2024年7月3日水曜日

善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力を締め出す自浄能力が、探偵小説/SF/古本業界にはどこにも無いのカナ?

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久しぶりに、あの連中の話題。善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力がやっている悪徳プライベート・レーベルのうち、国内作品を食い物にしている東都我刊我書房の本の在庫が、お仲間である盛林堂書房の通販サイト「書肆盛林堂」の販売ページから、いつの間にかゴッソリ撤去されている。(202472日現在) 以下、(☜)マークの付いたリンク先を御覧あれ。






それに気が付いたのは、東都我刊我書房の新刊・倉田啓明『濡髪若衆』(壱)(弐)リリースをネットで知った先月6月後半のこと。『濡髪若衆』の各単価は5,500円、(壱)(弐)併せて11,000円。昨今の物価高を考慮しても、相変わらず本の造りと価格が全くつり合っていない売り方である。このBlogを通して彼らのテキスト制作の無神経さをレポートすべく、いやいやながら東都我刊我書房の本を購入してきたが、いくら人柱になるとはいえ、あそこまで作家及び作品をないがしろにする人間の作った本など、もうこれ以上買う気にはなれない。

 

善渡爾宗衛「X」(よしとに/@onedaba) (☜)

小野塚力「X」(未踏の大地管理用/@onozukariki) (☜)




この『濡髪若衆』、珍しく盛林堂書房の通販では販売されない様子だったので「書肆盛林堂」をよ~く見たら、東都我刊我書房の本は一律そういう扱いになっていた。これで善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力が関わっている他のレーベル綺想社/えでぃしおん うみのほし etc)の本も悉く「書肆盛林堂」から一掃されたのなら、「ほほう、盛林堂の店主・小野純一もアイツらとは距離を置くことにしたんだな」と見方を変える余地もあるのだが、そんな訳がなく・・・。

 

 『嬰児虐殺』倉田啓明 ★ しまいにゃ隠れてコソコソ本を売り出すクズども (☜)

 


『嬰児虐殺』が出てからこの一年、東都我刊我書房が何の動きも見せなかったのに対し、三門優祐(@Re-ClaM)から「X」(=twitter)経由で訳文の酷さを度々指摘されたにもかかわらず、海外作品のエセ翻訳本を垂れ流す綺想社は今でもハイペースで新刊をリリースしており、「書肆盛林堂」はそれらのガタガタな訳文テキストでもって作られたボッタクリ本の販売を止めない。

 

「書肆盛林堂」  >  委託同人誌・新刊書  >  綺想社 (☜)




参考までにコチラは、三門優祐氏が「X」へ投稿した綺想社に対する批判を紹介した当Blog記事である。






かつて盛林堂のオバハンに無礼な態度を取られたのもあって(同様の体験をした人は他にもいると聞く)、私はあの店になど行かないから、荻窪の店頭で何が売られているか存じ上げないが、通販サイトではあたかも取り扱ってないかのごとくカムフラージュしつつ、店内では(目に付くところには置かずとも)常連客に向けて、こっそり善渡爾らの本を売っているのかもしれない。現状を見る限り、盛林堂店主・小野純一と善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力の関係は、以前と何ら変わっていないと思われる。

 

 

 

私が「X」を嫌悪していてSNSにノータッチなぶん、幾人か良識ある方々の「X」を使った拡散によって、

 

 善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力と盛林堂書房が癒着していること

 東都我刊我書房をはじめ善渡爾らの作る本の内容は、日本語の読める人なら誰でも理解できるぐらい劣悪なテキスト作成がされており、彼らには真っ当な本を作る気持ちはさらさら無く、その目的は〝あぶく銭〟稼ぎでしかないこと

 

この二点は探偵小説/SF界隈のみならず、ネット空間の相当な範囲にまで知れ渡った筈だ。だがそれでもまだ、下の「X」画像に明らかなように、嬉々として『濡髪若衆』を買い「X」上で所有アピールしている人間は懲りもせず存在する。こちらもクリック拡大してどーぞ。

























     
とりあえず東都我刊我書房の本が盛林堂の通販サイトから姿を消しているとはいえ、善渡爾宗衛らの息が掛かった同人本は今でもまんだらけとPassage All Reviewにて当り前のように売り捌かれているし、この根深い問題に危機感を抱いて作家と作品を守ろうとする気運は探偵小説/SF/幻想文学、どっちの業界を向いてもありゃしない。ひたすら盛林堂とベッタリのまま、日々「X」で群れていればOK。そんなドブ泥のような光景は政治の世界と瓜二つ。







(銀) 今日お読み頂いた内容に加えて、下の画像も見てもらえれば、まんだらけ~善渡爾宗衛~盛林堂書房~古本屋ツアー・イン・ジャパン(小山力也)~日下三蔵といったある種の繋がりが浮かび上ってくるのがお分かりだろう。この辺の連中を長年野放しにしていた事が皮肉にも島田龍という、ワタシ銀髪伯爵以外にも彼らの悪行を摘発する存在を生むことになったのである。



















今日のメインディッシュになる話題は別にあった。それは次回改めてお届けする予定。

 

 

 


2024年7月1日月曜日

『戦後出版文化史のなかのカストリ雑誌』石川巧(編集代表)

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勉誠社  カストリ雑誌編集委員会(編)
2024年6月発売



★★   最終目標はカストリ雑誌のデータベース完成




カストリ雑誌といえば昭和25年あたりまで出回っていた、定期刊行物として認められていない怪しげなブツの総称だと思ってきたし、本書にてフォローしている年代も昭和208月の敗戦から昭和2412月迄と区切られているけれど、近年はカストリ雑誌の定義がより曖昧になって、発行年度の該当範囲は昭和30年以降にまで更に広がっているそうだ。いくらなんでも昭和40年代に出たものまでカストリ雑誌と呼んでいいのか?と、私なんかは訝ってしまうが。

 

 

 

この本の編集代表・石川巧の「あとがき」によれば、もともと企画されていたのは『カストリ雑誌総攬』ともいうべきカストリ雑誌のデータベース。国内に残存している分の調査はもとより、メリーランド大学のプランゲ文庫にはかなりのカストリ雑誌が所蔵されているので、あちらへのアプローチも準備していたところ、例のコロナ禍が起きて三~四年ほどアメリカへの渡航が難しくなり、当初の予定は一旦ペンディング。仕切り直して制作されたのがカストリ雑誌の入門書的な内容を持つ、この『戦後出版文化史のなかのカストリ雑誌』という訳。

 

 

 

では本書の第一部、カストリ雑誌編集委員会の面々が「カストリ雑誌」主要30誌に選んだラインナップを見てもらおう。括弧内は各項目の執筆者である。

 

 

『赤と黒』(石川偉子)『アベック』(尾崎名津子)『ヴィナス』(石川巧)

『うきよ』(石川巧)『オーケー』(大原祐治)『オール小説』(石川偉子)

『オール猟奇』(石川偉子)『奇抜雑誌』(光石亜由美)『狂艶』(石川偉子)

『共楽』(光石亜由美)『サロン』(大原祐治)『小説世界』(石川偉子)

『新文庫』(大原祐治)『青春タイムス』(尾崎名津子)『性文化』(尾崎名津子)

 

 

『千一夜』(大原祐治)『探訪読物』(大原祐治)『にっぽん』(牧義之)

『ネオリベラル』(石川巧)『犯罪実話』(尾崎名津子)『ベーゼ』(牧義之)

『ホープ』(牧義之)『妖奇』(石川巧)『読物時事』(石川巧)

『ラッキー』(牧義之)『らゔりい』(光石亜由美)『リーベ』(光石亜由美)

『りべらる』(尾崎名津子)『猟奇』(光石亜由美)『ロマンス』(牧義之)
 
 
 

これら30誌の概要がそれぞれ約34ページ程載っていて、データの提示というより読み物として仕立てられている。「カストリ雑誌」と聞くとエロ・グロで煽情的な実話やら時事ネタ、それに得体の知れない人が書いた小説ばっかりじゃないの?と思う方もおられるかもしれないが、知名度のある作家(探偵作家含む)の名前も少なからず見つかる。そういう作家達の存在を示すことが本書のセールス・ポイントでもあるし、各誌に掲載されているめぼしい作品にはどんなものがあるか、(全て網羅している訳ではないにせよ)紹介されているのが嬉しい。

 

 

 

第二部は十四本の研究エッセイ。
そこには、当Blogにて以前取り上げた北川千代三『H大佐夫人』(☜)に言及した光石亜由美のエッセイ【北川千代三「H大佐夫人」と「其後のH大佐夫人」】も含まれている。「H大佐夫人」がわいせつ物頒布等罪に該当して罰金刑を喰らったというのに、北川千代三はよほどこの作品にこだわっていたのか、「H大佐夫人」の縮約版/続編/芝居/スピンオフまで懲りずに手掛けていたらしい。

 

 

 

惜しいかな、「え?」と思った点が一つある。
前述の光石亜由美エッセイ【北川千代三「H大佐夫人」と「其後のH大佐夫人」】、そして川崎賢子のエッセイ【サバを読む―『猟奇』と検閲文書】、その両方にて〝江戸川乱歩が戦前(1930年代)『猟奇倶楽部』なる雑誌を主宰していた〟と書いてあるのだが、通俗長篇が大ウケしていて連載の掛け持ちにヒイヒイ言っていたあの時期、乱歩が雑誌を出していたなんて、あいにく私は聞いたことがない。そんな事実あったっけ???川崎賢子、尾崎名津子、そして編集代表・石川巧の三名は立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センターのメンバーなんだけどな。

 

 

 

カストリ雑誌って現物の〈奥付〉及び〈オモテ表紙/ウラ表紙〉に印刷されている発行年月さえ鵜呑みにできぬものもあるぐらい、作りはいい加減だし書誌データも杜撰。かつて山前譲が探偵雑誌のデータベース『探偵雑誌目次総覧』を頑張って制作したとはいえ、カストリ雑誌のデータベースを完成させるとなると、あれ以上の難行になるのは間違いない。各誌の創刊から終刊まで履歴を突き止め、歯抜けとなる欠号がひとつでも減らせるよう、どこまで追い込めるか。今後の成り行きを注意深く見守っていきたい。






(銀) 昭和中期~後期にかけて存在したビニ本なんかは、実態の掴めなさそうな点でカストリ雑誌に似ている。もしデータベースが完成できたら素晴らしいけど、完成に至るまでのハードルがあまりに高そうで、実現の目算は立っているのだろうか?






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