2021年2月27日土曜日

『探偵小説と〈狂気〉』鈴木優作

NEW !

国書刊行会
2021年2月発売




★★★      キチガヒと狂気の微妙な違い




今回タイトルに用いられている気」。対して、我々が普段よく使う「キチガヒ」この二つのワードは同じ意味のようでいて同じじゃない。お咎めを受けなさそうな気」というワードでオブラートに包もうとも、国内最大の精神病院である今の松沢病院の前身にあたる明治時代の東京府巣鴨病院の旧い写真がカバーに使用されている以上、この本を手に取った読者の頭に想起されるのはどうしたってキチガヒのほう。

 

 

キチガヒというと必ず持ち出される探偵小説は『ドグラ・マグラ』なんだが、私的にはあの作品をそっち方面からいじり倒すのにはとっくに厭きている。本書の中でキチガヒについて考えるのに、最も自然に入っていけるのは同じ夢Q作品でも、言葉と理性を失い村人から差別されている娘を描いた「笑ふ唖女」(第9章)。他に類似するものが無いこの特異な小説は戦前の地方が舞台ゆえ、若い読者には狂える花子の造形が現実離れしていると思われるだろうが、昭和の頃までは、精神を病んだかなにかで姿を見かけなくなると「あの人は狐憑きになったよ」なんて前時代的で無責任な噂が流れる事も、場所によってはまだあったのだ。

 

 

他には「後光殺人事件」小栗虫太郎、「三狂人」大阪圭吉、「予審調書」平林初之輔、「三つの痣」小酒井不木、「夢の殺人」濱尾四郎等が素材になっているが、どれも(入院患者が出てくる「三狂人」でさえ狂気が作品の核にな程のモチーフではないので、「三狂人」以外は「あれっ、この作にキチガヒ要素なんてあったっけ?」と言う人がいても不思議はない。第11章/江戸川乱歩の「緑衣の鬼」における狂気とは只のガジェット(仕掛け)でしかないし、第10章/岡本綺堂「川越次郎兵衛」に至っては責任逃れの為にキチガヒの振りをするだけで。乱歩長篇を一般常識目線で眺めれば、殺人淫楽者の蜘蛛男氏や盲獣氏のほうがはるかにキチガヒと呼ぶにふさわしい所業なんだが。


 

 

日本探偵小説、それも変格ものにおいて狂気は頻々と描かれる怪奇的な雰囲気作りのひとつ。本書に採取されているのが「笑う唖女」みたいな王道の(?)キチガヒばかりではない理由は、著者が「近代文学は〈狂気〉を様々に表現してきた (中略)、本書の試みは〈狂気〉とは何かという本質を探ることでは決してなく、ある状態を〈狂気〉と捉える価値観について探偵小説を通じて顧みる」といった考えだから。

 

        

 

本書を戦前篇とし、戦後の推理小説を対象とした戦後篇も書き上げたいそうだが、第12章/木々高太郎「わが女学生時代の罪」、第4章/大下宇陀児・水谷準・島田一男の合作「狂人館」と、戦後の作品は既に取り入れられている。「狂人館」は式場隆三郎による戦前の作「二笑亭綺譚」と繋げたくて引っ張り出したのだろうが、これは未だに同人出版でも読む事ができない珍品だし、初出誌はおろか一度きり収録された単行本も流通が少なかったから、「狂人館」を読んだことのある人なんて世の中きっと数十人位しかいない筈。




(銀) 鈴木優作は近年『新青年』研究会の一員になった。立教大では藤井淑禎、その後は成蹊大の浜田雄介のもとで学び現在に至っている。という事は、ここでの文章がどれも論文チックなたたずまいなのは言わずもがな。



『新青年』研究会のメンバーは何人もいるのだから、得意分野というか各自それぞれ専門とする日本人探偵作家を誰かひとり持っていたりするといいなと思う(例えば横井司なら木々高太郎、湯浅篤志なら森下雨村とかね)。とはいえ何を研究するかは個々の自由だし、作家の受持分担をさせる訳にはいかないから無理か。




2021年2月22日月曜日

『剣の八』ジョン・ディクスン・カー/加賀山卓朗(訳)

NEW !

ハヤカワ・ミステリ文庫
2006年3月発売




★★   アイディアが醗酵する前に書き上げてしまったか




日本には年少者が罪を犯しても罰せられない〝少年法〟があります(この先どう変わるかわかりませんが)。この時代の英国では重い罪でも ✖ は死刑にはしないという暗黙の了解ができていたそうで、『剣の八』を読むと ✖ に入る文字が何なのかギデオン・フェル博士が教えてくれます。

本作の事件は至ってシンプル。スタンディッシュ大佐のゲストハウスに逗留していたデッピングという裕福でやもめの老人が頭部を撃ち抜かれて死んでいる。死体の傍に落ちていた「剣の八」のカードの意味は・・・?

 

 

フェル博士シリーズ第三長篇、1934年の作ながら、準レギュラーのハドリー警部は退職まであと一か月の身。せっせと回顧録を執筆する日々を送っており冒頭でフェル博士と再会を果たし事件の導入役として顔を見せるだけ。ハドリー警部は本作以降に発表された長篇では現場にて働いているから、フェル博士シリーズの時間軸における事件発生順は作品発表順と同じではない?

 

 

【 Bad 

スタンディッシュ大佐の屋敷で休暇をすごしているが突然階段の手すりをすべり下りたり、犯罪研究者ながら奇行の人として描かれるドノヴァン主教。一時的に笑いをとりたいだけなのかその奇行癖が物語が進むにつれ活きてくるのかその顛末はここでは書かないが、奇行の部分はスベってるし邪魔。ポルターガイスト現象も、わざわざその言葉を使うほど読者の興味を牽引するものとは言い難い。

 

 

主教の息子ドノヴァン青年を中心に、作家ヘンリー・モーガンやマーチ警部達がお互いの推理をぶつけ合う中盤の章は会話劇があまり上手く機能できてないのでもう少し練り直しが必要。似たような不満は最後の謎解きパートにも当てはまり、フェル博士は読者の知りたかった秘密を話してくれてはいるが、その見せ方というか演出の仕方は良い時のカー作品に備わっている謎の収束の快感に欠ける。

 

 

【 Good 

事件の根幹に恐喝がある場合、それが金や財産であれ異性関係であれ、ゆすられていた方がゆすっていた方を始末するのがありがちな設定だが、本作ではそれをひねって複雑な相関図を拵えている。本作の犯人の隠し方は悪くない。

死体現場に残されていた食事の跡から犯人の手掛かりを掴もうとするのもいいんだけど無理やり結論付けちゃってるわなあ。デッピングのグルメぶりなど食ネタを掘り下げて、読み手をあっといわせるエビデンスが用意されていればいたく感心したのに。



この作品をラーメンに例えると、旨いスープを作る為にいろんな具材を鍋にブチ込んだが、グツグツ十分煮込めてないのか具材の選び方に問題があったのか、渾然一体とした旨みになり損ねて具材がバラバラに主張してしまっている感じ。

 

 

 

(銀) 読むに堪えないレベルと宣告するほどの駄作でもないから評価は★4つでもいいのだが、加賀山卓朗の訳がフェル博士の口調を「ですます」調に塗り固めているのが気にくわない。それに加えて霞流一の解説。「♪ ぼ、ぼ、ぼくらは本格探偵団!」とか「探偵5レンジャー」とか、書いてて自分で恥ずかしくならないのか。


 


2021年2月20日土曜日

春陽文庫『蠢く触手』を再調査すること

NEW !














前回の記事で、春陽文庫が90年代に出した名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉のテキストは全く信用できないシロモノだと書いた。となれば210日の記事にした同シリーズの一冊である『蠢く触手』もそのまま見逃しておく事はできぬ。本当ならば初刊本と春陽文庫を両方並べて逐一比較すべきなんだが、それだとかったるいので1932年に出た新潮社「新作探偵小説全集」の『蠢く触手』初刊本を速読、水谷準『殺人狂想曲』だけでなくこの作品もテキスト比較を行う。じっくり時間をかけてはいないので、もしかしたら見落としがあるかもしれんが読者諒せよ。 

 

上段は春陽文庫版『蠢く触手』のテキスト

下段は新潮社版初刊本『蠢く触手』のテキスト(○)

私が気になった箇所をピックアップしたのがこちら⤵ 


A

いまごろは奴ら無茶苦茶に走っているよ(   902行目

今頃は奴等盲目滅法 めくらめつぱふ  とルビあり)に走つてゐるよ  (○)

 


B

気狂い自動車のように走るぞ()         1064行目

狂人(❛ きちがひ ❜ とルビあり)自動車のやうに走るぞ(○)

 


C

お米の奴ずらかったかもしれないよ(下線部に傍点あり)    11015行目

お米の奴つらかったかもしれないよ(下線部に傍点あり)(○)

 


D

いや、ぼくは案外総監辺りのきんたまを(下線部に傍点あり))    1877行目

いや、僕は案外總監あたりの睾丸を(❛ きんたま ❜ とルビあり)(○)

 


E

そこには何かの秘密がされていのであろうか              21711行目

そこには何かの密が❛ ぞう とルビあり)されていのであらうか (○)

 


F

舶来乞食か狂人としか    ()  24313行目

舶来乞食か、狂人としか (○)

 


G

部屋へ入るなりすぐ腰を屈めて ()   34614行目

部屋へ這入るなりすぐ、せむしのやうに腰を踞めて(下線部に傍点あり) (○)

 


H

ソノ夜ハ気違イニナルホド        42413行目

ソノ夜ハ氣チガイニナルホド  (○)

 

 

元々『蠢く触手』は『殺人狂想曲』ほど言葉狩りされそうなワードを含んでいないのもあって、それほど語句改変されている感じは無い。いわゆる言葉狩りといえそうな改変は Aがヒットするのみで、Bは言葉を変えていても結局は同じことだし、Fとはなぜか書き換えがされていない。水谷準『殺人狂想曲』とは違う人間が担当しているのは明らかだが、それにしても同じシリーズの本なのにどういうルールで校訂・校正をしているのか私には理解できぬ。



初刊本における岡戸武平の文章は相当急いで書いたのか、変な言い回しっぽいところが頻出するため C や E は新潮社版のほうが間違っているように見えなくもない。春陽文庫はそれを正しく(あるいは現代風に解りやすく)書き直している様子が伺えるけれど、オリジナルのテキストを忠実に再現するという意味で、こういう余計な事をしてはイカンのではないか?

 

 

先日『蠢く触手』の記事を書いた時は、駄作とはいえ珍品だし「文庫で読めるように再発してくれてありがとう」的な理由で満点を付けたけれど、名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉の実態をこれだけ曝した以上、★5つのままにしておく訳にはいかない。よって2月10日の記事の評価は大幅な減点に変更させて頂く。春陽堂のテキスト問題をしつこく検証したおかげで、奇しくも今野真二が上梓した『乱歩の日本語』(2020年6月18日の記事を参照)がいかにトンチンカンであったか誰にでもよくわかる形でプレゼンできたのは怪我の功名だった。




(銀) つらつら考えるに、名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉十八冊中十六冊は戦前の春陽堂文庫(最初は日本小説文庫という名称だった)で出されたものだから、私のようにテキスト改悪が嫌なら戦前の本で読めばいいし、また現行本や安価に買える古書で手軽に読める作品もある。「蠢く触手」とて他の〈探偵CLUB〉収録作と比べるとレアな方だが、それでも初刊本以降昭和前半に三度再発されている。

 

 

もっとも悩ましいのは江戸川乱歩・横溝正史名義で出された『覆面の佳人』。この長篇だけは〈探偵CLUB〉で初めて単行本化されたものなので、春陽文庫のテキストが正常なのかを確かめるには戦前の新聞連載分コピーを入手し、読みにくい文字を追ってみるしか方法が無いのだ。

 

 

はあ~、誰か『覆面の佳人』を原題の「女妖」に戻してもいいから、語句改変の無い100%信じられるテキストで再発してくれんかのお。



 


2021年2月18日木曜日

『殺人狂想曲』水谷準

NEW !

春陽文庫 名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉
1995年9月発売



        語句改変まみれ




先日春陽文庫版『蠢く触手』(江戸川乱歩)の記事をupした後、ライブラリーにて本を整理していたら、ふと私の霊感ヤマ感第六感がビビッときた。

「待てよ。あの本が出た90年代って春陽堂は江戸川乱歩や横溝正史の文庫本でバリバリ言葉狩りしてたよな。この名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉は山前譲が解説を書いているから今迄言葉狩りは無いものだとてっきり思い込んでいたけど、光文社文庫「幻の探偵雑誌」シリーズも編集部がこっそり語句改変をやらかしてたし・・・。」

そんな虫の知らせがしたので、水谷準の著書はこのBlogでもまだ取り上げてなかったのもあり『殺人狂想曲』を題材にテキスト・チェックしてみる事にした。

 

                   


表題作の中篇「殺人狂想曲」(昭和66月から半年間『朝日』に連載された時の原題は「翻倒馬殺人譜」)。翻倒馬と書いてファントマ、元ネタはスーヴェストル+アラン。実に荒っぽい翻案の上に荒っぽい終わり方。

 

 

次も中篇の「闇に呼ぶ声」(昭和510月より半年弱『朝日』に連載された時の原題は「心の故郷」)。恋人を倖せにするため北海道から出稼ぎで東京へ出てきた主人公の青年がいきなり与太者に半殺しにされて記憶喪失になり、その後悪人に救われ裏の世界で生きるが今度は獄窓の人に・・・というムチャクチャな悲哀小説。

 

 

最後の「瀕死の白鳥」は解説によれば初出誌が不明との事。乱歩や戦後の橘外男のような美女が誘拐される猟奇ものなので、初出誌が『朝日』で見つからなかったのであれば、同じ博文館雑誌の『講談雑誌』や『文藝倶楽部』にて水谷準ではない別の名で書いているのかもしれない。いずれも『新青年』とは客層が異なる大衆向け雑誌だけど、あれだけ幻想メルヒェンを書いていた準がよくこんなディスポーザブルな小説を臆面もなく書き飛ばしたもんだ。

 

                   


さてテキスト・チェックの話に戻ろう。こんな場合は同じ本の旧い版に目を通してみなければ言葉狩りされている箇所を見つける事はできない。よって昭和7年の春陽堂文庫版初刊本『殺人狂想曲』(私の所有しているのは昭和14年発行22版)を紐解いてみる。すると・・・

 

 

以下、
上段は言葉狩りがされている本書のテキスト
下段は本来の正しい戦前版春陽堂文庫のテキスト(〇)である。
後者は旧漢字・旧仮名遣いのまま引用する。

     

 

行方不明になった前中国大使()     210行目

行方不明になった前支那公使(〇)

 

 

まるで狂気の沙汰としか思われん)  1112行目

まるで気狂ひ沙汰としか思はれん(〇)

 

 

人はただ言葉を失うしかない       )  126行目

人はたゞ無言の唖となつてしまふ (〇)

 

 

「ぼく、ぼく、そんなんじゃない」)  1614行目

「僕、僕、気狂ひぢやない」   (〇)

 

 

あの子は気の毒な母を持った哀れな子供です )  341516行目

だれが一時的に発作を起こさなかったと言えましょう

 

あの兒は狂人を母に持った哀れな子供です    (〇)

誰が一時的に發狂しなかつたと云へませう

 

 

酷すぎる。「殺人狂想曲」の前半だけでこんなに見つかるとは。他の二篇でも改悪箇所はあるのだが、キリがないからここに載せるのはこれだけにしておく。この調子で言葉狩りオンパレード、それに加え昔の旧漢字を現行漢字にするだけならまだしも、「様」とか「僕」とか開く必要の無い漢字までひらがなに開きまくり。こんな校訂でよく再刊などしたものだ。

 

 

気狂い/発狂/白痴/唖/聾/満洲/支那、この手のワードがオリジナル・テキストに含まれる作品を再発している昭和50年以降の春陽文庫は × となる訳だが、それでなくとも(もっと以前から春陽堂が行っていた)漢字を無意味に開く校訂が、この〈探偵CLUB〉シリーズでも遠慮なしに実行されているので、テキストとして使いものにはならんことがよく解った。

 

 

乱歩でさえ過去の著書において信用できないテキストの本が存在する事実を知ることができたのは、林美一が河出文庫『珍版・我楽多草紙』でわかりやすく例を挙げて警告していたからであって、さすがに乱歩の次に本の流通量が多い横溝正史は注意していたけれど、それ以外のあまり有名ではない戦前探偵作家の再発本に対しては「まさか、そんな事はあるまい」とたかをくくっていたかもしれない。改めて言う。春陽堂書店の戦後のテキストは全く信用できん。

 

 


(銀) 水谷準の戦前の春陽堂文庫には『殺人狂想曲』ともう一冊『都魔』というのがある。この本の表題作「都魔」も『文藝倶楽部』に昭和58月から半年ほど連載していた時のタイトルは「虹の彼方へ」だった。こんなにも単行本収録時にタイトルを変えるという事は、準にとってやっぱりこれらの作は自分の会社の雑誌の埋め草的なやっつけ仕事として書いていたのだろうか。

 

 

平成になって藤原編集室が国書刊行会から〈探偵クラブ〉シリーズを出す時、その頃はまだ健在だった準に「昔の幻想メルヒェンものを揃えて一冊出したい」と打診をしたら「旧作について、それを再び見ることを好ましく思いません」とすげなく断られたという。本書『殺人狂想曲』が出るのはその数年後の話で、藤原編集室が作る本だったら語句改変などされなかっただろうに、ただでさえ自信作ではないと思われる上、こんな校訂を施した『殺人狂想曲』を晩年の準がもし読んでいたならどれだけ不愉快だっただろうかと、私は暗澹たる気持ちになるのであった。




2021年2月15日月曜日

『ソーンダイク博士短篇全集Ⅱ/青いスカラベ』R・A・フリーマン/渕上痩平(訳)

NEW !

国書刊行会
2020年12月発売



★★★★    プロットは必要最低限




「情緒、ドラマチックなアクション、ユーモア、ペーソス、〝恋愛趣味〟は、どれも存在していておかしくない。だが、そんなものはお飾りにすぎず、その気になればストーリーを傷つけることなく省くことができる。不可欠なこと、すなわち、その必須条件とは、問題とその解決であり、これにより聡明な読者に知的な鍛錬を行えるようにするということである。」


R・オースティン・フリーマン

~附録 1 『ソーンダイク博士の著名事件』まえがきより(本書469頁)


 

          ◆     ◆    ◆           ◆     ◆



マニフェストどおり、普通だったらストーリーを豊かにしてくれそうな要素を殆ど削ぎ落した構成は変わらず。いつもシャーロック・ホームズのライバル扱いされるソーンダイクだが、ホームズがよくやる、相棒や警察をあざけるような態度は見せない。ワトソン役のジャーヴィスにはいつも相手を尊重した立場でつきあっているし、ホームズものに見られる大英帝国愛国主義みたいなものも無い。調査は被害者当人でなく保険会社を通じて頼まれるケースも多い。ホームズと比較すると、こういう違いがある。

 

 

まず中篇「ニュー・イン三十一番地」。ジャーヴィスが身元を明かさぬ患者の往診をさせられた一方で、ソーンダイクのもとに遺言書に関する疑わしい死の調査依頼が舞い込む。この二つの謎が一つに収束されてゆく過程、それと目隠しされた馬車でジャーヴィスが連れていかれた場所を名探偵がコンパスを使って探り当てるシーンが見どころ。

 

 

「死者の手」はヨット上での口論からなる殺人を前半、ソーンダイクが偶然この事件と関わりを持つ後半と、倒叙形式での進行。海洋方面にもソーンダイクは精通しているのか。

 

 

次に『大いなる肖像画の謎』収録のソーンダイクもの二篇。
「パーシヴァル・ブランドの替え玉」は主人公が競売で買った人骨標本に牛肉等を装着させて、自宅に火を付けて偽装自殺を図る計画犯罪。「消えた金貸し」は取り立てが厳しい金貸しをつい殺してしまった男の話。ここでも殺人犯に手錠がかからないままの結末が。二篇ともネタはgoodなので、もう少し枚数があってもいいのに。

 

 

最後は『ソーンダイク博士の事件簿』収録の、「白い足跡の事件」で始まる七短篇。
「青いスカラベ」は本書の副題になっているが、そこまで図抜けて良い出来でもないな。その「ニュージャージー・スフィンクス」「試金石」「人間をとる漁師」「盗まれたインゴット」「火葬の積み薪」フリーマンはこの章では倒叙じゃなく通常のスタイルで一話一話を書いており、その事が悪い訳ではないけれど、本書だとやっぱり一話ごとのボリュームが十分にある前半の方が私は好ましい。



 

(銀) 前回の『Ⅰ』より挿絵・写真の図版は若干少なめ。あと「死者の手」15314行目の、ロドニー兄弟の弟フィリップがソーンダイクへ問うセリフの中で「先日、船首三角帆の揚げ綱が切れていたと兄が申し上げたのを憶えておられますか?」とあるが、その話題が出たのはソーンダイクの事務所における同じシーンの会話の中なのだから、この場合は先日ではなくて先程の間違いだろ? それに「白い足跡の事件」237頁 最終行も、「どちらかだ」を「どちからだ」と誤表記している。




2021年2月12日金曜日

『探偵小説研究「鬼」復刻版』

NEW !

三人社
2018年6月発売



★★★★   本格派というよりも乱歩派の気炎



いくつかの偵雑誌は完全復刻版が出ている。ゆまに書房が復刻した『ぷろふいる』は以前このBlogでも取り上げたし、本の友社が復刻した『新青年』は、戦前のある一年分だけなら私も所有している。雑誌の復刻は調べものをするのに大助かりなのだが、それらを全セット購入しようとすればとんでもない金額になり、オリジナルを買い揃えるのとあんまり変わらないんじゃないかとさえ思えてくる。

 

 

京都の三人社も『宝石』『妖奇』『黒猫』など探偵雑誌の復刻版を出し続けている会社で、  今回スポットを当てる『鬼』は商業ベースの探偵雑誌ではなく探偵小説家を中心とした同人誌。昭和2528年の間に九冊しか出ておらず、厚い号でも50頁というスリムなものなので今回の復刻版は普通の人でもまだ買いやすいほうだ。とはいっても、輸送函に贅沢な堅表紙で影印本 A5300頁強の一冊が入って18,000円 税もするのだから一般読者が気安く買えるものではない。

 

 

きっかけは昭和25年の探偵作家抜打座談会。                       光文社文庫『「宝石」一九五〇 牟家殺人事件』の項でも少し触れたけれど、これは探偵小説に芸術性を求める木々高太郎 + 彼の一派というべき文学派探偵作家を中心に、末期の『新青年』によって突然仕組まれた座談会なのだが、それが江戸川乱歩と本格嗜好作家を挑発するが如き内容だったので、この抜打座談会に激怒した(乱歩を慕う)作家達が「鬼クラブ」と称し、    本格派というか乱歩派の士気を高める為に発刊したのがこの『鬼』だった。              別に文学派の若手作家は乱歩を敵視していた訳ではなく、彼らからも乱歩は慕われており、    単に作風の嗜好による問題なので誤解なきように。

 

 

小説も投稿されているけれど、殆どは同人誌ならではのドメスティックなエッセイがメインで、通常の商業雑誌では見せないような気炎を吐いている人もいて、その感情的な一面が興味深い。クレジットされている「鬼クラブ」面々の名前を記しておこう。

 

 

閻魔大王  江戸川乱歩/野村胡堂    五官大王   大下宇陀児

                    阿修羅大王     森下雨村

四天王    東方持國天  延原謙

       西方廣目天  西田政治

       南方增長天  水谷準

       北方多聞天  城昌幸

 

鬼編集同人

香山滋/香住春吾/川島郁夫/高木彬光/武田武彦/角田実/永田力

岡田鯱彦/大河内常平/山田風太郎/山村正夫/飛鳥高/天城一

三橋一夫/白石潔/島田一男/島久平


本格作品といえるものを書いていない人も混じっているのに注目。そして大下宇陀児の名はありながら、本格長篇をあれだけ書いていた横溝正史の名が大王としても四天王としても掲げられていないという処にも。



 

(銀) 永田力は画家。戦後の探偵小説界にて、装幀や挿絵の仕事で貢献。           wikipediaを見ると亡くなったのは平成26年というから、つい最近まで健在だったんだ。



冒頭でも書いたように一冊の頁数や総冊数が多い探偵雑誌だと復刻版が出ても買うのは無理。  自分的には『探偵文学』→『シュピオ』あたりなら是非欲しいと思う。あれなら復刻本にしてもそこそこのボリュームで収まりそうだし。しかしもう少しリーズナブルな価格にならんものか。部数が極端に少ないので値段を下げられないのは、わかっちゃいるけども。


 


2021年2月10日水曜日

『蠢く触手』江戸川乱歩

NEW !

春陽文庫 名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉
1997年10月発売



★★     明智小五郎の使用許可



「蠢く触手」を含む新潮社版「新作探偵小説全集」は江戸川乱歩の『探偵小説四十年』によると最初配本を担当した作家で一~二ヶ月、最終配本の作家でも半年しか執筆する時間が無かったという。日本におけるこういう長篇の書き下ろし企画って、最低でも何ヶ月の猶予を作家に与えれば十分といえるのだろうか?

 

                    


新潮社「新作探偵小説全集」内容見本より、「蠢く触手」の紹介部分をご覧頂こう。

 〝 華麗奔放を極めた猟奇的探偵小説である。暗黒の世界に住んで、青白く滑かな、天鵞絨の如き軟かな触手を伸ばして、この世のあらゆる隅々を探り廻つて最も滋味ある獲物を捉へ、その柔き触手をもつてニユルニユルと纏ひつき、その血を啜り、その命を奪ふ妖しき悪魔!人々はその青白き触手を見得るばかりで、暗闇深く身を隠してゐる悪魔の正體を掴む事は出来なかつた。

 

恐怖!戦慄!人々は考へて見るだけでも身の毛のよだつ思ひがした。併し、犯跡に對する緻密な観察と、科學的な推理と、探偵的奇策とによって、悪魔は遂に暗黒の世界から曳摺り出された。恐るべき悪魔の正體!その醜怪極まる姿は人々の前に晒された。青白き触手を持つ暗闇の悪魔とは抑々何者ぞ!

 

猟奇的探偵小説家としての第一人者江戸川亂歩氏の、これは、最も本格的なる猟奇的探偵小説の傑作中の傑作である。 〟

 

 

この紹介文も、乱歩通俗長篇の新連載を取り付けた戦前の雑誌がよくやる無責任な広告文と全く同じパターンで、乱歩自身まだ次作の構想が全然練れておらず、具体的なプロットや設定も決まっていないのに編集部が勝手にでっちあげた、おどろおどろしい雰囲気を伝えるだけの法螺にすぎない。だから猟奇・・・猟奇・・・猟奇の繰り返し。

 

                   


諸兄姉御承知のとおり本作は乱歩が岡戸武平に代作を頼んだものだが、思えば乱歩が第三者の手になる代作によくも明智小五郎の使用を許したものだ。『蠢く触手』が発表された時期は平凡社版『江戸川乱歩全集』配本が終わった数ヶ月後で、「蜘蛛男」「魔術師」「黄金仮面」など明智の人気は最高潮。「蠢く触手」の前年に完結した「吸血鬼」のフィナーレで明智は恋人の文代と結婚すると語られている事から、乱歩は名探偵のハッピーエンドな退場を考えていたと見る人もいる。そんな明智は正に虎の子のキャラクター。代作を頼んでいるとはいえ自分以外の者に明智を扱わせて乱歩は平気だったのかしらん

 

 

乱歩本人が通俗長篇に明智を登場させる場合は大抵〝 名探偵明智小五郎 〟という風に、形容が強調されている。しかし本作では、最後の最後に正体を明かす明智に名探偵の冠は付いておらず「お馴染みのアマチュア探偵界の王者であり、現警視総監の愛婿と目されている男だ。」って、なんか紹介がチープ。それに総監の愛婿・・・???

 

 

仮令明智を使わなかったとしても、いつもの粘着質な乱歩調は露ほども感じられないし、1932年に初刊本が出た時、文体がいつもの乱歩とは全然違うから読み手にもバレていそうで、よくクレームが来なかったものだ。カバー絵に使われているKKKもどきの覆面集団も印象が薄く、内容としては褒められたもんじゃない「蠢く触手」だがそれは岡戸武平のせいではない。1997年のこの春陽文庫版には初刊本に添えられていた林唯一の挿絵も数点入っており、一応貴重な再発ではあったのだ。



追記

2020年2月18日(木)の記事『殺人狂想曲』(水谷準)並びに2月20日(土)の記事「春陽文庫『蠢く触手』を再調査すること」にて述べた理由をもって、当初★5つにしていたこの本の評価は★2つへと変更した。




(銀) 岡戸武平の探偵小説著書『人を呪へば』『殺人芸術』探偵小説随筆集『不木・乱歩・私』、そして雑誌『幻影城』に連載された博文館時代を回想するエッセイ、更に単行本になっていない彼の創作探偵小説もあれば、それらをコンプリートした書籍がほしい。



この人は著書の数こそかなり多いけれど、探偵小説に関するものはほんのわずか。彼はやっぱり作家というより編集者とみるほうが相応しいかも。




2021年2月3日水曜日

『火星の魔術師』蘭郁二郎

NEW !

国書刊行会 <探偵クラブ>
1993年7月発売




★★★★★   作品/著書目録と「宇宙爆撃」の収録が有難い




1930年代に入ってからデビューし、キャリア的にこれからという時に日本が戦争一色となり、 終戦を迎える前に異国の地で命を落としてしまったという境遇において、蘭郁二郎と大阪圭吉は非常に似ている。作風こそ全く違えど大阪圭吉ばかりが再評価され、蘭郁二郎の新刊が出そうな盛り上がりが見られないのはゆゆしき事なり。そんな現状の風向きが少しでも変わるよう、  懐かしいこの傑作集を振り返ってみた。

 

 

「夢 鬼」

言わずと知れたマスターピースともいうべき中篇。これ、最後まで曲馬団内の話で終わってたらもっと貧しくジメジメした内容になりそうな処を、曲芸事故で片輪になった鴉黒吉の新たな就職先にパラシューターという当時はモダーンだったであろう職業をあてがう事で、内向きの性格な上に容貌の醜いこの少年の悲惨な最期を鮮烈なクライマックスへと演出できたのが立派。

 

 

「歪んだ夢」

かなり初期の作品で『秋田魁新報』の夕刊に連載された短めの作品。 その後「縺れた記憶」  「恐しき写真師」「鉄路」「自殺」も同新聞に発表している。蘭は東北在住でなければ地方新聞から仕事がくる程の成功もまだ無いのに、何故この新聞に小説を掲載してもらえたのだろう? 何か伝手でもあったのか? 参考までに『秋田魁新報』は歴史のある新聞で、蘭が作品を発表した頃は既に東京支社もあったという。 

 

「夢鬼」同様、ここでも主人公は予知のような夢を見ており唯一の友達をも催眠の夢世界へ  誘おうとしてドラッギーなマインド・トリップを図る。

 

 

「魔 像」

職に困っていた寺田洵吉は浅草公園で旧友の水木舜一郎と行逢い、異様な写真アートに没頭している水木の家に同居させてもらい彼の奇妙な作業を手伝う事となった。           水木の最終目的とは果して?

 

 

「蝱の囁き ―肺病の唄―」

薬臭そうなサナトリアムにおける肺を病んだ二組の男女。病人目線で見る、匂い立つような女性のフォルムの描き方が素晴らしい。片や、一瞬の吐血シーンもリアル。昭和12年あたり迄の蘭は『探偵文学』とか同人誌への作品発表が多かった。

 

 

「白金神経の少女」

「夢鬼」の悪女・葉子や「蝱の囁き」のマダム丘子といった生々しい血の通った女性像から、 ヒンヤリして滑らかな人工的女性像、要するに蘭の表現が科学系小説へと変わっていく過渡期の作ゆえ、ちゃんと引っ繰り返すオチを用意。

 

 

「睡 魔」

街の市民をある方法にて眠らせてしまうSFタッチに加えて対峙すべき敵国を意識させる部分も。ここからは春陽堂が当時出していた雑誌『ユーモアクラブ』に掲載されたものが増え、その雑誌の性格ゆえかシリアス一辺倒ではなく、本書前半収録作には無い明朗さも見え始める。

 

 

「地図にない島」

これも「睡魔」と同路線。海岸で望遠鏡を覗いていた中野五郎は、長年行方不明だった元研究者の叔父が乗っている白亜船をレンズの中に発見する。こっそりその船に潜入した中野は内地から遠く離れた謎の科学の島へ連れていかれ・・・。ヒロイン小池慶子は生身の美しい少女だが、 その島には幾人もの ❛ 慶子たち ❜ が・・・。

 

 

「火星の魔術師」

前述の「地図にない島」では複製人間つまりクローンの概念はまだ存在していないが、異常なる花・野菜・果物を作り出す為に、ここでは細胞の染色体を操って作物を進化させる(『ウルトラQ』を先取りしたような)アイディアを展開。

 

 

「宇宙爆撃」

未発表作。よってこの作は今のところ本書でしか読めない。太陽系に訪れる原因不明の磁気嵐や謎の大彗星は、宇宙外にいる超大巨人が起こしている実験のひとつではないのか? というあまりにも壮大な想像。作品としての出来は並レベルだが、この原子を扱うテーマは当時にしては斬新なのでもっとじっくり取り組んでいれば・・・と悔やまれる。




(銀) 令和の時代こそは蘭郁二郎の新刊がバンバン出てほしいものだ。豪華本が売りの藍峯舎にも蘭郁二郎を出してくれるようお願いしたい。ところで私が蘭郁二郎を好きな理由のひとつは彼の描く女性造形を見ると戦前の日本にありがちな下っ腹がポッコリ出ていて手足も短そうな 野暮ったさが殆ど感じられないから。



蘭郁二郎作品に登場する女性キャラは、それぞれタイプは異なっても旧い時代のギャップを読者に感じさせる事も無く、男の脳髄を痺れさす妖しさを放っている。そして彼女たちの胸はきっとタプタプした品の無い巨乳なんかではなくキュッと小ぶりでちょうどいい形をしているに違いない。



古本やミステリのオタク人種がそろって好むのはなぜか、メイドカフェ嬢みたいな服を着て不自然にボインでデカそうなお尻の、アニオタというワードから連想される萌え系と相場が決まっておる。女性とつきあった経験が無いとああいうフォルムしかイメージできなくなって、スリムなキュートさの魅力を理解できず貧乳などと呼んでた日には、ますます彼らは女性から相手にされなくなるんでしょうな。




2021年2月1日月曜日

『幽霊紳士』大下宇陀児

NEW !

東都我刊我書房
2021年2月発売



★★     本当に宇陀児本人が書いたものなのか?




大下宇陀児の長篇「恐怖の歯型」は博文館の月刊誌『朝日』に、江戸川乱歩「孤島の鬼」が完結した次月の昭和53月号から連載が始まった。『「新青年」趣味』ⅩⅦ 特集大下宇陀児』の 著作目録を見ると最終回は昭和66月号と書いてあるけれども、                                     同じ博文館の雑誌である『新青年』『文藝倶楽部』の手持ちの号を開いてみたら、              『朝日』の広告の中に「恐怖の歯型」のタイトルが見られるのは昭和64月号まで。            『朝日』の昭和656月号は持っていないため最終回が本当は何月号だったのか、            現物にあたれないのが残念。

 

 

それはさておき今回発掘された「幽霊紳士」は昭和9年の夏から半年、北海道の『室蘭毎日新聞』に連載されたもの。ネットで調べたら、この新聞は現在の『北海道新聞』→『室蘭日報』の前身にあたるというからよく残っていたもんだ。で、この作品は実質「恐怖の歯型」のヴァリアントだったのである。

 

 

ある新聞に連載した小説をタイトルだけこっそり変え、離れた地方の別の新聞にも連載する前例は国枝史郎『犯罪列車』正木不如丘『正木不如丘探偵小説選Ⅱ』の記事にて紹介したが、これは月刊誌に連載した長篇をデイリーの新聞に再利用し、元のタイトルの痕跡を全く残さない改題 だけでなく登場人物名をも変更してしまったという、あまり無いパターンの珍品。 


 

                   



実際に読み進めてみると、どうにも気になる点があれこれ多いので箇条書きにしてみた。    本書のテキストと比較をする際、博文館版初刊本『恐怖の歯型』は友人にあげてしまったので 昭和7年に出た同作の春陽堂日本小説文庫版(以下、【春】と略)を使用している。

 

 

    本書では、「~してくれ」という言葉の〝 くれ 〟がどれもこれも〝 呉 〟と書かれていて 物凄く違和感がある。宇陀児の他の戦前本で、こんな書き癖はしてなかったと思うのだが。ちなみに【春】を見ても〝 くれ 〟は〝呉れ〟と書いてあった。

 

 

    更に「血痕」を〝 血こん 〟「失踪」を〝 失そう 〟などと書いているのも不自然。  【春】をはじめ、景気が良い頃の戦前の本は総ルビが普通やぞ。戦後の春陽堂ならともかくこんな中途半端に漢字を開く意味がわからん。

 

 

    地名などは変えてないのに、どういう理由で登場人物名だけ変えてしまったのか?    それにどうして「幽霊紳士」なんてタイトルに? 「吸血紳士」ならまだわかるけれど。 「恐怖の歯型」の場合、最初はルブラン「虎の牙」を意識していたのかもしれない。   でも歯型だけ死体に残すならまだしも、血を吸い出して殺す理由が無い点は詰めが甘い。

  

  ちなみに初出誌『朝日』では、第一の死体が発見される場面にて「青年にのしかかって喉元に牙を立てようとしている巨大な蝙蝠」をイメージした挿絵が岩田専太郎によって描かれている。


 

                    



これらの特徴から「幽霊紳士」は本当に大下宇陀児本人が書いたものなんだろうか? という疑いが浮かんでくる。宇陀児の文章にしては妙にアラが多すぎるのだ。                           江戸川乱歩でいう処の井上勝喜みたいな小遣い稼ぎをさせなくちゃならない舎弟が宇陀児にいたなんて話は聞いた事が無いんだが。序盤にて同一人物の名前を、変装している訳でもないのに「藤川忠司」と「仲木良三」でゴッチャに表記していたり、                                         プロの作家がこんな恥ずかしい真似をする?  

 

 

他に考えられるのは執筆者以外の、原稿を活字にする人間に問題があったという可能性。  「幽霊紳士」が連載された『室蘭毎日新聞』の担当が使えない役立たずだったとか。     でもそんなんじゃ毎日新聞なんて作ってられないし、本書のテキストを打ち込んだ人物のほうがまだありえるかも。論創社のせいで私は下手な校正には敏感になっているからな。

 

 

昔の本だと、会話でもない地の文にまで鍵括弧(「」)を付けているミスはしょっちゅう           見かける。こういうのは大体の場合においてすぐ間違いだと判断できるから、                再発する際には校正の段階で訂正してしかるべき筈なんだが、                       本書を読むと訂正されぬままの箇所がこれまで善渡爾宗衛が盛林堂から出してきた本よりも          多く感じられた。どっちにしても初出の『室蘭毎日新聞』コピーさえ取り寄せて、              そこでの文章が本書とそっくりであったなら『室蘭毎日新聞』の当時の担当者及び本書テキストを打ち込んだ人物に対する容疑は晴れる。


 

 

本作は『大下宇陀児探偵小説選Ⅰ』に収録されている「蛭川博士」同様に、突出した犯罪者や 探偵役がいないぶん市井の人々がひたすら錯綜するので、                                 最後まで読まないと主人公は誰だったのかはっきりしない。                        こういうのも宇陀児の戦前長篇の評価がされにくい原因。                         上記で触れた宇陀児特集の『「新青年」趣味』で「恐怖の歯型」について横井司は「戦前期の 本格長篇としては完成度が高いといえよう」とコメントし、本書巻末の解決では編者善渡爾宗衛が本作を「大下宇陀児の代表作」と書いている。どう贔屓目に見ても本格長篇は言い過ぎだろ。   単行本になった回数はそこそこあるけど、「恐怖の歯型」って宇陀児の代表作と呼べるかね?             

 

 


(銀) レアな作を見つけ出して本にしてくれるのは有難いとはいえ、ちょいと問題多し。  今回の「幽霊紳士」も全一五七回のうち、五十八回/九十二回そして一五一回以降が欠落して いたので、その部分はオリジナルの「恐怖の歯型」テキストを流用して人物名だけ「幽霊紳士」風に調整したそうだ。

 

 

という事は真犯人の遺書が明かされ事件解決後、ある二人の登場人物(一応伏せておく)の行末がもしかすると「恐怖の歯型」とは違っている可能性だって無いとはいえない。それにしても、プロローグで青年音楽家にネチネチ言い寄っていた××××(同じく自粛)の言動はいったい何 だったのか? 謎を増やす為の無駄な動きは困る。

 

 

内容もさながら、善渡爾宗衛の宇陀児本は徐々に値上がりして本書はこのボリュームで5,000円だと。刷り部数が少ないからって、この価格は妥当なのか?