2021年5月30日日曜日

『白眼鬼』永瀬三吾

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同光社出版
1958年9月発売




★★★    永瀬三吾も復刊の流れから取りこぼされて




横溝正史と同い年の明治35年生まれでありながら、探偵文壇へ登場したのは敗戦後の昭和22年とデビューは遅かった。戦前は中国大陸で『京津新聞』の社長を勤め、昭和27年から五年間は  『宝石』の編集長も引き受ける。これまで著書の数が少なすぎて作風がよく認識されないまま、   現在に至っている不運な作家だ。

 

 

「白眼鬼」は執筆時の意図はわからないけれど、結果として本格を狙ったような長篇になった。                          河南市蔵は終戦後事業が当たって社長にまで登り詰めた成り上がりだが、昔は故・藤城東一郎が経営していた工場の一職工にすぎない男だった。事故で主を失くした藤城家に往年の資産は無く一家が生活する邸も河南の好意で立ち退かずにすんでいる。藤城家の人員は(使用人を除くと)東一郎の先妻が産んだ昭太郎(低能児)・春子・夏子・秋子、そして東一郎の後妻で麻薬中毒のかおる子。

 

 

冬の夜、藤城邸に寄ろうとした河南は門前で車から降りた途端に後頭部を殴打され足も負傷、 運転手は現場で加害者の姿を見つけられなかった。河南はそのまま藤城家の世話になるのだが、その後も邸の中で次々と殺人事件が起きる。藤城家の遠縁で財産管理を行う老人、浮世離れした藤城家の中国人・門番、かおる子の実弟、春子の縁談相手である野球選手などが関係して、    謎が錯綜するも警察は翻弄されるばかり。                             この長篇の弱さの原因のひとつは、明確に探偵役と呼べる存在がいない点かもしれない。

 

 

「犯人は誰なのか?」「それぞれの事件は如何にして実行されたのか?」とにもかくにもその謎は最後まで引っ張られるけれど、『日本推理小説辞典』で中島河太郎は「犯行方法に工夫をこらしているが、犯行の心情を説き尽くせなかった憾みがある」という風に批評している。      その批評通りに、最終章で真相が暴露されるまでの犯人の心理・発言の描き方、あるいは殺人 トリックのアイディアが物語へ丁寧に消化できていないなァという不満は厳然として残るので、〝埋もれていた本格〟といった評価の声が上がってこなかったのも得心がいく。        その分「ミステリ珍本全集」みたいな企画にはピッタリ嵌まる内容ではあるが。

 

 

永瀬三吾はそれなりの量の小説を書いているのに、生前出た著書といったら本書と『売国奴』、そして私は持ってないけど絵文庫とクレジットされた『拳銃の街』、時代物の『鉄火娘参上』、これ位しかなく没後に出たものでは最近捕物出版が出した『三味線鯉登』だけ。         論創ミステリ叢書でも完全にスルーされてきた。今回の『白眼鬼』の記事を読んだ人にはあまり私が褒めているように思えないだろうけれども、長い間短篇が時々アンソロジーに採られるだけの人だったから、多少なりとも状況が改善される事を強く求む。



 

 

(銀) 『三味線鯉登』に次いで、捕物出版=大陸書館が遠からぬうちに新刊本で『売国奴』を 出すと云っている。収録予定作品は大陸小説集として「売国奴」「長城に殺される」「発狂者」「人間丸太部隊」「あざらし親子」そして京城新聞時代の逸話だそう。

 

 

コロナが世界中に蔓延して二年目。日本探偵小説の新刊リリースは、同人出版も含めすっかり 停滞。海外物は原書さえ買っちゃえばあとは訳者が翻訳するだけだからなのかもしれないが、 海外ミステリ新刊は普通に出続けている。                                       日本探偵小説の新刊が出なくなったのは図書館がクローズされてしまい文献のコピーをとれなくなっているからだと思っていた。だが、捕物出版=大陸書館はそれに挫ける事もなく新刊を予定どおり発売できている。この違いってプリント・オン・デマンドゆえ、かかる手間が単に少ないからだろうか? それだけが理由とは考えられない。

 

 

論創ミステリ叢書を見ると新刊リリースは2020年に三冊、今年は6月になろうとしているのに まだ一冊出ただけで、前から予告されていた巻は全部ストップしている。編集作業以外の工程 まで滞っているのかと思いきや、論創ミステリ叢書ではない他の新刊なら論創社はジャンジャカ発売しているではないか。                                      近頃の論創社twitterはノンフィクション担当者(【論ノ】と名乗っている)の発言がアホ丸出しで、元は皓星社に居た人間らしい。以前の皓星社は無能な野党政治家とそっくりの発信ばかり している印象が強かったけれども、諸悪の根源がいなくなったと思ったら、今度は論創社に転職して以前と同じ戯言を呟いていたとはな。こんな人間を採用して、論創ミステリ叢書そっちのけにしてまで門田隆将をこき下ろすしょーもない本に力入れてるようじゃ、この会社もいよいよ 末期症状か。




2021年5月26日水曜日

『「新青年」趣味ⅩⅪ/特集木々高太郎』『新青年』研究会

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『新青年』趣味 編集委員会
2021年5月発売




★★★★    特集すれども新刊は無く




▼ 意外にも『「新青年」趣味』でさえ、木々高太郎を大きく扱った号はこれまで無かったし、そもそも探偵作家としての木々をメインに取り上げた文献自体が殆ど存在しなかったから、    待望の一冊ではある。しかし本誌冒頭からいきなり樽本真応によるふたつの論述にて、                                 「林久策について ― 一九二二年の文筆活動」                               「木々高太郎〈探偵小説芸術論〉の生成  林髞・甲賀三郎・横光利一との係わりから」、    つまり象徴主義の詩だとかドイツ表現主義詩とか生理学認識論といった探偵小説フリークが興味を持ちそうにない、というよりも煙たがりそうなテーマに踏み込んだ内容が展開されているので昔からある木々への偏見を果してここで取り除く事ができるのかどうか、私は少々気になった。

 

 

詩は木々のファクターの一部ではあるけれど『「新青年」趣味』を読むような人は、    木々のシリーズ・キャラクター達(大心池先生/志賀博士/小山田博士)を深く掘り下げたり、小酒井不木とは全く異なる次世代医学ミステリの解析だったり、そういったものを望んでいた のではないだろうか。この作家に関心が無いと言う(346頁)芦辺拓なんかどうでもいいが、 ただでさえ木々は他の戦前探偵作家の中でも人気が無いのだから、             シンプルに彼の探偵小説のリーダビリティだけクローズアップすべきだったと思う。


 

 

▼ 作品リストが出来上がったのは有難いけれど探偵小説以外の執筆量があまりにも多いので、    その分必要な情報が拾いにくいし、フォーマット的にも大下宇陀児・甲賀三郎の時の作品リストよりも見にくくなってしまった。私個人は作品リストも嬉しいけれど木々の著書目録が是非とも欲しい。シビアな事を言うなら、2000年以降に出た木々単独の新刊は『木々高太郎探偵小説選』と『三面鏡の恐怖』、たったこの二冊だけしかない。他の作家は同人出版でも本が出ているのに木々にはそれさえも無い。詩なんて別に知らなくていいと多くの人が思っているに違いないし、木々の探偵小説にだってエンターテイメント性はちゃんとあるんだから、本誌を読んだ人に  「この人の探偵小説をもっと読みたい」と喚起させるような内容に徹底してもらいたかった。   木々を特集するという事は斯様に厄介なものなのか。


 

とはいえ、湯浅篤志「ハウスネームとしての〈森下雨村〉」をはじめ、                       ちくま文庫『「新青年」名作コレクション』の制作舞台裏、「渡辺啓助追跡(7)」なんかは    非常に楽しめた。啓助に限らず、探偵作家の日記ってどうしてこんなに面白いんだろう?               あと、変なオタク画家に描かせたらアニメ風巨乳にされそうな本誌表紙画の木々作品「月蝕」 ワンシーンの女の裸だが、西山彰の手になるビミョーな垂れ乳具合が小説の書かれた時代を   正しく捉えており、目立たないけど良い仕事をしている。



 

 

(銀) もう創元推理文庫では日下三蔵がプレゼンした木々選集を出す気は全然無さそうだからここはひとつ横井司の力で、どこか他の版元から木々の新刊を出してくれたら嬉しい。         あ、論創社みたいにちゃんと校正ができない出版社は NG ね。

 

 

この数年ずっと感じているのだけど、『新青年』研究会員の顔ぶれに大学人が増えたせいか、  論文のような文章には閉口する。学内で研究を発表する場ならそれでいいかもしれないけれど、『「新青年」趣味』だったり探偵小説の評論書に論文調のままの書き方をするのはちょっと違うと思う。仮にそれが大学人であろうとなかろうと、読んでいて面白いなと思わせる人の文章は〝誰々が述べているように〟等いちいち他人の引用ばかりしているような書き方はしていないし変に横文字を乱用したり堅苦しい文体でもない。村上裕徳ほどくだけた書き方をしなくてもいいけれど、内容もさながら人に読ませる文章というものをよく考えて寄稿してもらいたいものだ。



かつては若かった会員の方々もずいぶん年輪を重ね、昔は会員だった有能な人達がいなくなってしまったから『新青年』研究会も若い世代の人材を見つけたほうがいいに決まっている。      でも、最近会員になる人が大学人ばかりに思えるのは私の気のせいだろうか。        大学人以外だと会員に誘われないのかな?                             その一方で、なぜ芦辺拓や黒田明を会員にしたのか私にはさっぱりわからん。                いたずらに数ばかり増やすよりも質で選んで下さいな。


 


2021年5月22日土曜日

『孔雀の羽根』カーター・ディクスン/厚木淳(訳)

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創元推理文庫
1980年12月発売



★★★★   他の作家ならともかく、カーゆえに厳しめの評価



例えば今、雑居ビルの1Fの室内にひとりの元高校球児がいます。雑居ビルの目の前には小学校のプールの横幅より少し短い位の道路が通っています。そこでTVのリモコンを彼に投げてもらい、雑居ビルの道路の真向かいに立っているコンビニ(駐車スペースは無し)の入口ガラス上半分の範囲に限定して、命中させてもらう実験をやってもらいましょう。たった一度限りのチャンスで見事に命中できるとあなたは思いますか?それとも「野球のボールならともかく、リモコンじゃ無理だろ」と思いますか?謎の核心のうち真犯人などには触れておりませんが、『孔雀の羽根』のストーリーを御存知無い方は本日の記事は読まないほうが無難かもしれません。

二年前「ロンドンのある番地に十組のティー・カップが出現するから監視せよ」という意味不明な警告が警察に送られてきた。その手紙に書かれていた空家でダートリーという男性が被弾して死亡、ハンフリー・マスターズ警部はその事件を解決する事ができなかった。再び、同じような文言の手紙が警察に届く。マスターズ警部は指定されたその日、問題の家の周りに人員配置していたが不審者の誰ひとり出入りの無い状況下、ダートリーと同じように室内でヴァンス・キーティング青年もまた被弾して命を落としたのであった。

 

 

自殺であるならば死者による二発目の銃弾発射はありえないような死に方なのに、なぜか二発目の弾痕が残っている処から不可能犯罪の疑惑が強まる。一発目のからくりはOKとしても、二発目におけるカーの創意は如何なものだろう?〝保護色の目眩まし〟と〝物の移動〟というトリックは実に面白いけれども実際にバレるかバレないかといったら、張り込み中の警察もしくは通行人の誰かにどうやっても〝保護色〟の点はバレるだろうし、一方〝物の移動〟にしたって「そりゃ無理だわ」・・・と私は本書を読みながら思ってしまった。せめてドイルの「ソア橋」みたいに紐みたいな物がないとこのやり方では確実に遂行できそうにない。終盤に至って家具のトリックがよかっただけに、あと少しリアリティをどうにかしてほしかった。

 

 

それだけの齟齬ならまだ★5つにしてもよかったけれど、タイトルにもなっている〝孔雀の羽根〟の意味はあって無いようなものだし、なによりも十組のティー・カップ=秘密結社の暗躍の気配を振り撒いといて、これまた揺るぎない必然性が無いのが物足りない。私はカー作品に対し常にオカルトとロマンスが必須だとは思っていないから、このふたつの要素が本作になくてもそんなに問題ではない。印象としてはH・Mの傍若無人さで笑わせる演出を控えめにしているぶん、苦戦するマスターズ警部のしんどさが物語全体の起伏を幾分か固いものにしている気がする。警部の部下であるポラード刑事にもっと活躍の場を与えてやってもよかったのではないか。

物語の起伏の固さというのは中盤の動きの無さから来ているのだけれども、その辺の問題は良い翻訳者の新訳でリニューアルされれば、もしかしたらすごく改善される可能性だってありうる。そんな再発を期待してこの旧訳版は満点ではなく★4つに留めたものの、実質的には評価の低い★5つのカー作品とほとんど差は無い。


 

 

(銀) 会話の中で『赤後家の殺人』事件に言及されているので、現実の執筆順に沿い、作中の時間軸の中でもこれはマントリング家事件後の話と見て間違いない。本作は1937年発表。翌年には『ユダの窓』が書かれるのだから、時期的に不調な訳では決してない。H・Mの謎解きにて〝32個〟にも及ぶ手掛かりを(伏線が張られていたのがどのページだったか)わざわざ並べているのも、カーのテンションが高い証拠。とはいえ毎回大傑作が生まれるとは限らず、翌1938年に文句なしのマスターピース『曲がった蝶番』があるかと思えば、あまり評価できぬ『死者はよみがえる』があったりもする。


 


2021年5月19日水曜日

新刊本の店頭入荷状況に見る地方差

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➀ 紀伊國屋書店の場合(発売日当日)




ネットでなく店舗で本を買う人は決していなくなった訳じゃない。


過去の記事で「西日本の実店舗書店は新刊入荷がダメ過ぎて使いもんにならん」と九州の友人がボヤいていた話に触れたのだが、今はすっかり通販利用派の私も昔から不思議でしょうがない。CDなら地方のショップであっても大抵発売日に新譜が入荷するものなのに、どうして本になると大きい書店であっても、それが地方だったら発売日に新刊が並ぶシステムになっていないのか?そして早くから事前予約していても、何故やっぱり入荷が発売日より遅くなるのか?


それはおそらくトーハンとか日販とか、取次業者の都合によるものなんだろうが、21世紀になってもこんな流通の仕方が旧態然として残ったままで、少しでも改善しようとする動きが一切起きてこないのだから、きっと何かしらのヘゲモニーが横たわっているに違いない。


そもそも現在新刊が店頭に並ぶのに、各都道府県によってどれ位の差が発生しているのだろう?そこで全国展開している書店のサイトを使って、各店舗のリアルタイム在庫をweb上で確認し、当blogで扱うようなジャンルに属する出たばかりの新刊について、各地・各店舗の在庫状況が一体どういう事になっているのかチェックしてみようと思う。


                  

 

調査対象店は紀伊國屋書店 webストア。
調査対象新刊は2021519日(水)発売
『恐怖 アーサー・マッケン傑作集』 アーサー・マッケン/平井呈一(訳)
創元推理文庫  1,650円(税込)。
角川文庫や文春文庫ほど初回出荷数は多くないかもしれないが、そこまで極端にマイナーな本では決してない。


今回は、発売日5月19日(水)午後に紀伊國屋のサイトでこの本を検索、
各店舗の在庫状況をひとつひとつ確認してゆく。
紀伊國屋webストアでの在庫表記の仕方は

[= 在庫あり (二冊以上あるという事らしい)
[= 在庫僅少 (一冊のみ?)
[✕]  = 在庫なし 

となっており、当blogでもそれを踏襲する。


「在庫あり」になっていても、本がまだバックヤードに置かれたままで、
売り場に並べていない時もある。
ちなみに、発売日前日(5月18日火曜)午後の時点で早々と「在庫あり」のステイタスになっていた店舗は【新宿本店】【神戸阪急店】
フラッグシップ店舗である【新宿本店】と【梅田本店】は特別扱いらしく、
通常ならどんな本でも真っ先に「在庫あり」になるのだが、
残念ながら下記にて述べるとおり、大阪の店舗の多くは今回調査ができなかった。




【北 海 道】

札幌本店 []

オーロラタウン店 [×]

厚別店 [×]

小樽店 [×]

千歳店 [×]


 

 

【宮 城】                     【群 馬】

仙台店 []                   前橋店 []

 

【埼 玉】                     【千 葉】

さいたま新都心店 []              流山おおたかの森店 []

浦和パルコ店 []                  セブンパークアリオ柏店 []

川越店 []

入間丸広店 []


 

 

【東 京】                     【神 奈 川】

新宿本店 []                  横浜店 []

Books Kinokuniya Tokyo [×]                       ららぽーと横浜店 []

西武渋谷店 []                                  西武東戸塚S.C.店 []

玉川高島屋店 []                                 武蔵小杉店 []

笹塚店 []                                    イオンモール座間店 []

大手町ビル店 []                                 イトーヨーカドー川崎店 []

イトーヨーカドー木場店 []

吉祥寺東急店 []

国分寺店 []

小田急町田店 []


 

 

【新 潟】                    【富 山】

新潟店 []                     富山店 []

 

【石 川】                    【福 井】

金沢大和店 [×]                   福井店  [] 

 

【愛 知】

mozoワンダーシティ店 []

名古屋空港店 []

プライムツリー赤池店 []


 

 

【大 阪】                    【兵 庫】

梅田本店 [-]                   神戸阪急店 []

グランフロント大阪店 [-]             加古川店 []

グランドビル店 [-]                                            川西店 []

本町店 []

京橋店 [-]

天王寺ミオ店 []                                       【岡 山】

高槻阪急店 [-]                                                 クレド岡山店 [×]

堺北花田店 [-]                                               エブリイ津高店 [×]

泉北店 [-]

アリオ鳳店 [-]

大阪府は緊急事態宣言発令に伴う臨時休業にて在庫の開示が停止されている店舗がある。



 

 

【広 島】                                              【徳 島】

広島店 [×]                    徳島店 [×]

ゆめタウン広島店 [×]                                 ゆめタウン徳島店 [×]

ゆめタウン廿日市店 [×]

 

【香 川】                     【愛 媛】

丸亀店 [×]                    いよてつ髙島屋店 [×]



 

 

【福 岡】                       【佐 賀】

福岡本店 [×]                    佐賀店 [×]

天神イムズ店 [×]

ゆめタウン博多店 [×]                【長 崎】

久留米店 [×]                    長崎店 [×]

 

【熊 本】                       【大 分】

熊本はません店 [×]                 アミュプラザおおいた店 [×]

熊本光の森店 [×]

 

【宮 崎】                     【鹿 児 島】

アミュプラザみやざき店 [×]                            鹿児島店 [×]



この記事の左上にupした店舗MAPを見ると、紀伊國屋の場合は西日本のほうが若干店舗が多く、栃木以北の東北方面は勢力が弱い印象を受ける。それはさておき、こうしてチェックする限り、やっぱり東日本のほうが新刊の入荷が早いのは厳然たる事実のようだ。岡山から西は入荷している店舗がひとつも無いのに、【札幌本店】はもう入荷している。

昔の単行本の奥付を見ると、定価とは別に地方価という若干高い価格が載っていた。都心から遠い土地には配送にコストがかかる、という理由なんだろうけど、そりゃないよな。今でこそ本の地方価は無いけれども、なんで西日本はここまで新刊の入荷が遅くなるのだろう?【札幌本店】に入荷しているのなら【福岡本店】だって入荷しててもおかしくないのに。


                  


これはあくまで紀伊國屋書店のパターンであって、他の書店だとどうなるか?
興味深いので、この新刊入荷状況調査は条件を少し変えて、またやってみたい。
  

                



2021年5月16日日曜日

『京城の日本語探偵作品集』李賢珍/金津日出美(編)

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學古房
2014年3月発売



     日本統治下の朝鮮にも探偵小説好きはいたようだが



1945年以前の朝鮮半島は日本の統治下におかれ、多くの内地人が向こうへ渡り現地の人と共生していた。そんな時代の彼の地において日本語で書かれた探偵小説を集めた本が2014年に韓国から刊行。ところが入手してみて困ったのは、収録作品のテキスト部分はすべて日本語表記で、当時の掲載文献から転載した要するに影印本だから問題はないのだけど、解説部分が韓国語オンリーで書かれているためチンプンカンプン。

 

 

編者・李賢珍は年齢がいくつぐらいでどんな職業の人なのか不明だが、金津日出美は日本の出身で現在は立命館の教授とのこと。しかしこの本を読む側の立場からしたら、当時の朝鮮半島で生活していて今でも日本語の読み書きが自然にできる韓国人なんて相当高齢の人しかいないだろうし、向こうの読者も殆ど戦後派だろうから日本語作品のテキストを全然読めないんじゃないの?同様に日本人が本書の解説部分を読もうにも、韓国語を理解できる人なんてまずいない訳で。つまり日本人にとっても韓国人にとっても本書のすべてを読み取れない編集になっているのが中途半端で困る。


 

 

日本語部分を一通り読んでみたが悲しいかな、翻訳はともかくとして創作ものは駄作しかない。以下、収録内容を簡単に紹介しておく。挿絵画家はノー・クレジット。発表年度について日本語では書いてないが、殆ど元号が昭和になって以降の作品らしい。
どうやって判ったかは後述する。


 

「杭に立つたメス」(三回連載) 金三圭

「女スパイの死」 (五回連載/リレー連作)
京城探偵趣味の會同人【 山崎黎門人/阜久生/吉井信夫/大世渡貢×

「三つの玉の秘密」(三回連載/リレー連作)
京城探偵趣味の會【 山岡操/太田恒彌/山崎黎門人 】

 

 

「名馬の行方」
作者/譯者ともクレジットが無い。
日本の設定に変えているため翻訳というよりは翻案のドイル「銀星号事件」。

「謎の死」 ドイル原作/倉持高雄譯
四回連載。こちらは「まだらの紐」の翻訳。


 

「捕物秘話」(二回連載)  秋良春夫

「水兵服の贋札少女」    青山倭文二

「犯罪實驗者」       青山倭文


 

「青衣の賊」 (八回連載)  野田生

「獵死病患者」(三回連載)  京城帝國大學豫科 末田晃


 

「共產黨事件と或る女優」           森二郎

「彼をやつつける ー奥様方讀む不可ー」    Y・黎門人

「闇に浮いた美人の姿」            白扇生

「暗夜に狂ふ日本刀 腦天唐竹割りの血吹雪」  倉田扇


 

「夜行列車奇談」 ヒアルトフ・アルクナア作/伊東銳太郎譯

「寶石を覘ふ男」 佐川春風
1922年(大正11年)に創刊された月刊誌『朝鮮地方行政』の1928年3月号に掲載。
4ページしかない掌編。本書収録作品の発表年度を含め、兪在眞がweb上に発表している研究資料「植民地朝鮮の日本語探偵小説」を参考にさせて頂いた。
(追記:『森下雨村探偵小説選 Ⅱ 』の湯浅篤志・編「森下雨村小説リスト」を見ると、この作品は内地で先行して『キング』19262月号に佐川春風名義で発表されているので、流用の可能性が高い)

             

 

 

「深山の暮色」         木内爲棲

「探偵コント 意地わる刑事」  京城探偵趣味の會同人/山崎黎門人

「蓮池事件」          京城探偵趣味の會同人/山崎黎門人

「癲狂囚第十一號の告白」    京城探偵趣味の會同人/吉井信夫

「空氣の差」          京城探偵趣味の會同人/古世渡貢


 

「探偵趣味」 江戸川亂歩
大正15年に発売された『ラジオ講演集 第十輯』からの抜粋。




 

佐川春風(森下雨村)、江戸川乱歩、伊東銳太郎以外の人は素性がさっぱり解らなくて少し調べてみた。

 

山崎黎門人
ラジオ局JODK(朝鮮放送協会)に勤めていた山崎金三郎という人らしい。1983年死去。『民団新聞』HP掲載・脚本家津川泉の手記を参考にさせて頂いた。このサイトを拝見すると、本書収録作品の多くは当時の総合誌『朝鮮公論』に載ったものだった事が解る。

 

青山倭文二
1927年に内地で『変態遊里史』という本を出版。雑誌だと戦前の『ぷろふいる』から戦後の『猟奇』まで、彼の名がポツポツと見つかる。



資料としては大変貴重なものなんだが、同人誌ではなく総合誌に載ったものにしては如何せん素人レベルの投稿ばかりだし、現代の日本で発売されるアンソロジーへこれらのものが収録される事はまずないだろう。乱歩の「探偵趣味」も雨村の「寶石を覘ふ男」も当人の許可無く流用されているように見えるし、伊東銳太郎の翻訳も同じようなケースなのかもしれない。





(銀) この本は韓国の書籍を扱っている書店で今でも買えそうな感じだし、もしネット上で古書を見つけても6,000円以上のボッタクリ価格で売られていたら絶対手を出すべからず。



当時といわず戦後の内地でも朝鮮人が日本名に変える例はよくあるから、本書の作家がどこまで内地人でどこまで朝鮮人だったかをハッキリさせるのはかなり困難。台湾の探偵小説として林熊夫(金関丈夫)の記事を書いた時に、はじめは「探偵小説的にも韓国人より台湾の人のほうが親しみが持てる」というタイトルを付けようとしたが、第三者がその記事を読む際によく伝わらないだろうなと判断して変更、その代わりに台湾篇に続き、補助的に韓国篇の記事も書いてみた。とにかく現在の韓国人のような「日本憎し」に凝り固まったマインドで、司法判決でさえ理知的ではなく感情に左右されるような国民に、民主主義の象徴である探偵小説を理解できる筈がないと私は申し上げたい。



統治される側だった身として、色々言いたいことがあるのは私とて理解できる。だからといって国家間の取り決めを平気で破ったり、日本の寺にあった仏像を「我々の国から奪った」などと言って盗んで持ち帰ったり、スポーツの国際大会やオリンピックで政治スローガン丸出しな礼儀の無い態度を取ったり、元々韓国を嫌いでなかった人々までも嫌いにさせるような行動を止めないから、日韓は救いようのない関係へ成り果てるに至ったのだ。     



日本に統治された国は韓国以外にもある。その国の人達だって、日本に言いたいことはきっとあるはず。でも彼らが韓国人のような態度を取らないのは、未来の方向を見て生きているからだ。「(日本と韓国の)加害者と被害者のいう歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」という朴槿恵の迷文句がある。こんな風に過去しか見ず言い掛かりしか発信しない韓国人に対し、いくら日本人が世界一おめでたい人種とはいえ「仲良くしましょう」と我々が歩み寄るよう望むのは、お門違いも甚だしい。〝詫び〟でも何でも、相手に何か求めるものがあるなら、まずその前に互いの信頼を構築するのが人間関係における基本中の基本であろう。




2021年5月13日木曜日

『金色青春譜/獅子文六初期小説集』獅子文六

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ちくま文庫
2020年12月発売


      これも『新青年』の歴史の一部



■ 〝金色〟→〝こんじき〟 と読みます。江戸川乱歩の「黄金仮面」にも〝金色〟という形容が頻繁に出てきますが、あれと同じく決して〝きんいろ〟とは読まないように。

 

 

『新青年』を彩った作品の全てが探偵ものだとは限らない。今回収録された三作は探偵趣味とは無縁のユーモア小説。端から私の興味の対象外なんだが、既刊の獅子文六再発ちくま文庫に見られた訳のわからない人間の解説執筆や編纂とは異なり、神奈川近代文学館の企画展『永遠に「新青年」なるもの』のタイアップとして『新青年』研究会の浜田雄介が尽力したものだったし、「微力ながら、売上に貢献するか」と思い、旅先でつい購入してしまった。

 

 

帯を見ると「遂に解禁!!! レア過ぎるデビュー作、復刊」とある。確かにこれら三つの中篇は現行本になるのは久しぶりだが〝レア過ぎる〟ってのは言い過ぎだろ。ネットニュースを書いているライターは「~過ぎる」とか白痴過ぎる表現しか浮かばない語彙貧者ばかりだけど、ちくまの中にもこんな陳腐過ぎる売り文句を採用する人間がいるんですなあ。 


 

 

 「金色青春譜」(昭9。ドタバタしてばかりの粗筋でちっとも頭に入ってこない。帯にて推している〝ラブコメ〟色が一番強いのはこの作なんだが、あまりに下らなくて軽妙な文六節を楽しむところまで辿り着けん。根っから私は朗ユーモア小説が好きではないのよ。たとえ非探偵小説でも「亜細亜の旗」「雪割草」には没頭できたし、横溝正史が博文館在籍時に書いていたコントっぽい短篇だったり大阪圭吉のユーモラスな探偵小説みたいなものなら全然OKだけど、こんな風に何のヤマ場もなくダラダラしていては・・・パロディの元ネタである「金色夜叉」を読んでるほうがまだマシだ。ただ、さっき探偵趣味とは無縁の内容だと書いたけれども、〝凡庸小説家〟と書いて〝ししぶんろく〟とルビを振ったり、言葉遊びの点では『新青年』趣味があちこちに横溢している。

 

 

それに比べると残りの二作はまだフックがあり、「浮世酒場」(昭10はタイトルどおり、酒の家「円酔」を根城にする酔客の会話を借りて時事放談を繰り広げる。満洲進出をはじめ暗雲漂う日本の国内外事情をシニカルに風刺していて、当時流行った三原山自殺ブームをおちょくっているやりとりなど不謹慎だが笑えた。こういうのばかり書いてもいられないだろうが、小説の形に拘らず世相を斬る漫談風読物として続けていたらオモロイ本が一冊できただろうに。

 

 

最後の「楽天公子」(昭11)は人の良い三十二歳の伯爵が破産して只の一市民というかルンペンになってしまって、あちこちで騒動を起こすというもの。ラストの微笑ましい♡な結末も含め、普通の読者にとってはこれが一番小説っぽいというか物語性があるかな。巻末には文六の旧全集別巻に入っていたエッセイ「出世作のころ」も再録しているので、『新青年』にデビューする前後のことがよく解る。それと現代人の記憶から失われた当時の流行を文六が作品にしょっちゅう取り入れるのを考慮してか、旧全集に載っていた語句注記も復活。〝昭和丹次郎〟なんてのはフォローしないと何が何だが誰も理解できないが、1960年代末期の読者にわざわざ〝満洲事変〟〝ディートリッヒ〟〝鹿鳴館時代〟といったワードまで注記しなけりゃならん必要はあったのかねぇ?



■ 先行して『新青年』に連載されていた小栗虫太郎「黒死館殺人事件」を意識するが如く、「金色青春譜」においてもどことなく落語に洋行帰りインテリジェンスを練り込んだかのような装飾を施した文章が連なっているのは水谷準編集長のサゼスチョンのせい・・・・・・ではないと思う。

 

 

 

(銀) 本書収録作は獅子文六が亡くなる頃に配本されていた朝日新聞社版『獅子文六全集』を底本としている。好きでもない私が言うのもアレだが、『新青年』企画展に合わせて出すのだし『新青年』の初出テキストを採用すればよかったのに。語句注記も付いててギリギリ彼の生前最後となった朝日新聞社版全集は文六ファンの中でそれほど信頼度が高いのか?その辺の事情を自分はさっぱり存じ上げないのでアル。





2021年5月11日火曜日

『幽霊犯人』甲賀三郎

NEW !

平凡社
1930年2月発売



★★★★   そこまで失敗作でもないのでは?




令和になってもまだ再発されないこの長篇は昭和4710日~119日『東京朝日新聞』夕刊に連載された。画面左上に挿入した書影はその初刊本。まずは76日付紙面に載った「幽霊犯人」連載予告、さらに(私が書き起こした)物語の登場人物一覧から見て頂こう。

 

 

【新探偵小説豫告】  『幽霊犯人』  甲賀三郎氏作  竹中英太郎氏畫

 

(前略)續いて掲載されるのは近時の書界に異常な流行をなして居る探偵小説であります。しかも作者はし界(ママ、下線部傍点あり)の雄甲賀三郎氏、題して「幽霊犯人」といふ。物語は避暑地の別荘無人の室で行はれた奇怪な殺人、高価な指輪の紛失、それ等の事件を中心として放蕩無頼の青年と純情むく(ママ)の少女の戀があやをなし、×××××××× 。作者は近代科學に立脚點を置いて獨自の想像を天がけらせ、一讀手に汗を握らさずには置きません。加ふるにさし畫は新人竹中英太郎氏苦心の余になるもの、物語と繪と相待って眞に奇絶怪絶、興味盡きざる夏の讀物たるは信じて疑はざる所であります。

(一部伏字にしているが、その理由はあとで説明する)



 

 【 登場人物 】


高島儀一/湘南の別荘を所有している老富豪だが女嫌いで跡取りがいない。リウマチのため体が不自由。                  


山川信蔵/儀一の弟。

山川すて子/信蔵の妻。

山川信一/信蔵の息子。大学生だが負債を抱えている。神田秋子とは相思相愛の仲。

山川美代子/信一の妹。


烏田市助/儀一の秘書。

玉井/儀一に雇われている老料理人。


神田秋子/美代子の家庭教師として雇われている。

神田勇/秋子の父。村外れの粗末な荒屋に住んでいるやもめの老人。毎日酒びたり。

呉英造/他人の様子をコソコソ嗅ぎ回るので〝狐爺〟と呼ばれている小男。


西村市兵衛/東京市本所區で骨董屋を営む。

およね/市兵衛の妻。

虎吉/ばくち宿の主。片目で額には一文字の刀傷がある。

おたつ/虎吉の娘。少し頭が足りない。


堀田竹次郎/葉山署巡査部長。

樫田得三/堀田の先輩刑事で先頃退職した。

玉川弁護士/信一の弁護人。

 

 

                    



数ヶ月に亘る新聞連載は既に「支倉事件」で経験済みだった甲賀三郎だが、本作はどの方面でもあまり良い評判を聞かない。それゆえ本当に失敗作だと決めつけていいのか、検証してみたい。「指輪紛失」と「山川信蔵銃殺という出口の無い不可能犯罪」。物語のキーとなる事件を冒頭に起こるこのふたつだけに絞り、あとの部分は人間関係のもつれを重視する流れに組み立てたのは熱心な探偵小説好き以外の多くの人間が毎日読む大新聞の連載である事を考慮すると決して悪くはないと思う。甲賀の長篇はあれこれ要素を詰め込み過ぎて焦点がボヤけるきらいがあり、昭和6年の新聞連載長篇「妖魔の哄笑」などは正にその過ちを犯していた。

 

 

上記の【連載予告】文でわざと ×××××× と伏字にしたのは、その部分で既に犯人を匂わす紹介がされているから。「幽霊犯人」の評価がもうひとつよろしくないのは「犯人が誰か」が序盤の段階で読者にバレバレな展開になっているのも原因である。でもそれって欠点というより、最初から犯人が誰か(フーダニット)を甲賀がこの作品では全く重要視しておらず、どうやって山川信蔵は銃殺されたのか(ハウダニット)、その一点に狙いを絞ったからだろ?もうひとつのポイントは「指輪を盗んだ者とその動機」。

 

                    

 

銃殺方法については伝家の宝刀/理化学トリックがそれほど難解ではない範囲で投入されているので、極端なアンフェア感はない。ネタバレになってしまうのでギリギリの線で言うとすれば、ある登場人物は病的な悪癖を持っている。その設定自体〝そんな奴なんかいる訳ないじゃん〟と笑われそうなものなのだけど、この悪癖が謎の発覚の伏線に繋がってゆくのはちょっと面白い。勿論混じり気の無い本格物を望むのなら手放しでは褒められないが、甲賀作品は残念ながらまだ日本探偵小説史における発展途上の本格長篇にすぎない。それゆえ通俗的だと評されるのだし、むしろ同時期に江戸川乱歩が書き始めた通俗長篇に時々見られる御都合主義なアラと比較したら本作はそこまで否定されるべき駄作でないような気もしてくる。海外の本格物にだって、突拍子もない人物設定は時々見かけるじゃないか。


 

これから読む人が注意してほしいのは、この物語の舞台は実際に甲賀が執筆した昭和4年ではなく関東大震災以前の大正10年前後だという事。登場人物に老人が多いのもあるけれど、なんとなく古臭いアトモスフィアに包まれているのは、昭和でなく明治~大正期を生きた人間の臭いが満ちているからなのだ。言い換えればそれは乱歩よりもっと前の世代、例えば黒岩涙香が活躍した時代であり、この物語を涙香作品と同じ時代感覚で受け止めてやれば、「幽霊犯人」の評価できる点も少しは見えてくるんじゃないかな。決して傑作ではないけれど、眉を顰めるほどの駄作でもないと・・・。



 

 

(銀) この項を書く為に初刊テキストと『東京朝日新聞』の縮刷版をコピーした初出テキストとを軽く照合してみたが、各章のタイトルに若干変更があるのと、初出では〝きつね爺〟と表記していたのを単行本では〝狐爺〟としたり〝ぼたん〟を〝釦〟としたり、ひらがなを漢字変換して文字数というか単行本の頁数をなるべく増やさないようにする処置が取られているだけで、加筆や削除は無いように思えた。

 

 

新聞連載時と同じく初刊本の装幀も竹中英太郎が担当しており、初出挿絵のうち数点は単行本にも収録されている。今回「幽霊犯人」を★4つにした根拠が英太郎の挿画の力によるところもあるのは正直否定できない。もし「幽霊犯人」が再発されるのなら初出テキストを底本に使い、大手出版社の文庫/ハードカバーや盛林堂の本に味気なく収録するより、古書のような雰囲気を楽しめる藍峯舎や龜鳴屋の本だったり、メジャーな出版社だったらせめて春陽堂の小栗虫太郎『亜細亜の旗』のような造本にして、英太郎の初出挿絵も全点収めてくれたら私は100%★5つにするだろう。『東京朝日新聞』縮刷版に転写された英太郎挿絵は美しさをそれほど失っておらず、権利問題さえクリアできれば挿絵を全点復活させる意義は十分にあるのだから。


初出紙最終回の挿絵を見ると「幽霊犯人ヨ、サヨウナラ  十一月六日」という英太郎の呟きが描き込まれていて、最後の挿絵を描き終えたのは実際の連載最終回の三日前だったのがわかる。





2021年5月9日日曜日

『狩久全集/第二巻/麻耶子』狩久

NEW !

皆進社
2013年2月発売



★★★★★   Adult For Only



● 男に愛撫され、男を愛撫することを知った成熟した女のにおいが、その肩の丸さひとつにも あふれていた。

 

「貴女はさっきから、もう覚悟をきめて、こんなに慄えているじゃあありませんか。」

 

● 不愉快な真をとるよりも、快い偽をとりたかった。(中略)                      渇望の亢まった時、僕にとってSEXは求めるべきものだった。

 

「どうしても、貴方がそれをほしいのなら、灯りを消して、できるだけ早く・・・・・」

 

● 私は、もともと、賢い女を好まなかった。女が最も美しいのは、何も考えない時だ。

 

「あたくしを愛しすぎて死ぬとすれば、                                それは先生が日頃から希んでいる安楽死の一種じゃあないの」

 (以上、本巻収録作より)



私の好きなのは、普通にページ数のある短篇。                                    「炎を求めて」「女よ眠れ」「煙草幻想」「或る実験」「あけみ夫人の不機嫌」            「ぬうど・ふぉと物語」「麻矢子の死」「或る実験」「そして二人は死んだ」                  「麻耶子」「花粉と毒薬」「砂の上」


風呂出亜久子の登場作は、瀬折研吉とコンビを組む「呼ぶと逃げる犬」よりも黒衣夫人と名乗りベッド・メイトになる假理先生の犯罪シリーズ「黒衣夫人」「蜜月の果実」に出ている時のほうがコケティッシュでずっと悩ましい。


                   


『狩久全集』のリリースには驚かされたし、その中でも殊更〝性愛の世界〟に耽溺したので  『全集』とはまた別に、そういった作品ばかり選び抜いた彼の本が出ないものかと思う。      とかく世の中セックスレスというのか性愛から遠のく人間が増加していて、                               こんな男と女の〝肉の悦び〟を描く小説を愉しんでくれる読者が一体何人潜在しているのか? てな風に考えたら萎えてしまうけれども、だからって黙っていたら何も変わらない。     数年前に読んだ『狩久全集』を収納函からそっと取り出して振り返りながら、                 彼のエロティック・ミステリーについて、とりとめもなく賛美してみたい。                                    トリックがどうとか海外作家からの影響がこうとか、そういった話題は一切すっ飛ばす。                            本巻唯一の中篇である藤雪夫→鮎川哲也→狩久のリレー小説「ジュピター殺人事件」も無視。

 

 

エロスの魅力と云っても、狩久の書くものをAVやポルノ小説と一緒にしてもらっては困る。   スコット・ウォーカーがどれだけ朗々としたクルーナーvocalで歌っていてもロックン・ロールやR&Bの血が息づいているのと同様に、狩久がどれだけ性愛路線を歩もうとも土台には探偵小説の要素が根付いている。                                  一度でも読んでもらえれば解るけれども、例えば女性が一方的に犯され喘ぎ続けて・・・とか、そんな貧しくロマンの無い物語は見当たらない。それまでの日本の探偵小説に描かれるエロス というのは手を伸ばしても届きそうにない〝女性への憧憬〟みたいな切り取り方が多くて、       ストレートにコンタクトできずに覗き見したり、椅子の中に入って皮越しに女の肌を感じたり、 まどろっこしいパターンがわりと多かったんですわ。

 

 

戦争に負けて時代が変わり、日本人のSEXについての畏れ多さが減少したというのもあるけれど狩久の場合は女性に対する思い入れが誰よりも強固にあるので、誤解を恐れずに言ってしまうと犯罪の重要性は二の次かもしれない。もう少し嚙み砕くならば、先輩探偵作家とは比べもんに ならないぐらい狩久の男性キャラは女の扱いに長けており、どうせ最後の一線を巡って駆け引きしたところでオンナの心と肉体は大抵の場合、オトコにとって都合のいい成り行きをたどる。    狩久の書きたいものはエクスタシーまで行き着かざるをえない男と女の心の機微なのだから、                それは当然かつ必然の展開なのだ。 

 

                    

 

私の好きな蘭郁二郎と狩久に共通するのは、彼らの小説世界の中に生きている女性達が皆(多少の年齢差や職業の違い等はあれど)しっとりと黒く流れる髪・甘い声・やわらかな曲線・均整の取れた肢体の持主しかいないような錯覚を覚えるところで。仮に幼女や中高年女性がいても、  そんなのは話の都合上やむなく配置されているチョイ役に過ぎない。                    男好きのする女性がそばにいて、男性が病身で壮健ではないところも似ているかもしれないが、蘭に見られる被虐的な受け身ではなく、近寄れば破滅が待っているとわかっていても求めずにはいられない。作者狩久がオーバーラップしてくるキャラクター達の、女性を見つめる眼差しには決してもう若くはない男のダンディズムを感じるのである。



ショート・ショートといえそうな掌編の数も多い。                          「誕生日の贈物」「十二時間の恋人」「悠子の海水着」「煙草と女」「紙幣束」                    「なおみの幸運」「石」(昭和29年版)「記憶の中の女」「クリスマス・プレゼント」            「ゆきずりの女」「十年目」「学者の足」「銀座四丁目午後二時三十分」「白い犬」



ひとつ異色なものが混じっていて、「鉄の扉」という力作。                        ヰタ・セクスアリスに目覚めつつあった少年がある日級友によってクラスの面前で辱めを受けて生涯消えそうにない汚点が残り、それが抑えがたき怒りへと変わる瞬間が訪れる。       探偵小説ではない分野でも通用しそうなこのリリカルな底力があったから、            狩久は一味違う〝性愛の世界〟の住人になれたのだ。




(銀) 悪化するコロナの影響なのか5月そして6月と、パッとした探偵小説の新刊も出なさそうだし、近いうちに再び『狩久全集』からいずれかの巻を取り上げてみたい。                            次回もエロティック・ミステリー中心で。



横溝正史『雪割草』の項で「杉本一文はどこが好いのかちっともわからん」と書いたが、杉本がこの『全集』に提供したカバー絵は狩久の世界観にこの上なくマッチしており、これなら素直に褒められる。しかしそれも本当は、装幀担当に大貫伸樹を起用してカラーではなく単色デザインに仕上げるなど、きっと全集制作者・佐々木重喜の手腕のおかげに違いない。