2022年4月30日土曜日

『黒い妖精』園田てる子

NEW !

東京信友社
1960年6月発売



★★★★   探偵小説ではないのに、つい読んでしまう




園田てる子については2022年1月31日の記事(『夜の肌』)にて簡単に説明した。今回取り上げる「黒い妖精」という作品も探偵小説と呼べる内容ではない。ふつう単行本は付属している帯に「売り文句」が躍っているものだが、この本はカバー上にそれが印刷してある。参考までに紹介しておこう。

〝 恐るべき情事の繰返しが女の魔性をとらえ、限りなき情欲の世界をさまようという問題の長篇! 〟

わかるようでイマイチ意味がよくわからん売り文句。新垣結衣が出ている例のビールのCM「日本のみなさん、おつかれ生です」ほどダサくはないけども。(あのコピーを作ったコピーライターと、それにOKを出した担当者の言葉のセンスを疑うね)
 


                   

 


東興物産・人事課のタイピスト笠原由美は、同社の販売課長・白根悟郎と秘かに関係を持って一年になる。悟郎は由美と結婚したいのだが社長の泉山亮介は同郷の先輩でもあり、東大に入学する資金の面倒をみてもらっていたり何かと恩義がある存在。その泉山社長は娘の絢子が離婚して実家に戻ってきていることもあって、ぜひ悟郎に絢子をもらってほしいと考えていた。

そんな時、農林省団体の汚職が露顕して東興物産も贈賄容疑で睨まれる仕儀となり、悟郎は社長から「頼むから一切を背負って身を隠してほしい」と懇願される。それを受け入れた悟郎は由美を連れて会社を去り、駆落ち同然の世をしのぶ身に。(この後の悟郎と由美は夫婦扱いだが入籍したような記述は無い)

 

 

 

働き口の無い悟郎の代わりに一流割烹のお帳場として働く由美は、大洋重工業で設計技師をしている堀田通也という男と出会う。失業してどんどん内向きになってゆく悟郎とは対照的に、快活な堀田に次第に魅かれてゆく由美。結局彼女は夫・悟郎の(東京から離れた)勤め先を堀田に紹介してもらうのだが、過去に東興物産時代の慰安旅行でふとしたきっかけから悟郎に唇を奪われてしまったように、体調を崩した堀田を病院に連れていった拍子に、またしても由美は堀田に心を奪われてしまう。

 

 

 

なんていつもの調子で真面目に書いててもしょうがないからこの後の流れをざっくり記すと、要するに由美は堀田の押しに負けてしまってズブズブの不倫状態へ。ただ、いくら体を委ねても悟郎と別れて自分と一緒になってくれない由美との間に、堀田は溝を感じるようになる。そんな女の魔性が「黒い妖精」というタイトルに繋がっているのかもしれない。また泉山絢子周辺もテノール歌手だの社長秘書だの、もつれた関係が殺人事件へと発展。結局のところ、誰ひとりとして幸せになんかならないオチがついて The End

 

                   

 


〖園田てる子=エロ女流作家〗とは言っても、露骨な性描写が繰り広げられている訳ではない。彼女の描く って戦後すぐのアプレな無軌道ぶりとも違う気がするし、バブル期に見られた日本人の(クリスマスの夜には男と女がシティ・ホテルに泊まって・・・みたいな)フリー・セックス感よりはずっと旧くてヘビーな世界とでもいうか。ドライな見方をすれば、主人公の由美は普段はだらしなくないのに、ひとつキッカケがあると男に許してしまうスキがある。そういうのを不快に感じる人には本作のような小説は向いていない。

 

 

 

物語の中で「探偵小説の登場人物みたい・・・」なんてセリフが出てくるのだから、園田てる子の頭の中に探偵小説がまるっきり存在していない訳ではないようだ。でも彼女は純粋なミステリをなかなか書こうとせず、女と男の情欲にこだわった。重ねていうけどミステリ的な見どころがある訳ではない。それでも(私にとっては)なぜか読ませてしまうSomethingがこの作家にはある。

 

 

 

(銀) 後半、堀田と由美が旅先でしっぽりしているところに謎の尾行者が現れて不穏なムードになる。この部分を活かしてサスペンスを強調していれば、少しはスリラーっぽい展開になりうる余地もあった。園田てる子の非ミステリ作品にも犯罪は一応起こるんだけど、そこで主人公が警察や探偵に追われて・・・みたいなプロットにはならないのが特徴だろうか。





2022年4月29日金曜日

『南総里見八犬伝㊇』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    虎!虎!虎!



◕ 「南総里見八犬伝」を読んでいると、何度か表出される ❛あるパターン❜ に気付く。
一つは長期に亘る犬士の幽閉。
第三巻で犬田小文吾が馬加大記によって。
そして本巻では犬江親兵衛が京都管領・細河政元によって。
何かあやまちをしでかした訳でもないし、表面上は歓待されているように見えながら、この二人は屋敷から出られぬ状況に陥る。

また事情が少し異なるとはいえ、第二巻で登場した時の犬飼現八も滸我の足利成氏に仕えてはいたが、獄舎番の非道な勤めを批判したがために、犬塚信乃を芳流閣屋上で捕える命令が出されるまで執権・横堀在村の暴政で牢獄に入れられていた。偶然にも現八と小文吾は乳兄弟で、親兵衛は小文吾の妹の子供。この共通項には何か意味があるのだろうか?

 

 

 

二つめに「南総里見八犬伝」に登場する後妻は、なぜか悪人が設定されがちなこと。
甲斐國石禾の村長・四六城木工作の後妻である夏引は、武田家の家臣・泡雪奈四郎と密通しており、木工作を殺してその罪を犬塚信乃のせいにしようと企んだ。続いて船虫。最初は盗賊・並四郎の妻として登場、その後ニセ赤岩一角 → 山賊・酒顛二 → 媼内と次々に男を変え、行く先々で悪事を働いたのはご承知のとおり。更に、石亀屋次団太の後妻・嗚呼善もまた然り。四六城木工作と石亀屋次団太は善人ながら、如何せん年齢が離れているからとはいえ、若い後妻を他の男に寝取られてしまうのはどうして?

この二点についてシャーロキアンがコナン・ドイルの深層心理を研究するように、曲亭馬琴の胸の内を考えてみるのも実に興味深いと思う。

 

 

 

◕ 朝廷から八犬士の〝金碗〟継承が認可されたにもかかわらず、犬江親兵衛だけは細河政元の屋敷に留め置かれてしまう。この管領政元には少々男色の気があり、若く武力知力ともに秀でた親兵衛を自分の家来かつ稚児として手元に置きたがったのもあるが、もうひとつ理由があった。前巻で登場した悪僧・徳用はなんと細河家の執事・香西復六の子で、細河政元とは乳兄弟。例の丶大法師による大法会を襲撃した罪で結城を追われ、こっそり京に戻ってきていたこの男は八犬士に恨み骨髄、政元に進言し親兵衛に復讐する腹積もりだったのだ。

 

 

 

よって親兵衛は「武芸の手並みを披露せよ」という事になり、京で名うての達人と戦わされる。それはさておき、蜑崎十一郎照文は里見義実/義成に報告するため先に安房へ帰ったけれども、姨雪代四郎ら数人の里見家家来は(管領に手出しできないとはいえ)都に残って街中に潜伏し、親兵衛救出の機会を窺っていた。このくだりで里見家家来の一人・直塚紀二六が(密室ではないけれど)屋敷から一歩も出ることができない親兵衛と、あるトリックを使って秘かに通信を交わす。あまり好きではない京都篇ではあるが、この部分はなかなか面白い。

 

 

 

◕ 歴史に名高い巨勢金岡による一枚の虎の絵。その虎は〝眼(まなこ)〟が描かれていない。「その虎には決して眼を描き入れるべからず」と伝承されていたのに、巽風という絵師が政元の指示で眼を描き入れてしまったため、絵の中から虎が抜け出し(!)都はパニックに。

「虎を退治し都を守るその褒美として、ぜひ自分を安房へ帰れるようにしてほしい」と細河政元に交渉する親兵衛。政元の養女・雪吹姫を攫って逐電しようとしていた徳用を襲った虎は山中を彷徨っているらしい。親兵衛いかにして虎を倒し、しつこい政元から逃れられるか。徳用というのは実にチンケな悪役だし、キャラの善悪がハッキリしている「南総里見八犬伝」において、管領・細河政元という人はなんともグレー・ゾーンにあるビミョーな存在。その辺も京都篇のウケが悪い要因なのかも。

 

 

 

◕ 同じ頃、八犬士及び里見家に対する扇谷定正の敵意は日増しに強くなっており、同じ管領である山内顕定をはじめ、過去にいがみ合ってきた関八州の武家までも巻き込んで、里見家を滅ぼす大戦の準備を着々と進めていた。一方、穂北では闘病中だった氷垣残三夏行が亡くなり、その跡目を落鮎余之七有種が継いでいたのだが、彼らが犬士達と深く繋がっている内情を定正が放っていた間諜者に知られてしまう。いよいよ物語は大詰めクライマックスへ。第八巻はここまで。

 

 

 

 

(銀) 前回の記事にて「京都篇は別になくてもよかったのでは・・・」と書いた。江戸時代のリアルタイムな読者も同様に思っていたようで、そんな声が作者にも届いていたのか馬琴は本巻の文中にて「京都篇は当初から想定していたエピソード」と強く反論。こんな風に現在進行形の作者の発言が時々差し込まれているのが「南総里見八犬伝」のユニークなところ。とはいっても物語前半の頃は、こういうのは無かったんだけど。

 

 

天保11年。とうとう馬琴は両目とも失明してしまい、本来ならばもう小説なんて書ける場合ではないのに、亡くなった息子の嫁・お路に文字を教えて口述筆記をさせるという苦難の道を選ぶ。しかもそのお路に対して、馬琴の妻のお百が嫉妬心を起こすのだから、滝沢家の修羅場は想像に難くない。目がよく見えないストレスは、そうなった者にしかわかりえない。馬琴の絶望感とイライラは如何ばかりだったろう。しかしそれでも彼は「南総里見八犬伝」の完成しか考えていなかった。




世間的に親兵衛のエピソードは人気が無いかもしれないが、少なくとも視力喪失による文章のパワー・ダウンといったものは微塵も感じられない。「他人の作る本にて、言葉狩りやテキストのミスがあるのは絶対許さないが、自分は老眼だから自分の作る本のテキストに間違いが生じるのはやむをえないこと」などと自己弁護ばかりしているどこぞの輩とは月とスッポン。もっともそんな愚人と比較すること自体、馬琴のような偉人に対して失礼なのだが。





2022年4月24日日曜日

『南総里見八犬伝㊆』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    〝金碗〟継承




 河鯉孝嗣を死罪から救った老婆は、その昔孝嗣の父・河鯉守如に命を救われた恩義を感じ、乳母・政木という人間の姿に変身して幼い孝嗣を育てた過去を持つ心優しき古狐だった。鶴の恩返しならぬ狐の恩返しを果たした彼女は、犬江親兵衛にも妙椿の正体を教える。第一巻で八房が誕生した時、親のいない生まれたての八房に乳を与えていたのは野生の狸で、実は八房だけでなく、その狸にも玉梓の怨念が宿っており、妙椿は里見家に禍をなすため、狸が八百比丘尼の姿に化けていたのだ。


狐が人に化けて幼児に乳を与え、怨霊に取り憑かれた狸が幼犬に乳を与える。
恩愛と余怨の畜生親兵衛篇が始まって、物語が原点回帰しているところがあるとはいえ、
何という摩訶不思議な話か。巡る因果は糸車。
一方、里見義成も妙椿の企みを知り、暇を出していた親兵衛を急ぎ呼び戻す。
親兵衛は政木大全と改名した河鯉孝嗣、そして関東へ出てきていた石亀屋次団太を連れて、蟇田素藤が占拠している館山城になぐりこむ。妙椿には前巻で伏姫神女に胸を蹴られたダメージがあったのか、「仁」の玉の霊験の前には為すすべもなかった。

 

 

 

◕ かねてからの大望どおり丶大法師は結城合戦戦没者を弔う大法会を行っていた。
そこへ地元・逸匹寺の徳用という拗れ者(ねじけもの)の破戒坊主がこの大法会を妬み、同調する者を結集して襲撃してくる。不測の事態に信乃/荘介/現八/道節/小文吾/毛野/大角は盾となって立ち向かうが、犬士達が先に逃がそうとしていた丶大法師一行を足止めする徳用。そこへ親兵衛/孝嗣/次団太がようやく結城に到着、悪僧どもは制圧され、ついに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、八つの霊玉がうち揃い、犬士達は全員里見家に仕える事に相成るのである。

 

 

 

◕ 里見義実は「里見家の発展は丶大(=金碗大輔孝徳)の父・金碗八郎孝吉の功あってこそ」という気持があり、八犬士全員に〝金碗〟の名を与えたいと考える。そのためには都の朝廷の許しを得ねばならず、犬江親兵衛と蜑崎十一郎照文が大役を担う使者となって、朝廷へ献上する金品を積んだ船に乗って房総を出発するのだが、このあたりで親兵衛に関するエピソードにつき、少々申したき事あり。


 

 

実際、世間の人々には認知度の低い「南総里見八犬伝」後半部分ではあるけれど、
蟇田素藤~妙椿篇及び、この後の京都篇は、かなり改変されてはいるものの『新八犬伝』でも取り入れられていたから、全然馴染めなくはない筈だ。私自身は、わずか九歳の少年とはいえ一人前の侍になった犬江親兵衛のエピソードは素藤~妙椿篇だけで十分足りていると思ったし、そのあと丶大法師が結城大法会を済ませて八犬士が集結したなら、そのまま里見家対扇谷定正軍の最終決戦に突入してよかったような気もする。ところが馬琴からすると、八犬士に〝金碗〟の名を与える流れはどうしても必要不可欠だったようで。

 

 

 

本巻の中で馬琴が「ここに来て平和なシーンが続いており読者は退屈かもしれないが、これもこの後の伏線となる欠かせないパートなのだ」みたいな注意喚起を何度か書いている。犬士達が不幸な目にあったり苦しめられたりするエピソードのほうがウケることは馬琴も重々わかっていただろう。しかしそれでもなおかつ、このあと親兵衛京都篇が始まる。正直言って素藤~妙椿篇はあってもいいけれど、結城での徳用襲撃のくだりは必要だったか?京都へ〝金碗〟名の許可をもらいに行くくだりも最低限の分量で済ませてよかったのに。と、やや後ろ向きな発言を残しつつ第七巻はここまで。

 

 

 

(銀) 京都へ向かう途中、三河に寄港した里見家一行の船は海賊・海竜王修羅五郎に襲われ、山育ちゆえ海上戦に慣れていなかった親兵衛を救うのが、今回の同行を許されていなかったのに勝手に船にこっそり乗り込んでついてきた親兵衛育ての親のひとり・姨雪代四郎(=与四郎)。彼は第二巻という早い段階から神宮川の船頭・矠平として登場していたキャラで、荒芽山以来その行方がわからなかったが、第六巻で成長した親兵衛と共に再登場。老人なのに八面六臂の活躍をし、親兵衛のことを「和子(わこ)、和子(わこ)」と呼んで孫のように可愛がっているのは、姨雪代四郎に馬琴の気持がかなり入り込んでいたからかもしれない。





2022年4月20日水曜日

『映画論叢59』

NEW !

国書刊行会
2022年3月発売




★★★★    森卓也が小林信彦を・・・




                                                   本号に鈴木義昭が寄稿している「布村建追悼」は、                                     『映画秘宝』があのような末路を迎えなければ本来あちらに載っていたのではないか。                      鈴木は『映画秘宝』の常連ライターだったし。                                       この『映画論叢』は今は亡き『彷書月刊』似たサイズで、最近の映画は扱わない方針を特に 打ち出している訳でもなかろうが、バックナンバー一覧を見ても日本の元号でいう昭和以前の 国内外映画に思い切り特化した誌面作りがされている。強いて言うなら国書刊行会の取引規模 自体が洋泉社とは違うので、入荷する書店が限られているのが難点。                                                  『映画秘宝』のようなカラーページは無く、中身の佇まいも『彷書月刊』っぽい。

 

 

 

今迄『映画論叢』を読みたかったけど買うのをずっと我慢していたのは湯浅篤志による探偵小説関連映画についての記事が一冊の単行本になった時にまとめて読みたかったから。                              (もっとも、氏が「そのうち単行本を出します」なんて発言しているのを確認した訳でもなく、                    本当に単行本化されるかどうか定かではない)                                      それでも今回初めて『映画論叢』を買って読んでみて、                             やっぱり湯浅の記事は面白くてためになる。本号ではアルセーヌ・ルパン・シリーズの翻訳者として知られる保篠龍緒に関連した戦前映画三本について書かれており、                              その対象作品はこちら(☟)。

 

 

♣ 『茶色の女』(昭和2年公開)

原作:モーリス・ルブラン   脚色:星野辰男(保篠龍緒の本名)

監督:三枝源次郎       出演:南光明ほか

 

♣ 『紅手袋』(昭和3年公開)

原作:保篠龍緒         脚色:大島十九郎

監督:川浪良太         出演:玉木悦子(=環歌子)ほか

 

♣ 『妖怪無電』(昭和4年公開)

原作:保篠龍緒         脚色:木村恵吾

監督:木村次郎         出演:美濃部進(=岡譲司)ほか

 

 

どの映画もフィルムは現存してなさそうで、鑑賞することができないのは仕方ないとはいえ                                             当時の活字メディアを丹念に調べて情報を拾い集めてくれているのは有難い。                              湯浅の専門は探偵小説だから他の記事と並べたら氏の書くものだけ浮いてしまわないかな・・・と懸念していたが、何の遜色もなく本誌のカラーに溶け込んでいる。                                 どんなに時間がかかってもいいから、これら一連の記事は是非一冊の書籍にまとめてほしい。


 

 

 

それほど湯浅篤志の記事を読むのを我慢していたくせに、何故今回『映画論叢』を買ったのかというと、アニメーション/映画をはじめとしたエンターテイメント研究で知られる森卓也の寄稿「或る作家の横顔 尾張の幇間」が掲載されているから。                                            この記事というのが、長年森とは盟友だとばかり思っていた小林信彦について、                            どうにも不穏な発言に満ちていて正直戸惑わざるをえない内容。                           おおまかに整理すると要旨はこんな感じ。

 

 

何かの対象を評する時、自分(小林)の考えだけでは不安だから森に感想を聞き「森卓也もそういっていた」という連帯感の安心を得る為に、しょっちゅう小林から(時には乱暴な形で)意見を求められてきた過去に対する不快感

 

それ以外にも、森が苦々しく感じてきた小林の言動の数々

 

小林を否定的に見ているらしい人達(淀川長治/石上三登志/佐藤重臣/明石家さんま/                    古今亭八朝/永六輔/山藤章二)の例

 

 

 

私は森卓也の著作を殆ど読んだことがなく、その存在は小林信彦著書の中で確認してきただけ。一方、小林の著書はほぼ全て読んできた。だからハッキリ言えるのだけど、                            老舗和菓子屋の長男として生まれた小林信彦はハンパなく気位が高い。                            俗な言い方をすると、大抵の場合において〝上から目線〟。                                                だって臆面もなく「芸の筋がよいタレントを、うまくエスカレーターに乗せる ― それがぼくの 趣味であった。」(要するにタレントが成功できるように自分が導いてやる、という意味)と 言っちゃう人だ。世の中植木等や谷啓のような寛大なオトナばかりじゃないのだし、                               こういう小林に反感を持った者はきっといただろう。でも、                                  我々読者がそんな小林の困った欠点も知った上で彼の本を読んできたように、森卓也もそういう小林の部分を承知の上でずっとつきあいを続けてきてるもんだとばかり思ってきたけど、                            どうも今回の文章を読む限り、最近何か突発的なきっかけで怒りが爆発したんじゃなく、                      以前からずっと抑えに抑えてきたものが噴出してしまった、そんな気配がする。                  

 

 

 

森の文章を読んで私の頭をよぎったのは、小林信彦という人は『ヒッチコックマガジン』の時代に変に芸能界に染まってしまったのは(稲葉明雄が心配したとおり)不幸だったかもしれないということ。そのおかげで読者はずいぶん楽しませてもらったけれど、                                        芸能界の人ってすべからく腹の中で「自分は一般庶民よりはるかに偉い」って思ってるからね。                       小林も華やかなTV業界の一員になってしまって、知らず知らずのうちに元々持っていた高慢さがいつしかあまり好ましくない形で増長し、こういう事態を招いてしまったか。

 

 

 

例えばビートルズ論争。                                              あれも小林に『ミート・ザ・ビートルズ』の誤りを伝えたのが仮に井原高忠のような、                 明らかに小林が自分より格上だと見ている人から云われたのであれば小林も大人しく聞き入れていたと思う。それがたまたま松村雄策という、小林より知名度が低い人物だったが為に、                                 自分よりも格下の存在だと蔑んだ結果「半狂人」なんて発言をしてしまった。                         松村の指摘を受け入れるにしろ受け入れないにしろ、もっとマシな対応の仕方があった筈。                   この言い方は明らかに小林のほうが悪い。格下に見ている人間に対して居丈高な態度を取る癖は                    若い頃のみならず脳梗塞で倒れるまでは『文春』連載でも少なからず見受けられた。              中野翠を下に見ているのはわかっていたが、まさか森卓也にもそこまで・・・。

 

 

 

小林が昭和7年生まれで、森が昭和8年生まれ。                                         二人ともぼ同学年といえるし、卒寿を迎える直前にある。                                   年齢的にこんな事でいちいちキレていては、世間体を心配するその前に健康によくない。                               なんでまた森卓也が急にこんな文章を世に発表したのかさっぱりわからないけれど、                   九十歳の老人の罵り合いなど見たくはない。                                           小林はこんな発言を森がしている事なんて知らなくていいし、                                     森も言いたい事は山ほどあるのだろうけど、できれば刀を鞘に収めてくれるのを願う。

 

 

 

 

(銀) 森卓也の文章を普段読んでいないから、彼の筆致というものが詳しくわからないけれど               いくら怒気が混じっているとはいっても、話の論旨がややあっちこっちにフラフラしているように感じられて、それが単に高齢のせいならまだいいが、                                    本来の森ならもっと整然とした文章を書きそうなのに、そう見えないのが少々気にかかる。                              twitter中毒になって勝手に自分でキレて、アタマがプッツン状態になってバチが当たればいい 老害野郎は世間にいくらでもいるが、森と小林にはそうなってもらいたくはない。



ちなみに「レッツゴー三匹」の表記でも別にいいんじゃないの?と思ってたら、                         ネットでググると「レツゴー三匹」とばかり出てくる。                                         この件はやっぱし森が正しいのか・・・。



 


2022年4月17日日曜日

『月を消せ』藤澤桓夫

NEW !

東方社
1962年5月発売



★★      タイトルの意味を知ってコケた


                                                   

藤澤桓夫は探偵小説のプロパーではないがこの作品には〈長篇推理小説〉と角書きがある。主人公・遠山梨花子は身寄りがなく一人暮しなのだが、ブンヤの好青年・東本孝吉と交際しており、タイピストとして大阪梅田にある化学薬品会社に勤めているBG(=今でいうOL)。梨花子は自社の入っているビルの窓から双眼鏡で外を見ているうち、偶然真向かいのビルの窓の撲殺事件を目撃してしまい、先方も見られたことに気付いたらしく、梨花子の胸の内には不安が広がる。

 

 

 

その不安が的中したのか、同僚の大山美加子が腹を刺されて重傷を負い、ある理由から「自分と間違われて美加子は襲われたのではないか?」と、梨花子の不安は恐怖へ変わってゆく。そこに見知らぬ男が現れて、梨花子が七千万円という(当時の価値でいうところの)莫大な遺産の相続者である事を告げる。「なんかこういう粗筋、最近記事にしたなあ」と思ったら、2021年12月14日upした西條八十『白百合の君』のシチュエーションにすごく似ていた。

 

 

 

ヒロインの初期設定が『白百合の君』と酷似していたのも運が悪かったけれど、全体のプロットが弱いのは痛い。梨花子の身は案の定危険にさらされるのだがミステリ的な面白みも薄い。梨花子の亡き姉・百合枝は敗戦後の日本に四~五年滞在していた米国人RC・ジェーミスンのオンリーだったのだが、そのわりには彼女の描き方に暗さがなくて、コテコテの関西人藤澤桓夫らしくヒロイン梨花子の大阪弁は自然でチャーミング。彼女には孝吉という恋人がいるのを知っていながら梨花子に惹かれてゆく元スポーツマンで弁理士の早川史郎の活躍は女性読者が読んだらウケるのかもしれないけれど、私の小説の好みからするとストーリーがちょっとさわやか過ぎる。

 

 

 

一番マズイのが「月を消せ」というタイトル。どういう意味があるのだろうと考えながら読んでいると、後半部分で悪人の別宅に夜半潜入した早川が敵に見つかった時、月の光で自らの姿が敵の側から露わになるので、自分が見えないよう「おい、誰か、月を消せ!」と早川が心の中で叫ぶ、ただそれだけ。なんやねん?こんな理由があって八十の『白百合の君』ほどにはあまり楽しめなかった。大阪が舞台というだけでも私なりに評価はしたかったんだが・・・。 

 

 

 

(銀) 藤澤桓夫の書く探偵小説の主人公がみな若くて健康的な女性ばかりなのは、なにか営業的な意図があるのだろうか。藤澤は漫才作家・秋田實とも交流があるし、藤澤の評伝がもし刊行されたら、私は彼の小説よりも積極的に読んでみたい。




2022年4月15日金曜日

『南総里見八犬伝㊅』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★     八百比丘尼の幻術



 冨山に登った里見義実の前に現れた犬江親兵衛はわずか九歳ながら十七、八歳と見まがう程の偉丈夫に成長していた。幼い親兵衛が神隠しにあったのも伏姫神女の庇護によるもので、荒芽山を襲撃された姨雪与四郎(=世四郎)と音音の夫婦、そして曳手/単節も霊験によって富山へ誘われ、伏姫の墓がある富山の岩室にて彼らは秘かに親兵衛を育てていたのである。




◕ 本巻から暫くの間は親兵衛中心のエピソードが続く。ここで明らかなのは、(今後も新たに姿を見せるキャラはいるにはいるが)主に既巻にて顔見せ済みのキャラがまた登場してきたり、それまでの伏線回収だったりして、前巻の七犬士集結までを仮に第一部とするなら、物語の折り返しとなる蟇田素藤/妙椿篇以降は第二部といった趣きがあること。

「南総里見八犬伝」の読者には共通して、ここから先の親兵衛譚は評判が悪く、現在河出文庫になっている白井喬二の現代語訳『南総里見八犬伝』でも(元々この本は最初からかなり端折っているところが多いのだが)バッサリ省略されまくっている。

 

 

 

それぞれ不遇な少年時代を送ってきた他の七人に比べると、ひとりだけ伏姫に守られていたり、全ての犬士が揃うまで他の七人は里見家に接見するのを固辞しているのに、親兵衛は特別扱い。何故馬琴は「仁」の玉の持ち主にこういう特性を持たせたのか、一応八犬伝研究書で識者の推論を読んではきたけれど、久しぶりに原作を読んでみてもやっぱり親兵衛にはどうしても好印象を持ちにくい。とりたててイヤな面が描かれている訳でもないのに「これ!」という魅力に欠けているし、馬琴が妙に親兵衛をヒイキしている(?)のが行間から透けて見えるぶん、なんだか逆効果な感じがする。

 

 

 

◕ それと、もうひとつ。前巻までの犬士列伝はどんな悪役が出てきても、それらは殆ど生身の人間だったし、例外といえるのは伏姫八房篇の玉梓の祟り及びニセ赤岩一角の化け猫ぐらいで、スーパーナチュラルな現象を起こすのは伏姫もしくは役行者、つまり善の側のほうが目立っていた。ところが蟇田素藤の軍師でもあり愛人でもある妙椿があやつる妖術の手練手管は、それまでの悪役とは比べものにならない。

なんせ〝甕襲の玉〟という禍々しい物を持っており、かつて甲斐國で継母だった夏引の霊を持ち出して浜路姫を奇病をしたり、はたまた親兵衛から「仁」の玉を遠ざけたり、親兵衛と浜路姫がまるで密通しているようなニセの艶書を里見義成に見つけさせて怒りを誘発し、義成はその詭計にまんまと嵌まって「他の犬士を連れてくるように」と建前上命じてはいるものの、親兵衛は里見家から暇を出される立場に追い込まれるのだから。

 

 

 

◕ 一度は里見勢に捕えられ、親兵衛の寛大な諫言によって斬首されずに追放された蟇田素藤とその家来達。だが、彼らはまたしても妙椿の力を借りて館山城を占拠した。その頃、親兵衛は上野原にいて、自害した河鯉権佐守如の息子・河鯉孝嗣の死刑執行を耳にする。

河鯉守如は扇谷家のため犬阪毛野に籠山逸東太の暗殺を依頼したのだが、逸東太に通じた佞臣どもが管領扇谷定正に「孝嗣は犬士達と内通している」などと出鱈目な情報をもたらした為、激怒した定正は孝嗣に釈明の余地も与えず、このような断罪へ。父・守如同様に孝嗣も主君に対する厚い奉公心を持っているのは前巻に書かれているとおり。

 

 

 

死刑執行の瞬間、越後からやってきたという箙大刀自の一行が現れ、すんでのところで河鯉孝嗣は命を救われた。しかし、その箙大刀自一行は煙のように姿を消してしまう。「神の御加護か」と思いつつも早々にその場を立ち去った孝嗣は親兵衛と出会う事に。
といったところで第六巻ここまで。

 

 

 

 

(銀) 突然だけども、今も現行本で入手できる新潮社版『南総里見八犬伝』はこちら。
全十二巻。手軽な文庫という形態にこだわらないのであれば、これも決して悪くはない。







ただ80年代に出ていた岩波書店の函入り単行本が、一冊あたり1,000円未満の価格だったのに対し、新潮社の函入り単行本は一冊あたりの価格が税込で3,000円前後。しっかり作られた造本とはいえ、十五年ほどの年月の間に「本の相場はこんなに高くなったんだな」という事を改めて思い知らされる。

 

 

 

前巻の地の文でも、馬琴は「大団円が近い」と書いていたし、本巻でもそのような文章はある。にもかかわらず親兵衛譚が長くなるのはどうしてだったのだろう?蟇田素藤/妙椿篇だけをとっても他のエピソードより尺が長い。

本巻に収録されている分の話が発表される前年には、馬琴の一人息子・滝沢宗伯(=興継:のちに失明する馬琴の執筆活動を、口述筆記で支えるお路の夫)が四十にならない若さで亡くなっている。馬琴自身も既に七十になろうとしており、右眼だけでなく左眼の視力までもが低下しつつある。こんなヘビーな状況でも、彼はまだ「南総里見八犬伝」を終わらせるつもりはなかった。





2022年4月13日水曜日

『南総里見八犬伝㊄』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★★    七犬士邂逅




 管領扇谷定正の勢力圏にありながらも、定正には属せずにいる穂北の郷士・氷垣残三夏行。その娘・重戸は『新八犬伝』では犬山道節の恋人に設定されていたが、原作では落鮎余之七有種という婿がちゃんと居て、この落鮎有種は元豊嶋の残党ゆえに、実は道節とは近しい関係。本巻の序盤で犬士達は氷垣残三との繋がりができており、道節は穂北を拠点にして定正の動向を窺っていた。

 

 

 

 石禾の指月院を長らく預かっていた丶大法師は後任の老僧がようやく見つかり、「南総里見八犬伝」の物語の前奏でもある〝結城合戦〟で命を落とした人々の菩提を弔うため、石禾を発ち彼の地へ向かう。その途中、妖術師・鵞鱓坊に供物を巻き上げられ苦しんでいる村人を救うべく丶大が一人で悪党成敗する珍しいエピソードも。

 

 

 

 坐撃師(いあいし)・放下屋物四郎として湯嶋天神で客を取っていた犬阪毛野は扇谷定正の内室・蟹目前の飼っている猿を救った事から、定正の忠臣・河鯉権佐守如に腕を見込まれ、ある男の暗殺を依頼される。その標的というのが、奇しくもずっと毛野が仇として探しており、長尾家から扇谷家へ寝返って定正に取り入ったものの、蟹目前や河鯉守如のような真っ当な人々からは獅子身中の虫と見られていた、竜山免太夫と名を変えた籠山逸東太

毛野は守如の依頼を受諾するのだが、この密談を耳にした犬山道節は「毛野が逸東太を討ち果たしたら、きっと定正は毛野を捕えようと城から出てくるに違いない」と見て、襲撃の準備をしていた。他の犬士や落鮎有種が加勢を決意しているのは言うまでもなし。

 

 

 

籠山逸東太は数十名の雑兵を従え、相模の北条家へ密議の使節として出立。その中には鰐崎悪四郎猛虎なる三十人力の武勇の使い手もいる。鰐崎悪四郎はNHKの人形劇では道節の父を殺した仇の一人として出雲の城主に格上げされていたけど、原作では逸東太の腹心。そこへ現れた毛野、逸東太と直接対決。この知らせを聞いて予想どおり毛野を召し捕らんと数百の勢を率いて五十子城から出撃した定正に対し、道節をはじめ犬士達が斬り込む。

 

 

 

如何せん手勢が少なかった定正は犬士達にしてやられ、五十子城は崩壊。道節は定正を追い詰めるが、もう一歩のところで逃してしまう。この道節たちの思わぬ襲撃により、秘かに毛野に逸東太暗殺を依頼していた蟹目前と河鯉守如は定正へ顔向けできなくなり、両人とも自害。斯様にして信乃/荘介/現八/道節/小文吾/毛野/大角(=角太郎)の七人が顔を揃えた訳だが、手痛い敗北を喫した定正の胸には「全ての犬士達を排除せねば」という遺恨が生じるのだった。

 

 

 

 ガラリと場面は変わって、第一巻以来久しぶりに登場する里見義実。義実は若い嫡男の義成に家督を譲り、滝田城で静かな日々を送っていた。また前巻(第四巻)の四六城木工作篇に登場した義成の五の姫・浜路はあれから無事安房へ帰り、姉妹の中でも一番の美しさを誇っている。

ここにまた、西の近江では但鳥跖六業因という極悪人の盗賊が跋扈していた。この但鳥跖六が胎児を蒸して啖ったことから天罰が下り、京で捕えられる。跖六の息子・但鳥源金太素藤は身の危険を感じ、一味の金を持ち逃げして東国へ。房総に流れ着いた素藤は蟇田権頭素藤と名を変え、不思議な悪運も手伝って、愚政を行っていた小鞠谷主馬助如満の館山城を乗っ取る。

 

 

 

その素藤の前に現れたのは、人呼んで若狭の八百比丘尼・妙椿。妙椿は素藤に浜路姫の幻影を見せ、一目ぼれした素藤は里見家へ浜路姫を嫁にもらいたいと申し出るも、きっぱり断られる。逆ギレした素藤は里見義成の嫡男であり、まだ幼い義通を人質に取って浜路姫の身柄を要求。直ちに里見勢は館山城を包囲するが、人質を取られていては強硬な手段に出ることもできない。

この巻では、遂にあの船虫にも年貢の納め時が訪れる。その船虫と入れ替わるが如く表舞台に現れた妙椿。義通を人質に取られた里見義成はどうする?そは次回の記事に解分るを見て知らん。といったところで第五巻ここまで。

 

 

 

 

(銀) 八犬士の中で誰が一番好きかと訊かれたら、原作だったら私は犬阪毛野。女田楽師/乞食/坐撃師と次々に姿を変える華があり、さしたる欠点は見当たらない。女と見間違うような外見なのに牛若丸並みの身のこなし、知力武力とも持ち合わせていて、犬山道節が血気に逸るのとは対照的に沈着冷静。あまり人と群れない感じがあるのもいい。道節は原作では、自分が八犬士の一人だと知って火遁の術を捨ててしまうんだよねえ。『新八犬伝』みたいに最後まで修験者・寂莫道人肩柳としての顔を持ち続けていたほうが活躍の場が広がったのに。原作の道節は直情的で、度々他の犬士から諫められる場面が目立つ。そこが人間的でもあるのだけれど。



ちょっとした疑問。いつのまにか蟹目前までもが箙大刀自の娘になっているけど、箙大刀自の娘は大石憲儀の妻と千葉介自胤の妻じゃなかったっけ?                 




2022年4月8日金曜日

『青白き裸女群像』橘外男

NEW !

名曲堂
1950年7月発売




★★★★★   悪趣味なエログロばかりが本作の売りじゃない



                                                   

「青白き裸女群像」には同テーマの別作品「双面の舞姫」「地底の美肉」がある事は、当Blogにおける20201128日の項にて記したとおり。三作のうち一番最初に書かれたこの「青白き裸女群像」は仏蘭西が舞台で、大富豪ジュール・ド・ヴィラン老人が自分の娘を生贄にされた俄かには信じ難い前代未聞の誘拐事件をパリ警視庁へ持ち込み、応対した捜査二課長メイニャール警視に一部始終語るところから物語は始まる。

 

二十二年前ヴィラン一家が南佛オーヴェルニュ高原地方へ旅行した折、美人の誉れ高き令嬢カトリーヌが行方不明になり、ありとあらゆる捜索が行われたが犯人から身代金などの要求も無く、なすすべもないまま時が過ぎていった。ところが昨年の大晦日の夜、突然カトリーヌを名乗る中年の女性がよろよろとヴィラン家に帰ってきた。彼女は肌という肌を黒布で隠しているものの、その眼は膿み爛れ、全身からは烈しい異臭が漂ってきた、と老人は言う。

 

 

                   



本作でいつも取り沙汰されるのは、美女を次々と誘拐して獣のように彼女達を犯し続ける謎の地下宮殿に君臨する首領の猟奇性、そしてその宮殿に住む者達が皆レプラを病んでいるという有り得べからざる設定、この二つである事が多い。

確かにレプラの描写は(現代と違って、昔はまだ治療のメソッドが発達しておらず、不幸な認識が当り前のように存在していたとはいえ)目を覆いたくなる程の陰惨さだ。その上首領が美女の身体も魂も蹂躙するばかりか、✕✕✕✕✕(伏字部分は本を読んで確認して頂きたい)を美女に注射するのだから、なんともはやである。

メイニャール警視はヴィラン老人の話が絵空事だとはとても思えず行動に移ったものの、同僚のライバル/捜査一課長デュアメル警視には馬鹿にされ、これという手掛かりも掴めぬまま事件は迷宮入りするかに思えた。

 

 

 

ところが仏蘭西中を騒がせていた怪盗が逮捕された時の、カトリーヌ嬢誘拐とは全く関係の無い事件調書をたまたまメイニャール警視が読み耽っていたことから形勢は一変。前半があまりにもダークだったぶん、ここから地下宮殿の謎が徐々に暴かれてゆくさまは手に汗握る面白さ。「青白き裸女群像」はこの急転直下のドラマ性があるからこそ、エログロ一辺倒になりそうな〝やりきれなさ〟を免れている。

あと後半は冒険小説みたいなサスペンスがあって、レプラの巣である地下宮殿に古代ヨーロッパの歴史ロマンが隠されているのもいい。〝虚構のフィクション〟をまるで自分が見聞したかの如く語り綴るホラ吹きテクニック、これぞ橘外男の真骨頂。

 

 

                    



重ねていうけどレプラの描写は現代においてはあらぬ誤解を招きやすいし、扱いには十分配慮が必要であろう。だからといって、本作が二度と再発されなくなるような事態になるのはこれまた間違っている。(数年前に河出書房新社が再発して以来、「青白き裸女群像」は現行本の流通が無い)

まごうことなき橘外男の代表作なのだから、古本オタではない人でも手軽に読めるような状況であってほしい。



(銀) レプラという題材をショッキングに扱った小説は他に例が無い訳ではない。それにしたって、どういうつもりで橘外男はここまでグロ風味にしたんだろう。単純にこの人のドス黒い〝クドさ〟から来ているのは否定のしようがないんだけども。



橘外男の著書は古書店では探偵小説として扱われる事が多い。でも本人は自分が探偵作家である意識もないし、他の探偵作家との交流もなさそう。作品だけでなく作者自身そのものが異端児であり、頭の中を覗いてみたい人だ。




2022年4月6日水曜日

『狂人館』大下宇陀児・外

NEW !

東方社
1956年10月発売




★★★★    戦後派作家の活躍



                                                   本書に収録されている三つの中篇はどれも探偵作家三名が 前篇→ 中篇 →後編 を分担して書いているので一見リレー小説のように見えるが、三篇とも同じ雑誌同じ号に一挙掲載されているので事前に三人でおおまかな打ち合わせをした上で書かれている可能性はある。                                        初出誌に当たっていないからこの企画の詳しい事情については何とも言えないけれど、                              通常のリレー小説のように方向性も文体もバラバラな感じが無くて、スッキリ読める。


 

                    

 


「狂人館」【『読切小説集』19553月増刊号】

(上)大下宇陀児

(中)水谷準

(下)島田一男

 

 

三船紀子は小さな食料品会社に勤め、新聞記者の戸沢信一とつきあっている。                             信一とのデートの途中、弟に貸す約束をしていたカメラを会社に置き忘れたのに気付いた紀子が事務所に戻ると、会社の社長・疋田文平が見知らぬ男二人女一人と密談を交わしていた。                         それというのが他人に聞かれてはまずい話だったらしく彼らは紀子を脅して車に押し込み、                       ある場所へと連れてゆく。その建物というのはまるで狂人が設計したような奇妙なビルだった。

 

 

〝狂人館〟と名付けられた建物は普通の雑居ビルとは全然違う怪しい造りになっているが、                       そこまで読者に印象付ける程のものでもない。                                        このメンバーゆえどうという事もないスリラーだけど、ひとつ感心したのは三番手の島田一男が大下宇陀児と水谷準の蒔いた種をすべて丁寧に回収している事。                                  紀子が信一を呼ぶ時「信一さん」と言っていたのが島田の回のみ「信さん」になっていて、                           これだけはご愛嬌。宇陀児/準からすると島田一男は探偵小説の後輩ではあるが、                   実際水谷準とは殆ど年齢に差は無く、単にシーンへのデビューが遅かっただけ。                         連作や合作の場合、回収し忘れる事項はいつもありがちなのに、それが無い点は褒めていい。                    〝狂人館〟が単に雰囲気作りの為だけのものでなく、                                        何かしら必然性のある意味合いを持たせられれば尚良かった。


 

                     

 


「鯨」【『探偵実話』19537月号】

発端篇/血染の漂流船      島田一男

捜査篇/血しぶく女臭      鷲尾三郎

解決篇/血ぬられたる血潮    岡田鯱彦

 

 

漁業仲買人・津上専吉には、お新という年齢が十四も違う若い女房がいる。                     お新は男好きのするところがあって、貞淑とはいえぬ女で人の評判もよくない。                      専吉の船・第三半七丸に乗って一緒に働いているのは、                                      専吉の弟でギャンブル好きの与太者・啓次と、                                             男前だが最近胸を患っている雇人の坂田為蔵。                                        この啓次も為蔵もあわよくばお新をどうにかしたい魂胆を抱いている。                                 ある日同業者の人間が、第三半七丸が本来戻るべき木更津ではなくて、                   東京港から品川~お台場と、南の方角へ向かっているのを見た。                                                  そのまま船は大森に向かい、大勢の海水浴客が遊んでいる砂浜へと暴走。                          それなのに乗り上げた船は無人状態で、船倉には大量の鮮血が・・・。

 

 

この作にはトリックがあるので、本書の中では一番興味を引かれる。                                 「狂人館」では上手くラストを締め括った島田一男が今度は一番手。                            スリラーに設定してもイケそうな発端ではあるが、先程も書いたように三作家が事前にキッチリ                       打ち合わせして書いたと見ても納得がいくような、スムーズに謎解きを提示する展開。                      「鯨」というタイトルから、読み手はある程度犯人の企みを予想できるかもしれないが、                          それだけでは終わらないのだ。

 

 

                       



「魔法と聖書」【『探偵実話』1954年2月号】

前篇 ― 小心な悪漢    大下宇陀児

中篇 ― 五階の人々    島田一男

後篇 ― 三つ巴の闘い   岡田鯱彦

 

 

丸金商事の外交員・浅井新吉は自分の会社が入っているビルのエレベーター・ガール南条市子を情婦にしている。二人とも悪い意味でのアプレで、新吉はホテルで市子とでセックスするか、                          パチンコ屋に入り浸るかの日々。そんな新吉の行くところには妙な男の影がチラつき、                          市子はエレベーターの中でセクハラをしてきた丸金商事のエロ支配人が往来で死体となっているのを目にする。彼らの周りでいかなる悪事が進行しているのか?

 

 

う~ん、これは「狂人館」よりもイマイチ。                                            〝赤と青のインクじみが沢山付いた碁盤縞のハンカチ〟と〝支配人の持ち物だった聖書〟に                         二つで一つとなる秘密を持たせるとしても、あまり有機的なカタルシスは生まれていない。                       ここまで読んで思うのは、トリックや謎解きには興味が無い宇陀児のような戦前の先輩作家と         戦後デビューした後輩作家を組ませて異世代のケミストリーを狙う、                               それもひとつの面白いトライだと理解はできるけれど、                                       こんな企画が持ち上がった時「(戦前の本格派)濱尾四郎が生きててくれれば・・・」とか、                    「蒼井雄がバリバリ本格ものを書き続けてくれていたらなあ・・・」とか、                   叶わぬ望みも湧いてくるのである。


 

 

 

(銀) なんにせよ、島田一男/岡田鯱彦/鷲尾三郎といった戦後派の面々が頑張っているのはよくわかる。奥付を見ると、本書の著者検印は大下宇陀児のものだった。                                        著者名自体が大下宇陀児・外になっているし、年長者を立てるということか。





2022年4月4日月曜日

『南総里見八犬伝㊃』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    獣人妖猫の怪



(前回の記事で述べた理由により、今回から岩波書店新版文庫を使用している) 

◕ 犬村角太郎の実父・赤岩一角を喰い殺し、その姿になりすまして赤岩家の主に収まっていた庚申山の化け猫。しかし角太郎をはじめ里の人間は誰もその事に気付かず、角太郎の実母の死後化け猫のニセ一角は次々と妻を迎え、窓井という女が(角太郎とは腹違いの)二男・牙二郎を産んだ。後妻達は皆ニセ一角に精気を吸い取られて死んでいったが現在の妻・船虫だけは悪人同士だけにニセ一角とウマが合い、継母の立場で角太郎と許嫁の雛衣をじわりじわりと苦しめる。




 

射干玉(ぬばたま)の闇に、鬼火のように燃えている妖猫の眼。人獣交婚。和のゴシック。魑魅魍魎。江戸川乱歩が「人間豹」を書いた時、この赤岩一角妖猫譚が頭の中にあったとしても何の不思議もない。より読者に戦慄を与えるため、角太郎と犬飼現八をもっと苦戦させるほどの手強さと凶悪さをニセ一角/牙二郎に備えてもよかったと思うが、これでも江戸時代の読者にはかなりインパクトを与えただろうな。


それにしても馬琴は犬士達と縁の深いヒロインには悉く非業の死を背負わせる。伏姫や沼藺はさらなり、浜路に次いで雛衣の運命は特に悲惨。そう思うのはやっぱり犬塚信乃が浜路を悪人だらけの大塚にひとり置き去りにしたのと同様、いくら親のニセ一角と船虫から云われたからって、妻となるべき雛衣を遠ざけてしまう角太郎の行動も影響している気がする。







◕ ここでちょっと、関東及びその周辺の武家の争いについて説明しておこう。『新八犬伝』で目立っていたのは滸我の足利成氏と鎌倉の扇谷定正だったが、原作ではもう少し複雑。関東管領の座には扇谷定正と並んで山内顕定がいる。赤岩一角妖猫譚に登場する籠山逸東太縁連は赤岩一門出身の男で、その武芸を認められて山内家の内管領・長尾判官景春の家臣になっていた。前巻では白井城に扇谷定正が居たのに、何故この第四巻で長尾の者である逸東太が白井城へ向かうのかというと、その後定正は長尾景春に攻め落とされ武蔵國の五十子城へ移っているから。つまり扇谷からしたら長尾は怨み重なる敵なのだ。

 

逸東太はニセ一角と一緒に現八を討とうとしたが、結局化け猫どもは二犬士に退治される。罪人として船虫を長尾家に差し出すよう逸東太は二犬士に指示されていたにも関わらず、色仕掛けによる一晩の同衾を許してしまった逸東太は船虫に逃げられ、おまけに主から預かっていた名刀も掠め取られてしまって、長尾家におめおめと帰れなくなり扇谷定正側へと寝返るのだった。







◕ 犬塚信乃は甲斐國で村長・四六城木工作の養女・浜路と出逢う。ある晩、亡くなった信乃の許嫁・浜路の霊がこの生きている浜路に乗り移って、信乃へ想いを伝える。この第二の浜路、実は里見義成の五の姫で、幼児の頃大鷲に攫われ甲斐の地で木工作に拾われ育てられていた。信乃を逆恨みする泡雪奈四郎は不倫している木工作の後妻・夏引と共に、木工作を殺してその罪を信乃になすり付ける。それを救うのは眼代に化けた犬山道節。石禾の禅寺・指月院には丶大法師と蜑崎十一郎照文が居り、四人は合流。木工作殺しの真相を調べた国主の武田信昌は信乃/道節の人となりを気に入って「自分に仕えぬか」と誘うが、里見家への義がある信乃と道節はそれを丁重に断り、再び旅に出た。

 

このような形で再度浜路が登場してきたのには、当時の読者から「あまりに浜路は不憫過ぎた」とでもリアクションがあったか。四六城木工作殺しを調査するくだりには、現代でいうところの探偵趣味が見られる。







◕ 犬田小文吾は越後國小千谷の里にいた。この地に逃れてきた船虫は盗賊の妻になっており、前の前の夫・並四郎を討たれた復讐をすべく、贋按摩となって小文吾殺害を図る。こちらも越後にやって来ていた犬川荘介(=荘助)は小文吾を支えて盗賊を誅戮するが、なぜか二人は領主に捕えられてしまった。その訳というのが、長尾景春の母である箙大刀自なる老婦人が越後を仕切っており、彼女の娘のひとりが武蔵國大塚の大石家に、もうひとりは石浜の千葉介自胤に嫁いでいる。それゆえ大塚で仲間の犬士に助けられて死刑を逃れた荘介がお尋ね者になっている事、更には対牛楼で馬加大記らを皆殺しにした下手人の旦開野と一緒に逃げたのが小文吾である事も、すべて箙大刀自には筒抜けだったから。

 

 

 

かかる最大の窮地を、ある賢人の詭計によって救われた小文吾は荘介と共に越後を去り、信濃路で相模小猴子(さがみ こぞう)を名乗る乞食に身をやつしていた犬阪毛野と再会。ようやく毛野が「智」の玉を持ち、肘には牡丹に似た痣があるのも判明した。自分が八犬士の一人で、将来里見家に仕える身であることを理解した毛野。だが、彼には馬加大記の他にもまだ討たねばならぬ親の仇がおり、置き手紙代わりの詩歌を残して、小文吾と荘介が熟睡している間にそっと宿を後にしたのだった。といったところで第四巻ここまで。

 

 

 

(銀) 戦前の刊行から新版が出るまで、昭和の時代に流通していた『南総里見八犬伝』の旧版岩波文庫がコレ。カバーは無く帯が巻いてあるのみ。本文が旧仮名遣いなのは新版も同じだが、文字間隔も行間も若干狭く、挿絵は少ししか入っていない。



 

 









現八と角太郎が見逃してやった籠山逸東太縁連こそ犬阪毛野の求める仇敵だったのだが、二人はまだその事を知らない。そして越後で盗賊征伐がなされた際にも淫婦船虫はまたまた逃げおおせる。雛衣の掻き切った腹から「礼」の玉が飛び出して、これでようやく(読者には)全ての霊玉の持ち主が明らかになった。

 

 

次の第五巻に収録の〈第八輯〉下帙が出版される頃から、作者馬琴は右眼の視力に異常を感じ始めていたらしい。