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2023年12月19日火曜日

『劇画アワー/ゴルゴ13』(1971)➋

NEW !

BS-TBS
2023年12月放送



★★★  映像化されたゴルゴの中では一番マシだったかも




前々回の記事➊(☜)からのつづき。今回発掘された1971年放送TBSスチールアニメ『劇画アワー/ゴルゴ13』も1218日のオンエアをもって一通り終了したので、もろもろの感想を述べてみたい。

 

 

  音 楽

原作の徹底したシリアスな内容からすると、この番組のオープニング・テーマは飄々としていてゴルゴらしくはないなあ。『ルパン三世』旧シリーズの初代オープニング・テーマ同様、具体的な歌詞を使わずスキャット・オンリー(vocalは女性)にしたのはいいんだけど、「♪ ゴルゴ13~パヤッパヤッ」っていうのはなんだか軽過ぎやしないか。

 

音楽を担当しているのは山下毅雄なので劇中にはいつもの口笛メロディが頻出、良くも悪くも70年代テイストたっぷり。しかし『ルパン』とか『ゴルゴ』とか、この種のアダルト・コンテンツをテレビでやるとなると「山下毅雄の他に音楽を頼める人材はいないのか?」ってツッコミたくなりますな。

 

 

  声 優

音楽だけでなく、肝心のゴルゴを演じる声優にしても、原作での隙の無いクールさを映像で再現させるのは実に難しい。このアニメ版でゴルゴの声を演じているのは新田昌玄。それなりの低音ボイスだから起用されたのだろうが、この人ビミョーに訛りがある・・・というと言い過ぎかもしれないけど、イントネーションに癖があってね。

 

世界じゅうの国の言語を美しく喋ることができるゴルゴに変なイントネーションがあってはいけない。ナレーションの城達也も、音楽の山下毅雄と同じく無難なキャスティングで、まあこんなもんかなって感じ。

 

 

 

 

 

  作 画 / 脚 本

ヴィジュアルについては前回の記事でも書いたように、スチールアニメだったからか、さいとうプロが描いた原作の絵に近い点はかなり好感が持てる。脚本家のクレジットが殆ど出てこなかったのは、原作の会話部分をわりとそのまま流用しているっぽいから?なんせ一回分の放送時間が実質十分程度、その上動画でもないので、尺が三十分ある普通のアニメ番組に比べれば、23時台のオンエアゆえミニマムな低予算で制作されていた筈。(裏番組は『11PM』か)


原作に近いこの絵柄そのまま、『ルパン三世』旧シリーズ初期レベルのクオリティで、もしも動画の形で制作していたなら、間違いなく日本のアニメ史上に残る作品になっただろう。そこはそれ、旧ルパンでさえ(初回放送時には)全然視聴率を取れなかったのだし、こちらもきっと大赤字になって、TBS社内と制作サイドは炎上を避けられまい。どんなに意欲があってもスポンサーから潤沢な予算を調達できなければ成立しないんだよね~、民放の番組は。

 

 

  エ ピ ソ ー ド

このアニメ版の全貌が判らない以上、今回幸運にも廃棄されずに残存していた回のみの感想しか語れないのを前提に言うなら、「檻の中の眠り」が観られたのは嬉しかった反面、もうちょっと出来の良いエピソードを映像で観たかった。「殺意の交差」なんて、舌打ちしたくなるほどつまらん話だからなあ。

 

最初期のGは口数が多いだけでなく、命を落としかねない隙があるため、つい苦笑してしまう。「白夜は愛のうめき」では一度寝た女がゴルゴのことを忘れられずにこっそり狙撃現場まで追ってきて、驚愕の表情を見せるゴルゴがカッコ悪い。「スタジアムに血を流して」に出てくるオリンピック級狙撃技術を持つデイブにしたって、簡単にゴルゴは背後を取られているではないか。

 

今回放送されなかった原作のエピソードだと第35話「激怒の大地」でも、送り込まれた暗殺屋・白紙のギルに後ろから銃口を向けられている。「スタジアムに血を流して」のデイブや白紙のギルはムダにゴルゴに声など掛けず黙って引き金を引いていれば、容易くゴルゴを倒せるチャンスがあったのだ。

 

 

  総 評

TBSでの初アニメ化が原作の人気に拍車をかけたのか、半世紀が過ぎた今となっては知るすべも無い。『ビッグコミック』連載が進むにつれGは無口になり、❛らしくない❜油断は見せなくなる。原作も第50話を過ぎると「モスクワ人形」(第63話)みたいな長篇が徐々に生み出されるだけでなく、同時に「ゴルゴ13」の売りの一つである(普通の人が知らないような)トリビアや専門知識の情報量が増加してゆく。

 

となると僅かな十分の尺では、1エピソードに数回分使ったところで、このまま番組を続けようとしても無理が出てきそう。スチールアニメ十分番組のフォーマットでは、原作第50話に到達する迄のエピソードしか捌ききれなくて当然なのかもしれない。生前のさいとう・たかをはゴルゴの映像化に対して褒める発言など一切しなかった。高倉健の実写版映画『ゴルゴ13』にもさいとうはストレートに不満を表してたもんね。

 

それでも映像化された『ゴルゴ13』の中では、1971年のこのアニメ版が一番マシだったと私は思う。どんな長寿作品でも、その作品が属する時代というのは確かにあって、『ゴルゴ13』が属するのはどうしたって、まだ世界が東西冷戦を引き摺っていた1970年代になるんじゃないかな。そう考えれば、自然に70年代の空気が感じられて、原作に近い絵柄で鑑賞することができるこのアニメが他の映像ゴルゴよりずっと楽しめるのは自明の理なのであった。

 

 

 

(銀) たしかさいとう・たかをは「映像化できないものを劇画で表現しているんだ」みたいな意味の発言をしていたとも記憶する。画期的な完全分業化システムで手間暇かけて連載し続けた劇画を、そうやすやすとアニメにしたり実写化できる訳がない。面白い小説やマンガだと、ついつい映像化されたものも見てみたいと思ってしまう気持ちはわかるけれど、やっぱり最終的には原作を読んで楽しむ以外に正解は無い。

 





2023年12月14日木曜日

『劇画アワー/ゴルゴ13』(1971)➊

NEW !

BS-TBS
2023年12月放送



■ 正確な全オンエア・データが知りたい




原作の連載スタート以来、TBSによって初めてアニメ化というか映像化された「ゴルゴ13」のロスト・テープが約半世紀ぶりに発掘された。アニメと言っても正確には動画じゃなく、アフレコで音声を入れてはいるが、一場面一場面ごとの静止画を連続して見せるスチールアニメである。あの時代の映像コンテンツを日本のテレビ局がからきし保存できていないのはいつものことだけども、動画じゃないぶん映像の絵柄が(当時のさいとうプロが描いた)原作の絵柄に非常に近いのがポイント高いし、これなら私も絶対観たい。今月1211日から18日まで、BS-TBS深夜3時台にて現在放送中。(TVerでも視聴可)

 

 

今回再放送されるエピソードは以下の22回分のみ。このあと数ある不明な点を考察してゆくが、五十年前にTBSが放送したこの『劇画アワー/ゴルゴ13』のエピソードがこれで全部だとは考えにくい。では下段に記載するオンエア内容一覧を見て頂きたいが、括弧内は原作だと連載第何話にあたるのかを示したもので、当時のオンエアの順番ではない。この記事をupした時点ではまだ「ゴルゴ in 砂嵐」までしか放送されていない。


 
 

1211日(月)AM3:004:00

「白夜は愛のうめき」Part1Part2(第6話)

「狙撃のGTPart1Part2(第12話)

 

1212日(火)AM3:004:00

「猟官バニングス」Part1Part2(第14話)

「ブービートラップ」Part1Part2(第7話)

 

1213日(水)AM3:004:00

「檻の中の眠り」Part1Part2(第5話)

「ゴルゴ in 砂嵐」Part1Part2(第10話)

 

1214日(木)AM3:004:00 放送予定

「シェルブール0300Part1Part2(第27話)

WHO?Part1Part2(第15話)

 

1215日(金)AM3:304:00 放送予定

WHO?Part3(第15話)

「スタジアムに血を流して」Part1(第17話)

 

1216日(土)AM3:304:00 放送予定

「スタジアムに血を流して」Part2Part3(第17話)

 

1218日(月)AM3:003:30 放送予定

「殺意の交差」Part1Part2(第16話)

 

 

一回につき約十分の短い尺。Wikipediaを見る19714月から7月にかけて平日(月~金)23時台にTBSで放送されていたそうだが、『THEゴルゴ学』をはじめ私の所有しているゴルゴ本を見ても、このアニメに関する詳細なオンエア・データは載っていないので分からない事だらけ。最低でも実質三ヶ月は放送されたとして【月~金5回】×【月四週】×【三ヶ月】、かなり少なく見積もっても60回ぐらいは放送された?

 

 

 

 

公式研究本『THEゴルゴ学』によれば、原作「ゴルゴ13」が『ビッグコミック』にてスタートしたのは1969年初頭(wikipediaでは196811月になっている)、このアニメのオンエアが始まった19714月に発表されている原作エピソードというと第41話「そして死が残った」あたり。原作第1話~第50話までを仮に〈ゴルゴ初期〉と呼ぶならば、TBSはかなり早い段階から劇画「ゴルゴ13」に目を付けTVアニメ化したと言えよう。

 

 

いま再放送されている映像を観ても、第◯回なのかを表示するナンバリングは無いし、上記一覧の放送順が当時の放送順なのか疑わしい。原作の発表順を無視してアニメ化を進めた可能性も無くはないが、原作では例えば第10話「ゴルゴ in 砂嵐」/第19話「ベイルートVIA」/第20話「最後の間諜虫(インセクト)」にて言及される❛虫(インセクト)❜のように、初出時には登場する時期が離れていても、話が連続していて再び登場するキャラクターがいたりするので、混乱しないよう本当はこのアニメも第1話「ビッグ・セイフ作戦」からほぼ原作どおりに制作されていたのではあるまいか。ただそうなると、何故BS-TBSが上記の順番で再放送しているのか理由が皆目掴めないのだけども。

 

 

今回発掘された映像の内訳からして、(原作でいうところの)最も連載が先に進んでいるエピソードは第27話「シェルブール0300」。そして通常は1エピソードにつき二回分を使っての放送ながら、「WHO?」と「スタジアムに血を流して」は原作でそれほど長い話でもないのに三回分を使っている。上段のケースとは逆に、19714月の月初から7月の月末までフルに日数を使って放送したと考えてみると、約80回はオンエアした換算になるが、いったい原作第何話まで進んだところでこのアニメは終了したのか私は知りたい。ていうか、もうこれだけしか残存してないのだろうか?他の回もどこかに眠っていないかな。

 

 

さっき原作第50話までを〈ゴルゴ初期〉と呼んでみた。個人的に第50話までのエピソードで是非アニメ版でも観てみたいのは、初めてGの右手が震える謎の症状が起こる第34話「喪服の似合うとき」と、原作全話の中でも傑作として上位にランキングされる第37話「AT PIN-HOLE!」か。ルーツ編第一作「日本人・東研作」も観てみたいけれどこれは第59話だし、このアニメ版に取り上げられたかどうかは微妙。

 

 

 

 

(銀) 『劇画アワー/ゴルゴ13』の話は本日限りのつもりだったが、語り尽くせていない話題が残っているし、番組もあと四日分まだ観ていないので、近日中に続きをupする予定。
 

 
原作にて深みのあるエピソードが増えてくるのは、実は第50話以降。最初の頃のゴルゴはやけによく喋ったり、些細な事で驚きの表情を見せたり、まだまだキャラクターが固まっていない。「檻の中の眠り」は脱獄ものの嚆矢、「白夜は愛のうめき」はGに特別な感情を抱いた女が狙撃現場を目撃して結果Gに殺されてしまうパターンの嚆矢になり、のちに何度も繰り返されるフォーマットの根幹を改めてこのアニメで再確認することができる。 



(☜)につづく。
 

 

 

 

   ゴルゴ13 関連記事 ■ 

 

『ゴルゴ13/㉗芹沢家殺人事件』さいとう・たかを

★★★★★

「すべて人民のもの」あたりまでのダイナミックな質感のゴルゴが好きだった (☜)






2023年8月23日水曜日

『真田十勇士』柴田錬三郎(原作)石森章太郎/すがやみつる(まんが)

NEW !

学習研究社
1975年7月発売(第2巻)



★★    マンガはこの先も復刻されなさそうだけど
          NHK人形劇の映像はやっぱりもっと観たい




前回のつづき、というか〝おまけ〟。
NHK連続人形劇が「真田十勇士」を始めるので、学研はそれにタイアップした描き下ろしマンガを売り出そうと考えた。ここからは、あくまで私の想像。

八犬士も十勇士も、言ってみれば歴史上の戦隊もの。戦隊もののマンガで真っ先に思い付くのは「サイボーグ009」、〝そうだ石森章太郎先生にお願いしよう!〟でも売れっ子の石森にこの仕事を引き受けられる余裕はとても無い。ならば石森のアシスタントで、三年前【石森章太郎(原作)】クレジットのもと『仮面ライダー』シリーズの作画を担当、正式デビューを果たしていたすがやみつるに描いてもらえばいいじゃないか。ストーリーの叩き台はNHKから番組台本を回してもらうかして、とりあえずキャラクターデザインのみを石森、それ以外すべての執筆はすがやにやってもらおう。

そんな感じで「真田十勇士」コミカライズ企画が始まったとみても不自然ではなかろう。

 

 

すがやみつるの『真田十勇士』を読むと、皮肉にも柴田錬三郎原作の良いところと悪いところがより浮き彫りになってくる。「新八犬伝」にはそれぞれの犬士ごとにわりかし知名度のあるエピソード(例えば女田楽師に化けた犬阪毛野が果たす父の仇討ち等々)があって、物語全体の流れもなんとなく掴みやすい。しかし「真田十勇士」は真田家の流転/豊臣vs徳川の睨み合いこそすぐ頭に浮かぶわりに、十勇士ひとりひとり大衆によく知られているエピソードが無い。「猿飛佐助の活躍譚って何だっけ?」と訊かれてハッキリ答えられる人がどれぐらいいるだろうか。

 

 

いや、なにも「真田十勇士」に見るべきところ無しと言ってるのではない。序盤で佐助の師匠・戸沢白雲斎を暗殺する地獄百鬼は柴田錬三郎作品にふさわしい妖気漂う悪役キャラで、のちのちまで物語に絡んできたりする。ただ十勇士の顔ぶれを見ると、立川文庫の時に存在していた海野六郎/根津甚八/望月六郎の三名は柴田錬三郎版「真田十勇士」では出てこなくて、その代わり高野小天狗/呉羽自然坊/真田大助が設定された。主役の佐助をはじめ三好清海/高野小天狗/霧隠才蔵/穴山小助には見せ場が多く持たされているからいいものの、残りの五名(筧十蔵/由利鎌之助/為三入道/呉羽自然坊/真田大助)は若干存在感が薄い。八犬士ほど全員に均等感が無いのは瑕瑾。十人って多すぎるのかも。

 

 

そういった弱点に加え、「真田十勇士」は当時の人形劇映像が「新八犬伝」以上に残っていないから尚更苦しい。その結果、読者が十勇士個々の印象的なエピソードを想起しにくいため、(前回の記事で紹介したノベライズ本『真田十勇士』にもやや同じ印象を感じたのだが)特にすがや版『真田十勇士』は話が超特急すぎてシバレンが人形劇のために創作したストーリーの味わいがガッツリと出しきれてないような感触が残るのだ。コミカライズなんてどれもそんなもんだし、まして本書はターゲットが小学生なんだから、改めて指摘するほどでもないんだけどね。

 

 

逆にマンガ版の良いところは、華やかさをグッと抑えて作られた辻村ジュサブローの人形に寄せることなくPOPに全キャラクターがデザインされているので、人形劇だと忍者にしては神経質そうで明るさが感じられなかった佐助が本書ではいかにも主役らしくハジけて描かれている点かな。作品全体を俯瞰するとシリアス6:コメディ4。巻頭ページがカラーだったりカバー裏面にも見る箇所があったり、子供向けにしてはよく出来ている本だと昔は思った。


                    

                    ✦

                    ✦

 

ノベライズ本『真田十勇士』が一度だけでも集英社文庫より復刊されたその陰で、すがやみつる『真田十勇士』は意外にその存在を知られてないのか、カルトな需要に留まっているようにも見える。古書市場に全八冊セットで出ると結構な値が付いてしまうし、だから私は(たとえノスタルジー込みであっても)復刻を望んでいたのに・・・。ここまで来てしまうと、もう再発は実現しなさそう。

 

 

これも想像にすぎないが、十勇士というだけあって、本来学研サイドはすがやみつる『真田十勇士』を全十巻で完結させたかったのでは?日本放送出版協会版ノベライズ本が全六巻のところ全五巻で終わってしまった影響はこちらにもありそうで、本作の終盤はとんでもなく駆け足に終わる。真田家全滅ではいくらなんでも悲惨すぎるとNHKが危惧したか、人形劇では佐助たちが豊臣秀頼を蝦夷地(北海道)に逃がして終わるけれど、あの中途半端な終わり方も良くなかった。

 

 

真田幸村を題材に選んでしまった以上、〝滅びの結末〟にならざるをえないのは最初から解っていたこと。だったらどんなに悲惨なエンディングであれ十勇士は全員、主の幸村と共に討死して終わるべきだったと私は思う。





(銀) ノベライズ本もコミカライズ本もあまり良い評価にできなかったけれど、それは「新八犬伝」と比較しての話であって、このあとの連続人形劇「笛吹童子」「紅孔雀」「プリンプリン物語」「三国志」より「真田十勇士」が劣っているなんて言うつもりは毛頭無い。



これでもし近い将来「真田十勇士」の映像がドバッと発見され、それを我々が手軽に観られるような状況になったなら、今回抑えめにした評価はドカーンと跳ね上がるかもしれない。




■ NHK連続人形劇 関連記事 ■












2023年7月11日火曜日

手塚治虫作品をスポイルする自主規制の元を追ってみた

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国書刊行会という会社は旧い作品をよみがえらせる企画が多いから、要らぬ自主規制で表現を捻じ曲げるような出版社ではないと私は思っているけれども、常に絶対そうだとは言い切れない。同社『アドルフに告ぐ/オリジナル版』は売り文句どおり、初出誌『週刊文春』に連載された時のまま改変箇所もなく編集されているのか、当時『文春』を毎週読んでなかったし初刊本も手元にないので判断ができぬ。はてどうしたものか・・・・と行き詰ったところで前回の記事☜)は終わっていた。そのつづき。



一言申しておく。2023613日記事の『火の鳥〈オリジナル版〉/04鳳凰編』、前回・前々回の『奇子』新旧単行本比較、そして今回と、手塚治虫作品の復刊について述べているが、私が気にしているのは発表当時の本来あるべき表現に対し、ポリティカル・コレクトネスの名のもとに不審な改変がされていないかどうか、この一点のみ。手塚が初刊だけでなく自作リイシューの折にふれ納得いかない部分に手を加えていたとはいえ、自主規制/言葉狩りに該当しない異同については検証の対象にしていない。くれぐれもお間違えのないよう。

 

 

本題に戻る。うだうだ逡巡していたところ、運良くとても参考になるブログを発見した。それがこちら。

 

「はなバルーンblog」☜)

 

このブログの管理人おおはたさんは昭和のマンガがお好きらしく、近年刊行された手塚治虫本に通じていらっしゃる。手塚治虫カテゴリを中心にブログをじっくり読ませて頂き、大変役に立つ情報を得ることができた。おおはたさんには深く御礼申し上げる。「はなバルーンblog」の文章をそっくりそのまま転載するのもどうかと思われるし、私が抱えている疑問に対し必要最低限のことを下記に引用させてもらった。

 

 

   『どろろ』 秋田書店/サンデーコミックス

初刊にあたるサンデーコミックスは今でもリプリントされ、現行本として流通しているが、ある時点から改変がなされているため、言葉狩りの無いものとなると初期の版を探さねばならない。


 

  『どろろ/手塚治虫トレジャー・ボックス』 国書刊行会

「はなバルーンblog」コメント欄の投稿によれば、手塚治虫トレジャー・ボックス全三巻に語句改変は無さそうとのこと。


 

   『旋風Z・ハリケーンZ/手塚治虫オリジナル版復刻シリーズ』 国書刊行会

〝きちがい〟などの言葉も、そのまま生かされている。


 

   『カラー完全版 ふしぎな少年』 小学館クリエイティブ

小学館クリエイティブは多数の手塚治虫作品を復刻しながら、それらは自主規制が当り前だったのに、この本はいわゆる差別用語とされそうなワードをそのまま収録している(おおはたさんが初出誌未確認ゆえ100%断言はできないけれど、とのこと)。


 

   『三つ目がとおる《オリジナル版》大全集』 復刊ドットコム

言葉狩りがなされている。


 

   『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』

ユニット13まではジェネオン・エンタテインメントから、ユニット47は復刊ドットコムからの刊行。いずれのユニットも言葉狩りがなされている。


 

   『ブラック・ジャック大全集』 復刊ドットコム

言葉狩りだけでなく、『手塚治虫文庫全集』で除外されたエピソード九篇のうち六篇は収録しておきながら、大全集を謳いつつ「指」「植物人間」「快楽の座」の三篇が未収録。これらは手塚プロの意向により、将来も収録する予定なし。


 

   『手塚治虫漫画全集』 講談社

1977年に第一期がスタートし、第四期をもって1997年完結。手塚が亡くなったあと刊行された第四期だけでなく、第三期以前の巻にも言葉狩りされている箇所がある。

 

 

 

以上の事柄を整理して、次のような結論に辿り着いた。

 


 

 手塚治虫が亡くなった翌年の暮、「黒人差別をなくす会」と名乗る人々の攻撃により『手塚治虫漫画全集』第一期~第三期分が出荷停止に追い込まれた前例もあったりしたので、その後の手塚プロは作品を復刊する版元の意向がどうであれ、抗議を受けそうな箇所は自ら進んで闇に葬ってしまう方針を貫いているのではないかと私は疑っていた。だが「はなバルーンblog」を見る限り、そうとばかりも言えないようで、結局のところ出版社の姿勢次第っぽい。

 

 

◆ 私の推測どおり国書刊行会は自主規制/言葉狩りをやってないようで安心した。『アドルフに告ぐ/オリジナル版』にポリコレ改変は無いとみてよかろう。

 

 

◆ 大抵の大手出版社が抗議に弱腰なのは日常茶飯事だとして、復刻が売りの復刊ドットコムが自主規制デフォルトなのは、あれだけぼったくり価格にしておきながらどういうつもりなのか。よくわからないのは小学館クリエイティブ。ちゃんとした本を出してくれるのは嬉しいけれど、それまでずっと言葉狩り本を出していたのに急に方針転換されても、マニアはともかく一般ユーザーはおいそれと気付けないよ。


 

 

『手塚治虫漫画全集』が自主規制されている以上、後発の『手塚治虫文庫全集』も同じ道を歩んでいるのだろうし、平成以降に発売された手塚本は一部の例外を除き、言葉狩りが一律なされていると見做さざるをえない。表現が捻じ曲げられている本を買いたくないのであれば、面倒だが事前リサーチしておく必要がある。例えば「奇子」だったら復刊ドットコムの〈オリジナル版〉は通常の単行本ヴァージョンと異なる初出ヴァージョンを収録しているのだから所有する価値がなくはないが、前回の記事で述べたとおり、しっかり言葉狩りを喰らっているので大っぴらには薦められない。

 

 

では通常の単行本ヴァージョンだと、どの本なら大丈夫なのか?歴代の『奇子』単行本すべてをチェックしていないけれど、ここまで行ってきた検証からして残念ながら1990年以後にリリースされたものはどれもこれも言葉狩りがデフォルトだと思ったほうがいい。唯一買ってもいいのは最も旧い大都社Hard Comicsだが、これにも注意点はある。『下巻/奔流の章』は表カバーの色が前々回の記事にupした臙脂色ではなく明るめな紺色のものもあり、これが第一世代の版。臙脂色は第二世代。価格変更する毎に改版しているようだが、表カバーが奇子の泣き顔であればOK




 

 大都社Hard Comics『奇子』(下巻/奔流の章)第一世代の版





ところが大都社Hard Comics版にはガラッとカバーデザインを変更した第三世代の版も存在し、奥付が昭和6012月初版となっている。この第三世代は未見だし言葉狩りから逃れられているか時期的にも微妙なので、同じ大都社の本とはいえ自主規制されていないとは言い切れない。言葉狩りされていない『奇子』旧単行本を探す方は、第三世代の大都社Hard Comics版を見つけても慌ててすぐ買わずに、前回の記事にて比較紹介した場面をひとつでも現物チェックした上で入手したほうがよい。



大都社Hard Comics『奇子』第三世代の版


 

 

 (銀) いつも言っていることだが、本でも映像でも本来あるべき表現が改変されたものはすべからく欠陥品だと私は考えている。そんなものを喜んで買ったり抗議の声を上げないから、いつまで経っても自主規制の欠陥品はなくならない。復刊ドットコムの復刊本を気軽に買ってはいけないのがよくわかったのは収穫だった。





2023年7月9日日曜日

『奇子〈オリジナル版〉』(全二巻)手塚治虫

NEW !

復刊ドットコム
2017年12月発売(上巻/下巻)



★★   初めて別エンディングを収録しておきながら

 

 

前回(☜)からの続き。

ネット情報によると、復刊ドットコムの『火の鳥〈オリジナル版〉復刻大全集』(函入りハードカバーB5判/2011年刊)は〝初出連載内容再現〟を謳いながら言葉狩りをしている箇所があるそうだ。2011年の復刻大全集を1st editionとするなら、2022年に再発された同書ソフトカバーA5判は2nd edition。で、『04/鳳凰編』を2nd editionで入手してみたら、(旧単行本『火の鳥』は現物では確認していないけれど)やっぱり2nd editionでも本来あるべき表現が消去されていた旨、613日の記事(☜)にてお伝えした。




となると、初出・初刊の復刻であろうがなかろうが手塚プロは100%自主規制を前提として作品を再刊し続けているのか、はたまた、どの作家であっても復刊ドットコムは事なかれ主義で言葉狩り改悪編集を行っているのか、知っておかねばなるまい。そういえば「奇子」も2017年に復刊ドットコムから初出ヴァージョンの〈オリジナル版〉が出てたっけ。たしかこれ友達が持ってたなと思って訊いてみたら、「もう何度か読んじゃったし、函入りでサイズがデカいんで(ちなみにこれもB5版)持て余している」と言う。そんなら御馳走するから是非とも譲ってほしい」とおねだりすると、即OKの返事が。持つべきものは友達だ。

これで大都社Hard Comics版(旧)と復刊ドットコム版(新)、双方の『奇子』単行本を並べて言葉狩りがされているかどうか、比較できるようになった。検証結果は次のとおり。下線は私(=銀髪伯爵)によるもの。

 

 

【大】= 大都社Hard Comics

【復】= 復刊ドットコム版

 

 

【大】 上巻 31ページ

天外仁朗「白痴の女にかわいそうじゃないか、にいさん。」

【復】 上巻 29ページ

天外仁朗「かわいそうじゃないか にいさん」

知恵遅れの少女お涼(愛嬌があって私は好きなキャラだ)に関するシーンには元々〝白痴〟表現が使われていたが、復刊ドットコム版では前後の文字ごと消してしまうか、もしくは別の言い方に置き換えてしまっている。〝白痴〟は何度も出てくるので、この一箇所のみ記しておく。

 

 

【大】 上巻 33ページ

天外市朗「みんなアメリカのキチガイどものしわざさね」

【復】 上巻 31ページ

天外市朗「みんなアメリカ人どものしわざさね」

 

 

【大】 上巻 39ページ

天外仁朗「おやじは気が狂った!!

【復】 上巻 37ページ

天外仁朗「おやじは狂った!!

 

 

【大】 上巻 158ページ

天外作右衛門「キチガイめが!!

【復】 上巻 159ページ

天外作右衛門「裏切者めが!!

〝キチガイ〟は他にも使われているシーンあり。

 

 

【大】 上巻 165ページ

天外仁朗「さいわい相手が白痴の女だから」

【復】 上巻 168ページ

天外仁朗「さいわい相手が白痴の女だから」

このコマだけは何故か復刊ドットム版でも〝白痴〟表現が生き残っている。見落としか?

 

 

【大】 上巻 191ページ

天外仁朗「こんな毛唐のスパイのお先き棒(ママ)

【復】 上巻 195ページ

天外仁朗「こんな外国のスパイのお先棒」

 

 

【大】 上巻 340ページ

天外奇子「うん奇子狂人になったの。」

【復】 上巻 346ページ

天外奇子「うん奇子気い狂ったの

このシーンでは〝狂人〟を書き変えているくせに、復刊ドットコム版下巻309ページの天外志子のセリフでは「狂人の血統なの?」と、そのままになっている。これも見落とし?

 

 

復刊ドットコムは「奇子」初出時の別エンディングを初めて単行本収録していながら、こんなに言葉狩りをやらかしているようでは話にならぬ。以前『アドルフに告ぐ/オリジナル版』(国書刊行会)の記事を書いた時にはあまりいろいろ考えず★5つの満点にした。国書刊行会が言葉狩りの語句改変を行っている本なんて心当たりがなく、「アドルフに告ぐ」の掲載誌は大人が読む『週刊文春』だから、自主規制に対して十代向けのマンガ雑誌ほど神経質ではなかったのでは?と軽く考えてもいたし。

 

 

連載期間が元号にして昭和58年から昭和60年の間だったから、出版業界全体にもう言葉狩り汚染が浸透していた可能性は十分ありうる。『文春』編集部がすでに言葉狩り対策をとっていれば、連載の段階でヤバそうな表現は手塚に使わせないよう指示していたに違いない。また初出内容に自主規制の対象となりそうな言葉が無いのなら、のちにいくら単行本が再発されようとも言葉狩りをする必要は無くなる。初出の『文春』をすべてチェックするのは無理でも、初刊本ぐらいは目を通しておきたいところだが、私の持っている『アドルフに告ぐ』は三世代目の単行本にあたる平成4年文春文庫ビジュアル版。その点ちょっと詰めが甘く、本日の記事を書きながらずっと気になっていた。(このためだけに中古で『アドルフに告ぐ』初刊本を買いたくはない)

 

 

何か良い判断材料はないかな~とネットを見ていたら、あったあった。手塚の単行本の言葉狩りについて参考になるwebサイトを見つけましたよ。次回の記事で紹介します。つづく。

 

 

 

(銀) 手塚治虫は「奇子」の連載をもっと続けたかったが、やむを得ぬ事情があって終了せざるをえなかったと生前に語っている。奇子のその後の人生を描く構想だったそうだけども、これはやらなくて正解。

 

 

「奇子」終盤のストーリーは昭和48年まで時代が下ってきていた。奇子ちゃんは物語冒頭(昭和241月)わずか四歳、エンディングでは二十八歳ぐらいに成長している(精神年齢はずっと昔のままだけど)。もしもあのエンディングのあとを描くとなると彼女は三十路に入ってしまう。前回の記事でも書いたように、この物語は〈旧・昭和〉を描いているところに商品価値があり、三十を過ぎた奇子が昭和50年代のチャラくなってゆく日本社会の中で生きるなんて、いくら彼女が美人でも私は見たくないし、あの終わり方しか正しくない。





2023年7月6日木曜日

『奇子』(全二巻)手塚治虫

NEW !

大都社 Hard Comics
1974年1月発売(上巻「深淵の章」/下巻「奔流の章」)




★★★★★   探偵小説が好きな人こそ読んでみて




 私にとっての手塚治虫といったら「アドルフに告ぐ」もしくは「奇子」、この二択になる。手塚の描く絵のタッチは丸っこくてラブリーゆえ、明るいパブリック・イメージを持たれがち。絶対的知名度のわりに、たいして彼の漫画を読んだことのない一般層からは、今でも「鉄腕アトム」風の未来派作品が多くを占めると思われているのなら、それは嘆かわしい誤解。

 

 

「奇子」についてネットで検索してみると、陰惨/横溝正史や松本清張っぽい/エロティック/トラウマになる等のコメントが見られ、そんな感想の全てが間違ってるとは言わない。けれども口当たりのよくない題材を扱った手塚作品は他にいくつも存在してるし、「奇子」を読んだ大のオトナが「ショッキングすぎて子供に読ませられない」なんてガクブルするのは、日本人の幼児化が甚だしい証拠。こういうのこそ〝巻を措く能わず〟なストーリー漫画なんだがなあ。何よりもまず、「奇子」が発表された時代背景を簡単に説明しておく必要がありそうだ。

 

 

 今とは比べもんにならないぐらい表現が暗く、エロもありありな成人向け漫画雑誌だった昭和47年の『ビッグコミック』に「奇子」は一年半連載された。あさま山荘事件の年といえば想像し易いかな。まだ「のたり松太郎」(ちばてつや)さえ始まっておらず、私の脳裏に残っているのは「さそり」(篠原とおる)と、ルーツ編第一作「日本人・東研作」が描かれたあたりの「ゴルゴ13」なぜか連載時の「奇子」の記憶は欠落していて、禁断の香りを放つこのマンガに惹かれるようになるのは数年後。流行り出したラブコメが私の趣味に合う筈もなく、読みがいのあるマンガを渇望していた頃、大都社Hard Comics版単行本で再び奇子」に出会っている。

 

 

子供の喜ぶ明るさ/わかりやすさとは真逆なベクトルの劇画が占めていた『ビッグコミック』に連載するのだから、「奇子」のような作風に手塚がチャレンジを試みたのは冷静に考えればそれほど驚くことでもない。当時の私はちっともわかっていなかったが、ちょうど彼はヒット作を生み出せず雌伏の時期でもあった。逆風を受けていた手塚の負のマグマが噴出し、ずっしり手応えのある「奇子」みたいな作品が誕生したのだから、なんとも痛快じゃないの。

 

 

 「アドルフに告ぐ」も「奇子」も純粋なミステリではない。然は然り乍ら、日本の探偵小説が好きなら必ず楽しめる要素がこの二作にはたっぷり詰まっている。もし「アドルフに告ぐ」が全編海外を舞台にした物語だったら、私はそこまで入れ込まなかったかもしれない。あれは手塚治少年が実体験した戦前日本(特に関西)の情景が丁寧に描き込まれているから素晴らしいのである。「奇子」のプロットは青森の大地主・天外一族が長きに亘って膿んできた病巣を描くものだが、天外家の人々が口にする血の通った東北弁や、並の漫画家なら描かずにすませるであろう幼い奇子の排尿/初潮シーンをてらいもなく描いてしまうところなど、半端ないリアリティの実践に唸らされるばかり。

 

 

その上、あの〝下山事件〟までもがストーリーの重要な鍵になっている。どうやら手塚は下山総裁他殺説を信じていたようだ。仮に東京オリンピック前の昭和を〈旧・昭和〉、それよりあとの昭和を〈新・昭和〉と呼ぶならば、私は〈旧・昭和〉の日本を描く手塚作品に最も中毒性を感じる。他人の作った筋書きを手塚がコミカライズしたものってひとつも思い浮かばないから、あくまで自分が考えたプロットでないと納得しなかったのかもしれないけれど、「アドルフに告ぐ」そして「奇子」を読むと、日本の探偵小説を忠実にコミカライズした長篇漫画を一作ぐらい手掛けてほしかった思いに駆られる。手塚だったら日本人が忘れてしまった昔の風景・昔の身なり・昔の言葉遣いをきっちり再現してくれそうな気がして。

 

 

 

(銀) 〝半端ないリアリティ〟と書いたが「奇子」の中で一箇所だけ文句を言いたいところがあって、それは天外仁朗が自分の車で下田警部を送る途中、横付けしてきた車に乗っていた殺し屋に銃撃され重傷を負うシーン。天外仁朗は暗黒街のボスだから運転席後部の右座席に乗るのは当然で、下田警部は後部左座席に乗っている。後方から近付いてきた殺し屋は天外仁朗の車の左側に停車して銃撃するため、殺し屋の車に近い下田警部のほうが被弾する確率は高い筈なのに、彼は軽傷。天外仁朗は十二発も喰らってしまう。日本は右ハンドルかつ道路左側通行ゆえ、そう描かざるをえなかったのかもしれないが、この不自然さはなんとかしてほしかった。

 

 

『火の鳥(オリジナル版)/04鳳凰編』で予告していたとおり、復刊ドットコムより復刊された手塚作品の言葉狩り問題を検証してみなければならない。ここまで結構長くなってしまったため次回に先送りとする。

『奇子〈オリジナル版〉』(☜)へつづく。





2023年6月23日金曜日

『リュウの道』(全八巻)石森章太郎

NEW !

講談社コミックス
1970年10月発売(第一巻)




★★★    神と人類




1968年、「2001年宇宙の旅」公開。その翌年にはアポロ11号月面着陸。宇宙/UFO/超能力/世界の魔境/ノストラダムスの大予言・・・核の脅威に世界が脅え、1970年代に入るとなお一層オカルトで非現実なものに若者が熱狂した時代。漫画の世界では手塚治虫「火の鳥/黎明編」が1967年にスタートしている。カオスな時流の中で「リュウの道」は1969年、子供向けTVアニメタイアップ無しのガチSF作品として『週刊少年マガジン』に発表された。本日紹介しているのは初刊本講談社コミックス全八巻。現在に至るまで再発回数が少ないのもあってか、過去の単行本のうちカバー表1(=オモテ表紙のこと)のデザインはダントツでこの講談社コミックス版が優れている。

 

 

【プロローグ】

シリウス第五惑星へ向け旅立つ日本初の恒星間旅行船フジ一号に単身無断潜入した柴田リュウ。船内で気を失っていたリュウを乗員が発見したのは地球を出発して三日後だったため、再び地球に戻ってくる四十年後まで彼は冷凍睡眠筒(コールド・スリープ・カプセル)の中に入れられ、長い長い眠りについていた。

 

リュウが目を覚ました時、フジ一号はある星に無事着陸していたが、既に全員死亡していた乗員達が書き残した航海日誌を読むかぎり、フジ一号は地球へ帰るよう自動操縦装置がセットされていたこと以外何もわからない。宇宙船の外へ降り立ったリュウはそこが自分の記憶とは全く変わってしまった地球(=日本)だと悟るが、原生林より双頭のヒョウ/猿人/異臭を放つ食肉植物が姿を現わし彼に襲いかかる。

 

 

グッとくるのはなんといっても重厚に描き込まれた背景画。『少年マガジン』黄金期に連載されていただけあって、今オトナが読んでも全然チャチではない。リュウがマリア(美少女)/ジム(マリアの弟)/ペキ(リュウに助けられた猿人)/アイザック(大量生産ロボットの一体)/一つ目小僧・ムツンバイ(奇形ミュータント)/ゴッド(事故に遭ったため自らをサイボーグに改造した老人)/コンドル(額に第三の目を持つミュータント)と出会ってゆき、謎の支配者に辿り着くまでの第一部(講談社コミックスでいうと第五巻まで)は☆5つ進呈したってかまわないくらいの面白さ。

 

 

ところが第二部へ突入して、イルカが人間批判したり日本の開国に反対する浪人が出てきたり、リュウとコンドルがニッポン島へ乗り込むあたりも公害問題を持ち出したはいいが、うまくエンターテイメント昇華できていないところに疑問が残る。しかも、最終局面を迎えて神と人類に対する言及が観念的になり過ぎ、広げた大風呂敷をキレイに納められなくて、カタルシスを得られないまま物語が終わってしまう。それがなんとも惜しくてならない。人類の未来を背負う運命を自覚する主人公だが、もしかするとゴッドやコンドルらと比べてリュウが一番キャラ立ちが弱くなってしまったような・・・気のせいだろうか?第二部なり結末に満足していれば、そうは思わなかったのかもしれないが。

 

 

私の手元にある講談社コミックス版『リュウの道』は全巻すべて初版ではなく昭和50年代の再刷だから絶対大丈夫だと断言はできないが、年代的にこの初刊本はギリギリ言葉狩りを免れているのではないか。講談社コミックスよりも後に再発された単行本でこれから「リュウの道」を全編お読みになられる際、

〝なんて気ちがいじみた世界〟

〝気がくるいそうだっ〟

〝人間の住んでいる部落〟

〝地球発狂論〟

〝生まれそこないかたわ者〟

〝小僧は・・・・おしじゃねえのか?〟

これらの語句がもし見当たらなかったら、その本は自主規制で歪められた言葉狩りの欠陥本だと思って頂いてよろしい。

 

 

 

(銀) 神と人類・・・・それは「火の鳥」や「デビルマン」でも見られた素材。対象が壮大なだけに、うまくエンディングを着地できればその漫画は傑作として持て囃されるけれど、見通しを誤ってしまうと折角そこまでよくできていても台無し。「サイボーグ009」にしたって地下帝国ヨミ編で完結しとけばよかったのに、そのあと未練がましく続けたあげく作品の価値を薄めてしまった。日本の漫画業界は雑誌連載が基本システムだから、いつの時でも続きものの長篇だとややこしい内部事情が漫画家サイドには発生するんだろうなあ。「デビルマン」の場合はアニメが終了するから『マガジン』の連載を早く終わらせろって編集部が永井豪に強要した結果、ああいうエンディングになり皆凄い凄いと絶賛するけれど、たまたま運が良かっただけの偶然の産物にすぎない。




2023年6月13日火曜日

『火の鳥〈オリジナル版〉/04鳳凰編』手塚治虫

NEW !

復刊ドットコム
2020年11月発売



★★   〈オリジナル版〉を謳いつつ、その実態は言葉狩り本




  復刊ドットコムは2011年、「火の鳥」の初出誌連載ヴァージョンを【オリジナル版 復刻大全集】と銘打ってリリース。函入りハードカバー上製B5判(雑誌サイズ)全14巻。一冊あたりの価格は巻によって異なるが、だいたい7,700円~10,450円。この函入り仕様は今でもまだ市場に残っている巻がある。




全ての巻をまだ売り切っていないのに、やっぱり「火の鳥」はマネーになるのだろう、2020年になるとプライスダウンしたソフトカバーA5判12巻が再び発売される。私なんかは「火の鳥」に対してそこまで思い入れも無いし、一冊が7,000円以上もする昨今の豪華本コミックス商法には疑念を抱いているので、様子見するつもりで『04 鳳凰編』のソフトカバー版を入手してみた。もともと「鳳凰編」2011年版の函のデザインも好ましいと思ってなくて、ソフトカバー版の落ち着いたカバーデザインのほうがずっと良い。(2020年ソフトカバー版『04 鳳凰編』の価格は4,290円)


2011年の函入りハードカバー『火の鳥(オリジナル版)/04 鳳凰編』


先程も述べたように、この復刊ドットコム版は雑誌『COM』に連載された時の初出ヴァージョンを初めて単行本化したものゆえ、通常の単行本では見ることのできない各回の扉絵が元通り収められているし、コミックス収録にあたって手塚治虫が加筆・修正するその前の構成が楽しめる。「火の鳥」は妹が昔持っていた90年代の角川文庫版以来の再読だったのもあって、異なるヴァージョンで読めるのは嬉しいものだ。

 

 


 「鳳凰編」は「火の鳥」全エピソード中、間違いなく三本の指に入る傑作だし、どなたでも一度ぐらいはお読みになられた経験がおありかと思う。これは生後まもなく父親の不慮の事故によって片目片腕になってしまった我王の物語である。私は今『COM』を手元に持っていないけれども、我王について連載時には〝カタワ(片輪)〟〝めっかち〟と形容していたそうだ。

ところがこの復刊ドットコム版は初出に忠実な【オリジナル版】を謳っておきながら、〝カタワ(片輪)〟〝めっかち〟という言葉がどこにも見つからない。結局、角川書店や講談社など大手出版社の本と何ら変わりない言葉狩りが横行している。〝こじき〟〝気がくるった〟はOKで、〝キチガイ〟〝白痴(こけ)〟はダメだという、釈然としない倫理観。

 

 

復刊ドットコムって復刻・復刊が主力だろ?「火の鳥」にやらかした要らざる語句改変が果して手塚プロダクションのルーティーンなのか、それとも復刊ドットコムの方針なのか、私には解らないが、どっちにしろこんな高すぎる価格を設定しといて言葉狩りが当り前なら、心底許すべからざる会社だ。もし機会があったら、他の本もチェックしてみないとな。

 

 

 

(銀) 私のBlogで取り上げてきたマンガは、内容的にはどれも皆好きなものばかりなんだが、ポリコレ自主規制のもとで再発されたコミックスは減点せざるをえないのがツライ、というか腹が立つ。復刊ドットコムの『火の鳥』なんて【オリジナル版】と言っているのに語句改変って、詐欺じゃん?こんな風に昭和のマンガは探偵小説とは比べものにならないほど言葉狩りの標的にされ、正しい形でリイシューされる機会は殆どない。「発売当時のまま!」とか、「オリジナルどおり!」とか、嘘っぱちの売り文句に騙されてはいけない。

 

 

まったくテキスト校閲をしていない善渡爾宗衛のゴミ本を買う奴らもそうだが、こういう欠陥品を考えなしにホイホイ買う莫迦が多いのも問題だね。LGBTとかやる必要のない法案など全部チャラにして、ポリコレ自主規制病から日本の創作物を守ってくれるような、正常な感覚の政治家が誰かひとりぐらいいないのか。




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★★★★★  誰でも気軽に買えないような売り方は嫌だが内容的には満足 (☜)