2024年7月23日火曜日

『江戸川亂歩全集第十一巻/白髪鬼』江戸川亂歩

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平凡社
1932年4月発売



★★★★★   光文社の「屠殺」狩り





昭和6年から一年に亘り刊行された平凡社版『江戸川亂歩全集』は、乱歩にとって初めての個人全集である。長篇「白髪鬼」「地獄風景」短篇「火縄銃」はいずれも、この時初めて単行本に収められた。その中から、「涙香白髪鬼」にすっかり魅了され、自らも筆を執った「乱歩白髪鬼」について見ていこうと思う。

 

 

「白髪鬼」の元ネタはマリイ・コレリ「ヴェンデッタ」。「涙香白髪鬼」は外国舞台のまま、疫病のため主人公が死亡~埋葬されてしまうところなど、「ヴェンデッタ」に準拠している部分が多い。乱歩はそこから更に固有名詞をすべて日本風に移し替え、エゲツない演出をプラスし、エロ・グロ・ナンセンスの風潮にも合いそうな改作を行っている。

 

 

オリジナルの「ヴェンデッタ」からして主人公はもともと悪人ではないのだが、「乱歩白髪鬼」の大牟田敏清 子爵は復讐モードに入っている間はともかく、生来のお人好しぶりが目立つ。その落差があるからこそ、蛇のような彼の執念が快哉を呼ぶとはいえ、マリイ・コレリ/黒岩涙香/江戸川乱歩による三作品のうち、好みの分かれるポイントは意外と主人公の性格付けにあるのかもしれない。それぞれに良さがあり、私はどれも好きなので優劣は付けないけどね。






ところで「乱歩白髪鬼」後半、「死刑室」の章には次のような一文が見られる。
(以下、下線は私=銀髪伯爵による)

 
 平凡社版『江戸川亂歩全集 第十一巻 白髪鬼』
 
罠にかゝつた哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。そして、彼の血走つた兩眼は、屠殺者の斧を見返す、牝牛の目であつた。




同じ箇所を光文社文庫版『江戸川乱歩全集』で確認すると、こんな具合。


 光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面』所収 「白髪鬼」


罠にかかった哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。

 

そう、『空中紳士』の記事(☜)にて述べたとおり、『江戸川乱歩全集』を担当した光文社の人間には、「屠牛」「屠殺」等の単語があると語句改変したり、あるいは文章丸ごと消去すべしという方針があったようだ。だから光文社文庫版『江戸川乱歩全集』のテキストでは、〝そして、彼の血走つた兩眼は、屠殺者の斧を見返す、牝牛の目であつた。〟の部分はごっそり削除されている。




では、その他の全集はどうかというと、


 講談社版第二次『江戸川乱歩全集 第7巻 吸血鬼』所収 「白髪鬼」

 

罠にかかった哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。そして、彼の血走った両眼は、屠殺者の斧を見返す牝牛の眼であった。


こちらは当り前に、平凡社版全集どおりの正しいテキストを再現。








もうひとつ、平凡社版全集「白髪鬼」における「死刑室」の章には、こんな文章もある。


 平凡社版『江戸川亂歩全集 第十一巻 白髪鬼』

 

川村は犬殺しの檻の中へ投げ込まれた野犬の樣に、ギヤンギヤンと狂はしく泣き叫んだ。

 

横溝正史「八つ墓村」のオリジナル・テキストには「犬殺し棒」という言葉が使われているのだが、角川書店90年代以降流通させている『八つ墓村』では、この言葉が「棍棒」へと語句改変されている旨、既にこちらの記事(☜)にてお知らせ済み。




「犬殺し」は野犬捕獲員、「屠殺」は食肉業者を差別することになるって理由から、我々の与り知らぬところで、これらの言葉は自粛の対象に指定されているらしい。

 

 

「犬殺し棒」と「犬殺し」では、出版社にクレームを付け恐喝してくる集団にとって扱いがどう違うのか、私には判別しかねる。しかし「乱歩白髪鬼」のテキストを光文社文庫版全集と第二次講談社版全集で調べてみると、どちらも平凡社版全集そのまま、「犬殺し」なる言葉を含む上記の一文は普通に掲載されていた。牛はダメだけど犬ならいいのか?生き物の命の尊さはすべて平等じゃないんかい?だからこの手の言葉狩りは何の意味も無いのだよ。

 

 

 

 

(銀) 光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第7巻』で突っ込まれているように、「乱歩白髪鬼」は辻褄の合わないシーンもあるのだが、だって乱歩じゃから仕方がなかろう。翻案に手を出したのは本作が最初のように思われがちな乱歩。でも初期の「踊る一寸法師」だってポオ「Hop-Frog」の翻案みたいなもんさ。

 

 

誰も気付かないような場所に相手を監禁し、復讐者が積もり積もった怨みの言葉を吐いて彼らを地獄へ送ろうとするのが通俗長篇のお約束。いつもならそこに明智小五郎が現れて復讐者の企みは粉砕されてしまうのだけれども、「乱歩白髪鬼」は警察も探偵も助けに来てはくれず、大牟田子爵は計画を完遂する。

謎解きは無いが、物語そのものが大牟田の一人称で進行するため、探偵小説マニアでない読者にも非常に感情移入しやすい構造になっている。

 

 

叩き台は「ヴェンデッタ」「涙香白髪鬼」なれど、大牟田子爵が別の人間・里見重之に生まれ変わるくだりは「パノラマ島綺譚」をも彷彿とさせるので、つい苦笑。ストーリー展開で行き詰る可能性はあまり無さそうだったのに、連載中「乱歩白髪鬼」は三回も休載した。「黄金仮面」が完結して乱歩の精魂尽き果てた感がハンパ無い。







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