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2024年11月18日月曜日

『大浦天主堂』木々高太郞

NEW !

春秋社 甲賀・大下・木々傑作選集 木々高太第一卷
1939年5月発売



★★★★  精神病学教授・大心池章次のカルテ




この巻は木々高太郎にとって最も重要なシリーズ・キャラクター大心池章次教授の登場する短篇のみで構成されている。だからといって出来の良いものばかり揃っているとは言えないが。

 

 

「大浦天主堂」(昭和12年発表)

大浦天主堂の屋内に掲げられている二十六聖人の殉教図(御存知ない方でもググればすぐヒットします)が残酷だというので、県警部長は司祭達に公開を禁止し撤回せよ(ママ)と通達。長崎を訪れていた大心池も騒ぎに巻き込まれる。表題作とするには地味な内容だが、本巻附録『探偵春秋』第九回/「探偵小説團樂」(その九)に木々のコメントがあるので紹介しておこう(読みづらい文だけれども、そのまま御覧頂く)。

 
〝大浦天主堂はそのうちの最近のもので、一昨年夏、長崎に遊ぶ機會があつて、その時に心のうちに芽生えたもの、そのテーマが或ひは檢閱に觸れるかも知れぬと心配したこともあつたが、今尙讀みかへしてみて、少しもその心配が、ないどころか日本の大きくして深いところに横はる一つのポイントを取り扱つてゐると言ふ點で遠慮をしなかつたのである。〟

 

 

「文學少女」(昭和11年発表)

木々自身、自分の書いたものの中で一番反響が多かったと振り返っているし、探偵小説としてではないものの江戸川乱歩も本作に敬意を表した。確かに力作と言って差し支えは無いだろうが、好きな木々作品の中で必ず上位に来るかと言えば、私はそうでもないかな。こういう作風を評価されてしまったがため、ミステリ・マニアからウケが悪くなってしまった事は否定できない。

 

 

「愁雲」(昭和10年発表)

デパート勤めの留女子(るめこ)が男に夢中になっていったら急にトンズラされて・・・。頁数が少なく、これでは大心池も腕の振るいようがない。

 

 

「窓口」(昭和11年発表)

送金目的でしょっちゅう郵便局の窓口にやってきて書留を送る男性に対し、局員の苫子は勝手に心を寄せてしまい、皮肉にも犯罪隠蔽の廉で警察に捕まってしまう。これも短めのストーリー。「愁雲」同様、大心池は話を締め括るべく最後に一瞬登場するだけ。

 

 

「女の復讐」(昭和12年発表)

小学校しか出ていない無知で純情なチンピラ・完太と同棲していた女が病死。肺病で瘦せていたけれど外見は相当な美人だし、なにより彼女は大学出の高等教育を受けており、とても下層階級の完太と付き合うような出自ではない。そんな女がどうして完太と付き合ったのか?奇妙な間接殺人。

 

 

「隣家」(昭和13年発表)

病人でもない美少女の来院に始まり、隣り合う家同士の見栄の張り合いかと思ったら、支那事変に伴う抗日外国人も絡んで、概況を説明しづらい作。終局で大心池が曲者に「個人同士の爭ひを捨てて、この非常時日本のために身を捧げるのが、日本男子の本懐ではないか。」と諭しているけど、却ってそれが当時の国内状況悪化を感じさせる。そういえばこの巻、あちこちに伏字処理アリ。

 

 

「法の間隙」(昭和13年発表)

守銭奴の叔父をやっつけて莫大な財産を自分のものにしようと企む野田健。乱歩「心理試験」の木々版とも言うべき内容とはいえ、大心池が明智小五郎のようにメフィストフェレス的な役割を果たす訳ではない。乱歩とは違ったアプローチで木々が見事な論理の闘争を創造できていたら、本格ファンの見る目も多少変わったのだろうけど、犯人の殺人実行部分にほぼページが割かれていて、大心池の出番少なすぎ。

 

 

「完全不在證明」(昭和10年発表)

華やかな恋愛を経験することも無く三十代半ばを迎えた山川京太郎は、周到なアリバイ工作を設えた上で妻殺しを敢行。この作品にしても大心池が山川の精神反応を鑑定する心理試験を行ってはいるが、捜査陣が山川をネチネチ攻めるというより全く別の角度からアリバイを崩しにかかるので好みは分かれるだろうな。最終的に山川本人の動機とは離れたところで思想問題がクローズアップされるのも微妙といえば微妙。

 

 

「精神盲」(昭和10年発表)

精神病院の入院患者~実業家・山吹甲造が自ら顔に熱湯をぶっかけて大火傷を負う。詳しく書けないのが残念だけど、木々作品にしてはトリックがあるので注目。医学界における大心池のライバル、精神病學敎授・松尾辰一郎博士が出てくる点も見どころ。

 

 

「妄想の原理」(昭和10年発表)

癲癇ってそんなに詐称が簡単なんだろうか。松尾博士再び登場。「精神盲」で彼の所属は帝大とされていたのに、本作では官立✕✕大學、大心池の役職も私立✕✕大學敎授となっている。容疑者の癲癇について松尾と大心池、二人の学説がバチバチに対立。鑑定が正しかったのはどっち?

 

 

戦後、本格派グループの仇敵のように云われた木々にも本格っぽい作品はそれなりに存在する。しかし、そこで用いられるイディオムがオーセンティックな本格探偵小説のものとは随分異なるため、おいそれと受け入れられにくい。あと本書に収められた作品は初出誌の編集部から枚数を制限されるケースが多かったのか、せっかく大心池ものだというのに食い足りなさが目立った。







(銀) 誰だかよく分からないようなマイナー作家、あるいは名の知れている作家でも似た作品ばかり繰り返し復刊されて、木々高太郎は殆ど無視されたまま。このギョーカイの偏向を正す人はどこにもいやしない。







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2023年5月11日木曜日

『網膜脈視症』木々高太郞

NEW !

春陽堂文庫 大衆小説篇
1936年9月発売



★★★★★   「ねむり妻」と「眠り人形」




慶應大学医学博士・木々高太郎が探偵作家デビューした直後に書いた初期短篇を収録。昭和11年に刊行されたこの文庫には挿絵画家の名がはっきり記されていないが〝Yoshio〟のサインがどの画中にも確認できるので、これの再発版である平成9年刊春陽文庫探偵CLUB『網膜脈視症』では「挿画 伊勢良夫」のクレジットを追記している。

 

 

当初「日本小説文庫」と呼ばれていた戦前の「春陽堂文庫」は、たまに初出誌の挿絵を流用している時もあるが(例:江戸川亂歩『孤島の鬼』、甲賀三郎『盲目の目撃者』)、探偵小説本だと大抵〝mac〟のサインをいつも画中に残す人物、あるいは猪子斗示夫、このふたりが新規に挿絵を描き下ろしている場合が多い。ちなみに〝mac〟なる人物は誰なのか突き止めておらず不明。

猪子斗示夫もネットで調べると当時の単行本装幀なんかもしているようだが詳しいプロフィールは知らない。ただハッキリ言えるのは、彼らの挿絵がちっとも小説に華を添えるクオリティではないというか、全然私好みではないという事。それに比べたら本書にナーバスな線画を提供している伊勢良夫も新規描き下ろしではあるけれど、こちらははるかにマシな出来栄え。



 

 

「網膜脈視症」「就眠儀式」「妄想の原理」、三篇いずれも精神病学教授大心池章次の事件簿。どの作も人間の心理を解剖してゆくような地味な見せ方ではあるが、小酒井不木とは別タイプの医学ミステリを提示した木々の仕事はもっと正当に評価を受けてしかるべきではないのか。自立神経失調症やパニック障害といった神経内科の世話になる心の病がごく一般的になった現代人の病理を鑑みると尚更そう感じる。

 

 

初期の木々作品にはそこはかとない〝性〟のテーマが織り込まれていて、その最大の問題作ともいえるのが「ねむり妻」。いわゆる「眠り人形」の名で通っている作ながら、同じ話でもヴァージョンが異なる。「眠り人形」のほうは『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』(創元推理文庫)に収録されており、その解説によれば同作は『新青年』昭和102月号発表以来、朝日新聞社版『木々高太郎全集』に至るまで伏字にされてしまっていた箇所を、元博文館の江南兼吉氏(竹中英太郎の原画の多くが残存できたのはこの方のおかげ)が「眠り人形」原稿をも大切に保存していてくれたので、伏字箇所を全て明らかにして収録できた、とある。

 

 

しかし、本書『網膜脈視症』では「眠り人形」でなく「ねむり妻」のタイトルになっていてテキストも別物。双方の出だしの部分だけでも御覧頂こう。


 

「眠り人形」

一  西澤先生の奥様はやさしい人であつた。結婚してから、十年近くになると言ふのに、子供が無かつた。弟子達がよくなついて居たのも、子供が無かつたのが、一つの原因であつたかも知れない。

 


「ねむり妻」

一 『長い間、私は警察醫をしてゐましたから、色んな事件に關係しましたが、此の事件が一番心に残る、感激にみちたものでした。分類的には、正に破廉恥罪に属するに違ひないのですが、それが忘れ難く感激に充ちてゐると言ふのは、個人的の意味もあるのですが、その他にも、心を惹くものがあるのです。それは物語をお聞き下されば、おわかり下さるだらうと思ひます。丁度大正✕✕年の夏、私が東北の某市 ―人口七八萬の― に勤めてゐた時の事でした。』

と、醫學士是枝友次郎氏は語り出した。

 

 

どちらのほうが完成度が高いかといったら、変態性が増し、眠れる女に対する男の執着度がパワー・アップ(?)された「眠り人形」に軍配が上がる。その骨子は一緒でも文章がこれだけ異なっているのに、探偵CLUB版『網膜脈視症』をはじめ創元推理文庫『日本探偵小説全集7 木々高太郎集』、なおかつ『「新青年」趣味XXI 特集木々高太郎』においても、この作品のヴァリアントについて深く突っ込んだ人がいないというのは、それだけ木々に対する関心が薄い証拠だろうか。間違いなく彼の代表作なのに・・・。



最後の一篇は、若き文學士/年上の人妻/後半になって姿を現わす醫學士の三名による読む戯曲形式の「膽嚢(改訂)」。巻末には木々自身による各作品への一言コメントをまとめた「跋」。ここでも木々はどういう訳か「ねむり妻」だけ言及していない。そこにどういう理由が隠されているのか推理してみるのも面白い。 





(銀) 木々の没後、近しい関係者によって編まれた『林髞 木々高太郎先生追悼集』という本があって、その中の「遺族 親族のことば」なる頁には木々が再婚した二番目の夫人・林万里子も寄稿。木々よりずっと年下の彼女は銀座のクラブの女で、強引に押し切られて一緒になったと語る。それはいいのだけど次のくだりには少々「ん?」と思った。


〝男にサービスする精神が身についていたせいか、私は友達がおどろくほど、忠実に夫に仕えた。長い独身生活がつづいていたせいか、林のはげしい愛は私を困らせるほどだった。「お年をお考えになっては?」と再三注意はしたものの、一年間休んだ日は数えるほどしかなかった。〟



木々が羨ましい~ってですか?イヤ、そうじゃなくて、この文章は元々雑誌『婦人公論』に求められて書いたみたいなんだけれども、いくら想い出を語るって言っても閨房での話をこうやってあっけらかんと公表してしまって、木々の親族から白い眼で見られなかったのかな~。



『林髞 木々高太郎先生追悼集』については気が向いたらまた改めて取り上げてみたい。








2021年11月9日火曜日

『或る光線/木々高太郎科学小説集』木々高太郎

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2021年10月発売



★★★    解説の執筆者は真面目に人選してもらいたい




「作者の言葉」にて木々高太郎本人が語っているように、本書に収められている短篇のすべてが科学小説ではない。『或る光線』の元本は昭和13年刊行だから日中戦争はすでに始まっており、トップを飾る「或る光線」とはいわゆる敵国兵を倒す殺人光線の話なのか、と想像なされた方もおられようが、それは半分正解で半分ハズレ。海野十三の「十八時の音楽浴」とは一味違った木々の描く未来社会イメージがなんともユニークな反面、戦争を題材に扱っていたため敗戦後は一切単行本に入らなかった。当時ラジオ番組の台本として書き下ろされたというが、何分ぐらいのドラマだったのだろう。

 

 

 

続く「跛行文明」も戦争兵器こそテーマにしてはいないが、人類の進歩を警告する内容。戦後の木々の著書では『落花』(一聯社/昭和22年)にも収められている。ここまでの二作は木々が申すところの〈文明批評〉を押し出した未来小説だが、「蝸牛の足」からはいよいよお待ちかねのレギュラー・キャラクター志賀博士登場。二組の犬狂いな金満家が海外から優れた犬を輸入しては品評会で争っている。その片方である山辺氏イチ推しの犬が失踪してしまい、志賀博士はちょうど遊びに来ていた友人の息子・圭一君の示唆から犬のゆくえを探し当てる。

 

 

 

「糸の瞳」も志賀博士が担当。本来の旧漢字表記だと「絲の瞳」。これも理系知識を巧妙に使った一篇。この作を気に入った方は(昔の汲み取り式便所のような)悪臭のする場所のそばに炭を一個放置しておき、しばらく時間が経ったらその炭を別の臭くないところに持っていって、火鉢かなんかで炙ると本当に炭から臭い匂いがしてくるのか、ぜひ実験して頂きたい。

 

 

 

さて「債権」は大心池先生の出番。彼のクリニックへ一組の夫婦が診察を希望して訪れた。細君は「夫が何事にも病的に金銭勘定する精神病になっているのでは?」と心配するが、特に要治療とはならず。後日、古沼にてその夫が溺死しているのが発見される。大心池は死体の口から吐き出されたものに目を付け、謎の溺死の裏にある企みを見抜く。会話の中に志賀博士の名前が出てくるが、本人は登場しない。

 

 

 

「死人に口あり」は志賀博士の事件。死んだ人間が霊界から何通も送ってくる手紙。しかもそれは、誰かが代筆しているものでは絶対にないと云う。バカバカしいトリックをいつもの堅苦しい口調で淡々と書き進める木々。
「秋夜鬼」はあっさりしたノン・シリーズの短い怪談。
「実印」も同じく、志賀も大心池も出てこない掌編。同じ短篇であっても、後者はもっと枚数を増やしてじっくり書き込んだらよかったのに。
印」も『落花』(一聯社/昭和22年)に収録。

 

 

 

最後の二作は残念ながら、いまいち。
「封建性」は『新青年』に載ったもので、先祖の話はちょんまげ時代まで遡り、
信濃守猛理が女の髪の毛を一束むしゃむしゃ喰ってしまうところなど、部分的には悪くない。
「親友」は冒頭の「或る光線」と同じく戯曲風の構成を取っているが、
この二作は作者の言いたい事がもうひとつ伝わりづらいのが難点。

 

 

 

毎度このBlogで書いてきたように、どこの商業出版社も木々を出す気はさらさら無さそうだから『或る光線』が文庫サイズの新刊で一冊まるごと復活するのはいいんだけど、なんで解説の執筆を木々について詳しくもない彩古(古書いろどり)にやらせるんだ?研究者でも何でもない只の古本ゴロではないか。

382ページ5行目は『木々高太郎傑作選集』って書くとビギナーは個人選集だと間違えそうだから正確には『甲賀・大下・木々傑作選集』と記すべきだし、388ページで「蝸牛の足」「債権」「死人に口あり」「秋夜鬼」「封建性」以外は本書の初刊本(ラヂオ科学社版)に収録されたっきり、ずっと埋もれていたと彩古は書いているけれど、「跛行文明」「実印」は戦後の仙花紙本に収録されている。上記で『落花』(一聯社/昭和22年)に収められている作を書いておいたのはその為だ。

誰それのどの本はレアだから儲かるとか、あの本の古書市場価格はどれぐらいだとか、そういう知識しか頭にない人間に良質な解説など書けるはずがない。誰もが納得できる人に解説は書いてもらいたい。それゆえの減点。

 

 

 

 

(銀) 「債権」の中にこんな一節がある。

 

落合警部は、大心池博士の冒険的な行動は、これが始めてであった。

志賀博士については、何度か危険な捕物に従ったことがあったが、
大心池先生は、この反対に、いつも遠くから推理を辿って、
釣をするように針を投げるだけであった。
志賀博士のように、狩猟的ではなかったことを、よく知っていた。 


これから木々を読み始めようとしている方々には、この二人の探偵キャラの個性の違いを、なんとなくでも覚えてもらえたら嬉しい。落合警部も木々作品によく登場するレギュラー・キャラクターである。





2021年7月3日土曜日

『折蘆』木々高太郎

NEW !

春秋社
1937年11月発売



★★★   評価に困る代表作




木々高太郎の書く小説の一面として(作者はそんなつもりじゃないのかもしれないが)登場人物は誰もみな emotional さがダイレクトには伝わってこず、あたかも能面のようにヒンヤリとした表情の演者達が織り成す舞台劇のような手触りがする。冷たい炎とも呼べぬ本作の空気感など、傑作か否かはさておき正に木々ワールドの好サンプル。

 

 

〝折蘆〟とは、パスカルの言葉を引用して登場人物の有り様を形容したタイトル。他にも作中にチュッチェフとかストリンドベルヒとか出てきて、理論武装ならぬ知性武装をしてしまうのも、この人の特徴。90年代に再結成したYMOが『テクノドン』を制作した時、坂本龍一がウィリアム・バロウズやウィリアム・ギブスンを参加させた例がそうだったように、ユーザー側(YMOにとってのリスナー/木々にとっての読者)からすると、大して必要の無い作意だと捉えられがちではあるが。

 

 

これは天下の『報知新聞』に半年間連載した、比較的初期の意欲作。ということは『新青年』のように探偵小説に好意的な読み手ばかりではない大舞台で勝負しなければならなかった長篇でもある。上り坂にある探偵作家はそのような場合、持ち駒の飛車角、つまり最も売り出したい自分の探偵キャラを惜しげもなく投入し、読者を獲得しようと目論んでも不思議ではない。ところが本作では志賀司馬三郎を一歩引かせた位置に置いて事件を担当させず、大心池章次も一瞬名前が出てくるだけというキャスティングからして非常に変わっている。 

 

                    

 

 
東儀四方之助は大学卒業後も研究室で愚図愚図していられるような生活が許された恵まれた環境にあり、嘉子という女と結婚はしたが、独立もせず親の家に同居したまま。嘉子がどうにも気が利かない妻ゆえ、東儀はいつもムスッとしている。怠惰な日常から脱するため私立探偵事務所を開設(最初の相談者が訪れるけれど、長くなるんでそこは省略ね)。友人の岡田警部から声を掛けられた東儀は殺人事件の捜査に参加する。

 

 

銀行家・永瀬貞吉が針金か何かで首を絞められ身体中を刀傷だらけにされて自宅の一室で死んでおり、軒下の土の上には誰かが小便をした跡が残っていた。永瀬家には脳溢血で会話もままならない貞吉の父、肺病で死期が近そうな貞吉の弟、運転手の牧山をはじめとする使用人らがおり、弟の友人など第三者の出入りもある。東儀を戸惑わせたのは自分が昔つきあっていた節子という女性が現在は貞吉の妻になっていることだった。
 
 

                     

 
 

実に木々作品らしいのだけど、この東儀が頭でっかちで好感度に欠け、物語冒頭から志賀博士の紹介で自分を頼ってきた相談者に対し〝上から目線〟で接しているように映る。さらにその相談者・福山みち子がまたハッキリしなくてモゴモゴモゴモゴしているものだから〝いらち〟な読者は「はよテキパキ喋れよ!」とジリジリしそうな滑り出しだ。

 

 

さて改めて申すまでもなく木々は本格派の作家ではない。一見なんとなく本格っぽく大きな動きも作らず事件の経過を描いてはいるが、手掛かりや伏線を提示して読み手に謎解きの挑戦を仕掛けるような fairness は望むべくもない。もっとも最初から最後まで内向きにモゴモゴしている訳ではなく、警察と東儀が寝たきりな永瀬の父を聴取する際、節子が通訳として仲介になるシーンでの、会話ができぬ老人の真に伝えたい事を節子は果たして包み隠さず通訳しているのかという心理的疑惑が渦巻くサスペンスはなかなかの名場面。

 

 

そして本格ミステリらしい手順を踏まず一旦事件は解決したかに思えたのだが、皮肉などんでん返しがあり東儀は探偵としてだけでなくひとりの男としても一敗地に塗れ、普通の探偵小説には見られぬ恥ずかしい結末に終わる。私は最初からこの主人公・東儀四方之助がいけ好かなかったから、このエンディングは快哉を呼ぶもの(?)だったけれども、世の読者はどのように感じただろうか。




「折蘆」も収録されているベリー・ベスト・オブ・木々高太郎




芸術的表現というよりもインテリ臭が鼻に付く問題点はどうやっても拭い去れず高評価は難しいけれど、上に述べたサスペンス及びどんでん返しの結末、この二点は認めたいので★3つあたりが妥当かな。それでも木々の良いものを集約した『日本探偵小説全集 〈7〉 木々高太郎集』 (創元推理文庫)には本作が選ばれているのだから考えさせられることは多い。ただ、この文庫の「折蘆」以外の収録作品はどれをとっても名作ばかりだし、逆の言い方をすれば「折蘆」をスンナリ受け入れられるのなら、その読み手は木々作品全体にアレルギーを感じず没入できるのではないか。
 
 

 

 

(銀) とどのつまり読み終わった後で木々が一番書きたいのは何だったのか、その解りにくさが厳然として残る。もしも本作の主題が東儀四方之助の挫折だったとすれば探偵小説にする必然性はあっただろうか?いや、無い。「人間を描きたい」と口にする探偵作家は木々の他にも確かに居た。思いっきりpositiveに解釈するなら、小栗虫太郎や夢野久作のように木々高太郎もまたオルタナティヴ探偵小説の担い手だったと評価もできようが、日本探偵小説に通常使われる演出やストーリーテリングと比較してしまうと相当違和感を抱く作品であるのは言を俟たない。

 

 

本日の記事の書影に使っている初刊本は木々が自ら装幀しているみたいで、函から出したハードカバー本体の〈表1〉にはご丁寧にも「私もまた、物思ふ蘆でございました。しかも、その蘆は、折れ葉となつて了つてから、初めて物思ふやうになつたのでございます(四七八頁)」とクライマックスの一行が刻印がされている凝り具合で、こんな所にも芸術性のアピールが見られる。

 

 

どんなに解りにくい作品であろうとも、日本人はエライ人の言うことに流されやすいから、戦後虫太郎と久作が再評価されたように、木々にもしつこく支持するキュレーターがいたなら、もう少し歴史は変わっていたのかもしれない。度々書いているが今木々の新刊が出そうな気運が無いのは残念だ。「折蘆」みたいなのもあるけど木々にも面白い作品はあるんだって。『「新青年」趣味』の木々特集を後押しするような記事を書くつもりが、それに見合う内容にはならなかったものの、横井司ら数少ない木々研究者の動きは今後も見守っていくつもり。







2021年5月26日水曜日

『「新青年」趣味ⅩⅪ/特集木々高太郎』『新青年』研究会

NEW !

『新青年』趣味 編集委員会
2021年5月発売



★★★★    特集すれども新刊は無く




▼ 意外にも『「新青年」趣味』でさえ、木々高太郎を大きく扱った号はこれまで無かったし、そもそも探偵作家としての木々をメインに取り上げた文献自体が殆ど存在しなかったから、待望の一冊ではある。しかし本誌冒頭からいきなり樽本真応によるふたつの論述にて、
「林久策について ― 一九二二年の文筆活動」
「木々高太郎〈探偵小説芸術論〉の生成  林髞・甲賀三郎・横光利一との係わりから」
つまり象徴主義の詩だとかドイツ表現主義詩とか生理学認識論といった探偵小説フリークが興味を持ちそうにない、というよりむしろ煙たがりそうなテーマに踏み込んだ内容が展開されているので、昔からある木々への偏見を果してここで取り除くことができるのかどうか、私は少々気になった。

 

 

詩は木々のファクターの一部ではあるけれど『「新青年」趣味』を読むような人は、木々のシリーズ・キャラクター達(大心池先生/志賀博士/小山田博士)を深く掘り下げたり、小酒井不木とは全く異なる次世代医学ミステリの解析だったり、そういったものを望んでいたのではないだろうか。この作家に関心が無いと言う(346頁)芦辺拓なんかどうでもいいが、ただでさえ木々は戦前探偵作家の中でも人気が無いのだから、シンプルに彼の探偵小説のリーダビリティだけをクローズアップすべきだったと思う。


 

 

▼ 作品リストが出来上がったのは有難いけれども、探偵小説以外の執筆量があまりに多くて、その分必要な情報が拾いにくいし、フォーマット的にも大下宇陀児・甲賀三郎の時の作品リストより見にくくなってしまった。私個人は作品リストも嬉しいけれど、木々の著書目録が是非とも欲しい。

シビアな事を言うなら、2000年以降に出た木々単独の新刊は『木々高太郎探偵小説選』と『三面鏡の恐怖』、たったこの二冊だけしかない。他の作家は同人出版でも本が出ているのに木々にはそれさえも無い。「詩なんて別に知らなくていい」と多くの人が思っているに違いないし、木々の探偵小説にだってエンターテイメント性はちゃんとあるんだから、本誌を読んだ人に「この人の探偵小説をもっと読みたい」と喚起させるような内容に徹底してもらいたかった。木々を特集するということは斯様に厄介なものなのか。


 

とはいえ、湯浅篤志「ハウスネームとしての〈森下雨村〉」をはじめ、ちくま文庫『「新青年」名作コレクション』制作舞台裏、「渡辺啓助追跡(7)」なんかは非常に楽しめた。啓助に限らず探偵作家の日記ってどうしてこんなに面白いんだろう?あと変なオタク画家に描かせたらアニメ風巨乳にされそうな本誌表紙画の木々作品「月蝕」ワンシーンの女の裸だが、西山彰の手になるビミョーな垂れ乳具合が小説の書かれた時代を正しく捉えており、目立たないけど良い仕事している。



 

 

(銀) もう創元推理文庫は日下三蔵がプレゼンした木々選集を出す気は全然無さそうだから、ここはひとつ横井司の力で、どこか他の版元から木々の新刊を出してくれたら嬉しい。あ、論創社みたいにちゃんと校正ができない出版社は NG ね。

 

 

この数年ずっと感じているのだけど、『新青年』研究会の顔ぶれに大学人が増えたせいか、論文のような文章には閉口する。学内で研究を発表する場ならそれでいいかもしれないけれど、『「新青年」趣味』だったり探偵小説の評論書に論文調のままの書き方をするのはちょっと違うと思う。

仮にそれが大学人であろうとなかろうと、読んでいて面白いなと思わせる人の文章は〝誰々が述べているように〟などと、他人の引用ばかりしているような書き方はしていないし、変に横文字を乱用したり堅苦しい文体でもない。村上裕徳ほどくだけた書き方をしなくてもいいけど、内容もさながら人に読ませる文章というものをよく考えて寄稿してもらいたいものだ。



かつては若かった会員の方々もずいぶん年輪を重ね、昔は会員だった有能な人達がいなくなってしまったから、『新青年』研究会も若い世代の人材を見つけたほうがいいに決まっている。でも最近会員になる人が大学人ばかりに思えるのは私の気のせいだろうか。大学人以外だと会員に誘われないのかな?その一方で、なぜ芦辺拓や黒田明を会員にしたのか私にはさっぱりわからん。いたずらに数ばかり増やすより、質で選んで下さいな。



 


2020年8月5日水曜日

『木々高太郎探偵小説選』木々高太郎

2010年7月1日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第46巻
2010年6月発売



★★★★★  探偵小説に直木賞なぞ要らない




戦前日本の探偵小説家の中では、知名度のわりに人気の無い木々高太郎。その訳は本書解題でも述べられているが、原因は他にもあると思う。才能の捌け口を探偵小説に集中できなかったと云うけれど、特に戦後は小説の執筆に心血を注ぐよりも探偵文壇に火種を巻いて高木彬光らを敵に回したり、若手世代にいまいち人望を得られ無かった(特に本格派、というか乱歩派の後輩作家に)。加えて詩人としての資質の投入、それもひとつのトライではあるものの、探偵小説に必要な色気を失いはしなかったか。直木賞受賞長篇『人生の阿呆』を激賞する探偵小説ファンの声はあまり聞かない。

 

 

かなり久しぶりな木々の新刊。政略結婚に戸惑う令嬢と謎の青年紳士を主人公にした「四十指紋の男」「獅子の精神病」等、全八話からなる連続短編オムニバス。これはなかなかの佳作。木々とルブラン、意外な取り合わせだが、明らかに『八点鐘』の手法が用いられている。戦前の日本探偵に与えたルブランの影響がこんなところにまで及んでいて面白い。ただ、このオムニバスのタイトルが「風水渙」。判り難い表現で損していないか?

 

 

そして「高原の残生」他九短篇、さらに(皮肉なことに小説より有名な)「探偵小説芸術論」的随筆十一篇、殆ど単行本初収録。彼のエッセイにはもっと激しく甲賀三郎や乱歩に毒付いているものもあるが、その辺は今回避けられているようだ。木々を出すのなら論争の宿敵・甲賀三郎も対比して読まれるべきで、木々・甲賀そして大下宇陀児は現在彼らの作品の多くが現行本で読めないのだし、少しずつでも紙の本で刊行されてほしい。論創ミステリ叢書においては久山秀子でさえ四冊出ているのだから、この三人の巻はもっとあって当然というもの。

 

 

「木々の選集が東京創元社にて現在企画中」と云われながら、既に何年経ったことか。同時期に日下三蔵がプレゼンした海野十三は創元推理文庫で四冊リリースされたというのに、なんで木々ばかりこんな放置プレイ扱い?

 

 

 

(銀) 木々の単独ガイドブックみたいなものは現在ないが、二十年ぐらい前に彼の故郷・甲府の山梨県立文学館にて松本清張と木々高太郎の展覧会が開催され、その時に図録「松本清張と木々高太郎」が発売された。これはなかなかよく出来ているので持っている価値がある。

 

 

更に山梨県立文学館のその他の刊行物の中には、当時木々宛てに送られた書簡を収録したものもあり、江戸川乱歩・海野十三・水谷準・夢野久作・小栗虫太郎・甲賀三郎・大下宇陀児らの書簡を読むことができる。

 

 

探偵作家の書簡とか遺品を所有している文学館はこういう風に刊行物として誰でも読めるようにしないと、いくら貴重なものを所蔵していたって、その中身を我々が知ることができず、たまに展示するだけで単に保管したまま眠らせているだけでは宝の持ち腐れだ。山梨県立文学館のように刊行物を制作販売できる自治体は実に立派(金があるからできるのだろうけど)。ただでさえ不景気が続いている上にコロナ蔓延で経済は瀕死状態、00年代までは良い活動が出来ていた施設も今では動きがとれなくなっているのかもしれない。






2020年6月27日土曜日

『風間光枝探偵日記』木々高太郎/海野十三/大下宇陀児

2009年5月4日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第31巻
2007年10月発売



★★★★★     女探偵、七変化




◆ 海国日本の高揚を国民に意識させようとする戦前の雑誌『大洋』に連載された〝風間光枝探偵譚〟は海野十三木々高太郎大下宇陀児の三名による読切連作小説である。以下、カッコ内は各篇が収められた初刊本を示す。




「離婚の妻」木々高太郎(春陽堂文庫『風水渙』に収録)
「什器破壊業事件」海野十三(ラヂオ科学社『幽霊放送者』に収録)
「危女保護同盟」大下宇陀児(博文館 小説選集『思慕の樹』に収録)


「赤はぎ指紋の秘密」木々高太郎(春陽堂文庫『風水渙』に収録)
「盗聴犬」海野十三(ラヂオ科学社『幽霊放送者』に収録)
「慎重令嬢」大下宇陀児(博文館 小説選集『思慕の樹』に収録)


「金冠文字」木々高太郎(春陽堂文庫『風水渙』に収録)
「痣のある女」海野十三(ラヂオ科学社『幽霊放送者』に収録)
「虹と薔薇」大下宇陀児(博文館 小説選集『思慕の樹』に収録)
   



◆ 次に海野十三単独作である風間三千子シリーズ〝科学捕物帳〟四篇。掲載は『講談雑誌』。上記の風間光枝とこの風間三千子ものはどちらも昭和14年以降に発表されており、戦争の気配が次第に忍び寄ってきている。「探偵西へ飛ぶ!」は、皇国の為に命を懸けたふたりの探偵が敵地にて最期の時を迎えたとしか思えないようなエンディング。



「鬼仏堂事件」(博文館『英本土上陸戦の前夜』に収録)
「人間天狗事件」(成武堂『空中漂流一週間』に収録)
「恐怖の廊下事件」(   〃   )
「探偵西へ飛ぶ!」(   〃   )
   


◆ 最後に、これも海野十三によって戦後発表された〝蜂矢風子探偵簿〟編。掲載誌は『宝石』だが「幽霊妻」だけは当初「幽霊妻事件」というタイトルで雑誌『物語』に掲載された。



「沈香事件」(高志書房『怪盗女王蜂』に収録)
「妻の艶書」(   〃   )
「幽霊妻」(世間書房『ネオン横町殺人事件』に収録)
   


以上、中には普段コミカルな味など出さない木々の、海野っぽくて剽軽なシーンが見られる作があったり、そのの最も代表的な探偵・帆村荘六がゲスト出演する作もある。これまで個々の単行本に分散していたり未刊だったものをコンパイルした好企画だった。

 

 

 

(銀) 大下宇陀児の風間光枝もの三篇を本書の解題では単行本初収録と書いているが、実は『思慕の樹』という大下の昭和17年の著書に「風間光枝の事件」として収録されている。たぶんこの本は過去の大下宇陀児著書目録に載っていなかったので、横井司は単行本未収録だと思ってしまったのだろう。『思慕の樹』だけでなく木々の初刊本にしても、近年は古書市場で見かけることが無くなった。古書に拘ってそれらを探すとなると結構入手が難しい本がある。内容はさておき、私だけかもしれないけれど、論創ミステリ叢書の中で出してくれて嬉しかった度合でいえば、かなり上位にランクされる巻だ。