「指環」(第三巻)「鰻の怪」(第二巻)「岩魚の怪」(第二巻)
「黑い蛙」(第一巻)「黄燈」(第一巻)「蠅供養」(第四巻)
「水面に浮んだ女」(第一巻)「悪僧」(第一巻)「赤い土の壺」(第一巻)
「賴朝の最後」(第三巻)「切支丹轉び」(第四巻)「怪しき旅僧」(第二巻)
「一緒に歩く亡靈」(第一巻)「赤い鳥と白い鳥」(第一巻)「花の咲く頃」(第三巻)
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名古屋を拠点とする小酒井不木を中心に、国枝史郎/土師清二/長谷川伸、そして江戸川乱歩、この五人からなるグループ〝耽綺社〟が雑誌『新青年』へ発表した合作長篇。「飛機睥睨」の名で連載されるも、単行本化する際「空中紳士」に改題。1994年春陽文庫にて再発されるまでは、この作品の単行本は本日紹介する初刊の博文館版しか存在していなかった。普通に考えてみても「空中紳士」のほうが営業的にイケてそうな感じはするが、「飛機睥睨」にしろ「空中紳士」にせよ、何故このタイトルなのか物語の最後に辿り着くまで読者は全く意味が解らない。
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現にそれまで「闇に蠢く」「空気男」「一寸法師」と、長篇で悉く失敗していた乱歩だったが、翌1929年1月よりスタートさせた「孤島の鬼」では、同性愛を小説に盛り込むにあたり岩田準一の助けもあったとはいえ、初めて長篇で大成功を収めた。おまけに同年夏にはそれまで敬遠していた講談社系の雑誌にて大衆受けを狙った「蜘蛛男」さえもスタートさせている。そんな昭和2~4年の乱歩の動向を思い起こすと「空中紳士」は内容こそちっとも成功していないとはいえ、乱歩にとっては次のステップへ離陸するための滑走路的な作品になったのかもしれない。
(銀) 光文社文庫版の『乱歩全集』で語句改変されてしまった箇所として知られているのは、第四巻収録「孤島の鬼」における〝皮屋〟というワードである。で、第三巻に収録された「空中紳士」においてもそんな語句改変されたワードがあり、このような何の益も無いテキスト改悪を許さない為にも、ここにメモしておく。
○
博文館版『空中紳士』 初刊本(本書)
196ページ9行目
〝屠牛會社の經營者なら牛殺しぢやありませんか。〟
✕
光文社文庫版江戸川乱歩全集第三巻『陰獣』収録「空中紳士」
440ページ14行目
〝精肉会社の経営者なら牛殺しじゃありませんか。〟
戦前の長篇探偵小説に見られるルブラン調。モダン都市東京の雰囲気はそれなりにあり、交換手のいた当時の電話トリックがなかなかよろしい。昭和12年1月連載開始にて、女が躰を餌に男を欲情させるシーンは時局柄もう一年遅かったら、地方新聞といえどもこんな煽情的描写は横槍を入れられていたと思う。国枝だから正当派の謎解きは最初から期待していなかったが、伝奇時代小説の如き暴走するプロットではなく意外とカッチリした仕上がりで、探偵小説のファンはともかく国枝ファンからすると、そこは物足りなく感じるかもしれない。
エンターテイメントを意識して書いたそうなので、賊の標的を結ぶ連続する条件に主人公が直感で気付く点など惜しい弱点は散見されるが、それほど気にならない。最も残念なのは、この長篇は全146回連載なのだが、127回・142回・144回が欠落している点。しかもそれらは終盤の謎が解明される場面。確かに大筋の理解に問題はないとはいえ、これはなんともイタイ。関係者の方は随分探されたことだろうと想像するが、初出新聞『南信日日新聞』の欠落回該当号はどこかに残存していないのだろうか・・・嗚呼・・・。この欠落さえなければ ★5つだったのに。
(銀) ところが何年か経って、本書未知谷版『犯罪列車』の欠落を補うテキストが発見され、その三回分のみを小冊子にした『「犯罪都市」補遺』(16頁/300円)が発売された。「えっ、「犯罪都市」? 「犯罪列車」の間違いじゃないの?」と言うなかれ。説明しよう。
東京の盛林堂書房が出している同人出版によく参加している善渡爾宗衛が北海道の図書館にて、昭和12年2~7月の『室蘭毎日新聞』に連載されていた国枝史郎の「犯罪都市」という長篇小説を発見。調べてみたらこれが本作「犯罪列車」の改題だったそうだ。「犯罪都市」を読むと微妙に異同があったのでヴァリアント・テキストと見做したものの、連載68回目に一回分欠落があり、ここからは私の想像だが未知谷版『犯罪列車』がまだバリバリ流通していたので、インディーズとはいえ一冊の新刊として「犯罪都市」を売り出すのは見合わせたのだろう。
こうして失われていた三回分の『「犯罪都市」補遺』と併せて読む事で、『犯罪列車』の全体像は(一応)掴めるようになった。昔の地方新聞には(テキストだけでなく挿絵の面でも)我々がまだ知らない小説の宝の山が埋もれている。けれど非常に悩ましいのは、本作のようにせっかく発掘してもどこかしら欠けている回があったり、マイクロフィルムのコンディションが悪くて読めない文字があったり、あるいは同じ小説がタイトルを変えて、まったく違う地方の新聞に改めて連載されていたりするなどの面倒臭さがあること。
作品社の重くてファットな国枝史郎の本もこれでシリーズ打ち止め。海外パルプマガジンの怪奇小説を国枝自身が翻訳した『恐怖街』という古書市場でもお目にかかれるチャンスの無い昭和14年の稀覯本がある。それを遂に甦らせたのは実にめでたい。『恐怖街』に収録されていた作品はこちら。
「地獄礼賛」(原作:G・T・フレミング・ロバーツ)
「恐怖街」(原作:サンダース・M・カミングス)
「獣人」(原作:エドモンド・ハミルトン)
「復讐に燃えて」(原作:H・M・アッペル)
「クルダの衆道」(原作:アーサー・J・バークス)
「死のおもかげ」(原作:フランク・ベルクナップ・ロング)
この六短篇は『スリリング・ミステリー』という洋雑誌の1936(昭和11)年5月号に載っていたもので、たまたま入手した国枝が特に深い見識もなく、軽い気持で上記の作品を選び翻訳したのでは、というのが編者・末國善巳の見立て。
考えてみると、国枝が慕っていた小酒井不木は生前、パルプマガジンの代表格『アメイジング・ストーリーズ』に関心を寄せていた訳だし、不木が亡くなった後でも、その影響は残っていたのかもしれない。当り前だが国枝のオリジナル創作伝奇小説とは口当たりが異なる。その違いにも目を向けたい。
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ふつうポップソングにはAメロ → Bメロ → サビ → エンディングという型があるように小説にも起承転結がある。だが国枝の長篇は音楽に喩えると、あるパターンのフレーズを延々ループするハウス・ミュージックのごとく、物語のクライマックスと呼べるカタルシスがないままエンディングを迎える傾向が見られる。「生のタンゴ」も、おぞましい畸形児が登場するあたりから話を盛り上げてくれるのかなと期待するものの、愛想の無い国枝節は変わらない。
その他にも既刊本に未収録だった短篇や戯曲、エッセイを数篇収録。作品社の国枝本はゾッキ扱いで安売りされている巻もあるが、本書は私のような探偵小説読者も買っているのか、あまり安売りされているのを見かけない。「恐怖街」だけでも興味があったら、定価で売っているうちにキープしておいたほうがいい。
(銀) 「生のタンゴ」で繰り広げられる、男と女がSEXに振り回されるこのチャラい光景は、昭和末期~平成初頭の浮かれていた日本、自分がこの目で見てきた状況とそれほど差を感じないのが面白い。そんな享楽の後には暗く深刻な時代が訪れるものだ。
それはさておき、作品社のような厚くて重い本は寝ながら読んでいても手が疲れる。「恐怖街」と「生のタンゴ」をそれぞれ単品に分け、もっと扱いやすい大きさ/厚さの本で出してくれたらよかったのに。
後半の随筆集を目当てに購入。感情的・ヒステリックというか、ちょっと論理的でない物言いが多い。国枝本人によると、バセドー病による心の不安定さがそうさせているらしい。病のせいかどうかはともかく、こういう人は時々周りにいるけれど。
そして江戸川乱歩への棘のある発言が続く。その原因の元は、ラストでのどんでん返しを狙った国枝の好短編「広東葱」より、後発の乱歩作「二銭銅貨」のほうが余りに評価が高かったため、心中穏やかではなかったんじゃないかと編者・末國善己は解説にて推理している。国枝の気持はわかるがこれは逆恨みじゃなかろうか。間に立った小酒井不木の苦労が偲ばれる。この辺の人間模様は『子不語の夢』に詳しい。
ただ、早い時期に横溝正史を評価している点も目についた。病における鬱屈を創作への力に変えられればよかったのだがね。伝奇小説のあの良い味を活かして、探偵ものでも長篇いや中篇でも何か一本そこそこ良いものを遺していれば・・・という気がしないでもなかった。本書は限定1,000部発行。
● 本 書
● 未知谷『国枝史郎伝奇全集』第一巻(長篇「沙漠の古都」収録)
● 未知谷『国枝史郎伝奇全集』補巻(長篇「東亞の謎」収録)
● 光文社文庫『幻の探偵雑誌 6 「新趣味」傑作選』(長篇「沙漠の古都」収録)
● 学研M文庫『伝奇ノ匣〈1〉国枝史郎ベスト・セレクション』