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2025年2月15日土曜日

『闇からの声』イーデン・フィルポッツ/井内雄四郎(訳)

NEW !

旺文社文庫
1977年3月発売



★★★★  ホテルの部屋に死せる少年の怯えた声が・・・




私にとって「闇からの声」の翻訳者と言えば井上良夫だが、ここでは彼の訳は採らず、昭和後期の井内雄四郎を選んでみた。井内は同じ旺文社文庫で『赤毛のレドメイン家』も手掛けている。本書カバーイラストは石垣栄蔵の仕事。

 

 

「闇からの声」 歴代訳書一覧 

(ジュヴナイル本は省略した)

 

井上良夫       大元社                                  昭和17年刊

  〃        新樹社「ぶらっく選書16               昭和25年刊

  〃        早川書房「HPB 243」                   昭和31年刊

荒正人        東京創元社版「世界推理小説全集13          昭和31年刊

  〃                 東京創元社版「世界名作推理小説大系8」          昭和36年刊

  〃                 東都書房版「世界推理小説大系15」               昭和37年刊

橋本福夫                創元推理文庫                                       昭和38年刊

荒正人                 講談社版「世界推理小説大系6」           昭和47年刊

井内雄四郎      旺文社文庫 (本書)             昭和51年刊

荒正人        講談社文庫                           昭和53年刊

 

 

〝ほら、あのあわれな子供の声のことですよ。わたしはあの謎の底を突きとめなくてはいけません。さもなければ、底がないのだと率直に白状し、子羊のようにすごすごと、降霊術師に降参するほかはない。やつらはすでにわたしが軍門に下ったと主張しているのです。なんでも、人の話では、あの裁判このかた、何十人ものひとびとが信者になったそうですよ。でも、わたしは信者に加わりたくはない ― わたしの中のあらゆる本能がそれに反対しているんです〟

 

 

神経質で病気がちなルドヴィク・ビューズ少年(=ルドー)は静養に訪れたオールド・マナー・ハウス・ホテルの自室で深夜、恐るべき悪魔の仮面を目にして ただならぬ恐怖を覚え、遂には死に至る。不幸なルドーは脳膜炎になってしまったのだけど、現代の医学データによれば脳膜炎の発症は外的なウィルスや細菌が原因だそうで、ルドーみたいな症例は可能性として実際に有り得るのか、それとも作者が話を盛っているのか、専門の医者に訊いてみたいところだ。

 

 

警察を隠退してオールド・マナー・ハウス・ホテルにやってきた主人公ジョン・リングローズは子供に対する残虐な仕打ちに深く烈しい憎しみを感じる男ではあるものの、トータルで見てバランスの取れた性格付けがなされており、我々読者は快活で優秀なこの元刑事をスムーズに受け入れることができる。ルドーの死が殺人だと確信したリングローズは偽名を使って関係者達の懐へ入ってゆくのだが、積み重ねたキャリアに裏打ちされた狡猾さと慎み深さ、更に誰からも好感を持たれる明るさをフルに活かして次々相手を攻略。

 

 

「闇からの声」といえば心理描写の面を褒め称える声が多い。ビューズ家の召使アーサー・ビットン/ルドーの姉ミルドレッドとの婚約を破棄された青年医師コンシダイン/象牙細工フェチの男爵バーゴイン・ビューズ(=ブルック卿)、この三人とリングローズとの対峙がスリリングに描かれ、その部分がしっかりしているからこそ、オカルトめいた事件が論理的に説明されてゆく流れも楽しめる。

 

 

オカルト要素、すなわちリングローズがホテルの室内で二度も耳にした(既に死んでいる筈の)ルドーが助けを求める声の謎については人によって意見が分かれるかな。エンディングを台無しにするほどではないにせよ、思わず膝を打ちたくなるアイディアとも言えず、微妙な真相でね。ただ、悪魔の仮面を用いて少年を恐怖の淵に追いやる企みしかり、機械仕掛けに頼った犯罪ではない。終盤におけるリングローズ対真犯人の対決シーンにしても、キャンティはともかくサンドウィッチの欺瞞はバレなかったのか?とか一言突っ込みたくなる要素もあるにはあるけど、目を見張るレベルのトリックさえ求めなければ十分満足できる作品と言えよう。

 

 

 

(銀) この前upしたヴァン・ダイン「カナリア殺人事件」とは対照的な本作。音楽の世界でも詞はすごく良いのに曲がもうひとつだとか、その反対に作曲/アレンジは素晴らしくても作詞がお粗末とか、両方とも超一級なミュージシャンはそう滅多にいるもんじゃない。ミステリの世界も同じで、トリック/物語ともに突出している作家となると数は相当限られてくる。



 


2023年12月8日金曜日

『孔雀屋敷』イーデン・フィルポッツ/武藤崇恵(訳)

NEW !

創元推理文庫
2023年11月発売



★★★    王道ミステリをあまり期待する勿れ




フィルポッツの作品はそのすべてがミステリの王道を歩んでいる訳でもないし、普通小説ながらミステリ的な要素を含んでいる、みたいなものがミステリとして扱われていたりもする。本書も「フィルポッツ傑作短篇集」と謳ってはいるが〝推理〟を求めすぎると大きく失望させられることになる。

 

 

まず「孔雀屋敷」。ヒロインのジェーン・キャンベルは亡父から〝千里眼〟的な能力を受け継いでおり、過去に起きた悲劇の現場を(夢の中ではなく)実際その目で偶然見てしまう。主人公がタイムスリップして昔発生した事件の謎を解く趣向のミステリも世の中には存在するが、ワタシはそのような(時空間を行き来する)作品はミステリとしては好みじゃない。本作はヒロインが一時的に過去の惨劇の幻影を見るだけなんだけど、それでもこんな非現実性はちょっと・・・・ね。

 

 

つづく「ステパン・トロフィミッチ」、これは力作だと思う。フィルポッツは人物描写や風景描写に長けていると評価される作家だが、ここでも貧しいロシア人の悲惨さがガッツリ書けておりページをめくるたび引き込まれてゆく。ただ内容的には戦前の日本でいうところのプロレタリア小説に近くもあり、ミステリとしての興味は終盤に出てくる兇器のみ。

 

 

「初めての殺人事件」は何も印象に残らなかったのでスルー。それにしてもここに収められた六短篇のうち、半分はタイトルに魅力が無いなあ。もう少しメリハリのある作品名、思いつかなかった?




 

 

本書の中では最もミステリ色がハッキリ出ていて、「三人の死体」は◎。海を越えてロンドンへ犯罪捜査依頼が届き、語り手がバルバドス島へ向かうものの、結果を出せず撃沈。彼の提出した報告を基に、上司である私立探偵事務所長マイケル・デュヴィーンが最終的に推理を組み立てるプロットは、フィルポッツ代表作「赤毛のレドメイン家」そのままではないが、探偵役二段構えの妙を楽しめる。

 

 

「鉄のパイナップル」の主人公は些細な事に対する強迫観念が度を越しており、その病的なキャラは現代人とも通ずるところが多く、人物造形はよろしい。しかしミステリとして読むのなら、この終わり方は消化不良。

 

 

腹違いの兄弟ジョシュアが悪の道に墜ち、運命の巡り合わせでジョシュアに憎まれてしまうジョン・ロット。ジョシュアの影におびえるジョンのサスペンスを描いた「フライング・スコッツマン号での冒険」も途中までストーリーの流れは悪くないのに、結末がイマイチなのが残念。それにこの作品、タイトルが内容にフィットしてないのもよくない。

 

 

いたずらに読み易さばかり強調するからか、それとも作品の時代性や適切な日本語を理解していないからなのか、味の無い文章に翻訳してしまう輩が多い昨今、武藤崇恵の文章は「他の訳も読んでみたいな」と思わせてくれるものだった。

 

 

 

(銀) 武藤崇恵の訳文とは対照的に、創元推理文庫のフィルポッツ本のカバーを担当している松本圭以子のイラストは、ミステリに添える絵にしては雰囲気が柔らかすぎる。彼女のイラストはもっとメルヘンチックな小説のほうが向いてるのでは?






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