これ以上の内容を望むのは難しい程によくできた、この『光文社文庫版江戸川乱歩全集』全体について触れておきたい。大乱歩没後、講談社より度々全集が世に放たれ、三度目の『江戸川乱歩推理文庫』に至っては、遂に幻の『貼雑年譜』までも刊行。しかし『推理文庫』の内容にはいささか問題があった。書中にある「初出時の原文のまま掲載」が売りである筈のテキストが実はそうではなく、戦前の軍部により扇情的と見なされ削除・訂正を余儀なくされた箇所は手付かずのままだったのだ。
それから十年以上の時が流れ、光文社より最強の布陣で新『乱歩全集』がベールを脱いだ。前述の削除箇所を復元するのみならず、初出以来のテキストの変遷を徹底比較した「解題」、乱歩小辞典と言ってもいい「註釈」。「解題」「註釈」「解説」だけを目当てに購入しても全く問題ない。監修者はミステリーファンなら、その名を知らぬ者はない新保博久と山前譲。両氏を乱歩邸に通わせ、膨大な乱歩蔵書のデータ化を指示した故・松村喜雄が生前切望していた真の意味での全集がついに実現した訳だ。
強いて言えば巻末エッセイ「私と乱歩」を全て小林信彦に託し、全集では収録しきれない編集者乱歩の隠された側面や作品論を展開してくれたら・・・とも思うがこれは贅沢と言うもの。資料性の高さ、デザイン・造本の魅力、比類なき全集である。将来これを超える『乱歩全集』は果たして出るだろうか?
(残念ながら第4巻初版の「孤島の鬼」にてごく一箇所のみ編集部によると思われる語句の手入れが発見されている。当初の方針どおり必ず再版で訂正するべし。)
(銀) 本全集第4巻の「孤島の鬼」における〝皮屋〟というワードの削除が再版ではどうなっているか確認するのを忘れていて、自分の怠惰が実に恥ずかしい。小林信彦が『週刊文春』の連載エッセイでこの全集について触れたことがある。クオリティの高さは認めつつ、本全集の解説に「乱歩は雑誌『宝石』の編集長を嬉々としてやっていたのだろう」と書かれていたのを、現場で見ていた生き証人の小林は「下げたくもない頭を下げたり、編集長としての乱歩にとって決して楽しい事ばかりではなかった」と諫めている。