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2025年5月19日月曜日

『The Sherlock Holmes Vault Collection』

NEW !

The Film Detective   Blu-ray Box(4枚組)
2021年12月発売



  こんなモリアーティは見たくない




前回は北米盤ブルーレイBOXセットThe Sherlock Holmes Vault Collection』のDisc-4収録「A Study In Scarlet」(☜)を単独で取り上げたが、今回はDisc-13にそれぞれ収められているアーサー・ウォントナー主演シャーロック・ホームズ映画三作を見てゆく。アーサー・ウォントナー版ホームズは全部で五作あり、そのうち第二作「The Missing Rembrandt」と第三作「The Sign of Four」は、このBOX未収録




映画の内容を語る前に注意点を幾つか。まず画質だが「Newly Restored」とは名ばかり、Disc-4A Study In Scarlet」ほどボヤけてはいないものの、気軽に購入を勧められるクオリティーとは言い難い。35mmフィルムが発掘できず、仕方なく16mmフィルムを使わざるをえなかったのかもしれないけど、この仕上がりに高評価は付けられないな~。

そしてDisc-3~4はともかく、Disc-12は登場人物がまだセリフをしゃべっている最中なのに、英語字幕の表示が短すぎて、ひとつひとつの会話内容を目で追えない。本来字幕とは別言語の国の人や耳の不自由な人のためだけでなく、フィルムの損傷が激しくてセリフを聴き取り辛い作品の鑑賞をサポートする目的もある。このメーカー、ちゃんとそれを理解してる?




  Disc-1「Sherlock Holmes' Fatal Hour」(1931)


シャーロック・ホームズ(左/アーサー・ウォントナー)




アーサー・ウォントナー版ホームズはUK製作「Sherlock Holmes' Fatal Hour」は米国公開時のタイトルであり原題は「The Sleeping Cardinal」という。以下、三作とも出演している役者はアーサー・ウォントナーの他、ワトソン役のイアン・フレミング及びハドソン夫人役ミニー・レイナーの二名。

「空家の冒険」にスポットを当てつつ、脚本に取り入れているのはロナルド・アデア卿のカード賭博に関する部分だけ。ホームズのベーカー街帰還を省略する以上、虎のような危険人物セバスチャン・モラン大佐の暗躍をどれだけ煽情的に見せてくれるかがポイントのはず。だのに本作の犯人はモリアーティ教授って・・・。



  Disc-2「The Triumph Of Sherlock Holmes」(1935)




モラン大佐(左/ウィルフリッド・ケイスネス)
モリアーティ教授(右/リン・ハーディング)


ベースは長篇「恐怖の谷」。バールストン館の殺人事件だけでなく、回想扱いで手短ながらバーディー・エドワーズがマッギンティ一味を壊滅させる迄の流れも描いているところは悪くない。しかしベン・ウェルデンという俳優の演じるテッド・ボールドウィンがちっとも札付きのワルに見えないばかりか、モリアーティとモラン大佐のコンビが実に安っぽくちょこまか動き回るので結果すべて台無し。



  Disc-3「Silver Blaze」(1937)




ベースは「銀星号事件」。「バスカヴィル家の犬」事件から相当年月が経っているらしく、父親になったヘンリー・バスカヴィル卿が旧知のホームズを屋敷へ招待。よくわからんけどクーム・トレイシーの近くに銀星号の厩舎があるみたい。競馬場のシーンなんかは意外と良さそうに見えたがモラン大佐が騎手を狙撃したり、毎度の事ながら興醒め。それより不審者のフィッツロイ・シンプソンが姿を現わす夜の厩舎のくだりを原作どおりに撮ってほしかった。




【 ホームズ/ワトソン/ハドソン夫人 】

アーサー・ウォントナーは骨格だけ見ればシドニー・パジェットの描くホームズにかなり近い。だが頭髪が薄くウォントナー自身五十を過ぎていることもあって、老けた印象を与えてしまう。スチールなどで真横からのショットを見るとシドニーの挿絵そっくりなだけになんとも惜しい。それとウォントナーの扮するホームズはドレッシング・ガウンをはじめ着ているものがやや草臥れて見えるのもイマイチ。名探偵なら着こなしもそれなりじゃないとね。

映像のワトソンは間抜けな男にされがちだけど、イアン・フレミングのワトソンは普通に紳士で口髭もあるし、ホームズと身長のバランスも釣り合っている。大きな欠点は無い。ミニー・レイナー演じるハドソン夫人は太った下町のオバちゃんなのか?ミスキャスト。


ワトソン(中央/イアン・フレミング)


ハドソン夫人(ミニー・レイナー)




【 Too Bad 】

このシリーズを★一つにした要因は、ソフトとしての作りの甘さもさながら、悪役のショボさ、モリアーティの大安売り、それに尽きる。ホームズを脅かす強敵でもなんでもないモリアーティとモラン大佐は只のチンケな悪党。「The Triumph Of Sherlock Holmes」に出てくるテッド・ボールドウィンまたしかり。私の思うモリアーティとは日本人だったら伊丹十三なんだがな。


「Sherlock Holmes' Fatal Hour」のモリアーティ教授
(左から二人目/ノーマン・マッキネル)


「The Triumph Of Sherlock Holmes」「Silver Blaze」のモリアーティ教授
(リン・ハーディング)
この男が〝犯罪界のナポレオン〟って冗談だろ?




現在ブルーレイで観ることのできるウィリアム・ジレット版ホームズは正典に沿ったストーリーじゃないし、ベイジル・ラズボーン版ホームズの脚本だってドイルの小説とはほぼ無関係。それを考えればアーサー・ウォントナー版ホームズはまだ原作を意識しているぶん好感を持てなくもない。でもあのモリアーティじゃあねえ・・・。所詮、映画屋さんもテレビ屋さんもミステリが好きで原作を忠実に映像化する人などいやしないのは海外も日本も一緒なのでありましたとさ。





(銀) 過去に取り上げた1929年の独サイレント映画「Der Hund Von Baskerville(☜)と本シリーズを並べてみると、カーライル・ブラックウェルよりアーサー・ウォントナーのほうがシルエット的にはずっとホームズっぽいし、ワトソンなんて比較対象にならないぐらいイアン・フレミングのほうがマシ。おまけに前者は途中のリールが欠損していて不完全な状態でしか観れない。


それでも面白いもので私はアーサー・ウォントナー版ホームズよりカーライル・ブラックウェル版ホームズのほうがイイ。要は原作の世界観をどれだけ壊さずにいられるか・・・そこさえ守っていれば、仮に正典から外れたオリジナル・ストーリーであっても楽しめるような気がする。






2025年5月12日月曜日

映画『A Study In Scarlet〈緋色の研究〉』(1933)

NEW !

The Film Detective   From『The Sherlock Holmes Vault Collection』   Blu-ray
2021年12月発売



  ドイルとアンナ・メイ・ウォンに懺悔しろ



門前払いが続いていたドイルの原稿「緋色の研究」をしぶしぶ受け入れたのは『ビートンのクリスマス年鑑』の版元ウォード・ロック社。とはいうものの印税払いを断られ、25£貰う替わりに著作権買取なんて条件は作者にとって耐えがたい仕打ちにも等しい。本盤のブックレットでライナーを執筆しているC.Countney Joynerは「緋色の研究」の著作権がドイルとウォード・ロック社の間で複雑になっていたため、1933年公開の映画「A Study In Scarlet」は作品名の使用権しか獲得できなかったと言うが、この人、映画界には詳しくてもドイルにはそれほど詳しくなさそう。そんな感じがする。

 

 

一夫多妻制。指導者ブリガム・ヤングに従わなければ死の懲罰。モルモン教徒がそういう描かれ方をしているぶん、昔から「緋色の研究」は風当りが強く、映画化するにしたって厄介な問題は想定できたんじゃない?それで予算的にも対外的にも強行突破できないのなら「緋色の研究」にこだわる必要は無いし、ホームズ映画を作りたければ原作の選択肢は他にいくらでもある。結局「名探偵のネームバリューさえ利用できれば、中身はどうでもいい」と思っているから、こんなタイトル詐欺の作品(Made in USA)が出来上がるのだ。








【 仕 様 】

リージョン・フリー:日本のBDプレーヤーで再生可能

本編:72

字幕:英語/スペイン語

封入物:ブックレット/オリジナル・ポスター・レプリカ・ポストカード



【 画 質 】

100点中45点。
傷や揺れこそ無いもののコントラストに乏しく、ブルーレイで堪能する画質とは言えない。
テレビがまだ地上波オンリーだった頃、
深夜に放送していた映画をVHSレベルでブラッシュアップしたぐらいのレストア。



パイク夫人(アンナ・メイ・ウォン)




まず「緋色の研究」なのに、ジェファーソン・ホープ/イノック・ドレッバー/ジョセフ・スタンガソン他、原作の重要人物は誰一人登場せず〝Rache〟の血文字さえも無し。企画立ち上げ時からアンナ・メイ・ウォン(Anna May Wong)を大きくフューチャーするよう決めていながら彼女を拝める時間は10分程度。ホームズ第一長篇完全無視でも、そこそこ楽しめる内容ならまだ許せるのだが、自分は殺されたかの如くカムフラージュする犯人のトリックにしろ良いところもあるわりには、退屈なムードから抜け出せぬまま終わってしまう。とにかく次の画像を見てもらおうか。本作におけるシャーロック・ホームズとワトソン博士である。普通、禿(ハゲ)の男優をワトソンにキャスティングする?




ホームズ(左/レジナルド・オーウェン)
ワトソン(右/ウォーバートン・ギャンブル)




ジジむさいワトソンだけでなく、レジナルド・オーウェン演じるホームズも深みやインテリジェンスに欠け、全く名探偵に見えない。戦前のミステリ洋画を何本か観ている人なら薄々気付いておられるだろうが、それらは脚本が弱いだけじゃなくテンポは悪すぎるし、音楽・SE(効果音)で盛り上げる演出も無い。さらに予算の無いB級映画はロケもろくにしてなかったり、セットのバリエーションが貧弱だったりで、これじゃ気の利いた映画は出来っこない。本作だってドイルの原作に頼らずともアンナ・メイ・ウォンの妖艶なマダムは確実に衆目を集められるんだから、ロバート・フローリー(本作の脚本担当)をせっついて、ホームズとは無関係なミステリのプロット書かしときゃ良かったんだよ。




 





(銀) プロデューサーがアホだと、当初優れた企画が取沙汰されていても、結果ダメになる。それは小林信彦『天才伝説 横山やすし』でがっつり学ばせてもらった。映画「A Study In Scarlet」には「そして誰もいなくなった」を思わせる趣向があり、ここからクリスティーはインスパイアされて六年後あの名作を発表したなどと放言している外人もいるみたい。まあ、100%ありえません。





2023年12月11日月曜日

『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』モーリーン・ウィテカー/高尾菜つこ(訳)

NEW !

原書房
2023年11月発売




★★★★  著者がシリーズに好意的すぎるきらいは若干あるが
                それでも内容は読むに値する




 発売前のinfomationを見て購買欲をそそられるも、グラナダTVシリーズ全話あらすじ紹介にジェレミー・ブレットの情報を少々加えただけ、みたいな〈ありがち〉かつ〈陳腐な内容〉だったら私には不要。現物を書店で手に取り「これなら読んでみてもいいかな」と確認した上で本書を購入した。

 

 

■ この評伝は当初Jeremy Brett : Playing a Part として発表した書籍のうち、グラナダTVシリーズに関する章だけを抜粋・再編集の上、別途刊行されたJeremy Brett is Sherlock Holmesを翻訳した日本語版だ。近親者から提供されたプライベートなジェレミーphotoと、ドラマの中で名探偵ホームズに成り切っているジェレミーのスチール写真、良い塩梅でセレクトされたそれらのヴィジュアルが在りし日の名優の歴史を彩ってくれる。本書の副読がてら、私が1989年にロンドンでジェレミー・ブレットの舞台『The Secret of Sherlock Holmes』を鑑賞した記事(☜)もリンクを張っておこう。

 

 

素のジェレミーは意外にガッシリした体格なので、ホームズを演じるにあたり鋭さを表現できるよう体を絞り、入念に髪の毛をオールバックに撫で付けるだけでなく、眉を整え青白い顔色にメイクして演技に臨んでいたという。なによりドイルの原作を常に現場に持ち込み、ドラマが原作から逸脱しないよう誰よりも気を配った彼のattitudeは実に立派。

 

 

いつもこのBlogで言っているけれど、小説を映像化する時TVであれ映画であれ、小説家の作品を使わせてもらっている立場なのに、なんで映像屋は原作どおりに作ろうとせず余計な改変ばかりやりたがるのかねぇ?「一字一句たりと原作を変えるな!」とまでは言わないが、原作を忠実に再現するコンセプトでスタートしたドラマに対し監督や脚本家らが要らぬ演出をやりたがるので、ジェレミーはドイルの正典をスポイルしてしまわぬよう心を砕かねばならなかった。彼の立場からすれば、それもストレスだったに違いない。




 

 

■ 過去の映像作品と異なり、ホームズと対等な友人であるべくワトソンの存在意義に注意を払っているのは好ましい。それだけに第3シリーズ以降、ワトソン役の俳優が変わってしまったのが惜しまれる。エドワード・ハードウィックだとワトソンにしては若干老けているっぽく私の眼には映るので、初期ワトソンを演じたデビッド・バークは降板しないでほしかったな。

 

 

■ ジェレミー・ブレットはシリーズ途中で体調を崩したような印象があるけれど、実は若い頃にかかったリウマチ熱の後遺症による心臓への負担、そして精神的疾患である双極性障害、この二つの爆弾を最初から抱えている。当シリーズは莫大な予算をかけたドラマゆえ、主役の背負うプレッシャーも尋常ではないのと、最愛の妻ジョーンが1985年に癌で病死した影響もあり、第3シリーズ以降、ジェレミーのコンディションが精神的にも肉体的にも少しづつ悪化してゆくのは避けられなかった。

 

 

シリーズの後半、原作に忠実というコンセプトを破綻させてまで体調の優れぬジェレミーにホームズを演じさせる愚行は、もう笑顔ひとつ作れないほど病に体を蝕まれている晩年の渥美清を無理矢理カメラの前に立たせ続けた1989年以降の「男はつらいよ」とダブるところが多くて、やりきれない。 

そもそもジェレミーの体調とは関係なく、ホームズの兄マイクロフトを演じたチャールズ・グレイは〝もみあげ〟が長すぎてシドニー・パジェットの描くマイクロフトにちっとも似ていなかったし、原作でレストレード警部が顔を見せるべきエピソードなのに、彼が出てこないこともあったり、ジェレミー・ブレット・ホームズの輝きの陰で、さしものグラナダTVシリーズも百点満点を献上できぬ欠点は多々あったのだ。

 

 

著者モーリーン・ウィテカーはジェレミー・ブレットに心を寄せ過ぎて、(シリーズの問題点に触れていない訳では決してないけれど)あと少しだけ沈着冷静なマインドで批評してほしかったと思う。本書にはジェレミーをはじめ出演者/スタッフらの発言と共に、当時の各メディアが書き立てた絶賛の声も多数紹介されているが、英米Amazonレビュー欄の投稿文まで引用するのはさすがにやりすぎ。それと、巻末にグラナダTVシリーズの制作/放送データは載せたほうが若い新規のファンは有難かっただろう。

 

 

 

(銀) 小説の映像化に関連する話題だと、私の場合どうしても厳しめの感想にならざるをえないとはいえ、この本を最後まで楽しんで読めたのは間違いない。それにしても原作にて長篇でもない作品を二時間スペシャルにしたりとか、いくらマンネリを防ぐためとはいえ、本気でそんな無茶を視聴者が喜ぶとでも制作サイドは考えていたのか、私には理解しがたいことばかり。





2023年11月9日木曜日

『わが思い出と冒険』コナン・ドイル/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1965年8月発売



★★    素晴らしき大英帝国主義




ドイルの自伝と聞けば本書を未読の方は、シャーロック・ホームズ生みの親ばかりかSFなどでも名を馳せた作家だから、さぞ創作の裏話が満載だろうと期待に胸膨らませるだろう。しかし残念なことに、小説家たる内面を明かしたり自作に関して回想する気持ちがドイルには非常に薄く、最も自信を持っていた歴史小説でさえあまり言及していないぐらいなので、万人にお薦めできるような内容ではない。ドイルの著書を完全読破したい人、あるいはドイル研究者向け。

 

 

 

船医として捕鯨船に乗り北極洋を航海した青年時代の話、ホームズばりに無辜の罪で逮捕されたジョージ・エダルジの冤罪を晴らした話あたりは、ホームズ本を所有している人ならばきっと一度はお読みになられた経験がある筈。それはともかく、この新潮文庫版解説末尾で訳者の延原謙こんな感想を漏らしている。

 

悪口をいうつもりは毛頭ないが、ドイルには妙な癖があるようだ。高位高官の人とか、そうでなくても有名な人に会ったとか会食したとか、やたらに書く癖だ。大切な用件があっての事ならば話は分かるのだが、何の用件もないのにただ会ったということ、こういう人も知っているというだけのことなのだから、少しどうかと思う。

 

なるほどそんな気配も感じられなくはないけれど、この自伝を読んでいて私が飽きてしまう理由は文章が堅苦しいのと、大英帝国・愛をアピールする姿勢が少々強過ぎるから。(〝ナイト〟に叙せられる人なんだし当り前といえば当り前だが)

 

 

 

ドイルが生きた時代のイギリスはそれこそ帝国主義まっしぐら。英国人なら誰でも愛国心に染まっていただろうし、現代に見られる一部の日本人みたいに、自分の国をディスってばかりいる品性下劣な人間に比べれば、ずっとマシなのは確か。だからといって政界にまで打って出るようなドイルはあまり好きじゃないな。これぞ騎士道精神の延長なりと肯定する見方もある反面、シャーロック・ホームズは英国に忠誠を誓いつつ個人主義を貫いていた訳で、願わくばドイルもそうあってほしかったと私は考えたりする。そうそう、悪名高き心霊関係についてはしっかり発言しています。

 

 

 

ここに挙げた新潮文庫版ドイル自伝が完訳でない事は日本の研究者によって指摘されているわりに、商業出版として完訳版を出そうとする動きは全く見られない(私が気付いていないだけかもしれないが)。新潮文庫版における翻訳省略部分は新潮社編集部の意向ではなく、延原謙の判断によってバッサリ刈り取られてしまったという話。

何年もかけてじっくり訳してきたホームズ物語とは事情が異なり、『わが思い出と冒険』刊行の三年後に高血圧が原因で倒れた延原はその後、亡くなるまでの九年間寝たきり状態だったそうだから、本書に携わっていた頃から知らず知らずのうちにコンディションを崩しつつあった可能性もある。

 

 

 

延原謙の訳した古典海外ミステリに接して、読みにくいなあと感じたことは無い。とはいえ本書における文章の堅さはドイルと延原、ご両人とも高齢になったことから来ているのか。あるいは新しく翻訳し直したらもっと読み易くなるのか。もし新しく訳し直すとしても詳細な註釈は絶対不可欠。

 

 

 

(銀) 今世紀になりながらこのドイル自伝が新規完訳されず(笹野史隆の仕事についてはごく一部の人しか入手できない私家版ゆえ、ここでは触れない)、ダニエル・スタシャワーの評伝等のほうが台頭しているのは、ドイル自伝を新訳したところでやっぱり第三者が書いた評伝のほうが読んで面白いと誰もが思っているから?





■ 延原謙 関連記事 ■














2023年9月14日木曜日

映画『Der Hund Von Baskerville』(1929)

NEW !

Flicker Alley  Blu-ray/DVD
2019年2月発売



★★★★  サイレント末期のドイツ映画「バスカヴィル家の犬
  




イギリスとドイツは第一次世界大戦において敵国同士であり、結果屈辱的な負け方をしたのはドイツのほう(その反動がヒトラー/ナチスの台頭に繋がる)。シャーロック・ホームズ晩年の事件「最後の挨拶」でも、イギリス侵略を目論むドイツ側のスパイ/フォン・ボルクはホームズによってみじめに捕獲されてしまう。つまり第一次大戦後のドイツ人からすれば「なにがなんでもイギリス憎し」となって不思議じゃないのに、敵国の英雄シャーロック・ホームズの映画を制作しているのは非常に興味深い。韓国人や中国人だったらまず考えられないことだ。




1929年。世の中ほとんどトーキーに変わろうかというサイレント末期に公開されたドイツ映画「Der Hund Von Baskerville(バスカヴィル家の犬)」。監督・脚本はRichard Oswald
これ、フィルムは疾うの昔に失われてしまったとばかり思われていたところ近年ポーランドより奇跡的に発掘。その昔ヨーロッパの映画館で実際観た人達は年齢的にもほぼ生存していないだろうし、100年の時を超えて現代に蘇った幻の作品が観られるのは嬉しい。




【 仕 様 】

北米盤   NTSC/リージョン・フリー


Blu-rayDVD二枚組

(内容は同一なれど注意点あり。下段 【ボーナス・コンテンツ】欄を参照。)


字幕:   英語

 

 

【 キャスティング 】

シャーロック・ホームズ役のCarlyle Blackwellはアメリカ人俳優。シドニー・パジェットの挿絵っぽい風貌ではないものの名探偵の佇まいとしては悪くない。どの配役にも不満は無いが、唯一あるとすればGeorge Seroff演じるワトソン。彼が道化っぽく演出されてしまうのは(イヤだけど)仕方ないにしても、この人だけ背が低い上に口髭さえ無いので若いカルロス・ゴーンみたいに見えてしまう。




 シャーロック・ホームズ(Carlyle Blackwell)




 ワトソン、荒地に怪しい人物のシルエットを発見





【 内 容 】

ムードたっぷりの無声モノクロ映像と陰鬱な音楽とが題材にピッタリ合っているのがイイ。それだけに前半部分、ホームズとワトソンがヘンリー・バスカヴィルと初対面した後、ヘンリー卿ワトソンがバスカヴィル邸に入るまでのフッテージが悲しいかな欠落しているため、そこだけはスチールと字幕を用いた説明になるのが惜しまれる。

 

原作の主要登場人物でこの映画に出てこず省略されてしまっているのはレストレード警部とカートライト少年。なぜかフランクランド老人は冒頭シーンのバスカヴィル邸内でチャールズ・バスカヴィル卿やモーティマー医師と一緒に姿を見せるだけで、後半ワトソンとの絡みは無い。これから観る方のために詳細は伏せてはおくが、おおむね原作に準拠しているとはいえ映像化にありがちな改変はやっぱりある。問題の魔犬は原作に倣って犬に燐を塗っている設定らしいが、その燐光の怪しさは画面から感じ取れない。本当に犬に燐など塗ったら可哀想だから仕方ないか。




    深夜、邸内を忍び歩くバリモア




  このシーンがあるだけで〝良し〟としよう





【 ボーナス・コンテンツ 】

実はRichard Oswald監督、本作に先立つこと十五年前(1914年)に公開された同じタイトルの映画「Der Hund Von Baskerville」でも脚本を担当。その時の監督はRudolf Merinert。当然出ているのはすべて1929年版とは別の役者。こちらも本盤に収録されているけれども(ただしBlu-rayのみ)、原作の設定を借りているだけでホームズと真犯人のあの人とが化かし合うコメディ・スリラー。1929年版のように原作の味わいを活かした正統派スクリプトにしてくれればよかったのに、1914年版は文字通り只のおまけと割り切って見るしかない。



残り二つのボーナスはショート・ドキュメンタリー。

Arthur Conan Doyle and The Hound of the Baskervilles

Restorling Richard Ozwald’s Der Hund von Baskerville

 

 


歴史的価値を鑑みて★4つ。1929年版のフッテージがすべて揃っていたら満点にしたかも。






(銀) なんせドイルがまだ生きている時代の映画ってのがポイント。本盤に収録されているふたつの「Der Hund Von Baskerville」、どちらにも銅像や胸像の裏側に〝あの人〟が隠れてバスカヴィル邸内を覗き見るシーンが出てきたり、またバスカヴィル邸に忍び込むための秘密通路があったり、原作に無いことを私はしてほしくないんだけど、Richard Oswaldはそういうのが好きみたい




■ コナン・ドイル 関連記事 ■






















2023年3月7日火曜日

『実用シャーロッキアナ便覧/ホームズ・ドイル研究書案内』

NEW !

日本シャーロック・ホームズ・クラブ  本の虫探偵団(編)
1999年12月頒布



★★★★★   さすがはJSHC制作のガイドブック
 



これは日本シャーロック・ホームズ・クラブ(以下、JSHCと略す)が制作し会員に配布した250ページ弱の本。1999年までに日本国内で発売されたシャーロック・ホームズに関する重要書籍について、


. ホームズ研究

. ドイル研究

. ホームズ全集

. JSHC刊行物

. 付  録


と五つのパートに分類して内容紹介。20年以上前の同人本だからカラーページこそ無く、各書籍の書影は巻頭に一括して掲載されているものの、これ一冊あれば大助かり。親切なガイドブックに出来上がっている。


            🎩

 
 

昨今のミステリ好きが本について口を開けば、内輪でわざとらしく褒め合っているものばかり。ちょっとでも私(銀髪伯爵)のように思っている本音を吐露した日にゃ、やれ毒舌だの辛口だのと大袈裟に騒ぎ出す莫迦が多い。ともするとまるで自己陶酔したポエムだったり、只のヨイショしかしてない書評やレビューを見せられたって、その本を読もうかどうしようか迷っている人にとって何の役に立つというの?本書の美点は【解題】と称してそれぞれの書籍のアウトラインをわかりやすく伝える以外にも、一冊につき二~三名のJSHC会員が忌憚なく述べる【感想】が付いており、それが個人的な意見として忖度が全然なく、読んでて爽快なんですね。

 

 

奥方・東山あかねと共に長年JSHCの主宰を務めてきた小林司は、本書が頒布された時はまだ健在だったのだが、氏はこの頃コナン・ドイルの母メアリーとウォーラー医師の不倫をはじめとするドイル家の醜聞に取り憑かれており、小林・東山夫妻の翻訳で出版した河出書房新社版『シャーロック・ホームズ全集』の「訳者あとがき」においても、たいして関係が無いはずのドイル家の醜聞ネタを矢鱈持ち込む失態を犯している(文庫版はかなりの部分が削除されているので「訳者あとがき」がそのまま載っているか、私は未確認)。

 

 

小林司は JSHC の総帥だ。大抵の場合そんなエラい人の言動にはどの会員も気を遣いそうだし、たとえおかしな発言があっても付和雷同に黙っているのが日本人の悪い習性ですよ。しかし本書ではドイル家の醜聞ネタのゴリ押しに首を傾げる意見だけでなく、それまで日本でずっと「緋色の研究」と訳されてきたホームズ第一長篇「A Study in Scarlet」を河出版『ホームズ全集』で小林司が「緋色の習作」と改題した点についても、会員は忌憚なく「ノー」を突き付けている。結果として「緋色の習作」の題を取り入れた後続の新訳本は出てこないまま現在に至っている。


 

             🎩



そうそう、今日の記事を書いていてだんだん思い出してきた。平山雄一なんかは「緋色の習作」問題だけでなく、彼が山中峯太郎贔屓であるために峯太郎版子供向け翻案ホームズ本を断固否定する小林に(実際顔を突き合わせてケンカするほどではないにせよ)好戦的だったな。私はあの峯太郎ホームズに関しては小林と同様に否定的な目で見ている。小林の没後、峯太郎ホームズは平山のプッシュで作品社から再発されたが、泉下の小林はどう思っているだろう・・・。

 

 

話が逸れてしまった。とにかく『実用シャーロッキアナ便覧』はお薦めしたい一冊なんだけど、なにせ当時JSHC会員でないと入手できなかったものだし、どうしても欲しければ会員が手放した古書を見つけるしかない。池袋のミステリー文学資料館には一冊置いてあったんだが閉館しちゃったしなあ。

 

 

 

(銀) 『実用シャーロッキアナ便覧』という書名がシャーロック・ホームズ晩年の著作『実用養蜂便覧』のシャレであることは、ホームズを愛する人にとって万国共通の常識。小説を読んで楽しむことよりレア本を所有して「転売したらカネになるな、ヘヘヘ」としか考えていない一部の古本老人はこんなホームズ基礎知識さえも知らないでしょうけどね。







2022年3月15日火曜日

舞台のジェレミー・ブレット・ホームズ ― Jeremy Brett at London in 1989-

NEW !

   
 

♧ たった一度だが、ロンドンへ旅行したことがある。19892月後半、ちょうどエルヴィス・コステロがシングル「Veronica」とアルバム『Spike』をリリースしたばかりで、地下鉄駅構内のニュー・リリース広告がとても目を引いたのを鮮明に覚えている。ケンジントンの快適な宿を拠点に友人とLIVEを観に行ったり、ポートベローのマーケットで中古レコードを沢山買ったり、あの頃ザ・スミスはもう解散していたけど音楽業界にまだギリギリ活気や面白さが残っていて、旅のメインの目的は音楽だった。




日本を発つ前からその公演の存在を知っていた訳ではなく、ロンドン市内を歩いていて偶然発見したと思うのだが、グラナダTVのドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』に出演していたホームズ役のジェレミー・ブレットと二代目ワトソン役のエドワード・ハードウィックが二人芝居で舞台版ホームズをちょうどやっていた。件のドラマは当時日本でもNHKで放送されていたから、あまりミステリに詳しくない人にもジェレミー・ブレット・ホームズの魅力は浸透していたぐらいだし、「これは観てみたい!」と思ってチケットを購入、幸運にも彼らの生の演技を体験することができた。その旅行中に撮影した紙焼き写真が出てきたので、名優ジェレミー・ブレットを偲びつつロンドンの想い出を辿ってみるとしよう。







 今この記事を書きながら、グラナダTVドラマ『シャーロック・ホームズの冒険』のサウンドトラック輸入盤CDBGMとして流している(ジャケットは記事左上の画像を見よ)。このCDも聴くのはいつ以来だっけ。そういえばこのCDを買った時には M1Opening Theme(ドラマ冒頭で流れるあの短い曲)がオンエア・ヴァージョンとは微妙に違うテイクだったので物足りなく感じたもんだが、たまにこういうクラシックっぽいサントラを聴くと新鮮に聴ける。




19892月/ロンドンの風景














































ダブルデッカーにジェレミー・ブレット・ホームズの舞台の広告が・・・









  


  
  
♧ この舞台版ホームズのプログラムは人に譲ってしまって、観たのはどこのホールで、日付はいつだったかハッキリわからない。
ネット情報から推測するとホールはWyndham's Theatreだろうか。ジェレミーのwikipediaを見て確認したのだが、舞台のタイトルは『The Secret of Sherlock Holmes』。演じられる内容は221Bの室内を中心としたホームズとワトソンの会話劇。劇中、ベッドで寝ているホームズがモリアーティ教授の悪夢を見るシーンもあったと記憶する。



我々はなんとなく吹き替えを担当していた露口茂の声のホームズを思い浮かべてしまうが、ドイルの書いた原作だとホームズの声は時として甲高くもある、と記されている。あの頃日本では、字幕/ノーカット版のグラナダTVシリーズはまだ観ることができなかったんじゃなかったっけ? 生で聞くジェレミー・ブレットの声は(当り前だが)露口茂のシブイ低音とはかなり違ったけれども、改めてホームズを読み返し、声の面でもジェレミーのキャスティングは原作を正しく意識していたんだなと再確認できた。



あまり綺麗に写ってないけれど、カーテンコールのジェレミー(ホームズ)とエドワード(ワトソン)をどうぞ。演者もいいけど、なんせヨーロッパでしか見られない円柱型の風格あるホールが美しい。


          



























86年ぐらいからジェレミーの体調は悪化する兆しがあったそうなのだが、生で見たジェレミーは発声などにも特に問題は無く、エドワードもしっかりジェレミーの熱演を受け止めていた。のちに投薬の影響で太ってしまうジェレミー。だが画像を見てもらえればわかるとおり、この時の彼はイメージどおりの比類無き名探偵だった。




♧ 安易に映像化されるミステリに対し、殆どの場合において「良い」と思えたためしが無い。シドニー・パジェット挿絵のホームズそのままに、原作に忠実であるのを厳守して始まった筈のグラナダTVシリーズでさえ、後半になるにつれジェレミーのシルエットが持病で崩れてゆくだけでなく、脚本も原作から脱線気味になり本当に残念だった。それでもなお、良い時のジェレミーが演じるシャーロック・ホームズについてはお見事としかいいようがない。惜しくも彼は95年に亡くなってしまったが、89年のロンドンでの楽しい想い出と共に、名優の輝きは今でも色褪せることは無い。




(銀) 機上から見下ろしたロンドンの街並み。今はどう変わっているのか知り得ないが、こうして見ると、東京と違って妙な高層ビルとかが無いぶん不思議と長閑さが感じられた。もう三十年も昔の話である。