2021年6月4日金曜日

無駄話

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このblogを公開し始めたのは昨年615日のことだった。少し余裕を持たせて何回分かの記事を書き溜めておけるよう、その十日ぐらい前から仕込みを開始したっけ。あれからまだたった一年しか経ってないとは・・・・。blog○周年とか、anniversaryをアピールする気持ちなんて特に無いけれども、ここ最近記事を書きたくなるような新刊本が全く出ないものだから、このような楽屋噺、いや無駄話でもってお茶を濁そうという魂胆である。

戦後のジュブナイル作品である橋爪健『熱砂の美少年』を今回の記事にしようかなとも考えたのだが、特に言いたいことも無くて止めてしまった。強いて一言述べておくならこの本、ヤフオクでの入札がキチガヒじみてヒートアップし、高畠華宵が挿絵を描いているからなのか二万近くにも達する暴価で最近落札されていた訳。そこまで熱くなって買う程の内容でもないので、ご注意あれ。


                   



『バードス島綺譚』に使用しているのはGoogleが提供しているBloggerというブログサービス。blogで小銭稼ぎをしようとは考えてなかったし、利用がタダなのは必須条件であり、なおかつ世間のブログを見ていて広告というものがいつも邪魔臭かったから、あれを一切表示せずにすむのが気に入って利用するに至った。このBlogger、本来はアルファベット表記をベースに設計されているのか、日本語だと変な現象が起こるのが玉に瑕。それ以外は実に快適なのだけれど。



ブログには普通、同じテーマの記事だけを選び出して見られるよう、各記事に目印代わりに付ける〝タグ〟という機能がある。Bloggerではそれが〝ラベル〟という呼び名になっているのだけど、私の記事に付けているタグ、じゃなくてラベルは、アルファベットでなく日本語で表記しているからなのか、画面右横のラベル一覧を見ると、システムが漢字を実に曖昧なローマ字読みで自動認識し、順列を成しているらしい。例えばカタカナ表記の海外作家の下に漢字表記の日本人作家の名がズラッと並んでいる。

202164日現在だと、漢字表記の日本人作家で一番上にきている鮎川哲也→井上良夫までは〈あ行〉の【あ】【い】で読み取っているのだろうが、その次に永と延を【え】と認識してしまったのか、本来なら〈な行〉でもっと下の位置にあるべき永瀬三吾(ながせ・さんご)→ 延原謙(のぶはら・けん)が続く。そんな奇妙なラベルの順列を私はさして気にしないけれど、第三者が見たら不自然に感じたりしないだろうか。



変な現象はもうひとつあって、blog画面の右上「このブログを検索」という枠の中になにかワードを入れて検索してみると、当然、投稿の新しい順に記事が上から下へ並んで出てくるものだと思っていたら、なぜかアトランダムに表示されるので、この点は私も気になる。ラベルの表示順列といい、検索した記事の表示順列といい、どこかをいじれば改善されるのかもしれないけど、めんどくさいからそのままにしている。

記事を書く際にも(実際Bloggerの管理画面をお見せしないことには、説明してもなかなか伝わりにくいのだが)、文章の途中で一箇所でも下手ないじり方をすると、急にそのセンテンスすべての字体までもが変わってしまったり、鬱陶しい事態になる。すぐに慣れたから問題ないとはいえ、他のブログサービスでも似たようなことが起きる作りになっているのか、どうなんだろう?


                   



世の中のブログはとても便利にデザインされている。
それに比べて、当blogのなんと不親切なことよ。

関連する他の記事へ飛ばすリンクは全然張らないわ、コメント欄は完全閉鎖しているわ、最低限の画像をupするだけで動画を埋め込むことなどひとつもしないわで、我ながら呆れる。ただ私もblogだけにそう時間を割いていられるほどヒマでもない。文章の内容や見せ方を考えているうちに、いつの間にか時間を費やしていて、これ以上手を加えていたら何もできなくなってしまう。まあ結局は自分の為のblogであって、「いつも閲覧してます」と声を掛けて下さった奇特な方は今までおひとりだけだし(なんで私が銀髪伯爵だとわかったのかしらん)、これからも多分この雰囲気を変える努力はしないだろう(アア、ナント怠惰デアル事カ)。

内容のある知的なHPを何年も維持させ発信し続けている人は立派だなあ、と感心するばかりだ。『名張人外境』とか『本棚の中の骸骨 藤原編集室通信』とか。



中国がcovid-19を世界中にばら撒いた直後、たまたまblogをスタートさせてしまい、ここまで新刊本が出ない状況になるとは予想だにしてなかった。過去に読んだ本も記事にしてはいるけど、新刊なら読み終わったばかりですぐ感想を書きやすい一方、読了して時間が経っている本をわざわざライブラリーから探し出し、再読こそしないまでも、パラパラ頁をめくって記憶を引っ張り出すのは、それはそれで手間がかかる。

そういう不便さを考えたら「本のblogじゃなくて音楽のblogにしといたほうが楽だったな」と思う時もなくはないが、それでもまだ活字の世界のほうが未知の作品に出会える埋蔵量がほんの少し多く残されているような気がして、音楽のblogだと作りたい欲求はどうも湧いてこない。ミステリ業界も音楽業界もお先真っ暗なのはどちらもたいして大差ないが、このblogで扱うテーマを探偵小説にしたのはそんな理由から来ている。




(銀) 本当なら今月から、あるちょっとした連載企画を始めるつもりだった。
しかし、それに不可欠な資料の複写コピーを入手することが理不尽な理由で全くできぬまま企画が袋小路に入っており、私は怒っている。そのネタでblog数回ぶんもの記事が書けそうな程なんだが、思うところあって今はまだ自重している状態。時が来たら、この話の実情をあらいざらい披露してやるつもり。



それと、本文とは全く関係の無い話題をひとつ。以前、記事の中で言及したCD-ROM版『シャーロック・ホームズ全集』(新潮文庫)だが、windows XPの頃に問題なく再生できていたので、いつでも使えるものだとばかりたかをくくっていたら、今日PCに入れてみると全く再生できないし、改めてアプリケーションをDL+インストールすることさえ不可能になっているのを知った。殆どいないとは思うけれども、CD-ROM書籍をお持ちの方がもしいたら参考まで。新潮社の人間曰く「95/98の時代に発売された商品ですから、昔のOSで見るしかないんです、すいません」だと。数年ぶりに再生しようとしたら、すっかりただの可燃物ゴミと化していたのである。



電子書籍なんて買いたくないのは、ちょっと時間が経つとおしなべてこんな詐欺同然な目にあうからなのだ。そういえばワーズギアなんていう、発売してたった二年で消滅した電子書籍端末もあったね。何万円も出してあれを買わされた被害者は世の中に何人いるのやら。