2020年10月31日土曜日

『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』ダグラス・G・グリーン

NEW !

国書刊行会  森英俊・高田朔・西村真裕美(訳)
1996年11月発売



★★★★    今では入手難かもしれないが、
         これを読まずにカーの研究は先へと進めない



古本乞食の森英俊さえ関わっていなければ5つ以上の★を献上したいぐらいファンにとっては必携のダグラス・G・グリーンによる評伝。何が良いといって作家のヒストリーを語るのみに偏らず発表された作品が時代ごとに丁寧に分析されているのでカーの上級者でなくとも読み易い。矢張探偵小説家の評伝ならば、その作家の書いた数々の小説がどんな風に受け止められ、どのように論じられているかを味読できるのはなによりも楽しい。

 

                    🚬


江戸川乱歩【カー問答】を始めとする、かつて日本人の提言してきた「カーならこれを読め」的な作品論にはいまひとつ納得のいくものが無かった。それに比べると本書で述べられている論考には思いのほか自分の読後感と一致するところが多く、自然に受け入れられる。ちなみにこんな一節があるので紹介しよう。

 

「この時期(注:一九四〇~一九四三年)の著書のなかには、カーの最高傑作に匹敵するもの(あるいは、それに近いもの)がいくつかあった。『連続殺人事件』、『九人と死人で十人だ』(注:『別冊宝石』にて初翻訳時のタイトル)それに『貴婦人として死す』である。読者をペテンにかけているものでさえ、しばしば人間的な感情を揺さぶらずにはおかない。」〖☞本書281頁を見よ〗

 

カーに限らず他の探偵作家の場合でもそうなのだが私は世間というか他人がどういう評価をしているんだろうかなんてさして気に留めない性格なもので、単に情弱で知らなかっただけかもしれないが、『貴婦人として死す』はまだしも『九人と死で十人だ』は戦後『別冊宝石』に掲載されただけで単行本の流通が無かったというハンデがあるにせよ、日本で絶賛されている感覚がちっともなかったから「へえ~、欧米の識者にはちゃんと評価されてるんだな」と再認識したことであった。

 

                     🚬


この本の巻末には【ジョン・ディクスン・カー書誌】というパートがあり、名義ごとに分類した著書やラジオ台本などの各種リスト、さらに日本国内で発売されたミステリ書籍でカーについて言及したパートのあるもの、カーを特集した国内雑誌も紹介されているので至極便利。

 

 

ただ惜しむらくは本書が出たのが1996年、『ジョン・ディクスン・カーの世界』(ST・ジョシ/平野義久〈訳〉)の出たのが2005年、そして今ではこの二冊とも現行本の扱いが無くなっているため、新しい読者がこれらを入手しようにもムダに高額な古書を買わなければならないのは気の毒。そろそろブランニューなカーの評論書が日本人の手で制作され、日本におけるカー作品の輸入のされ方と現在まで引きずっているその影響というか弊害を若い人にも伝わるよう書いてもらいたいな。




(銀) 全く根拠の無い私個人の体感だが、近年国内で発売される探偵小説関連の新刊のうち、小説を収録した本の数で比べると海外ミステリのほうが勝っており、本書のような評論になると逆に日本の探偵作家のもののほうが多く出版されているような気がする。とはいっても作家別に見たら江戸川乱歩とコナン・ドイルが突出して他を引き離しているのだろうが。



ただでさえ、こういうマニアックな本を出してくれる出版社は限られているというのに、政府が2021年4月から出版物総額表示(本体価格+税ではなく税込総額で表示しろということ)を義務化する予定という血迷った方針を進めているため、潰れる出版社がドンドン出てきても不思議ではないと云われていて。むしろ総額表示を強制させなくちゃならんのはこれから出される出版物ではなく、森英俊ともズブズブの関係であり、オークションに入札するのに参加費などと言ってわざわざ別料金を搾取しているまんだらけのようなインチキ業者の通販サイトじゃないのか。




2020年10月30日金曜日

『雷鳴の中でも』ジョン・ディクスン・カー/永来重明(訳)

NEW !

ハヤカワ・ミステリ文庫
1979年12月発売



★★★   彼らを転落死させたものは何か




車を運転していたら知らぬ間になにか地面にポタポタ垂れていた、なんて事がありますね。車のボディーにはいろんな液体が装備されていますが、さすがに私もそのすべては把握しきれてないのが実情です・・・。

1939年】

絶景の地として知られるベルヒテスガーデンには総統アドルフ・ヒットラーの所有する山荘〈鷲の巣荘〉がある。人気絶頂のハリウッド映画女優イブ・イーデンはナチスの賛美者。イブは総統に表敬訪問を申し出、運良く許可が下りたので彼女の婚約者ヘクター・マシューズと共に山荘を訪れる。総統との午餐に際しイブは美術館長であるジェラルド・ハサウェイ卿を招待していた。

 

 

そして総統が到着するのを待っている間イブはマシューズを眺めの良いテラスへ連れ出し、二人は低い手摺のそばに。この時ハサウェイ卿ともうひとりの部外者である若き女性ジャーナリスト/ポーラ・キャトフォードはテラス続きの部屋の中にいた。山荘の警護隊は次の瞬間誰かの悲鳴を耳にする。調べるとマシューズがテラスから30m下へ墜落し死んでいるのを発見。しかし何故マシューズが高台のテラスから落ちたのか、誰にも理由がわからなかった。

 

                    


1956年】

戦争が終わり、イブはハリウッドへは帰らなかった。彼女は、昔花形だった老俳優デズモンド・フェリアーと結婚。デズモンドには前妻との間に生まれた息子フィリップ・フェリアーがいる。

 

 

本作の主人公ブライアン・イネスは旧友ド・フォレスト・ページから、娘のオードリーがスイス/シャンベリーの別荘へ行くのをなんとかして止めてくれと懇願される。その別荘へオードリーを招待したのは他ならぬイブ。ド・フォレストは1939年のマシューズの謎の死からイブのことを危険視していた。

 

 

にもかかわらずオードリーは山荘へやって来た。当時と同じようにハサウェイ卿とポーラ・キャトフォードも呼ばれている。それとは別にイブの夫デズモンドによって招かれていたギデオン・フェル博士の姿も。この別荘にも〈鷲の巣荘〉と同様に高台のバルコニーがある。ブライアン・イネスが不穏な様子に気付くとイブとオードリーが口論している。この時も二人のそばに居た者はいない。一閃の稲妻が光った時、イブは両腕を空中に伸ばしバルコニー下の樹海へと転落していった。似たような状況での、このふたつの死にはどんな意味があるのか?

ちなみにマシューズもイブも、遠くから銃で狙撃されたり変な光線を喰らって落っこちた訳ではないので念の為。墜落死の謎にばかり目が行きそうだが、この物語の中で起きている男女の仲にはそれなりの意味がある。しかしナチスやヒットラーという存在は、別になければならない必要も無く只のお飾りなのでちょっと残念。カー作品ではよく事件発生時に雷が落ちるのが常だし、ここではタイトルにも ❛ 雷鳴 ❜ と入っているからてっきり感電か何かの気象トリックが関係するのかと思って読むと、これまた無関係でうっちゃりを喰らう。

 

 

本作を紹介する際に〈フェル博士対ジェラルド・ハサウェイ卿〉の推理合戦が見所、みたいな事を言う人がいるが、そこまでの魅力と存在感をハサウェイ卿は持ち合わせていないし、なによりフェル博士も(作者カーと足並みを揃えて)年をとってしまったからか、ハサウェイ卿に好きなように言われっぱなしだったりして、どことなく威圧感に欠ける。それでも解決篇において全てのパズルのピースが収まるべき処に収まるのが快感だったので、どうにかこうにか★5つとした。ラストの謎解きまでモタモタしていたならもっとマイナス評価にしただろう。


                     

 

(銀) まったく同じ素材のままで本作がもし1940年代のうちに書かれていたら、解決篇に至るまでの会話ひとつひとつのメリハリといい登場人物のどれもハッキリしない態度といい、もっと高いテンションで引き締められたのではなかろうか。でもまあ、カーが亡くなる17年前の作品にしてはよく頑張ったということでここは前向きにねぎらいたい。

 

 

『囁く影』でフェル博士もメンバーの一人だと言及されていた、実際の殺人事件について研究 するサークル〈殺人クラブ〉がここでも登場。一方、これまでフェル博士と共に捜査に当たってきたハドリー警視は引退していると語られており作品世界の中でも時の流れを感じさせる。




2020年10月29日木曜日

『曲がった蝶番』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

2020年2月29日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

創元推理文庫
2012年12月発売



   フリーキーな真相に対する可否さえ押し倒す
             巻を措く能わざる面白さ




変装・・・同じ変装とは言っても何かを着たり付けたり被ったりする〝足し算の変装〟だけではなく〝引き算の変装〟というのもあって・・・。

この物語が日本で単行本になる際にかなりの頻度で表紙画に描かれる、何百年も前の機械仕掛けの自動人形。悪魔信仰サバトの象徴として〈金髪の魔女〉と呼ばれる、動く筈の無いこの人形がギデオン・フェル博士めがけて火車砲のように突進する・・・そして〝曲がった蝶番〟とは何の事なのか? 

                    


少年期から米国の親類筋に預けられていたジョン・ファーンリーだが、英国へ戻って爵位と財産を 継ぐ事になった。そんなある日「昔、客船タイタニック号の沈没時に一人の少年と身分の入れ替わりをしてしまったが、自分こそ本物のジョン・ファーンリーだ」と言って相続権を主張するパトリック・ゴアという名の男が突然やって来た。ふたりのジョン・ファーンリーによるイヤ~な感じの対決。どちらの言っていることが真実?

 

 

と聞けば日本人はすぐ「犬神家の一族」の佐清を持ち出したがる。横溝正史は海外ミステリだけでなく、日本の戦前探偵作家が書いたネタさえも巧妙に自作に利用したが(他人の作品名を長篇の小見出しにパクっている場合もあり)、正史には本作『曲がった蝶番』よりも前に書いた「鬼火」というものがあるため、いくらカーを礼賛したといっても正史が本作を一本釣りで「犬神家の一族」のトレースにしたとは言い難い。

 

 

日本では江戸川乱歩が「パノラマ島奇談」「猟奇の果」で〝なりすまし〟というテーマを用いた作品を1938年発表の本作よりも前に書いていた訳だが、普通ならば〝なりすまし〟の素材だけで長篇一本成立するところなのに、カーの凄いのは更にフリーキーで複雑な殺害トリックをもぶちこんでくる貪欲さ。極上のステーキだけで腹いっぱいなのにトリュフまで添えてあるみたいな。

 

                     


ここでの殺人は一応〈衆人環視〉のクローズドな状況ではあるが、視力の悪い目撃者がいるのはまあいいとして夜の闇でハッキリしないから明快な〈密室〉状態というには少し苦しい。それと本作を読んでいつも思うのだが、読者への挑戦を煽るのであれば、たとえ簡素でもジョン・ファーンリーがバッタリ倒れこんだ池を囲む屋敷の図があったほうがフェアな気がする。

犯人の現実離れした手口には「特撮じゃあるまいし、そんなこと可能なのか」と言う人もいそうだし「この結末で終わっていいの?」と言う人もいるだろう。私は私で今回の新訳によるラスト第四部で、ある人物の「×× ね」「×× ですよね」と変に馴れ馴れしい口調の翻訳には違和感があったけど、カーがただのトリック・メーカーでは終わらない〝物語の名手〟であるのを証明する代表作のひとつなのは間違いない。


 

 

(銀) 本作を読んでグッとくるものが何も無かったら、その人はカーのどの探偵小説にトライしてみてもきっとダメだろう。それぐらい人気も認知度も高い傑作。絶頂期のカーは多少綻びがあってもストーリーテリングの上手さでねじ伏せてしまう力強さを備えている。昨日取り上げた同じ年に発表した前作『死者はよみがえる』と比べてもプロットに無駄が無いし、実際にはありえないロジックもついつい納得させられてしまう点でこちらのほうがはるかに出来が良い。ただ脂が乗っているうちはいいが後年になるとその辺の衰えが顕著になってくる訳で、それについては次の記事で語ることにしよう。




2020年10月28日水曜日

『死者はよみがえる』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

NEW !

創元推理文庫 名作ミステリ新訳プロジェクト
2020年10月発売



★★★    こんなアンフェアは楽しめない




「偶然や第六感で事件を解決してはならない」

「読者に提示していない手掛かりを用いて解決してはならない」

 1928年にロナルド・ノックスは探偵小説の創作に臨んで作家が守らなければならない十の指針を提言しました。中にはこんな条項もあります。曰く「犯行の現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない」・・・・・・・・・。二つどころか一つでもあったらそれはアンフェアなのではないでしょうか。

私のBlogでは露骨なネタバレが無いように配慮して書いていますが、この『死者はよみがえる』の場合はどうしても黙認できない箇所があり、その部分を語る為には謎の核心に触れざるをえません。犯人の名前は書きませんがそれでもやはりネタバレにはなるので、本作の真相をちょっとでも知りたくなければこの記事はお読みにならないで下さい。

 

                   🔥

 

友人の実業家ダニエル・リーパーから「体一つのNo Moneyで、ヨハネスブルグ(南アフリカ)からロンドン(イギリス)まで、その間労働で金を稼ぐかヒッチハイクで旅をやり遂げろ、約束の日に指定したホテルのスイートで落ち合えたなら千ポンド出そう」という馬鹿馬鹿しい賭けを受けたクリストファー(クリス)・ケント。空腹でフラフラになりながらもクリスは約束の前日に無一文でそのホテルへ辿り着いた。既にチェックインしている客のふりをして無銭飲食をしてしまった彼は思いもよらぬトラブルに巻き込まれてしまう。

 

 

ホテルのポーターはクリスを707号室の客だと思い込む。ポーターは直前に707号室に泊まっていた米国婦人から「室内に忘れたブレスレットを取ってきてほしい」と要請されていたのだが、部屋のドアノブに〝Do Not Disturb〟札が下がったままになっているため婦人の次の泊まり客の許可無くして勝手に入室できない、それゆえ抽斗の中を見てきてほしいとクリスに伝えたのだ。

 

 

正式な客でない事がバレるとまずいクリスは覚悟を決め707号室に入ると、部屋の奥に置かれた衣装トランクに叩きつぶされた顔を突っ込んだ状態で、横向きになって死んでいる女性が。後で読者にも知らされるのだが、被害者はダニエルの政治秘書でクリスの従兄弟でもあるロドニー・ケントの妻ジョセフィーンだった。更にこの事件の数週間前には、ダニエルの友人ジャイルズ・ゲイ卿の屋敷にてロドニー・ケントが絞殺され、そこでホテルマンのような制服を着た人物の姿を見たという報告が上がっていた。

 

                    🔥


こういう出だしだと主人公に降りかかる容疑を名探偵が晴らすみたいな話になりそうだが、上記の707号室からポーターにバレずに脱出したクリスが十五分後にはもうギデオン・フェル博士のもとを訪ね、そこにハドリー警視も居合わせていたおかげで早々にクリスは〈シロ〉と見做され疑われる心配がなくなるという、序盤からなんとなく安直なこの展開が気にくわない。

 

 

好みの作品ではないので軽めに流して説明すると犯人は実に意外な人物だった。しかしその犯人が殺人現場へ侵入するのに実は〈秘密の出入口〉があったというズルいオチがあって、我が国の荒唐無稽な通俗長篇ならともかく、カーがこういうチープな手段を使っちゃいかんだろ。本作を褒める人は「〈秘密の出入口〉が作られていてもおかしくはない」という意味の伏線は一応あるというが、そんなものが作られている可能性を前半で示唆していたからといって「ウンそれならOK」みたいな考えに私はなれない。

数年後に書かれた「獄門島」とも共通する ❛ ある趣向 ❜ については悪くない(横溝正史にパクられた?)。それとは別にホテルと警察の制服が見間違うほど似ているなんて我々には想像もつかないもんなあ。〈秘密の出入口〉〈二種の制服〉問題の他にも納得がいかぬ点が多いので大きく減点。但し和爾桃子の訳がひどい最近の創元推理文庫のバンコランもの(特に『絞首台の謎』)でさえ★3つにしてしまったんで、本作をそれ以下の★2つにまで貶めるのは忍びなかった。



(銀) 原題「To Wake The Dead」。延原謙による旧訳時代のタイトルは「死人を起こす」。どっちにしろ探偵小説のタイトルとしては申し分ない。然は然り乍ら、ヨハネスブルグからロンドンまで旅をさせるという賭けそのものがストーリーの中でたいして意味を成していないというその点もガッカリなんだよなあ。



本作は江戸川乱歩からお褒めの言葉があり、それを鵜呑みにした戦後の読者がその評価をずっと継承してきたのかもしれないが、その乱歩の感想に関しては江戸川乱歩推理文庫第64巻『書簡 対談 座談』の中の乱歩と井上良夫の手紙のやりとりで構成された【探偵小説論争】や、光文社文庫江戸川乱歩全集第26巻『幻影城』123頁【ジョン・ディクソン・カー】の部分を参考にするとよかろう。【カー問答】はここでは触れないでおく。



者の『幻影城』で乱歩は本作について、こう述べている。「横溝正史君がカーの最傑作とするもの。故井上良夫君もこの作を推奨していて、私は二度読んだが、飛切り面白いくせに、合理性に於てどこか満足しない所があった。しかも、それがどの点にあるのか、二度読んでもハッキリ指摘できなかった。」



とすると過大評価の元は、洋書で読んだ正史が「こりゃ凄いでっせ、乱歩さん」と騒ぎ立てたかどうかはしらんけど、乱歩もそれに乗っかって自分の随筆の中で「死者はよみがえる」を高評価だと思わせるような文章を書いちゃったのかもしれない。その後あたかも乱歩の言葉だけが一人歩きしているが、実際に「死者はよみがえる」の殺人手段を自作に流用している位だし過大評価の原因は正史にもあるのではないか。




2020年10月27日火曜日

『九人と死で十人だ』カーター・ディクスン/駒月雅子(訳)

2020年2月4日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

創元推理文庫
2018年7月発売



 【戦時下サスペンス航海小説】の仮面を被った本格もの



印鑑をキレイに押すのが下手だったりしないですか? まさに私がそうです。まっすぐ押そうとしてなんとなく歪んでしまったり、朱肉に印面をつけ過ぎたり、反対につけるのが薄かったり。シャチハタや拇印なら問題ないんですけどね。拇印といえば・・・。

本作は『白い僧院の殺人』『ユダの窓』後の事件。アメリカ東海岸からイギリスへ、爆撃機四機と高性能爆薬を輸送する大型客船エドワーディック号。ひとたび北大西洋へ出たら敵国ドイツの潜水艦にいつ攻撃されるかわからぬ〝死と隣り合わせ〟の海上の旅、乗船する訳ありの客はほんの数人たらず。命懸けの航海に出航して二日目、マックス・マシューズは発見した。喉元を残忍にブチ切られたエステル・ジア・ベイ夫人の屍体を。頼るべき警察はいない。屍体にクッキリと残る血の指紋。

 

 

数少ない乗客に容疑は絞られて正確な指紋採集が行われるが、屍体上のものと一致する該当者がいない。ボート等を使って海へは逃げられぬクローズドな状況なのだから、犯人はまだこの船の中にいる!では誰の仕業によるものか? そんな中、エドワーディック号にはもうひとり隠れたる乗客がいた・・・体重二百ポンドのあの人物、ヘンリ・メリヴェール卿(H・M)だった・・・。

 

                    


作者カーが序盤で匂わせているように、誰かが出航時に全乗客をもれなく観察しておけば事件は防げたかも。この事がすべてのトリックに繋がっていくので、気に留めながらページをめくって犯人のたくらみをあばいてみてほしい。動機が軍事スパイと関係あるのかないのか、そこも最後まで読んでのお楽しみ。

 

 

甲板でマッチ一本つけることも憚られる荒れた漆黒の海原と閉ざされた船中の不安な空間。トリックもさながらその雰囲気描写が完璧、時間にゆとりがあれば一日で一気に読み終えられるほどに面白い。もちろん堂々たる〝本格〟探偵小説だし、あるいは第二次大戦時下のサスペンス航海小説として読むのも可能。

 

 

原題は『Nine – And Death Makes Ten』といい『九人と死で十人だ』と人数を強調することでここでもカーは読者に目くらましを仕掛けているのだろう。もっとジャストなタイトル訳がありそうにも思うけど。

エンディングで謎解きを求められたH・Mは、私語が多くおとなしく耳を傾けようとしない人々を怒ったり、推理の説明を終えて「感謝のかけらもない!」とムクれる大人げないキャラクターで読者を笑わせる。こんな人に私はなりたい。解決後の謎解き場面で矢鱈周りの人々を立てて謙遜がいちいちわざとらしい金田一耕助より、いいひと感の押し付けがないこの罵詈雑言男のほうが名探偵としてふさわしい。




(銀) こんなにスリリングで気持が高ぶる長篇なのに我が国で正式に単行本になったのは99年の国書刊行会版。そのくせ本作に比べたらずっと出来の悪い「死者はよみがえる」のほうが戦後江戸川乱歩が高評価したおかげで本がずっと流通していたのだから、日本の読者はどれだけ不幸だったことか。



国書刊行会版の訳者も同じ駒月雅子であったが、今回の文庫ではかなり訳文を全面改稿しているそうなので、国書刊行会版を既に所有していても本書を改めて読む価値はある。戦時下における武器輸送船という1940年代前半特有の世界情勢を、よくもここまで本格ミステリの背景に活かしきれたもんだ。カーの場合、終戦後の望ましくしくない翻訳や紹介の仕方のせいで日本では本作よりずっと面白くない作品が過大評価されていたりするから、他人の言う事など信用せず色々なカー作品を読んで自分の感性で良し悪しを判断してみて。




2020年10月26日月曜日

『囁く影』ジョン・ディクスン・カー/斎藤数衛(訳)

2020年6月1日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

ハヤカワ・ミステリ文庫
1981年6月発売



★★★★★   フェイ・シートンという誘蛾燈



犬は標的を「匂い」で覚えさせられます。彼らにも視力はありますが記憶のベースは殆ど臭覚。ドイル『バスカヴィル家の犬』では、犯人がこの世から消してしまいたい人物の匂いを覚えさせられた怖ろしい魔犬に追っかけられて、ある人物は崖から転落死させられてしまいます。もし犬にも仕留める前に目で確認する習性があったなら・・・。本作の場合、犬ではなくて・・・。

『囁く影』は文中で時間軸を前後させストーリーが進行するので、ここでは発生する事柄を時系列に並べ直してみよう。ギデオン・フェル博士と同じ<殺人クラブ>のメンバーであるリゴー教授は下記に述べるどちらの事件現場にも居合わせており、特に第一の事件のあらましは回想としてリゴー教授の口から読者へ伝えられる部分が多くを占めている。

 

 

✤ フランスのシャルトルという町。皮革業主で、当地の名士である英国人ハワード・ブルック。溺愛されている愛息のハリーは父ハワードが秘書として雇った、言葉にならぬエロティシズムを湛えた女性フェイ・シートンと婚約するが、一方で彼女を「不品行」だと誹謗する噂も。そうこうするうち、入口とその周辺が衆人環視された古塔の上でハワードが刺殺される惨劇が起きるが、塔上での肝心な瞬間を目撃した者がなくフェイに容疑がかかるものの証拠不十分で逮捕されず。その年の暮にハワードの妻もこの惨劇のショックで亡くなり、あたかも欧州では戦争勃発。召集されたハリーはこれまた戦地で命を落としてブルック家に帰ってこなかった。

 

 

  第二次大戦の終息。イギリスは戦勝国だったが、街並も人の生活も変わった・・・。<殺人クラブ>の集会に招待された本作の主人公マイルズ・ハモンドは女性記者バーバラ・モレルと共にリゴー教授の話によって第一の事件を知る。そんなマイルズが司書を募集したところ、運命の悪戯でやってきたのはあのフェイ・シートンだった。フェイがハモンド家に腰を落ち着けた夜、突然リゴー教授とフェル博士が車を飛ばしてやってくる。その理由をマイルズが問い質しているうちに銃声が響き、マイルズの妹マリオンを奇禍が襲う。

 

 

ハヤカワ・ミステリ文庫版は2020年の今、現行本流通無し。読みたくても古本を探すか電子書籍しかない。『囁く影』もまた、我が国で盛んにカーが翻訳された195060年代の状況と違って年々評価が上がってきた中期の逸品なのに新刊書店で買えないってのはおかしいし、当分新訳を出さないんだったらせめて適度に増刷すればいいのに。この斎藤数衛による訳は昭和のものだがマイルズ・ハモンドの同一カギカッコ内のセリフで第一人称「わたし」と「ぼく」をゴッチャに 言わせている箇所が二、三ある以外は読みにくい文脈もないし、そこまで悪くはないと思う。

 

 

日本の探偵作家のこういう長篇は二時間ドラマみたいにドロドロするか、あるいはキャラ立ちが淡白でロマンの無いものになりがちだが、カーは不可能犯罪とオカルティックな吸血鬼疑惑を軸として筆を進め、メロウネスとのバランスもとれている。本作でも「 ×× を × で ×× された 人間が他人に×られずにいられるのか?」と私は一言毒突きたくなるのだが、そんな時ほどカーの長篇は面白い。

 

 

またフェイ・シートンの外見設定からして顔がとびきり美形とか男好きのする肢体とかじゃなく、一見普通っぽくも見えるけれど多情で脳裏から離れなくなる何かを持っているというこのリアルな造形がGood。一生異性に縁の無い<古本><アニメ>オタクのような人種とは違って、カーはオンナのことをよくわかってらっしゃる。

ダグラス・G・グリーンのカー評論ではニンフォマニアと呼ばれているフェイ・シートン嬢。単純なラブ・ロマンスなどではなく〝誘蛾燈〟のような女に引き寄せられていく男の運命や如何に? 



 

(銀) とりたてて扇情的な描写が書かれている訳でもないのに、そこはかとないフェイ・シートンの存在が素晴らしい。加えてハワード・ブルックの死がいつものインドアな密室ではなく塔上で起きている点、次の事件が発生するまで世の中が第二次大戦に巻き込まれていることの意味、こういったひとつひとつの仕掛けもアトラクティブに機能しており実にお見事と言うしかない。カーの戦後作の中では屈指の面白さ。




2020年10月25日日曜日

『弓弦城殺人事件』カーター・ディクスン/加島祥造(訳)

NEW !

ハヤカワ・ミステリ文庫
1976年4月発売



★★★★   ジョン・ゴーント、弓弦城の謎を解く



甲冑。それは目の前にしたシチュエーションによっては背筋の寒くなるような物体なのかもしれません。さて本作、弓弦城内で「甲冑が階段の途中に立っていた」との目撃証言が。甲冑はどのような役割を果たすのでしょう?

十五世紀に建てられた弓弦城。病的な〈中世の武器〉コレクターである現在の当主レイル卿ことヘンリィ・スタインが暗い甲冑室にて、弓の弦で首を固く締められて異様な姿勢で殺害される。甲冑室の扉の外にはマイクル・テヤレイン博士が居たのだが、出入りできる処は他に無く不審といえるような侵入者は目撃されていない。間髪を入れず「城内で立っている甲冑を見た」と口にしていた迷信深い女中ドリスも手に真珠の首飾りを持ち絞殺されて別の場所で横たわっているのが見つかる。彼女は誰かの子供を身籠っていた。

 

 

殆ど蝋燭ばかりの城内ライティング、屋内の音さえ消してしまう程の瀧の水流の響き、事件発生の前になくなっていた弓の弦、そして籠手。舞台仕立てと小道具は準備万端、物語開幕の設定は悪くないし更にもうひとつ殺人が発生するサービスもあり。執筆するカーの頭の中の光景を読者にも共有させるためには文中に図書室/甲冑室/バルコニー回りの平面図があったほうがフェアなのだろうが。



せっかく思わせぶりな甲冑という切札があるのだし、絶好調な時のカーならもっとこの小道具を使って幽霊甲冑の恐怖を否が応でも推し進めるのだろうがその方向には徹底せず、はたまた不可能犯罪としての駆け引きも、出すカード出すカードどれもうまくいっているとは言えず。

本格ミステリを読んでいて途中で犯人を当ててしまう洞察力など私にはないけれど、この作では(たまたまだが)中盤で漠然と狙いを付けていた人物がそのまま的中してしまい、終盤にてテヤレイン博士が待ち構える緊迫した暗闇の甲冑室に忍び込む犯人の正体が明らかになっても驚きの度合は小さかった。本日の記事は冒頭で【甲冑】をネタにしているが、最初ネタにして書きたかった小道具は【甲冑】ではなく本当は【×××】だった。しかしこの【×××】をハッキリ書いてしまうと犯人の名をバラすのとほぼ同じ結果を招いてしまいかねない。あれこれ語りたい部分に触れられないのがもどかしいが、ここはスッパリ諦めて総評を下すとすれば★5つまでもう一息の出来。




(銀) 1934年発表の、わりと初期に属する作品。ジョン・ゴーントはどちらかといえばフェル博士/HMよりもバンコランっぽいシュッとした男性。本作一度きりの登板に終わってしまったので、彼の外見や略歴などを記録しておこう。

 

 

旧式の晩餐服のボタンをすべて留め黒い襟巻のようなネクタイを着け、シャツの前にはモノクル(片眼鏡)をぶら下げている。身長は高く痩身、頬骨が高く頭が長い。短い顎鬚をたくわえ広い額の銀髪オールバックで灰色の瞳を持つ。酒好きでメランコリーな雰囲気を漂わせ、いわば年老いて厭世的になったダルタニアン。



ジョージ・アンストラザー卿の言によれば、ジョン・ゴーントは「英国ではじめての犯罪学上の天才」「ロンドン警視庁とも繋がりはあったが、妻を失くしてから突飛な行動を起こし警視庁と手を切ってしまった」「バーンハセット子爵の三男という裕福な家柄なのでもう探偵仕事はせずここ数年は世界漫遊をしている」との事。




2020年10月24日土曜日

『十二人の抹殺者』輪堂寺耀

2013年12月1日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版 ミステリ珍本全集② 日下三蔵(編)
2013年11月発売




★★★★★  ・・・謹みて死春の御慶芽出度く申し収め候・・・





ミステリ専門古書店やヤフオクで十万という暴価で取引されてきたこの超レア本が、やっと誰にでも入手できる時が来た。本全集第一巻『忍法相伝73』は作者の山田風太郎が生前徹底して再刊を拒んだだけの事はある駄作だし、自分の興味の対象外ゆえ特に一言述べることも無くスルーしたが、第二巻の輪堂寺耀となるとそうはいかない。

 

 

✪ メインの長篇「十二人の抹殺者」(昭和35年)は、隣接する邸に住む親戚同士の結城家と鬼塚家の十二人全員に禍々しい謎の年賀状が届くところから幕が上がる。矢継ぎ早に繰返される下手人に逃げ場が無い筈の殺人。トリック解明が後半でまとめて一気になされずひとつひとつの事件ごとに行われるのが、本格の定石からすれば何とも風変り。これが発表されたのは松本清張がベストセラーになり従来の探偵小説から社会派ミステリへと趨勢が変わっていく年代であるのを頭の片隅に置いて読んでほしい。要するにこの頃、探偵小説はもう時代遅れな存在だった。

 

 

ピアノの上に椅子を置く?とか、ここに書かれている施錠のからくりは本当に可能?とか、状況設定が所々気にかかる。トリックのオリジナリティもそこまで唯一無二ではない。しかし其の割には意外に丁寧な描写とフーダニット興味で存分にクライマックスまで引っ張ってくれる。本格派として名が知れているどころか、これまで素性さえよくわからなかった幻の探偵作家がこのような作品を遺していたから〈珍本ミステリ〉として再発の対象とされる機会が巡ってきた訳だ。

 

 

✪ もう一つの中篇「人間掛軸」(昭和27年/単行本初収録)、こっちはいろんな意味でヤバイ内容。「十二人の抹殺者」にエロがあるなら、本作は猟奇ムードに満ちグロもあり。「十二人の抹殺者」の中盤過ぎでわずかに感じた冗長さが「人間掛軸」にはなく、一体真犯人は誰なのか?終盤のうねりが凄まじい。二作ともジェットコースターのような連続殺人発生に対し、捜査陣と探偵・江良利久一はそれを食い止める事ができない。

 

 

少々歪な面が見られようとも ❛ 探偵小説の鬼 ❜ 達の大好物な要素がこれでもかと詰め込まれている。バッタもん・・・あ、いやカルト作には違いないが読むに値にしないと斬って捨てるほど破綻した珍作の感じはしない。本書に文句があるとすれば、内容が相変わらず自己アピールなだけの芦辺拓といつも変な日本語しか書けない若狭邦男の【月報】寄稿だけ。読者は輪堂寺耀その人についてもっとよく知りたいのに。

 

 

これは尾久木弾歩その他の別名義分も含め、輪堂寺耀のまだ残っているものを整理して出さないとダメだろ。ミステリ珍本全集は第五巻に大河内常平、第六巻は大阪圭吉が予定として控えており、今後の展開が非常に楽しみになってきた。




(銀) 輪堂寺耀はペンネームがひとつではなさそうだからまだ知られていない小説があるかもしれないけれど、現在彼の著書の中でもっとも旧いと認識されているのは輪堂寺耀名義による長篇『印度の曙』(昭和17年/啓徳社出版部)。



『印度の曙』は主人公・大島國五郎がインドを舞台に活躍する外地冒険小説で、日下三蔵は本書解題にて「推理小説的な興味は薄い」と書いている。確かにその見方は的外れではないが、日下がどこまでこの長篇を読んで発言しているのか知らんけど『桜田十九郎探偵小説選』『梅原北明探偵小説選』『中村美与子探偵小説選』、さらに全く探偵小説ではない大坂圭吉「ここに家郷あり」の初出テキスト版『村に医者あり』でさえもシレっと本になっている昨今のご時世、もしも『印度の曙』が読む必要無しと見限られているのであれば、さてそれはどうだろう?



自分としては『印度の曙』はもう持っているから無理に再発してくれなくても困りはしないが、(たとえ内容が低俗だったとしても)輪堂寺の未刊の探偵小説は洗い浚い集成して、新刊で出されるのをひたすら希望する。
    



2020年10月23日金曜日

『小栗虫太郎ワンダーランド』

2014年2月19日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

沖積舎
1990年10月発売




  虫太郎が苦手な方、まずはこの本から試してみては?



小栗虫太郎ガイドブックと呼ぶには、通り一遍な全作品の簡単な粗筋と読みどころを紹介する ような構成を本書はとっていない。しかし彼の小説を読む程の晦渋さは無くて、虫太郎にトライしようとする人ならおそらく或る種の偏屈さを持ち合わせているだろうから、丁度いい塩梅ではないか。



昭和11年春陽堂文庫『完全犯罪』収録の「コント」や小文「馬來風物誌」が旧仮名のまま復刻 収録されていたりする。また、東雅夫・山下武・長山靖生・荒俣宏らによる論考と彼らの虫太郎読書体験も。横田順彌は「難しくついていけなくて人外魔境シリーズ以外は投げ出した」と言い西原和海は「読んでいるとなぜか途中で眠くなってしまう」と語る。この二人はわりと正直だ。二上洋一による児童ものとしての「成層圏魔城」、田中邦夫が分析する虫太郎ペダントリーの 意味解読もためになる。

 

 

本書の白眉は虫太郎令息・小栗宣治による「小伝・小栗虫太郎」と、虫太郎研究者・松山俊太郎vs 本書の責任編集者・紀田順一郎による対談。前者は虫太郎の人間性・来歴・日常が絶対的  肯定調で述べられていて面白い。後者は教養文庫版『小栗蟲太郎傑作選』全五巻を編集・校訂 した松山が魔境ものをあまり評価していないだけでなく、法水麟太郎ものも概してあまり好き ではないなんて洩らしているヒネクレぶりに苦笑する。

 

 

普段から「悪文」だと言われるのに、特集本でさえこんな意見が飛び出してくるのだから、小栗虫太郎は実に厄介な作家だ。ただ、単なる礼賛に終始するよりこういう本音も読めたほうが信頼できる。虫太郎のあのゴテゴテして何を言ってるのかよくわからん文章が嫌いだという探偵小説ファンもこの本は手元に持っていて損はない。




(銀) 錚々たる識者でさえ「虫太郎はようわからん」と言っているのに、2017年に作品社から『〈新青年〉版黒死館殺人事件』という分厚い本が発売された時にSNSで騒いでいるのを    けっこう目にしたけど、彼らの中であの本を(内容を全部理解する以前に)隅から隅まで読み 通した人って果してどの位いたんだろう。本を買った事を毎度わざわざアピールする輩に限って中身はちっとも読んでないからな。




2020年10月22日木曜日

『変格探偵小説入門~奇想の遺産』谷口基

2013年9月22日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

岩波現代全書/013
2013年9月発売



★★      良くも悪くも岩波風探偵小説評論



お堅い【岩波現代全書】の一冊だから ❛ 入門 ❜ といってもいわゆる初心者向けガイドではない のは一般の読者にも察せられよう。実際ビキナー仕様では全くなくて上級者向けの評論を展開。 ミステリの世界ではどうも「本格探偵小説」を格上に見る、みたいな偏った傾向があるけれど、「変格探偵小説」はヴァリエーションも多くて奥が深い。                  本書では、谷崎潤一郎/江戸川乱歩/横溝正史/小酒井不木/夢野久作/橘外男/西尾正を各章の軸に置き、適宜その他の作家も絡めて「変格」の発生・概念・韜晦・拡散を述べる。

 

 

良かった点は、探偵小説における「実話もの」の意味を検証してくれたこと。                森下雨村・甲賀三郎・大下宇陀児・濱尾四郎らの座談会から「支倉事件」 → 牧逸馬 → 橘外男へ繋げるシークエンスはニクい技。余り俎上に載ることのない西尾正を採り上げたのも良し。  できれば瀬下耽あたりも扱ってほしかった。ブックガイドではないし誰も彼も取り上げるのは 無理だけども、(江戸川乱歩・横溝正史は外せないとしても)こういう評論で材料にされる主軸作家はいつも代わり映えがしないから。

 

 

逆に気になった点。著者の論述が、研究者ならともかく普通の読者には堅苦しく感じさせはしないか。単なる書誌学的な作家論ではないため自然とこういう論調になるのかもしれないが、  もう少し読み易い文章にしたらどうか。菊池寛や夏目漱石といった非探偵作家あるいは映画  メディア論など、探偵小説以外の材料が頻繁に引用されるので、難解そうな印象を与えている   ように思える。例えば長山靖生『日本SF精神史』権田萬治『日本探偵作家論』あたりと比べるとよく解る筈。

 

 

あと前作『戦前戦後異端文学論』でも見られたことだが、戦前探偵小説の精神が現代のエンターテイメントに及ぼしている影響など無理に総括に取り入れなくていい。いまどき奇想・反骨な ものなんて存在しやしないのだし私が谷口の著書で毎回目に付いてしょうがないのがこの部分。まあ、現代への影響という大義名分を掲げないと出版社に企画が通らないからなんだろうけど。


 

 

(銀) 日本における「変格探偵小説」というと例えば「人間椅子」みたいな、         所謂性的アプローチによる変態路線のDNAを谷崎潤一郎から江戸川乱歩が受け継ぎ、自作の中で発酵・定着させたので、多くの後続作家が「ああ、探偵小説でこういうのを書いてもいいんだ」と思ってしまった。こういうのは世界各国のミステリーの中でも特異な発展の仕方ではないか。

 

 

乱歩は随筆で「デビューして暫くは論理的な内容にこだわっていたが、そういうのを書いても あまりウケないから段々論理的ではない方へ行った」みたいな事を書いている。だが、       海外のクラシック・ミステリを読めば読むほど、昔の日本人は乱歩だけに限らず総体的にみて、複雑に入り組んだ謎の創造を小説に落とし込むのがどうも不得手だったとしか受け取れない。



白石潔は昔の日本人が探偵小説以上に馴染んでいた捕物帳を【季の文学】と定義したが、   そこには【人情】というウェットな情緒が通底しており、犯罪のロジックを構築する冷徹さとはベクトルが異なるような気がする。(本格路線を貫いた日本の時代小説長篇って無いでしょ?)また日本では作品発表の場の制約として、ミステリの醍醐味が大きい長篇でも雑誌や新聞連載で発表するのが当り前で、毎回ストーリーのヤマ場を無理して作らざるをえなくなり整合性が取れなくなる事が多かった。



では戦前から書下し長篇がもっと楽にできるような土壌さえあればよかったのか? いや例えそうだったとしても、日本のマーケットは貧弱なので専業作家として生きていける探偵作家なんて ごく稀だし、腰を据えて執筆業に専念し本格長篇を安定供給する事なんて出来そうもない。  とりあえず英米作家には一発当てれば英語圏のどこででも本が売れリッチになるチャンスがあるのとは大きな違いだ。



変格の奥深さについて書くべきなのに、逆に「なんで昔の日本の探偵小説シーンからは本格ものがバンバン生まれなかったのか」を嘆くような繰り言になってしまった。日本人による本格探偵小説の創作がイマイチだった原因を探り始めたら、それらしき理由はきっといくらでも見つかるのだろう。




2020年10月21日水曜日

『大衆文化』第二十三号

NEW !

立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター
2020年9月発売




★★  立教大/江戸川乱歩記念大衆文化研究センターの刊行物



西池袋にある旧江戸川乱歩邸は現在立教大学が管理している訳だが、立教の中には【江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター】という部門があり、年12回の頻度でリリースされる刊行物が 二種類ある。ひとつは『センター通信』という約12頁の冊子で、販売品ではないから関係者以外には知られていないだろう。もうひとつの刊行物が今回紹介する『大衆文化』という学術誌。  こちらのほうは池袋で販売されている場所もあるのでご存じの方もいるかも。



立教大学など限られた処でしか購入できないが、乱歩に関する論考/資料が発表されるので私は毎回楽しみにしている。立教が出しているからといってテーマを乱歩オンリーに限定している訳ではなく、決まり事さえ守れば時代問わずどんな作家・作品を論述の題材にしても良い。   そんな風に投稿の門戸は開放されているが、誌面に載る文章の執筆者はだいたいいつも立教の人あるいは他の大学関係者が多い。書いている人の職業など普段は気にする事も無いが、この雑誌の特徴を知ってもらうために本号執筆者はどこの大学に属する人なのか下段にて記しておこう。今回は岡崎京子の漫画「Pink」についての論文もある。さすがに岡崎京子論をやられても私は 全然嬉しくないが、それはそれとして。 

 

① 艶めかしき怪談 ― 江戸川乱歩「人でなしの恋」論(上) 

  石川巧(立教大学文学部教授)


② 江戸川乱歩「孤島の鬼」の着想を巡って 

  小松史生子(金城学院大学文学部教授) 


③ 岸田國士「かへらじと」を読む ― 移動演劇の作劇術  

  松本和也(神奈川大学国際日本学部教授)


④ 「Pink」から『Pink』へ ― 岡崎京子『Pink』論 

   村松まりあ(立教大学大学院博士課程前期課程) 

 

この中で②の「孤島の鬼」論のみ少しだけ触れておく。この作に登場する紀伊半島の各地は現実のどの場所を乱歩はイメージしていたか? 蓑浦金之助/諸戸道雄の命名のモデルは? 「孤島の鬼」創作に臨んで、乱歩は森鴎外の片輪者製造の話にインスパイアされている。「ヰタ・セクスアリス」こそがそれに該当する作品だと小松史生子は書いているのだが、もしいつも買うようなアンソロジーに鴎外を入れたなら、教科書に載っている文豪など今更読みたくないと思っている私のような横着者でも面白がって読めるだろうか?




(銀) 立教大学の乱歩センターが立ち上がってすぐの頃に旧乱歩邸を見学させてもらい、  乱歩が自宅に所蔵していた貴重な書籍なども手に取って見ることができた。その時格別の計らいをとってくださった落合教幸のおかげで『センター通信』と『大衆文化』は毎回送って頂いて おり、落合氏はじめセンターの方々にはただただ感謝。氏はてっきり乱歩センターの統括者に なるものだとばかり思っていたが、今はセンターに係わっておられないらしい。せっかく能力のある適任者だったのに。



2020年10月20日火曜日

『光石介太郎探偵小説選』光石介太郎

2013年10月6日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第67巻
2013年9月発売




    水谷準にダメ出しされ続けた男



処女作「十八号室の殺人」(昭6)だけは密室を使った本格らしき内容だが、光石介太郎は変格寄りの人。短篇二十一篇と随筆七篇を収録。帯に「乱歩の勧めで文学に転向した男」とあるが、 本巻を読んだ人は彼が純文学に向いていると思っただろうか?

 

 

「皿山の異人屋敷」など猟奇的なスリラーも多いがラストへ辿り着くまでに結果が見えてしまい最後に与えるショックがおしなべて弱い気がした。本人が自賛する「霧の夜」における、投剣の的にされ恐怖で縮んで消失するサーカス娘は江戸川乱歩「押絵と旅する男」のような自然な演出に見えなくて、「魂の貞操帯」のラストにも同じような不満。光石が乱歩大好きなのはわかるが『新青年』文体模写企画で乱歩を担当した「類人鬼」も果して似てるかな?

 

 

『新青年』の水谷準編集長になかなか原稿を採用してもらえなかったり、乱歩に「純文学の方へ行かないか」と言われてしまう話や、『ぷろふいる』作家との交友を回想した随筆篇の方が無性に面白い。この人は探偵小説・純文学に関係なくそこまで上手い作家とはいえず、清貧といえばよく聞こえるが乱歩や水谷準に金を借りたり、作家として自立できない不甲斐無さがあった。

 

 

それでも昭和50年『幻影城』に発表され本書創作篇を締め括る「三番館の青蠅」は「パノラマ島奇談」「鬼火」路線かと一見思わせラストシーンはグロいが、双子に生まれたため養子に出されて苦労した自分を投影したかの如く、晩年にしてはまるで青年期に書いたような押せ押せの勢いがあり、これが最も印象に残った。探偵文壇外から戦後執筆した「ぶらんこ」「豊作の頓死」「大頭の放火」「死体冷凍室」「あるチャタレー事件」も普通に探偵小説として読めるものだし木々高太郎が『シュピオ』で「光石を売り出したい」と言ったように、それなりに期待はされていた筈だった。




(銀) 光石介太郎は福岡で生まれ茨城でその生涯を終えた。戦前のある時期に光石が江戸川乱歩の弟子だなんて、乱歩の熱心な読者でもそんな風に見ている人はいないのでは?



あやふやな記憶だが論創ミステリ叢書の担当編集者が変わったのはこの頃で、それまで担当していた今井佑は残念ながら他社へ職場を移ったのではなかったか(違ってたら申し訳ない)。その後、黒田明という〈N市のK〉やら〈穂村サクラ〉やら何かとペンネームを変えて各所の探偵小説関連サイトBBSによく投稿していた人物が論創社に入社して後釜となる。第100巻までは横井司がずっと論創ミステリ叢書の主幹として居てくれたから、叢書の方向性や内容もまだ真っ当に機能していたのだが・・・。



2020年10月19日月曜日

『幻の名探偵』『甦る名探偵』

2013年5月15日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿


光文社文庫 ミステリー文学資料館(編)
2013年5月発売〈幻〉 2014年9月発売〈甦〉





★★★★   帯に謳っているほど、超レアな作品は無い




戦前における隠れた日本の名探偵を短篇で紹介するアンソロジー。まずはこのレビューを書いている時点(20135月)で現行本には未収録なこちらの三作から見ていく。


■ 私立探偵・帆村荘六 「麻雀殺人事件」(海野十三)

本書の中では最も知名度が高いであろう帆村の初登場作ながら、三一書房版全集『遺言状放送』以来の収録になる(注:本書リリース後、「麻雀殺人事件」は創元推理文庫『獏鸚 名探偵帆村荘六の事件簿』にも収録された)。


■ 法医学博士・志賀司馬三郎 「医学生と首」(木々高太郎)

大心池章次でなく志賀博士にしたところが渋い。チョイ役出演もあるが登場作品数でいえば志賀博士の方が大心池よりも多いのではないだろうか。ていうか木々作品を纏めた新刊本がいつまで経っても出ないので、「木々のシリーズ・キャラ作品が整理されるのを期待する」とか、そんなセリフを毎回書くのも、いい加減飽きてきた。


■ 私立探偵・木村清 「拾った和同開珍」(甲賀三郎)

甲賀といえば獅子内俊次、とも思うが彼の登場作は長篇が中心なので木村清ということか。それなら確かまだ単行本に収録されていない「消え失せた男」を入れてくれれば本書の価値がアップしたのに。


 

以下の五作は更にマイナーな探偵の面々。しかしこちらの探偵の方がすべて論創ミステリ叢書の各作家の巻に纏められており、今では現行本で容易に読めるという倒錯した状況にある。


■ 弁護士・花堂琢磨 「古銭鑑賞家の死」(葛山二郎)

■ 犯罪研究家・黄木陽平 「青い服の男」(守友恒)

■ 満洲大連警部・郷英夫 「競馬会前夜」(大庭武年)

■ 小学教師・吉塚亮吉 「素晴しや亮吉」(山下利三郎)

■ 青年探偵・秋月圭吉 「蒔かれし種」(あわぢ生=本田緒生)

 

とにかく地味なものもあるので初心者の方にはハードルが高いかもしれないが、明智小五郎・金田一耕助しか知らないビギナーの良い入口になって、それぞれの探偵のシリーズものを読むとっかかりになれば幸い。反面、コアな読者層にとっては今まで読むのが非常に困難だったといえるレアな短篇は無い。個人的には好企画だった『悪魔黙示録』『牟家殺人事件』に次ぐミステリ・クロニクルを出してほしかったのだが・・・。



 

(銀) 一年後に続巻として出た『甦る名探偵』では、戦後の日本の名探偵にスポットを当てている。この本はリリース時にAmazon.co.jpのレビューを書かなかったので登場する探偵と作品だけでもここに紹介しておく。

 

■ 警視庁捜査一課長・加賀美敬介   「霊魂の足」(角田喜久雄)

■ 犯罪研究科・伊吹憲太郎      「銃弾の秘密」(鬼怒川浩)

■ 学徒探偵・摩耶正         「不思議の国の犯罪」(天城一) 

■ 警視庁捜査一課係長・田名網幸策  「雪」(楠田匡介)



■ 警視庁鑑識課理化学室技師・緒方三郎 「三月十三日午前二時」(大坪砂男)

■ 私立探偵・秋水魚太郎        「うるっぷ草の秘密」(岡村雄輔)

■ 私立探偵・古田三吉         「歯」(坪田宏)

■ 弁護士・袴田実           「犠牲者」(飛鳥高) 




2020年10月18日日曜日

『黄金孔雀』島田一男

2013年8月26日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

ゆまに書房 少年少女傑作選カラサワ・コレクション④
2004年8月発売



★★★★   これ一冊だけの復刻では
          島田一男ジュブナイルの特徴は見えてこない



昭和2526年、雑誌『少女』にて連載された少女探偵小説。本書は昭和26年の光文社版初刊本の伊勢田邦彦による挿絵もそのまま復刻している。小玉専之助博士の娘ユリ子の前に出現したるふたりの怪人。インドの孔雀王国からの使いだと名乗る黄金孔雀、そしてユリ子に贈られた孔雀石を狙う一角仙人。ユリ子の友達ルミ子の兄・香月探偵も加え三つ巴の活劇、小玉博士の過去に隠された秘密とは?・・・というあらすじ。

 

 

キッチュといえば聞えはいいが、当時の子供向けチャンバラとはいえグダグダに紙芝居っぽくて(現代の)普通の読者にはやや薦めづらい。ゆまに書房『少女小説傑作選』のもうひとつの探偵もの/西条八十『人食いバラ』の方がまだとっつき易いかも。

 

 

監修者の唐沢俊一はその珍作ぶりを笑ってもらおうとツッコミ目的の注釈を付けているが、島田一男とは何の関係もない附録の「ソルボンヌK子の貸本少女漫画劇場」も含め、こんな茶々入れは無用。唐沢の解説はそれなりにまともな事も書いているけれど、どうせ復刻するのなら論創社『少年小説コレクション』のように正攻法でやってほしかった。

 

 

先に述べたように本作はなんとも珍妙な内容で、島田一男のジュブナイルでまず最初に読むなら「怪人緑ぐも」「黄金十字の秘密」「まぼろし令嬢」あたりから始めた方が無難じゃないかな。その他にも「紫リボンの秘密」「青い魔術師」「七色の目」「謎の三面人形」「猫目博士」等といった作品があるが、彼の児童ものは全く読めない状況にある。再発の気運が盛り上がらない、それまでのクオリティと言ってしまえばそうなのかもしれないけれど、ハードコアな探偵小説読者からしたらそれでも読んでみたいのが人情。

 

 

ある程度纏めて読んでみないと島田一男ジュブナイルの長所はつかみ難いと思うので、誰かが次なる復刻を仕掛けるのを待つとしよう。本書はAmazonでは取扱がなくなっているが、このレビューを書いている時点ではまだ版元に在庫がある。興味のある方は絶版になる前にどうぞ。




(銀) 香山滋/高木彬光/大坪砂男/山田風太郎と共に ❛戦後派五人男❜ と呼ばれるホープの一人だった島田一男。それなのに(時代小説はさておき)彼の探偵小説で2000年以後に新刊で発売された本といったら、扶桑社文庫の昭和ミステリ秘宝『古墳殺人事件』と本書しか無い・・・・こんなにリバイバルの流れから取り残されている探偵作家もちょっといない。



作品数が相当多い人だが、戦後のデビューから昭和のバブルあたり迄は何かしらの単行本が常に刊行されていた。ただそれ以降は、固定客がいれば何年かおきにでも新刊は出され続けるのだろうが、島田のファンだと公言する人をあまり見かけない。更にここがポイントなのだが彼の著書のうち古書価格が軒並み高いのはジュブナイルだけで、大人向けに出された探偵小説で稀少扱いされるような本は殆ど無い。平成以後、再発を望む声が上がる探偵作家への注目のされ方は真面目な評論家が内容の面白さを提起してのものでは決してなく、レア度の高くなった特定の古書を古本キチガイどもが騒ぎ立てる事に起因するほうが、悲しいかな圧倒的に多いのだ。



それなら「なぜ島田一男のジュブナイルは再発されないの?」と考えるのが物の道理。ところが本書を除くと、今では(もはや論創社ではなく)一番先に行動を起こしそうな盛林堂書房の同人出版においてもそのような話は聞こえてこない。どういう理由で島田一男はここまで注目されないのか、機会があったら近いうちに再びこのBlogでも取り上げてみたい。結果としてこのゆまに書房の復刻版はgood jobだけど、唐沢俊一と元妻の関与は全く余計だった。