2024年5月24日金曜日

『シシリアの貴族』バロネス・エムムスカ・オルチイ/上塚貞雄(譯)

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博文館文庫
1939年8月発売



★★     ホームズ時代の徒花




大英帝国を代表する名探偵シャーロック・ホームズの尋常でない人気を受け、雑誌の編集者から「ホームズみたいなのを書いてみない?」と勧められてバロネス・オルツィが着手したのが隅の老人シリーズ。ドイルの作家活動期間とオルツィ夫人のそれとは、六歳年長のドイルが若干先行しているとはいえ、ほぼ重なり合う。

 

 

弁護士パトリツク・マリガンそして物語の語り手でもある相棒のマツギンスをメインに据えた十の事件簿は、隅の老人シリーズより後に発表されたもの。パトリツク・マリガンの綽名を上塚貞雄(=乾信一郎)危機一髪君と翻訳していてコメディー・タッチのミステリに間違われそうな呼び名だが、笑いの要素は無い。


「サルタシ森の殺人」

「シシリアの貴族」

「ダフイルド家爵位事件」

「カザン眞珠」

「ギブスン少佐事件」 

 

「倒の〝五〟」

「土耳古石のボタン」

「モメリイ家相續事件」

「マートン・ブレビイの慘劇」

「ノリス夫人事件」


そして本書のどん尻には隅の老人シリーズから一篇、「地下鐵の怪事件」が中途半端なオマケのように入っている。この文庫のアーリー・ヴァージョンにあたる博文館版世界探偵小説全集21『オルチイ集』には上記の十一篇に加え、隅の老人シリーズもの「バーミンガムの殺人」「エリオツト孃事件」「老孃殺し」「ノヴエルテイ劇場事件」「トレマーン事件」「行方不明」の六篇が収録されていた。

 

 

昔の旧訳は大好きなクチなんだけど、パトリツク・マリガンとマツギンスのコンビはホームズ&ワトソンのジェネリックにしか見えず、どうもそれが気になって困る。ある事件では二人が乞食に化けるのだが、まるっきりそっくりなシーンに描かれている訳でもないのに、ホームズ物語の影がぼんやり透けて見えてしょうがない。おまけに、この上塚貞雄訳危機一髪君シリーズは抄訳らしく、その刈り込みが作品をスポイルしているのかな?

 

 

マリガンのもとに持ち込まれる犯罪まで全部が全部安直だとは言わないけど、主役二人のキャラ付けと動かし方にはひと工夫欲しいね。オルツィ夫人=「隅の老人」、そんなイメージの定着は確かにある。でも古めかしい冒険ロマン長篇「紅はこべ」でさえ戦後復刊されているのに、危機一髪君短篇集が置いてけぼりなのは、このシリーズが「紅はこべ」以下の評価しかされていない証拠だとしたら、少々複雑な気分。 

 

 

 

(銀) なんだろう、皮肉にもホームズ物語がいかに再読に耐えうる上質な小説であるか、そっちのほうが際立ってしまうんだよな。ホームズの時代に世に出た探偵たちは〝ホームズのライバル〟と呼ばれたりもするけれど、パトリツク・マリガン&マツギンスでは残念ながらホームズ&ワトソンの引き立て役に見えてしまって、隅の老人より見劣りがする。





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