2021年4月7日水曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎④

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★★★★★   ④  発売された事を今は素直に喜びたい





陸軍報道班員としてマレーに赴き現地で日本軍の残虐・横暴ぶりを目の当たりにした小栗虫太郎はその怒りを「海峡天地會」(1943)という作品にて表現するも、内容が「けしからん!」と当局にチェックされ憲兵どもに自宅を強襲されてしまう___。このエピソードが有名であるが故に、虫太郎という人は戦前日本の八紘一宇スローガンには元来反発していたんだろうな、と実に軽く私は考えていた。しかしそれが大きな勘違いだということを、この春陽堂書店版『亜細亜の旗』は示唆している。


 

 

本書には「亜細亜の旗」連載に先立つ予告として、紙面に載った「作者の辞」も抜かりなく収録されている。その文章の締め括りには「私は、事變の當初から現代にひきつゞいて、國策の實現に献身しつゝある人々に満腔の敬意を表しつゝ、ペンをすゝめたいと思ふ。御聲援を願ふ。」とある。こういった〝作者からの挨拶〟は往々にして、作家本人の意思とは別に編集者が勝手にでっちあげるケースもあるけれど、参考までに紹介しておく。


 

 

今回の単行本は非常に良く作られており、作品背景を探る【解説】【編集後記】に加えて虫太郎令息・小栗宣治が昭和の半ばに執筆したあの「小伝・小栗虫太郎」を再録、更には【小栗虫太郎著作目録】まで載っているので、彼の歩んできた歴史も多面的に解るよう構成されている。そんな巻末資料を眺めながら、今迄何回も読んだつもりだった「小伝・小栗虫太郎」の中にこういう一節があるのをてっきり忘れていた自分に気付いた。


「とても陛下を好きな人であった」「共産主義がきらい」

「終戦直後の共産党がやった口汚い天皇攻撃に便乗した私(小栗宣治)が、
全面賛成と得意面でそれを繰り返すと〝お前に何が分るか〟と一喝、途端に目から火が出た」

「何かをジーッと見ている人であり、軽率に言葉を吐かない人であった」 

 

息子による父の回想の一例として、竹中英太郎(父)の語り部だった竹中労(息子)の言には、誇張や虚飾めいた部分があったりもした。今回の虫太郎スペシャルにて、私は小栗宣治の言葉を全面的に信じて記事を書いているが、人間のやる事ゆえ思い違いだったり、また時には意図的に盛ったり消去したりする場合だって絶対無いとは言えない、と一言添えた上で話を進める。




共にマレーへ同行した海音寺潮五郎・井伏鱒二らがそうだったように、頑として権力に靡かない性格の虫太郎が何故陸軍報道班員になったのか?戦闘義務こそないけれど、日本軍の末端に加わる事には変わりがないではないか。

我々は戦争の悲惨な結末を知っているから何とでも言えるけれど、あの時代をリアルタイムで生きていたら、戦争そのものはどんなに嫌だろうが、開戦してしまった以上どうにか負けないでほしいと願うのは当り前の話。江戸川乱歩をはじめ、どの探偵作家も(国策協力小説を書くかどうかは個々のスタンスがあるとはいえ)みな愛国心を抱いていた筈だし、きっと虫太郎も同じだったからこそ「亜細亜の旗」という作品を書いたのだと思う。

ただその直後、南方へ行った事で虫太郎はショックを受け、かなり考えを変えざるをえなかっただろう。しかも彼を待っていたのは真珠湾攻撃の知らせ。日本は米英とも戦わざるをえない最悪の事態に陥ってゆく。


 

 

Twitterに見られる探偵小説/本好きな人々の傾向として、その殆どが体制批判というか、よその国がどんな非道な事をやっても何も言わないのに、どれだけ政治・経済について解っているのか知らんが、自民党政権の罵倒をしている発言が圧倒的に多い。残念ながら日本の政治家の能力は相当低いし品性は下劣だ。でも、なんなんだろう・・・昔のパンク・ミュージシャンでさえ言わなくなった体制批判だけしておけば賢く見られるとでも思ってるのかな?

100年前も今も、政治とか愛国心なんていうものは単純に ❛ 右 ❜ と ❛ 左 ❜ の二極で収まりがつく程幼稚なもんじゃない。小栗虫太郎に見られる政治性にだって、きっと一面だけでは切り取れない複雑な想いがあったに違いないのだ。


 

 

四回に亘って書いてきたように、発掘されたこの長篇はどうにも虫太郎らしくないし、探偵小説でもない。「亜細亜の旗」にマイナス要素を探せば、いくらでも見つかるだろう。でも決め手になる事実が出てこない限り、私はこれが虫太郎の真作だと信じたいし、山口直孝はともかく本多正一などよくわかっている人材が尽力してくれたおかげで、単行本として出すには理想的な形に仕上がったんじゃない? よって小説の内容だけの評価ではなく、一冊の本として総合的に見て★5つ進呈。心から褒めたくなる新刊は本当に久しぶり。



 

 

(銀) これまで私は戦前の国内新聞小説を探す際、国書刊行会が平成の序盤に新装版として出した『新聞小説史年表』という文献を参照してきた。ただ30年も前の本である事もあり、そこに記載されていない新聞連載探偵小説はまだまだかなり埋もれているんだなあ、と「亜細亜の旗」の出現を知って改めて認識させられた。

それにしても虫太郎の書誌を研究してきた沢田安史は『新青年』研究会の強者ながら、なにゆえ今迄本作を発見できなかったんだろう。また「亜細亜の旗」は今迄誰も発掘できなかったのに、山口直孝が偶然『九州新聞』版テキストに出くわした途端、どうして他の掲載紙も短期間の内に続々と見つける事ができたのか? これこそ最大のミステリー。

 

 

四十七都道府県の主要県立図書館と文学館がその土地の新聞のデータを徹底的に調査して、各新聞に掲載された全ての小説を(わかる範囲でかまわないから)リスト化してくれたら、発表以来長い間眠ったままの未知の小説の存在を我々は新たに知ることができるのだが・・・。現にそういう作業を積極的にやっている所もあるけど、ああいう仕事先に勤める人は所詮公務員だから、余程小説好きの奇特な人でもいない限り、そんな前向きな調査を望むのは無理ってか。