前回の記事では➊「雪中の惨劇」から➒「古塔の老婆」まで、前半の九章を見ていった。本日は残る後半八章をチェックしていく。前回申したとおり、この色文字を使っている部分は春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』(1997年刊)のテキストと同じ表現になっていて、それだと全面的には信用できないのだけど、もしかしたら私の手元にない『北海タイムス』『いはらき』のテキストが春陽文庫と同じ表現かもしれず、それゆえⒶの制作者がそちらを採用した可能性もありうるので、100%おかしいとは決め付けずグレーな扱いにしている。それぞれの比較箇所にて示しているページはⒶのノンブルを指す。
❿ 「過去の影」
Ⓐ174頁上段/しかも、あの春巣街の事件の折、
Ⓑ『九州日報』での下線部は〝折柄〟と表記。これだと何がマズいのだろう?
Ⓐ175頁下段/コップに一杯それを注ぐと、ぐっと飲み干した
Ⓑ『九州日報』では〝コップに一杯それに注ぐと、ぐつと飲み干した〟と表記。
Ⓐ182頁上段/お母さまだと信じきっていたんですが
Ⓑ『九州日報』では〝お母様だと信じきつてゐたんですが〟と表記。
⓫ 「打続く惨劇」
Ⓐ197頁上段/由良子は漸く涙を拭きながら
Ⓑ『九州日報』では〝由良子は漸く涙を干(ほし)ながら〟と表記。
⓬ 「恐怖の別荘」
Ⓐ203頁上段/細い肩にまとっているショール
Ⓑ『九州日報』では〝細い肩にまとうてゐるショール〟と表記。
Ⓐ205頁下段/自分の生命(いのち)をとりに来るのではないだろうか
Ⓑ『九州日報』では〝自分の命を取りに来るのではないだらうか〟と表記。
Ⓐ206頁上段/今にもガラスが壊れそうである
Ⓑ『九州日報』では〝今にもガラスが毀れさうである〟と表記。
Ⓐ207頁下段/あたし恐ろしい事なんか少しもありませんよ
Ⓑ『九州日報』では〝あたし怖ろしいことなんか少しもありませんよ〟と表記。
Ⓐ213頁上段/篤麿はあっとばかりに跳ね起きた
Ⓑ『九州日報』も〝跳起(はねお、とルビあり)きた〟となっているが、このシーン、千家篤麿は倒れていた訳ではないのだから、この箇所に限っては準拠すべきでない春陽文庫の〝跳び退いた〟のほうが文脈には合致する。こんな場合、どう処理すべきなのか実に難しい。
Ⓐ215頁上段/半ば失神した花子の耳許で大声で叫んだ
Ⓑ『九州日報』では〝半ば失神した花子の耳許で大聲に叫んだ〟と表記。
Ⓐ216頁上段/窓から半身を乗り出すようにして
Ⓑ『九州日報』では〝窓から半身(はんしん)乗り出すやうにして〟と表記。
⓭ 「奔 馬」
Ⓐ224頁上段/この間までお婆様がいたんだけど
このあとの小夏の口振りは『九州日報』でも全て〝お婆さん〟に変わっており、Ⓐもそれに倣っている。基本的には底本に従うのが定石であるが、この点に関しては全て〝お婆さん〟で通してしまった春陽文庫のように、〝お婆様〟or〝お婆さん〟のどちらかで統一するのがいいように思った。他にも呼び名が揺れているところは多い。
Ⓐ225頁上段/白鳥が二三羽群をなして泳いでいる。
Ⓐ227頁上段/綾小路さんのお家(うち)のお方ではありませんか
Ⓐ233頁下段/不意のこの打撃で頭が狂った
Ⓐ236頁下段/うっとりと聞きとれていた。
Ⓐ239頁下段/其の名も何時の間にやら山根星子と変えて
⓮ 「黒い棘」
Ⓐ243頁下段/彼女の周囲は真暗(まっくら、とルビあり)闇だった
Ⓑ『九州日報』では〝彼女の周圍は真闇(まっくら、とルビあり)だつた〟と表記。
Ⓐ249頁上段/度肝を抜かれた体で由良子の顔を見た
Ⓐ249頁下段/薄紫の靄が屋根に降り始めた。
Ⓑ『九州日報』の下線部は〝家の屋根に降り始めた。〟と表記。
Ⓐ252頁下段/花子はもう半(なかば、とルビあり)失神したような気持ちで
Ⓑ『九州日報』では〝花子はもう半ば失神したやうな氣持で〟と表記。
Ⓐ257頁上段/身動きする事も出来ないのだった
Ⓑ『九州日報』では〝身動きをする事も出来ないのだつた〟と表記。
Ⓐ259頁上段/恐ろしい拷問の備えを此処へ持ってきておいたのだ。
Ⓑ『九州日報』では〝恐ろしい拷問の場合を〟となっている。これはおそらく『九州日報』のミスで、きっと作者は〝恐ろしい拷問の場を此処へ持ってきておいたのだ。〟と言いたかったのだと想像する。『北海タイムス』や『いはらき』に〝備え〟という表記が無いのなら、似たような意味であってもこんな風に変えてはいけない。
Ⓐ261頁下段/突然出現した人物の顔を見つめていた。
⓯ 「疑問の家」
Ⓐ262頁下段/そう弱音を吐く様じゃ頼もしくありませんぜ
Ⓐ263頁上段/「へえ、一体誰ですかねえ」
Ⓑ『九州日報』では〝へゑ、一體誰ですねゑ。〟と表記。
Ⓐ266頁上段/手別けして二人の行方を
Ⓐ269頁下段/自分も眼(ま)のあたりに見て
Ⓑ『九州日報』も春陽文庫も〝目〟の字を使っているのに、何故〝眼〟の字を?
Ⓐ271頁上段/凝っと聴き耳をたてゝいたが
Ⓑ『九州日報』での下線部は〝聽き耳たてゝゐたが〟と表記。
Ⓐ273頁上段/その人影は身動きもしないで、
Ⓑ『九州日報』での〝人形〟、春陽文庫での〝人間〟、その両方ともⒶは異なっている。
Ⓐ278頁上段/春巣街の時もあなたは、
⓰ 「袋の鼠」
Ⓐ279頁上段/而(しか)も自分はその中心にいるのだ
Ⓑ『九州日報』では〝然(しか)も自分はその中心にゐるのだ〟と表記。
Ⓐ283頁上段/あたしは花子さんまでも殺そうとした
Ⓐ287頁上段/蛭田検事がまだお見えになりませんので
Ⓐ289頁上段/ひらりと自分から先に飛降りた
Ⓑ『九州日報』では〝ひらり自分から先に飛び下りた〟と表記。
Ⓐ289頁下段/「あなた、油断しては駄眼ですよ。気をつけてよ」
〝駄目〟を〝駄眼〟としていたり、『九州日報』では〝気をつけなさいよ〟とされているのに〝気をつけてよ〟になっていたり、恥ずかしい校正ミス。
Ⓐ290頁上段/手に鉄の棒のようなものを持ってきた
Ⓑ『九州日報』には〝棒〟なんて表記は無い。『北海タイムス』や『いはらき』にも〝鉄の棒〟とは書いてないような気がする。
Ⓐ294頁上段/「何しろ、お兼が殺されているので、
Ⓑ『九州日報』では「何!お兼が殺されてゐるので」、春陽文庫は「なにせ、お兼が殺されているので」と言った風に、どれも異なっている。
⓱ 「剥がれた假面」
Ⓐ296頁上段/物凄い輝きが、めらめらとその眼の中に
Ⓑ『九州日報』の下線部は〝物凄い輝きがヂロヂロと〟と表記。
Ⓐ297頁下段/あたしはもう死にそうです
Ⓐ301頁上段/彼はピストルを左に持ち換え右の手で壁の表を探っていたが、
Ⓐ及び春陽文庫のように〝左に持ち換え右の手で〟とするよりも、『九州日報』の表記どおり〝左の手に持ち換え〟にしたほうがずっと自然な感じがする。
Ⓐ302頁上段/花子は最早あたりを構う心の余裕もなかった
Ⓑ『九州日報』における下線部の漢字は〝餘裕〟。
Ⓐ302頁下段/勇気ある方はついて来て下さいよ
Ⓑ『九州日報』では〝勇氣のある方はついて来て下さいよ〟と表記。
Ⓐ303頁下段/定まらぬ足どりで、こちらへ近づいてくる
Ⓑ『九州日報』では〝定まらぬ足どりで、此處(ここ)へ近づいて来る〟と表記。
Ⓐ306頁下段/千家篤麿は最早逃げたり隠れたりは決して致しませんわ。
Ⓑこれもねえ、『北海タイムス』や『いはらき』にて〝隠れたりは〟と表記しているのならわかるけど、Ⓐの校正者はなんで『九州日報』の〝逃げたり隠れたり決して致しませんわ〟だと不服なのかな?
Ⓐ308頁上段/「あの人に何が言えますものか。
Ⓑ『九州日報』は〝あの人は何が言へますものか。〟と表記。
Ⓐ311頁下段/いや子爵ばかりではない。