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2024年7月28日日曜日

『黒い駱駝』E・D・ビガアス/乾信一郎(訳)

NEW !

黒白書房  世界探偵傑作叢書4
2019年12月発売



★★★★★  終盤の駆け足は惜しいが、この抄訳版は楽しめる




南の島へ遊びに行くとしても歴史を感じさせる場所が好きなので、タヒチに行ってみたい願望は若い頃あった。でもあそこはかなり遠くて、旅費がガーンと跳ね上がるのがネック。そうなると狙い目はバリ島。現在の相場は知らないが昔の感覚で言えばバリはそこそこリーズナブル。波の荒い海・火山・ガムラン・ケチャを楽しめるし、ハイソ気取りな風情じゃないのが良い。

 

 

とにかく日本人は大のハワイ好きだ。友人の誘いで80年代の終わり頃オアフ島に行った時の記憶では、ジャパニーズ向けのインフラが整い過ぎてて便利は便利なんだけど、そこが逆に自分には合わなかった 。年末年始になれば日本人タレントがこぞって群がるのも、あまりハワイを好きになれない理由のひとつだな。




ヤ、そんな事はどうでもよくて、さっさとビガーズの話題に移ろう、抄訳であるこの黒白書房版「黒い駱駝」に出てくる日本人は現地女学生の娘ただ一人。もしも将来、新たに完訳版「黒い駱駝」が発売された時、この辺のチョイ役キャラを注意して見て行けば、抄訳でカットされた部分がどれぐらいあったのか思い出す手掛かりになるだろう。現行本で完訳と謳ってはいるが、論創海外ミステリの『黒い駱駝』(林たみお訳)は例によって訳文のクオリティーが人様から金を取れるレベルに達しておらず、読む必要無し。


 

 

〝しかし、世の中つて判らんものですよ。御承知かも知れないが東洋の古い諺に(死といふものは何處の家の門にもしやがんで待つてゐる黒い駱駝だ。)といふのがありますね。〟

 

 

オアフ島に滞在しているシーラ・フエーンは三十代前半の有名な女優。業界では彼女のピークは過ぎたという声もある。そのシーラが自分のコテージで胸を刺されて殺された。事件を担当するホノルル警察/チャーリー・チャンから見て、疑わしい人物はいくらでもいる。シーラに求婚したが「NO」と返答されたアラン・ジエーンズ、シーラだけではなくチャーリー・チャンにも接近する占い師ターネベロ、別れたシーラの夫で公演のためハワイを訪れていたロバート・フイフ、嘘の証言をするシーラの女秘書ジユリー・オニール、シーラのコテージの周りをうろついていた絵描きの宿無しスミス etc。





シーラの遺した手紙の封を開けて中身を読もうとしたチャーリー・チャンを殴打せし者の指に填まっていた指環。一部切り取られた図書館の新聞記事。序盤からちょくちょく言及される三年前ロサンゼルスで起きたデニー・メーヨの事件に謎が隠されている様子。シーラはその時デニーの家に居合わせており、デニーを殺した犯人を知っていたらしい。





乾信一郎は『新青年』流のやり方で、余分だと思った箇所は遠慮なく削ぎ落として訳している。終りのほうがやや駆け足気味なのはもったいないけれども、会話中心のストーリー展開になっているので誰にでも読み易い。本書はなぜかフリーマンの傑作短篇「オスカア・ブロズキイ事件」が併録されているが、これってたしか乾が「吉岡龍」名義で発表してたっけ。

「黒い駱駝」を縮めてまで別の短篇を挿入するくらいなら、最初から「黒い駱駝」を極力カットせずに訳してもよかったのだが、森下雨村より代々引き継がれてきた翻訳マナーは「ムダな部分を取り除いて、全体を活かす」がモットーだったから、自然とこのようなカタチに落ち着いたのだろう。





(銀) チャーリー・チャン・シリーズは戦前に映像化されたものが数多く存在する。1931年にワーナー・オーランドが主役を務めた映画「The Black Camel」(「黒い駱駝」)は2007年頃アメリカでDVD化され、現在Youtubeにて視聴可能だ。怪しげな水晶を使う占い師のターネベロはヴィジュアル的に見映えが良く、脚本さえ原作どおりに書かれていれば、そこそこ面白いかもしれない。






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2024年5月24日金曜日

『シシリアの貴族』バロネス・エムムスカ・オルチイ/上塚貞雄(譯)

NEW !

博文館文庫
1939年8月発売



★★     ホームズ時代の徒花




大英帝国を代表する名探偵シャーロック・ホームズの尋常でない人気を受け、雑誌の編集者から「ホームズみたいなのを書いてみない?」と勧められてバロネス・オルツィが着手したのが隅の老人シリーズ。ドイルの作家活動期間とオルツィ夫人のそれとは、六歳年長のドイルが若干先行しているとはいえ、ほぼ重なり合う。

 

 

弁護士パトリツク・マリガンそして物語の語り手でもある相棒のマツギンスをメインに据えた十の事件簿は、隅の老人シリーズより後に発表されたもの。パトリツク・マリガンの綽名を上塚貞雄(=乾信一郎)危機一髪君と翻訳していてコメディー・タッチのミステリに間違われそうな呼び名だが、笑いの要素は無い。


「サルタシ森の殺人」

「シシリアの貴族」

「ダフイルド家爵位事件」

「カザン眞珠」

「ギブスン少佐事件」 

 

「倒の〝五〟」

「土耳古石のボタン」

「モメリイ家相續事件」

「マートン・ブレビイの慘劇」

「ノリス夫人事件」


そして本書のどん尻には隅の老人シリーズから一篇、「地下鐵の怪事件」が中途半端なオマケのように入っている。この文庫のアーリー・ヴァージョンにあたる博文館版世界探偵小説全集21『オルチイ集』には上記の十一篇に加え、隅の老人シリーズもの「バーミンガムの殺人」「エリオツト孃事件」「老孃殺し」「ノヴエルテイ劇場事件」「トレマーン事件」「行方不明」の六篇が収録されていた。

 

 

昔の旧訳は大好きなクチなんだけど、パトリツク・マリガンとマツギンスのコンビはホームズ&ワトソンのジェネリックにしか見えず、どうもそれが気になって困る。ある事件では二人が乞食に化けるのだが、まるっきりそっくりなシーンに描かれている訳でもないのに、ホームズ物語の影がぼんやり透けて見えてしょうがない。おまけに、この上塚貞雄訳危機一髪君シリーズは抄訳らしく、その刈り込みが作品をスポイルしているのかな?

 

 

マリガンのもとに持ち込まれる犯罪まで全部が全部安直だとは言わないけど、主役二人のキャラ付けと動かし方にはひと工夫欲しいね。オルツィ夫人=「隅の老人」、そんなイメージの定着は確かにある。でも古めかしい冒険ロマン長篇「紅はこべ」でさえ戦後復刊されているのに、危機一髪君短篇集が置いてけぼりなのは、このシリーズが「紅はこべ」以下の評価しかされていない証拠だとしたら、少々複雑な気分。 

 

 

 

(銀) なんだろう、皮肉にもホームズ物語がいかに再読に耐えうる上質な小説であるか、そっちのほうが際立ってしまうんだよな。ホームズの時代に世に出た探偵たちは〝ホームズのライバル〟と呼ばれたりもするけれど、パトリツク・マリガン&マツギンスでは残念ながらホームズ&ワトソンの引き立て役に見えてしまって、隅の老人より見劣りがする。





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2021年7月21日水曜日

『横溝正史書簡(乾信一郎宛)目録』

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くまもと文学・歴史館
2021年7月発行



★★★★★   長い間熊本に眠っていた大量の横溝正史書簡




横溝正史が博文館在籍時以来の親しい友人である乾信一郎に書き送った書簡の展示を中心とした企画展『没後40 溝正史 発見書簡に見る探偵小説作家の顔―』がくまもと文学・歴史館にて、令和3716日から923日まで開催されている。この書簡目録は来場者のみに配布されるブックレット。

 

 

書簡は本来戦前のぶんからあったのだが戦災で失われてしまったそうだ。それでもようやく安寧が訪れた昭和20年から横溝正史ブーム後期となる昭和54年までの、実に34年分272通にも及ぶ正史書簡が乾信一郎のもとで大切に保管され、現在こうして我々もその御裾分けにあずかる事ができるのだから、ただただ上塚家の方々に感謝するしかない。(乾信一郎はペンネームで、彼の本名は上塚貞雄)

 

 

戦後になっても正史は相変わらず病を抱え、しかも乗物恐怖症だったから外出の機会は非常に限られる。そうなると友人とのコミュニケーションは(なにせメールの無い時代だから)手紙が中心。今回の正史書簡の中には、ストライキかなんかで郵便がスムーズに配達されない遅延を憂う様子がうかがえる文章がいくつもある。(ウンウン、わかるわかる)

 

                   


この書簡目録は全272通それぞれの要旨を数行に簡略化し、日付順に一覧表の形にして載せている。34年分とはいえ正史が頻繁に書簡を書いている時期と、そうでない時期とがある。では中身を見ていこう。第一章は「岡山疎開の頃・本格探偵小説作家へ 昭和20年~昭和23年」32通。この時期は戦時中の溜め込んだ鬱憤晴らしに、それまで書きたくても書けなかったものを書いて書いて書きまくっているのだが、「仕事は多いが、約束通りの支払いがないのが痛手」と一言。悲しいかな、国破れて世情が荒れている証(あかし)。「戦後の都会が想像もつかない」とも。


 

 

第二章は「名探偵・金田一耕助の活躍 昭和2436年」59通。ここからは東京へ戻り、横溝家は成城に居を構える。「仕事を減らして好きなものだけ書きたい」「ヤッカイな小説を書かないといけない」などと漏らす正史。できればしたくない仕事って何だろう? この辺は書簡の全文を読まなければ、正しい真意が汲み取れない。ちょうど正史が50歳を迎えて、明くる昭和28年から昭和34年の間は書簡がたった一通しか存在せず、昭和35年から再びやりとりが多くなる。



この6年の空白の期間、正史の胸中や如何に?戦後は高いテンションでのちに代表作と評価される長篇を次々と生み出してきたが、「悪魔が来りて笛を吹く」の連載が終了してピークの終わりを自分でも感じていたのだろうか。とはいうものの昭和34年には「悪魔の手毬唄」を完成させているのだから、それはそれでたいしたものなのだが。乾信一郎と渡辺啓助の初対面が昭和36年というのがなんとも意外。


 

 

第三章は「読みつがれる【人形佐七捕物帳】 昭和37年~昭和48年」83通。森下雨村や江戸川乱歩など、恩人や作家仲間が一人また一人この世から去ってゆく時代。その割りには落ち込む素振りを乾にあまり見せていない正史。講談社からの初の個人全集もさながら「人形佐七」が二度もドラマ化され、後年角川春樹が無礼にも口にした〝既にもう亡くなってしまった人だと思っていた〟という時代遅れな作家の老臭感は、この書簡目録からは不思議と漂ってこない。乱歩逝去後、大衆が次第に社会派推理小説に飽きて再び探偵小説へ回帰する雰囲気があったからかも。

 

 

第四章は「横溝正史ブーム到来 昭和49年~昭和54年」98通。正史、すでに70代。あのしょーもない角川ブームに巻き込まれて相当消耗していただろうに、乾への書簡の数は全然減っていないのだから、なんとも筆まめな性分。乾の大仕事だったクリスティー自伝翻訳完成を大変喜んでいるのがよくわかる。最後の書簡は昭和541126日、近鉄バファローズの西本監督に会った報告で終わっている。


                   


それまでのくまもと文学・歴史館のやってきた事と比べ、横溝正史という超メジャー作家だけあって、今回はそれなりに頑張っているのは理解できた。「書簡目録は販売したほうが少しでも出費をリクープできるのでは?」との質問に「くまもと文学・歴史館は熊本県立図書館と一体になっている都合上、販売できないんですよ」という意味の返事が。ふーん、そういうものなのか。




(銀) 今回の企画展を見た人は誰しも「何故こんな272通もの横溝正史の手紙が揃っているのに書簡集を出さないの?」と訝るに違いない。その書簡集というものについて、もう10年以上私は「『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』を早く出してほしい」と言い続けてきた。実際、乱歩と正史が取り交わした書簡は一冊の本ができるだけの数が残存している。2000年頃、ある人物が「そんな企画がある」と口にしたこともあった。



しかし2020年代になっても、それを実現しようとする噂はどこからも聞こえてこない。企画者(?)編纂者(?)となるべき人達の都合もあるだろうし、版元となる出版社の利権問題もあるのかもしれない。なにより著作権継承者の許可を得る事も必要となる。『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』が発売されたら喜ぶ人は大勢いると思われるけれど、出版社は「書簡集なんてマニアック過ぎて売れないよ」と軽く見ているのかもしれない。



きっと過去の私なら、今回の目録を見て「是非一冊の本にしてほしい!」と言っていただろう。でも『乱歩~正史往復書簡集』でさえ出ないのだから、『乾信一郎宛横溝正史書簡集』となると実現は余計に難しい気もする。わからんけど。ただ以前とは違い、この業界内のいろいろな事に対して自分の気持が冷めてきているから、この場所で『乾信一郎宛横溝正史書簡集』を熱望するような発言はもうしないでおく。勿論出たら出たで喜んで読むけれど、所詮こちらは読ませて頂く立場でしかない。




2020年12月17日木曜日

『悲しくてもユーモアを~文芸人・乾信一郎の自伝的な評伝』天瀬裕康

2015年11月2日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創社
2015年10月発売



★★     ユーモアと動物小説と
         ラジオドラマの人にしてしまっていいの?




乾信一郎について仮に世間にアンケートを取ったなら、探偵小説の翻訳者であり博文館の編集者だという見方が勝るだろうと私は考えている。往年のユーモア小説や動物小説はもう何十年も新刊で流通は無い。なんといっても『アガサ・クリスティー自伝』の訳者だからね、彼は。

 

 

本書中にも記述があるが、ずいぶん前に乾の故郷である熊本の近代文学館で彼の企画展が開催され、見たことのない横溝正史との写真なんかはあったが、正史そして江戸川乱歩から送られた乾宛ての寄贈された書簡を調査もせず死蔵させていた様子で、殆ど動物+ユーモア小説の方がメインに扱われ、探偵小説には疎そうな展示内容だなと感じたものだった。その後も同館でブラジル開拓民の先駆/上塚周平展が開催された時、乾との繋がりを学芸員に質問したこともあったが、彼らは少しも勉強していないらしく閉口した記憶がある。本書20ページの上塚家系図によって、その疑問はようやく解けて満足。

 

                                                    



本書の著者・天瀬裕康は熊本の企画展に便乗したのか、関心は探偵小説以外の方面へ向けられている。天瀬も一応『新青年』研究会のメンバーであり、戦後、乾のカストリ雑誌への執筆が割に多いこととか、広島ローカル児童誌『銀の鈴』での少年少女ものに関する情報などは役に立つ。ただ、天瀬が自分のウェットな資質を乾に投影し過ぎなんじゃないかと、読みながら気になってしょうがなかった。

 

 

幼少期の乾信一郎は両親の愛情を真っ当に受けられず、アメリカから帰国した熊本ではひねた田舎のクソガキに嫉まれ孤独だったとは思うが、彼の書いたエッセイの類を読むと、青年期以降もイジメやミジメなんて辛気臭いワードで表現しなければならない人だったとは、どうしても思えない。

 

 

お涙頂戴的な書名の付け方も苦手だし、前回の「渡辺啓助」評伝と比べて論旨に脱線が多い。「第二の復讐」を書いた渡辺文子が(乾とは殆ど関係がないのに)ブラジル移民というので度々出てくるのはまだいいけれど、著者が広島生まれだからって広島カープ云々書くのは必要のないこと。

 

                                                     



乾には本道を行くような探偵小説の創作が無い。しかし「豚児廃業」「五万人と居士」といった幾つかの作について、表層的にはユーモアものであっても探偵小説として捉える部分はないのか掘り下げてほしかった。それに海外ミステリ翻訳業績に対する言及も、これではお寒い。初めて乾に触れる方は古書になってしまうが、まず晩年のエッセイ『「新青年」の頃』から読むことを強くお薦めする。




(銀) コロナ禍のせいで、いつも以上に来館者は少なかったのでは・・・と思うが、2020年、くまもと文学・歴史館(旧熊本近代文学館)で再び企画展「『新青年』創刊100年 編集長・乾信一郎と横溝正史」が行われた。横溝正史が乾信一郎に書き送った書簡が200通以上あるという事実をやっと公表できたみたいだけど、ここまでこぎつけるのに何年かかったのやら・・・。



で、来年2021年には、その200通以上にもなる横溝正史書簡をメインに据えた企画展をやる予定だと告知されていた。だが貴重な書簡の内容がわかるようにパネルも作って展示したとしても、それが200通以上のうちのたった数通では隔靴搔痒でしかない。



熊本は他県の有能な文学館のように、自分のところでちゃんとした図録を制作できる予算も知恵も全然なさそう。こういう時こそ(決して ❛トーシロ❜ な二松学舎大学ではなく)探偵小説の専門家集団である『新青年』研究会の力を借りて、著作権継承者の許可も得て、立派な書簡集を作るべき。そこまでやれたなら初めてこの乾信一郎宛て横溝正史書簡の存在意義も100%活かされるというものだ。