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2025年4月6日日曜日

『トレント最後の事件』ベントリー/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1958年11月発売



★★  トレントの恋は単なるフェイント




延原謙が翻訳した「トレント最後の事件」単行本一覧はこちら。

 

『トレント最後の事件』    黒白書房              昭和10年刊

『    〃    』    雄鶏社/おんどり・みすてりい      昭和25年刊

『    〃    』    新潮社/探偵小説文庫                       昭和31年刊

『    〃    』    新潮文庫                                      昭和33年刊


 

本書・新潮文庫版の解説にて延原はこう述べている。

 

〝私がこの作をはじめに訳したのは昭和十年で、当時は出版社の意向もあり、かつそれが当時の一般的傾向でもあったので、枚数制限を行ったが、こんどは機会を与えられたので、全体を検討して約九十枚を補綴して完全を期した。文字の使用法もできるだけ当用漢字法に従いたかったが、多少は当用漢字以外の字も使わざるをえなかった。その場合はなるべくふりがなをつけるように心がけた。

一九五八年秋   訳 者

 

 

一見「トレント最後の事件」を初めて完訳したのは新潮文庫版のように受け取れるけれど、この二年前、同じ新潮社が出していた探偵小説文庫版で既に完訳し、それをそのまま新潮文庫のテキストに流用している可能性もある。抄訳だった戦前の黒白書房版と新潮文庫版しか持っていないのでハッキリ断定はできないが、もし最終形の延原謙「トレント最後の事件」完訳を読みたいのなら、本書を入手しておけばまず間違いはない。

 

 

この長篇でいつも話題になるのは死んだ金満家ジグスビ・マンダスンの妻メーベルに対するフィリップ・トレントの恋愛感情。でもあれは言うなれば読者へのフェイントにすぎない訳で、意外な結末がラストに控えており本格黄金時代の中でも本作は一目置かれているとはいえ、探偵役の恋がイメージとして少々拡大解釈されているきらいはある。二人のLoveはクライマックスの真相に直結しないのだから。








さてそれでは、黒白書房版抄訳テキストと本書・新潮文庫版完訳テキストではどんな違いがあるのか、部分的ではあるがチェック。まずは目次。

 

 

〈黒白書房〉              〈新潮文庫〉

 

序曲                 第一章    序曲

凶報                 第二章    凶報

朝の食事               第三章    朝の食事

眼の中の捕繩             第四章        眼の中の捕繩

寢室にて               第五章        寝室にて

 

バナーの推定             第六章        バナーの推定

電報                 第七章        黒衣の婦人

査問會                第八章        査問会

恐ろしき事實             第九章        恐ろしき事実

生ける屍               第十章        生ける屍

 

トレントの報告            第十一章         トレントの報告

トレントの苦惱            第十二章         トレントの苦悩

夫人の告白              第十三章         夫人の告白

挑戰狀                第十四章         挑戦状

マーロウの告白            第十五章         マーロウの告白

 

意外な結末              第十六章         意外な結末

 

 

目次比較からも明らかなように、いくら黒白書房版が抄訳だからといって肝心な箇所まで削ってはいない。新潮文庫版では各章にナンバリングし、第七章の章題を「電報」から「黒衣の婦人」へ変更。全体の語り口を特にいじることはせず、旧訳の〝将棋〟表記を〝チェス〟に直したり、「そこまで詳しく形容しなくてもいいんじゃね?」と延原が判断したくだりを黒白書房版のテキストではあちこちスキップしていたため、それらの復元に努めている。

 

 

例えば「凶報」の章。
冒頭から数行経過したところで新聞社の社長サ・ジェームズ・モロイの人となりが紹介される。その部分は〝この偉大なるジャーナリストは、アイルランド生れの長身・・・・〟うんぬんかんぬん続いてゆくのだが、黒白書房版では彼が絶倫の精力の持主だとか、外見/性格/仕事のモットー等といった情報は訳されていない。

 

 

もうひとつ、章題が変えられた「黒衣の婦人」の章を見てみよう。この章には、ひとり水平線の彼方を眺め物思いに耽っているマンダスン夫人メーベルを見かけたトレントの胸の内に火が灯る大事なシーンがある。それでも黒白書房版ではページ調整のためカットせざるをえなかったのか〝画家として眼の肥えたトレントにも、この女はきわめて美しいものに受けいれられた。〟から〝トレントは不意をうたれて、黒衣愚人の姿をみた瞬間歩みをとめたが、そのまま静かにうしろをまわって、行きすぎた。〟の間にある数行のうち、メーベルに関する描写が少なからずカットされていた




以前 ヴァン・ダイン『グリーン家殺人事件』(☜)の記事でも書いたように、戦後の新潮文庫は必要以上に漢字を開いている。その傾向は新潮文庫だけでなく春陽堂文庫/創元推理文庫などでも顕著。せっかく完訳していても、そんなひらがなだらけじゃ字面が美しくない。こうして比べてみると、旧漢字/旧仮名遣いテキストで作られた戦前の黒白書房版で読むほうが(たとえ抄訳であれ)やはり味わいがある。同じ延原謙訳『トレント最後の事件』といえども黒白書房版なら満点にするが、新潮文庫版なら★4つ。






(銀) 最新の『トレント最後の事件』訳書って・・・創元推理文庫が2017年に出したアレか。大久保康雄の訳だから、昭和時代に発表された旧訳のままのテキストかな。本作には〝インディアン〟〝土人〟といったワードが含まれているし、この次 新訳が出される時には間違いなくポリコレ自粛が横行しているだろう。

 

 

 

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2025年2月4日火曜日

『グリーン家殺人事件』ヴァン・ダイン/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1959年3月発売



★★★★  プロットが力負けせずにトリックを受け止めている




かつて「美味しんぼ」で読んだネタだが、例えば二種のハンバーガーがあったとしよう。
 極上のハンバーグ + 肉に対してクオリティーが全く釣り合っていないパン
 格下の材料を使ってはいるが、食感のバランスは取れているハンバーグとパン
この二つを食べ比べてみると、不思議にのほうが旨く感じるそうだ
前回記事にした「カナリヤ殺人事件」など、まさに物語(=パン)が貧弱だったおかげで、
トリック(=ハンバーグ)を活かしきれず全体の印象はすこぶる悪かった。



                  🏺



課題を克服すべくヴァン・ダインも一念発起したのか、それまでとは比べものにならないぐらい第三長篇「グリーン家殺人事件」は完成度がアップしている。ウェット&ドライの起伏を鮮やかに使い分けられるほど器用じゃないし、中には彼の作風に拒否反応を示すユーザーもいるから、そういった意味では客を選ぶ作家である。でもコレと次の「僧正殺人事件」、歴史に名高いこの二作を受け付けないのであれば、その人は残念ながらクラシック本格ミステリには縁が無かったと諦めて頂くしかあるまい




父祖の代からの黴くささがにじみだして、内もそとも色あせた大きな家はがらんとして、じめじめと煤けだち、穢ならしい河水にすそを洗われた手入れのわるい庭をひかえて、まるでお化(ばけ)でも出そうじゃないか。しかもそのなかにはそろいもそろって不健全でおだやかならぬ六人の家族が、毎日おもしろくもない顔をつきあわせて四分の一世紀も暮さなければならない - それが死んだトバヤス・グリーンの倒錯した好みなんだ。そして六人はくる日もくる日も太古の毒気のただようあの家のなかに ― 実力がないのか踏切るだけの勇気に欠けているのか、家を出て自活の道を選ぼうとはしないで、安易な生活のうちに、たがいに憎しみあい、不平をならしあい、嫉妬しあい、怨みあい、罵りあい、神経をすりへらしているのだ。

~本書 第七章「ヴァンスの説明」より(延原謙・訳)




毎度おなじみレギュラー陣ではなんといってもフィロ・ヴァンスの鼻持ちならない理屈っぽさが整理され、だいぶ風通しが良くなった。対するに捜査される側、すなわちグリーン家の顔ぶれを見渡すと、シベラ(次女)やレックス(次男)は悪態をつくことで一家の仲の悪さを曝け出し、中風を患い不具者同然のトバヤス・グリーン老夫人(チェスタ/ジュリア/レックス/シベラ/アダの母)ときたら、ザ・被害妄想な上にヒステリック。こうなるとマーカム検事/ヒース部長刑事、そしてヴァンスの三人は彼等をなだめ賺しながら事情聴取するしか手立てが無く、押され気味なその構図が陰惨なムードの中でなんとなくおかしい。





とめどなき連続殺人ゆえ、常に事件は変動しており、話がダレそうなエアポケットも無い。ミステリ好きな人にとって必修科目みたいな長篇だから数回読み返している方も多かろうが、作者の意図する煙幕/伏線を再確認して楽しむのもまた良し。ミステリに関する情報の伝播量が昭和世代よりはるかに多い現代の若いビギナーは最終章に辿り着く前段階、第二十章「第四の惨劇」における毒物混入のくだりを読んで「おや、コイツ怪しくね?」と感付くかもしれないが、そこはそれ百年前の本格長篇ですから。



                  🏺




延原謙の「グリーン家殺人事件」翻訳本が刊行されるのは戦後になってからのこと。それまでは平林初之輔訳「グリイン家惨殺事件」を収めた博文館版『世界探偵小説全集24 バン・ダイン集』しか流通していなかった。よって戦前の読者は「グリーン家」といえば平林の訳を思い浮かべるだろうし、昭和10年以降に生まれた人は延原謙、あるいは井上勇の訳でこの長篇を初めて読んだものと思われる。

 

 

延原謙 「グリーン家殺人事件」訳書一覧

新樹社     ぶらっく選書7   昭和25年刊

新潮社     探偵小説文庫    昭和31年刊

〃             新潮文庫(本書)    昭和34年刊

 

 


基本的に延原の訳文は読み易くて好きなのだけど、この新潮文庫版に関しては〝風邪〟を〝風〟〝昼食〟を〝中食〟などと表記していて校正の甘さが目に付く。邦訳に限らず戦後の探偵小説本は国内作家の作品でもテキスト上の漢字をやたら開きまくっているため、逆に私はひらがなの多さがフィットしない。本書でも延原は〝まゆね〟という言葉をちょくちょく使用しているのだが何故漢字で〝眉根〟と表記しないのか理解に苦しむ。
 

 

 

(銀) 延原訳「グリーン家殺人事件」が新潮社から二冊刊行されているけれども、その際先行したぶらっく選書版の訳に手を入れているのか、あるいはそのまま流用しているのか、本書には言及が無かった。「グリーン家」の原作自体には★5つ献上したかったが、先程も述べたように、本書の訳文には気になるところが多々あったので★一つマイナス。 

 

 

 

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2024年12月18日水曜日

『殺意』フランシス・アイルズ/延原謙(訳)

NEW !

日本出版協同株式会社  異色探偵小説選集③
1953年9月発売



★★★   ちょっと不安げな延原訳




初読時、出だしの訳文がこなれていないような印象を受けた。読んでいるうちに馴染んではきたものの、訳者・延原謙は「あとがき」で次のように振り返っている。

 

大きい仕事のあとで、少し休みはしたがまだ疲れが十分なおつておらず、意識的にスピードをゆるめたし、途中で転宅したりしたので、通計八ヵ月くらいかかつてしまつた。校正を読みなおしてみると、訳文の調子が前後で多少ちがつているし、文字の使いかたにも不統一なところがあり、手は加えたけれど、まだ残つていると思う。なおついでながらこの作は物が物だけに浅学な私には難解なところもあり、殊にコンプレックス関係のところなぞ間違った訳をしているのではないかと不安に思つている。(全文ママ)

 

1931年発表。本作最初の日本語訳単行本として刊行されたのが、この日本出版協同株式会社版『殺意』である。延原謙の言う〝大きい仕事〟とは月曜書房版『シャーロック・ホームズ全集』(19511952年刊)のことだろう。このあと東京創元社版『世界推理小説全集20』(1956年刊)にも延原訳の「殺意」は収録されているが、そちらは持っていないので、本書の訳出に満足してなさそうな延原が改訳あるいは微調整を行ったかどうかは未確認。

 

 

主人公エドマンド・ビクリイ学士について身勝手とか女好きとか、ボロカスにクサしている世間のレビューはよく見る。愛の無い結婚をしてしまったとはいえ、妻のジュリアは完全に夫を見下しており、心の行き場を失くしたビクリイ学士が「ぶっ殺してやる!(そんな言い方してないけど)って思うのはそりゃ当然。むしろ、小男で育ちも悪く劣等感に苛まれているわりには情人を二人も拵えてるし、そのうちの一人とは最後まで関係を保っていて、一生異性と縁の無いどこぞの書痴中高年と比べたら(イケてない男にしては)上出来じゃないの。逢引きの最中、怒って女性を殴るのはサイテーだけど。

 

 

妻殺しだけで踏みとどまっていればよかったのに、ビクリイ学士の入れ込んでいた美人娘・マドリンがまさかの豹変。こうなると学士の暴走は止まらず、第二・第三・第四の犠牲者を生む事態にまでエスカレートする。ずっとジュリアの存在を気にしていたとはいえ、マドリンがビクリイ学士を見限って、大地主の一人息子デニスに鞍替えするくだりは、主人公の立場でなくともいきなり過ぎる。後付けでいいから、もう少し彼女の心の変化の説明が欲しいところだ。

 

 

裁判を重ね、なんだかんだありつつビクリイ学士は罪を免れたかに見えた終局、アルヘイズ警視の突き付ける宣告の意味をすぐさま理解できなかった読者もいるのではなかろうか。かったるく見えがちな冒頭のテニス・パーティーをはじめ、作者があちこちで種蒔きしているのは分かる。第四の犠牲者が他の二名より遅れて異常を訴え出した事も、それなりに記述されているものの、あの書き方でエンディングに持ち込まれては、読者に伝わりづらいんじゃない?少なくとも本書の延原訳で該当部分を読み返してみて、私はそのように感じた。

 

 

決してつまらないプロットじゃないのに、細かいポイントでの不徹底がちょっと・・・全体から受ける感じもなんとなく好きじゃない。倒叙らしからぬ面があったりもするし、この作者が描くキャラクター達が発する体臭のせいだろうか。若い時分、本作より先に「伯母殺人事件」「クロイドン発12時30分」を読んだもんで、その順番が違っていたらどんな感想を持っただろう?あ、本の内容とは関係無いけど、当Blogは今までアントニー・バークリーのラベル(=タグ)を作っていなかったから、フランシス・アイルズ名義の本にはバークリーのタグを付けておく。

 

 

 

(銀) また本書「あとがき」の話になるが、延原謙はベネット・サーフ編集のオムニブック『Three Famous Murders Novels』(1941年刊)を入手して「殺意」を翻訳しようと思ったらしい。ただ延原が訳出の際、原書として使用したポケットブックというのが『Three Famous Murders Novels』のことなのかはハッキリ分からない。



その『Three Famous Murders Novels』は「殺意」の他、A・E・W・メースン「矢の家」/EC・ベントリー「トレント最後の事件」を併録しているという。戦前、延原は黒白書房より『トレント最後の事件』を刊行、戦後の新潮文庫版では同作を新たに訳し直しており、こちらも近々記事にしてupする予定。






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2023年11月9日木曜日

『わが思い出と冒険』コナン・ドイル/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1965年8月発売



★★    素晴らしき大英帝国主義




ドイルの自伝と聞けば本書を未読の方は、シャーロック・ホームズ生みの親ばかりかSFなどでも名を馳せた作家だから、さぞ創作の裏話が満載だろうと期待に胸膨らませるだろう。しかし残念なことに、小説家たる内面を明かしたり自作に関して回想する気持ちがドイルには非常に薄く、最も自信を持っていた歴史小説でさえあまり言及していないぐらいなので、万人にお薦めできるような内容ではない。ドイルの著書を完全読破したい人、あるいはドイル研究者向け。

 

 

 

船医として捕鯨船に乗り北極洋を航海した青年時代の話、ホームズばりに無辜の罪で逮捕されたジョージ・エダルジの冤罪を晴らした話あたりは、ホームズ本を所有している人ならばきっと一度はお読みになられた経験がある筈。それはともかく、この新潮文庫版解説末尾で訳者の延原謙こんな感想を漏らしている。

 

悪口をいうつもりは毛頭ないが、ドイルには妙な癖があるようだ。高位高官の人とか、そうでなくても有名な人に会ったとか会食したとか、やたらに書く癖だ。大切な用件があっての事ならば話は分かるのだが、何の用件もないのにただ会ったということ、こういう人も知っているというだけのことなのだから、少しどうかと思う。

 

なるほどそんな気配も感じられなくはないけれど、この自伝を読んでいて私が飽きてしまう理由は文章が堅苦しいのと、大英帝国・愛をアピールする姿勢が少々強過ぎるから。(〝ナイト〟に叙せられる人なんだし当り前といえば当り前だが)

 

 

 

ドイルが生きた時代のイギリスはそれこそ帝国主義まっしぐら。英国人なら誰でも愛国心に染まっていただろうし、現代に見られる一部の日本人みたいに、自分の国をディスってばかりいる品性下劣な人間に比べれば、ずっとマシなのは確か。だからといって政界にまで打って出るようなドイルはあまり好きじゃないな。これぞ騎士道精神の延長なりと肯定する見方もある反面、シャーロック・ホームズは英国に忠誠を誓いつつ個人主義を貫いていた訳で、願わくばドイルもそうあってほしかったと私は考えたりする。そうそう、悪名高き心霊関係についてはしっかり発言しています。

 

 

 

ここに挙げた新潮文庫版ドイル自伝が完訳でない事は日本の研究者によって指摘されているわりに、商業出版として完訳版を出そうとする動きは全く見られない(私が気付いていないだけかもしれないが)。新潮文庫版における翻訳省略部分は新潮社編集部の意向ではなく、延原謙の判断によってバッサリ刈り取られてしまったという話。

何年もかけてじっくり訳してきたホームズ物語とは事情が異なり、『わが思い出と冒険』刊行の三年後に高血圧が原因で倒れた延原はその後、亡くなるまでの九年間寝たきり状態だったそうだから、本書に携わっていた頃から知らず知らずのうちにコンディションを崩しつつあった可能性もある。

 

 

 

延原謙の訳した古典海外ミステリに接して、読みにくいなあと感じたことは無い。とはいえ本書における文章の堅さはドイルと延原、ご両人とも高齢になったことから来ているのか。あるいは新しく翻訳し直したらもっと読み易くなるのか。もし新しく訳し直すとしても詳細な註釈は絶対不可欠。

 

 

 

(銀) 今世紀になりながらこのドイル自伝が新規完訳されず(笹野史隆の仕事についてはごく一部の人しか入手できない私家版ゆえ、ここでは触れない)、ダニエル・スタシャワーの評伝等のほうが台頭しているのは、ドイル自伝を新訳したところでやっぱり第三者が書いた評伝のほうが読んで面白いと誰もが思っているから?





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2021年1月27日水曜日

『死の濃霧/延原謙翻訳セレクション』

2020年4月16日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創海外ミステリ 第250巻 中西裕(編)
2020年4月発売



★★★   この人は翻訳仕事だけで評価してあげればいい



『延原謙探偵小説選Ⅱ』は論創ミステリ叢書のワースト5に入りそうな相当出来の悪いものばかりだった。延原謙の場合は素直に翻訳作品を楽しむのが正解なのだ。戦前海外探偵小説の単行本を買う時に、訳者のクレジットがこの人だったらどこか安心感があるし。『新青年』をはじめ雑誌編集長経験も持つ、融通の利かないところがあるこの男が翻訳した短篇ばかりで構成されたアンソロジーを読む。延原の翻訳業だけ評価するのなら☆5つ。

 

 

絵画を求める者/仲介者/絵画所有者のトライアングルを巡る、
長篇とは違った味わいのクロフツ「グリヨズの少女」


キャッチーなスリルさは控えめだけれども、
ダイヤ盗難アリバイ崩しを描くヘンリ・ウェイド「三つの鍵」


憎みあう二人の男、そして殺人に纏わるガジェットとの紐付けが面白いリチャード・コネル「地蜂が蟄す」


非本格ながら、蜘蛛と獲物を比喩にした闘争劇のビーストン「めくら蜘蛛」 

 

上記の四篇が優れている。




この他「深山に咲く花」オウギュスト・フィロン「妙計」イ・マックスウェル
「十一対一」ヴィンセント・スターレット「古代金貨」アンナ・キャサリン・グリーン
「仮面」メースン「五十六番恋物語」スティーヴン・リーコック
「ロジェ街の殺人」マルセル・ベルジェなど、珍品もあり人情ものあり。
メースンは『矢の家』の作者だけに、この作は少し期待を下回ったかな。

 

 


上級者向けの論創海外ミステリだけに、いくら延原の代名詞が〝ホームズ完訳者〟で、次に挙げるふたつのホームズものが新潮文庫の最終完成形以前のヴァリアント訳とはいえ、コナン・ドイル「死の濃霧」(大正期に粗っぽく訳された「ブルース・パーティントン設計書」)「赤髪組合」(こちらは戦後の訳だがワトソンが語り手になってない、同じく粗い抄訳)、そしてマッカレーの地下鉄サムから「サムの改心」といったベタすぎる三篇は願わくば他でやってもらえたらな。


 

 

編者・中西裕曰く、当初はクリスティーも収録を考えていたそうだが、ハヤカワの翻訳権独占に阻まれ断念したとの事。解説には生前延原が作成していた、自分の訳による海外ミステリ・アンソロジー草案というのが載っていて、本書のセレクトとは殆ど重なっていないが、その中にはコール夫妻やアントニー・バークリーがあったりして、そっちを入れればよかったのに。他にも素性の知れないような作家でも良いものがあれば、上記のベタな三篇より優先して採ってほしかった。

 

 

一方、論創社の校正は相変わらずまるで駄目。人名さえ正しく表記する意識が欠けているので、大きく☆2つマイナスとする。


例: CDHM・コール  ×   GDHM・コール  〇


編集部の人間は改善するつもりがこれっぽっちもないのか?



(銀) どんなに良い内容の本を作ろうとしても毎回こう間違いだらけでは・・・と、同じことを何度も書くのにも疲れた。前にも書いたかもしれないが論創社の本が誤字まみれになり出したのはコロナ・ウィルスの発生以前の話で、決してコロナ騒ぎでこんなになったのではない。あとになって「いや~、あの時はコロナのせいでウチも本作りが大変になって・・・」などと、彼らに嘘八百並べさせないよう、改めてここでも述べておく。



ていうか、論創社の出版に関わっている人間がスマホ脳でどんだけ毎日アタマが疲労してるのか知ったこっちゃないけど、注意力のまるで欠如した連中に本作りの仕事をやらせること自体が土台無理な話だ。




2020年7月8日水曜日

『延原謙探偵小説選』延原謙

2009年5月23日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第32巻
2007年12月発売



★★★★★   シャーロキアン + 戦前探偵小説ファン必読





延原謙の創作が一冊の本に纏まるのは初めてではないだろうか。近年、シャーロック・ホームズ全集は河出書房新社・光文社・偕成社・東京創元社・ちくま等々あらゆるバリエーションで出版され、我々読み手は好みの訳を容易に選ぶことが可能だが、最も馴染深いのは日本で初めてのホームズ譚完訳を成し遂げた著者による旧新潮文庫版に相違ない。現行の新潮文庫は読み易くするため若干言葉の改変がなされており、私はそういうリニューアルは好まない。延原が生きた時代の雰囲気が消されてしまうからだ。

 

 

先駆者としての、ホームズを中心とした翻訳裏話に関する随筆が面白い。ホームズ譚完訳作業が徐々にライフワークとなってゆく過程に感動さえ覚える。勿論『新青年』編集長としての顔もあり。創作短編20本、それと一時期幻のホームズ譚と云われ(実は贋作)、月曜書房版ホームズ全集に延原訳によって収録されたあの「求むる男」も収録。また20092月にはシャーロキアンである中西裕の延原謙評伝『ホームズ翻訳への道』も発売された。本書と対をなす好文献なので、両方合わせて読む事をお薦めする。

 

 

上記二冊の延原本を読んでひとつ気になった点がある。横溝正史の戦前の別名義「岡田照木」は延原謙との兼用ペンネームだったと云うが、『横溝正史翻訳コレクション』の浜田知明による翻訳リスト付記では延原単独によるものと断定していて、その根拠が薄弱で納得がいかない。その事がこの二冊でも触れてあればよかったのだが。

 

 

 

(銀) 岡田照木や霧島クララといった、『新青年』時代に複数の人間によって使用されていると思しき博文館関係者ペンネームの正体は今でも完璧には解明されていない。ひとり=ひとつの別名義ペンネームと違い、調査を進めても裏取りする材料が残っておらず、どうにも悩ましい問題ではある。

 

 

延原の創作を読むと頭ひとつ抜けて優れている程のものは無いのだが、それでも本巻では出来の良い作品を最優先して収録しているし、翻訳仕事に関するパートが創作パート以上に面白い内容だったので満点にしている。だが『延原謙探偵小説選 Ⅱ』はそんな興味深いエッセイ・パートも無く、創作パートの質が低すぎて読み通すのが苦痛であった。