ラベル 森下雨村 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 森下雨村 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年12月26日木曜日

『月長石』ウイリアム・ウイルキ・コリンズ/森下雨村(譯)

NEW !

博文文庫
1939年8月発売



★★★★★   原作者をも畏れぬ雨村の刈り込み




750頁以上もある戦後の中村能三・完訳版『月長石』(創元推理文庫/1970年刊)と比べ、本書の森下雨村訳はなんと1/3程度の分量にエディットされている。今更説明するまでもないが、雨村訳のコンセプトは全文そのまま訳出するのではなく、枝葉の部分を一気に刈り込み、コンパクトかつスッキリしたものを提供して、海外ミステリ読者の裾野を少しでも広げることだった。翻って中村能三訳のほうはマニアックに、上・下巻セットから 2 in 1 へとフォーマットも変遷。その 2 in 1 完訳版の本の厚みに一般読者は尻込みしてしまうのか、「冗長」などと評されることもしばしば。冬の夜長、じっくり読み込むにはピッタリの大長編だと思うんだけどね。

 

 

ウィルキー・コリンズの実働期はガボリオやボアゴベの時代。日本の探偵小説史に喩えると黒岩涙香みたいなポジションにある。古色蒼然とした恋愛観念はともかく、ミステリ黎明期の作品にしては論理的な謎をしっかり提示していて、最初からバレバレな犯人ではない。同時に、かつて英国人が略奪した民族のアイデンティティーともいうべき月長石(イエロー・ダイヤモンド)を取り返すため、どこまでも印度人たちが執念深く追いかけてくる伝奇色の絡ませ方も良い。江戸川乱歩がジュヴナイル第二作「少年探偵団」(☜)の前半部分にガッツリ引用するぐらい白毫と印度人の因縁話はコワくて、大人子供問わず読む者を惹き付ける。

 

 

個人的にはカツフ探偵(中村訳では〝カッフ部長刑事〟と表記)が出ずっぱりではなく、ヴエリンダー家の調査を解かれ、読者の前から一旦姿を消す演出が功を奏しているように思う。それと先程「少年探偵団」について言及したが、聡明ゆえカッフ探偵からもお褒めの言葉をもらうグーズベリ少年は中村能三訳の〈登場人物一覧〉に列挙されていないチョイ役とはいえ、間違いなくカートライト(コナン・ドイル)そして小林芳雄(江戸川乱歩)のプロトタイプだ。

 

 

森下雨村ジュヴナイル作品に出てくる東郷不二夫は(小酒井不木の塚原俊夫もそうだけど)スーパーマン過ぎる上、子供なのにまるで大人みたいな振舞いをするもんだから、当時のチビッコはそこに自分を投影できる余地が無く、イマイチ盛り上がれなかった。しかし、江戸川乱歩の小林芳雄になると大人ばりの活躍をする反面、子供らしい可愛げもあり不自然な少年探偵の造形ではない。乱歩は小林のモデルに「月長石」のグーズベリ少年を挙げている訳ではないが、凛々しいだけでなく愛らしさも兼ね備えていたからこそ、彼は時代を超越した人気者になれたのである。

 

 

「月長石」はカツフ探偵やグーズベリ少年のみならず、ヴエリンダー家の老執事・ベットレッヂ(中村訳では〝ベタレッジ〟と表記)など、ひとりひとりの個性が丁寧に書き分けられており、誰の視点で筋を追うかによって見方も変わってくるのではないか。本作は幾人かの手記をリレー形式に繋げながら進行してゆく。普通ならワトソン役、あともう一人ぐらいの手記に限定されるのがよくあるパターンかもしれない。けれどもここでは抄訳の本書でさえ五名以上の手記を繋ぎ合わせているのだから完訳版ともなるとかなりの人数に上り、読者に若干煩わしさを感じさせていないとは言えない。破綻を来してないからいいようなものの、完訳版のほうには無くても別に構わないパートが確かに見受けられる。



褒めてばかりじゃ何だから気になる点も指摘しておこう。とにかく冒頭で述べたとおり、雨村訳は全体の1/3ほどしか訳出されていないため、雨村訳=「月長石」だとばかり思っていた人は中村訳を読むとビックリするよ。大きなネタバレにならない範囲で一例を挙げれば・・・ヴエリンダー家の主治医・キヤンディとその助手エルザ・ゼニングス(中村訳では〝エズラ・ジェニングス〟と表記)のエピソード。

 

 

物語の序盤、キヤンディ醫師は雨に打たれたのが原因で大きく体調を崩し、後半では廃人同然なだけでなく、半ば記憶喪失にも近い状態。そこは雨村訳も中村訳も共通している。ところが助手エルザ・ゼニングスに関する部分を雨村はまるごと削除しているため、雨村訳しか読んでいない読者はゼニングスがフランクリン・ブレエク(中村訳では〝フランクリン・ブレーク〟と表記)に自分の余命は長くないことを語っていたり、どう考えても先に逝くだろうと思われていたキヤンディ醫師が最終的にゼニングスの死を看取る完訳版を読むと、結構困惑するんじゃないかな。全体のテンポは圧倒的に良いけど、「もう少し訳出しといたほうがよかった部分、あったんじゃない?」とツッコミたくなるね、きっと。

 

 

あとひとつ。✕✕✕(これはさすがに伏せとかないとマズイな)を摂取した人が精神に異常を来すのは万人の常識だけどさ。いくらシリアスな悩み事があったとはいえ、✕✕✕✕✕✕を混入させた酒を飲まされ、あそこまで突飛な行動を執るのは現代の医学的見地からすると、どうなんだろ?ここは消えた月長石の行方を左右する最大のキーポイントになるんで、願わくば完全無欠なトリックにしてほしかった。






(銀) 森下雨村と中村能三、どっちの訳が好ましいか、優劣は付け難い。ま、強いて言うなら本来は海外小説だったら完訳にすべきだと思う。ただ、【「気がせられた」「出つ入りつして」「なんど」(=「など」「~なんぞ」の意味?)「御辯舌」(=「おくち」とルビ)】といった雨村独特な言葉遣いの味は捨て難く、本書を満点にした次第。

 

 

 

 

   森下雨村 関連記事 ■

 









2024年10月30日水曜日

『森下雨村犯罪実話集』湯浅篤志・編

NEW !

ヒラヤマ探偵文庫 35
2024年9月発売



   犯罪レジュメを読まされてもね・・・




本書に収められている森下雨村の犯罪実話とほぼ同じ頃、牧逸馬が海外の素材を元にした実話物を積極的に執筆しており、「世界怪奇実話」というタイトルなのだが、あちらは意外とニーズがあったのか昭和のみならず平成になっても何度か再発されていて、御存知の方も少なくない筈。一方、記録文学叢書『カスパー・ハウゼル 泰西天一坊伝』のような著書は出していたものの、(森下岩太郎名義ではない)森下雨村の犯罪実話が単行本に入るのは初めてのような気がする。

 

 

名探偵マセの活躍 「死体を無くした男」

殺人鬼伝 「冷酷無情 カザリン・ヘーズ」

「コンスタンス・ケント事件」

猟奇夜話 第一夜「鼠を飼う死刑囚」

猟奇夜話 第二夜 第三話「十五萬ポンドの頸飾」

猟奇夜話 第四話「実説 噫無情」

 

 

ノンフィクションの事件を描いた作品として甲賀三郎「支倉事件」や山本禾太郎「小笛事件」は一定の評価を受けている。あの二長篇はワンテーマに単行本一冊分の紙数を費やしているから、それなりのクオリティーを求めても問題無い。だが、本書の犯罪実話はどれも事件発生から解決までを短く簡潔に要約しているだけで、【場面ごとのうねり】【登場人物達が交わす会話の妙】など小説を楽しむのに欠かせない大切な要素を放棄しているため、言い方は悪いが新聞やネット記事を読んでいるのと大差ない。本書の制作者は「だって小説じゃないもんね」と反論するだろうし、実際そのとおりかもしれないが、これは無味乾燥な一種の犯罪レジュメだ。

 

 

「コンスタンス・ケント事件」は海外ミステリの定番作品であるウィルキー・コリンズ「月長石」やヴァン・ダイン「グリーン家殺人事件」の構想に少なからず影響を与えている〟と雨村は述べる。要するにこういうものは〝探偵作家が頭の中でアイディアを捏ね上げる際、有効な資料として意味を持つ〟と言いたいのだろう。ごもっとも。この中で印象に残る事件を強いて挙げるとするなら、現実の出来事なのに複雑怪奇な展開を見せる「実説 噫無情」かな。

でもこの書き方じゃ、あまりに中身がスカスカで感情も潤いも無く、読む側は全然楽しめない。ストレートに実話を文章化するのではなく、材料を上手く活用して一作でも多く自分の創作探偵小説を書いたほうがずっとプラスになったのに。




いつも言っているとおり犯罪実話(探偵実話)と創作探偵小説は全く別個のものであって、ごく一部の例外を除けば、読んだところでたいして面白くもない。森下雨村という人は天才型探偵の推理ではなく、足でコツコツ捜査して謎を解いてゆくスタイルが好みなのは私も承知している。彼の取り上げた猟奇的犯罪は、当時の日本に流れていたエロ・グロ・ナンセンスの風潮とも合致するとはいえ、「玉の井八つ切り殺人」(昭和7年)を思わせるグルーサムな事件にそこまで雨村が関心を抱くイメージを持っていなかったから、その点については「へえ~」と思った。





(銀) 森下雨村が書いた実話物だから面白くないと言っているのではない。実話物それ自体が面白くないのだ。江戸川乱歩を見よ。横溝正史を見よ。一度として彼らは実話になぞ手を出さなかったではないか。






■ 森下雨村 関連記事 ■





























 


2023年9月16日土曜日

『二重の影』森下雨村

NEW !

ヒラヤマ探偵文庫 30  森下雨村少年少女探偵小説コレクション 1 
2023年9月発売




★★     大震災前後の少年少女小説





「幻の男」     『日本少年』     大正13年1月号掲載

「二重の影」    『少女倶楽部』  大正12年1~4月号掲載





70頁のスリムな本。収められている作品も短篇ひとつに、四回連載とはいえ中篇と呼ぶにはほど遠いものがひとつ。内容的に取り立てて語るべき点は無い。「幻の男」は江戸川乱歩が「怪人二十面相」にて使ったトリックの元ネタであると解説してあるが、乱歩が森下雨村の少年探偵小説を意識して「怪人二十面相」を書いたふしが伺えることは紀田順一郎『乱歩彷徨 なぜ読み継がれるのか』が刊行された際、このBlogで言及済みゆえ、特段目新しい知見でもなく。





月は関東大震災100年。新書などそれを扱った紙メディアが目立ち、またテレビでは特にNHKが次々特集を組んでいた。「NHKスペシャル」「映像の世紀バタフライエフェクト」「クローズアップ現代」など、内容の良し悪しはともかく主要な番組は一通り見たのだけど、NHKが当時の映像を流しつつ「悲惨だ!」「パニックだ!」と煽情的な物言いをするものだから、私の頭の中で疑問が浮かんだ。〝あれだけ東京が壊滅状態になっていたのに、日本の探偵小説に関して震災やその被害状況を克明にスケッチした作品が殆ど存在しないのは何故なんだろう?〟と。天災と探偵小説は食い合わせが悪い?





本書収録作で言えば、「幻の男」が発表される少し前に関東大震災は起きている。森下雨村や博文館がどの程度の被害を受けたのか知るよしもないけれど、この短篇では〝あの恐ろしい震災を機会に東京に入り込んだ強盗団の所為だと堅く信じていた。〟と只一言あるばかり。そりゃあ「幻の男」の場合は子供向けな怪盗の話であり、リアルな震災ネタを作中に持ち込む必要など無いかもしれない。それにしたってつい数ヶ月前、東京に居を構えている人の六割は罹災しているのだから、大人ものであれ少年少女ものであれ、大正1213年に書かれた探偵小説にはもう少し震災直後の描写が見られて当り前だと思うのだが。


私みたいなのは現状を知らぬ後世の人間の感触であって、実際マグニチュード7.9を喰らってエグい体験をした大正の人たちは「地震の恐慌やその後の荒れた光景なんか、小説であれ読みたくも書きたくもない!」とナーバスになっていたのか、もしくは案外どうでもよかったのか、見当が付かない。自分の祖父が生きている時に訊いておけばよかった。





関東大震災をビビッドに描いた数少ない探偵作家の創作小説といえば、海野十三「棺桶の花嫁」ぐらいしか浮かばない。ある意味探偵小説って浮世離れしているし、もっとシニカルかつマクロな目で見るなら、あの大震災は関東以外の地に住んでいる人からすれば対岸の火事に過ぎなかったのかもしれん。罹災していない土地に住む人達へ活字でそういった情報を伝えるのが探偵小説の役目ではないんだし、斯様な理由から大震災の情景を詳しく書き残した探偵小説なんて無いのかな。もしこの時期、震災をジャーナリスティックに取り込んだ探偵小説を書いていたら社会派ミステリの先駆者になれてたぞ、雨村。





褒めたいところも貶したいところも無い本について書くのは結構ムズカシイ。それはいいけど、森下雨村の大人向け創作探偵小説で、90年代以降まだ現行本に一度も入っていないものってどれぐらい残っているのだろう?





(銀) 面白いかどうか読んでみないとわからないが、ヒラヤマ探偵文庫近刊予定に入っている中村進治郎『コント、エッセイ、小説短編集』が待ち遠しい。





■ 森下雨村 関連記事 ■






















2022年1月2日日曜日

『江川蘭子』

NEW !

博文館
1931年5月発売




★★★★★   ジョセフィン・ベーカー風の挿絵を描いた英太郎は
          江川蘭子の本質を最も理解していたのかも



 

『新青年』に対し以前のような頻度で積極的に書いてくれなくなった江戸川乱歩をなんとか引っ張り出すために編集部サイドは〝複数作家による連作リレー小説〟を企画。「一回目だけなら、まさかイヤとは言うまい」とほくそ笑む森下雨村は乱歩の逃げ道を塞ぎ、トップバッターとして書かせる奇襲戦法に出た。本書には大正15年の「五階の窓」と昭和5年の「江川蘭子」、この二中篇が収録されている。乱歩が亡くなってからは誰もが忖度無く感想を述べているように、内容に統一感が無いため、どうにも褒められぬ作品ではあるのだが、そこをできるだけマジメに考察してみようというのが新春一発目のテーマだ。

 

 

 

「江川蘭子」

江戸川乱歩 → 横溝正史 → 甲賀三郎 → 大下宇陀児 → 夢野久作 → 森下雨村

 

連作にまで自分の筆名を主人公の名に織り込む暴挙からして、乱歩の〝我が世の春〟たる強気な姿勢(それとも、単なる天然か?)が伝わってくる。「陰獣」の時に森下雨村は「乱歩君もたいした自信だねえ」と横溝正史に漏らしたそうだが、「江川蘭子」というタイトルを見て、果して雨村はどう思ったことやら。

 

 

一番手を任された乱歩が設定した江川蘭子の性格付け。たとえ後続の作家がどのようにでも展開できるようなエンディングで終わらせてはいても、悪の要素に満ち満ちた存在として生まれ育った出自だけは不動。この乱歩の回で見落としちゃいけないのは成長した江川蘭子には悪女としてのビューティエロスが備わっているだけではなく、貧困の中から生まれた黒人女性でジャズ・シンガーであり踊り子としても当時米国の異端だったジョセフィン・ベーカー的アクティヴな側面も持たされている点だ。竹中英太郎の描くヴィジュアル(挿絵)の江川蘭子も、本書の函及び扉ページの絵を見ると、それを意識しているのがわかる。(余談だがブライアン・フェリーも「Limbo」のプロモーション・ヴィデオにてジョセフィンの世界観を再現していた)



ジョセフィン・ベーカー



しかし、横溝正史以降の後続作家が蘭子のジョセフィン・ベーカー的な面をすっかり消し去ってしまう。これは痛手だった。濃厚な主人公を据えたのだから人間関係がややこしそうな秘密結社など持ち出したりせず、唯シンプルに蘭子が跳梁跋扈する物語を執筆作家全員で塗り固めとけばOKだったのに、謎の枝葉を下手に加えようとして「五階の窓」よりも話がギクシャク。

甲賀三郎の回で発生する黄死病なんて唐突過ぎてストーリーのプラスにちっともなってないし、また夢野久作の回で、本来常に傍若無人であらねばならない蘭子がブルブル怯えて動揺するようではこの連作は死んだも同然。二番手の横溝正史が枝葉の少ない展開に整理した上で次にバトンタッチしていれば・・・。

 

 

以前の記事で、江川蘭子みたいに悪の因子を持たされた子供の成長を大下宇陀児が自作「魔人」で描いている例に注目してみた。でもよくよく考えてみたら、江戸川乱歩だって後年同じような素材を使って長篇を書いているではないか。「大暗室」だ。幼少期の大曾根龍次には、小さい頃の江川蘭子を凌ぐ冷酷さが備わっていた。そういえば魔術師奥村源造や怪人二十面相の遠藤平吉同様に、蘭子も曲馬団で軽業師としてのワザを磨いている。これじゃまるで、曲馬団は悪人養成学校だ。



「江川蘭子」と「大暗室」の間には「黒蜥蜴」という女賊ものがあり、初期の乱歩短篇「お勢登場」のヒロインお勢は黒蜥蜴=緑川夫人のプロトタイプだと云う人もいる。江川蘭子の場合は同じ名前のキャラが「人間豹」に引き継がれて出てくるが、人間の心が1ミリも無い悪魔の申し子として世に送り出されたのは大曾根龍次のほうだった(2020年6月27日当Blog記事を見よ)その意味では「江川蘭子」で書き切れなかった復讐戦を、乱歩は「大暗室」にて無事やり遂げたとも言える。

 

 

 

「五階の窓」

江戸川乱歩 → 平林初之輔 → 森下雨村 → 甲賀三郎 → 国枝史郎 → 小酒井不木

 

本書では後半に収録されているが、『新青年』発表はこちらのほうが先。モダーンな帝都のビルディング街、迫りくる不況による企業の人員カットという当時の風潮を取り入れつつ、電気商会のビルからセクハラ社長の転落死が発見され、その謎を警察そして新聞記者 探偵小説家が追うストーリー。

 

 

「江川蘭子」と違って各回の仕上がりにデコボコ感は無く、その点はまだマシ。一応犯人探しと動機の推理がテーマになってはいるが、日本の探偵小説がまだ中~長篇ぐらいの長さの本格物に対応しきれてない。「江川蘭子」執筆メンバーの中でバランスを崩しそうなのは夢野久作だったし「五階の窓」だと乱歩嫌いの国枝史郎がそうなりそうなところだが、意外と流れに溶け込んでいる。国枝の次のラスト担当が大好きな(?)小酒井不木だったのも幸いした。本作のビル転落死ネタを、アリバイ工作を強化して後年自分用に使ったのは横溝正史。作品名は言わずともお分かりだろう。

 

 

 

「江川蘭子」も「五階の窓」も、竹中英太郎の挿絵で彩られたこの博文館版(口絵が八枚もあり『新青年』発表時の挿絵とは別物)で読むからその奇書ぶりが味わえるのであって、フツーの読者には勧めにくい。実際この二作は90年代に春陽堂より文庫化されているが、『江川蘭子』では〝黒ん坊〟〝氣違ひ〟〝あひの子〟といったワードが言葉狩りされるといった春陽堂安定のテキスト改悪作業があちこちに施されて、相も変わらずせっかくの再発が台無し。本日の記事の満点進呈は英太郎の仕事に対してであって、決して作品には非ず。

 

 

 

(銀) 乱歩以外に「五階の窓」「江川蘭子」の二作どちらにも参加しているのは雨村と甲賀。上に書いたとおり、『新青年』のこの二つのリレー小説はあくまで乱歩ありきの企画だったから博文館の人間で『新青年』の編集に関わっていた雨村と正史はともかく、それ以外の面々は書いててもあまり面白くはなかったろうな。とはいえなんだかんだでこういった連作ものは戦後まで続けられたのだが。




2020年12月26日土曜日

『森下雨村小酒井不木/ミステリー・レガシー』

2019年5月16日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

光文社文庫 ミステリー文学資料館(編)
2019年5月発売



★★★★★  「テキストの底本をどこから採ってくるか」問題




ミステリー文学資料館編纂によるシリーズ〈ミステリー・レガシー〉も三冊目。
河出文庫の〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉は最初の森下雨村『白骨の処女』『消えたダイヤ』こそツボを突いたチョイスだったのに、龍頭蛇尾になってしまった。〈ミステリー・レガシー〉も一冊目で楠田匡介「模型人形殺人事件」を収録した時は(作品の出来うんぬんは置いといて)エキサイティングだったけれど、徐々に河出同様、レアものをセレクトするテンションが落ちてきているようで心許ない。 

 

と、従し事はさておき本書の収録作家は江戸川乱歩の先輩にあたるこの二人。
森下雨村と小酒井不木。



小酒井不木は幸いにして古書でも読むのが困難な作品はなく、未知の小説が新発見されたなんて噂も聞かないから、今回収録された珠玉の不健全派変格小説五作のチョイスについては無難の線。まあこんなものだろう。そうなると、擦れた探偵小説読者がわざわざ本書を買うとしたら、テキストの底本はどこから採ってきているか、その点が鍵になる。 
 
 


「按摩」「虚実の証拠」「恋愛曲線」は大正15年刊/春陽堂創作探偵小説集『恋愛曲線』から

短めの長篇「恋魔怪曲」は昭和4年刊/改造社『小酒井不木全集 第四巻』から

「闘争」はなぜか単行本からではなく初出誌『新青年』昭和45月号から

あとエッセイ二篇「科学的研究と探偵小説」が『新青年』、「江戸川氏と私」が『大衆文芸』といずれも底本は初出誌から




底本を初刊本・初出誌と統一してないのはなにか意味が?毎日Twitterをするのに忙しいどこぞの編者と違い、本書担当の山前譲は何か根拠があって上記の底本を選んだのだと良い解釈をしたいところだが。

 

 

もし〝ベスト・オブ・小酒井不木〟な一冊を薦めるとしたら、戦前の古書で旧仮名遣いだし分厚いものになってしまうけれど、竹中英太郎が単行本用に挿絵を数点描き下した『現代大衆文学全集 第七巻 小酒井不木集』は所有する魅力がある。探せば見つかる本なので函入りのなるべく状態のいいやつを1,500円以下の出費で贖ってほしい。


 

                    



さて、本書メインの森下雨村。『新青年』での不木追悼エッセイ「小酒井氏の思い出」も併録。「丹那殺人事件」は、十一年前に発売され今でも流通している『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』に既に収録済みの長篇。雨村なりに謎解きものとして頑張ったのだろうけど、クロフツほどの完成度は望んじゃいけません。本書を通販サイトでオーダーしたあと、核となる長篇がこれだと知って「ああ、買わなきゃよかった」と嘆いたものの実際現物に目を通してみると、この文庫における「丹那殺人事件」のテキストは昭和10年の柳香書院/初刊本が底本に使われていた。
 

 


論創ミステリ叢書は基本的に特記が無い限り初出誌をテキストに使用するのがルール(最近方針が変わっていなければいいが)。であれば、『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』に入っている「丹那殺人事件」のテキストは初出誌『週刊朝日』から採っているはず。本書=光文社文庫と論創ミステリ叢書、二つのテキストを解りやすい例でどう違うか比較してみると、こうなる。


 

○ 本書 183頁  

「大阪へ」の章は、「莫迦に早いじゃありませんか」の会話から始まっている。



● 『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』 368

「莫迦に早いじゃありませんか」の前に、連載当時の『週刊朝日』編集部が書いたものだと思われる「最後の五分 いよいよ犯人の正体が判りかけて来ました。犯人捜しは本号から読まれても判ります」という煽り文が挿入されている。連載時には犯人捜し懸賞募集が行われていたので、文中にこういう箇所が存在する訳だ。


 

○ 本書 220

後は読者諸君の御想像に委しておくがいいだろう___。


● 『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』 399

後は読者諸君の御想像に委しておくとしよう。

 



ということで、今回の文庫版「丹那殺人事件」は『森下雨村探偵小説選 Ⅰ 』とは別テキストだと見做して OK なので、「柳香書院の初刊本を持ってるし、イラネ」などと言うひねくれ者でなければ買って損はなし。ひとまず一見落着。もしも今回の「丹那殺人事件」が論創ミステリ叢書と同一のテキストだったら本書収録作に目新しさがないので★1つにするところだったが、そうではなく一応買う価値はあるので★5つにした。新規読者が増えるといいね。




(銀) はからずもクリスマスに三日続けて森下雨村を取り上げる事となり、同時に〝再発する際に底本にするべきテキスト/するべきでないテキスト〟についても提言してみた。よほど綿密な校訂がなされたものでない限り、その作家が亡くなった後に刊行された書物を底本に使うのはできれば避けてほしいと思う。改造社版『小酒井不木全集』は不木の逝去後、直ちに制作されたからまだいいけれど、作家が亡くなって年月が過ぎ復刊の為に第三者が校訂するとなれば、本来作家が意図したカタチと乖離してしまう部分が出てくるからだ。



雨村の「丹那殺人事件」は終戦後に仙花紙本で一聯社と秀文館から再発されている。勿論その頃雨村はすでに土佐に隠棲していたとはいえ、まだバリバリ健在。万が一、仙花紙本の『丹那殺人事件』が出る時に雨村自ら文章に手を入れるような事をやっていたならば(もしもの話ですよ)そっちのテキストを当文庫にチョイスするのも面白かったろう。



小酒井不木の創作小説はあらかた掘り尽くされている。それゆえ、本書の二年前に出た『小酒井不木探偵小説選 Ⅱ 』は不木も参加した昭和2年の連作物「吉祥天女の像」(甲賀三郎 → 牧逸馬 → 横溝正史 → 高田義一郎 → 岡田三郎 → 小酒井不木)をフル収録する折角のチャンスだったのに。





2020年12月25日金曜日

『消えたダイヤ』森下雨村

2016年11月8日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

河出文庫 KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ
2016年11月発売



★★★★★   初出誌は『少女倶楽部』




『白骨の処女』の売れ行きがそこそこ良かったから、続けて本書をリリースしてくれたのかな。 だとしたら(しなくても)手頃な文庫で森下雨村を読めるのは嬉しい限り。ドンドン継続して、河出さん。

 

                    💎



今回収録の長篇「消えたダイヤ」が佐川春風ではない別名義・花房春村で少女雑誌に連載されたという情報は山前譲の解説で初めて知った(と思っていたら『森下雨村探偵小説選Ⅰ』の解説で既読だった)。この作品を読んだことがある人の殆どは昭和5年刊改造社版『日本探偵小説全集 森下雨村集』に頼っている筈で、それ以来数十年ぶりの再登場。

 

 

なぜいきなり大人ものでなく少女ものをセレクトしたのだろう? 没後から現在に至るまでの間に刊行された雨村の著書で最も人口に膾炙したのは少年倶楽部文庫の『謎の暗号』だった(いや、釣り随筆『猿猴川に死す』かな?)。連載の場も『少年倶楽部』と同じ大日本雄弁会講談社の兄妹誌『少女倶楽部』だし、『謎の暗号』と同じ文庫の形でシンメトリーにするべく山前譲は本作を選んだのでは・・・と私は見ている。

 

 

『謎の暗号』の富士夫少年ほどスーパーマンではない二十歳前とおぼしき girl & boy が主人公。トリックといえるほどの技巧はなく、レガリア金剛石の在処と真犯人の正体露見のラストに向かって冒険を繰り広げる。初出は大正14年。

 

 

江戸川乱歩とは歳四つしか違わないのに、少年少女ものを書く時の雨村の口調文体は昔の年長者っぽい古めかしさがある。いごっそう土佐弁の名残なのかもしれない。登場人物の姓名において「ミズタニ」「ミチオ」という呼び名が出てくるのは、まだ若かった大学生水谷準(本名は納谷三千男)の名を拝借したものだろうか。

 

                     💎

 

河出文庫での雨村の好評を受け、論創ミステリ叢書が『森下雨村探偵小説選Ⅱ』の企画に動き出した。だから『Ⅰ』が出た八年も前から言ってたのに。「続巻を早く」ってさ。






(銀) 〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉は続きを楽しみにしていたのだが、この後に出されたものは底本に使用するテキストが(初出誌・初刊本ではなく昭和40年代の桃源社の本など)好ましくないものだったり、読むのが困難でもないような作品(特に江戸川乱歩『盲獣・陰獣』)ばかりになったりで、すっかり興味を失ってしまった。


文庫版の〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉とは別に、〈レトロ図書館〉という単行本の版型に変更しつつ、似たような路線で刊行は続いたが、魅力的でないセレクト/底本テキストの問題は相変わらずだったし、私は〈レトロ図書館〉の本は一冊も買っていない。




これらのシリーズが仮にビギナーを獲得する為の企画だったとしても、底本の選び方で手抜きをしちゃいかんだろ。同じ山前譲がタッチしているのに光文社文庫だと底本の選択は真っ当。河出の本では、山前は作品選定(のアドバイス)をしているだけで、よろしくない底本選びは編集部のせい?





2020年12月24日木曜日

『白骨の処女』森下雨村

2016年6月8日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

河出文庫 KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ
2016年6月発売



★★★★★   想定外の文庫化復刊




この長篇がまさか文庫で復刊されようとは!Viva、河出!
元々は全て書下ろしによる昭和7年新潮社『新作探偵小説全集』全十巻のうちの一冊で、それ以来なぜか一度も再発される機会がなかった。論創ミステリ叢書のような高額な本以外で、こんな風に手軽な文庫で読めるようになったことは大変価値がある。

 

 
本作の概要を、昭和7年当時の新潮社『新作探偵小説全集』内容見本より引用してみる。 


〝 春麗かなる美貌の令嬢瑛子の不可思議な失踪と同時に、帝都の一隅に或る青年の怪死體が發見されて、事件は急轉直下的に廻轉する。

 

一方、北國の富豪山津常太の過去を包む呪ふべき秘密を中心に、戦慄すべき惨劇と宿命との一大交響楽は火の車の如く展開する。

 

その指揮棒を振るは魔か人か!顫へ戦く人影、古風な金指環、北龍荘の怪、完全無欠のアリバイ、崩れゆく断層、等々々。〟

 



古書で初刊本を買って以来の再読だったが、その時よりも面白く読めた。編集者雨村ならではの余計な部分を削ぎ落した快調なる筆捌き、新潟・東京二都のロマンティックな戦前モダン風景、存外アリバイの構図などもしっかり書かれていて、蒼井雄「船富家の惨劇」あるいは松本清張「点と線」のプロトタイプにも成り得ている(ちょっと褒め過ぎか)。

 

 
『新青年』でよく見られるユニークなルビ振りも、この文庫は面倒臭がって省く事もせずキチンと載せているのが偉い。ラノベ絵カバー・語句改変に忙しい角川や光文社とは違う。ちなみに、初刊本に併録されていた短篇「負債」は本書には未収録。

 

 
このところ久生十蘭に日影丈吉、あと渋いところでは三角寛なんかも文庫化してきた河出だが、この勢いで日本の探偵小説の埋もれた作品を次々と復刊していってもらいたいものである。前述の新潮社「新作探偵小説全集」の中で、復刻の動きからから未だ忘却されている作家といえば「狼群」の佐左木俊郎か。あ、大事な事を書き忘れていた。本書の解説は山前譲。





(銀) 河出書房新社のサイトでは、本書よりずっと前に河出文庫で出ていた国枝史郎『神州纐纈城』小栗虫太郎『黒死館殺人事件』も含め、これらのカテゴリーを〈KAWADEノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉と呼んでいるようなので、当Blogでもそのように記載する。




文庫版『白骨の処女』が出た時は自分の中でもかなり盛り上がった。本文中で触れている佐左木俊郎の長篇「狼群」も2020年8月25日の記事で取り上げたように論創ミステリ叢書『佐左木俊郎探偵小説選 Ⅰ 』へ収められたが、『Ⅰ』は2020年8月にリリースしていながら続巻で出る筈の『Ⅱ』はいまだに刊行されそうな気配も無いばかりか、論創社HPでの近刊予告を見ると次の配本はいつの間にか『霜月信二郎探偵小説選』にされている。 ???




2020年7月4日土曜日

『森下雨村探偵小説選』森下雨村

2009年5月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第33巻
2008年2月発売



★★★★★  「三十九號室の女」「白骨の処女」
           そしてジュヴナイル・・・乞う続巻!


  

名伯楽の異名は伊達ではない。この人のおかげで世に出た探偵小説家のなんと多い事か。それにしては今まで入手できる著書が殆ど無かったから待望の一冊だ。

 

 

初単行本化「呪の仮面」と昭和22年以来の刊行となる「丹那殺人事件」の二長篇、更に探偵小説黄金時代を偲ぶに相応しい評論・随筆集17篇を収録。コリンズ/オップンハイム/フレッチャー/ブッシュなどの翻訳者としても名高い雨村。博文館の主幹として若手の原稿を厳しくチェックしてきた著者ゆえ、スムーズな文章をもって怪奇性を抑えたサスペンスフルな作風を見せる。

 

 

ジュヴナイルも江戸川乱歩より早く手掛けており佐川春風名義を含め結構な数になる。そのうち古書になるが東郷富士夫少年の活躍する『謎の暗号』(少年倶楽部文庫)は割と見つけやすい。僅かな現行本では『猿猴川に死す』そして『釣りは天国』の釣りエッセイがあるが、春陽文庫のスリラー長編『青斑猫』が良い(挿絵/岩田専太郎)。

 

 

『新青年』編集長時代の雨村は平林たい子のような人にまで「あんたは探偵小説を書いたほうがいいよ」と声をかけていたという。単なる親分肌なだけではなく、シーンを育てようとするマメさも備えていた人。雨村の次男・森下時男による評伝『探偵小説の父 森下雨村』と本書、セットでどうぞ。

  

 

 

(銀) 平成後半になり雨村の本が順調に刊行され、「三十九號室の女」「白骨の処女」そしていくつかのジュヴナイルさえも読めるようになった。木々高太郎のように全く復刊の動きが無い作家と比べたらとてもラッキーなほうだ。また本書の出る少し前(2005年)には高知県立文学館にて企画展「日本探偵小説の父・森下雨村」が開催され、同名のよく出来た図録も発売された。別役佳代という才女をはじめ関係者の方々に感謝。さらに四国では2008年には徳島県立文学書道館にて企画展「日本SFの父 海野十三」も開催されており、そちらの図録も必携の内容。

 

 

〝ブンガクカン〟とは名ばかりの無知蒙昧な公務員がやっている施設が多い中で、高知県立文学館や徳島県立文学書道館、さらに山梨県立文学館に青森県近代文学館といった立派な刊行物を出しているところは本当に偉いと思うし、地元にお住まいですぐに足を運べる方が羨ましい。

 

 

だいたい私の経験からして展示物や刊行物が立派な施設は、こちらがなにか調べもののリファレンスやコピーの申請といった申し出があると丁寧に応対してくださるし、まったくやる気のないブンガクカンは得てして応対もぞんざいと相場が決まっている。どこでも資金面で経営が大変だろうなと推測されるが、上記のような誠実な文学館には末永く頑張ってほしいと心から願う。