2020年7月31日金曜日

『マルセル・シュオッブ全集』マルセル・シュオッブ

2015年7月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

国書刊行会
2015年6月発売



★★★★    眼で読む阿片





私なんぞ江戸川乱歩からマルセル・シュオッブの事を知ったクチで、著名な数篇しか読んでおらず全く無知なものだから、日本でもシュオッブ全集が制作されたのはトテモ有難い。





彼の語り口は落ちる雫のように静かで、どの小説も散文詩のように短い。中でも名高い作品、金色の仮面の下に恐ろしき業(カルマ)を持つ王の話「黄金仮面の王」やパンデミックの幻影を描く「〇八一号列車」、天地の崩壊か創造かを問う(私の大好きな)「大地炎上」、その他「二重の男」「吸血鬼」「少年十字軍」等をはじめレア作品・評論・エッセー、そして 重厚な解説・解題・年譜と盛り沢山。造本・装幀も素晴らしく封入物まで凝りに凝っている。なるべくなら現物で確かめてみてほしい。

 


今回初めて読んだものの中では最晩年の作とされる「マウア」に最もショックを受けた。官能描写が全然無かった訳ではないシュオッブだが、レズビアンがここまで睦みあう、脳髄がトロトロになりそうなエロスを筆にしていたとは。

 


本書の刊行を喜びつつもひとつ頭によぎったのは、国書刊行会の本に限らず他社でも散見される事ではあるが、どんなに優れた本でもハンパなく高額だったりその大きさが相当重かったりするケースが近年増えて、本好きの人でさえ購入を躊躇する場合がない訳でもない。

 


マニア以外の人が気軽に買ってみるには本の売り方の敷居が高く、世知辛い世の中になったなあと少し思ったりもする。私も海外の作家にはなるべく手を出さないよう控えているので正直この価格には迷ったが、結局は購入して良かった。それというのも幻想・怪奇・妖術そしてSF、時代でいうなら太古から中世そして近代と、あらゆる時空を駆けるシュオッブの魔力だろうか。私のような門外漢でさえこれほど満足なのだから、好きな人には宝のごとき書物となりましょうぞ。




(銀) 自分の文章ではないので勝手にこのBlogには転載できないが、Amazonに投稿された本書レビューの中でMaxさんというシュオッブに詳しそうな方がこんな事を書いている。


▼ 本書は全集と謳っているが、実は収録漏れの作品があること

▼ 翻訳に使う原書はどの版を使ったのかが書かれていないこと

▼ 他にも本書は誤訳が多い等、疑わしい点が多かったので、
最初は☆1つにしてレビュー投稿したら即座にAmazon側から削除されてしまったこと

 

私は原文を用いて訳の正確さをチェックできるような能力は持ち合わせていないが、国書刊行会の本だからといって鵜呑みにしてはいけないという警告である。ここで最も重要視したいのは三番目の▼だ。問題点を指摘して☆1つの書評を書いたら何が悪いというのだろう? Maxさんは自分のレビューをAmazonのレビュー管理担当者に不当削除されたので改めて☆4つにしてもう一度投稿したら、その☆4つレビューだと削除されずに今でも見ることができている。「参考になった」票も多く寄せられてなによりではあるが、何で同じ文章のレビューが☆1つだと削除され☆4つだとOKなのか?



ホラネ、だから言ったでしょ?たかがレビューひとつとってもAmazon.co.jpは信用ならない企業だってことが。同じ目にあっている多くのレビュー投稿者は殆ど声を上げないだけで、真面目な感想を書いてレビュー投稿したって、何が気にくわないんだが知らんがアチラさんの不都合な事実を書くとなんでもかんでもすぐ削除。逆に、本当のことは何も書いていないまるで詐欺のようなレビューは絶対に消されることはなく、むしろAmazonのほうで「参考になった」票をプラス操作している。これが「地球上で最もお客様を大切にする企業」とか平気でほざいている企業の実態ですヨ。




2020年7月30日木曜日

『完本人形佐七捕物帳第一巻』横溝正史

2019年12月21日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

春陽堂書店
2019年12月発売



★★    正史の改稿のやり過ぎが厄介な障害に





四六判各3,000円(税抜)全十四巻だった当初の予定がA5判4,500円(税抜)全十巻へ変更になるなど、例のごとくすったもんだでリリースされた『完本人形佐七捕物帳新版全集。今回はついに全作品を収録し、文字通り完全な全集にするという。 




内容は同じでも題名が異なる作品がいくつもあったりするし、一作品に複数あるテキスト・ヴァージョンのうち一体どれを最終決定稿として位置付けるのか? 普通に考えれば著者が晩年に手を入れたテキストを決定稿とみなしがちだが一概にそれがベストとも言い難い。一例を挙げれば、佐七の嫁・お粂に乾分の辰五郎と豆六。初出ではこの三人はそれぞれ徐々に登場してお披露目されるのに、のちに横溝正史がやたらとテキストに手を加えるものだから歴代の佐七本によっては辰五郎と豆六の設定が統一されてなかったりして、まことに今回の校訂は面倒で辛気臭い作業だったろうと思われる。



結局、本全集では正史が晩年に改稿したほうのテキストが採用された。



改稿前と改稿後、どっちを採っても辻褄の合わない部分が発生してしまうのであれば、私の希望では何度も読んだ昭和40年代の講談社版『定本人形佐七捕物帳全集』以降の改稿テキストではなく、より初出に近いヴァージョンを底本にしてほしかった。本全集第二巻に収録予定の「血染め表紙」は原題を「漂流奇譚」という。戦時下の日本で「人形佐七捕物帳」は風紀を乱すものだとイチャモンをつけられて(まるで現代のポリティカル・コレクトネスとそっくりだ)、その「漂流奇譚」の回をもって「人形佐七捕物帳」は一旦連載終了を余儀なくされてしまう。その後の単行本で「漂流奇譚」は佐七一家が旅立つ部分のみを削除して収録されてきた。この辺のテキスト・ギャップをどう処理するのか、今後も注目してみていきたい。







さて、諸兄は平成17年に嶋中文庫から初出発表順に並べて収録した『人形佐七捕物帳』が出ていたのを覚えておられるだろうか?これは版元の嶋中書店が左前になったとかで、たった四巻(「身代わり千之丞」までを収録)で刊行は打ち切られた。




その嶋中文庫版を読んでいるとなんとも奇妙な点があって。「人形佐七捕物帳」には〝小見出し〟というものがあるのだが、それらは全て削除されており、当時その理由を版元に訊いても教えてもらえなかった。今回の全集でも全話発表順に掲載されるから比較をしやすいのだが、嶋中文庫第一巻『嘆きの遊女』では「山形屋騒動」「犬娘」「仮面の若殿」という三つの話がゴッソリ抜けていたのだ。解説の類も一切無いままに。




とりあえず言葉狩りはなさそうな今回の全集第一巻と比較したら、その削除の理由も判明する。鋭いアナタならもうお気づきのとおり、要するに「山形屋騒動」「犬娘」「仮面の若殿」には〝背蟲〟〝非人部落〟〝業病〟という素材が出てくるため、偽善的姿勢によって話そのものがDeleteされ、それ以外にも「非人の仇討」は別題「宮芝居」へ変えられていた、という訳。あのねえ、「人形佐七」は数百年前の江戸時代を舞台にした小説ですからね。狂ったポリティカル・コレクトネス同様、先人の文化を滅ぼすような愚行はとっとと止めましょうね。 

 

 

何にせよ、横溝正史や「人形佐七」がどうこうより春陽堂書店が復活してきてくれたことが一番嬉しい。乱歩や正史のビッグネームはもういいから、昭和の頃のように日本の(特に戦後の)マイナーな探偵小説をドシドシ刊行してくれないかな。







(銀) 柏書房『横溝正史ミステリ短篇コレクション』『由利・三津木探偵小説集成』が真っ当な内容だったので、本全集もそうあってほしいと思って春陽堂書店再出発の餞(はなむけ)にAmazonレビュー投稿時☆5つを進呈したのだけど、改稿ヴァージョンのテキストで編成されると辰と豆六初登場の流れが収録順番と矛盾し、それ以後の話とのつじつまさえ不自然になっているので何度読み返してもやっぱり座りが悪い。まったくこれはいくら一話完結ものとはいえ正史が後先の事を考えずに改稿を繰り返した結果の負の効果だ。




さらに、本全集の底本に改稿テキストが使用されたことで将来また「レアな初出テキストを収録した人形佐七捕物帳、登場!」などと触れ回って阿漕な新刊商売が横行しそうな気がする。それだからAmazonに投稿した時このレビューのタイトルを「もう置く場所がないから、これで最終形の『人形佐七捕物帳全集』にしてくれ」と書いたのだが。




本書第一巻が出た時には春陽堂をバリバリ支援するつもりでいた、しかし、その後あの会社にはおかしな点が取り沙汰されるようになってゆく。以下、本全集第二巻の記事へつづく。







2020年7月29日水曜日

『大阪圭吉探偵小説選』大阪圭吉

2010年5月1日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第45巻
2010年4月発売



★★★★★    墓場から甦った防諜スパイ小説




古書市場でもかなり希少なため読む事が叶わなかった大阪圭吉戦時下防諜小説集が長篇「海底諜報局」と短篇集『仮面の親日』の中から10篇、初出順にメインキャラ横川禎介シリーズを集成して遂に登場。贅沢を言えば、ノンシリーズ「恐ろしき時計店」「寝台車事件」「手紙を喰ふポスト」未収録がもったいない。


 

編者・横井司は解説の中で、過去の大阪圭吉防諜スパイ小説の扱いの低さについて江戸川乱歩・甲賀三郎・中島河太郎の発言も引用しつつ、長年定着してきた権田萬治『日本探偵作家論』の論旨に噛付いている。権田・横井両氏の見方とも正鵠を射ている。ただし権田は昭和11年生まれであり、昭和37年生まれの横井にはとても理解できない不穏な戦時国家のもとで少年時代を送った筈。権田の世代ならそういった苦い想いが無意識の内に論文に現れるのは仕方がないことを踏まえておかなければならない、とは思う。


 

だいたいプロパガンダ目的、というよりも啓蒙主義がのさばり出すと、作品は遊戯的な趣向を封じられ一本調子になってしまう。規制ばかりが蔓延る現代日本の映画やTVに自由度とクリエイティビティが全く失われているのが良い例ではないか。私がレビューにて、何かというと言葉狩りを行う角川書店のような出版社の所業を度々批判している理由もそこにある。ともかく本書は小説だけでなく巻末の解説にも要注目。軍靴の音高き時代、表現を縛られた作家達がどう抵抗していたのかを読み取りたい。


 

山前譲が『探偵小説の風景』(光文社文庫)で提示してみせたように戦前独特の情景・風俗・思想、あの当時の日本を探偵小説を通して眺めてみる事にも大きな意味がある。戦後まったく光を当ててもらえなかった防諜スパイ科学長篇も遠慮なく再発して欲しい。それから大阪圭吉と対を成すもう一人の高値の花/大倉燁子はどうなっているのか?




(銀) ここでは偽善的な規制をする者の例として角川書店を挙げているが、その後不都合な事実を隠蔽すべく私の書いた文章をことごとく抹殺したAmaozon.co.jpに対して大手出版社の言葉狩りより何倍も不快感を持つようになった。本巻が出てからまだ10年しか経っていないのにネット社会の中にはSNSという不必要なツールが生まれ、毎日毎日アタマの悪い連中が140字の中で偽善の皮を被って嘘っぱちな情報を拡散したり誰かを罵倒・リンチし続けている。


 

本巻が発売された時、創元推理文庫『とむらい機関車』『銀座幽霊』は品切れ状態だったのだがその後重版され、いつの間にかまた市場から消えている。そして2020年夏、創元推理文庫が新しい大阪圭吉の文庫『死の快走船』を出すのに合わせて『とむらい機関車』『銀座幽霊』もカバーを一新してまた重版すると聞く。カバーが変わることで旧版を持っているのにまた買う輩がいるのだろう。大阪圭吉とは関係ないけど、東京創元社は下らないカーのパスティーシュ集『密室と奇蹟』なんぞを文庫化するより現行で読めないカー作品の新訳をどんどん出せばいいものを。





2020年7月28日火曜日

『ゴルゴ13/㉗芹沢家殺人事件』さいとう・たかを

NEW !

リイド社 SPコミックス
1978年1月発売



★★★★★   「すべて人民のもの」あたりまでの
         ダイナミックな質感のゴルゴが好きだった




この項では「芹沢家殺人事件」及びジョン・ディクスン・カーのある短篇のトリックに言及した文章を書いています。どちらとも既読の方ならばOKですが、どちらか一方でも未読という方にはネタバレとなってしまいますので、ここから下は決して読まないで下さい。

 

 

「ゴルゴ13」の数あるエピソードの中で、デューク東郷の正体に迫る物語のことを〈ルーツ編〉と呼ぶ。おしなべて〈ルーツ編〉は通常のエピソードよりも人気が高いのだが、本項にて扱う「芹沢家殺人事件」は特に読者投票をすればゴルゴ全エピソードにおける人気第一位を獲得してもおかしくないほど熱烈な支持を受けてきた。

 

 

● 第100話「芹沢家殺人事件」 『ビッグコミック』1975年 第2022号掲載


敗戦から一年近く経った日本。芹沢という一家の主と四人の息子達が無残に射殺される事件が起きた。警察が駆け付けた現場の芹沢邸では、血の海となった部屋で五男にあたる幼い芹沢五郎が泣きじゃくっているだけ。兇器の拳銃は裏庭の井戸から発見されるが、肝心の五郎少年は事情聴取を受けても無言でうなだれたまま。そして芹沢家の疑わしい点が次々と浮上してくる。



①   事件の一週間前、芹沢家の母親が何者かに殺され水死体で発見されていた

 

     芹沢家の住人のうち、末っ子のひろ子と唯一の使用人である老婆くめは

                               事件直後行方不明に

 

     芹沢家は豊かな生活を送っていたが、その財源は一切不明

 

     芹沢家の男子は戦争中だれも軍隊へ召集されていない



家族を失った五郎少年は遠縁の親類・佐久間茂造に引き取られ、GHQ占領下における障壁もあり警察の捜査は深い闇へと入り込んでしまった。








それから十五年、事件は時効を迎える。ずっと芹沢家の謎を追ってきた捜査担当の安井修記郎と後藤はその旨を伝えるべく神奈川県大倉に住む佐久間を訪ね、成人した芹沢五郎が冷たく一層無表情な男に変貌しているのを知る。一方では時効の日を待っていたかのように、行方不明だったひろ子とくめから警察へコンタクトが。十五年前の事件について固く口を閉ざしつつ、ひろ子は「私の指定するホテルで五郎と対面させてくれれば、何もかもお話しします」とだけ告げる。 

 

指定された横浜磯子プリンスホテルに芹沢五郎はやって来た。六階の別室に張込んでいる刑事達は615号室の中で待っているのがひろ子ひとりであること、更に芹沢五郎もまたひとりきりの手ぶらで615号室に入ったことを確かに目視する。再会したはずの兄と妹。しかし五時間が過ぎ、あまりに動きの無い様子に安井修記郎達は異変を感じ615号室のドアを乱打すると、中にいたのは芹沢五郎ただひとり。「この部屋には誰も来なかった」と彼はうそぶく。ひろ子はどこにも出口の無い部屋から消えてしまった!



ひろ子の行方も突き止められぬまま、佐久間茂造とくめ、芹沢家ゆかりの二老人がいずれも遠方から後頭部を一発で撃ち抜かれて射殺される。安井と後藤は拘束した芹沢五郎の犯罪を証拠不十分で立証できず彼を釈放、そして五郎は海外へと逃亡するが・・・。





最後の最後になってゴルゴの存在が表に出てくるが、顔写真一枚だけで Gは結局その姿を一度も見せることがないという、この際立った演出が実に効果的。

 

 

よく「猟奇色の濃いストーリー」と絶賛される「芹沢家殺人事件」のミステリ的なハイライトは密室でのひろ子消失。おとといカーの「妖魔の森の家」を取り上げたので、トリックが共通するこちらも是非紹介してみたくなった訳だが、同じ人間消失でも「妖魔」より「芹沢家」のほうが跡形も無く事を処理するので、足が付きにくいのはこちらだろう(昔は科学的な捜査メソッドが現代ほど進化していない点に留意)。

だがこのトリックは「芹沢家」の場合だと、いくら剛力な者でも嵩張らない刃物だけで完遂するのは絶対に無理、ある程度堅いものを細かく砕く道具が必要になる。ひろ子と五郎は警察にバレずにその道具をどうやって持ち込みどう処理したのか、ディティールの推理まで描き込んでほしかったと思う。



「芹沢家殺人事件」以外にも「ゴルゴ13」の脚本家はミステリをよく読んでいるな~と思わせるエピソードがあって、例えば第5話「檻の中の眠り」で脱獄不可能な離島の監獄からゴルゴが脱出する方法は、楠田匡介の小説にでもありそうな上玉のネタだ。







(銀) 初期の「ゴルゴ13」は本当に面白い。しかし以前話題になったのだが、ゴルゴは世界中どころか宇宙にまで行っているのに、朝鮮半島(北朝鮮・韓国)を舞台にしたエピソードはどうして皆無なのだろう?この件だけ抗議が怖くて、さいとう・たかをの腰が引けているとは思いたくないのだが。

 

 

ところで豆知識というほどでもないけれど、権力に弱みを見せなさそうなさいとう・たかをの作品でさえ、近年の単行本では言葉狩りを許している。たまたま私がそれに気付いたのは『ビッグコミック』の版元・小学館から2002年に出た『Best 13 Of ゴルゴ13』という、読者の人気が高いエピソードを集めたアンソロジーを読んだ時のこと。





そこに収録されていた第1話「ビッグ・セイフ作戦」。MI6の会議中、殺しのプロ・ゴルゴ13の素性が説明されるシーンにおいて「本当におしなのかもしれない」というセリフが「しゃべれないのかもしれない」に変えられていたのだ。

 

 

これを見る限り、初期エピソードの中のいわゆる〈不適当用語〉などと云われるワードについて近年の本では書き換えられている可能性が高い。細かく調べていないので断定はできないが、大手の小学館が出しているコミックスだとほぼ言葉狩りされていると思われる。さいとうプロ系列のリイド社から出ているSPコミックスの最近の版でもそうなのだろうか?




2020年7月27日月曜日

『子不語の夢/江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』

2010年11月12日 Amaoznカスター・レビューへ投稿

皓星社  浜田雄介(編)
2004年12月発売



★★★★★   乱歩には中相作がいてくれて本当によかった



浜田雄介(編)乱歩蔵びらき委員会(発行)とクレジットされているが、実際市場に売りに出され散逸の危機にあった小酒井不木宛江戸川乱歩書簡に目を付け、本書の刊行にまでこぎ着けたのはwebサイト『名張人外境』の主宰であり超労作『江戸川乱歩 リファレンスブック』全三巻を上梓した才人・中相作。書簡集を作るとしても、そこらの凡愚だったら書簡内容を並べて解説を付けて「ハイ、終わり」となるところだが流石に役者が違う。この本の濃密な情報量はどうだ。村上裕徳による縦横無尽な脚注が乱歩-不木書簡の副音声となって、当時の探偵文壇状況・作家達の人間模様を見事に焙り出している。



作家デビューした時は謙虚だったのに徐々に変化してゆく乱歩。その名声ぶりに噛み付く前田河広一郎。傑作を生み続ける乱歩を唯一脅かす平林初之輔の鋭い批評。小酒井不木の乱歩への深い敬愛ぶりに嫉妬の炎を燃やす国枝史郎。そして不木突然の病死の裏には、後の「真珠郎」を地で行く一人の男の存在があった・・・。

 

 

村上裕徳の脚注を「独善的」と言う声もあったと聞くが愚かな意見だ。大衆文学に通じた確かな書誌知識に基づいている上、中相作を中心として『新青年』研究会員といった手練の者達が細かいチェックを加えている徹底ぶりなのだから。巻末には乱歩/不木随筆・論考・解説・年表・索引。更に凝りに凝った付属CD-ROMでほぼ全ての書簡画像さえ見る事ができる。これこそ書簡集の手本ともいうべき素晴らしい一冊。

 

 

中相作にお願いしたい。噂が出てから15年も過ぎたのに誰も動こうとしない『江戸川乱歩横溝正史書簡集』を是非とも刊行して頂けないだろうか?両雄相並ぶ偉大な探偵小説家なのに、乱歩に大きく遅れをとって正史に踏み込んだ良質な評論書は悲しいほどにない。もし実現したら本書以上の大反響になる筈。『名張人外境』内で少し手を付けたままの『江戸川乱歩年譜集成』と同様、喉から手が出るほど読みたいのである。


 

 

(銀) 皓星社は本書が出た直後、関係者と業界人のコメントを収録した小冊子『「子不語の夢」に捧げる』を非売品として頒布した。

 

 

このBlogはどなたにもリンクをお願いしておらず、ネットという大海に浮かぶちっぽけな小島にすぎない。だが「名張人外境ブログ2.0」にて今野真二『乱歩の日本語』が話題に上がった時、私のBlogを引用してコメント投稿した人がおられたようで、私の『乱歩の日本語』評を読まれた中氏は2020618日におけるこのBlogの項をリンクして下さった。中氏には感謝の意を申し上げると共に、私が三重の名張に足を向けて寝るようなことは絶対無い。





2020年7月26日日曜日

『妖魔の森の家』ジョン・ディクスン・カー/宇野利泰(訳)

NEW !

創元推理文庫 カー短編全集 2
1970年12月発売




★★★★★   神隠し以上の悪行(「妖魔の森の家」)





●「妖魔の森の家」

ヘンリ・メリヴェール卿は金髪娘イーヴ・ドレイトンと彼女のフィアンセのウィリアム・セイジから「ヴィッキー・アダムズを連れていくのでピクニックに行ってみないか」と声をかけられ、妖魔の森〟と呼ばれる淋しい土地の別荘に誘われる。ヴィッキーという妖精のようなセックスアピールをもつ女性は子供の頃完全に戸締りをした建物から神隠しのようにいなくなったという謎の体験を持ち、その失踪した場所というのが 妖魔の森〟の別荘だったのだ。 

そしてHMの目の前で、建物の中に入ったままヴィッキーは再び姿を消してしまい・・・。 


 

この消失トリックだが、たった45分でそこまで手際よく××を××できるものかな。そしてその後××を運ぶ際に〝臭い〟でバレるような危険はなかったろうか。それにしても冒頭でバナナの皮で転んで臀部を強打した上、もっとも後味の悪いピクニックとなってしまい、HMには散々な事件だったことだろう。少女時代のヴィッキーが神隠しにあった謎の解明はされず、このピクニックのあと犯人はどうなったのかも分からずじまいで、我々読者にとってもブラックな後味が残る。


 

●「軽率だった夜盗」

山荘の主のマーカス・ハントはお宝である三枚の絵画があるというのに、まるで盗んで下さいと言わんばかりの状態で絵画を放置していたところ、案の定真夜中に賊が侵入。マーカスの要請で客人として招かれていた警部補ルイス・バトラーは異変を察知して階下に駆けつけると、マスクを被った賊は胸を刺されて死んでいる。マスクの下から現れたのはなんと主人マーカスの顔だった。バトラー警部補はこの珍妙な事件についてギデオン・フェル博士に助力を仰ぐ。

 

 

●「ある密室」

これもフェル博士が登場するシンプルな密室譚。蔵書家フランシス・シートン氏は最低でも一年アメリカに滞在したいがため、秘書と図書係のふたりに退職金を出すからと言い解雇を告げる。その後内側からロックされた書斎でシートン氏が襲われ金庫の中身が盗まれるという事件発生。

 

 

これはねぇ、どこまで書いていいのやら。一応理化学トリックのひとつなのだろうがフェル博士が喝破する〝ある飲みもの〟があって、その名称は伏せておくけれど、我々日本人には馴染みの無いものだし、それ以外にも十全にフェアとは言えぬ点があるのが気にかかる。ちなみにその〝ある飲みもの〟の名をググっても詳細を発見できなかった。 

 

 

●「赤いカツラの手がかり」

スマート美容法の有名人ヘイゼル・ローリングは彼女の住む居住地専用公園にて下着しか付けていない状態でステッキで頭部を殴られ死んでいた。下着以外の服はヘイゼルが腰掛けていたベンチにたたんであったという。「デイリー・レコード」紙のフランス人女性記者ジャックリーヌ・デュボアは捜査担当のベル警部に食い付いて事件の真相に迫る。

 

 

現代なら「カツラ」とは訳さず英文どおり「ウィッグ」と表記するだろう。書くまでもないことだが、ここに登場する〈トルコ風呂〉とは日本人の考える性的なサービスを伴うアレのことではない。女の持ち物が手掛かりとして出てくるので、主人公を動かしやすいようにカーは女性記者をしつらえたのかもしれない。


 

●「第三の銃弾」

これのみ中篇。探偵役はマーキス大佐。

ある強盗事件の厳刑を受けたガブリエル・ホワイト青年がチャールズ・モートレイク判事に報復するかもしれないとの通報を受けて警察は判事邸に人員を配置。雨の降る夜、彼らはガブリエルが邸に入るのを発見。その後ガブリエルは誰も中に入れないよう鍵をかけてしまった為、警察は外を回って窓から判事の書斎へ入ろうと急ぐ。その時ジョン・ペイジ警部は二発の銃声を聞くが室内に入ると判事は既に射殺されていた。

 

ところが、逮捕したガブリエルを尋問すると「自分が殺ったかわからない」と意味不明の言動。しかもガブリエルの持っていた銃から発射されるべき弾丸の種類と使用数が現場の状況とは一致せず、捜査は混迷を極める。銃から放たれた弾丸がまるでゴルフのショットのように弾道が曲がったのか?それとも?




(銀) カー短編全集の中でも 1 と 2 は優れているほうだが、それでもカーの特徴である〝トリックの作り物めいたところ〟を長篇以上に短篇のほうで露わに感じる印象はある。

 

この宇野利泰訳は50年間も重版されており、2019年秋で43版にも及んでいる。中には一部だが春陽堂の文庫によく見られる、難字でもないのにわざわざ漢字を開いているような箇所が(一例を挙げると「悪態」→「あくたい」だったと思うが)。ああいうところだけでも見苦しいから、修正したらいいのに。




2020年7月25日土曜日

『探偵作家追跡』若狭邦男

2009年8月18日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

日本古書通信社
2007年8月発売



     この書痴にも怪しい面が・・・




この本、いつの間にかAmazonでも取り扱っていたのである。探偵小説の愛好家でそっち方面の古書蒐集家でもある著者が『日本古書通信』での連載を基に上梓したのが本書。 

 

 

第一章「探偵作家追跡」では江戸川乱歩・小栗虫太郎・角田喜久雄・大阪圭吉・鮎川哲也といったメジャーどころから赤沼三郎・耶止説夫・守友恒らレアな面々、更には香山風太郎・覆面作家なんて怪しげな作家までそれぞれ二十七本のテーマで、いかにも古書蒐集家らしい書誌薀蓄を披露する。中には鮎川哲也「幻の探偵作家を求めて」シリーズを引き継ぐかのように、消えた作家の行方を追ったレポートも。  

 

 

第二章「探偵雑誌閲覧室」は戦後の雑誌『ロック』『さんるうむ』『宝石』『ぷろふいる』『仮面』『トップ』『黒猫』『真珠』『妖奇』『オール・ロマンス』『ネオ・リベラル』『実話講談の泉』『怪奇探偵クラブ』『探偵実話』『オール猟奇』『綺談』『ベーゼ』『探偵趣味』の成立ちをコンパクトに紹介。  

 

 

コレクター特有の知識自慢な気振りが無い訳でもないが、それでも喜国雅彦のように三流の下種な古書自慢ではないし、これまでの評論書では一度たりとも紹介されたことのないような作家についてあれこれ知ることはできる。

 

 

しかしいつも思うのだが、ここまで古書蒐集にのめりこむには相当の出資が必要とされる筈で、いくら好きな趣味とはいえこういう人達はよく破産しないものだなと、昔も今もそんなに変わらないであろうミステリ系古書の高値ぶりを見ると感心するというか呆れるというか。 

 

 

 

 

(銀) Amazon.co.jpカスタマー・レビューへ投稿した時には☆5つにしたけれど〝コレクター特有の知識自慢〟以外の部分にも疑わしいところがその後見つかり、徐々にこの人物の化けの皮が剥がれてきた。 

 

 

ある時ヤフオクでolibiajpというIDの出品者が売っていた古書を落札する機会があって、このIDを観察していると本書をはじめとして若狭邦男の本にサインを入れたものを何度も何度も売り捌いている。ヤフオクでの出品アイテム紹介文も自著同様、変な日本語が散見。家族の名前を借用しているけれどolibiajp=若狭邦男であるのはthreecoffins=森英俊なのと同様、100%バレバレだった。 

 

 

若狭は自著以外にも古本をヤフオクで売っていたが、ある時私はこんな事に遭遇した。某古書即売会目録に出品されていて揃いで出るのはちょっと珍しい、戦前の或る探偵小説関連全集の月報を購入したくて申し込んだのだが生憎私には当たらず。するとその目録当選分の発送が完了してすぐの時期に、件の揃い月報を若狭がヤフオクに出品しているのを発見して驚いた。 

 

 

その揃っている月報は目録で販売されていたものと全く一緒で、ただでさえセットで市場に出る機会などめったに無いアイテムだったから偶然の一致とは思えない。ネットの古書通販や即売会で拾ったレア本をヤフオクで転売しているのは森英俊だけでなく、若狭までそんな事をしていたとは・・・。いくら鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』みたいな調査をしていたって、これではとても認められたものではない。 

 

 

〝喜国雅彦のように三流の下種な古書自慢ではない〟とは書いたものの、その他にも若狭は不審な点が多く、それについては『探偵作家発見100』の項にて記す。






2020年7月24日金曜日

『日本SF精神史』長山靖生

2010年1月7日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

河出ブックス
2009年12月発売





★★★★★   『ドグラ・マグラ』もSF?





体裁はハンディだが本書の中身は決して軽くない。こういう良書が突如リリースされるから選書はあなどれない。SF評論家長山靖生が同人誌『未来趣味』等に発表してきた原稿を土台して、今回殆ど書き下ろしたものがこの『日本SF精神史 ~ 幕末・明治から戦後まで』だ

 

我国のSF観史を、文化の発展と照合しながら多彩な書誌情報を交えつつ紹介。        明治の黎明期、ジュール・ヴェルヌ翻訳本の多さに改めて感心。押川春浪・海野十三・山中峯太郎らおなじみの面々はもとより賀川豊彦・幸田露伴のように意外な人がSFに関与しているとも。


 

また昭和に入り探偵小説の時代にはその中にSFも包含されるとはいえ、小酒井不木が『アメージング・ストーリーズ』誌に触発されSF専門誌を発行する計画があった事や、著者が夢野久作の数作をSFと捉えている点が面白い。戦後、江戸川乱歩の本格探偵小説推奨に対し海野十三がキツい一言を物申しているので「二人は対立したのか?」とあるが、海野は乱歩に心酔していたから これは単に彼なりの業界への警鐘と見るべきだろう。


 

日本の探偵小説の中でも防諜スパイ作品の類は、幾つかの例外を除くと敗戦後アンタッチャブルの憂き目を見ていて読むのが全く困難。本書を通読していると、今後そういうものだって新刊本で復活させてもいいのではないかという気になる(変なナショナリズム的意味じゃなく)。  日本の闇の部分も歴史の一面であって、意味はあると思うのだけど。




(銀) 河出ブックスというレーベルから刊行された本。河出の新書ということで他にも面白そうなものが出るのを楽しみにしていたのだけど、今野真二の本ばかり出すようになり2018年を最後に河出ブックスは刊行ストップしてしまった。

 

「防諜スパイ小説を復活させても別にいいじゃん」と書いているが、この後 論創ミステリ叢書の大阪圭吉や北町一郎の巻でそういった作品が収録されたものの、頭のカタそうな大手出版社は今でもそれ系の作品を新刊本で出す気配はさらさら無さそうである。



2020年7月23日木曜日

『鉄の門』マーガレット・ミラー/宮脇裕子(訳)

2020年2月26日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

創元推理文庫 名作ミステリ新訳プロジェクト
2020年2月発売



★★★★★  このサイコ・スリラアにおける❝悪❞は誰か?



「大乱歩が〝心理的純探偵小説の曙光〟と感嘆した」と帯には煽ってあるが、江戸川乱歩がこの長篇に対して具体的にどういう感想を述べていたか、巻末解説の中では何も触れられていない。それを知りたかったら「海外探偵小説作家と作品」を読むといい。手っ取り早い現行本なら光文社文庫版江戸川乱歩全集第30巻『わが夢と真実』がおすすめ。そこでマーガレット・ミラーのことは夫のロス・マクドナルドことケネス・ミラーと並んで言及されている。

ちょっとした古書価格も付いていたサイコ・スリラア『鉄の門』の新訳版。北米での発表は第二次世界大戦が終了する1945年。戦勝国・敗戦国関係なく、人を殺すのが役目となる戦地では精神を病んでしまった兵士はどの国にも大勢いたというし、なによりマーガレット・ミラー自身が本作の数年前にノイローゼで病み入院した体験をしている。それはともかく・・・。


 

医者アンドルー・モローの現在の妻・ルシールが怪しい人物から渡された小さな箱。その箱に入っていたのは彼女を失踪そして精神科入院へと追い込む〝あるシンボリックなもの〟だった。それは彼女と何がしかの犯罪を結ぶ動かし難い証拠なのか? 



本作は謎の解決にしても、理論上言い逃れのできない局面へ犯人を追い込む本格ミステリ定型の流れとは異なる構成をとっているのが興味深い。サンズ警部の存在は強力ではないがシンプルにサスペンス一色でもなく、ここに詳しくは書けないけれど、『鉄の門』というタイトルは第二部で苦悩するルシールの閉じ込められた病獄のことを意味しているのか、最後まで読むとこの物語の主眼が見えてくる。


 

アンドルー・モローの先妻ミルドレッド十六年前の死の事情をなかなか明かさなかったり、第二部で「ドグラ・マグラ」状態に陥ったルシールが誰も信用できずに錯乱する描写だったり、読み手の首根っこを掴んで離さない筆力は流石。同じパターンで何作も繰り返したら厭きるかもしれないけれど、ダークな物語へズルズル引きずりこむ本作の魔力には抗えない。なによりも4÷2とは単純に割り切れぬ女のもつ複雑な心情や残酷さ、後妻として生さぬ仲を埋める事ができないルシールと(アンドルー以外の)三人の家族、表立って口にできない疑惑と憎悪の応酬が実にリアル。

長い間つきあってても、週末会う時に昼は聖女のような笑顔を、夜は娼婦のような媚態を見せていたのに何のきっかけも無く突然「別れたい」などと言い出す。それこそ女というタチの悪い生き物の〝性〟(サガ)よな。




(銀) 江戸川乱歩は夢野久作「ドグラ・マグラ」を「私にはよくわからない小説」と評した。同じ精神病(院)を扱う探偵小説でも久作の超オルタナティヴな趣向とは異なり、本作はまだミステリの文法に沿って書かれているので、乱歩が好意的に紹介したのもむべなるかな。


 

他に精神病を扱ったもので、『狂人の世界より帰りて - 精神病全快者の手記』(1948年発行)という仙花紙本がある。著者の紀野親二という人は探偵小説『真珠と令嬢』『妖奇の船』(いずれも1947年発行)なる本を出した紀野親次とおそらく同じ人物だと思われるが、『狂人の世界より帰りて』は創作小説あるいはノンフィクション、そのどちらともとれるような実に奇妙な内容を孕んでいる。




2020年7月22日水曜日

『瀬下耽探偵小説選』瀬下耽

2010年4月26日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第42巻
2009年11月発売



★★★★★   日本のポオ、珠玉の一冊




雑誌『幻影城』、いや戦前の頃から延々と、長きに渡り待ち望まれていた瀬下耽の著作集がようやく出た。エドガア・アラン・ポオ風なテイストを和の舞台に旨く展開しており、本格派で鳴る鮎川哲也でさえ高く評価していた人である。戦争による国内状況の悪化で探偵小説が自由に書けなくなる昭和13年頃までに長篇をひとつでも発表していたら、最初の著書はもっと早くに出せていたかもしれないが。

 

 

「危険・・・島に踏みこむべからず・・・恐るべき伝染病発生す・・・全島に生存者なし」

多くのアンソロジーに収録されている有名な「柘榴病」以下、『新青年』が最も華やかだった時期を中心に発表された22本の短篇+随筆1篇を収録。その内18篇が単行本初収録。

 

 

新潟の柏崎出身。著者のルーツとも言うべき〝海〟に纏わる静かな恐怖を湛えた「海底(うなぞこ)」「R島事件」「欺く灯」「罌粟島の悲劇」「海の嘆」。かと思えばトリッキーな一面も覘かせる「四本の足を持った男」「呪われた悪戯」。恋人との性的情事を覗く老隣人に残酷な仕返しを企む「覗く眼」。

 

 

瀬下耽は『江戸川乱歩と13人の新青年〈文学派〉編』(光文社文庫)でも夢野久作「押絵の奇蹟」や大下宇陀児「情獄」等と並び、情操派の一人として採り上げられていてバリバリ変格探偵小説の書き手だが、その文章のテクニックはとても読み易い。江戸川乱歩「踊る一寸法師」や横溝正史「誘蛾燈」のような怪奇譚が好きな方は是非手に取ってほしい。そして本書が気に入ったなら、この論創ミステリ叢書の『西尾正探偵小説選』と国書刊行会の〈探偵クラブ〉シリーズ『股から覗く』葛山二郎も強く薦める。

 

 

 

(銀) 日本海側の〝海〟には数える程度しか行ったことがない。大学時代に初めて友達と新潟まで足を延ばして海水浴場で泳いだ時、真夏のカンカン照りの日だったのに、太平洋側とは比べものにならないぐらい海水が冷たいのにはビックリした。それからまた十年ほど経った旅の機会で北陸の海沿い道路を車で走行していた時にも、江戸川乱歩の名作「押絵と旅する男」を思い出し、裏日本の持つ独特の陰鬱さ・寂寥な潮の香りをより一層感じたものである。

 

 

瀬下耽作品の持つムードはあの寒さが厳しい土地がもたらしたものだという見方には、ただ黙って頷くばかり。



 

2020年7月21日火曜日

『探偵小説の風景/トラフィック・コレクション』〈上〉〈下〉

2009年5月18日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

光文社文庫  ミステリー文学資料館(編)
2009年5月発売〈上〉 2009年9月発売〈下〉




★★★★   トラベル・ミステリーの原石とは
   




〝 当時の乗物 〟が作中に出てくる昭和初期短篇をコンパイルしており、
〈上〉の帯に「トラベル・ミステリーの原石」と編集部は書いているが、
すべてが旅行ものと呼ぶ程の内容ではない。
Amazon.co.jpのカスタマー・レビューへ投稿したのは〈上〉だけだが、 
このBlogでは〈下〉の収録作品も紹介しておく。




〈上〉                   〈下〉

■「途上の犯人」 濱尾四郎         「省線電車の狙撃手」 海野十三   

■「急行十三時間」 甲賀三郎        □「空を飛ぶパラソル」 夢野久作

■「颱風圏」 曾我明            □「百日紅」 牧逸馬

■「彼の失敗」 井田敏行          □「白い手」 中野圭介(松本恵子)

■「髭」 佐々木味津三           □「隼のお正月」 久山秀子

■「少年と一万円」 山本禾太郎       □「豆菊」 角田喜久雄

■「視線」 本田緒生            □「セントルイス・ブルース」 平塚白銀

■「目撃者」 戸田巽            □「綺譚六三四一」 光石介太郎

■「乗合自動車」 川田功          □「白妖」 大阪圭吉

■「秘められたる挿話」 松本泰       □「踊る影絵」 大倉燁子

■「青バスの女」 辰野九紫         □「砂丘」 水谷準

■「その暴風雨」 城昌幸          □「若鮎丸殺人事件」 マコ・鬼一

■「父を失う話」 渡辺温          □「新聞紙の包」 小酒井不木

■「酒壜の中の手記」 水谷準        □「鑑定料」 城昌幸

■「首吊舟」 横溝正史



書名からはさして目新しさを感じないかもしれないが、そこは山前譲の編集で、戦前の探偵小説を好きな人なら充分楽しめる。




そろそろミステリー文学資料館の文庫も「これは!」という企画を切望。例えば挿絵中心の画家別探偵小説アンソロジーとか、新しい読者層を獲得できるのではないか?名前を挙げると、吉田貫三郎・林唯一・竹中英太郎・嶺田弘・岩田専太郎等々、他にも画家の候補はいるから是非検討して欲しい。

 

 

しかし最近の文庫の傾向ではあるが、活字のポイントが大きいですなぁ。
年配の読者への配慮だろうけれど行間が無くて私など逆に目が疲れる。
そんなところからも初出時の挿絵があると嬉しい。




(銀) 曾我明と井田敏行のふたりは山前譲解説でもどういう人なのか不明と書いてある。持ち込み投稿だったのだろうか?



このレビューで「挿絵中心の画家別アンソロジーを出したらどうか」と書いた。しかし光文社をはじめ、大手の出版社が出す探偵小説文庫本では、この後暫くの間、初出挿絵を収録することも無くなる。ところが2016年に皓星社が、文庫ではなくソフトカバーで私の提案したような本=「挿絵叢書」を出した。それが刺激となったのかどうかは知らねど、元号が令和に変わり、初出時の挿絵を収録する動きが創元推理文庫あたりから再び出てきている。