2023年1月20日金曜日

『空中紳士』耽綺社

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博文館
1929年3月発売



★★★   光文社文庫版乱歩全集「空中紳士」にて
            言葉狩りされていたワードとは?




名古屋を拠点とする小酒井不木を中心に、国枝史郎/土師清二/長谷川伸、そして江戸川乱歩、この五人からなるグループ〝耽綺社〟が雑誌『新青年』へ発表した合作長篇。「飛機睥睨」の名で連載されるも、単行本化する際「空中紳士」に改題。1994年春陽文庫にて再発されるまでは、この作品の単行本は本日紹介する初刊の博文館版しか存在していなかった。普通に考えてみても「空中紳士」のほうが営業的にイケてそうな感じはするが、「飛機睥睨」にしろ「空中紳士」にせよ、何故このタイトルなのか物語の最後に辿り着くまで読者は全く意味が解らない。


 

                     

 


「江川蘭子」などリレー小説というものはなかなか統一感が保てず成功する事は難しい、という記事を去年の元旦にupした。〝耽綺社〟の作品はリレー形式ではなく皆でワイワイ案や筋をひねり出し、代表してひとりが執筆するスタイルを取っている。

「空中紳士」(=「飛機睥睨」)は掲載誌が『新青年』というのもあったからか、執筆は(岩田準一がピンチヒッターとして書いた第三回「物語る博多人形」「阿片窟に現れる獅子」「アトリエの内と外」を除き)江戸川乱歩が担当させられる仕儀に。前年「一寸法師」の失敗でやる気を失くしていたこの時期の乱歩は、なかなか筆を取ろうとしなかった。乱歩を強力に支援する小酒井不木博士にしても、『新青年』編集長として原稿を受け取る側の横溝正史にしても、とにかく乱歩に書かせなければという気持ちで頭はいっぱいだったろう。

 

 

 

しかし冒頭、あの乱歩が書いたとは思えぬグダグダな文章で始まり、話が盛り上がらない。岩田準一が代筆した第三回が好評だったと聞いて乱歩はクサったというが、いくら〝耽綺社〟合作の名義でもこのままではマズイと思ったのか、それ以降は僅かながらも筆に熱が感じられるまでには持ち直す。

でもねえ、乱歩が書こうが不木が書こうが、五人の合作ってのも実際難しかろう。どうしても合作小説を作りたいなら、せめて二人一組でやるしかないんじゃない?とにかく国枝史郎と乱歩はウマが合わないのだし、小酒井-国枝コンビなら揉め事は起きないだろうけれど、やはり合作じゃなくて個々の作品がいいに決まってる。後年、横溝正史が「あれはおよそくだらなかったな」と語ったのも当然の話で。

 

 

                      



後ろ向きな気持ちでの参加ゆえに、江戸川乱歩はプロットの面では殆ど主張をしていないように映るけれども、のちの通俗長篇や少年ものの片鱗がちらちら見え隠れしている箇所が意外に発見できる。果してこれらは乱歩本人から出たアイディアなのか、それとも他の四人のものなのか、是非知りたいところだが、それをジャッジできる材料が無いのが悩ましい。

唯これだけは言えるだろう。1928年における「飛機睥睨」終盤の執筆と、華麗なる乱歩復活作「陰獣」の執筆とは時期が重なっている。ということは〝耽綺社〟の他のメンバーが考えたプロットとはいえ、「飛機睥睨」を(しぶしぶながらも)書き続ける作業は「陰獣」を生み出す為の肩慣らしになったと思えなくもないし、もっと重要なのは、自作の長篇が売れる為には何が必要なのか、漠然と心の中で乱歩は再認識できた可能性もあるんじゃないかと私は考えるのである。

 

 

 

現にそれまで「闇に蠢く」「空気男」「一寸法師」と、長篇で悉く失敗していた乱歩だったが、翌19291月よりスタートさせた「孤島の鬼」では、同性愛を小説に盛り込むにあたり岩田準一の助けもあったとはいえ、初めて長篇で大成功を収めた。おまけに同年夏にはそれまで敬遠していた講談社系の雑誌にて大衆受けを狙った「蜘蛛男」さえもスタートさせている。そんな昭和24年の乱歩の動向を思い起こすと「空中紳士」は内容こそちっとも成功していないとはいえ、乱歩にとっては次のステップへ離陸するための滑走路的な作品になったのかもしれない。

 

 

 


(銀) 光文社文庫版の『乱歩全集』で語句改変されてしまった箇所として知られているのは、第四巻収録「孤島の鬼」における〝皮屋〟というワードである。で、第三巻に収録された「空中紳士」においてもそんな語句改変されたワードがあり、このような何の益も無いテキスト改悪を許さない為にも、ここにメモしておく。

 

 

博文館版『空中紳士』 初刊本(本書)

196ページ9行目

屠牛會社の經營者なら牛殺しぢやありませんか。〟

 

 

光文社文庫版江戸川乱歩全集第三巻『陰獣』収録「空中紳士」

440ページ14行目

精肉会社の経営者なら牛殺しじゃありませんか。〟

 

 

 

はるか昔の日本において、牛馬などの動物を処分する生業(なりわい)というのは下層における被差別民のする事だと見做し〝四つ足〟〝四足〟などと呼んでいた。光文社文庫版乱歩全集での〝皮屋〟〝屠牛〟なる言葉が書き変えられてしまう原因も同じ理由から来ている。この乱歩全集と同時期に出ていた他の光文社文庫では〝気違い〟が言葉狩りされていたのに、乱歩全集第三巻「空中紳士」で連発される〝気違い〟については特に標的にされてはいない。なんでやねん?

あと、春陽文庫版『空中紳士』のテキストについてはスルーする。春陽文庫のテキストの酷さは過去に度々書いてきたし、改めてここに取り上げる価値もないからだ。