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2024年9月27日金曜日

『盲目の目撃者』甲賀三郎

NEW !

春陽文庫
2024年9月発売



★★    疑問噴出





Good Select。今迄この辺の作品が『甲賀三郎探偵小説選』Ⅰ~Ⅳに採られなかったことのほうがむしろ不思議な位で、順当だと思う。まあ編者の日下三蔵が日頃から甲賀三郎をよく読み込んでいる筈もなく、大方ファンサイト『甲賀三郎の世界』の「小説作品リスト」を覗き、「これは本格探偵小説だ」とコメントしてあったり評価の★が45個付いているものの中から、現行本・未収録作をとりあえず拾い出したっていうのが本当のところだろうけど。

 

 
 
ここに収められた三つの中篇を咀嚼すれば、作者が盲目の目撃者」と「山荘の殺人事件」にて本格系の成果を狙っているのは明白。ただ日本の探偵小説を細かく読まれている方なら御承知のとおり、隙の無いロジックを甲賀三郎に求めるのは難しい。

 

 

「盲目の目撃者」というタイトルの意味するものは、南米航路の客船・ブラジル丸沈没事故から生還した天涯孤独の主人公・井田信一青年ではなく、奈美子というめくらの老婆である。彼女の目が不自由な設定は情に訴える演出として活かされ、後述するメイントリックに直結している訳ではない。緑川保と名乗る怪紳士の奸計により、何度も身に覚えの無い殺人容疑を掛けられる井田。その中には不可能犯罪もあって、〝或るもの〟を使ったアリバイ偽装工作が描かれている。

 

 

こう書くと、未読の方は少なからず期待してしまうに違いない。しかし、読んでいてどうしても看過できぬアラがあり、そこが引っ掛かってしまう。

例えば第一の殺人現場。緑川保に指示されるがまま、既知の女性と会うため他人の住居へこっそり侵入した井田をその家の主・川島友美が見つけて問い詰める場面がある。床に落ちていた凶器らしきものを拾った川島から「これは君の短銃だな」と言われて「そうです」と即答する井田。この短銃、彼がまだ南米に居た時分紛失したものなのに東京の地へ突然現れたのだから、実物をじっくり手に取った上で自分の所有物だと思い出すのが普通の描写だろう。まるでいつも持ち歩いているような書き方ゆえ、なんとも不自然。

 

 

もうひとつは第二の殺人現場。ミステリ的に一番の見せ場となるシーン。
本書99頁ではこんな風に書かれている。

 

薄暗い廊下を緑川に急ぎ立てられながらオズオズと進んで行くと、突然奥のほうで異様な声が聞えた。

ああ、それは一生忘れることの出来ない、恐ろしい叫び声だった。それは声というよりも、一種のうめきだった。

人殺し!人殺し!

確かにその声はそう叫んでいた。続いて、ぎゃっという、断末魔の叫び。

それっきり、音はなくなって、後はひっそりと静まり返った。

 

ところが。
この殺人トリックの謎が暴かれる132頁を見ると・・・辻褄が合ってないではないか!
どう矛盾しているかはネタバレになるので、ここには書けない。読んで確認されたし。

 

 
 

「山荘の殺人事件」は、吹雪の富士見高原が舞台。別荘の地下室にて短銃を打つ練習をしていた香山(製絲工場の経営者で別荘の持主)が室内で射殺され、一緒に練習をしていた瀬川(語り手の夫)が失踪してしまうというストーリー。閉鎖空間での犯罪をはじめ、本格っぽい装飾が各所にちりばめられているようには映る。けれども人の出入りが妙に多かったり、肝心の香山殺しに関するトリックも、甲賀の思い描くイメージはそれなりに理解できるんだが、やっぱり書き方が乱暴なため、フェアな本格としては小煩い評論家やマニアに評価されにくいと思う。 

 

「隠れた手」主人公から見て、敵対する人物が次々スライドしてゆく過程がちょっと面白い。それよりも一番気になったのは、作中にてセレブ御用達かつ帝都随一と描かれている東洋ホテルの造り。


冒頭、事件の発生するスペースは特にスイートルームでもなさそうなんだが、昔のホテルの部屋には、他者が泊まっているであろう隣室に通じる扉が普通に存在したのかな?だとしたらセキュリティはどうなるのだろう。それにドアのロックも、当時は今みたいな自動施錠ではなくてサムターンみたいな手動タイプじゃないかと思うんだけど、廊下側から第三者の手で部屋に鍵を掛けられたら室内に居る人は出られなくなるってホント?凝り性の編者なら、こういう疑問を解説頁でキチンと説明してくれるんだけどね。

 

 

 

甲賀作品自体の出来不出来で大きく減点することは無いものの、本書は誰が校正・校閲しているのか知らんが、相変わらず商業出版とは思えぬテキスト・クオリティー。
以下、〈下線〉や〈注〉は私(=銀髪伯爵)による。



363行目

あなたの知っておられたころは今嬢でしたろうが、

今嬢って何だ?と思い、初刊本の新潮社長篇文庫版とその次に出た日本小説文庫版(春陽堂)、二種の『盲目の目撃者』単行本で確認したら、令嬢が正解だった。PCで「れいじょう」と打って「今嬢」に誤変換はしない筈なんだがな~。



438行目

緑川は銀座の行きっけのカフェ・ミニオンで (✕)

緑川は銀座の行きつけのカフェ・ミニオンで (○)



15513行目

無口な夫さえついに似ない冗談口を (✕)

無口な夫さえいつに似ない冗談口を (○)



1802行目

白い指に、ピンク・レディを挟むと (?)

白い指に、桃色の貴婦人を挟むと (○)

初刊本の日本小説文庫版『盲目の目撃者』所収「山荘の殺人事件」では、桃色の貴婦人と書いてピンク・レディとルビを振っている。本書は底本何を使っているのか明記されてないけれど、なぜ「桃色の貴婦人」表記しなかったのだろうか



2079行目

不吉な送葬曲などを (?)

ココ、日本小説文庫版テキストが送葬曲と表記していて、底本に忠実という意味なら間違いではない。しかし、この言葉はこのあと何度も出てくるが、その殆どにおいて葬送曲とされており、送葬曲は作者の意図ではない明らかな誤植と断定して何も問題は無く、葬送曲に統一すべき



208頁小見出し

ルビーの指輪 (?)

紅玉の指輪 (○)

確かに日本小説文庫版の文中では〝紅玉〟と書いて〝ルビー〟とルビを振っているが、小見出しにそのルビは無い。なんでルビー表記?



235頁小見出し 他

殺人の研究 (✕)

殺人の研究 (○)

〝殺人の研究〟とは物語に登場する書物のタイトルである。日本小説文庫版ではハッキリ〝二重かぎ括弧〟を使っているんだし、本書も『殺人の研究』するのが正しい 。

 

 

 

(銀) 今回カバー装画に横尾忠則まで担ぎ出して春陽堂もご苦労なことだが、最も神経を使うべきテキストは全体を俯瞰せず盲目的に入力・校正しているもんだから、〝送葬曲〟なんていう誤植まで、そのまま引き継がれている。素人の同人出版しかり商業出版しかり、これが探偵小説/SF/幻想文学を復刊する業界における本作りの現状である。




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2024年6月21日金曜日

『荒野の秘密』甲賀三郎

NEW !

春陽堂文庫
1932年8月発売



★★★★   探偵も警察も出てこず、トリック無しで勝負




『随筆黒い手帖』(☜)にて、戦前の国内探偵小説をお化け屋敷と揶揄した松本清張。先輩作家にもかかわらず故人だからか、甲賀三郎に対する物言いはとりわけキツイ。ただ、その中で、〝「荒野の秘密」の前半は印象に残る〟と洩らしている点が私は気になった。もし清張が甲賀を評価するとしたら、その作品は無難な「支倉事件」あたりでお茶を濁しそうなものなのに「荒野の秘密」とは意外だ。もう何年も前に読んだっきりだし、粗筋はおおよそ覚えているとはいえ、ディティールまでは頭に浮かんでこない。それで、この長篇を読み返してみる気になった。

 

 

 

「荒野の秘密」は婦人層をターゲットにした月刊料理雑誌『料理の友』に昭和61月号から昭和71月号まで連載された。挿絵担当は亀井実。戦前の女性誌に載る長篇探偵小説は大抵の場合においてメロドラマ風になる傾向が高く、これなどまさにその王道路線と言えるだろう。では登場人物を見て頂こうか。

 

 

 

【町田玲子】

御多分に洩れず、清純で美人な主人公。母はいない。

 

【町田陶造】

東京に居を構える玲子の父親。会社退職後、雑誌に小説風の実業物語を執筆している。玉垂村という茨城県下の寒村にある荒地が競売に出されたので、その土地を競り落とすよう現地に玲子を差し向ける。

 

【須田男爵】

白髪長身、六十恰好の品の良い老紳士。荒地競売入札者の一人。かつてはその村の大地主だったらしい。

 

【原山繁】

やはり東京からやって来た荒地競売入札者の一人。母一人子一人で暮らしている青年画家。

 

【原山きし子】

繁の母。因循な引込み思案、昔風の女性。亡き夫の意向により、九州の片田舎で人目を避けて侘しい生活をしていたが、幾つかの理由が重なった事から東京へ移住。なぜか町田陶造は彼女の顔をスケッチした画用紙を隠し持っていた。

 

 

 

【豐沼三吉】

玉垂村に近い山田村の住人。乱暴な獣のような気質と優しい地蔵様のような気質、二面性を持つ野卑な大男。玲子を自分のものにしたがっている。

 

【おくま婆】

玲子を敵視する意地の悪い老婆。

 

【博徒の源公】

玉垂村の外れにある飯屋の主人。前科持ち。彼の妹に関して豐沼三吉と対立。

 

【お力婆】

隣村から豐沼三吉の家に呼び寄せられた老婆。産婆・看護婦の経験あり。

 

【栗田春樹】

お力婆さんの回想に出てくる、農村へやってきた男振りの好い都の青年。自称画家。

 

 

 

玉垂村の荒地に埋められている忌まわしいもの、それを取り巻く謎が本作の背骨であることは言うまでない。さしたるトリックも見当たらず、涙香調スリラー劇のいったいどの部分が清張の心の襞に引っ掛かったのか?どうも私にはピンと来ないのだが、想像を逞しくして思い当たる理由を列挙するとしたら、こんな感じになる。 

 

A レギュラー・キャラクターに限らず探偵役、いや警察さえも使っていないこと
  → なんせ庶民派の清張は名探偵キャラが嫌いだからなあ。

 

B 競売のシーンから始まるというのは、確かにユニークかも。
   しかも売りに出されているのは、お宝でもなんでもない只の土地だし。

 

C 寒村に住む田舎の人々、通り一遍でない豐沼三吉の性格、この辺がよく書けている?
  → 田舎が描けてりゃ良いってもんでもないが。

 

D 本作のクライマックスで明らかになる数々の真相は、リアリティ最優先の清張から見ると、いかにも探偵小説らしい〈力任せ〉の産物だったので、飛び道具を使わずじっくり書けていると思ったストーリーも、最期のほうになって失望させられてしまった。だから、其処に至るまでの前半だけを褒めた?

→ 結末のサプライズに強引にぶっこんだ〝成りすましの錯覚〟について、甲賀は「常に暗がりだったから」と一応説明しているものの、この部分はいくら探偵小説とはいえ、詰めが甘かったと私も思う。

 

 

 

決定的なネタバレにならぬよう肝心なところはボヤかしておいたけど、私の浅い読解力ではこれぐらいしか浮かばない。まあ清張も高飛車な言い方をした手前、ちっとは甲賀をフォローしようとして、たまたま「荒野の秘密」を持ち出したのかもしれないけどね。

 

 

 

ただ読み返してみて思ったのだが、上段にて触れた〝錯覚〟の真相に至るまでの大枠は、アクロバティックな活劇や誰も知らない特殊知識によるトリックに頼らず、ミニマムな状況設定だけで勝負できている。黒岩涙香直系のオールド・スクールな題材だけれども、読み手をグイグイ引っ張り込んでゆく甲賀三郎流ストーリーテリングの見事さが如実に表れていて、本当は★★★★★にしたいぐらいの、楽しめる内容じゃないか。探偵役のレギュラー・キャラクターや理化学トリックを使わずとも、この男は面白い小説を書けるのだ。

 

 

 

 

(銀) 甲賀の随筆集『犯罪・探偵・人生』に収められた「探偵小說家の呪文」の中から、一部引用。

〝探偵小說はいかにリアリズムを裝うてゐても、結局メロドラマに過ぎないものである、と私は思つてゐる。だから、探偵小說には少くとも一ヶ所ぐらゐは馬鹿々々しいと思はれるところがある。探偵小說家の骨の折れるところはこゝであつて、もし彼がこの點を讀者に馬鹿々々しいと感ぜられたら、それこそ肩の肉を見られた「鐵の王子」見たいに、全く致命的なのである。〟

 

 

自ら、探偵小説にはメロドラマ性が付き纏うものだと吐露してます。何にせよ、これでもし甲賀が終戦間際に病死せず、戦後も現役探偵作家としてバリバリ活躍していたら、間違いなく甲賀三郎 vs 松本清張の火花を散らす舌戦が繰り広げられただろう。

 

 

過去にこちらの記事(☜)で、横溝正史が成りすましネタに嵌まっていた事を取り上げた。齟齬無くバッチリ成功している訳ではないけれど、同時期に甲賀も本作で成りすましを扱っている。この点が成功していれば、私の中で「荒野の秘密」はもうワンランク評価が上がっていた。

 

 

 

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2024年1月22日月曜日

合作探偵小説コレクション⑤『覆面の佳人/吉祥天女の像』

NEW !

春陽堂書店  日下三蔵(編)
2023年12月発売



★★     鬼っ子




この巻は結果的に、横溝正史の参加した合作/連作/リレー小説が並ぶ構成になった。

 

「吉祥天女の像」 甲賀三郎 → 牧逸馬 → 横溝正史 → 高田義一郎 → 岡田三郎 → 小酒井不木

昭和2年発表。作品名にもなっているアイコン〝吉祥天女の像〟が第一話から早速ストーリーの中に放り込まれ、その像にはどうも人に害を与えそうな何かが備わっているらしい。一話ごとに担当する作家がそのまま実名で登場してくるので、各人のキャラがどれぐらい投影されているのか気に留めながら読むと楽しい。

 

〝吉祥天女の像〟の秘密には甲賀十八番の理化学トリックが隠されているのかな?と期待させてもくれるし、登場人物としての〝甲賀三郎〟が電車の中で気になった令嬢を尾行してゆく導入部からして掴みは悪くないのだけど、そこはそれリレー小説だから全体がガタピシしてしまって、こういう企画になるとアンカーを押し付けられがちな小酒井不木はクロージングに四苦八苦。

 

第一話の甲賀篇で彼らしい滑り出しを見せてくれるぶん、「江川蘭子」「畸形の天女」を全て江戸川乱歩の筆で読みたかったように、これも連作ではなく甲賀三郎単独作品として書いてほしかった、とも一寸思った。

  

 

 

「越中島運転手殺し」 大下宇陀児 → 横溝正史 → 甲賀三郎 → 濱尾四郎

昭和6年発表。本作の二年前、雑誌『朝日』昭和410月号に濱尾四郎の「富士妙子の死」という陪審小説が掲載されている。これは当時の日常に起こりそうな一つの事件を濱尾がお題として提示し、それを読んだ読者はどのような判決を下すのか、編集部が誌上陪審を募集する企画であった。

 

「越中島運転手殺し」の掲載は女性誌『婦人サロン』。こちらは実際の事件を叩き台にした企画なので、「富士妙子の死」の読者陪審募集とは少し異なり、タクシー運転手殺人事件を編集部がお題として提示。読者ではなく大下宇陀児/横溝正史/甲賀三郎がこの事件に関わる三名の男性の行動をアダプトして描写、締めを受け持つのは検事でもあった濱尾四郎。犯罪実話ものの趣きなのでリレー小説のようなデコボコは無い代わりに、それぞれの個性の見せ場も少ない。





対談「探偵作家はアマノジャク・・・探偵小説50年を語る」
山田風太郎/高木彬光/横溝正/横溝孝子

昭和52年発表。本書の中で、私は一番面白かった。
なぜ探偵作家の座談・鼎談・対談ばかりを集めた本を、誰も作らないのだろう?

 

 

 

〈六大都市小説集〉

東京「手紙」(国枝史郎)/大阪「角男」(江戸川乱歩)/京都「都おどりの夜」(渡辺均)/横浜「異人屋往来」(長谷川伸)/名古屋「ういろう」(小酒井不木)/神戸「劉夫人の腕環」(横溝正史)

昭和3年発表。
「手紙」「角男」「劉夫人の腕環」以外のものを読めるのが今回のセールス・ポイント。
「角男」が横溝正史による代作である内情以外、特記すべき事は無い。 

 

「一九三二年」北村小松 → 佐左木俊郎 → 中村正常 → 岩藤雪夫 → 舟橋聖一 → 平林たい子 → 水谷準 → 横溝正史 → ささきふさ → 里村欣三 → 尾崎士郎

昭和7年発表。戦前に発売されていた日記本の中の読み物。
参加しているのは殆ど非探偵作家だし、
一作家あたりの(本書における)分量は1+1/4ページ。
こちらも軽めの紹介で十分だと思う。

 

 

 

 

横溝正史の参加した合作/連作/リレー小説を集めた単行本は一向に出される気運が無かったので、今回まとめて読めるようになったのは良い事だが、タイミングとしてはやや遅きに失した感がある。さて、最後に残った問題だらけの新聞小説「覆面の佳人」(江戸川乱歩/横溝正史、この長篇については前々回/前回の記事を費やしたから、そこで書けなかった事のみ触れておく。

 

 『覆面の佳人-或は「女妖」-』江戸川乱歩/横溝正史

もともと駄作ではあったが、この酷評は春陽文庫の校訂・校正方針に対してのもの  (☜)


「覆面の佳人(=「女妖)」(江戸川乱歩/横溝正史)のテキストは今度こそ信用できるものなのか?① (☜)

「覆面の佳人(=「女妖)」(江戸川乱歩/横溝正史)のテキストは今度こそ信用できるものなのか?② 

 


上記のリンクを張っている記事①②では、本書『覆面の佳人/吉祥天女の像』に収録されている「覆面の佳人」のテキスト(Ⓐ)に対して、このBlogにて二年前に行った【春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』、及びその異題同一作品である『九州日報』連載「女妖」との対比に基づく明らかなテキスト異同一覧(Ⓑ)】とのチェックを再度敢行した。

そこで『九州日報』のテキストと一致しない箇所を拾い出したものの、
せっかく春陽文庫版の時には正しく表記されていながら、
本書(Ⓐ)でまた新たに、間違えて校訂・校正されている箇所が発生。
もうこれまでのようにズラズラ書き並べるのはしんどいので、
一例を挙げるとすればコチラ(☟)。

 
本書(Ⓐ)20

このシーンでは蛭田紫影検事と予審判事が一緒に登場しているのだが、〝蛭田検事〟と表記すべきところを〝蛭田判事〟にしてしまっている誤りが数ヶ所あり。

 

 

 

思えば本書は、日下三蔵の都合によって編集から発売までスケジュールが遅延してしまったそうなので、校正担当者:浜田知明と佐藤健太は春陽堂の編集部からタイトな日程を組まれてせっつかれ、十分にテキストを確認する時間をかなり削られてしまったのかもしれない。であれば上段のようなミスが起きるのは気の毒というか同情したくもなる。

 

 

日下三蔵は評論家を名乗りながら評論というものが一切書けない男ゆえ、今回の「覆面の佳人」も岡戸武平/山前譲/浜田知明らが過去に記した推論以上のネタを掴むための調査はしてないだろうし、横溝正史執筆の背景だけでなく内容に至るまで、この長篇がどれだけ混乱を来しているか等、【編者解説】欄で言及することはまず無かろうなと予想してはいたが、現在判明済みの「覆面の佳人」を掲載した新聞のうち『満洲日報』を抜かしてしまっているのは、書誌データにのみ執着する日下にしては手落ちじゃないか。 

 

 

江戸川乱歩サイドと横溝正史サイド、その両方から継子扱いされてきた「覆面の佳人」(=「女妖」)。何度も言うけどストーリーは支離滅裂だし、その成り立ちがどういうものだったかさえハッキリしない鬼っ子のような作品である。今回二度目の単行本になったが、どうやっても本作はこのような煮え切らない復刊になる運命を背負っているのかもしれない。それだけにプロフェッショナルの仕事人/中相作や『新青年』研究会のベテラン・メンバーがファイナル・アンサー~本作の最終形と呼べそうな本を作るべく正面から取り組んでくれればなあと思うが、如何ともしがたいこの作品内容では所詮夢物語かな。

 

 

 

 

(銀) 【合作探偵小説コレクション】の真のヤマ場は、これ以降の第68巻。
果してどうなることやら。
 
 

 

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2023年7月5日水曜日

『雪原の謀略』甲賀三郎

NEW !

大道書房
1943年10月発売



★★★★   獅子内俊次最後の事件?

 

 

 「雪原の謀略」が角書きどおりの防諜探偵小説であるのを知ってもらうには、オープニングの数行を御覧頂くのが手っ取り早い。



支那事變に入つてから既にさうであつたが、殊に大東亞戰爭が勃發してから、我國の情勢が急激に變貌した。新聞もこの例に洩れず、殊に社會面の如きは面目を全く一新した。すべてが大東亞戰を勝ち拔く爲の一點に集中したのである。

 

昭和日報の記者獅子内俊次の仕事も亦一變した。最早單なる殺人事件の追求や、特種爭ひや、讀者の興味を唆る記事の作成ではなくなつた。彼の主なる仕事は防諜であつた。國民に防諜に對する關心を起させ、防諜に關する知識を興へ、進んで實際の防諜に當る事であつた。かうした仕事は彼の先天的の探偵手腕と膽力と機敏による爲であり、之まで「姿なき怪盗」その他いろいろの探偵事件に成功し、殊に最近「印度の奇術師」事件で、敵性スパイ國を殲滅した才能を認められたのによるものであつた。

 

 

 「印度の奇術師」並びに「雪原の謀略」の初出は書き下ろしか、それとも連載か、現在でもまだ判明していい。とはいえ上記のとおり獅子内俊次直近の事件は「印度の奇術師」だったと書いてあるし、さしあたり「雪原の謀略」を獅子内俊次第六番目の長篇と見做しても問題はなかろう。

 

 

第五長篇「印度の奇術師」は東京市民の若い女性がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練に励んでいるシーンから幕が上がる。同じくその第一章にて獅子内の上司である「昭和日報」の尾形編集長が〝日本に対して英国が資金凍結を行っている〟と語っており、日米が一発触発の危険な状態にあるのはハッキリしていた。それが「雪原の謀略」では遂に大東亜戦争勃発、容易ならぬ戦時体制の中で獅子内は活躍しなければならない。東京市民がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練をやり始めたのはいつだったのか、しっかり精査していないので曖昧だけれども、作品の中に描かれている当時の日本の状況から「印度の奇術師」及び「雪原の謀略」執筆時期を考察してみると、次のような流れになる。

 

 

昭和1210日     日本、防空法施行


 

昭和167月       英国、在英日本資金を凍結

昭和1611月     日本、防空法改正

この頃、甲賀「印度の奇術師」執筆開始?

昭和1612月     日米開戦

 


昭和174月       米国B25機、初めて日本本土を飛来空襲

(のちの大空襲とは違い、この頃はまだ軽いジャブ程度の攻撃だった)

昭和176月       甲賀、日本文学報国会事務局総務部長に就任

昭和178月     『印度の奇術師』、今日の問題社より刊行

この頃、甲賀「雪原の謀略」執筆開始?

 


昭和1810月     『雪原の謀略』、大道書房より刊行

 

 

「雪原の謀略」に着手するのはもう少し早い昭和17年前半の可能性もある。より細かくテキストを追っていけば更なる手掛かりが見つかるかもしれないが、今日は時間が無いので執筆時期調査はここまで。タイトルに〝雪原〟と入っているのは獅子内がシベリアとか極寒の大陸へ潜入するからではなく、信州方面が舞台になるのがその理由。国と国がキナ臭くなる前に相手の国へ忍び込み、非常時になったら間諜として暗躍を開始する者のことを甲賀は本作の中で〈残留スパイ〉と呼んでいる。ネットで調べてもヒットしないのだが、これって甲賀の造語?

 

 

 獅子内俊次シリーズ長篇は当初から本格テイストでなくアクティヴなスリラーだったのが幸いしたのか、こうして国家の情勢により獅子内が敵対する相手の毛色は変わっても、小説のノリ(groove)はそんなに変わらない感じがする。獅子内にしても尾形編集長にしても戦時下だからといってキャラ変させられる憂き目は回避できたようだ。本作で獅子内を退場させるつもりなど甲賀には毛頭なかったろう。それだけに、戦争が終わったあと再び獅子内の活躍を楽しむことができなかったのは探偵小説読者にとって痛恨の極みなり。

 

 

 

(銀) 獅子内俊次シリーズ長篇のすべてが手放しで高評価できる内容とは限らない。本作も「姿なき怪盗」と肩を並べられる出来かといえば、それは難しい。とはいうものの、敵役はスパイなれど犯罪色は残っているので、日本探偵小説における戦時下の長篇としてみるならそんなに悪くもない(昭和17年~20年の間に日本の探偵作家が書いた長篇を思い出してほしい)。さすがに★5つは控えたけれど、甲賀が好きなのでこの本には愛着がある。

 

 

 

   甲賀三郎 関連記事 ■

 

『緑色の犯罪』

★★★★★  著書目録もあり、甲賀初読者にはピッタリ (☜)

 

『甲賀三郎探偵小説選

★★  新刊で出すチャンスはそう何度もあるものではない (☜)

 

『甲賀三郎探偵小説選 Ⅲ 』

★★★  探偵小説講話 (☜)

 

『甲賀三郎探偵小説選

★★★  未だ読めない甲賀作品が多いのになぜ次女の創作をねじ込む必要が? ☜)

 

『幽霊犯人』

★★★★  そこまで失敗作でもないのでは? (☜)

 

『劉夫人の腕環』

★★★★  テキスト入力さえ完璧なら満点だった (☜)





2022年2月24日木曜日

『劉夫人の腕環』甲賀三郎

NEW !

大陸書館(楽天ブックス POD)
2022年2月発売




★★★★   テキスト入力さえ完璧なら満点だった




大陸書館のコンセプトにぴったりな甲賀三郎作品がセレクトされ、彼の著書に初収録となるものもあって嬉しい。大陸を舞台にした内容ともなれば、そこには大なり小なり戦前日本の拡大方針が描かれているため、本書に収録されている作品は戦後は再録される事がなく、読むに読めない状態が続いてきた。そういう点を重視して本来なら迷わず☆5つなのだが、ここでもテキスト入力ミスがちらほら見つかり、読書への耽溺を邪魔される。とりあえず一作ずつの概況、及び読んでいて気がついた誤入力箇所を記していく。私がミスだと思った箇所の正しい表記(○)は初出誌ではなく、(過去の著書に収録されている作品については)単行本テキストを参照している。

 

 

 

支那服の女」(『雄弁』昭和1010月号発表)

昭和12年の単行本(大白書房)表題作になった事もある短篇。尚子は真面目で身持ちの固い女。貧しい家の出だったが一介のタイピストから東亜探偵局へとひっぱり上げられ、今では秘かに女間諜でもある。その尚子に女学校時代の旧友・綾子から「自分は支那の金持ちの妻になったのだが、ぜひ助けてほしい事があるから上海まで来てほしい」という手紙が届いた。折しも東亜探偵局の上司から上海出張を告げられ、早速向こうで綾子と再会する尚子。すると綾子は昔の男に強請られていると告白し・・・。

 

 

 

「劉夫人の腕環」(『新青年』昭和158月号発表)

これも昭和17年に出た単行本(長隆舎書店)の表題作。国際都市上海のエムパイヤホテル。タイトルから予想されるとおり、新政府筆頭要人・劉秀明の妻が所有する腕環をめぐる攻防。

 

「うでわ」という単語をPCで普通に打つと、どうしても「腕輪」と出てくるから仕方がないのだけれど、本書では文中に出てくる「うでわ」という漢字が全て「腕輪」とタイプされてしまっている(中には「腕輸 ―うでゆ― 」になっているところも)。「環」という字は別に旧字ではないから、書名や章題同様に文中の表記も「腕環」で統一すべき。長隆舎書店版の初刊本を調べてみたが、やはり「腕輪」ではなく「腕環」だった

 

あと、この本の制作者は老眼なのか、カタカナの「ペ」と「ベ」を見間違えるようで。

ベン皿(✕) 54頁上段6行目

ペン皿(○)

 

婚約【ルビ/おおなずけ】(✕) 60頁上段2行目

婚約【ルビ/いいなずけ】(○)

 

 

 

「カシノの昴奮」(『新青年』昭和1411月号発表)

上海の賭博場における恋とイカサマのギャンブル泣き笑い話。こうしてみると甲賀って、上海という舞台が結構お気に入りなのかしらん。

 

 

 

「不幸な宝石」(『冨士』昭和72月号発表)

エスピオナージ小説を甲賀はいくつも書いているし、本作が満洲事変直後の執筆とはいえ、昭和ヒトケタのタイミングで、退役軍人は別にして、関東軍やら現役の軍人を描いた探偵小説は珍しく、後年甲賀が日本文学報国会の一員になる事を思うと色々考えさせられる。

 

 

 

「血染のパイプ」(『雄辯』昭和748月号連載)

昭和7年刊改造文庫(改造社)の表題作だった中篇。改造文庫冒頭の解題で、甲賀は「血染のパイプ」について、このようにコメントしている。

 

〝「血染のパイプ」は探偵小説の本道から云ふと、稍傍道に外れている所があり、多分にスリリング(戦慄)小説の要素を含んでゐる。舞臺を満洲に取つてあるので、意外な結末と共に、時節柄讀者諸君の好奇心を十分滿足せしめると信ずる。〟


 

日本が満洲という新国家を建設しつつある時、千万長者蜷川良作老の娘・瑠璃子が悪の秘密結社赤蠍団に誘拐された。美しく汚れのない瑠璃子の彼氏である『満洲新報』の青年記者・楠本瑞夫は良作に頼まれて瑠璃子を救い出そうとするのだが、知り合ったばかりの友人・井内健太郎/楠本の通報を受けてやってきた民野警部とその部下/現地警察/怪支那人趙儀之、すべて信用できぬ者ばかり。このままでは満洲国は赤蠍団の背後にいる敵国に乗っ取られてしまう。八方塞がりな中で楠本は蜷川家の巨額の財産が赤蠍団に流出するのを防ぎ、瑠璃子を救出できるか?

 

二人は日本によってはならいのじゃ。     (✕) 119頁下段14行目

二人は日本に止(とゞま)つてはならぬのぢや。(○)

 

女関の床に手紙らしいものが(✕) 148頁下段16行目

玄關の床に手紙らしいものが(○)

 

わしにはよじ登る事が出来ね(✕) 191頁上段16行目

わしにはよぢ登る事が出来ぬ(○)

 

 

 

「イリナの幻影」(『雄辯』昭和115月号発表)

春秋社『甲賀・大下・木々傑作選集 霧夫人』に収録。民国政府顧問で親日家のヴィンセント・カスタニエ伯爵は日支提携のため来朝していたが、帰任するその前日にホテルの一室で机に凭れかかって死んでいるのが発見され、その上にはフィルムを取り出そうと後部の蓋を開けた状態のカメラが。イリナという妖婦のエロティシズムに加え、甲賀十八番の理化学トリックも。

 

 

 

「特異体質」(『雄辯』昭和169月号発表)

当時日本の統治下にあった台湾。高砂大学の蒲原医学博士と助手の宮本医学士は検察局から依頼され検死を行う。姜という医師が鎮静剤ブローム・カルシウムを丹毒患者に注射したところ、異常反応を起こし絶命したためなのだが、姜医師はあくまで自分には手落ちは無く患者の特異体質のせいだと主張する。これも一種の理系ネタ。

 

 

 

「海からの使者」(『キング』昭和164月号発表)

昭和12年刊『支那服の女』(大白書房)に収録。都内で医師として働く主人公の〝私〟は過去に患者として面倒を見た矢柄平太なる男の急な訪問を受ける。彼は秘密厳守を前提として、国防を匂わす奇妙な任務を〝私〟に受諾させた。待ちかねていた『華北日報』上の秘密通信を確認すると〝私〟は娘の宮子を連れて、ダットサンを走らせ九十九里浜に向かう。雨の降る真夜中の海辺にやってきた者とは?

 

入力ミスではないけれど〝三月〟〝二月〟という表記が出てくるが、これはMarchFebruaryではなく〝三ヶ月〟〝二ヶ月〟の意味。甲賀の書き癖がまぎらわしい。

 

 

 

「靴の紐」(『満洲良男』康徳912月号発表)

康徳とは満洲国の元号。よって康徳9年は日本でいう昭和17年。編者曰く、これは大陸小説ではないが、掲載紙『満洲良男』が関東軍による機関誌という特異な雑誌なので、附録として収録したとの事。本作は探偵・木村清シリーズものなのだが、実は『甲賀三郎探偵小説選Ⅲ』に収録されていた「郵便車の惨劇」(『キング』昭和412月号発表/探偵役は杉原潔)のリメイク。『満洲良男』はその全貌がよくわかっていないだけに、掲載された探偵小説がひとつでも多く判明するのは有難い。




いつもアイナット氏運営のHP「甲賀三郎の世界」にはお世話になっている。今回もいくつか初出情報を確認させてもらった。感謝。




大陸書館(=捕物出版)の長瀬博之は魔子鬼一『牟家殺人事件』を再発する時に、これまで犯人の名前がいつも誤植されていた事を強調していたぐらいだから、本書に見られる入力ミスの数々は不注意というより年齢からくる視力・集中力低下の問題とは思うが、こうしてどの版元からも立て続けに発生する探偵小説新刊のテキスト入力ミスを見ていると(中には最初からこうした作業には完全に不適格な人間もいるが)、テキストの制作方法が昔のようなアナログな手作業ならきっと起こり得なかっただろうに、PCみたいなデジタルな工程では無意識のうちにタイプミスを犯しがちなのが明々白々。

毎回言っているけれども、刊行ペースはゆっくりでいいから、一度テキストを入力し終えたなら時間をかけ再チェックした上で印刷・製本に回してほしいんだってば




(銀) 上記でも述べたように甲賀三郎は日本文学報国会に加入しているほどだから、探偵作家の中ではいわゆる保守寄りだったのかもしれないし、関東軍の創刊した『満洲良男』への作品提供も、そう不思議な話ではない。逆に、かなりリベラルな横溝正史が『満洲良男』に「三行広告事件」を提供したのには、どういう経緯があったのだろう?横溝オタも金田一の話ばかりしてないで、たまにはこういう事を真面目に調べてみてはどうか?




2022年1月2日日曜日

『江川蘭子』

NEW !

博文館
1931年5月発売




★★★★★   ジョセフィン・ベーカー風の挿絵を描いた英太郎は
          江川蘭子の本質を最も理解していたのかも



 

『新青年』に対し以前のような頻度で積極的に書いてくれなくなった江戸川乱歩をなんとか引っ張り出すために編集部サイドは〝複数作家による連作リレー小説〟を企画。「一回目だけなら、まさかイヤとは言うまい」とほくそ笑む森下雨村は乱歩の逃げ道を塞ぎ、トップバッターとして書かせる奇襲戦法に出た。本書には大正15年の「五階の窓」と昭和5年の「江川蘭子」、この二中篇が収録されている。乱歩が亡くなってからは誰もが忖度無く感想を述べているように、内容に統一感が無いため、どうにも褒められぬ作品ではあるのだが、そこをできるだけマジメに考察してみようというのが新春一発目のテーマだ。

 

 

 

「江川蘭子」

江戸川乱歩 → 横溝正史 → 甲賀三郎 → 大下宇陀児 → 夢野久作 → 森下雨村

 

連作にまで自分の筆名を主人公の名に織り込む暴挙からして、乱歩の〝我が世の春〟たる強気な姿勢(それとも、単なる天然か?)が伝わってくる。「陰獣」の時に森下雨村は「乱歩君もたいした自信だねえ」と横溝正史に漏らしたそうだが、「江川蘭子」というタイトルを見て、果して雨村はどう思ったことやら。

 

 

一番手を任された乱歩が設定した江川蘭子の性格付け。たとえ後続の作家がどのようにでも展開できるようなエンディングで終わらせてはいても、悪の要素に満ち満ちた存在として生まれ育った出自だけは不動。この乱歩の回で見落としちゃいけないのは成長した江川蘭子には悪女としてのビューティエロスが備わっているだけではなく、貧困の中から生まれた黒人女性でジャズ・シンガーであり踊り子としても当時米国の異端だったジョセフィン・ベーカー的アクティヴな側面も持たされている点だ。竹中英太郎の描くヴィジュアル(挿絵)の江川蘭子も、本書の函及び扉ページの絵を見ると、それを意識しているのがわかる。(余談だがブライアン・フェリーも「Limbo」のプロモーション・ヴィデオにてジョセフィンの世界観を再現していた)



ジョセフィン・ベーカー



しかし、横溝正史以降の後続作家が蘭子のジョセフィン・ベーカー的な面をすっかり消し去ってしまう。これは痛手だった。濃厚な主人公を据えたのだから人間関係がややこしそうな秘密結社など持ち出したりせず、唯シンプルに蘭子が跳梁跋扈する物語を執筆作家全員で塗り固めとけばOKだったのに、謎の枝葉を下手に加えようとして「五階の窓」よりも話がギクシャク。

甲賀三郎の回で発生する黄死病なんて唐突過ぎてストーリーのプラスにちっともなってないし、また夢野久作の回で、本来常に傍若無人であらねばならない蘭子がブルブル怯えて動揺するようではこの連作は死んだも同然。二番手の横溝正史が枝葉の少ない展開に整理した上で次にバトンタッチしていれば・・・。

 

 

以前の記事で、江川蘭子みたいに悪の因子を持たされた子供の成長を大下宇陀児が自作「魔人」で描いている例に注目してみた。でもよくよく考えてみたら、江戸川乱歩だって後年同じような素材を使って長篇を書いているではないか。「大暗室」だ。幼少期の大曾根龍次には、小さい頃の江川蘭子を凌ぐ冷酷さが備わっていた。そういえば魔術師奥村源造や怪人二十面相の遠藤平吉同様に、蘭子も曲馬団で軽業師としてのワザを磨いている。これじゃまるで、曲馬団は悪人養成学校だ。



「江川蘭子」と「大暗室」の間には「黒蜥蜴」という女賊ものがあり、初期の乱歩短篇「お勢登場」のヒロインお勢は黒蜥蜴=緑川夫人のプロトタイプだと云う人もいる。江川蘭子の場合は同じ名前のキャラが「人間豹」に引き継がれて出てくるが、人間の心が1ミリも無い悪魔の申し子として世に送り出されたのは大曾根龍次のほうだった(2020年6月27日当Blog記事を見よ)その意味では「江川蘭子」で書き切れなかった復讐戦を、乱歩は「大暗室」にて無事やり遂げたとも言える。

 

 

 

「五階の窓」

江戸川乱歩 → 平林初之輔 → 森下雨村 → 甲賀三郎 → 国枝史郎 → 小酒井不木

 

本書では後半に収録されているが、『新青年』発表はこちらのほうが先。モダーンな帝都のビルディング街、迫りくる不況による企業の人員カットという当時の風潮を取り入れつつ、電気商会のビルからセクハラ社長の転落死が発見され、その謎を警察そして新聞記者 探偵小説家が追うストーリー。

 

 

「江川蘭子」と違って各回の仕上がりにデコボコ感は無く、その点はまだマシ。一応犯人探しと動機の推理がテーマになってはいるが、日本の探偵小説がまだ中~長篇ぐらいの長さの本格物に対応しきれてない。「江川蘭子」執筆メンバーの中でバランスを崩しそうなのは夢野久作だったし「五階の窓」だと乱歩嫌いの国枝史郎がそうなりそうなところだが、意外と流れに溶け込んでいる。国枝の次のラスト担当が大好きな(?)小酒井不木だったのも幸いした。本作のビル転落死ネタを、アリバイ工作を強化して後年自分用に使ったのは横溝正史。作品名は言わずともお分かりだろう。

 

 

 

「江川蘭子」も「五階の窓」も、竹中英太郎の挿絵で彩られたこの博文館版(口絵が八枚もあり『新青年』発表時の挿絵とは別物)で読むからその奇書ぶりが味わえるのであって、フツーの読者には勧めにくい。実際この二作は90年代に春陽堂より文庫化されているが、『江川蘭子』では〝黒ん坊〟〝氣違ひ〟〝あひの子〟といったワードが言葉狩りされるといった春陽堂安定のテキスト改悪作業があちこちに施されて、相も変わらずせっかくの再発が台無し。本日の記事の満点進呈は英太郎の仕事に対してであって、決して作品には非ず。

 

 

 

(銀) 乱歩以外に「五階の窓」「江川蘭子」の二作どちらにも参加しているのは雨村と甲賀。上に書いたとおり、『新青年』のこの二つのリレー小説はあくまで乱歩ありきの企画だったから博文館の人間で『新青年』の編集に関わっていた雨村と正史はともかく、それ以外の面々は書いててもあまり面白くはなかったろうな。とはいえなんだかんだでこういった連作ものは戦後まで続けられたのだが。