2021年4月5日月曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎②

NEW !

春陽堂書店
2021年3月発売




②  なんと複雑な新聞連載事情



長い長い年月を経て、初めて単行本に収められた「亜細亜の旗」とは___。細民も多い上海の街角に日本人が建てた病院の顔として、内地での名誉に背を向け日本思想を支那人に理解してもらえるよう現地医療に心血を注ぐ生真面目な医師・峰島譲治が主人公。そこへ慎み深い自己犠牲心を持つ複数の女性が譲治への愛を秘めて苦悩したり、彼らの恋愛を妨害しようとする敵役の男が複雑に絡み合うという、あの小栗虫太郎が書いたとはとても思えないベタな展開に、読了して私はある意味膝カックンされてしまったような気分でいる。

相関図の背景は真っ最中だった日中戦争の不穏さに包まれているが、とどのつまり話の骨子は、一昔前の民放でよくやっていた昼メロ・ドラマと何ら変わり無い。昔から日本人女性のDNAには惚れた腫れたのすれ違い物語に抗えない何かがあるのだろう。

 

 

しかも、上海の異国性や東亜の新秩序建設の重要さを小難しい漢字+ルビでコテコテに表現する事さえ忘れてしまったかの如く、会話パートが多いばかりか、全体に亘って改行が十分なされているので文章の晦渋さはゼロ。登場人物の中に抗日テロリストが混じっており、終盤で峰島譲治が命を狙われる場面はあるものの、探偵趣味もほぼゼロと言っていい。清廉潔白なる男性医師とそれを取り巻く女性の恋模様で読者を引っ張る筋立てから、戦時下における探偵小説家の異色作としては横溝正史「雪割草」よりも大坂圭吉「村に医者あり」(「ここに家郷あり」)に近いなと感じた。

 

                   



「亜細亜の旗」において興味を引かれる要素はストーリーよりもむしろ混迷を極めた当時の新聞連載事情にある。掲載新聞が(判明しているだけで)なんと七紙にも及んだというのだ。しかも当初のタイトルは「亜細亜の旗」でなく「美しき暁」。では、その過程を見てみよう。



『京都日日新聞』    194111日 ~ 630
「美しき暁」179回にて連載打ち切り(理由は不明)
虫太郎の直前に同紙で連載していたのは横溝正史の「雪割草」。
つまり「雪割草」の最も早い発表誌は『新潟毎日新聞』でなくて、この新聞だったとの事。
「美しき暁」というタイトルだと、ヒロインの一人・亀井暁子を特に想起させる。
それを避ける為に「亜細亜の旗」へと改題したのか。


 

『東奥日報 夕刊』   1941124日 ~ 919
「亜細亜の旗」196回まで連載したが、919日に残りの回の粗筋を記して打ち切り
夕刊をタブロイド判へ紙面減少するという新聞社側の都合によるものか?


 

『九州新聞』      1941317日 ~ 1126
「亜細亜の旗」/全245回 ➤ 初めての完走
本書の底本は(いくつかの欠落回を除き)この新聞のテキストが使用されている。


 

『伊予新報』      194146日 ~ 121
「亜細亜の旗」186回で中絶
掲載新聞が地元他紙と合併する事によるもの?


 

『防長新聞』      1941516日 ~ 1942130
「亜細亜の旗」235回にて打ち切り
あと一息で完結したのに、これまた掲載新聞の合併によるもの?


 

『紀伊新報』      1941730日 ~ 1942614
「亜細亜の旗」/『九州新聞』に次いで、二紙目の完走


 

『加州毎日新聞』    194195日 ~ 127
「亜細亜の旗」93回以降の掲載を確認できず、詳細不明



                   



如何だろう?こうも度々、不運な打ち切りに遭う事なんてあるのか?
思えば1941~1942年の日本は新聞統制を目的に、一県一紙令を推し進めた。その煽りをモロに食った作品の一例が「亜細亜の旗」だとも言える。また、戦前の新聞小説事情に詳しい研究者にとっては周知の事実なのかもしれないが、同一長篇が(しかもほぼ同時期)こんな多くの新聞に連載されていた事が私には衝撃的だった。戦時下ゆえ、大衆の娯楽にも喧しい縛りが多くなり、新聞小説の世界では「なるべく既存の作品を各地の新聞で使い回して掲載しろ」みたいな不文律でもあったのだろうか? まさか、ね。



今回の発見は山口直孝がたまたま熊本出張中に熊本県立図書館を訪れ、前回の「雪割草」のお宝発見に味を占めたのか、『九州新聞』のマイクロフィルムを閲覧していたら偶然「亜細亜の旗」を見つけたと報告している。で、その事を回りに知らせたら、熊本以外の新聞からも続々と同作の連載が見つかったそうなのだ。最初に出会ったのが無事にエンディングまで完走した『九州新聞』だったから単行本の発売までスムーズにこぎつけられたけれど、これがもし打ち切り・中絶した新聞(特に『加州毎日新聞』とか)で「亜細亜の旗」を発見していたら、完全なテキストを揃えるまで、とんでもなく余計な時間と労力を要したかもしれない。



本書には、『九州新聞』連載時に付された坂本仁という画家の挿絵も(全部ではなさそうだが)収録されている。585頁には『京都日日新聞』『東奥日報夕刊』『九州新聞』『紀伊新報』の紙面が紹介されていて、それを見ると少なくともこの四紙においては共通に坂本仁の挿絵を載せていたようだ。

そして本作に関して山口直孝は〝家庭小説〟だと形容しているが、この585頁『紀伊新報』紙面の「亜細亜の旗」というメインタイトルの右側には〝東亜建設小説〟なる小さな角書きが読み取れる。この東亜建設という言葉をどう解釈するかにもよるのだが、誰がどう読んでも本作はすれ違いドラマにしか見えないとはいえ、小栗虫太郎の小説である事を考えると、作家本人の執筆時における意識に相応しそうなのは〝家庭小説〟よりもやっぱり〝東亜建設小説〟のほうだったんじゃないかな、と愚考してしまう。




虫太郎スペシャルは二日分の記事で終わらせるつもりだったが、
もう少し言い足りない部分が残っている。という訳で ③ につづく。