2023年4月30日日曜日

『りお・で・じゃねいろ巷夜譚(ちまたのよばなし)』渡邉文子

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東都我刊我書房  渡邉文子/北島文子/北島府未子一人三人撰集  善渡爾宗衛企畫)
2023年4月発売





  善渡爾宗衛に酷い本を出されてしまった作家の著作権継承者、
                  もしくはその親族の方々へ




本日の記事に取り上げている同人出版本『りお・で・じゃねいろ巷夜譚』の著者・渡邉文子氏の著作権継承者、またその親族にあたる方々へ急ぎお伝えしなければならない事があります。

戦前の雑誌『新青年』に探偵小説を発表なさっていた渡邉文子氏は横浜出身で、昭和4年に初めてブラジルの地を踏み、結婚して北島姓となられた昭和10年頃再度ブラジルへ渡られたとのこと。詳しい情報は持っていないのですが、二人のお子様がいらっしゃるも渡邉氏は昭和39年に逝去、それ以前に配偶者様が他界されていたとも聞きますので、果して御親族が日本国内にどのくらいおられるのか知る由もありません。二人のお子様の血を引く方々はきっと今でも南米にてご健在だろうと推測するのですが、今はインターネットで地球の裏側までも情報を届けることが可能であり、たとえどの地にいらっしゃろうとも渡邉文子氏の関係者のどなたかにどうしてもこの文章を読んで頂きたく、僭越ながら一筆したためました。

 

 

東京都内に善渡爾宗衛と名乗っているかなり頭のおかしくなった老人が存在し、いまや読むのが困難になったレアな探偵/幻想小説の類をこの数年にわたり、通常の出版社経由ではなく〈東都我刊我書房〉などという自主レーベルより刊行しております。本年4月に善渡爾宗衛は渡邉文子氏の遺した作品「葉巻の殺人」「夜開く花」「人間腸詰事件」「姦通を聴く男」「第二の復讐」「りお・で・じゃねいろ巷夜譚」「妖艶鬼ロウイス」「ダニューブの悲劇」「ほうたい」「金髪に気をつけろ」「運命のダグラス機」を一冊に集めた『りお・で・じゃねいろ巷夜譚』なる本の販売を始めました。

 

 

そもそも昭和39年の逝去、そしてブラジル移住。この二つの要因から渡邉氏の著作権は現在どうなっているのでしょう。既にパブリックドメインになっているのかどうか私には判断が付かないのですが、仮にまだパブリックドメインになってない場合、つまり渡邉氏の作品を刊行するには今でも著作権継承者の方の了承を得る必要があったとして、善渡爾宗衛はその方の許可を得て本を販売しているのでしょうか?彼のやる事を監視してきた私は次に述べる理由からして、とてもそうは思えずにいます。


 

 



この善渡爾宗衛、自分でテキストの入力作業をしているようですけれど、いくら素人の自主出版とはいえ、パソコンを用いて底本のとおりまともに文字を打つことができないらしく、彼の売り出した本のテキストは誤字脱字だらけな惨状。テキストを一度打ち終わったあと、ゆっくり時間をかけて再チェックしミスが無いよう確認すればいいものを、入力ミスだらけの状態で整ってもいないテキストのまま製本に回すだけでなく、通常の同人出版の数倍もする法外な価格を付けて売り捌いているのです。印刷を依頼した会社の名さえハッキリさせていません。

 

 

老眼でテキストを入力するのに目がよく見えず手元も集中力もおぼつかないのであれば、それが可能な他者に頼めば何も問題は無い筈。しかしこの善渡爾宗衛に至っては作品を復刊させて頂く作家への敬意と常識を欠片も持ち合わせていないばかりか、私がこのBlogで以前からずっと忠告しているにもかかわらず、作品のテキストを正しく入力するつもりなど髪の毛一本程度も無く、ひたすら自分の懐を肥やす欲望しか頭にないようです。

 

 




今回の『りお・で・じゃねいろ巷夜譚』もどんな酷いテキスト入力がされているか、お目にかけましょう。以下に記します本書の制作者・善渡爾宗衛の入力ミスですが、信じられないでしょうけれど230ページの本一冊全体では決してなく、冒頭に収録された約20ページ程度の短篇「葉巻の殺人」だけでこれほどの数の誤字脱字を発生させている事、更に(煩雑になるのでここに書くのを省きましたが)たった一短編のうち他にも正しいとは考えにくい送り仮名や句読点がある事をくれぐれも念押ししておきます。(下線は私=銀髪伯爵によるものです)


 

 

 5ページ8行目

選ましいブルドッグが一匹(✕)  →   勇ましいの間違いではないのか?

 

 5ページ10行目

今は自分主人公自ら把手をとっている(✕)  →   自分主人公自らって何???

 

 7ページ18行目

大試合をせんけれけりゃァならんのでね

→  現代でいうところの「~しなければ」を、明治の人は「~んければ」という言い方で表現していたという。そうだとしても渡邉文子氏が本当にこのとおりの言葉遣いで執筆したかどうか善渡爾の作った本である限り私には疑わしい。

 

 8ページ2行目

苦い顔を仕様としまいと(✕)  →   しようとしまいと

 

 9ページ3行目

辞してきなかった(✕)  →   きかなかった

 

 


 9ページ9行目

気持が悪いからこので下車(おり)りて(✕)  →   ここで下車(おり)て

 

 9ページ17行目

サンバロウ中央警察署(✕)  →   サンパウロ中央警察署

 

 10ページ11行目

その空地のをまわっていたのだ(✕)  →   その空地を


 11ページ18行目

だが多の人々は(✕)  →   多くの人々は

 

 13ページ1行目

マッチを取をおとす位は(✕)  →   取りおとす位は

 

 


 14ページ5行目

灰皿のへそっと置いた(✕)  →   灰皿の、の次には底/隅/端のどれかが来る筈である

 

 18ページ1行目

尾羽打ちした彼の様子(✕)  →   尾羽打ち枯らした


 18ページ6行目

ツい同情心を起して(✕)

→   もしカタカナ表記にするのなら作者はツイと書くのではないか?

 

 21ページ7行目

私の社の株主総合の日(✕)

→   株主総会のことを南米では株主総合と呼ぶとは思えない

 

 21ページ12行目

其葉が小父さんの手にあるのを見て

→   単体一本の葉巻を其葉と表現することもあるかもしれないが一応疑問を呈しておく

普通に考えるなら其の葉巻とすべき

 

 


 24ページ9行目

ある時一味を一網打尽に(✕)  →   文脈からして一味等(いちみら)ではないのか?

 

 24ページ18行目

私、無味がわるくて生きた心持もしないわ(✕) →  気味がわるくて


 25ページ8行目

悩みに耐かねた(✕) →  悩みに耐かねた

本書の制作者は底本の旧仮名遣いを現代仮名遣いへ全て変更して入力しているのに、それを忘却してしまっている

 

 



御覧頂いたとおり、よくあるケアレスミスで済まされるレベルではありません。渡邉氏の代表作「地獄に結ぶ恋」や「復讐の書」でたっぷり楽しませてもらった私からしたら、上記の例が渡邉氏の書き癖だったり当時の校正/校閲者のあやまちだとは考えられないのです。そして初めて私のこのBlogにアクセスして下さった方のために再度お見せしますが、善渡爾宗衛は過去にも鷲尾三郎氏や伊東鍈太郎氏の作品で目に余るテキスト入力ミスのまま本を制作し販売してきました。彼らの悪行は幾度となく記事にしていますが、とりあえず下段()のリンク先を参照下さい。この業界には、こんな酷いテキストの本が世に出されても、製作者に疑問を投げかけたり批判を向けるどころか却って逆に有難がったり、褒め上げるツイートを拡散して善渡爾らに加担する、いわば詐欺グループにおける〝受け子〟のような者も中には存在しているのですから。

 

「ミステリ同人出版のルフィとその子分は誰だ?」 


善渡爾宗衛の作る悪質な本は主に「盛林堂書房」をはじめ「PASSAGE(パサージュ)」「古書いろどり」「まんだらけ」で売られています(店名文字にリンクを張っておきました)。その中でも特に「盛林堂書房」と善渡爾はズブズブの関係にあります。既にこの世の人ではないと思ってナメているのか、ここまで作家を、そして読者を侮辱した本を作って売る人間を私は他に知りません。渡邉文子氏・鷲尾三郎氏・伊東鍈太郎氏、また善渡爾宗衛以外にも湘南探偵倶楽部と名乗る集団によって同様の酷い本を出された楠田匡介氏・大下宇陀児氏の関係者の方々にもこの現状を知って頂き、これらの連中に強く苦情を伝えるなり著作権の関係機関へ通報するなり、何らかの処置をするべきだと私は愚考するのです。





ちなみに『りお・で・じゃねいろ巷夜譚』の奥付はこう記載してあります。

著者       渡邉文子

企畫       善渡爾宗衛

カバー      ケンコングラフィック 小山力也

本文レイアウト  後藤浩久

発行日      二〇二三年 四月 二八日

発行       東都我刊我書房  東京都杉並区荻窪 一 - 三四 - 十六  安藤方



上記の住所が善渡爾宗衛と名乗っている人物の住まいなのかもしれません。なにかあればコチラもしくは「盛林堂書房」の店主に申し出るとよろしいかと思います。もっとも彼らは誰ひとりとして自分の非を認めるような人間ではないので、やはりそこはしかるべき筋へと通報するほうが望ましいかもしれません。いずれにせよ渡邉氏をはじめ作品を遺して下さった作家の人格を汚すような行為が一日も早く一掃されることを強く願ってやみません。


 

 


2023年4月28日金曜日

『濡れた夜曲-妖美艶色秘話』島本春雄

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あまとりあ社
1959年2月発売



     御本人は探偵小説はお好きだったそうだけど




島本春雄は関西の出身で、大阪に住んでいた頃は厳しい貧困生活を送っていたが須磨利之の勧めにより上京し久保書店に入社。編集者の顔もある反面、それ以前から小説を書いておりジャンル的にはエロチック/被虐、あるいは伝奇的な作品を残した。探偵小説は好きだったようだが著書となると時代ものが殆どを占めており、数少ない(当時の)現代ものが『濡れた夜曲』。装幀は喜多玲子(=須磨利之)。

 

 

新聞通信の変人ベテラン探訪記者・加藤太郎というキャラが登場するのだが、これがなんと既に亡くなっており、生前に彼が書き溜めた柳行李一杯の覚え書・ノート・資料・記録・写真を元にして友人である語り手の〝私〟が猟奇/残虐/淫猥な事件の数々を綴ってゆく・・・そんなスタイルを取っている。

 

 

「乳房を蒐める」

次々に若い女性が眠らされて裸にされる珍事が発生。しかしレイプ犯ではない模様。映画『水のないプール』の内田裕也みたいな目的かと思いきや・・・。

 

 

「もてあそぶ女」

ある裕福そうな家へ郵便配達が郵便物を届けたところ「けけけけ・・・・」という尋常ならざる不気味な狂笑が聞こえてきた。玄関の戸を開けると全裸乱髪の女が血に濡れて、鼡(ねずみ)をガリガリ齧っているではないか。加藤太郎は問題のその家へ駆け付ける。なぜ彼女が鼡を喰らうのか、もう一味幻想的な猟奇性が演出できればよかったのに。グロいけど惜しい。

 

 

「桃色の祈禱師」

加藤太郎は西大路廻り京都行き市電の中で掏摸を働いた男を捕まえ、盗んだ財布を取り上げた。その財布の中からSM行為をしている女の写真が。事件はオカルトな方向へ。

 

 

「女は灯の下にいる」

ここからなぜか加藤太郎が登場しなくなり、本作では旬刊特種ニュースという怪しげな新聞社の記者・新田太郎が主人公を務める。酔った新田は暗く寝静まった屋敷町でタクシーを下車した。その道端に立っていた女が外套の前を思い切り開くと一糸纏わぬ肉感的で美しいハダカ。この後の流れは伏せなければならないが、どんどんつまらない展開に。

 

 

「靴下を脱ぐ女」

したたかなる生命保険外交員・葉月絵津子は助兵衛な日東商事の老社長・大角弥五郎を挑発して自分の躰で楽しませ、五十万円の生保に加入させようとする。老社長は小切手を書くため書斎に入ろうとしたその時、何者かが彼の首をギリギリと締め上げた。誰もいないはずの大角屋敷で、片方のストッキングによって老社長が絞殺された事により、絵津子に殺人容疑が降りかかる。 

海外古典ミステリのいくつかのタイトルが出てくるし、なんらかのトリックが施されているのを期待してしまうが、結局サスペンス風ドラマにありがちな解決でガッカリ。

 

 

 

何をもってその作品を探偵小説とみるか。殺人が起こったり捜査を描写するだけでは足りない。謎解きでも変格幻想でもどちらでもいい。なにがしかのショック、もしくはどんでん返し、予想の外の驚きを読者に与えなければ探偵小説とは認めづらい。

あまとりあ社には何人かの探偵作家の著書がある。島本の場合もうまくエロを使って探偵小説が書けていればよかったのだがどうも妙味に欠けるし、犯罪実話風こそ免れているものの朝山蜻一のような風俗ミステリの味付けがある訳でもない。残念。

 

 

 

(銀) 島本春雄でいうと『六姫無惨絵巻』も良いとは思えなかった。あの本は『濡れた夜曲』よりもずっと緊縛の世界に振り切った内容だが、優れた美点は特段見つからず。ディープなSM世界は自分に向いていないようだ。





2023年4月25日火曜日

まんだらけのパンフレットごときで追悼を済まされては池田憲章が気の毒

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【怪獣/特撮/アニメ】の研究家/ライターだった池田憲章が昨年の秋に亡くなった。享年67。中野サンプラザで開催される「資料性博覧会」というサブカル同人誌の即売会があるそうだが、それの公式パンフレット『資料性博覧会16』が池田憲章の追悼特集だというので入手してみた。

 

 

82ページのうち2/3は「池田憲章追悼文集」と銘打ち、46名の追悼文を掲載。【怪獣/特撮/アニメ】界の人脈を殆ど存じ上げないので、桜井浩子/林海象/鈴木敏夫などごく一部の著名人以外は何をなさっている方々なのか不明。池田を追悼するとなると、こういう人達ばかりになるのか、ふーん。頻繁に言及される『ファンタスティックコレクション空想特撮映像のすばらしき世界 ウルトラマン/ウルトラセブン/ウルトラQ』はうちにも昔あったけれど、ここで展開されている〝いい歳して子供向きのアニメや特撮に心酔するオタク集団〟のノリにはついていけず。後半1/3は、「PUFFと怪獣倶楽部の時代 特撮ファンジン風雲録」と題した池田の自分史(第一部)そしてインタビュー(第二部)。この界隈に疎い私には若干読みづらさも感じた。

 

 

晩年の池田は脳梗塞で倒れ不自由を強いられていたらしい。それまではハンパなく電話が長かったり筆まめだったりと非常に話好きだったようだし、こんな大病を患ってしまった日には他者とのコミュニケーションが取れなくてつらかったろうな。私の関心が向かない業界の事が書かれていて「なるほどな」と勉強になる反面、池田憲章という人はどうも多方面に興味が向き過ぎて、口だけに終わるというか企画倒れで消えていったアイディアは途轍もなく多そう。

 

 

探偵小説に関する範囲でいうと海野十三や香山滋あたりに池田のコントリビューションがあったのだが、本誌の中でその手の話題に触れられている箇所は少なすぎて、殆どゼロに等しい。海野十三読本も幻のまま終わってしまった。海野といえば、本誌の追悼文集にどうして北島町立図書館・創世ホールの(というか先鋭疾風社の)小西昌幸の名がないのか、それが納得いかない。私からすると池田憲章の知友といえば何をさしおいても小西昌幸なのに、本誌の編者は徳島の小西に連絡を入れたのだろうか?それとも小西の存在を知らなかったのか。だとしたら失礼な話だ。

 

 

それよりも今回の追悼特集をバックアップしてるのがまんだらけって・・・盗品販売の噂もあり森英俊や盛林堂書房周辺とズブズブな関係で、当Blogでも再三批判しているNo 校正/No 校閲の同人本を売りまくり、それらの販売価格は定価の上に更に消費税を乗せているという悪徳業者のパンフレットという形で出される事に私は最も疑問を抱く。そりゃあまんだらけは【怪獣/特撮/アニメ】に限らずサブカルオタにとっての聖地さ。しかし私みたいな門外漢が言うのも何だが池田憲章って大伴昌司や竹内博の系列に連なる、功績ある人なんじゃないの?だとしたら、まんだらけのパンフなんて薄汚れたやり方じゃなくて、(仮に同人出版でしか出しようがなかったとしても)もっとしっかり後世に伝えられるような本を何故作らないのか?

 

 

 

 

(銀) 池田憲章ワークスの中で個人的にひとつ挙げるとしたらコレ。   

       

当然この本も『資料性博覧会16』の中では一言もふれられていない。「新八犬伝」本も実現せず誠に残念でならぬ。





2023年4月22日土曜日

『猫目小僧』楳図かずお

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小学館 Big Comics Special 楳図パーフェクション!(6)
2006年8月発売




★★     要らぬ改変を強要する奴らは
                 肉玉に取り憑かれてしまえ

 

 

書店の文庫コーナーに立ち寄ったら『ゲゲゲの鬼太郎』が中公文庫からリイシューされていた。鬼太郎も悪くないけど妖怪なら私は猫目小僧。そういえば猫目小僧のアニメって昔あったけど、あれはなんで普通のセル画と違って切り絵みたいな作りだったのだろう?




この作品は昭和42年から昭和51年にかけて『少年画報』→『少年キング』→『少年サンデー』という順に転々と掲載誌を変えながら発表されてきた(とはいっても雑誌で読んだ記憶があるのは『サンデー』の頃だけだが)。長篇もののように同一ストーリーをずっと続けてゆくのではなく一つのエピソードに費やされるのは数回。

一応、全エピソードを収めているらしいこのUmezz Perfection!版全二巻は次のような収録内容になっている。第二巻の終盤『サンデー』期の読切短篇「約束」「手」「ともだち」は発表順に並べられていない。

 

 

第一巻

「不死身の男」「みにくい悪魔」「妖怪水まねき」「大台の一本足」「妖怪百人会(前編)」

第二巻

「妖怪百人会(後編)」「妖怪肉玉」「妖怪千手観音」「階段」「約束」「手」「ともだち」

 

 

どうやって読者を怖がらせるかというのは、回を重ねて物語のうねりを紡いでいくというよりもアイディアの一発勝負にかかっている。楳図漫画のキャラとして猫目小僧はチキン・ジョージを超える知名度を誇っているけれど、プロットを気にして読んでいくと少々食い足りない点もあり特に後年の『少年サンデー』期は弱い。昔読んだ時はそんなに気にならなかったんだがなあ。「まことちゃん」と時期がカブっているから、あっちにエネルギーを持っていかれてしまったのか。

 


昭和のマンガが軒並み被っているように「猫目小僧」も余計な改変がなされているみたいで、「妖怪百人会」というエピソードはもともと「小人ののろい」と題されていた。ネットで調べたところ少なくともサンデーコミックス版まではどうにか「小人ののろい」のままだったようだが平成以後の単行本でやられてしまったか、それともこのUmezz Perfection!で「妖怪百人会」へ変えられてしまったのか、旧版コミックスを持っていないからわからない。いずれにせよ本書は初出オリジナルのままに編集されてはいない。

 

 

読んでいても何故「小人ののろい」だとマズイのかさっぱりわからん。このエピソード名に問題があるというのなら、「猫目小僧」の内容は他にもヤバイところだらけではないか?もうひとつ自主規制ではないけれど初出との異同をお目にかける。「小人ののろい」「妖怪百人会」篇の最後のページ、ネットで見つけた初出ヴァージョン及び本書Umezz Perfection‼ヴァージョンを見比べてみよう。

 

 

画像① 初出誌の吹き出し

「こうしてねこ目小僧はやみの中に消えていく」

「そうしてこのつぎあらわれるのはもしやきみのところかもしれない・・・・」



 

画像② 本書Umezz Perfection!第二巻の吹き出し

「この次猫目小僧があらわれるのは・・・・・・」

「もしやきみのところかもしれない・・・・・・」

 

 

画像①初出誌における下のコマは次回予告のため、単行本にする時書き変えられるのは普通の事である。また上のコマのネームはなにか通念上の問題がある訳ではなく、作者楳図かずおの意図によって変更したのだろうから目くじらを立てる必要はないだろう。ただクレームを懼れる表現の改悪以外にこんな異同箇所もあるのでUmezz Perfection!版『猫目小僧』に初出のオリジナルな内容を求める人は、決してそうではないという情報をお知らせしておく。

 

 

本書は2022年のUmezz Perfection!シリーズ増刷ラインナップに入らなかったので、現在は中古で探すしかない。過去の単行本には一番最後に描かれた「約束」が収録されていないものもあるそうだから、全エピソードを読みたい人にはいいのかもしれないが・・・。




(銀) 昭和のマンガの設定が平成以降の再発時ねじ曲げられてしまった例で思い出すのは藤子不二雄「プロゴルファー猿」。ジャック・ニクラウスがゴールデン・ジャックにされたり、実在するプロゴルファーの名前が変えられてしまったのは人格権でまだ仕方ないとしても敵のキャラの名前「フラン拳」を「コング拳」に、「闇の市」を「闇兵衛」に変えなきゃならない理由って何よ?オリジナルを知る者としては興醒めも甚だしい。

あと全くの余談だが「プロゴルファー猿」は〝名誉〟が欲しくなったといってアマチュアの世界で戦いだしてから次第につまらなくなっていった。ずっと影のプロゴルファーと戦い続け、最後の最後にミスターXと決着を付けて終わればよかったのである。私はアニメ版は一度も観たことがない。



藤子といえば「魔太郎がくる!!」に対する規制もひどいもんだけど、あれがダメなら探偵小説にだってマズイ表現はたくさんあるだろうに。

 

 


2023年4月20日木曜日

ミステリ同人出版のルフィとその子分は誰だ?

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◆ 伊東鍈太郎『闇に浮かぶ顔』東都我刊我書房 

◆ 杉山淳『怪奇探偵小説家 西村賢太』東都我刊我書房 

◆ 鷲尾三郎『影を持つ女』東都我刊我書房 

◆ 鷲尾三郎『葬られた女』東都我刊我書房 

◇ 楠田匡介『マヒタイ仮面』湘南探偵倶楽部 

 


年寄りの同人出版とはいえ、テキストを入力したあと正誤チェックをやりもせず、ステマとしか思えない売り方をしたり、作者/著作権継承者/購入者を完全にナメた本を制作・販売している一味。

 

東都我刊我書房の関係者(善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力)に襟を正す気持などありはしない。その一方でテキスト壊滅状態なこれらの本を入手して読んでも何ひとつ疑問を持たぬばかりか、嬉々として積極的にネットで情報拡散したり誉めそやしたりする人間も存在する。

 

見て見ぬふりをして知らぬ存ぜぬを決め込んでいる輩も同罪だが、こんな本を臆面もなく有難がっているのはいったいどんな人種か知りたくありませんか?Twitterのアカウントをお持ちの方は彼らに直接「おたくら、あんな酷い本を読んで何も思わないのですか?そもそも買って一度でも目を通したんですか?」と訊ねてみるとよろしい。本当にその作家や作品が好きならば「もっとちゃんとしたテキスト入力をして下さい」とでも制作者に伝えるのが普通だと私は思うのだが、本日の記事を読んで下さっているアナタはどう考えます?下記に紹介する一部の人々のような「自分の好きなものなら、たとえどんなにいい加減なテキスト入力をしていても全く問題ない」といった意見に賛同しますか?



nobocyan(aicc3401)/@nobocyan1 





呉エイジ/@kureage 



   




藤原編集室/@fujiwara_ed 








風々子/
@fuufuushi 








仰天の騎士/@gyoutennokisi 








高井信/@takai_shin 


















羽虫
@Ha8mu6shi4 








黒白/
@MadHatter1933 






北原尚彦/@naohikoKITAHARA 







sugata/
@sugatama 








2023年4月14日金曜日

乱歩研究のプロに事実確認ひとつ取ろうともしない立教大学のキョージュ

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おととい4月12日の『名張人外境ブログ2.0』。


「池袋雑筆についてお答えします」 


江戸川乱歩が随筆雑誌『三十日』の第二巻第一号に「池袋雑筆」というちょっとしたエッセイを寄稿していた。その存在は「江戸川乱歩執筆年譜」昭和24年度上にて抜かりなくチェックされているのだが、中相作によればこれは乱歩本人の書いたものではないそうで、「江戸川乱歩執筆年譜」には〝偽作〟の注記が見て取れる。

 

 

立教大学の江戸川乱歩記念大衆文化研究センターが時々発行している『センター通信』なる館報っぽい刊行物(以前このBlogでも15を紹介しましたね)、それの最近出来上がった第17号に研究センターの石川巧が【「ほんものが生きてゆけない世間」への憂い】と題した論文を書いているそうな。その論文の中で「池袋雑筆」に言及しているらしく、『センター通信』第17号を見たと思しきどこぞの誰かが〝「池袋雑筆」を偽作と見做した根拠は何でしょうか?〟と中氏に訊ねてきた。で、中氏は即座にその根拠となる画像を提示。乱歩が生前自ら記した目録のコピーを中氏は所有しており「江戸川乱歩随筆評論の本にならないもの発表順目録」と書かれた箇所にハッキリ「池袋雑筆」は〝偽作〟と書かれていたので、そう判断したとの事である。ここまでが『名張人外境ブログ2.0』からの情報であります。

 

 

その後、私も『センター通信』第17号を入手。「池袋雑筆」の全文並びに石川巧による件の論文を確認した。石川の【「ほんものが生きてゆけない世間」への憂い】を読むと、「池袋雑筆」を取り上げるにあたりwebサイト『名張人外境』の「江戸川乱歩執筆年譜」を見て、中相作がこのエッセイを〝偽作〟としているのは一応確認したようだが、論文の中で石川はこんな事を書いている。

 

〝中相作がどのような根拠に基づいてそのように表記したのかは不詳だが、『三十日』という雑誌の信頼性および「池袋雑筆」の内容から類推する限り、この随筆を「偽作」とする理由は見出せない。〟

 

 

                    



さて、本日の記事を御覧になり「『センター通信』入手できないよ」という方はBlog画面左上の画像をクリック拡大し、『センター通信』第176ページに転載されている「池袋雑筆」の全文を読んでみて下さい。「池袋雑筆」を読んで私が感じたのは内容どうこうというよりも、そこで使われている言葉遣いへの違和感である。中相作には到底適わないものの、人並み以上には乱歩を読んできたつもりだしワタシの頭の中には〝乱歩らしい言葉遣い〟のイメージがある。しかし「池袋雑筆」に見られる文章はどこかしらそのイメージから逸脱しているような気がする。

 

 

例えばコチラ。旧仮名遣いになっている文字があるけど雑誌『三十日』の「池袋雑筆」にはこのとおり印刷されているのを石川巧が転載したのであろうから私のタイプ・ミスではないですよ。

 

〝みんな酔ひどれ天使を気取る兄ちゃんや姐ちゃんである。〟

〝おきのどくながら「馬鹿正直」という言葉が口え上るのだ。〟

 

酔ひどれ天使? 兄ちゃん姐ちゃん? おきのどくながら? 小説の中に登場する人物のセリフならまだしも、乱歩が心のうちを随筆に落とし込む際こんな言葉を選ぶかなあ?仮に、中相作による偽作注記を見る前に「池袋雑筆」を読んだとしても、(感覚的な物言いで恐縮だけど)上記二行だけでなく全体を眺めても〝乱歩らしさ〟というよりは〝乱歩らしくなさ〟のほうが私は勝ってしまうけどねぇ。

 

 

                     



それ以上に気になる事がある。中相作は自身のwebサイトに必ず連絡先のメアドを載せている。世の中には相手の肩書きによって大きく態度を変える輩もいるが、常識的な節度を持って江戸川乱歩に関する質問をすれば(その質問内容にもよるが)誰に対しても明快な回答を返してくれるのが中相作という人だ。そこまで中氏は手厚く質問を送信する窓口となるメアドまで載せているのに、なぜ石川巧は中氏へ確認するアクションさえ起こさず〝この随筆を「偽作」とする理由は見出せない。〟などと書いたのだろう?この世界に疎い一般人ならいざ知らず、江戸川乱歩記念大衆文化研究センターを名乗っている集団の一員が、乱歩研究の大家に問い合わせてみる程度の事をやりもせず中氏の見立てを否定するのは怠惰かつアンポンタンと云われても仕方がない。

 

 

石川巧については言いたい事がいろいろあるが、今日はそれをやっている暇が無い。興味のある方はこのBlog画面の右上のほうにある「このブログを検索」のところに石川巧と打って検索して頂ければ、彼について書いた過去の記事が読めます。

 

 

 

(銀) 本日の記事を書くため久しぶりに江戸川乱歩記念大衆文化研究センター公式HPを開いてみた。そこにはセンターの組織人員が掲載されていて、現体制は以下のようになっている。


 

センター長  

金子明雄    (文学部教授)

 

 

運営委員  

井川充雄    (社会学部教授)

石川巧     (文学部教授)

石橋正孝    (観光学部准教授)

尾崎名津子 (文学部准教授)

川崎賢子    (清華大学日本研究センター客員研究員)

菅谷寧   (総長室事務部長)

土居浩   (ものつくり大学教授)

野中健一  (文学部教授)

細井尚子  (異文化コミュニケーション学部教授)

水谷隆之    (文学部教授)

宮川健郎    (武蔵野大学名誉教授)

 

 

所員

後藤隆基     (助教)

 

 

あれ、石川巧って知らぬ間にセンター長から降ろされたのか。それにしても石川だけでなく石橋正孝って・・・。江戸川乱歩記念大衆文化研究センターのこの先が思いやられる。