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2024年4月27日土曜日

『大人は怖い~ある少女の告白』松井玲子

NEW !

永和書館
194710月発売



★★   大倉燁子の娘




俗っぽい言い方をするなら、二世タレントならぬ二世作家。この本の初刊は戦前の1940年に出た大元社版になるそうで、母親である大倉燁子がまだ現役なうちから、娘の松井玲子も小説を書き始めていた。山下武『「新青年」をめぐる作家たち』によれば、1947年『アサヒグラフ』の取材にて玲子は〝目下は乱歩氏の下に探偵小説修業に通っている〟とレポートされているそうだけどホントかな?

 

 

 

大倉燁子・初の著書『踊る影絵』(柳香書院)は1935年、森下雨村/中村吉蔵/岡本綺堂/長谷川伸/大下宇陀児/甲賀三郎/江戸川乱歩といった豪華な面々の寄稿によって下駄を履かされ、華々しいデビューを飾った。

 

 

 

片や、玲子の永和書館版『大人は怖い』も母同様に著名人のバックアップを受けており、冒頭には「序にかえて」と題し、北村小松/川原久仁於/村岡花子/山本梅子(白百合高、今の白百合学園の当時の校長らしい)/坪田讓治/窪川稻子/石井漠ら七名の、餞の言葉が載っている。

中でも北村小松の「これはむしろ小説の形をかりた告白集」「外交官を父にもつ上流家庭に生まれながら、父母の不和がもとで、およそ精神的に恵まれて来なかったらしい」といったコメントは、本書を読み解く手助けになる。

 

 

 

「ピアノの先生」「根ツ子大盡」「遺言狀」「卒業」

「盆栽の花」「大人の世界」「犠牲」

 

 

 

若さゆえか、1940年頃の日本を象徴する風俗や世相の描写は見当たらない。犯罪のような題材もなく、日常における少女のちょっとした心の綾を描いているため、母が大倉燁子だとか、その手の予備知識を一切知らずに読んだら、シンプルな少女小説にしか映らないだろう。でも、作品の根底に流れる不穏な女性心理に母・大倉燁子との共通性を僅かでも嗅ぎ取れるのであれば、それなりに探偵小説として読めなくはない。

 

 

 

ここで松井玲子の生年に触れておきたい。本日の記事を書くにあたり、最も参考にさせてもらった『「新青年」趣味』に掲載されている阿部崇の【伝説・大倉燁子-奥田恵瑞氏・物集快氏が語る「物集芳子」の肖像-】では、玲子の生まれた年を1917年(大正6年)としている。一方、webサイト『夢現半球』の大倉燁子の項には、玲子の生年は1926年(大正15年=昭和元年)とあり、「ハテ、どちらが正しいのかナ?」と迷ってしまった。

 

 

 

上段にて紹介した永和書館版『大人は怖い』/「序にかえて」の北村小松の寄稿をよく見ると、玲子について、「今年廿歳(註/二十歳)になる年若いこの作者」と書かれている。

昔からなにげに私、「永和書館版『大人は怖い』は大元社版の初刊本に使われていた紙型を流用しているのかも・・・」と、テキトーに思い込んできた。というのは、玲子1926年生まれだとすれば、『大人は怖い』初刊本の大元社版が発売された1940年の時点で、彼女は十四歳。いくら早熟だったとしても、これでは無理がある。

 

 

 

同じく上段にて言及した1947年の『アサヒグラフ』記事には、玲子は二十九歳だと記載されているらしい。これなら1917年生まれ説とは矛盾しないので、どうやらwebサイト『夢現半球』のほうが間違いだったみたい。ちなみに阿部崇の調査によれば、松井玲子1976年に五十九歳で亡くなっているとのこと。彼女の生年が1917年だと納得できたところで、話を再び『大人は怖い』へ戻そう。

 

 

 

永和書館版『大人は怖い』が刊行された1947年、玲子は三十歳(=丗歳)になるかならないかの年。そうすると北村小松の「今年廿歳になる年若いこの作者」という文章とは一致しなくなる。しかし、永和書館版が1940年刊の大元社版の紙型を流用しているのであれば、腑に落ちる。それでも1917年生まれの玲子1940年だと二十三歳の筈だから、この三年の差が気になるといえば気になるけれど、このようにして永和書館版の「序にかえて」の部分は大元社の紙型を使用している可能性があるといえよう。


 

 

 

(銀) 今となっては大倉燁子以上に、話題に挙がることも無い松井玲子だけれども、1951年の『関西探偵作家クラブ会報』第40号にて、同年6月の雑誌『探偵クラブ』に発表した短篇「灰色の青年」に対し「平凡なところは親譲りでしてねえ」と茶茶を入れられているのを見ると、当時の業界内では、母親とセットで気に掛けられていたようだ。

 

阿部崇の大倉燁子研究は非常に価値があり、『「新青年」趣味』だけに埋もれさせるにはあまりにもったいないから、いっそ大倉燁子・評伝でも書き上げてくれると嬉しいのだが、良い仕事をしてくれそうな人に限って腰が重かったりする。

 

Blogでは、わざわざ松井玲子単独のラベル(=タグ)を設定するまでもないので、大倉燁子のカテゴリーの中に一緒に入れておく。

 

 

 


   大倉燁子 関連記事 ■

 

 


 

 


 

 






 

2022年9月20日火曜日

『影なき女』大倉燁子

NEW !

春日書房
1954年12月発売



★★★    四つのタイトルを持つ長篇





大倉燁子のキャリア初期に(おそらく書下ろしで)発表されたこの長篇は、なんだかもう復刊はされなさそうな雰囲気だから、本当に探偵小説が好きな人の為に、ここに書き留めておきたい。タイトルが変更された日本探偵小説の長篇というのは他にも例はあるが、この長篇の改題は実に三度にも及んでいる。時系列に並べてみよう。





A 『殺人流線型』(柳香書院 昭和107月発行)

 

B 『復讐鬼綺譚』(柳香書院 昭和1211月発行)

 

C 『女の秘密』(永和書館 昭和2212月発行)

 

D 『影なき女』(春日書房 昭和2912月発行)→ 本書

 



初刊時に付けられた「殺人流線型」Aというタイトルだが、主人公が物語の中で次々に起こる連続殺人を「まるで、殺人流線型ですよ」と形容するシーンがあるだけで、どうも意味がわかりにくい。この〝流線型〟というのは当時流行った言葉ではないのかと思ってネットで調べてみると、構造化知識研究センター・昭和世相研究所がupしている「昭和の流行語ランキング」というwebサイト上で、昭和5年の流行語の第四位に「流線型」が入っていた。

また別のどなたかのブログには「流線」「流線型」のワードを冠したレコードが昭和10年に多数発売されていた事が記されている。後述するが、大倉燁子のこの長篇は数年かけてじっくり練り込んだ内容とはとても思えなくて、おそらく昭和10年に流行った言葉から手軽に付けられたタイトルっぽい。

 

 

 

二つめのタイトル「復讐鬼綺譚」Bは同じ版元の柳香書院から、本の装幀もガラリと変えてAの二年後に再発。ここまでは函入りの立派な本だったが戦争で日本は負けてしまって、戦後最初の再発「女の秘密」Cは仙花紙本の粗末な作りに。

国内の情勢も落ち着いてきた頃に出た本書「影なき女」Dは、ハードカバー仕様には戻ったものの、これは貸本屋向けとしてのリリースだったようだ。作品の改題というのは殆どの場合、出版社サイドの意向であると思うのだが、この長篇はどうだったのだろう?それはともかくA)~(Dのどのタイトルにしたところで、プロットの芯が明確になっておらず、どれもみなしっくりこないのが問題でしてね。

 

 

 

映画会社東洋活動の社長・團野求馬の妻・寵子は、宛先も署名も無く復讐を宣言するのみの文言が書かれたハンカチを拾って不安を覚える。團野求馬は以前、印度の宗教団体・紫魂團に救われて加入、東洋活動を立て直す経済的な援助を受けていたにもかかわらず彼らを裏切ったため紫魂團は壊滅し、教祖・薊罌粟子は日本国内で獄中の人となっていた。

紫魂團一味の仕業を疑う求馬は伴捜査課長に相談するも、罌粟子は一週間前に獄中で全身が紫色になって苦悶の末、中毒死したという。黒幕は何者かわからぬまま團野寵子が誘拐され、東洋活動の関係者が罌粟子同様に突然紫色になって突然死する怪事が次々と発生。伴捜査課長の甥であり、映画業界で働いている主人公・細谷健一は謎の解明に乗り出す。

 

 

 

戦前にありがちな活劇スリラー。活動写真(映画)を意識した展開にしたかったんだろうけど、メインとなる謎の設定の詰めが甘いし、各場面における状況描写も雑だったり、数行先/数ページ先まで伏せておくべき事柄をポロッと漏らしていたりするので、御都合主義といえどもテンションが続かない。

紫色になってバタバタ犠牲者が出る殺人方法(?)も予想どおり、その原因となるものが現場で見つからないのがあまりにも不自然だったりで、昭和初期の日本の探偵作家が長篇を書くのが如何に下手だったかを露呈する結果に終わっているのが痛い。例えば紫魂團の巨悪ぶりなり、薊罌粟子の怨念の深さなりがじわじわ読者へ伝わるよう書けていたら、もう少し褒めるところも見つけられたんだが。

 

 

 

Aと本書Dには二短篇を併録。
『大倉燁子探偵小説選』に収録されていた「むかでの跫音」は、寺の住職が割腹自殺する、いわゆる霊媒もの。もうひとつの嗤ふ悪魔」はずっと年下の若妻の浮気に悩まされる博士と、博士から逃れたい若妻、その夫婦のエグい結末に至るまでを描く。大倉燁子の長篇は「殺人流線型」一作しかなさそうだが、やっぱりこの人は短篇で読んでいるほうが楽しめる。

 

 

 

(銀) ただでさえ少ない女流探偵作家、その上、戦前から活動していて長篇創作探偵小説を発表している女性は貴重なんで、その点は評価したいのだけど、「殺人流線型」の出来はどうにもいただけない。でも二短編はそれほど疵瑕を感じず読むことができるので相殺してようやく★3つといったところ。





2020年12月20日日曜日

『新吉捕物帳』大倉燁子

NEW !

捕物出版(楽天ブックス  POD)
2020年10月発売



★★★★   もっと彼女の新刊(探偵小説)が出ないものか



時代の変化につれてマニアックなジャンルの本は、
従来の出版社から刊行される商業出版のものばかりではなくなってきた。
このBlogでも同人出版の本を紹介しているが、
今回取り上げるのは、商業出版と同人出版の中間の立場で頑張っている〈捕物出版〉という個人出版のインディペンデントなレーベル。

 

 

捕物出版は2018年から稼働開始。
POD(プリント・オン・デマンド)、つまり在庫を持たず、
受注した数量だけを随時印刷・製本して販売するシステムをとっており、
現在のところ捕物出版の本はPODの自社製本機を持っているAmazon.co.jpと楽天ブックス、
そしてHonto経由で購入が可能。あと全国の三省堂書店でも取り寄せ可能との事。

 

 

『大倉燁子探偵小説選』以来ちっとも新刊が出ていなかった大倉燁子の、
昭和2630年の間に書かれはしたが単行本に纏まる機会がなかった時代小説が、
一冊の本になった。捕物出版エライ!
メインは本書のタイトルにもなっている「新吉捕物帳」シリーズ十二篇。


「組屋敷のお化枇杷」「捨て子」「嗤った人形」「不思議な客」

「鏡のない家」「鼈甲の櫛」「二つの親心」「お三輪のゆくえ」

「彼岸花」「藪の中の空屋敷」「恨みの駕籠」「龍紋の平打」

 

そして20201010日に当Blog記事で紹介した「黒門町伝七捕物帳」シリーズのうち、
大倉燁子が担当した「身代り供養」「美女と耳」を収録している。
この他にも彼女の時代ものはもう少し残っているようだが、
それらはどれも本書収録作品を改題しただけなのか、私は知らない。

 

 

元から時代小説に造詣は深くないし、最近は配本がまだ継続している横溝正史の『完本人形佐七捕物帳』しか読んでいないので ❛ お玉が池 ❜の口の悪さに比べると新吉と手先の千太のやりとりは何ともマイルドに見える。そして燁子刀自は探偵小説を書く時、リアルで物理的なトリックよりも心理面の素材を扱う人なので、江戸を舞台にしたヒュ~ドロドロの超自然チックな犯罪スリラーは書き易かったのかもしれない。ていうか、そもそも捕物小説ってその多くは気の利いたトリックが無い時のシャーロック・ホームズ物語みたいなものだしね。
(捕物帳マニアの方々、失礼)


 

 

(銀) 捕物出版の本で持っているのは一番最初に出た納言恭平『七之助捕物帖』と、
横溝正史の『朝顔金太捕物帳』『左門捕物帳・鷺十郎捕物帳』『不知火捕物双紙』。
ここまではAmazonから買っていたけど、もうあそこから買物するのは一切止めたので、
今回は楽天ブックスを利用した。大倉燁子の新刊なので☆をひとつおまけでプラス。



「二つの親心」という話は3頁しかないのだが、これって初出誌の『増刊読切小説集』(荒木書房新社 昭和28年11月刊)発表時からそうなのかな? 本書は解説が付いていないので判断がつかない。

 

 

『新吉捕物帳』は新刊だったからか、オーダーから発送まで五日かかったが全くNo Problem。逆に最近のAmazonは在庫があっても品物が届くまで一週間とか、めちゃくちゃ遅いんでしょ。捕物出版の中の人も「(本の販売システムに対して)Amazonの対応が悪すぎ」とボヤいておられたし、あの会社に関わっていい事なんかひとつも無いから、いっそ捕物出版もAmazonで売るのは止めたらどうですか?




2020年8月19日水曜日

『大倉燁子探偵小説選』大倉燁子

2011年5月3日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第49巻
2011年4月発売



★★★    カルトの女王、降臨す



古書市場におけるレア度が異常に高く、本書刊行に待ち草臥れたファンも多いことだろう。探偵小説処女作「妖影」が昭和9年。探偵文壇への登場は早くはないので意外に思われるだろうが、実はこの人江戸川乱歩・横溝正史、更には小酒井不木・森下雨村・夢野久作よりも年上の明治19年生まれ。国学者・物集高見の娘で二葉亭四迷や中村吉蔵に師事、平塚らいてうとも交流があるという毛並の良さもあり、贅沢なデビューの場を用意された。

 

 

 

点在するアンソロジーの収録作や初出雑誌を個別に読んでも大倉燁子の芸風はよくわからなかったが、一冊に纏められた本書を通読してみて、ようやく彼女の作品像がおぼろげに見えてきた気がする。ビーストン/ルヴェル風味がベースにあったり、S夫人シリーズ(「妖影」「消えた霊媒女」「情鬼」「蛇性の執念」「鉄の処女」「機密の魅惑」「耳香水」)には外交官夫人としてのセレブな経験が色濃く、よく云われる心霊・霊媒趣味な作は思ったよりも少なくて、全篇通して女の〈念〉が最も強い印象を残す。

 

 

 

ただ、初期の長篇「殺人流線型」が今回オミットされたのが非常に不満。この叢書に唯一注文をつけるとしたら長・中篇をなかなか収録してくれない事。「作品の質の問題」とか「一冊としての構成バランス」を考慮した上でのチョイスなのだろう、とは容易に想像できるのだが・・・。第47巻/水谷準の時も中途半端な「瓢庵先生 〜 人形佐七」コラボ集にするぐらいなら、「獣人の獄」やその他の探偵ものの長篇を採ってほしかったし。(瓢庵先生ものは春陽文庫あたりから全作を集成して刊行すべきだ。閑話休題。)

 

 

 

以前の論創ミステリ叢書なら当然続刊が出たのに、大倉燁子はこの一冊で終了なのか?
追討ちをかけるかのように、次回配本予定『戦前探偵小説四人集』をもって、
この叢書が一時休止だという。詳細は次巻レビューにて記す。

 

 
 

 

(銀) ここに書いているとおり第50巻までの論創ミステリ叢書は長篇を収録してくれなくて、それが当時とても腑に落ちなかったものだ。

 

 

大倉燁子と水谷準、このふたりはこのあと一冊も単独著書が出ていない。「瓢庵先生ものは春陽文庫から全作を集成して刊行すべき」などと書いているが、これからそういうものを企画するとしても、春陽堂書店ではなくインディーズで頑張っている捕物出版からのリリースのほうが期待できるのかもしれない。なにせ現在『完本人形佐七捕物帳』を刊行している春陽堂は信用できないところがあるからな。ただ捕物出版のハンデは、本を買える窓口がごく一部に限られてしまうのと、プリント・オン・デマンド(POD)ゆえ装幀が貧弱だということ。

 

 

その捕物出版が大倉燁子の「新吉捕物帳」をリリースする予定があるそうで、出たら買うつもりでいるけれど、本音を申せば読みたいのは時代ものじゃなくて探偵ものなんだが・・・どうして論創ミステリ叢書で大倉燁子がこの一冊だけなのか、その想いはいまも変わっていない。