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2024年7月17日水曜日

名古屋の櫃まぶし

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かつて江戸川乱歩は身の回りのことをよく随筆に書いていたので、私も気分転換がてら、探偵小説とは何の関連も無い話をしてみようと思う。

 

 

HDに保存されている或る書影の画像を探していたら、失われたとばかり思っていた古い写真が一枚だけ出てきた(この記事の左上にある画像がそれである)。昔、名古屋に住む知人の案内で、初めて櫃まぶしというものを食べたのだが、これはその時訪れた、繁華街にあるうなぎの店だ。とにかく櫃まぶしは美味だったし、歴史を感じさせる外観や、大人の男女が静かに会話を楽しむのに適した店内の落ち着いた雰囲気が思い出され、ついノスタルジーに浸ってしまった。

 

 

ところが間抜けなことに、この店の名前を失念してしまい、今回発見した画像にちゃんと看板は写っているのだが、拡大してみても店名の文字が読み取れない。ネットで名古屋のうなぎの店を検索しても、それらしいものは見つからず。三十年前の話だし、「もう無くなってしまったのかなあ」と諦めかけていたところ、よ~く画像を見ると、その店に隣接しているビルの名称らしきものはハッキリ確認できる。そのビル名を頼りに再度ネット検索したら・・・あった!外装こそ当時より綺麗になっているものの、今も変わらず営業しているみたいでなにより。

 

 

グルメ・ブログではないから、この店の詳細は書かない。名古屋にお住まいの方ならきっとご存知の名店だろうし、上の画像を見ればわかる人はすぐにピンと来るんじゃないかな。創業は明治42年。今の御主人は六代目にあたるそうだ。小酒井不木も此処でうなぎを楽しんだのだろうか。この店に連れて行ってくれたSさんが、何かの拍子に今日の記事を見つけてくれれば私は嬉しい。






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無駄話  (☜)

 

 


2024年7月7日日曜日

岩波文庫版『左川ちか詩集』編者・川崎賢子に対する煩憂

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本日はまず、左川ちか研究者(いや、広く現代詩研究者と申し上げたほうがいいのかな)として研鑽を積み、令和4年4月に書肆侃侃房から『左川ちか全集』を上梓した島田龍氏がここ一ヶ月の間に発信したNOTEへの四つの投稿から見て頂くとしよう。この投稿は彼の「X」(☜)でも拡散されている。

 

 

島田龍NOTE/「左川ちか」のテキストをめぐる雑感
 

❶ 岩波文庫における昭森社版詩集の扱い  (☜)

❷ 岩波文庫における森開社版全詩集の扱い (☜)

❸ 岩波文庫における私の研究の扱い    

❹ 資料集成と岩波文庫の関係と遺族の思い 

 

 

Blogにいつも足を運んで下さっている方々の関心の対象を慮ると、上記NOTEを斜め読みしてみて「銀髪伯爵の名前が出てくるだけ目を通しとけば、❶~❸はスキップしちゃっていいや」と思われるかもしれない。ちょっと待った。最後には毎度おなじみ善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力の話へ帰結してゆくとはいえ、今回鍵になるのは岩波文庫版『左川ちか詩集』なのだ。

 

 

そのためには、この文庫の成り立ちや予備知識、更に島田龍の胸の内まで最低限知っておかれたほうが、このあと私の投げ掛ける疑問についても、より正確に判断しやすくなるだろう。ゆえに左川ちかに詳しい方も、そうでない方も、お手数だが上段に張ったリンクをクリックして島田龍NOTEへ飛び、❶から❹までの投稿を順にゆっくり目を通した上で、この先読み進んでほしい。








 












・・・・いかがでした?僭越ながら上記NOTEの要点を当Blog的に整理してみると、次のような事になる。この文字部分は私個人の見解 & 注釈ですヨ。

 

 テキストの精度はムチャクチャ、売るに値しない左川ちか同人本を濫発して泡銭稼ぎはするわ、研究者・島田龍の名前を利用するだけ利用、あとは何の挨拶もなく献本さえしなかったばかりか、挙句には島田氏が過去に出そうとしていた左川ちか本の制作時に度重なる妨害行為まで働いた善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力そして盛林堂書房・小野純一に向けられた島田氏の怒りは、そう簡単に収まるレベルのものではない。

 

それでも氏は信念を貫き、壁をぶち破った。書肆侃侃房の尽力もあって、島田龍・編『左川ちか全集』は無事刊行され、長きに亘り稀覯本扱いのまま、一部の書痴どもの慰みものになっていた彼女の詩は、多くの人に気軽に読んでもらえるようになった。

 

 

 

 ところが・・・島田龍・編『左川ちか全集』がリリースされてまだ一年と数ヶ月しか経ってないのに、天下の岩波文庫から川崎賢子・編『左川ちか詩集』が投下される。出版界でのステイタスを比較するまでもなく、相手岩波なら尚更、マイナーな出版社である書肆侃侃房が抱える島田龍・編『左川ちか全集』の売上に影響を及ぼすのは自明の理。

 

島田氏にはかなりの痛手だ。それでも氏は、より左川ちかのことを知ってもらう良い機会になるのなら・・・と前向きに接するつもりだったそうだ。だが岩波文庫版の中身を吟味してみたら、昭森社版『左川ちか詩集』の再現を意図しているようにしか見えない。昭森社版というのは左川が亡くなった昭和11年に慌てて制作されたのもあって、島田氏からすると新刊の底本とするには至極問題アリなテキストらしい。


また解説欄においては、先行研究・先行出版に言及していながら島田龍の存在は無視され、逆に紫門あさを(=これが善渡爾宗衛と同一人物であることは、以前お伝えしたとおり)編纂『左川ちか資料集成 増補普及版』のほうはテキスト校異の対象として積極的に扱われているという。

 

ちょっと補足しておくと、こういう新刊本のバッティングはミステリ業界でも稀に起こりうる。ある海外ミステリ作品に という翻訳者を起用して、出版社 A' が発売。するとほぼ時を同じくして、全く同じ作品に という翻訳者を起用し、出版社 B' が後追い発売、なんて事があったりする。大抵は業界内の連携が取れてなくて、偶然こんな事態になるのだろうし、まさかもう一方の翻訳者と版元にわざわざケンカを売るため同一作品をぶつけてくるなんて、そこまで馬鹿げた人間は滅多にいないんじゃないかね。




                    





私は左川ちかのことは全くわからない。然は然り乍ら、島田龍に外圧を掛けるかのごとく速攻で岩波文庫版『左川ちか詩集』を世に放ち、善渡爾宗衛らをアシストするような動きを見せたのが他でもない川崎賢子であることは、私にとって聞き捨てならない。

それというのもこの人、昔から日本の探偵小説だけでなく大衆文学研究の分野で名の通っている御仁であり、現在彼女は立教大学江戸川乱歩記念大衆文学研究センターの一員になっているが、私が「なぜ石川巧なんかより、川崎賢子をセンター長にしないのか?」と吠えるぐらい学究の徒であった筈だ。その経歴などは、こちらのリンク先を見て頂ければ一目瞭然。








島田龍NOTEを読むと、岩波文庫版『左川ちか詩集』が(ホンの一部ならまだしも)ガッツリ紫門あさを、いや善渡爾宗衛の作ったゴミ本『左川ちか資料集成 増補改訂版』に準拠しているのはトーシロでもわかる。

それを裏付ける、清水御狩という岩波書店編集者によるFacebookへの投稿を島田氏は発見した。そこに書かれている内容から、岩波の人間までもが善渡爾宗衛とズブズブであることは言い逃れできまい。重要な証拠だし、島田氏のNOTEより、そのFacebookのスクショを無断転載させてもらう。画像をクリック拡大してよ~く御覧頂きたい。





















〝佐川ちか詩集、来週刊行です。s先輩の編集ですが、協力頂いたサイモンさんは、なんともみぢ時代の親友です!〟だってさ。【論創nonfiction】と名乗って、日々「X」でろくでもないポストばかりしている論創社の編集者・谷川茂(☜)なんかも、SNSだろうが紙の上だろうが誤字だらけだし、本当に頭の悪い人間なんだなと常々思っているが、この清水某も活字を生業にしているくせに〝佐川ちか〟とか書いてて恥ずかしくないのかねえ。




一方、川崎賢子は岩波文庫版『左川ちか詩集』の出る前から、対面でもSNS上でも島田龍と言葉を交わしていたようである。島田氏からは『左川ちか全集』が献本されているのに、自分の手掛けた『左川ちか詩集』をお返しに贈ることもせず、連絡ゼロの礼節ゼロ。見方によっては、岩波書店編集部だけが善渡爾宗衛と繋がっていて、川崎は編者として利用されただけだから島田氏に何も言えなかったんじゃない?と受け取る人もいるかもしれない。疑り深いワタシには、とてもそうは思えませんな。



                    





最近は幽霊会員なのかどうかハッキリしないが、脱会していなければ今でも川崎は『新青年』研究会のメンバーである筈だし、『定本夢野久作全集』『定本久生十蘭全集』(いずれも国書刊行会)の制作にも彼女は関与している。いくらミレニアム以降、彼女と岩波書店の間に太いパイプができていたとしても、なんで善渡爾宗衛に加担しなけれなならないのか、全然理解できない。

私が左川ちかに関する善渡爾らの悪行を大っぴらにしたのが令和4年1月、島田龍が書肆侃侃房版『左川ちか全集』を刊行したのが同年4月。どんなに早くても岩波文庫版『左川ちか詩集』の制作がスタートしたのは令和4年になってからだろうし、その間、善渡爾らの噂を編者である川崎が耳にしていない筈がない。



タイミングよく、前々回の当Blog記事の中で、日本探偵小説の研究者・川崎賢子ともあろう人が非常に的外れな記述をしている事をお伝えした。




〝カストリ雑誌の象徴的存在と呼ばれる『猟奇』の発行人加藤幸雄の回想(「『猟奇』刊行の思い出」『出版ニュース』1976年11月下旬号~1977年5月下旬号)によれば、『猟奇』の書名は、一九三〇年代の『猟奇倶楽部』の主宰者たる平井太郎(江戸川乱歩)の許可を得たものという。〟(ママ)

江戸川乱歩が『猟奇倶楽部』とかいう雑誌を出していたなんて、立教大学お得意の大ボラ「旧乱歩邸土蔵のことを、乱歩は幻影城と呼んでいた」と同じく、どこにも根拠はありませんがね。






川崎賢子さん、貴女も善渡爾宗衛達みたいに、物故作家が遺した作品をどれだけ愚弄してもいいと思っていらっしゃるのでしょうか?また、探偵小説及びSFの研究者という人種はすべからく、善渡爾宗衛のやることには一切逆らえないのですか?色々しがらみがあるのかもしれませんが、もし違うのであれば「違う」とハッキリおっしゃって頂きたいですね。とにかく私は『新青年』研究会の古参メンバーとは思えぬ貴女の行動・論述に失望しています。それでも、本日の記事のタイトルに〝疑惑〟という言葉を使わず〝煩憂〟と書いたのは、貴女を信じたい気持ちがまだ私の中に残っているからなのですよ。






(銀) 島田龍氏にも一言。私のような性格の悪い輩とは異なり、貴殿はとても繊細でお優しい方だと拝察します。でも、三門優祐氏にも申したのですが、甘い顔をして善渡爾宗衛をこのままのさばらせておいたら、あいつらはまた左川ちかや倉田啓明のような、既に著作権が切れている作家を標的にゴミのような本を出し、作家と作品を貶め続けるでしょう。



決して野次馬根性で言う訳ではありませんが、貴殿がこれまで左川ちか本を制作しようとして、具体的にどのような妨害によって被害を受けたのか、そろそろ洗いざらい世に示したほうがいいのではありませんか?本当はワタシとしては、黒岩涙香一族と繋がっておられるアナタには是非とも、涙香関係の本を作ってほしいと願っているのです。松村喜雄『乱歩おじさん』のように、涙香作品ひとつひとつに対する個人的な感想でもいいですし、この数年ちっとも涙香作品が新刊で出ないので、貴殿お気に入りのものを復刊してもらっても結構。一度検討して下さいませ。







2024年7月3日水曜日

善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力を締め出す自浄能力が、探偵小説/SF/古本業界にはどこにも無いのカナ?

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久しぶりに、あの連中の話題。善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力がやっている悪徳プライベート・レーベルのうち、国内作品を食い物にしている東都我刊我書房の本の在庫が、お仲間である盛林堂書房の通販サイト「書肆盛林堂」の販売ページから、いつの間にかゴッソリ撤去されている。(202472日現在) 以下、(☜)マークの付いたリンク先を御覧あれ。






それに気が付いたのは、東都我刊我書房の新刊・倉田啓明『濡髪若衆』(壱)(弐)リリースをネットで知った先月6月後半のこと。『濡髪若衆』の各単価は5,500円、(壱)(弐)併せて11,000円。昨今の物価高を考慮しても、相変わらず本の造りと価格が全くつり合っていない売り方である。このBlogを通して彼らのテキスト制作の無神経さをレポートすべく、いやいやながら東都我刊我書房の本を購入してきたが、いくら人柱になるとはいえ、あそこまで作家及び作品をないがしろにする人間の作った本など、もう買う気にはなれない。

 

善渡爾宗衛「X」(よしとに/@onedaba) (☜)

小野塚力「X」(未踏の大地管理用/@onozukariki) (☜)




この『濡髪若衆』、珍しく盛林堂書房の通販では販売されない様子だったので「書肆盛林堂」をよ~く見たら、東都我刊我書房の本は一律そういう扱いになっていた。これで善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力が関わっている他のレーベル綺想社/えでぃしおん うみのほし etc)の本も悉く「書肆盛林堂」から一掃されたのなら、「ほほう、盛林堂の店主・小野純一もアイツらとは距離を置くことにしたんだな」と見方を変える余地もあるのだが、そんな訳がなく・・・。

 

 『嬰児虐殺』倉田啓明 ★ しまいにゃ隠れてコソコソ本を売り出すクズども (☜)

 


『嬰児虐殺』が出てからこの一年、東都我刊我書房が何の動きも見せなかったのに対し、三門優祐(@Re-ClaM)から「X」(=twitter)経由で訳文の酷さを度々指摘されたにもかかわらず、海外作品のエセ翻訳本を垂れ流す綺想社は今でもハイペースで新刊をリリースしており、「書肆盛林堂」はそれらのガタガタな訳文テキストでもって作られたボッタクリ本の販売を止めない。

 

「書肆盛林堂」  >  委託同人誌・新刊書  >  綺想社 (☜)




参考までにコチラは、三門優祐氏が「X」へ投稿した綺想社に対する批判を紹介した当Blog記事である。






かつて盛林堂のオバハンに無礼な態度を取られたのもあって(同様の体験をした人は他にもいると聞く)、私はあの店になど行かないから、荻窪の店頭で何が売られているか存じ上げないが、通販サイトではあたかも取り扱ってないかのごとくカムフラージュしつつ、店内では(目に付くところには置かずとも)常連客に向けて、こっそり善渡爾らの本を売っているのかもしれない。現状を見る限り、盛林堂店主・小野純一と善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力の関係は、以前と何ら変わっていないと思われる。

 

 

 

私が「X」を嫌悪していてSNSにノータッチなぶん、幾人か良識ある方々の「X」を使った拡散によって、

 

 善渡爾宗衛/杉山淳/小野塚力と盛林堂書房が癒着していること

 東都我刊我書房をはじめ善渡爾らの作る本の内容は、日本語の読める人なら誰でも理解できるぐらい劣悪なテキスト作成がされており、彼らには真っ当な本を作る気持ちはさらさら無く、その目的は〝あぶく銭〟稼ぎでしかないこと

 

この二点は探偵小説/SF界隈のみならず、ネット空間の相当な範囲にまで知れ渡った筈だ。だがそれでもまだ、下の「X」画像に明らかなように、嬉々として『濡髪若衆』を買い「X」上で所有アピールしている人間は懲りもせず存在する。こちらもクリック拡大してどーぞ。

























     
とりあえず東都我刊我書房の本が盛林堂の通販サイトから姿を消しているとはいえ、善渡爾宗衛らの息が掛かった同人本は今でもまんだらけとPassage All Reviewにて当り前のように売り捌かれているし、この根深い問題に危機感を抱いて作家と作品を守ろうとする気運は探偵小説/SF/幻想文学、どっちの業界を向いてもありゃしない。ひたすら盛林堂とベッタリのまま、日々「X」で群れていればOK。そんなドブ泥のような光景は政治の世界と瓜二つ。







(銀) 今日お読み頂いた内容に加えて、下の画像も見てもらえれば、まんだらけ~善渡爾宗衛~盛林堂書房~古本屋ツアー・イン・ジャパン(小山力也)~日下三蔵といったある種の繋がりが浮かび上ってくるのがお分かりだろう。この辺の連中を長年野放しにしていた事が皮肉にも島田龍という、ワタシ銀髪伯爵以外にも彼らの悪行を摘発する存在を生むことになったのである。



















今日のメインディッシュになる話題は別にあった。それは次回改めてお届けする予定。

 

 

 


2024年6月17日月曜日

TSUTAYAに復刊ドットコム、いずれもCCC傘下の同じ穴の貉

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 日頃、総じて私達は「ツタヤ」と呼んでいるが、正確にはレンタル事業のほうをTSUTAYA(蔦屋)、書店ビジネスは蔦屋書店もしくはTSUTAYA BOOKSTOREというらしい。鬱陶しいので、今日の記事は全てTSUTAYAで通させてもらう。




 先日、仕事の出張で私のところに来られた知人のKさんと夕食を御一緒した際、TSUTAYAの話になった。本が好きなことでは人後に落ちないKさん、ネットより街の本屋で買うことのほうが多いとおっしゃる。実店舗書店にしてみれば、最も大切にしなければならない上客である。

 

 

そのKさん曰く、例えば版元で既に販売終了している本を欲しくなり、通販サイトではどこも売り切れだが、自分の住んでいる都道府県からかなり離れた地方のTSUTAYA店舗に、たまたまその本が一冊売れ残っていたとする。でもTSUTAYAの場合、最寄りの店舗へ取り寄せて購入したくともフランチャイズ等の区分けがあって、ジュンク堂や紀伊國屋等のように、どこの他店舗からでも取り寄せができる訳ではないそうだ。

 

 

「何のための全国展開なんでしょうね?」とKさんが口にする数々のTSUTAYA批判はことごとく的を射ており、書店としてTSUTAYAを評価していない私にも、思い当たるフシが多々ある。在庫検索システムなんて、まさにあの会社の本質を表しているのではないか。非常に使いづらく不親切だったとはいえ、以前はTSUTAYAwebサイトにて、全国どこの店舗の在庫でも、状況を確認することは可能だった。ところが最近はスマホにアプリを入れなければ、在庫検索ができない。携帯嫌いの私にとって、こんな事でアプリを強要してくる企業など下の下でしかない。

 

 

TSUTAYAの母体は、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社)という。2000年代半ば、〈すみや〉〈新星堂〉など歴史のあるドメスティックなレコード・CDショップのみならず〈ヴァージン・メガストア・ジャパン〉まで我が物顔に吸収していった頃から、なんとなく私はCCCに対して嫌悪感を持つようになっていた。多くの日本人がCCCの本性を知るに至ったきっかけは、彼らが2013年以降、各地の公共図書館へ触手を伸ばし始め、運営受託の名のもとに図書館を次々と内部破壊していった事による。

 

 

この事業に、最初から強く異議を唱えていた人は少なくなかった。案の定、CCCを指定管理者にした結果、最も大切に保存すべき郷土史資料などは真っ先に廃棄処分され、施設本来のあり方はそっちのけ、オシャレ空間最優先のTSUTAYA図書館にされてしまっている。そればかりかCCCの傘下にあるネットオフ(これも元はブックオフの暖簾分けみたいな会社だった)によって、ダブついた不良在庫のゴミ本を押し付けられ、惨憺たる状態。佐賀の武雄市図書館や神奈川の海老名市立図書館は、今どうなっているのだろう?「地方自治体の人間がアホすぎるから」と言ってしまえば確かにそうなのだけど、綺麗ごとを並べて擦り寄ってくるCCCこそ、諸悪の根源じゃないのか?

 

 

 

 

 あと、どうしても触れておかねばならないのは、やはり復刊ドットコム(☜)何度か私のBlogで取り上げているこの会社も、スタート時は楽天と手を組んでいたが、今ではCCCグループのカルチュア・エンタテインメント100%株主。市場から姿を消してしまった作品や書籍の復刊を売りにしているのだが、作業のためにコストがかかるとはいえ、設定価格は一般ユーザーを全く無視している。その点に目をつぶったとしても、〝完全復刻!〟などと謳っておきながら、昭和ゆえの表現にいちいち余計な言葉狩りなど自主規制を行うので、高額な価格に見合わぬ欠陥商品に終わっていることが多い。



~下の画像もクリックすれば、拡大して見れます~





 









このような偽善臭漂うコンプライアンスは、親会社CCCからのお達しだと私はニラんでいるが、皆さんはどう思いますか?参考までにリンクを張っておくので、ぜひ過去の復刊ドットコム絡みの記事も読んで頂きたい。

 

 



 



 

手塚治虫作品をスポイルする自主規制の元を追ってみた  

 

 

 

 

 かつてのTSUTAYAといえば誰だか知らない女性シンガーの歌う、既存のヒット曲のボサノバ風カバー店内フロアに流し、オーガニックさをアピールする程度の雰囲気作りだった。それがCDDVDレンタルの衰退を見るや否や、カフェのスペースをこれでもかと拡張したり、書店とはまるで関係の無いものばかり売っている。書店/図書館に関わらず、うわべだけコージーに見えても中身は空っぽのTSUTAYA戦略を「おしゃれ~」とか「斬新~」とか喜ぶ田舎者がいたりするから、余計に彼らは図に乗ってくる。


 

超大型店のTSUTAYAがあるような中心部にお住まいの方は、他の大手書店も必ずそれなりの店舗を構えているだろうし、本の品揃えにストレスを感じることはあるまい。しかしそうでない地域に暮らしている方、特に本のお好きな方は、現物をあれこれ手に取って見ることができず、不便極まりないと思われる。そういう環境に置かれている方が「たとえショボい品揃えでも、自分の行動範囲にTSUTAYAが一軒あれば助かる」と考えてしまうのは仕方のないことだ。それこそ紙の本を必要としているユーザーの役に立つ企業になりうる筈なのに、あくどい真似をしてまで各方面に害を為すCCCを、私はこれっぽっちも信用していない。







(銀) 県立や市立の図書館のそばに幼児~小学生向け「こども図書館」を見つけたりすると、一見とても子供の教育に熱心なように映るけれども、その実TSUTAYA図書館と同じく、本来あるべき資料の所蔵と提供を放棄するため、ガキを隠れ蓑にしているんじゃないのか・・・と、つい詮索してしまう私である。







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図書館は郵送複写サービスがそんなにもイヤなのか?




















2024年2月9日金曜日

慾にまみれた悪徳レーベルとその盲目的信者が、自ら抗議できない小説家の作品を貶め続ける

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本日の記事なんですが、前置きとなるの段落は、いつもこのBlogを見て下さっている方には十分ご承知のことばかりですのでサクッと飛ばして、の段落より御覧下さい。
そうでない方はどうも御手数ですが、冒頭のから順を追ってお読み下さい。

いつものように、(☜)マークの左側にはリンクを張っています。

 

 

 

今でこそバッサリ見限っているけれど、まだAmazonへレビューを投稿していた平成の頃、私が一番に消えてなくなれと念じていたものは、社会の考え方が現在とは全く異なっていた昔の創作物に対し、人権云々を振りかざしてそれらの存在意義を消してしまおうとする集団、そしてそれに怯え弱腰対応しかできない商業出版社やメディアの自主規制病だった。


ところが令和になると、コロナの蔓延と足並みを揃えるかのごとく、予想もしなかった(コンプライアンス以上に理解不能な)新手の問題が蛆(ウジ)のように湧いてきて。言うまでもなくそれは、溢れかえるほど本を所有しているのに一切読むことなく、次々新たに本を買わずにはいられぬ購入依存症の探偵小説/SFオタク中高年を狙った悪徳プライベート・レーベルの同人本

 

 

 

 

コミケや通販で売られている同人本はおそらくどれも、属するジャンルの違いはあれ、普通に常識的なテキスト入力で制作され、販売ルートに乗っている筈だ。しかし(湘南探偵倶楽部もそうなのだが)小野塚力/杉山淳/善渡爾宗衛のレーベルが垂れ流す同人本はあまりに酷い。

 

 

綺想社(☜)

レアな海外小説の原文を翻訳ソフトでお手軽に日本語化。せめてそのあと日本語として自然な文章に修正すればいいものを、そういう手間のかかることは絶対しない反面、同人本としては法外な価格を付けて販売。 

 

東都我刊我書房(☜)

創作であれ翻訳であれ、日本語で発表された国内作家のレアな作品を復刊するレーベル。こちらも一旦テキストを入力したあと、一度たりとも再チェックをせずに製本するものだから、 

ましいブルドッグ〟〝マッチを取おとす〟〝味がわるくて生きた心持もしない〟 

といった噴飯物な文章まみれのまま、
やはり同人本として常識から並外れた価格で販売。

 

 

で、伝え聞く小野塚力/杉山淳/善渡爾宗衛らの言い分を、
この私が通訳してみると、こんな感じになる。 

「俺らはレアなものを復刊してやっているんだ、

どんなにテキストが崩壊していようが、おとなしく黙って読め!」 

幾度となく当Blogにてお伝えしてきたように、彼らは左川ちかを醜い書痴マニアだけの愛玩物にするべく島田龍に度々妨害+恫喝行為さえ働き、それとは別に、他でも無礼な振る舞い(☜)を行っている。

 

 

 

 

かくかくしかじかの状況にも〈ミステリ復刊に関わる業界の人間〉〈自称ミステリ(SF)・マニア〉〈ミステリ(SF)読み〉〈古本ゴロ〉といった連中は完全沈黙するばかり。つい最近では笑えることに、ミステリ本の所有価値自慢にいそしむ一部の輩にSNS上ですっかり踊らされている呉エイジ(☜)という人物が、たぶん小野塚力あたりからもそそのかかれたのだろう、「言っていることは正論だし、ミステリに愛情のある奴なんだろうが、銀髪伯爵は幼稚でキモイ!自分で本を作ってみろ!」と「X」や自分のブログを舞台に大騒ぎしたようである。SNSなどやらない私からすれば、労せずして当Blogの記事を世間に広めて頂き、誠に有難い限り。

 

 

 

クオリティーからして売る資格も無い東都我刊我書房の同人本を、積読状態のまま一度も開いてないのならいざ知らず、あのテキスト入力状況を知った上で全面肯定するほど重度の購入依存症に侵されているのだから、どうにも憐れというか、往年の釈由美子の名ゼリフそのまま「お逝きなさい」と言うほかない。私のことなんぞ一向にキライで結構だが、この呉エイジという御仁は自分のチンケな所有慾以前に、見るも無残な本作りの態度を善渡爾宗衛らが改めず、この世の人ではないため自分の口で抗議することもできない物故作家の大切な作品を貶め続けるその傍ら、さんざん私腹を肥やしている現状をもし知ったら著作権継承者の方々はどう思うのだろう?とか、作者サイドの痛みをちっとでも想像できないのかねえ。

 

 

 

十年ちよっと前から探偵小説の同人本を制作・販売する人は徐々に増えてきた。探偵作家の親族や著作権継承者の立場から、表立って作品復刊に際し明確な意思を表明した人というと、夢野久作の孫・杉山満丸氏ぐらいしか私は思い当たらないけれども、綺想社や東都我刊我書房のように他人の創作物を踏み躙ってまで金儲けしているような奴がいたら、自作を守る思いが人一倍強く不幸にも自死にまで追い込まれた芦原妃名子でなくたって、著作権継承者にあたる人は間違いなく傷付きもするし、強い怒りを抱くに決まってんだろ、と私は考えている。

 

 

 

なぜだか海外作品を主軸に読んでいる好事家のほうが純粋に読書を楽しんでいるというか、日本探偵小説のレア本を買い集めている手合いにありがちな見苦しい拝金主義が少ないように感じるのは気のせいかしらん?昨年末、この記事(☜)にて『Re-ClaM』の三門優祐に私の疑問を投げ掛けてみたところ、彼なりにすぐ反応してくれて、この場で御礼申し上げる。「X」での三門のポストに反応した数名の方のコメントのうち、「真っ当な考えの人も、いない訳ではないんだな」と私が感じたものを此処に紹介して、今日の記事は終わりたい。





























 






 







悪徳レーベルの所業は、古書店からも疑問の眼差しを向けられている。







(銀) Gratitude to Mr. puhipuhi as well.