2022年2月26日土曜日

『発掘!ラジオアーカイブス連続人形劇〝新八犬伝〟』

NEW !

NHKラジオ第一
2022年2月放送




★★★★★  視聴者に物語の基調を反芻させるため
           総集編は毎回伏姫八房譚を再現したのか




一話でも多く観たくて観たくてしようがない「新八犬伝」。また新たに発掘された回がNHKラジオで放送されるという。え、ラジオ?
なんでも番組関係者から提供された(全464回中の)第320回(1975826日オンエア)音源だそうで、この度のアーカイブ放送は残念ながら映像は無し。当時の視聴者で番組の音声をカセットテープに録音していた人のエピソードは噂に聞いていたが、関係者にもそんな御仁が?この第320回は当Blogの以前の「新八犬伝」関連記事で紹介した86(本日の記事の最下部にある「曲亭馬琴」のラベル〈タグ〉をクリックして頂ければスキップできる)と同様に、通常の15分から40分に拡大して放送された総集編。




「孫子の代まで、祟ってやるう~ッ」

 


226日土曜午後15分。ドキドキしながらradikoで録音しつつ『発掘!ラジオアーカイブス』を聴く。なにせ時は1975年、テレビの録画ができるVIDEOなんてものはまだ殆どの家庭に普及しておらず、余程の金持ちは別として、世の視聴者はラジカセぐらいしか番組を保存できる手段が無かった。ラジカセをテレビと接続コードで繋がずに、テレビの前にただ置いて録音するだけだと部屋の中に聞こえる雑音まで拾ってしまって、クリアな録音にするのはなかなか難しいのだが、今回オンエアされる音源は関係者提供だからかマスター・テープ並みのハイ・クオリティ。

 

 

 

320回は犬士を探して犬村角太郎が琵琶湖へ赴く「石見太郎坊」篇が一段落したところ。「新八犬伝」ノベライズ本(初刊/日本放送協会版全三巻)でいうなら『下の巻』の序盤。『NHK連続人形劇のすべて』を開いて放送データを確認すると総集編は第86回と、この第320回しか制作されていないようだ。

 

 

 

さて気になる第320回の内容なんだが、
話はかなり後半だというのに(いやだからこそなのか)長い物語のプロローグである伏姫八房譚がまたしても繰り返され、犬士たちの活躍は観られ・・・いや聴けず。だってさあ、このプロローグ部分は劇場版DVDや以前の記事でも紹介した第86回の総集編で十分見られるじゃないの。(第86回はテレビでアーカイブ放送されたけれども、現段階では未だにソフト化されていない)ということは全464回のうち、第86回及び第320回における総集編と題され時間拡大した回は、根幹をなす発端伏姫八房パートを改めて視聴者に復習させるためのものだったのか。これだったら40分の拡大回じゃなくてもいいから、準・総集編といえそうな第176180回「新春顔見世」篇(信乃・額蔵・現八・道節・小文吾・舟虫エピソード紹介)や第405406回「新春いろはかるた上・下」篇(〝いろはかるた〟になぞった「新八犬伝」の各キャラクターとそのエピソード紹介)のほうが聴きた・・・いや観たかったぞ。


 

                    🐕

 


などと、つい繰り言を漏らしてしまったが、たとえ辻村ジュサブローの人形が見れなくとも極上のラジオドラマとして楽しむ事ができるのは言うまでもなく、音声だけで聴くと改めて確認できる声優陣のなんと素晴らしい演技よ。時たまネットで「新八犬伝」をリメイクしてほしいとの声を見かけるけれど、ヴィジュアル面のみならず声の演技/音楽そして脚本に至るまで、旧き良き日本文化である歌舞伎/能/講談のポップな魅力を結集させたこの作品を、デジタルでアタマが退化した現代人が再現するのは逆立ちしたって無理。

 

 

 

86回しかり、第320回も総集編であれ新たに撮影はしなおしているみたいだし、従来の回の映像を再編集したものでは決してないと思う。第86回は語り手・坂本九を全面的にフューチャーし彼が挿入歌を唄うシーンなどがあったが、第320回は純粋に人形劇のみで進行。伏姫の死に至るまでのストーリーを駆け足で見せた後、この時点ではまだ登場していない「仁」の玉を持つ犬江親兵衛を除く七犬士、そしてこれまで登場してきた悪役キャラクター達の紹介が!(ここだけは何が何でも映像で観たかった)



第320回の内容とは完全一致していないが、悪役キャラ集合の図



DVDや第86回で鑑賞できる玉梓が怨霊、悪女舟虫、さもしい浪人・網乾左母二郎、蟇六・亀篠夫婦はもちろん、第320回総集編exclusive、この豪華な悪役の顔ぶれを見よ。


関東管領扇谷定正(!)とその奥方・蟹目前(!)

四六城木工作の後妻・夏引(!)

馬加大記(!)

海賊・漏右衛門(!)

赤岩一角(!)

犬玉梓之介(!)

虬〈ミヅチ〉の悪霊・矇雲(!)

石見太郎坊(!)

 

箙大刀自(!)

彼女は原作『南総里見八犬伝』に出てくる〝そこそこ重要な大物〟なのに『新八犬伝』ノベライズ本ではその存在が割愛されてしまっていた。こうして第320回を聴くことでオンエアではちゃんと登場していたのが判明した訳だ。



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今回のラジオ・アーカイブを聴いて「あれっ?」と思った点。犬飼現八の声を演じた声優は三人おり(井上真樹夫 → 穂積隆信 → 関根信昭)、第320回の時点だと私の記憶ではこの頃はもう三代目の関根信昭が演じていたはずだったのに、radikoから聞こえてくる現八が口上を述べる場面で穂積隆信らしき声が。なぜ現八役は二度も声優が変わったんだろう?そして声優がチェンジした正確な時期はいつだったのか? 

        




(銀) 「新八犬伝」と「ウルトラQ」はテレビ史上に残る永遠のマスターピース。今回のオンエアの中でも触れていたが、第320回の他にも視聴者から「新八犬伝」を約200回分ほど録音したテープの提供があったそうだ。NHKはこの名作をしっかり録画しておかなかった罪滅ぼしとして、提供されたそのープを全て最新の技術を駆使して丁寧にマスタリングし、我々に聴かせる義務がある。



最後に犬玉梓之介の雄姿(?)をどうぞ。本日の記事につきCarina氏、辻村寿和氏、その他すべての関係者の方々に深い感謝を。

彼の名前をよくよく見てみれば・・・。




2022年2月24日木曜日

『劉夫人の腕環』甲賀三郎

NEW !

大陸書館(楽天ブックス POD)
2022年2月発売




★★★★   テキスト入力さえ完璧なら満点だった




大陸書館のコンセプトにぴったりな甲賀三郎作品がセレクトされ、彼の著書に初収録となるものもあって嬉しい。大陸を舞台にした内容ともなれば、そこには大なり小なり戦前日本の拡大方針が描かれているため、本書に収録されている作品は戦後は再録される事がなく、読むに読めない状態が続いてきた。そういう点を重視して本来なら迷わず☆5つなのだが、ここでもテキスト入力ミスがちらほら見つかり、読書への耽溺を邪魔される。とりあえず一作ずつの概況、及び読んでいて気がついた誤入力箇所を記していく。私がミスだと思った箇所の正しい表記(○)は初出誌ではなく、(過去の著書に収録されている作品については)単行本テキストを参照している。

 

 

 

支那服の女」(『雄弁』昭和1010月号発表)

昭和12年の単行本(大白書房)表題作になった事もある短篇。尚子は真面目で身持ちの固い女。貧しい家の出だったが一介のタイピストから東亜探偵局へとひっぱり上げられ、今では秘かに女間諜でもある。その尚子に女学校時代の旧友・綾子から「自分は支那の金持ちの妻になったのだが、ぜひ助けてほしい事があるから上海まで来てほしい」という手紙が届いた。折しも東亜探偵局の上司から上海出張を告げられ、早速向こうで綾子と再会する尚子。すると綾子は昔の男に強請られていると告白し・・・。

 

 

 

「劉夫人の腕環」(『新青年』昭和158月号発表)

これも昭和17年に出た単行本(長隆舎書店)の表題作。国際都市上海のエムパイヤホテル。タイトルから予想されるとおり、新政府筆頭要人・劉秀明の妻が所有する腕環をめぐる攻防。

 

「うでわ」という単語をPCで普通に打つと、どうしても「腕輪」と出てくるから仕方がないのだけれど、本書では文中に出てくる「うでわ」という漢字が全て「腕輪」とタイプされてしまっている(中には「腕輸 ―うでゆ― 」になっているところも)。「環」という字は別に旧字ではないから、書名や章題同様に文中の表記も「腕環」で統一すべき。長隆舎書店版の初刊本を調べてみたが、やはり「腕輪」ではなく「腕環」だった

 

あと、この本の制作者は老眼なのかカタカナの「ペ」と「ベ」を見間違えるようで。

ベン皿(✕) 54頁上段6行目

ペン皿(○)

 

婚約【ルビ/おおなずけ】(✕) 60頁上段2行目

婚約【ルビ/いいなずけ】(○)

 

 

 

「カシノの昴奮」(『新青年』昭和1411月号発表)

上海の賭博場における恋とイカサマのギャンブル泣き笑い話。こうしてみると甲賀って、上海という舞台が結構お気に入りなのかしらん。

 

 

 

「不幸な宝石」(『冨士』昭和72月号発表)

エスピオナージ小説を甲賀はいくつも書いているし、本作が満洲事変直後の執筆とはいえ、昭和ヒトケタのタイミングで(退役軍人は別にして)関東軍や現役の軍人を描いた探偵小説は珍しく後年甲賀が日本文学報国会の一員になる事を思うと色々考えさせられる。

 

 

 

「血染のパイプ」(『雄辯』昭和748月号連載)

昭和7年刊改造文庫(改造社)の表題作だった中篇。改造文庫冒頭の解題で、甲賀は「血染のパイプ」について、このようにコメントしている。

 

〝「血染のパイプ」は探偵小説の本道から云ふと、稍傍道に外れている所があり、多分にスリリング(戦慄)小説の要素を含んでゐる。舞臺を満洲に取つてあるので、意外な結末と共に、時節柄讀者諸君の好奇心を十分滿足せしめると信ずる。〟


 

日本が満洲という新国家を建設しつつある時、千万長者蜷川良作老の娘・瑠璃子が悪の秘密結社赤蠍団に誘拐された。美しく汚れのない瑠璃子の彼氏である『満洲新報』の青年記者・楠本瑞夫は良作に頼まれて瑠璃子を救い出そうとするのだが、最近知り合った友人・井内健太郎/楠本の通報を受けてやってきた民野警部とその部下/現地警察/怪支那人趙儀之、すべて信用できぬ者ばかり。このままでは満洲国は赤蠍団の背後にいる敵国に乗っ取られてしまう。八方塞がりな中で楠本は蜷川家の巨額の財産が赤蠍団に流出するのを防ぎ、瑠璃子を救出できるか?

 

二人は日本によってはならいのじゃ。     (✕) 119頁下段14行目

二人は日本に止(とゞま)つてはならぬのぢや。(○)

 

女関の床に手紙らしいものが(✕) 148頁下段16行目

玄關の床に手紙らしいものが(○)

 

わしにはよじ登る事が出来ね(✕) 191頁上段16行目

わしにはよぢ登る事が出来ぬ(○)

 

 

 

「イリナの幻影」(『雄辯』昭和115月号発表)

春秋社『甲賀・大下・木々傑作選集 霧夫人』に収録。民国政府顧問で親日家のヴィンセント・カスタニエ伯爵は日支提携のため来朝していたが、帰任するその前日にホテルの一室で机に凭れかかって死んでいるのが発見され、その上にはフィルムを取り出そうと後部の蓋を開けた状態のカメラが。イリナという妖婦のエロティシズムに加え、甲賀十八番の理化学トリックも。

 

 

 

「特異体質」(『雄辯』昭和169月号発表)

当時日本の統治下にあった台湾。高砂大学の蒲原医学博士と助手の宮本医学士は検察局から依頼され検死を行う。姜という医師が鎮静剤ブローム・カルシウムを丹毒患者に注射したところ、異常反応を起こし絶命したためなのだが、姜医師はあくまで自分には手落ちは無く患者の特異体質のせいだと主張する。これも一種の理系ネタ。

 

 

 

「海からの使者」(『キング』昭和164月号発表)

昭和12年刊『支那服の女』(大白書房)に収録。都内で医師として働く主人公の〝私〟は過去に患者として面倒を見た矢柄平太なる男の急な訪問を受ける。彼は秘密厳守を前提として、国防を匂わす奇妙な任務を〝私〟に受諾させた。待ちかねていた『華北日報』上の秘密通信を確認すると〝私〟は娘の宮子を連れて、ダットサンを走らせ九十九里浜に向かう。雨の降る真夜中の海辺にやってきた者とは?

 

入力ミスではないけれど〝三月〟〝二月〟という表記が出てくるが、これはMarchFebruaryではなく〝三ヶ月〟〝二ヶ月〟の意味。甲賀の書き癖がまぎらわしい。

 

 

 

「靴の紐」(『満洲良男』康徳912月号発表)

康徳とは満洲国の元号。よって康徳9年は日本でいう昭和17年。編者曰く、これだけは大陸小説ではないが掲載紙『満洲良男』が関東軍による機関誌という特異な雑誌なので、附録として収録したとの事。本作は探偵・木村清シリーズものなのだが、実は『甲賀三郎探偵小説選Ⅲ』に収録されていた「郵便車の惨劇」(『キング』昭和412月号発表/探偵役は杉原潔)のリメイク。『満洲良男』はその全貌がよくわかっていないだけに掲載された探偵小説がひとつでも多く判明するのは有難い。




いつもアイナット氏運営のHP「甲賀三郎の世界」にはお世話になっている。今回もいくつか初出情報を確認させてもらった。感謝。




大陸書館(=捕物出版)の長瀬博之は魔子鬼一『牟家殺人事件』を再発する時に、これまで犯人の名前がいつも誤植されていた事を強調していたぐらいだから、本書に見られる入力ミスの数々は不注意というより年齢からくる視力・集中力低下の問題とは思うが、こうしてどの版元からも立て続けに発生する探偵小説新刊のテキスト入力ミスを見ていると(中には最初からこうした作業には完全に不適格な人間もいるが)、テキストの制作方法が昔のようなアナログな手作業ならきっと起こり得なかっただろうに、PCみたいなデジタルな工程では無意識のうちにタイプミスを犯しがちなのが明々白々。毎回言っているけれども、刊行ペースはゆっくりでいいから一度テキストを入力し終えたなら時間をかけ再チェックした上で印刷・製本に回してほしいんだってば




(銀) 上記でも述べたように甲賀三郎は日本文学報国会に加入しているほどだから、探偵作家の中ではいわゆる保守寄りだったのかもしれないし、関東軍の創刊した『満洲良男』に作品を提供するのもそう不思議ではなさそうに感じる。でもそうすると逆にかなりリベラル派な横溝正史が『満洲良男』に「三行広告事件」を提供したのはどういう経緯があったのだろう?横溝オタも金田一の話ばかりしてないで、たまにはこういう事を真面目に調べてみてはどうか?




2022年2月22日火曜日

『薔薇仮面』水谷準

NEW !

皆進社 《仮面・男爵・博士》叢書 第一巻
2022年2月発売



★★★★★   佐々木重喜、再始動




あの『狩久全集』を制作した佐々木重喜(皆進社)が長い沈黙を破って再び動き出した。それだけでも私にとってはめでたいニュース。でもまさか水谷準のこのシリーズものを新刊として出してくるとは予想外だった。本書に収録されているのはどれも相沢陽吉という主人公が活躍する戦後発表作品。相沢陽吉の職業に目を向けると新聞記者だったりその新聞社系列の雑誌記者だったり、意味もなく所属セクションが微妙に変化している。

 

 

 

今回は収録順とは逆に、長篇の「薔薇仮面」から俎上に載せていこう。
他の探偵作家の新聞記者キャラ、獅子内俊次(甲賀三郎)三津木俊助(横溝正史)明石良輔(角田喜久雄)といった顔ぶれに比べると、どの角度から眺めても悲しいかな相沢陽吉という人物の存在感は貧弱。記者という職業がうまく物語に活かされているでもなし、犯人をはじめ回りを固める登場人物にしたって何かしらの魅力があったり特徴を持つキャラがいない。本格テイストでなくともサスペンス・スリラーとして面白く読ませるのであればそれでもいいが、プロットさえも平坦なのだから読んでて気分が盛り上がらず。探偵小説のプロパーでない作家が書いたものならまだ許される余地もあるけど、水谷準クラスがこれでは苦しい。そもそもタイトルを「薔薇仮面」とする必然性が無いのが一番の問題点。





不満は短篇「三つ姓名の女」「さそり座事件」「墓場からの使者」「赤と黒の狂想曲」にも残念ながらチラつく。水谷準も海外物の翻案はやっているが、ここでは「三つ姓名の女」にて誰でも知っている超メジャー仏蘭西人作家が書いた連作短篇のアイディアに頼っている。『新青年』の歴代編集長が書いた創作探偵小説を振り返ってみると、森下雨村と横溝正史はさておき他の面々は作家としてどうだろう?水谷準初期の幻想系短篇は確かに良い。でも作家としてのトータル・キャリアを見た場合、戦後の作品の中から際立ったものを見つけるのは難しい。


 

 

疑問を抱いているのは私だけかもしらんけど、水谷準って世間で云われているほど『新青年』編集長として本当に名伯楽であっただろうか?江戸川乱歩に『新青年』復帰を促した「悪霊」の時だって、確かに乱歩という人は小説を書かせるのに普通の作家の何倍も手が掛かったとはいえ、結局その気にさせて完成させる事ができなかった訳だし、だいいち昔から準は他人の作品を一向に褒めない性格だったんでしょ。(褒めりゃいいってもんでもないけど)編集長の資質としてはそれでよかったのかな?

 

 

 

よって本書の解説もあまりベタ褒めだといかにも嘘臭くなる。解説を執筆した西郷力丸によれば水谷準の意図する「ユーモア」とは普段我々がイメージする〝クスッと笑えるような〟という意味合いではなく「高踏的姿勢」なんだって。「高踏的」という言葉をネットで調べると〝世俗を離れて気高く身を保っているさま〟〝独りよがりにお高くとまっているさま〟とあった。制作サイドとしては無理にでもポジティヴにまとめるしかないからとやかく言う気は無いが、戦後の準はゴルフに没頭してもいたし、探偵小説の仕事に情熱を傾けていたとは言い難い。


 
 
 
 
(銀) 小説の内容が褒められたものではないのに満点にしているのだから「内輪褒めか!」と勘繰られそうだが、私は本書の制作者・佐々木重喜の探偵小説への愛情には敬意を払っている。今回ばかりは特別に佐々木の復帰を喜び、御祝儀の気持ちを込めた。また本書に収録されている作品は入手難なものばかりで、内容うんぬんよりも手軽に読めるようになった事を重視しての★5つと受け取って頂きたい。探偵小説の世界に詳しくない人が今日の記事を読んだら「この★5つは間違いじゃないのか?」って思われるだろうが、いろいろ意味があるのよ。

 

 

 

もっとも(見つけたのは一箇所だけだったが)76ページに「名刺」とすべきところが「刺」になってて正直「皆進社もか」と一瞬怒りかけた。盛林堂周辺や論創社の本で誤字テキストにはもうほとほとウンザリしているから、皆進社の本に今後こういうミスは無いようにしてほしい。それといくら本書の購買層が中高年に集中しているとはいっても「秘密戦隊ゴレンジャー」を序文(新田康)の引き合いに出すのは読んでてサブい、というかこっちが恥ずかしくなる。




2022年2月13日日曜日

『全体主義の誘惑』ジョージ・オーウェル/照屋佳男(訳)

NEW !

中央公論新社
2021年11月発売



★★★★  この本の内容はもっともなれど
          いささかオーウェルに政治性を求めすぎでは?



ジョージ・オーウェルってSF作家だと思っていたのだが、世の中ではいつの間にか政治的作家と呼ばれているらしい。地球上のすべての国を征服しようとしている中国の危険さに対し、                     毎度おめでたい日本人へ今一度警鐘を鳴らすべく本書が制作されていることは、                                    「訳者まえがき」「訳者あとがき」を読めば誰の目にも明らか。



この記事を書いている間にも、すっかり中国共産党のイヌになり下がったトーマス・バッハ & 国際オリンピック委員会の指揮の下、「チャイナ、スゴイ!」を全世界にアピールするため冬の北京の大茶番運動会は行われている訳で、その開催直前を狙って本書は投下された。                                      日本の莫迦なTV局のアナウンサーが今回のオリンピック会場の食堂で、人間が一切タッチせずに全部機械で作られ天井を伝ってテーブルに運ばれてくる食事を「すごくおいしいですう」などと報道しているが、どんな異物が混入しているかわからんあんなメシ美味い訳ないだろ。


 

                   


 

ここにセレクトされている評論は1940年代に書かれたもの。                                        (オーウェルは1950年に肺結核で亡くなっている)                                 その中からアフォリズム的な箇所を無作為に拾ってみた。                                    以下、【 】は私(=銀髪伯爵)による注釈。

 

 

一  書評:ヒットラー著『我が闘争』(1940

〝ネズミを殺すという段になると、                                        彼【ヒットラー】はネズミを竜のように見せる術を知っている。〟

〝どういうわけか彼は勝利に値する、と感じさせられる。(中略)                                 我々が日頃好んで観る映画の半分はそういう魅力をテーマにして作られているからだ。〟

 

 

二  聖職者特権 ― サルバドール・ダリについての覚書(1944

〝ダリの擁護者たちがダリを持ち上げて主張しているところのものは、                                 一種の聖職者特権であるというのは見て取れよう。〟                                        〝それでも(中略)芸術家は殺人を犯しても良いなどと主張する者も一人もいないだろう。〟

 

 

三  ナショナリズムについての覚書(1945

〝ひとたび自分が味方すべき側はこれだ、と決めると、                                       ナショナリストはそれを絶対に最強であると自らに言い聞かせるのである。                                 そして諸事実が圧倒的にその見方を否定するようになっても、                                       彼はこの信仰にしがみつくことができる。                                              ナショナリズムとは自己欺瞞で調節された権力渇望のことである。〟

 

 

四  文学を阻むもの(1946

〝全体主義国家は、実際、過去の絶えざる偽造を要求するのであり、                             とどのつまり、客観的事実なるものは存在しないと信じることを要求するのである。〟

 

 

五  政治と英語(19451946

〝政治的言語は、虚偽を真実と思わせるように、殺害をまともと思わせるように(中略)、                    と企まれている。〟

 

 

六  なぜ書くか(1946

〝本を書こうとして腰を据える時、                                             (中略)暴きたい嘘があるから、注意を向けさせたい事実があるから書くのであり、                           【オーウェル】の最初の関心事は聞いてもらうということである。〟

 

 

七  作家とリヴァイアサン(1948

〝政治においては二つの悪の中から、小さい方の悪を選ぶということしかできないのである。〟

 

 

八  書評:ジャン=ポール・サルトル著『反ユダヤ主義者の肖像』(1948

〝なぜ反ユダヤ主義者がユダヤ人以外のいじめの対象をさしおいて、                             もっぱらユダヤ人をいじめの対象にするのかについて、                          サルトル氏は論じることをしていない。〟

 

 

九  ガンジーについて思うこと(1949)

〝ガンジーが言うには、親密な友情は危険である、                                           なぜなら「友人は互いに作用し合い」、友人への忠誠を通じて、                                      人は悪行に引き入れられることがあるからである。〟

 

 

                    



九章のガンジーのエピソードには口があんぐり。だってガンジー曰く、                                        「集団自決こそドイツ在住のユダヤ人が為すべきことである」                                    「集団自決をしていたなら、それは全世界の人々、ドイツの人々をヒットラーの暴力に目覚め させたであろう」ってんだもん。んな理屈、誰が承服するんだよ。 

 

 

私だって、香港・台湾・チベット・ウィグル、その他中国に蹂躙されている人達の為にも、          習近平はじめ中国共産党は一刻も早く一掃されてほしいと真剣に思ってるし、                       本書におけるオーウェルの考えには「いちいち、ごもっともです」と納得はする。                       でも一作家としての彼の在り方を鑑みると、エンターテイメント性が横に置かれてしまい、               政治的作家なんて呼ばれる見方のほうが変に肥大化してしまって、                              本書を読み終わった後なんだかモヤモヤした気分が抜けないのだ。




(銀) 翻訳者・照屋佳男は「冷戦終結後、我が国では忘れられた存在となっているオーウェルを甦らせる上で本拙訳がいささかなりとも役に立てば幸いである。」って述べてるけれど、                               オーウェルのどこが国内で忘れられているというのだろう?                                       小説というか著書だけでなく、研究書に至るまで近年いろいろな書籍が出てるではないか。                      ちょっとネットで調べればすぐわかるのに、ご高齢だから御存知ないのかな。




2022年2月11日金曜日

図録『横尾忠則の恐怖の館』

NEW !

横尾忠則現代美術館
2021年9月発売



★★★★   講談社版『江戸川乱歩全集』のイラストは
            すべて横尾忠則に描いてほしかったな




2021918日より神戸の横尾忠則現代美術館にて開催されている「横尾忠則の恐怖の館」展のため販売されている図録(128ページ/価格2,400円)。美術館へ直接足を運ぶか、あるいは横尾忠則関係の通販サイトからしか購入できない。この図録には50代以上の人には懐かしい二度の講談社版『江戸川乱歩全集』に提供されていた横尾忠則の手になるカラー・イラストがまとめて収録されている。該当する乱歩作品はこちら。

「D坂の殺人事件」「赤い部屋」「白昼夢」「屋根裏の散歩者」「闇に蠢く」

「虫」「押絵と旅する男」「猟奇の果」「魔術師」「盲獣」

「鬼」「黒蜥蜴」(×2「人間豹」「石榴」

「暗黒星」「地獄の道化師」「幽鬼の塔」「偉大なる夢」(×2




解説を執筆しておられるのは横尾忠則現代美術館の山本淳夫
さほど詳しくない人が乱歩について語る際、こちらが首を傾げたくなるようなヘンな事を滔々と述べ立てている場面によく出くわすのだけど、この方は乱歩ファンなのか至極真っ当な内容なのがよろしい。講談社版『乱歩全集』が書店に並んでいた昭和の頃、一冊一冊買い集めていたヨコオ贔屓の私は全てのイラストがなぜ横尾忠則でなく古沢岩美や永田力と分担なのか、わがままにも納得がいかなかったものだ。

講談社版『乱歩全集』を手にした多くの人が感じたとは思うが、ヨコオのイラストは、時にモッサリ風で漠としている他の画家の絵(=あくまで私個人の印象)とは全く異なるオーラを放っている。そのあたり山本淳夫が解説の中で的確な分析をしており、ホンの一部だけど重要な部分を図録テキストより抜粋して紹介。



 他の二者⦅注:(銀) 古沢岩美と永田力のこと⦆が茫洋としたほの暗い画面により、都会の闇で起こる猟奇的な世界観を表現しているのに対し、横尾の作品は切れ味の鋭い線描と鮮やかな色面による明晰さが際立っている。さらに、必ず小説のタイトルを毛筆体で画面に書き入れているのも、他と大きく異なる点である。 

 

 挿絵を構想するにあたり、横尾は小説を通読するのではなく、ランダムにページを開き、目に飛び込んできた断片的な語句から、自由にイメージを膨らませていった。




まだ一度もヨコオによる『乱歩全集』提供イラストをご覧になった事がない方のため、サンプルを一点お見せしよう。初めて私が講談社版の『乱歩全集』を読んで以来、最も脳髄に取り憑いて離れなかった挿絵がこれだ。


           

              「暗 黒 星」( © 横尾忠則 )


名探偵明智小五郎をして「胸の中に美しい焔が燃えている感じだ。その焔が瞳に映って、あんなに美しく輝いているのだ。」と言わしめた美青年・伊志田一郎。張り付いたような薄気味の悪いニヤケ顔、そして意味不明な片目の充血が効果的。画家のサインが〝ハンコ〟という日本人ならではの遊びもイカしている。




ここに収められている二十点のイラスト以外にも、ヨコオが『乱歩全集』広告のために制作した図版が存在するのだが、この図録には殆どピックアップされていないのが非常に惜しい。それらも見たいのであれば、例えば大判の画集『横尾忠則グラフィック大全』(講談社/1989年刊)がある。ポスター/マッチ/レコード/化粧回し/ドラマのOP映像/書籍/服/オブジェ/買物袋/舞台セットetcetc・・・すべて書き並べるのが大変なくらい様々なモノをデザインしてきた彼の主要作品が網羅された、横尾忠則のことが好きならば必携の一冊だ(現在は古書でしか入手できない)。70年代のヨコオはまさに(時代のポチになるのではなく)完全に時代をポチにしていた。


            

              『横尾忠則グラフィック大全』



(銀) 『横尾忠則の恐怖の館』展の開催は今月(20222月)27日まで。図録は通販サイトでも購入でき、希望すればヨコオのサインを入れてもらう事もできる。ただ配送方法がヤマト宅急便しか使えないらしく、通常より送料が高くつく。ネコポスや日本郵便のレターパックも使えるよう、そこだけは改善してほしい。

  

 

今日は『江戸川乱歩全集』の話に偏ってしまったが、それ以外にも図録には60年代から今世紀に至るまで、ヨコオが制作してきたオブスキュアなイラストやペインティングの数々がズラリと並ぶ。最後のページには、ヨコオが全装幀を手掛けた林不忘・谷譲次・牧逸馬『一人三人全集』(河出書房新社/1969年刊)より、彼が挿絵も担当した牧逸馬の巻からイラストが一点セレクトされている。



ここでいう講談社版『江戸川乱歩全集』とは函入り単行本の事であって、同じ講談社の本でも『江戸川乱歩推理文庫』は含まれない。これから古書で集めたいと思う方はお間違えなきよう。





2022年2月9日水曜日

『冷血の死』レオ・ブルース/小林晋(訳)

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ROM叢書⑯
2020年12月発売



★★★   たまには海外ミステリ同人出版の話題も



ROM(=Revisit Old Mysteriesという、ハンパなくマニアックな海外ミステリ好きの人達の会がある。このROM叢書はそこから発刊されている同人出版本なので、普通の書店や通販サイトにて入手できるものではないが、渕上痩平訳によるオースティン・フリーマン「オシリスの眼」「キャッツ・アイ」の完訳版などはROM叢書で出されたあと、ちくま文庫の一般発売にも発展している。


本書の翻訳者・小林晋は以前よりレオ・ブルースの普及活動に邁進してきた人で「冷血の死」はレオ・ブルースのシリーズ・キャラクター/上級歴史教師の素人探偵キャロラス・ディーンが登場する二番目の事件。ちなみにこのところ、その悪行(?)が注目されている盛林堂書房でもROM叢書の少部数の販売はされているが、先日の当Blog記事に取り上げた盛林堂関係者のROM叢書制作への関与は(とりあえず)無し

 

                   

 

ロンドンより南、海辺に位置するオールドヘイヴンの観光地。ザ・イヴニング・コール紙の社主で土地の町長でもあるウィラル老人は大の釣りキチ、桟橋で糸を垂らすのが日課でもある。その御仁が釣り竿だけ桟橋に残したまま姿を消し、疑わしい時間帯に老人の行き先を目撃していた人はいなかった。


斯様な状況下で四日後、一マイル離れた砂浜にて彼の溺死体が発見されるが、ウィラル老人はカナヅチではなかったから海への転落事故とは考えられず、孫の誕生を待ち望んでいた事/さして体調も悪くなかった事からしても、自殺する理由とて見当たらない。ちょうど休暇でオールドヘイヴンを訪れていたキャロラス・ディーンは、ウィラル老人の娘グレタとその夫ジャック・ファースから捜査を所望される。

 

 

 

では事件のシチュエーションから触れていこう。記事左上にupした、本書の書影画像をご覧頂きたい。こんな具合に海上に鉄骨で建てられた桟橋があって、ウィラル老人はそこで釣りをしていた。実際、物語の中では桟橋の脇に海面へと降りる階段が存在、海面には別に浮き桟橋もある。この、一見オープンエアなクローズド・サークルと思わせる現場の特殊さが怪しげなだけに、(本書表紙のイラストはあくまでROM叢書制作サイドがイメージしたものと思われるし)作者のレオ・ブルースが十分な桟橋周りの図を入れてくれてたらより解り易かったのだが、それが無いってことはきっと原書にも見取図は載ってなかったのだろう。

 

                    

 

前半はよくある本格物の型どおり退屈な聞き取りが続く。作者はそれも計算尽くのようで、地元警察がキャロラス・ディーンに「素人が出しゃばるのはやめろ」とイヤミな注意をするそのあたりから潮目が変わり、徐々にテンションが上がってゆくからご安心を。(本作では最後まで警察はキャロラスに好意的な態度を見せない)


ある人物が小屋で殺害されているのを発見したキャロラスは非協力的な警察を抱き込み、真犯人をおびき寄せる餌を捲くところなどは前半のダルさを一掃してくれる見せ場なのだが、終わってみると「この犯人がゆえの動機としてはどうも書き方が貧弱だなア」とか、「え、犯人もう其処で諦めちゃったんだ?」などと感じる局面もある。私が学園ミステリを好きじゃないからかもしれないけど、キャロラスが勤める学校の出しゃばり生徒プリグリーは一種のコメディ・リリーフなんだろうが、このガキの存在もちょっとウザイ。校長センセイはいいんだけどさ。

 

                     

 

何度もいうけど前半は鈍重だし、ちょいちょい出てくるウィラル老人の遺産分配問題についてもその配分一覧がドーンと読者に表示されないのはどうなのよ?とか、不満はいろいろあるけれど終盤のサスペンスの印象は良かったのでそれほど悪い読後感ではなかった。ただ、解説執筆者はもっと他のROM会員に担当してもらいたい。

 

 

 

(銀) これからレオ・ブルースを読もうと思っている方へ。本作にはキャロラス・ディーン・シリーズの前作にあたる「死の扉」の肝心な部分について平気で言及されているので(な、なんでよ?)、できれば『死の扉』(創元推理文庫)を先に読んでから本作、という風に順番に読み進めていったほうが、知りたくない事を知ってしまって愕然となる悲劇(?)を避けられます。




2022年2月6日日曜日

盛林堂書房周辺と左川ちか問題(その後)

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2022118日当Blog上にて、東京西荻窪の古書店・盛林堂書房周辺の輩が手掛ける同人出版本がどれだけ不実に造られているのか、左川ちか研究者・島田龍がTwitterにて告発したニュースをお伝えした。(まだお読みでない方はココをクリック)

私はSNSなどやらないが、私の書いた当該Blog記事を目ざとく見つけ、Twitterで拡散して下さった方があったらしく、それを更に島田龍が後押ししたからか118日付記事のみならず、以前よりupしていた鷲尾三郎本の酷さをレポートする記事までもが通常の閲覧数の数十倍にも跳ね上がり、2月も第2週になろうとしているのに、その閲覧数の増加はいまだ衰えそうもなくて少々驚いている。

 

 

勿論それは Twitterの力による伝播に他ならないし、結果どんな人達がどんな風にこのBlogを受け取っているのかまでは掴めないのだけれど、興味本位であれ、この偏狭な問題を気にかけてくれる人がそんなにいるとは思わなんだ。取り扱う内容が偏っている上、誰もが見て見ぬフリする本当の事ばかり書いているし、大勢の人に閲覧される事を期待してこのBlogを始めた訳ではないとはいえ、これまで私がコツコツ暴き立ててきたミステリ・マニアや古本ゴロの体質が世間に少しでも認識してもらえるならいいのだが。




あれから、化けの皮を剝がされた盛林堂周辺の当事者たちは?




 問題となっている本の編纂者であり、その時々によって名前を使い分けている善渡爾宗衛よしとに(@onedaba

118日の当Blog記事にて紹介した反論ツイート以降、この件に関しダンマリを決め込んでいる状態。左川ちか同様に盛林堂を販売窓口の中心として懲りもせず自分のレーベル〝えでぃしおん うみのほし〟より発売した『初稿 冥途』(内田百閒/編纂 紫門あさを)の宣伝を繰り返しているのみ。前回も書いたけど紫門あさをというのは善渡爾の別名。今度は内田百閒とその読者が被害を被ってなければいいが・・・。



▼ 小野純一盛林堂書房(@seirindou

善渡爾に同じ。



 小野塚力りき(@onozukariki

ダンマリどころか、いつの間にか Twitterが非公開に。なんとも解りやすい逃亡リアクションだこと。



予想どおり、だね。ま、仮に潔く非を認めたとしても、(左川ちかの本については私は判断できんが)少なくとも善渡爾宗衛が作った鷲尾三郎の本に関してはあまりにミスが多過ぎて、正誤表を作ったりそれを購入者に配布する事もできまい。ていうか、そんな誠実さがあるなら最初からあんな無惨な本造りなどしてないだろうけど。それよりも深刻かつ滑稽なのは、物事を見抜く洞察力が完全に欠落しており、猿のオナニーよろしく本にヨダレを垂らしてばかりの連中が今回の件に関して、貝よりも当事者よりも固く一律口を閉ざしているという点でしょうな。




今更どうしようもない当事者たちの立場も一応理解はする。プライドが許さないとか、一旦お詫びのステイトメントを出してしまったらとんでもない事態になるのが心配だとか、そんな風に考えているのであれば、唯一彼らに残された道は今後誰からも後ろ指をさされない完璧な良書を一冊一冊作るよう心を入れ替えるしかない。ただねえ、長年苦々しく観察してきたこのギョーカイの振る舞いを思い起こす限り、当事者たちは誰一人として反省してない気がするのよ。何故かって? そう考えざるをえない根拠のひとつとして、このデータ(☟)を提示しよう。




これは古書通販サイト/日本の古本屋における耶止説夫の『南進少年隊』という古書が販売された状況を示したもの。まずは大阪の斜陽館という古書店がupしていたデータ。


売切れになっているからその時の販売価格は今見れないけれど、25,000円だったんですよ。どうしてわかるんだって? その時私、これ買おうかなどうしようかなって悩んだもの。高いから結局買わなくて、そのうち売切れに。



それからしばらくして、この『南進少年隊』が再び日本の古本屋で販売されているのを知った。販売していたのは盛林堂書房。これも現在売切れ表示で、upされた当時の価格はもう見れないが現在こちらの盛林堂通販サイトにて、斜陽館と同じ価格でまだ販売されているようだ。

                     

ここからが大事なところで、誠に御手数だけども上の画像をクリック拡大し、ふたつの『南進少年隊』の書影をじっくり見比べてもらいたい。斜陽館が販売していた『南進少年隊』の〝南〟という漢字の部分を見ると、タテに汚れのような跡があるのが目視できるでしょ?そして盛林堂がのちに販売した『南進少年隊』の〝南〟のところもよ~く見れば、アラ不思議。寸分違わぬ汚れが付着しているではないか。(紙の色合いが微妙に違って見えるのは撮影時の光の加減の差だ)



御承知の方もおられようが、この『南進少年隊』が古本市場に出てくるのは非常に稀。それぐらい現代において残存数が少ない一冊なのに、表紙の汚れの位置まで全く同じものが都合よく二冊も存在すると思います?古本業には〝セドリ〟という行為があるとはいえ、世の中ここまでアコギな人種が存在する事実のみをお伝えし、このデータが何を示しているのか、それ以上の解説はしないでおく。状況証拠は提供したから、あとは本日の記事をお読みになられたおひとりおひとりがよく考えて頂きたいのです。





(銀) このBlogはわざと利便性を排除する方針でやっているが、今回は問題が問題だけに(?)珍しく一般性を考慮して、いくつかリンクを貼っておいた。



問題となった『左川ちか文聚 左川ちか資料集成・別巻 ―詩歌・譯詩・散文― 』だが、盛林堂の通販サイトでは販売されてないだけで、同じ穴の貉である者達によって、こっそり売られているのにお気付きだろうか。





喜国雅彦の本に登場する彩古という古本ゴロの経営する「古書いろどり」の、ヤフオク上でのIDirodori_18 による出品





まんだらけ通販サイトによる、まんだらけ中野店海馬の販売




この分だと、ほとぼりの冷めた頃に当事者たちまでもがヤフオクやメルカリ等で「販売中止になったレア本!」などと言って在庫を吐き出すこともありそう。要注意。