキストには「犬殺し棒」という言葉が使われているのだが、角川書店90年代以降流通させている『八つ墓村』では、この言葉が「棍棒」へと語句改変されている旨、既にこちらの記事(☜)にてお知らせ済み。




「犬殺し」は野犬捕獲員、「屠殺」は食肉業者を差別することになるって理由から、我々の与り知らぬところで、これらの言葉は自粛の対象に指定されているらしい。

 

 

「犬殺し棒」と「犬殺し」では、出版社にクレームを付け恐喝してくる集団にとって扱いがどう違うのか、私には判別しかねる。しかし「乱歩白髪鬼」のテキストを光文社文庫版全集と第二次講談社版全集で調べてみると、どちらも平凡社版全集そのまま、「犬殺し」なる言葉を含む上記の一文は普通に掲載されていた。牛はダメだけど犬ならいいのか?生き物の命の尊さはすべて平等じゃないんかい?だからこの手の言葉狩りは何の意味も無いのだよ。

 

 

 

 

(銀) 光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第7巻』で突っ込まれているように、「乱歩白髪鬼」は辻褄の合わないシーンもあるのだが、だって乱歩じゃから仕方がなかろう。翻案に手を出したのは本作が最初のように思われがちな乱歩。でも初期の「踊る一寸法師」だってポオ「Hop-Frog」の翻案みたいなもんさ。

 

 

誰も気付かないような場所に相手を監禁し、復讐者が積もり積もった怨みの言葉を吐いて彼らを地獄へ送ろうとするのが通俗長篇のお約束。いつもならそこに明智小五郎が現れて復讐者の企みは粉砕されてしまうのだけれども、「乱歩白髪鬼」は警察も探偵も助けに来てはくれず、大牟田子爵は計画を完遂する。

謎解きは無いが、物語そのものが大牟田の一人称で進行するため、探偵小説マニアでない読者にも非常に感情移入しやすい構造になっている。

 

 

叩き台は「ヴェンデッタ」「涙香白髪鬼」なれど、大牟田子爵が別の人間・里見重之に生まれ変わるくだりは「パノラマ島綺譚」をも彷彿とさせるので、つい苦笑。ストーリー展開で行き詰る可能性はあまり無さそうだったのに、連載中「乱歩白髪鬼」は三回も休載した。「黄金仮面」が完結して乱歩の精魂尽き果てた感がハンパ無い。







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2024年7月20日土曜日

『悪魔のひじの家』ジョン・ディクスン・カー/白須清美(訳)

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創元推理文庫
2024年6月発売



★★★   こっちのフェイは・・・ウーン・・・




本格ミステリを読んでいると、この世にいる筈の無い不可解な幽霊が現れたりもします。そんな時は、「幽霊を見た」と証言しているのがどういう人物か、注意を払いつつ先に進むことが肝要です。もちろん目撃者は一人の場合もあれば、複数存在する場合だってあります。何人かが見ているのであれば、その面々に共通する事柄は何なのか、それを手繰ってゆくと見えなかったものが見えてくるかもしれません。

十八世紀半ば、イングランド南東部。〈悪魔のひじ〉と呼ばれる土地に屋敷を建てた高等法院のワイルドフェア判事が非業の死を遂げたのち、バークリー家がその屋敷・緑樹館を買い受けた。晩年、厄介な暴君となっていった当主クローヴィス・バークリーには三人の子供達(ニコラス〈長男〉/ペニントン〈次男〉/エステル〈長女〉)がいるが、とても仲睦まじい家族とは言えない。だがクローヴィス老も病には勝てず、逝去。新たに見つかった彼の遺言状によれば、遺産相続人にはニコラスの息子(愛称ニック)が指名されている。ところがニックには、そのつもりは毛頭無い。

 

 

これは「雷鳴の中でも」以来五年ぶり、1965年に発表されたフェル博士シリーズものである。

バークリー家には多々内紛があるのだが、くだくだしくなるので省略。屋敷内に出没する幽霊、二度に亘るペニントン・バークリーへの銃撃、密室・・・おなじみのエレメントながら、カーの原文がそういうテンションなのか、それぞれの翻訳者が手掛けた訳文の違いなのか、作者の加齢を隠せなかった「雷鳴の中でも」より本作のほうが、不思議と若々しく感じられる。

 

 

緑樹館へ乗り込み断固相続を辞退するべく、ニックは気のおけない友人ガレット・アンダースンを同行させる。そのガレットはというと、一年前パリ行きの飛行機で知り合ったフェイ・ウォーダーのことで頭がいっぱい。そう、フェイという名の女性キャラクターといえば、「囁く影」の中心人物だったフェイ・シートンはカー作品の中で(個人的に)三本の指に入る良いオンナでしたな





控えめな性格かと思いきやベッドの中では情熱的だったんで、フェイ・ウォーダーにすっかり夢中になってしまったガレット。それに対して勿体ぶった素振りを見せるフェイ。いつの世も男はこういう女性を夢想しがち。作者であるカーも例外ではない。こっちのフェイも本書50ページ辺りまでは良い感じで来ていたのに、話が進むにつれヒステリックな言動が多くなってきて、フェイ・シートンみたいなFoxy Lady像から離れていってしまう。しかもガレックはてっきり彼女を21~22歳の若さだと思い込んでいたら、実は32なのね(ちなみにガレットは40歳)。

 

 

犯人の意外性は合格。あとは上段にて述べたとおり、先行作品で使われていたような設定だから新鮮味が無いと取るか、もしくは revisited trick ゆえに詰めの部分が丁寧に仕上げられていると好意的に取るかで、本作の評価は別れるだろう。江戸川乱歩に喩えるなら、同じ方向性を持つ先行作品「二廃人」に対し、後発の「柘榴」を好きになれるかどうか。「蜘蛛男」「魔術師」より先に読んでいれば、〝「悪魔の紋章」ってなかなか面白いじゃん〟と言う人が居てもおかしくはない。

ちょっとした疑問。フェル博士の名前の発音が、本書は【ギディオン・フェル】になっている。ジョン・H・ワトソン博士も本によって表記がワトスン or ワトソンだったりするから、ありがちなことといえばそうなのだけど、翻訳者がその時々で変わっているとはいえ、創元推理文庫内でフェル博士シリーズとして扱っているのであれば、【ギデオン・フェル】に統一しておくほうが混乱を招かずに済むと思うのだが。

 

 

 

(銀) 本書の訳者・白須清美だけでなく、例えば昔の訳でも、1981年に同じ創元推理文庫からリリースされた『猫と鼠の殺人』において、厚木淳も【ギディオン・フェル】と表記している。東京創元社の編集部はその辺、おのおのの訳者に任せているのだろうか。






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2024年7月17日水曜日

名古屋の櫃まぶし

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かつて江戸川乱歩は身の回りのことをよく随筆に書いていたので、私も気分転換がてら、探偵小説とは何の関連も無い話をしてみようと思う。

 

 

HDに保存されている或る書影の画像を探していたら、失われたとばかり思っていた古い写真が一枚だけ出てきた(この記事の左上にある画像がそれである)。昔、名古屋に住む知人の案内で、初めて櫃まぶしというものを食べたのだが、これはその時訪れた、繁華街にあるうなぎの店だ。とにかく櫃まぶしは美味だったし、歴史を感じさせる外観や、大人の男女が静かに会話を楽しむのに適した店内の落ち着いた雰囲気が思い出され、ついノスタルジーに浸ってしまった。

 

 

ところが間抜けなことに、この店の名前を失念してしまい、今回発見した画像にちゃんと看板は写っているのだが、拡大してみても店名の文字が読み取れない。ネットで名古屋のうなぎの店を検索しても、それらしいものは見つからず。三十年前の話だし、「もう無くなってしまったのかなあ」と諦めかけていたところ、よ~く画像を見ると、その店に隣接しているビルの名称らしきものはハッキリ確認できる。そのビル名を頼りに再度ネット検索したら・・・あった!外装こそ当時より綺麗になっているものの、今も変わらず営業しているみたいでなにより。

 

 

グルメ・ブログではないから、この店の詳細は書かない。名古屋にお住まいの方ならきっとご存知の名店だろうし、上の画像を見ればわかる人はすぐにピンと来るんじゃないかな。創業は明治42年。今の御主人は六代目にあたるそうだ。小酒井不木も此処でうなぎを楽しんだのだろうか。この店に連れて行ってくれたSさんが、何かの拍子に今日の記事を見つけてくれれば私は嬉しい。






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無駄話  (☜)

 

 


2024年7月14日日曜日

『モーパッサン怪奇傑作集』モーパッサン/榊原晃三(訳)

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福武文庫
1989年7月発売



★★★★   モーパッサンにニーズはあると思うのだが




怪奇小説に特化した国内のモーパッサン翻訳本となると、本書が80年代の終わりに出たっきり、なぜか類を見ない。古書価こそそんなに高騰していないものの、中古市場でこの文庫が良く売れているのは隠れたニーズがあるからだと思う。昨年、『対訳 フランス語で読むモーパッサンの怪談』という本が白水社から発売されたのだが、朗読CDが付き、仏語と日本語訳のテキストを併せて提示しているため、「墓」「髪」「手」「オルラ」の四篇しか収録されていないのが残念。

 

 

 

本書巻末の「訳者あとがき」には、榊原晃三(1996年没)による作品選択基準が記してある。


♠ モーパッサンには三十数編の怪奇幻想的作品が存在する。

 本書にはそのうち十一編を選び、キリスト教伝説や悪魔説話などに材を取ったものや、
  ファンタスティックな要素のみ色濃いものは採用しなかった。


我々はつい怪奇色のある作品ばかり求めてしまうが、モーパッサンは娼婦小説/残虐小説/戦争小説など様々な切り口が可能な作家ゆえ、どの出版社も出来の良いものを優先して新刊で一冊作るとなると、オール怪奇小説という選択肢は採用しづらいのかもしれない。かくいう私も、そこまでモーパッサンを読破している訳ではないし、当blog的にどの作品を選ぶのがベストなのか、断定できる自信は無い。

 

 

 

「手」「水の上」「山の宿」「恐怖 その一」「恐怖 その二」

「オルラ」「髪の毛」「幽霊」「だれが知ろう?」「墓」「痙攣」






妹尾韶夫(訳編)『ザイルの三人/海外山岳小説短篇集』にもセレクトされていた「山の宿」はどこに出しても恥ずかしくない堂々たる傑作。「オルラ」は世間では評価が高いが、やや冗長じゃないか?こういった短篇はそこそこの枚数でオチを付けるのが好ましい。

発狂 → 自殺未遂 → 精神病院行き、そんな痛ましい人生を送り、42歳の若さで亡くなったモーパッサンにはポオと似たところが多い。この人の特徴として、常人には見えないものが彼の作品の登場人物には見えてしまうため、思いもよらぬカタストロフィーが待っている。犬が悲惨な死を迎えるものなんかは読んでてやりきれないが、病的なドラマツルギーには独特の味わいがある。


 

 

榊原晃三は生前、児童ものの本を手掛ける仕事が多かった。そのせいだろうか少なくとも私には本書の訳文はやさしすぎる印象を受けた。だから不満があるとまでは言わないが、今後出されるモーパッサンの新刊は、もう少しヴィンテージ感のある訳で読んでみたい。


 

 

 
(銀) モーパッサンの現行本は新潮文庫のものが長年出回っているが、延原謙(訳)のシャーロック・ホームズ物語がそうであるように、モーパッサンも改版の折、きっと語句改変が行われているに違いないし、カバーデザインも魅力が無いのであまり薦めたくはない。モーパッサン作品には★★★★★に値するポテンシャルがあるのだから、しかるべき版元がしかるべき人に翻訳させれば、きっと良い本が出来る筈。






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2024年7月12日金曜日

『合作探偵小説コレクション⑦むかで横丁/ジュピター殺人事件』

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春陽堂書店  日下三蔵(編)
2024年6月発売



★★★    戦前の轍は踏まず




「合作探偵小説コレクション」もすっかり戦後モードに入った。本巻収録作品は昭和20年以降に発表されたものばかり作家も編集者もみな学習したのか、戦前の連作・合作よりはだいぶスマートな内容になり、甲賀三郎のように最終回を押し付けられ、リレー小説の無責任さに怒る人も見かけなくなった。

 

 

「能面殺人事件」   青鷺幽鬼(角田喜久雄)

「昇降機殺人事件」  青鷺幽鬼(海野十三)

海野十三は本格物を書く素養を持ち合わせていない。敗戦後の彼は江戸川乱歩に「変態男」なんて言葉を放つほど、「本格にあらずんば探偵小説にあらず」的な声を上げていた同業者達に対し疑問を呈したこともある。青鷺幽鬼名義の二短篇は競作だが、仮に角田喜久雄と海野十三の二人が本当の意味での合作長篇に挑戦したとしても、角田単独作品のような本格探偵小説にはなり得ないんじゃなかろうか。

 

 

「三つの運命」

プロローグ 白骨美人  土岐雄三

骨が鳴らす円舞曲    渡辺啓助

鉄の扉                         紗原幻一郎

帆村荘六探偵の手紙     海野十三 

一人目の土岐雄三がお題を出す形で事件の発生を描き、残りの三名がそれぞれ個別に解決篇を受け持っている。

 

 

「執念」   大下宇陀児/楠田匡介

後述する「むかで横丁」とは対極にある宇陀児節全開のウェットなスリラー。どういう役割分担で書き上げたのかわからないが、安心して読めるのは確か。

 

 

「桂井助教授探偵日記」


第一話         幻影の踊り子         永瀬三吾

第二話     犯人はその時現場にいた    楠田匡介

第三話     謎の銃声               大河内常平

第四話     蜜蜂               山村正夫

第五話     古井戸                             永瀬三吾

 

第六話     窓に殺される             楠田匡介

第七話     愛神                                山村正夫

第八話     西洋剃刀                            大河内常平

第九話     遺言フォルテシモ           永瀬三吾

第十話     狙われた代議士            楠田匡介

 

第十一話    八百長競馬                       大河内常平

第十二話    洋裁学院                        山村正夫

第十三話    地獄の同伴者                    朝山蜻一

第十四話    妻の見た殺人         永瀬三吾

第十五話    アト欣の死                       楠田匡介

 

第十六話    訴えません                         永瀬三吾

 

T大助教授の探偵役・桂井龍介/新聞社員・阿藤欣五郎/欣五郎の妹・ネネ子/警視庁嘱託鑑識課員・和田兵衛、この四人を中心に展開する一話完結型の競作もの。例えば大河内常平だったら地の文を〝ですます調〟にしたり、また彼独特のスラングもふんだんに飛び交っていたりして、各人の個性が活かされた凸凹感の少ない仕上がり。なによりも思った以上に謎解きが重視されているのが良い。


これだけのボリュームがあるのだから、「桂井助教授探偵日記」だけで単行本一冊作ることは十分可能。一般層にも知名度のある作家が参加していないため、かつて大手の光文社が出していたミステリー文学資料館名義の文庫では難しいかもしれないけれど、横井司が先頭に立ち、正常な刊行を続けていた時分の論創ミステリ叢書あたりから単独でもっと早くに本作が出なかったのが悔やまれる。探偵小説復刊に関わる界隈はもはや死に体同然だし、春陽堂のこのシリーズを毎回楽しみに読んでいる人がどれだけいるか、なんとも心許ないからだ。

 

 

「むかで横丁」

発端篇   宮原龍雄

発展篇   須田刀太郎

解決篇   山沢晴雄

これは正統的なリレー作品。「合作探偵小説コレクション」の最初のほうの巻に入っていた戦前作家の連作に比べ、一作品として整っている点は評価できる。轢死者の屍が一人の人間のものではなかったり、出だしは悪くない。ただ『密室』という発表媒体の性格上、込み入ったパズラーを狙いすぎて本格マニアしか相手にしていない印象が強く、そこまで本格を好まない読者は拒否反応を起こすかもしれない。

 

 

「ジュピター殺人事件」

発端篇   藤雪夫

発展篇   中川透(鮎川哲也)

解決篇   狩久

「むかで横丁」とは違い、同じ本格でもこちらのほうがずっとスッキリしている。とはいえ、『藤雪夫探偵小説選 Ⅰ 』の記事(☜)にも書いたように、私は藤雪夫の国語力には大きな疑問を抱いているので、発端篇は別の作家にお願いしたかった。


「まァー」「こりゃー、いけねー」等、会話文に見られるヘンな長音符号の棒引き「―」が相変わらずイタイ。また田所警部というキャラクターが登場するのだが、この人は電話を掛ける際、自分で自分のことを「もし、もし、田所警部です」と言っているし(本巻494頁下段3行目)、他の登場人物にも同様の物言いが見られる。あのねー、自ら名乗るのにわざわざ自分の役職付けて言ったりしないよ。普通「もしもし、田所です」って言うだろ。藤雪夫の小説を読んでいると、こういうところが目に付いて閉口する。






(銀) この辺の戦後に発表された合作・連作群を楽しみにしていたので、整合性がとれていなかった戦前のものと内容を比較しても「ああ、やっと出てヨカッタ」という感じだ。全八巻完結予定でスタートした「合作探偵小説コレクション」も、いよいよ次がラストか。






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『亜細亜の旗』小栗虫太郎