2023年1月12日木曜日

『横溝正史翻訳セレクション/赤屋敷殺人事件』A・A・ミルン

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論創海外ミステリ 第290巻
2022年12月発売




★★★★  扶桑社文庫版『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』の
                続巻たるカタチで読みたかった




本作に登場する素人探偵アントニー・ギリンガムはいわゆる金田一耕助の元ネタな存在だと云われているわりに、読めば誰でもわかるけれども、ギリンガムの風来坊的な登場のさせ方とか、彼のちょっとした発言内容にそれらしきものが嗅ぎ取れる程度で、焼き直しと呼べるほどの共通点は両者には無い。

その点よりも、ミステリ作品の数は少ないのにシャーロック・ホームズのパロディを物しているAA・ミルンがドイルを意識しつつ、自分なりのオリジナリティを盛り込みながらどのようにホームズ&ワトソンのパターンを発展させた本格長篇を書こうとしているか、自然とそちらのほうが気になる。犯人や周辺キャラの存在感はさほど強くはなくて、ギリンガムと相棒であるビル・ビヴァーレイのタッグ関係が結果的にやっぱり目立っている。

 

 

                     



1921年(日本だと大正10年)に書かれた長篇だけに、物足りなさもチョコチョコ見受けられるのは事実。事件冒頭で赤屋敷から外へ出た某登場人物が(目的の場所へ行くには遠くなる筈の)建物の左側へなぜ走ったのか?とか、小間使・エルシーが耳にした「今度は儂の番だ!」というマーク・アブレットの謎の言葉とか、いくつかの謎を張り巡らせているミルンの努力は十分買うけれども、「あと何人かは容疑者がいてほしいな」とか「ウーン、ここはもっと論理的であってほしいな」と思わされる箇所がある。ルルー「黄色い部屋」の約二十年後に書かれた作品だし、評価のハードルは少しだけ高くなりがち。

 

 

 

それになんたって、この横溝正史訳は博文館の月刊誌『探偵小説』に掲載するため完訳の六割位に凝縮されたヴァージョン。章が進むにつれて、喰い足りない部分が発生してしまうのは仕方がない。とはいえ横溝訳の後に手掛けられた(戦前~戦後にわたり数種の単行本が出ている)妹尾韶夫訳もあるし、新しいものではつい最近出た2019年新訳版『赤い館の秘密』(創元推理文庫)など、この長篇を読む為の単行本は(古書を含めるならば)よりどりみどり。こだわって読むのなら好きな訳/好きな単行本を選べばいい。本書はあくまで横溝正史訳を欲する人向けのもの。


 

                    

 


それにしても「横溝正史翻訳コレクション」のタイトルで思い出すのは2006年にリリースされた扶桑社文庫〈昭和ミステリ秘宝〉『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密。あれは内容・造本共に大変好ましい作りだったし、あのシリーズ内で「横溝正史翻訳コレクション」が続刊されるを私は楽しみにしていたのだが結局叶わず。正史の翻訳作品が収録された単行本が再び世に出るのを本書が出るまで実に16年も待たされなければならなかった。横溝正史を好きな者なら殆どの人が持っているに違いない緑304時代の旧角川横溝文庫をテキトーな改装新版として現在再発し続けている角川書店も相当のアホだけれど、既に持っている旧角川文庫とほぼ変わらない本の再発版を嬉々として買って喜ぶ金田一オタの気持ちが私にはさっぱり理解できない。あれ、買う価値がどこにあるのかね?

 

 

 

そんな訳で、横溝訳「赤屋敷殺人事件」単行本初収録とはいえ、いくらなんでも待たされる年月が長すぎたような気がする。扶桑社文庫『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』から16年はないよなあ。常々言っているように、いくらネットでやれ横溝だ金田一だと騒いでいる連中がいても、こういう翻訳ものだと買う人は限られてしまう。横溝オタの、ミステリに対する興味なんてその程度のものだから。



 

 

 

(銀) 論創社は2020年のツイートで〝「赤屋敷殺人事件」を出す際には(同じ横溝正史訳の)「紅はこべ」とカップリングにする〟と予告していたが( 下の画像をクリック拡大して御覧下さい)、本書は「赤屋敷殺人事件」しか収録されていない。正史訳の長篇には他にもランドン「灰色の魔術師」があるし、アントニー・ホープ「風雲ゼンダ城」だってある。さらに翻訳した短篇ものとなると、かなりの数が存在している(『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』の巻末を参照)。なんで今回「赤屋敷」しか収録しなかったんだろうか?





 

本書には校正も担当している浜田知明の解説が付され、書誌データも載っているのだが、その中にある注釈が読む人に誤解を与えそうなので、ここに一筆書いておく。本書2218行目にある(注6)そして13行目にある(注7)は、前者が(注7)で後者が(注8)の間違いでは?加えて昭和40年代に刊行された講談社版『世界推理小説大系』につき、正史が監修者として名義貸し以上の役割を果していたことが判明したと浜田は書いており、その根拠として、注7で〝くまもと文学・歴史館所蔵の乾信一郎氏宛書簡による。【横溝正史書簡(乾信一郎宛)解説動画】としてYouTube上で順次公開中。〟とも述べている。

 

 

 

しかし2023112日現在、くまもと文学・歴史館がupしている関連動画は5本だが、その5本のどれを見ても講談社版『世界推理小説大系』に対し横溝正史が監修者としての名義貸し以上の役割を果していた事について言及されてはいない。一応(昨年当Blogでも紹介した)同館企画展配布資料『横溝正史書簡(乾信一郎宛)目録』10頁を開くと、1973年(昭和47年)1216日付書簡内容欄には〝講談社「世界推理小説体系(ママ)」監修で完訳の価値を知る。〟とあった。浜田はこの日の書簡内容を根拠にしているのかもしれないが、『横溝正史乾信一郎往復書簡集』なる書物がいまだ完成していない以上、この浜田発言は注意を要する。