2021年7月29日木曜日

『燃える地平線』橘外男

NEW !

幻戯書房 銀河叢書
2021年7月発売



★★★★★   怪人・橘外男の語り口に酔いしれる



三ヶ月連続で橘外男の単行本未収録作品集が刊行されるとの事。WOW!  一冊目は【創作実話編】と銘打たれている。

 

 

「地獄への同伴者」(昭和13年発表)

東京市は平河町あたり、昔はかなり繁盛した旅館だったがだんだん左前になり今じゃ高等下宿として経営せざるをえない万世館。主人公の筑紫はそこに長い間居住してきた。万世館の主人の娘・お美代は世話焼きなのだが、如何せん彼女は夫を亡くし乳飲み子がいる寡婦ゆえ女としては筑紫の眼中にない。        

 

浮かれたサラリーマン生活を送っていた筑紫は美人で育ちもいい令嬢・葉子にひとめぼれ、見事に彼女のハートを射止めて結婚、万世館を出て高円寺に新居を構える。ここまでの話は快活で明るく「ふむふむ、この作品はユーモア路線で行くんだな」と思って読んでいたら、次第に雲行きが怪しくなって終盤には怨讐ドロドロな展開が(これから読む方のために詳細は伏せておくが)どうにも止まらない。 

 

本書の中では、これが一番良かった。〝陽〟の前半と〝陰〟の後半との落差もさながら、それを全編支える橘の ❛がらっぱち❜ な語り口が実に良い味わいを醸している。今迄単行本に入らなかったのが不思議なくらい。


 

 

「亜米利加からの手紙」(昭和14年発表)

作者自身の貿易業勤めの体験を活かした内容で、不気味な霊感を持つ日本人二世ポール・トタニ少年の話。いわゆる倒叙ミステリではないけれど、海の向こうでの少年の死を最初に明らかにしておき、そこに至るまで日本で起きた怪談をじわりじわりと書き連ねてゆく。 

 

「燃える地平線」(昭和14年発表)

『新青年』に三ヶ月間連載。既刊著書に収められている「ナリン殿下への回想」の外伝みたいなニュアンスも。ミスタ・タチバナが知り合いになるスーマレン・アリと名乗る亜剌比亜の美少年の口を借りつつ、英国の侵略に立ち向かう中東民族の誇り高き戦いが主軸としてある。日本の非常時色が増してくるこの頃、同胞の戦争をそのまま描いて民意高揚を狙うのではなく、同じ有色人種のエピソードへエキゾティックな浪漫の香りを含ませたところに作者の工夫が。ここまでの三作は中篇に値するボリューム。 

 

「五十何番目の夫」(短篇/昭和23年発表)

〝軍隊〟という特殊な状況下のみならず、ひとりひとりの個人では借りてきた猫のようにおとなしいくせに、一旦群れるとヘドが出るほど卑劣な振る舞いをする日本人の醜さを手心加えず我々に知らしめる力作。ここで描かれている日本兵の所業と、日替わり週替わり叩くべき者を集団となって狩りだそうとする現代のSNSユーザーと、どこに違いがあるというのだろう?


 

 

前に私は〝「犯罪実話」「探偵実話」とされるものの殆どは創造性に欠け読むべきものはない〟と書いた。でも本書ぐらいのクオリティで読ませてくれるのなら、【実話】であっても全然OK。というか、当時の出版人はなんで本書の収録作品にわざわざ【実話】などと角書きをつける必要があったのかな? 普通に【創作小説】でいいのにね。それはそうと本書の帯には「凄愴・怪奇・愛慾・冒険!これぞ真に大人の読むべき小説だ!」という売り文句が刷ってある。なにも間違いじゃないんだけどさ。こんな文言を他の小説との差別化に使うほど、日本の出版界はお子ちゃま向けな内容の本しか流通してないのかねえ。恥ずかしい。

 

 

(銀) 本書に収録されているどの作品にも言える事だが〝橘外男節〟とも呼べる独特の語り口の妙味を軽視してはいけない。これがあるのとないとでは面白さに雲泥の差が生まれてこよう。


幻戯書房は今回の橘外男単行本未収録作品集について、版元に三冊一括前払いで予約購入したら先着限定で特典冊子(ジュヴナイル小説「墓碑銘」)をプレゼントすると告知している。こういうやり方は好きじゃないが、出だし一発目の本書の内容は解説込みで満足できたので、後続の『予は如何にして文士となりしか』も『皇帝溥儀』も楽しみにしている。


今日の「女妖」はお休み。




2021年7月27日火曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

NEW !

九州日報
1930年2月11日~2月22日掲載




② 「死人の横顔」(1)~(10)





【この章のストーリー・ダイジェスト】


▲ 「死人の横顔」(1)~(10


「春巣街で〝巴里の伊達男〟と呼ばれる成瀬珊瑚子爵が身元不明の美人を殺害」とのニュースは新聞のネタとなり、満璃子という女の遺体を公開した死体陳列所は市民の見物人で長蛇の列だ。その中に厚いヴェールで顔を隠し、手袋の下の指には目映いばかりのダイヤの指輪をはめている世の常ではなさそうな若い婦人がいて、遺体を見るとすぐに立ち去った。見物人の後列にはまた別の二十二、三と思しき、服装はよくないながらも美しさを秘めた金髪の女性が並んでいたが、満璃子の遺体を目の当たりにしてふらつく。名越梨庵と名乗る老紳士伯爵は初対面ながらも彼女を気遣う

 

 

先に死体陳列所から出ていったヴェールの婦人を蛭田紫影検事が尾行。女は成瀬子爵と婚約中の春日花子だった。突然路上で浮浪者が花子に手渡した紙切れ、その文面は「しばらく身を隠す」という成瀬子爵からの通信で、それを知った蛭田検事は自分を捨て子爵に走った花子をなじる。蛭田は少年時代に父が落命し、親類たちの裏切りによって天涯孤独の身となったが、父の旧友・春日龍三の厚意で春日家に引き取られ、花子とは兄妹のように育った。しかし我儘三昧な環境の中で、次第に蛭田の中に悪い芽が育ち、花子へのプロポーズを断られた彼は春日家を去り、世間への復讐の為に鬼検事となったのである。

 

                     



上に掲げた章題の横にあるカッコ内の数字は、その章が含む連載回の数を指している。以下は「死人の横顔」の章にて、春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。 

 

 

A   嫌疑者成瀬子爵とその許婚者  (春)  3510行目

  嫌疑も成瀬子爵と、その許婚者 (九)

  一見、春陽文庫のほうが正しそうだが『北海タイムス』ではどうなっているのだろう?

 

 

B   さも恐ろしそうに叫んだ  (春)  363行目

     さも恐ろしさうにさう叫んだ(九)

 

 

C    鼻の先から奪われ、        (春)  385行目

      鼻の先から奪はれて行くさへあるに、(九)

 

 

D    その物腰なり                                  (春)  394行目

        その態度(ものごし、とルビあり)なり(九)

     『九州日報』では〝態度〟と書いて〝ものごし〟と読ませている。

 

 

E    はっとして顔を上げた拍子に          (春)  402行目

   ハッとして面(かほ、とルビあり)を擧げた拍子に(九)

    ここだけでなく他でも、横溝正史は顔ではなく面と書いて

   〝かお〟と読ませたい場面があっただろうに。


                     




F      何かを打ち案じていたが            (春)  407行目

   何等(なんら、とルビあり)かを打ち案じてゐるが(九)



G    慄える声を押し静めながら(春)  4816

        慄へる聲を押し鎮めながら(九)

   せっかく〝慄える〟の漢字はそのままにしておきながら、

  〝鎮〟を〝静〟へ変えてしまうとは。

 

 

H    この異常な女の行動   (春)  494行目

        この気違ひめいた女の行動(九)

   〝 狂人 〟はOKなのに〝 気違い 〟はアウトらしい。その倫理が私には理解できん。

 

 

I     さも面映ゆげに           (春)  502行目

        さも面恥(おもはゆ、とルビあり)げに(九)

 

 
 

J     似合わしからぬ身形(みなり、とルビあり)様子だった  (春)  504行目

          似合はしからぬ服装(みなり、とルビあり)なり容子だった(九)

 

                       



K   「ほほう、これは素敵すてき」(春)  507行目

       「ほゝう、これは素敵々々」 (九)

  意味は全く同じでも、春陽文庫のこの文字遣いはセンスが無い。

 

 

L     街路の傍らに身を寄せると(春)  5014行目

     街の方傍に身を寄せると (九)

     これは意味的に春陽文庫のほうが正しい気がする。

 

 

M     ズボンのポケットの中に          (春)  518行目

   洋袴(ずぼん、とルビあり)のポケットの中に(九)

 

 

N     やがて断念したように           (春)  529行目

       やがて断念(あきらめ、とルビあり)たように(九)

 

 

O     お宅へお伺いしているのですよ   (春)  533行目

         お宅へお訪(と)ひしているのですよ(九)

 

                        



P   花子へ手渡された紙切れの最後に〝なるせ〟と記名がしてある(春)  562行目

 〝なるせ〟の記名がない                       (九)

『北海タイムス』には〝なるせ〟と入っていたのだろうか?

 

 

Q   わたくしには分かりません(春)  573行目

         あたしには分りません  (九)

         春陽文庫はおしなべて〝あたし〟を〝わたくし〟に変えてしまっている。

 

 

R   胸のうちに込み上げてくるものをしいて抑えながら   (春)  5710行目

   胸の中(うち)にこみ上げて来るのを、強ひて押へながら(九)

 

 

S   突然、急所を刺されたように(春)  5813行目

   突然急所を指されたやうに (九)

 

 

T   しかし、紫影さま、あなただけは違います(春)  6011行目

  然し、紫影、貴方だけは違ひます    (九)

  これは『九州日報』の校正ミスだろう。


                       

 

U   わたくしを苦しめるために検事になったのです(春)  6012行目

   あたしを苦しめる検事になったのです    (九)

   春陽文庫は考えすぎて、余計な〝ために〟を付け足してしまったか。

 

 

V   狂気じみた情熱が輝いた      (春)  613行目

   狂氣(きちが)ひじみた情熱が輝いた(九)

   当時のテキストで確認しないと、つい見落としてしまいそうな言葉狩り。

 

 

W  あなたとわたくしとは長いこと   (春)  615行目

   貴女(あなた)とあたしとは長い事 (九)

   ここでいう〝あなた〟は蛭田検事の事だから、〝貴女〟とするのはミス。

 


X   花子が言ったとおりである(春)  6311行目

   花子がいつた通りであつた(九)



                     



〝キチガヒ〟に関するワード自粛病は、この〈探偵CLUB〉のみならず、昭和後期から平成に至る春陽堂書店のどの本を読んでも付き纏ってくる。




(銀) こちらの伊藤幾久造画伯による、名越梨庵伯爵に抱きかかえられた女性の図を御覧頂きたい。


これは「女妖」第14回 「死人の横顔」(4)に付された挿絵である。
これと同じ挿絵が春陽文庫版『覆面の佳人』45頁にも再録されている。



挿絵画家が同じなのだから『北海タイムス』用に書かれた挿絵を『九州日報』でもそのまま使っているのは当然として、小説原稿のほうも、どうやら同じものを再利用しているようだ。章立てとかを見ても『九州日報』と春陽文庫『覆面の佳人』の間で違いが見られないし。

 


③へつづく。





2021年7月25日日曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

NEW !

九州日報
1930年2月1日~2月10日掲載



① 「雪中の惨劇」(1)~(10)




それでは戦前の福岡で発行された『九州日報』に連載された「女妖」のコピーを用いて、北海道の初出新聞『北海タイムス』を底本にした1997年刊春陽文庫版『覆面の佳人―或は「女妖」―』のテキストはどれだけ信用できるのか、検証を始めよう。

 

 

【チェックに当たっての決め事】

作者自ら『九州日報』掲載時に実践したと思しき「改稿」や、春陽堂編集部の「言葉狩り/語句 改変」といった、明らかに両者が一致しない箇所があれば拾い出すのは勿論だが、「旧仮名遣い → 現代仮名遣い」「旧漢字 → 現代流漢字遣い」への変換は無視する。春陽堂書店は漢字を開いたり、擬態語(例:わなわな/すらすら etc)をカタカナ → ひらがなへ変換したり(その逆もある)、そういった事を訳もなく頻繁に行うので、全部ピックアップしてたら埒が明かないから、目に余ると思った箇所だけ拾うつもり。

 

 

この「女妖」記事冒頭では毎回、各章あらすじのダイジェストを冒頭に記す。前回の記事(⓪)に載せた作者の言葉どおり、パリが舞台なのに登場人物の名前は日本人という、いかにも明治の黒岩涙香スタイルを意識した小説になっている。


▲ 「雪中の惨劇」(1)~(10)


十二月の雪の夜、巴里の貧民窟・春巣街。警察には与太者の隠れ家と睨まれている安藤婆さんの家で、間借人の満璃子という三十五、六の女がナイフで心臓を一突きされ怖ろしい形相で死んでおり、その傍らには人品賤しからぬ紳士が両手の白手袋を血塗れにして気を失っていた。満璃子をこの家に置くきっかけは、安藤婆さんの伜で無頼漢の牛松だったと婆さんは申告。


事件現場に冷酷なる鬼検事・蛭田紫影が現れ、倒れていた紳士が蛭田の仇敵・成瀬珊瑚子爵である事、殺人に使われたナイフには「 Sより H嬢へ贈る」と彫ってあり成瀬子爵が資産家の令嬢・春日花子のフィアンセである事、それらを根拠に成瀬子爵を警察へ連行しようとするが、外で待っていた馬車の馭者が突然蛭田検事の顔面を鞭打つと、そのまま子爵を奪い去っていった。

 

                    



以下は「雪中の惨劇」の章にて春陽文庫(上段)と『九州日報』(下段)のテキストが明らかに一致しない箇所を拾い出したもの。 

     


A   不意を食らった鷲塚巡査(春)  310行目

     不意を喰つた鷲塚巡査 (九)

 

 

B     黒い中折帽を目深に冠り(春)  313行目

     黒い中折帽を眉深に被り(九)

     春陽文庫は「被る」が全て「冠る」にされているようだ。

 


C   男装女子としか思えない(春)  316行目

       男装女子としか思えぬ   (九)

 

 

D         左側に当たる家の一階の窓から(春)  412行目

           左側に當る家の二階の窓から   (九)

     これはその後の展開から、春陽文庫のほうが間違っているのがわかる。

 

 

E    すぐ左側にある部屋の扉を開けた         (春)  515行目

    直(すぐ、とのルビあり)左側なる部屋の扉を開けた(九)


                   

 


F    早くしないとまた暴れだしますよ(春)  613行目

    早くしないと又荒れ出しますよ (九)

 

 

G    いましも息を吹き返した男のほうを(春)  75行目

            今しも息を吹返しかけた男の方を (九)

 

 

H    どことなく昔の美貌の跡が(春)  711行目

            何處やらに昔の美貌の跡が(九)

 

 

I     紳士というも恥ずかしくない   (春)  88行目

          紳士といふも耻(ママ)かしからぬ(九)

 

 

J     安藤婆さんがごてごてと(春)  911行目

          安藤婆さんがゴトゴトと(九)

      警察へ電話をしに行っていた安藤婆さんが戻ってくるシーンから

      〝 ゴトゴト 〟のほうが正しいのがわかる。


                   

 


K     それをきみに進ぜよう  (春)  1010行目

         それを君に進(あ)げよう(九)

 

 

L         そうたやすく分かるかどうか(春)  141行目

         さう容易く分かるや否や  (九)

 

 

M    馬鹿か狂人か(春)  1715行目

              馬鹿か狂人か(九)

     〝 狂人 〟のワードは春陽文庫でもそのまま生かされている。

 

 

N           二人の間の言い争いは(春)  1913行目

      二人の間の言葉爭ひは(九)

 

 

O    彼の敏腕がそうさせているからである(春)  1917行目

          彼の敏腕の然らしむる所なのだ   (九)

 

                    




P     その争闘をゆるめようとはしなかっただろう               (春)  2012行目

     死ぬまでその争闘をゆるめやうとはしなかつたであらう (九)

 

 

Q     毒を含ませた針を持ち、傍らで聞いている者に(春)  2114行目

           毒を含ませ針を蔵し、傍らに聞くものをして   (九)

 

 

R      いまパリ社交界随一の                 (春)  275行目

          今パリー(ママ)で交際社會随一の(九)

        パリは『九州日報』では、巴里だったりパリーだったり表記が揺れている。

 

 

S      二十七、八くらいの頑丈そうな(春)  297行目

      二十七歳位の頑丈さうな        (九)

 

 

T    「えっ?」          (春)  3011行目

        「之?」(これ、とルビあり) (九)

     これは明らかに『九州日報』のほうのミス。「え?」を之と間違えたのだろう。

 

 

U      参っていたところなので(春)  325行目

        参っていた折柄    (九)



                     




最初の章からこんなにも首を傾げたくなる異同が見つかってしまい、やっぱりこの検証企画やらないほうがよかったかなと後悔。これでも数えきれない程の気になる箇所にかなり目をつぶった上でのカウントだからなあ。さすが春陽堂、というか、あの出版社の〝いい加減さ〟を私はまだまだ軽く見ていたようだ。




(銀) せっかく横溝正史が涙香調にするため古めかしい語り口で書いているのに、そういった言葉遣いをどれもこれも勝手に書き変えたり、句読点なども無視していたり、無駄に読みやすくしすぎで、これでは作者の意図が台無しじゃん。

言った以上はこのテキスト・チェック、最後までやり遂げねばなるまいが、どうなる事やら。


②へつづく。




2021年7月23日金曜日

『女妖』江戸川乱歩/横溝正史

NEW !

九州日報
1930年2月~8月掲載



⓪ 『九州日報』に連載された「女妖」と対比して
   春陽文庫版「覆面の佳人」のテキストをチェックすること




1997年に初めて単行本化された「覆面の佳人」。江戸川乱歩・横溝正史の共作という豪華なクレジットになってはいるが、実際の執筆者は横溝正史とみられている。


つらつら考えるに、正史にとって大人向けの長篇連載といったら月刊誌『文藝倶楽部』に書いた「三年の命」に次いで二作目であり、しかも新聞連載は初めてで、その枚数は「三年の命」よりずっと多い。(「三年の命」と同じ1927年に長篇に挑戦した「女怪」は中絶している)


当時の新聞連載長篇の掲載期間はだいたい半年というのが通例だった。本作は作家としてまだ青かった横溝正史の、(それは片手間のバイト的な仕事だったとはいえ)長篇に対する初期の挑戦を精査できる素材になるのではないか。岡戸武平や池内祥三など第三者の手を借りてなければ、の話だが。


 

 

この長篇は(単に名前を使われただけで、本作の存在さえ知らなかったと云われる)乱歩サイドからはともかく、正史サイドの研究からさえもすっかり忘れられている。横溝オタは金田一耕助にしか関心を持たないから無理もない。そこまでの佳作でもないしね。


偶然にも、90年代中盤に刊行された春陽文庫/名作復刊シリーズ〈探偵CLUB〉はせっかく山前譲に作品選定をさせておきながら編集部が見苦しい言葉狩り/語句改変を行っている事実を、当Blogでは取り上げた。(『殺人狂想曲』水谷準、『蠢く触手』江戸川乱歩の記事を見よ)


それなら〈探偵CLUB〉のスペシャル編として『蠢く触手』と共に追加発売された『覆面の佳人―或は「女妖」―』のテキストは信用できるものなのか?まがりなりにも唯一の単行本だぞ。それがどうにも気になって、春陽文庫版テキストがどの程度正確なのかをハッキリさせたくなった。


 

 

以前の記事にも書いたように、岡戸武平が代作した『蠢く触手』は『殺人狂想曲』に比べると、そこまでひどい語句改変はされていなかったので、「スペシャル編の二冊はそれまでとは別の人間が校正を担当したのではないか?」と私は想像した。今回、テキスト確認するためには連載時のものに当たる必要がある。『覆面の佳人―或は「女妖」―』は初出新聞『北海タイムス』夕刊上において19295月~12月に連載されたテキストを底本にしているという。ならば、その時の連載タイトルが「覆面の佳人」だったか。

 

ただ、最近発掘された戦前の新聞連載探偵小説は時として、同じ作品でも別の新聞によっては、微妙に手が加えられていることが報告されていて。「それならば」と思い立ち、後発の『九州日報』朝刊に1930年21日から814日まで、タイトルを変えて176回連載された「女妖」のテキストを取り寄せて比較することにした。



もっとも『九州日報』のコピーを入手するのには非常に手間がかかった上に、どこに訊いても該当する『九州日報』のマイクロフィルムには欠けている回や隅の部分のテキストが読めない回があるらしくて、全176回のうち4回分は完全な状態で全文読み取れるコピーを揃えられなかった。欠けている回の『北海タイムス』コピー補填も考えたが、別に本を作る訳ではないからコピーが全回なくてもいいやと見切って、5月から滞っていたこの企画をスタートさせようと決めた。 

 

だからこの先『九州日報』のマイクロフィルムで「女妖」のコピーを入手する人の便利を考え、欠けている回はどの日なのか、その都度記していく。
(どうしても「女妖」を全て揃えたければ『九州日報』の原紙を探すしかないのだろうか?)
とにかく「女妖」のコピーを手にするまでには、いくつもの厄介事に遭遇した。その辺の裏話もテキスト・チェックが終わった最後に記したい。

 

                  



次回からテキスト・チェックを始めるその前に、連載開始にあたり新小説豫告として記された作者二人(?)と挿絵画家・伊藤幾久造の言葉を紹介しておく。言うまでもなく乱歩のは、自分で発した言葉では絶対に無いはず。以下の乱歩/正史の言葉が春陽文庫では、別々ではなく一人で書いたようになっており、しかも「訳補者の言葉」だとされている。『北海タイムズ』の新連載予告でも、そのような表記になっているのだろうか?『九州日報』では「訳補者」とは書かれていない。


 

【作者の言葉】

「探偵小説のうちで、何が一番面白いかと問はれたら、私たちは躊躇なく黒岩涙香と答へる事が出来るであらう。今若し、涙香のやうな作者が一人ゐたら、物好きの多くの讀者は現在の退屈な状態から大分救はれる事が出来るであらうと思ふ。私達が今此處で試みやうとしてゐるのはつまりその涙香式なのである。種本は米國の女流作家AKグリーン女史のものであるが、只種を借用したまでゝ、あとは私達二人の創作になるものである。而して探偵小説の最も面白い所以であるところの、結末に至る迄の整然たる秩序を決して失はないつもりである。」 

 

 









『女妖』の内容は、興味横溢せる探偵趣味豊(ママ)なもので、事件は、巴里の貧民街の殺人事件より起り、忌はしい嫌疑に泣く青年子爵、それを救はんとする妙齢の美女、鬼のやうに冷酷なる検事等々、そして彼等の間に影のやうに出没する殺人鬼 ― これが此の作品の焦點である。果してどんな物が出来上るか、探偵小説に於ては餘り多くを語らないのが華だ。宜しく御期待を乞ふ次第である。」

 

 

繪に就て】

新年號の諸雑誌の附録や挿畫を書きあげて、ほつと一息ついた伊藤幾久造畫伯は、本鄕千駄木の畫室で語る。 

「『探偵小説』は好きですよ。私は活動を見ることと探偵小説を讀むことの外にこれと云つて道楽はありません。私の挿畫は、頼まれるまゝに近頃時代物ばかり書いて居りますので、世間の人は『時代物』の挿畫以外は描けないものと思つてゐるやうですが、今度御社がこの絶好機會を興へて下さつたので、一つ變った面白い會心の作を發表いたします。御紙とは『妖鬼流血録』執筆以来お馴染みですし、それに私の挿畫フアンも少からず(ママ)居て下さることですから、ウント心血をそそぎます。どうぞ御期待下さい。」




(銀) 伊藤幾久造といったら、戦後すぐの少年少女探偵小説本の挿絵を描きまくっているイメージがあったから、戦前は時代物をいっぱい描いていたというのは初めて知った。それにしても乱歩も正史もやっぱり戦前のルックスのほうが断然イケてますな。


この「女妖」テキスト・チェックの連載は連日ぶっ続けでやるのではなくて、通常の記事も挟みながらやっていく予定。①へつづく。




2021年7月21日水曜日

『横溝正史書簡(乾信一郎宛)目録』

NEW !

くまもと文学・歴史館
2021年7月発行



★★★★★   長い間熊本に眠っていた大量の横溝正史書簡




横溝正史が博文館在籍時以来の親しい友人である乾信一郎に書き送った書簡の展示を中心とした企画展『没後40 溝正史 発見書簡に見る探偵小説作家の顔―』がくまもと文学・歴史館にて、令和3716日から923日まで開催されている。この書簡目録は来場者のみに配布されるブックレット。

 

 

書簡は本来戦前のぶんからあったのだが戦災で失われてしまったそうだ。それでもようやく安寧が訪れた昭和20年から横溝正史ブーム後期となる昭和54年までの、実に34年分272通にも及ぶ正史書簡が乾信一郎のもとで大切に保管され、現在こうして我々もその御裾分けにあずかる事ができるのだから、ただただ上塚家の方々に感謝するしかない。(乾信一郎はペンネームで、彼の本名は上塚貞雄)

 

 

戦後になっても正史は相変わらず病を抱え、しかも乗物恐怖症だったから外出の機会は非常に限られる。そうなると友人とのコミュニケーションは(なにせメールの無い時代だから)手紙が中心。今回の正史書簡の中には、ストライキかなんかで郵便がスムーズに配達されない遅延を憂う様子がうかがえる文章がいくつもある。(ウンウン、わかるわかる)

 

                   


この書簡目録は全272通それぞれの要旨を数行に簡略化し、日付順に一覧表の形にして載せている。34年分とはいえ正史が頻繁に書簡を書いている時期と、そうでない時期とがある。では中身を見ていこう。第一章は「岡山疎開の頃・本格探偵小説作家へ 昭和20年~昭和23年」32通。この時期は戦時中の溜め込んだ鬱憤晴らしに、それまで書きたくても書けなかったものを書いて書いて書きまくっているのだが、「仕事は多いが、約束通りの支払いがないのが痛手」と一言。悲しいかな、国破れて世情が荒れている証(あかし)。「戦後の都会が想像もつかない」とも。


 

 

第二章は「名探偵・金田一耕助の活躍 昭和2436年」59通。ここからは東京へ戻り、横溝家は成城に居を構える。「仕事を減らして好きなものだけ書きたい」「ヤッカイな小説を書かないといけない」などと漏らす正史。できればしたくない仕事って何だろう? この辺は書簡の全文を読まなければ、正しい真意が汲み取れない。ちょうど正史が50歳を迎えて、明くる昭和28年から昭和34年の間は書簡がたった一通しか存在せず、昭和35年から再びやりとりが多くなる。



この6年の空白の期間、正史の胸中や如何に?戦後は高いテンションでのちに代表作と評価される長篇を次々と生み出してきたが、「悪魔が来りて笛を吹く」の連載が終了してピークの終わりを自分でも感じていたのだろうか。とはいうものの昭和34年には「悪魔の手毬唄」を完成させているのだから、それはそれでたいしたものなのだが。乾信一郎と渡辺啓助の初対面が昭和36年というのがなんとも意外。


 

 

第三章は「読みつがれる【人形佐七捕物帳】 昭和37年~昭和48年」83通。森下雨村や江戸川乱歩など、恩人や作家仲間が一人また一人この世から去ってゆく時代。その割りには落ち込む素振りを乾にあまり見せていない正史。講談社からの初の個人全集もさながら「人形佐七」が二度もドラマ化され、後年角川春樹が無礼にも口にした〝既にもう亡くなってしまった人だと思っていた〟という時代遅れな作家の老臭感は、この書簡目録からは不思議と漂ってこない。乱歩逝去後、大衆が次第に社会派推理小説に飽きて再び探偵小説へ回帰する雰囲気があったからかも。

 

 

第四章は「横溝正史ブーム到来 昭和49年~昭和54年」98通。正史、すでに70代。あのしょーもない角川ブームに巻き込まれて相当消耗していただろうに、乾への書簡の数は全然減っていないのだから、なんとも筆まめな性分。乾の大仕事だったクリスティ自伝翻訳完成を大変喜んでいるのがよくわかる。最後の書簡は昭和541126日、近鉄バファローズ西本監督に会った報告で終わっている。


                   


それまでのくまもと文学・歴史館のやってきた事と比べ、横溝正史という超メジャー作家だけあって、今回はそれなりに頑張っているのは理解できた。「書簡目録は販売したほうが少しでも出費をリクープできるのでは?」との質問に「くまもと文学・歴史館は熊本県立図書館と一体になっている都合上、販売できないんですよ」という意味の返事が。ふーん、そういうものなのか。




(銀) 今回の企画展を見た人は誰しも「何故こんな272通もの横溝正史の手紙が揃っているのに書簡集を出さないの?」と訝るに違いない。その書簡集というものについて、もう10年以上私は「『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』を早く出してほしい」と言い続けてきた。実際、乱歩と正史が取り交わした書簡は一冊の本ができるだけの数が残存している。2000年頃、ある人物が「そんな企画がある」と口にしたこともあった。



しかし2020年代になっても、それを実現しようとする噂はどこからも聞こえてこない。企画者(?)編纂者(?)となるべき人達の都合もあるだろうし、版元となる出版社の利権問題もあるのかもしれない。なにより著作権継承者の許可を得る事も必要となる。『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』が発売されたら喜ぶ人は大勢いると思われるけれど、出版社は「書簡集なんてマニアック過ぎて売れないよ」と軽く見ているのかもしれない。



きっと過去の私なら、今回の目録を見て「是非一冊の本にしてほしい!」と言っていただろう。でも『乱歩~正史往復書簡集』でさえ出ないのだから、『乾信一郎宛横溝正史書簡集』となると実現は余計に難しい気もする。わからんけど。ただ以前とは違い、この業界内のいろいろな事に対して自分の気持が冷めてきているから、この場所で『乾信一郎宛横溝正史書簡集』を熱望するような発言はもうしないでおく。勿論出たら出たで喜んで読むけれど、所詮こちらは読ませて頂く立場でしかない。




2021年7月19日月曜日

矛盾だらけの「下山事件」

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松本清張は自分の読書対象じゃないけれど、例外的にちょくちょく読み返す本がある。彼のノンフィクション代表作として名高い『日本の黒い霧』(昭和35年文藝春秋新社/初刊)がそれで、特に興味深いのは「下山事件」「帝銀事件」「松川事件」なのだが、今回は「下山事件」のみにスポットを当てる。

取り上げる書籍は「下山国鉄総裁謀殺論」収録の『日本の黒い霧』上巻(私の所有しているのは昭和49年初版の旧文春文庫/昭和58年第16刷)、それと、色々出回っている「下山事件」関連書籍のうち読むに値するものだと私が考えている矢田喜美雄『謀殺下山事件』(昭和48年講談社/初刊)、佐藤一『下山事件全研究』(昭和51年時事通信社/初刊)、この三冊だ。

 

                   


「下山事件」はGHQの統治下における戦後混乱期の日本にて起きた怪事件のひとつで、昭和世代の日本人なら一度は耳にしたことがあるだろう。昭和2475日朝の東京、当時の国鉄総裁だった下山定則が自分の公用車を降りて日本橋の三越に入ったまま失踪、日付が変わった76日午前0時半過ぎ、東武伊勢崎線と立体交差してガード下を走る常磐線北千住駅~綾瀬駅間の線路上で、轢死体となって発見された。

まったくの余談だが、NHKスペシャル『未解決事件』は何故こういった昭和前期の迷宮入り事件も取り上げないのだろう?時間が経ちすぎて直接取材できる関係者が殆ど鬼籍に入っているからかな。一回目の「グリコ・森永事件」は非常に見応えある内容だったものの、回を重ねるごとにあの番組はつまらなくなってしまった。

 

 

自殺なのか、事件性のある他殺なのか、この謎に対し死体発見直後より世を挙げて紛糾。松本清張は自著『日本の黒い霧』の中で扱っている事件の裏にはどれも敗戦後の日本共産化を懸念したアメリカの謀略があったと見ており、当然「下山事件」は他殺と見做して執筆されている。その『日本の黒い霧』がベストセラーになった影響で、殆どの日本人が他殺説を信じたのは至極ありがちな流れだった。

「下山事件」が時効を迎えたのは昭和397月。アメリカ統治も過去の出来事となり、ようやくGHQの検閲を受けず言いたい事を誰もが物申せる状況が訪れ、矢田喜美雄や佐藤一の著書が刊行され始めるのは、この時効以後であるのを踏まえておいてほしい。

 

                   


矢田喜美雄は事件当時『朝日新聞』の記者をしており、下山総裁の遺体を鑑定した東大法医の人々とも近しい関係にあった。東大/桑島博士のサゼスチョンを受けた矢田は、常磐線の現場で機関車が人体に最初に接触した位置より手前の線路にも血痕が残っているかもしれない可能性を求め、ルミノールを使って実地調査を行ったところ、血液反応が線路だけでなく土手下のロープ小屋からも発見された。その詳細な模様は『謀殺下山事件』にて語られている。こうして矢田は他殺説を代表する関係者のひとりとして知られるようになった。

 

 

それとは別に、時効成立と時を同じくして元・東大総長の南原繁を中心に下山事件研究会というグループが結成される。会員は松本清張/広津和郎/木下順二、その他法学のエキスパートが名を連ね、警察が自殺他殺の解明を放棄した「下山事件」を改めて検証するのが目的だった。当然彼らは他殺説を唱える論者の集まりであり、その研究会の事務局にならないかと声をかけられたのが松川事件容疑者グループのひとりで、昭和38年に無罪判決となり自由の身になっていた佐藤一。

 

 

佐藤も最初は他殺説の側だった。しかし自力で「下山事件」の調査を進めるうち次第に自殺説へ意見を変える。彼の最初の著書『下山事件全研究』はそれまで旗色が悪かった自殺説の信憑性を一気に高めるきっかけになったのは間違いない。なぜなら『日本の黒い霧』であたかも謀略の一味であるかのように書かれていた、常磐線を走る機関車に事件当日乗っていた機関士達にインタビューし、誹謗中傷に苦しんだ彼らの生の声を聞く事に成功していたからだ。

 

                    


ここからは、単なる一読者にすぎない素人の私がどうしても拭い去れない「下山事件」の疑問点を、ごく一部だがアトランダムに並べてみる。

 

              


Q: 『謀殺下山事件』には「自分は線路上へ死体を運ばされたのかもしれない」という、強盗の前科がある建設業S氏の発言が載っているが、死体の油については何も語られていない。総裁の死体(それも肌着のほう)からはかなりの量の油が検出されている。アヤフヤな情報ばかりの中で、これは素直に信じられる数少ないファクトだ。

それならば死体を土手の上へ運ぶ際に油のニオイが絶対していた筈なのに、S氏は臭いについて気付かなかったのか、何も語っていないのは不自然。この話は矢田が時効成立後にS氏本人から聞き取ったというが、『謀殺下山事件』を読んでもらうとわかるけれども、十年以上過ぎていながら事件当日の空の様子とか、そんな細かい事など記憶していられる訳がない。

 

 

Q:  私の持っている『謀殺下山事件』は新風舎文庫版(平成16年再発)で、ジャーナリストの和多田進が解説を書いている。そこで彼も指摘している如く〝75日の朝に家を出た時の総裁の着衣と、線路上で死体になっていた時の着衣が同じかどうか〟なぜこの本の中で徹底的にハッキリさせられなかったのか?という疑問もある。

まあ当時は捜査一課と二課が完全別行動で、しかも二課の主力だった吉武警部補は(実はGHQの 横槍ではなく別の理由だったそうだが)上野署へ配転、これからという時に強引な人事異動で、他殺として追っていた二課の面々は捜査から遠ざけられてしまったのだから、話にならんわな。



『謀殺下山事件』は手際よくまとまっていて読み易いけれど、何年も経って「自分は事件に関係していたかもしれない」などと言い出す証言者はどうも信じられん。しまいに〝夜の事件現場で下山さんの人魂がそれまでの捜査で気付かなかった血痕の跡を教えてくれた〟などと云われた日にゃ、なんだか小説みたいでリアリティが感じられない。朝鮮人暗躍説とて、まるで明治時代の安重根の幻影をいまだに引き摺っているような見方だし、ストーカーみたいに夜中電話をかけて脅してきたCICフジイなる人物の話などもどこか胡散臭い気がするし、今世紀に入る直前になって続々と刊行されている柴田哲孝/森達也らが書いた近年の「下山事件」本の売りになっているその手の情報は相手にせず、私はスルーしている。


 

             

 

一方自殺だと仮定しよう。下山総裁はずぶとい神経の人ではなかったとあちこちに書いてある。さらに自殺説を掲げていた『毎日新聞』の記者・平正一は『生体れき断』なる著書を昭和39に発表この本も時効が成立した年の刊行だ)、総裁は米軍から強要される国鉄職員の大量人員整理に悩んだ挙げ句、初老期欝憂症になっていたため自殺したと見ており、佐藤一の『下山事件全研究』でも最後はこの病気にふれてクロージングしている。

 

 

Q:  これを信じるのなら、総裁は日本橋からフラフラと一人で小菅方面へ向かい、現場付近で何人かの人に目撃されたあと、深夜になって線路に横たわり自らを機関車に轢かせた事になる。発見後の解剖では、総裁はなにか特別な薬を飲んでいた形跡はなかったらしい(この頃下痢気味ではあったようだが)。

もし初老期欝憂症だったとしても、本来繊細な性格の人が線路の上にほぼ垂直な体勢に横たわり素面で機関車に轢かれるのをじっと待っていられるものだろうか。すぐそばまで機関車が接近してきたら恐怖でじっとしていられず、瞬間その場所から逃げようと動いてしまうのではないか。そしたら車輪に巻き込まれるだけで、垂直にまっすぐ寝ていない状態であっても両足首がこんなにうまいこと切断されるかな?ちなみに、この疑問は当初木々高太郎も呈していた。

 

 

Q:  もひとつ言うと、下山総裁の死体はどういう訳か発見時に血液が殆ど残っていなかったから(これも動かし難い事実)、松本清張は米軍が総裁を拉致し血を抜き取って殺害、そのあと自殺に見せかけるため死体を線路上に置く犯行手順を推理した。しかし発見後の解剖で、轢断時に負った傷以外に注射針の跡の有無がどうだったかは明快ではない。局部が内出血していたそうだが、もし機関車に轢かれて陰茎と睾丸が内出血する可能性が無いのならば(要するに自殺だとするなら)、総裁の局部の内出血は何によってもたらされたのかという事になる。

 

                     


なんともアバウトに書き連ねたが、このように自殺だろうと他殺だろうと「下山事件」は辻褄の合わない事だらけなのだ。だから特に信じられる一冊なんて挙げられないのだけど、当時の各紙報道を漏れなく収録している『下山事件全研究』は、ボリュームの点では頭ひとつ抜けている。この本は平成21年にインパクト出版界から再発されたが、またしても価格が高いので旧版を古書で安く入手するのを薦めたい。

『謀殺下山事件』は現在祥伝社文庫から再発されているが、私の持っている新風舎文庫は一部の人名をイニシャルへ変えてしまったりしているので、『日本の黒い霧』もそうだが、なるべく旧い版で読むほうがいいかもしれない。




(銀) この事件は本当にツッコミどころ満載で、他にも日暮里駅で発見された落書き、いわゆる「5.19下山缶」って何だったんだ?とか気になる点はあるけれど、それはまた別の機会に。


今回取り上げた三冊には載ってないのだが、当時の探偵作家も意見を訊かれて江戸川乱歩/横溝正史/水谷準/香山滋/高木彬光といった殆どの作家が他殺説を採った。唯一、最初は他殺説派だった木々高太郎が自殺説に変更。木々の属する慶応大学医学部の中館久平が自殺説の代表みたいな人だったから、そこには木々もそっち側へ意見を変える理由があったと云われている。