2023年7月23日日曜日

『中国大陸横断〈満洲日報時代の思い出〉』島田一男

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徳間文庫
1985年8月発売



★★★   甘粕正彦との意外な交流




 昭和47年に『大陸秘境横断』と題し桃源社より刊行されたエッセイを改題・文庫化。その後再刊されていない。昭和5年島田一男渡満、翌年満洲日報社に入り、日本が戦争に敗れるまで新聞記者として十五年勤務。ここでは外地の異境で見聞した、冒険読物になりそうな体験談を十本のテーマごとに回想。従軍記者といってもよく、人生の或る時期にスポットを当てた自叙伝めく内容ではない。ノモンハンで日本が惨敗した時は別にして島田の筆は全然重苦しくない、というより、かつての日本人らしくおおらかでどこかノンビリもしている。

 

 

『満洲日報』となれば島田の上司にあたる同社社会部長・山口海旋風のことが断然知りたくなるのだけれど、「破壊神の第三の眼」の作者についての描写はちょっとしかなくて、現在でも詳細な経歴は明らかになっていない。本書の中で島田の相棒としてよく行動を共にしている〝山口君〟なる人物は写真部長の山口晴康であり、山口海旋風とはまったくの別人。

 

 

戦後の島田が溢れかえるほど書きまくった小説の数を少し減らしてでも、満洲における文壇絡みの人脈や日本が満洲で発行していた新聞/雑誌/書籍について、事細かな回想録を(本書だけでなく)何冊も書き残してくれてたら資料として非常に有益なものになったのだが、そんな書物を書くよう勧める人もいなければ、島田自身優秀な記者ではあってもアーカイビストではなかったのが残念。

 

 

❃ 匪賊や隣国兵から襲撃される命の危険を常に伴いつつ取材した北満原始林の猛獣狩り/零下二十度の極地・鏡泊湖/黒竜江上流での大日食観測/当時の日本にとって大切な資源地だった興安黄金郷/秘密地帯・熱河離宮など、それら大自然の神秘のリポートは大陸を舞台にした自作(下記の島田一男関連記事リンク『鮮血の街』を見よ)にフィードバックされているので価値はあるが、私としては先に述べた山口海旋風しかり、本書の中でちょこっと顔を出す人々のほうが面白かったりする。

 

 

『満洲日報』は満鉄の子会社だし関東軍と深い繋がりがあるのだから関わりがあっても不思議はないとはいえ、島田一男があの甘粕正彦と面識があったとなると歴史のロマンを感じずにはいられない。大杉栄を殺し、映画『ラストエンペラー』で傀儡皇帝溥儀を支配するフィクサーとして描かれていた甘粕も島田にかかっては形無し。

満洲国の皇帝に担ぎ上げられる直前の溥儀を取材せんと突撃するも、甘粕が許可してくれる筈がない。そこでキレた島田、真夜中の温泉につかりながらスットントン節をうなり始めたら、スッポンポンで仁王立ちした甘粕が一言、

「君の気持ちはわかる。だが、今夜までのことは、歴史上永遠の秘密なんだ。な、明日から満洲国の新しい歴史が始まる。我慢しろよ。仲よくしよう・・・」

だって。まるで小説か映画みたいなセリフ。

 

 

島田が遠藤という特高刑事から教わった痛々しいエピソードもある。日清・日露戦争後、一度でも敵国の捕虜になって帰還した者は日本で非国民/売国奴扱いされるようになっていた(沈没したタイタニック号の事故から帰還した細野正文でさえ非国民呼ばわり)。島田が目にした満人としか思えぬ現地の男、彼は日露戦争でロシアの捕虜になった過去があり、そのため内地に帰れなくなって満人として生きる道を選ばざるをえなかったのだと特高刑事は云う。


 

満洲が日本の植民地になって以降も、その男のように二度と日本人に戻ろうとしなかった日本兵が閉じ籠るように暮らす村がその頃旅順/金州あたりにあったそうだ。拡大主義の軍国路線以上に、御国のため命を賭した自国の兵士に対してこんな扱いを平気でしていた戦前の日本社会が醜すぎる・・・と過去の話にしてしまいたいけれど、これって根本はネット炎上/バッシングと何ひとつ違わない。冒険読物然とした他の逸話を押しのけて、この悲話を記した「満洲平家村を訪う」の章が本書の肝となろう。

 

 

 

(銀) 関東軍繋がりの満洲日報社で働いていたという理由から、島田一男を批判的に見る奴が現代人の中にいたりするのだろうか?その行為はまさしく上記に書いた、不幸にして敵国の捕虜になってしまった同胞を非国民呼ばわりするのと同じこと。人のことをネトウヨだのパヨクだのほざくネット民こそ百億倍〝クズ〟だと私は思います。

 

 

 

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『鮮血の街』

★★★★  パンデミック小説「黒い旋風」  (☜)

 

『黄金孔雀』

★★★★  これ一冊だけの復刻では島田一男ジュブナイルの特徴は見えてこない  (☜)





2023年7月20日木曜日

『船冨家の惨劇』蒼井雄

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春秋社
1936年3月発売



★★★★★   南波喜市郎の後ろに控える師・赤垣瀧夫の是非




 前々回の記事で春秋社について書いたからには同社が実施した長篇探偵小説懸賞企画の一等を獲得した「船冨家の惨劇」にも触れておかねばなるまい。日本人オリジナル本格長篇の創作となると先輩作家は理想を掲げるばかりでまだまだ実作を生み出せずにいた。そんな中、シーンに登場したばかりのニュー・フェイス蒼井雄、リアリティー重視を狙ってクロフツ流の物語を敢然と世に放ったのである。

 

 

♧ 講談チックな涙香調で育った当時の日本人にすればこの種の筋立ては如何せん地味だし未知の領域(?)。前半がダルくなるのは〝本格長篇あるある〟なれど、あの頃頭ひとつ抜けて海外ミステリの精通者だった井上良夫にして「工夫が足りぬ」「実話風に墜して退屈」と前半部に苦言。相手(蒼井)はまだ新人なのに厳しぃ~。さらに井上は、本作の探偵役・南波喜市郎の師にあたり後半になって登場してくる赤垣瀧夫(作者は彼を日本のホームズと呼んでいる)みたいな存在はコツコツ謎解きしてゆくのが醍醐味のクロフツ流には調和しないのでは、と首を傾げた。

 

 

「船冨家の惨劇」が後年の鮎川哲也や松本清張の先駆となりえた功績はどんな評者であろうとも否定のしようがない。私なんか無味乾燥な時刻表トリックは夢中になれないタチだけどそれでも本作を楽しめる理由は、肩に力が入り整然としていない文章を結果的にカバーしている伝奇風の古色蒼然たる語り/演出があるからかも。なにげに蒼井雄は明治42年生まれの人。そういう古めかしさを前向きに楽しめない人は本作のみならず『銀髪伯爵バードス島綺譚』を覗いたところで「そんな古臭い小説、いったいどこが面白いの?」てなりますわな。

 

 

♧ 私の感じる不満は物語も大詰めを迎えて明らかになる小さなふたつの秘密、すなわち催眠術と近親相姦。後者については紀田順一郎も語っているとおり、昔の日本女性はきわめて忍従であるよう強いられていたから大詰めで犯人が吐露しているような事実があってもかまわない。横溝正史的なこの非道行為を或る殺人の動機にもってきたのはいいとして、読者がその事実を知ったあとドス黒さがそれほど糸引かずにサラっと流れていくんだが、あれでよかったのかな?そこに至るまでの伏線を前半に張っておけたら或る人物のキャラにもより奥行きが出たのに。ネチネチと書いたら書いたでお咎め受けそうな時代だし、控えめに済ませたか。

それ以上に困ってしまうのが催眠術・・・カーのようにオカルトを消化した上でプロットに溶かし込むのならアリかもしれないけど、これこそクロフツ流には全くフィットしないんじゃない?大詰めといえば憎々しげに南波喜市郎を嘲笑う犯人の在り様はgoodなんだし、逮捕の瞬間は省略せず、あと少しだけ枚数増やして堂々たるThe Endで締めてほしかった。(とやかく言いながらワタシも蒼井雄に要求が多いな)

 

 

そして井上良夫が疑問を投げかけた赤垣瀧夫の存在についても、言わんとする事はよ~く解る。しかしストレートな例ではないけれど、実行犯の背後で自分の手は一切汚さず其奴を狡猾にあやつる真犯人、みたいなミステリってあるでしょ?赤垣瀧夫の登場は全体のバランスを崩しているかもしれないけど、私は井上と違ってトーシロだからクロフツ流を徹底させてほしい気持はそこまで強くもないし、メインの探偵役・南波喜市郎が面目丸潰れになる展開は嫌いじゃない。全体の整合性がとれているのなら〝二重の犯人〟ならぬ〝二重の探偵〟を設定するのはアイディアとして悪くないのでは?

 

 

♧ 初刊本の春秋社版は南波と須佐が入れ違っている箇所があったり、ルビも含めて誤字があちこち見られたり、それらは蒼井雄が執筆した時のものが残ってしまったのか校閲/植字担当者がやってしまったのか解らないが、この本を底本にする際には特に注意が必要。完成度が高いとは言えないものの戦前の日本でアリバイ崩しを盛り込んだ長篇は貴重。数ある欠点よりチャレンジ精神を買っての満点。

 

 

 

(銀) 「船冨家の惨劇」につづく「瀬戸内海の惨劇」に蒼井雄が登場させたのは天才型探偵・赤垣瀧夫ではなく南波喜市郎のほうだった。井上良夫の「船冨家」評が『ぷろふいる』誌に掲載されたのが昭和11年7月号で、蒼井が「瀬戸内海の惨劇」の連載を開始したのが同じ『ぷろふいる』昭和11年8月号。井上の批評がどれほど蒼井に刺さったかは想像するより他にないが、残念ながら蒼井はこの後「船冨家」に肉迫する長篇を書くことはできなかった。



近代のトラベル・ミステリに私を高ぶらせるものは何もないが、「船冨家」に出てくる南紀その他の舞台をひとつひとつ訪ね歩いたら楽しい旅になるんだろうなといつも妄想している。




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2023年7月17日月曜日

『人魚の舌』島久平

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復刻叢書1
2012年5月発売



★★★★   コテコテな関西人の血

 

 

戸田和光による島久平作品を収めた自費出版本の一冊目『人魚の舌』が刊行されてから、もう十年が過ぎたのか。島久平だけで二十二冊の本が制作されたとはいえ、出回ったのはごく限られた部数だろうし、書名だけでもここに列記しておきたい。たしか送料込みで、一冊あたり1,100円だったと記憶する。



①『人魚の舌』②『死にます』③『金銀捕物帳』④『死神館の恐怖』⑤『見えない女』

⑥『泣いて笑って、殺せ!』⑦『怪犯人赤マント』⑧『任侠一本刀』

⑨『女はナメろ、男はバラせ!』⑩『春画地獄』⑪『日曜は待てない』⑫『もしもし探偵』

⑬『殺人婦賦』⑭『白龍姫』⑮『立て立て、這え這え』⑯『お先へごめん』⑰『無の犯罪』

⑱『不義密通組合』⑲『俺は殺されんぞ』⑳『マンマ、マンマ』㉑『忍法フ棒一』

㉒『H・H・H』

 

 

中島河太郎は『日本推理小説辞典』の島久平の項で、「作者は根っからの本格派であり、同時にコミカルな文体を得意としたので、次第にその双方がからまった作風へ転じた」と述べている。

戦後の日本探偵小説界は江戸川乱歩の本格嗜好派と木々高太郎の文学嗜好派が対峙し、島は前者に属していた。だからといって彼の作品の多くが本格ものかといえば全然違う。『島久平名作選 514』(河出文庫)に入っている短篇は本格の手順を踏んでおり、長篇「硝子の家」「密室の妻」もシリアスなタッチで楽しめるけれど、その手のものは島のキャリアのほんの一部でしかない。改めてそれを我々に気付かせてくれるのが上記の二十二冊なのかも。

 

 

いつもの事で、ミステリ識者がそれまであまり注目されていなかった日本の本格風作品にスポットを当てると、その作家の旧い著書を(本格ものでもなんでもないようなものまで)手当り次第に貪る現象が起こり、古書価が高騰する(諸悪の根源はミステリ専門古書店の値付けにあるともいえるが)。島久平もそんな悪しき風潮によって一部の人々に持ち上げられてきた。例えば生前の著書『女にホレるな』『スパイは裸で死ぬ』『そのとき一発!』『ダブルで二発!』、どれを読んだところで(言っちゃあ悪いが)真面目に論じるような内容ではない。

 

 

斯様な風潮に毒されていた人からすれば、戸田和光が刊行した一連の島久平復刻叢書はさぞガックシきただろうな。だって彼らの求めるバキバキの本格ものはどこにも見当たらないのだから。戸田はシンプルに、島久平単行本未収録作品を纏めたい一心で、この叢書を手掛けたのだろうと私は想像する。上記の二十二冊を順番に読んでいくと、初出媒体の泥臭いカラーに左右された作品→下世話なエロ・スリラー/時代小説/ジュブナイルなどがゴッタ煮状態になっていて、ひたすら猥雑なエネルギーが溢れているばかり。

 

 

本書に収められた「人魚の舌」は昭和27大阪の『国際新聞』に連載された、ハードボイルド系に属する短めの長篇。傾向として、ハードボイルドものは上記二十二冊の中に頻繁に出てくる。島本人は当初本格っぽさも持たせたかったようだが、トリッキーな伏線が最後になってしっかり回収されるようなプロットは日々の連載ではなかなか難しかったらしくて、ありきたりな出来に終わっている。

島久平作品を色々読んでみて、この人にカッチリした構成の小説を求めるのは間違いなんじゃないの?と割り切ってしまうのは私だけかな。心に残るのは各作品の方向性以上に、関西人特有のガヤガヤした感じとでもいおうか・・・・たとえ登場人物が関西弁を喋ってない作品でもそんな空気が伝わってくるし。

その他、「前の席にいるやつはだれだ?」と「陰謀屋X」の二篇を併録。

 

 

どう贔屓目に見ても高評価できる内容ではないが、島久平作品は聞き馴染みの無い関西の媒体に発表されているものが多く、それらのマイナーな初出誌をよく見つけ出したものだな、と感心。この叢書は背の部分に書名と作家名が印刷されてなくて、本棚から見つけ出す際にやや不便ではあるけれど、どこぞの連中と違って価格は良心的。☆4つは作品ではなく編者・戸田和光の仕事に対して。




(銀) 商業出版では『島久平名作選 5-1=4』が出たっきり、論創ミステリ叢書でもミステリ珍本全集でも何ひとつ島の本はリリースされていない。「知っているのは死体だけ」あたりは復刊されるかなと見ていたがそれもなし。今後島久平の現行本がもし出たとしても、内容の出来を鑑みると、上記二十二冊の島久平本の中からセレクトされる作品はほぼ無さそうな気がする。





2023年7月13日木曜日

春秋社と神田豊穂一族

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戦前のある時期、国内外作品問わず探偵小説の単行本を積極的に刊行する春秋社という出版社があった。これまで当Blogでも春秋社の本を何冊か取り上げている(本日の記事の一番下のほうにある■ 春秋社 関連記事 ■のリンクを参照)。先日なにげなく「web春秋 はるとあき」と冠するサイトが存在しているのを発見した。その中に【こころざし 風雪九十四年 「春秋社」小史】と題されたエッセイが載っており、執筆者の名は神田有。春秋社・・・神田・・・これはもしかしたら・・・。

 

 

そのエッセイ【こころざし 風雪九十四年 「春秋社」小史】を読んでゆくと、やはりこの神田有氏は春秋社を創業した神田豊穂のお孫さんにあたり、雑誌『探偵春秋』の編集長だった神田澄二(神田豊穂次男)を父にもつ方であった。ちなみに春秋社の現社長は神田有氏とはいとこ関係にある神田明氏。あとでゆっくりこちら(⤵)のリンクより、現在の春秋社公式サイトを御覧頂きたい。

 

【こころざし 風雪九十四年 「春秋社」小史】 

 

NHK『ファミリーヒストリー』にて講談師・神田伯山の先祖を特集した回が2020年にオンエアされたそうなのだが、松之丞の頃から彼には好感をもっていたのにすっかり見損ねていた。なんでも伯山の曽祖父は神田豊穂と共に春秋社を立ち上げた古舘清太郎だそうで神田有/神田明両氏揃って番組に出演されたという。そもそも伯山は江戸川乱歩が明智小五郎のモデルに見立てたかの五代目神田伯龍と縁浅からぬ男なのだし、『ファミリーヒストリー』を見逃したのは大失敗。いつか再放送される機会があったら必ず録画せねば。

 

 

 

さてさて春秋社と神田豊穂/神田澄二親子関連で押さえておくべきサイトがもうひとつある。

 

【夢野久作『ドグラ・マグラ』出版前後―神田豊穂・澄二書簡から見た出版経緯】 (☜)

 

筆者はいわずとしれた探偵小説研究者・大鷹涼子。これは2008年の『岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要』第26号に発表された論説。現在ネットで自由に閲覧可能。氏は以前より夢野久作に関する書簡について研究を行っており、ここで解析の対象になっている夢野久作宛ての書簡は神田豊穂からのもの八通、神田澄二からのもの七通。いずれも『ドグラ・マグラ』刊行の舞台裏ばかりではなく見落とし厳禁情報が満載。



博文館では刊行を断られ新潮社でも話が途中で立ち消えになってしまっていた厄介ものの「ドグラ・マグラ」に対し、太っ腹の神田親子がドンと引き受けたとはいえ、神田豊穂会長は「〝阿呆陀羅経〟がさすがにクドすぎるのでずっと短く縮めてはくれないか」と久作に告げる。あれほど狂気じみた文章は過去に前例が無く、春秋社からすれば『ドグラ・マグラ』が同社探偵小説本の切り込み隊長になるのだから、慎重にならざるをえなかった。

 

 

柳田泉が『ドグラ・マグラ』の校正をやっているのも注意を引く。神田豊穂曰く「〝忠君愛国〟〝延喜の御代〟、あとエログロなところには多少伏字の✕✕✕表記が入ることを御覚悟願います」と通達。それらの該当する箇所はどこなのか大鷹涼子が示してくれているので、各自お手持ちの『ドグラ・マグラ』を見てみましょうね。刊行後にも澄二は警視庁から「〝聖徳太子〟の四文字を削れ」とのお達しを受けており、昔も今も自主規制漬けな日本人の国民性がちゃんちゃらオカシイ。

 

 

世の中にはその作家や作品をどれだけ好きかポエムよろしく自分に酔っているだけの評論もどきが多いけれど、大鷹涼子の論説は非常に読み甲斐があり、(私にとっては数少ない)いつの時も信頼できる論者だ。以上、ネットでの閲覧とはいうものの春秋社に関するこの二つのコンテンツはすこぶる楽しめた。

 

 

 

(銀) 残念ながら春秋社が探偵小説と関わったのは戦前のほんの数年間、しかもなおかつ空襲によって貴重な当時の本は根こそぎ失われてしまった。願わくば神田明社長と神田有氏にリクエストしたいのだが、現在確認できる豊穂/澄二両氏の全ての文章のアーカイブ、更に明氏と有氏が書き下ろした回想を収録する、春秋社と探偵小説の蜜月を纏めた本を一冊作ってはもらえないだろうか?多少価格が高くなっても絶対私は買いますよ。



   春秋社 関連記事 ■

 

『臨海荘事件』多々羅四郎  ★★★★  戦前のアマチュアが挑戦した本格長篇 (☜)

 

『折蘆』木々高太郎  ★★★  評価に困る代表作 (☜)

 

『トレント自身の事件』E・C・ベントレイ/露下弴(訳)  

★★★  シャンパンのコルクを調べるシーンが好き (☜)

 

『聖フオリアン寺院の首吊男』ジョルジュ・シメノン/伊東鋭太郎(訳)  

★★★  これに比べると乱歩の「幽鬼の塔」はよく書けている (☜)


 


2023年7月11日火曜日

手塚治虫作品をスポイルする自主規制の元を追ってみた

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国書刊行会という会社は旧い作品をよみがえらせる企画が多いから、要らぬ自主規制で表現を捻じ曲げるような出版社ではないと私は思っているけれども、常に絶対そうだとは言い切れない。同社『アドルフに告ぐ/オリジナル版』は売り文句どおり、初出誌『週刊文春』に連載された時のまま改変箇所もなく編集されているのか、当時『文春』を毎週読んでなかったし初刊本も手元にないので判断ができぬ。はてどうしたものか・・・・と行き詰ったところで前回の記事☜)は終わっていた。そのつづき。



一言申しておく。2023613日記事の『火の鳥〈オリジナル版〉/04鳳凰編』、前回・前々回の『奇子』新旧単行本比較、そして今回と、手塚治虫作品の復刊について述べているが、私が気にしているのは発表当時の本来あるべき表現に対し、ポリティカル・コレクトネスの名のもとに不審な改変がされていないかどうか、この一点のみ。手塚が初刊だけでなく自作リイシューの折にふれ納得いかない部分に手を加えていたとはいえ、自主規制/言葉狩りに該当しない異同については検証の対象にしていない。くれぐれもお間違えのないよう。

 

 

本題に戻る。うだうだ逡巡していたところ、運良くとても参考になるブログを発見した。それがこちら。

 

「はなバルーンblog」☜)

 

このブログの管理人おおはたさんは昭和のマンガがお好きらしく、近年刊行された手塚治虫本に通じていらっしゃる。手塚治虫カテゴリを中心にブログをじっくり読ませて頂き、大変役に立つ情報を得ることができた。おおはたさんには深く御礼申し上げる。「はなバルーンblog」の文章をそっくりそのまま転載するのもどうかと思われるし、私が抱えている疑問に対し必要最低限のことを下記に引用させてもらった。

 

 

   『どろろ』 秋田書店/サンデーコミックス

初刊にあたるサンデーコミックスは今でもリプリントされ、現行本として流通しているが、ある時点から改変がなされているため、言葉狩りの無いものとなると初期の版を探さねばならない。


 

  『どろろ/手塚治虫トレジャー・ボックス』 国書刊行会

「はなバルーンblog」コメント欄の投稿によれば、手塚治虫トレジャー・ボックス全三巻に語句改変は無さそうとのこと。


 

   『旋風Z・ハリケーンZ/手塚治虫オリジナル版復刻シリーズ』 国書刊行会

〝きちがい〟などの言葉もそのまま生かされている。


 

   『カラー完全版 ふしぎな少年』 小学館クリエイティブ

小学館クリエイティブは多数の手塚治虫作品を復刻しながら、それらは自主規制が当り前だったのに、この本はいわゆる差別用語とされそうなワードをそのまま収録している(おおはたさんが初出誌未確認ゆえ100%断言はできないけれど、とのこと)。


 

   『三つ目がとおる《オリジナル版》大全集』 復刊ドットコム

言葉狩りがなされている。


 

   『鉄腕アトム《オリジナル版》復刻大全集』

ユニット13まではジェネオン・エンタテインメントから、ユニット47は復刊ドットコムからの刊行。いずれのユニットも言葉狩りがなされている。


 

   『ブラック・ジャック大全集』 復刊ドットコム

言葉狩りだけでなく、『手塚治虫文庫全集』で除外されたエピソード九篇のうち六篇は収録しておきながら、大全集を謳いつつ「指」「植物人間」「快楽の座」の三篇が未収録。これらは手塚プロの意向により将来も収録する予定なし。


 

   『手塚治虫漫画全集』 講談社

1977年に第一期がスタートし、第四期をもって1997年完結。手塚が亡くなったあと刊行された第四期だけでなく、第三期以前の巻にも言葉狩りされている箇所がある。

 

 

 

以上の事柄を整理して次のような結論に辿り着いた。

 


 

 手塚治虫が亡くなった翌年の暮、「黒人差別をなくす会」と名乗る人々の攻撃により『手塚治虫漫画全集』第一期~第三期分が出荷停止に追い込まれた前例もあったりしたので、その後の手塚プロは作品を復刊する版元の意向がどうであれ、抗議を受けそうな箇所は自ら進んで闇に葬ってしまう方針を貫いているのではないかと私は疑っていた。だが「はなバルーンblog」を見る限りそうとばかりも言えないようで、結局のところ出版社の姿勢次第っぽい。

 

 

◆ 私の推測どおり国書刊行会は自主規制/言葉狩りをやってないようで安心した。『アドルフに告ぐ/オリジナル版』にポリコレ改変は無いとみてよかろう。

 

 

◆ 大抵の大手出版社が抗議に弱腰なのは日常茶飯事だとしても復刻が売りの復刊ドットコムが自主規制デフォルトなのは、あれだけぼったくり価格にしておきながらどういうつもりなのか。よくわからないのは小学館クリエイティブ。ちゃんとした本を出してくれるのは嬉しいけれど、それまでずっと言葉狩り本を出していたのに急に方針転換されても、マニアはともかく一般ユーザーはおいそれと気付けないよ。


 

 

『手塚治虫漫画全集』が自主規制されている以上、後発の『手塚治虫文庫全集』も同じ道を歩んでいるのだろうし、平成以降に発売された手塚本は一部の例外を除き、言葉狩りが一律なされていると見做さざるをえない。表現が捻じ曲げられている本を買いたくないのであれば、面倒だが事前リサーチしておく必要がある。例えば「奇子」だったら復刊ドットコムの〈オリジナル版〉は通常の単行本ヴァージョンと異なる初出ヴァージョンを収録しているのだから所有する価値がなくはないが、前回の記事で述べたとおり、しっかり言葉狩りを喰らっているので大っぴらには薦められない。

 

 

では通常の単行本ヴァージョンだと、どの本なら大丈夫なのか?歴代の『奇子』単行本すべてをチェックしていないけれど、ここまで行ってきた検証からして残念ながら1990年以後にリリースされたものはどれもこれも言葉狩りがデフォルトだと思ったほうがいい。唯一買ってもいいのは最も旧い大都社Hard Comicsだが、これにも注意点はある。『下巻/奔流の章』は表カバーの色が前々回の記事にupした臙脂色ではなく明るめな紺色のものもあり、これが第一世代の版。臙脂色は第二世代。価格を変更する毎に改版しているようだが表カバーが奇子の泣き顔であればOK




 

 大都社Hard Comics『奇子』(下巻/奔流の章)第一世代の版





ところが大都社Hard Comics版にはガラッとカバーデザインを変更した第三世代の版も存在して奥付が昭和6012月初版となっている。この第三世代は未見だし言葉狩りから逃れられているか時期的にも微妙なので、同じ大都社の本とはいえ自主規制されていないとは言い切れない。言葉狩りされていない『奇子』旧単行本を探す方は、第三世代の大都社Hard Comics版を見つけても慌ててすぐ買わずに、前回の記事にて比較紹介した場面をひとつでも現物チェックした上で入手したほうがよい。



大都社Hard Comics『奇子』第三世代の版


 

 

 (銀) いつも言っていることだが、本でも映像でも本来あるべき表現が改変されたものはすべからく欠陥品だと私は考えている。そんなものを喜んで買ったり抗議の声を上げないから、いつまで経っても自主規制の欠陥品はなくならない。復刊ドットコムの復刊本を気軽に買ってはいけないのがよくわかったのは収穫だった。





2023年7月9日日曜日

『奇子〈オリジナル版〉』手塚治虫

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復刊ドットコム
2017年12月発売(上巻/下巻)




★★    初めて別エンディングを収録しておきながら

 

 

前回(☜)からの続き。

ネット情報によると、復刊ドットコムの『火の鳥〈オリジナル版〉復刻大全集』(函入りハードカバーB5判/2011年刊)は〝初出連載内容再現〟を謳いながら言葉狩りをしている箇所があるそうだ。2011年の復刻大全集を1st editionとするなら、2022年に再発された同書ソフトカバーA5判は2nd edition。で、『04/鳳凰編』を2nd editionで入手してみたら、(旧単行本『火の鳥』を現物では確認していないけれど)やっぱり2nd editionでも本来あるべき表現が消去されていた旨613日の記事(☜)にてお伝えした。




となると、初出・初刊の復刻であろうがなかろうが手塚プロは100%自主規制を前提として手塚治虫作品を再刊し続けているのか、はたまたどの作家であっても復刊ドットコムは事なかれ主義で言葉狩り改悪編集を行っているのか、知っておかねばなるまい。そういえば「奇子」も2017年に復刊ドットコムから初出ヴァージョンの〈オリジナル版〉が出ていたっけ。たしかこれ友達が持っていたなと思って聞いてみたら「もう何度か読んじゃったし、函入りでサイズがデカいんで(ちなみにこれもB5版)持て余している」と言うではないか。そんなら御馳走するから是非譲ってほしいとおねだりすると、即OKの返事。持つべきものは友達だ。

これで大都社Hard Comics版(旧)と復刊ドットコム版(新)、双方の『奇子』単行本を並べて言葉狩りがされているかどうか比較できるようになった。検証結果は次のとおり。下線は私(=銀髪伯爵)によるもの。

 

 

【大】= 大都社Hard Comics

【復】= 復刊ドットコム版

 

 

【大】 上巻 31ページ

天外仁朗「白痴の女にかわいそうじゃないか、にいさん。」

【復】 上巻 29ページ

天外仁朗「かわいそうじゃないか にいさん」

知恵遅れの少女お涼(愛嬌があって私は好きなキャラだ)に関するシーンには元々〝白痴〟表現が使われていたが、復刊ドットコム版では前後の文字ごと消してしまうか、もしくは別の言い方に置き換えてしまっている。〝白痴〟は何度も出てくるので、この一箇所のみ記しておく。

 

 

【大】 上巻 33ページ

天外市朗「みんなアメリカのキチガイどものしわざさね」

【復】 上巻 31ページ

天外市朗「みんなアメリカ人どものしわざさね」

 

 

【大】 上巻 39ページ

天外仁朗「おやじは気が狂った!!

【復】 上巻 37ページ

天外仁朗「おやじは狂った!!

 

 

【大】 上巻 158ページ

天外作右衛門「キチガイめが!!

【復】 上巻 159ページ

天外作右衛門「裏切者めが!!

〝キチガイ〟は他にも使われているシーンあり。

 

 

【大】 上巻 165ページ

天外仁朗「さいわい相手が白痴の女だから」

【復】 上巻 168ページ

天外仁朗「さいわい相手が白痴の女だから」

このコマだけは何故か復刊ドットム版でも〝白痴〟表現が生き残っている。見落としか?

 

 

【大】 上巻 191ページ

天外仁朗「こんな毛唐のスパイのお先き棒(ママ)

【復】 上巻 195ページ

天外仁朗「こんな外国のスパイのお先棒」

 

 

【大】 上巻 340ページ

天外奇子「うん奇子狂人になったの。」

【復】 上巻 346ページ

天外奇子「うん奇子気い狂ったの

このシーンでは〝狂人〟を書き変えているくせに、復刊ドットコム版下巻309ページの天外志子のセリフでは「狂人の血統なの?」と、そのままになっている。これも見落とし?

 

 

復刊ドットコムは「奇子」初出時の別エンディングを初めて単行本収録していながら、こんなに言葉狩りをやらかしているようでは話にならぬ。以前『アドルフに告ぐ/オリジナル版』(国書刊行会)の記事を書いた時にはあまりいろいろ考えず★5つの満点にした。国書刊行会が言葉狩りの語句改変を行っている本なんて心当たりがなく、「アドルフに告ぐ」の掲載誌は大人が読む『週刊文春』だから自主規制に対して十代向けマンガ雑誌ほど神経質ではなかったのでは?と軽く考えてもいたし。

 

 

連載期間が元号にして昭和58年から昭和60年の間だったから、出版業界全体にもう言葉狩り汚染が浸透していた可能性は十分ありうる。『文春』編集部がすでに言葉狩り対策をとっていれば、連載の段階でヤバそうな表現は手塚に使わせないよう指示していたに違いない。初出内容に自主規制の対象となりそうな言葉が無いのなら、のちにいくら単行本が再発されようとも言葉狩りをやる必要は無くなる。初出の『文春』をすべてチェックするのは無理でも初刊本ぐらいは目を通しておきたいところだが、私の持っている『アドルフに告ぐ』は三世代目の単行本にあたる平成4年文春文庫ビジュアル版。その点ちょっと詰めが甘く、本日の記事を書きながらずっと気になっていた。(このためだけに中古で『アドルフに告ぐ』初刊本を買いたくはない)

 

 

何か良い判断材料はないかな~とネットを見ていたら、あったあった。手塚の単行本の言葉狩りについて参考になるwebサイトを見つけましたよ。次回の記事で紹介します。つづく。

 

 

 

(銀) 手塚治虫は「奇子」の連載をもっと続けたかったが、やむを得ぬ事情があって終了せざるをえなかったと生前語っている。奇子のその後の人生を描く構想だったそうだけども、これはやらなくて正解。

 

 

「奇子」終盤のストーリーは昭和48年まで時代が下ってきていた。奇子ちゃんは物語冒頭(昭和241月)わずか四歳、エンディングでは二十八歳ぐらいに成長している(精神年齢はずっと昔のままだけど)。もしもあのエンディングのあとを描くとなると彼女は三十路に入ってしまう。前回の記事でも書いたように、この物語は〈旧・昭和〉を描いているところに商品価値があり、三十を過ぎた奇子が昭和50年代のチャラくなってゆく日本社会の中で生きるなんて、いくら彼女が美人でも私は見たくないし、あの終わり方しか正しくない。





2023年7月6日木曜日

『奇子』手塚治虫

NEW !

大都社 Hard Comics
1974年1月発売(上巻「深淵の章」/下巻「奔流の章」)




★★★★★   探偵小説が好きな人こそ読んでみて




 私にとっての手塚治虫といったら「アドルフに告ぐ」もしくは「奇子」、この二択になる。手塚の描く絵のタッチは丸っこくてラブリーゆえ、明るいパブリック・イメージを持たれがち。絶対的知名度のわりに、たいして彼の漫画を読んだことのない一般層から今でも「鉄腕アトム」風の未来派作品が多くを占めると思われているのならば、それは嘆かわしい誤解。

 

 

「奇子」についてネットで検索してみると、陰惨/横溝正史や松本清張っぽい/エロティック/トラウマになる等のコメントが見られ、そんな感想の全てが間違ってるとは言わない。けれども口当たりのよくない題材を扱った手塚作品は他にいくつも存在してるし、「奇子」を読んだ大のオトナが「ショッキングすぎて子供に読ませられない」なんてガクブルするのは日本人の幼児化が甚だしい証拠。こういうのこそ〝巻を措く能わず〟なストーリー漫画なんだがなあ。何よりもまず「奇子」が発表された時代背景を簡単に説明しておく必要がありそうだ。

 

 

 今とは比べもんにならないぐらい表現が暗くエロもありありな成人向け漫画雑誌だった昭和47年の『ビッグコミック』に「奇子」は一年半連載された。あさま山荘事件の年といえば想像し易いかな。まだ「のたり松太郎」(ちばてつや)さえ始まっておらず、私の脳裏に残っているのは「さそり」(篠原とおる)とルーツ編第一作「日本人・東研作」が描かれたあたりの「ゴルゴ13」。なぜか連載時の「奇子」の記憶は欠落しており、禁断の香りを放つこのマンガに惹かれるようになるのはもう少しあと。流行り出したラブコメが私の趣味に合う筈もなくて、読みがいのあるマンガを渇望していた頃、大都社Hard Comics版単行本で「奇子」に再び出会っている。

 

 

子供が喜ぶ明るさ/わかりやすさとは真逆なベクトルの劇画が占めていた『ビッグコミック』に連載するのだから、「奇子」のような作風に手塚がチャレンジを試みたのは冷静に考えればそれほど驚くことでもない。当時の私はちっともわかっていなかったが、ちょうど彼はヒット作を生み出せず雌伏の時期でもあったのだ。逆風を受けていた手塚の負のマグマが噴出して、ずっしり手応えのある「奇子」みたいな作品が誕生したのだから、なんとも痛快じゃないの。

 

 

 「アドルフに告ぐ」も「奇子」も純粋なミステリではない。然は然り乍ら、日本の探偵小説が好きなら必ず楽しめる要素がこの二作にはたっぷり詰まっている。もし「アドルフに告ぐ」が全編海外を舞台にした物語だったら私はそこまで入れ込まなかったかもしれない。あれは手塚治少年が実体験した戦前日本(特に関西)の情景が丁寧に描き込まれているから素晴らしいのだ。「奇子」のプロットは青森の大地主・天外一族が長きに亘って膿んできた病巣を描くものだが、天外家の人々が口にする血の通った東北弁や、並の漫画家ならば描かずにすませるであろう幼い奇子の排尿/初潮シーンをてらいもなく描いてしまうところなど、半端ないリアリティの実践にうならされるばかり。

 

 

その上あの〝下山事件〟までもがストーリーの重要な鍵になっている。どうやら手塚は下山総裁他殺説を信じていたようだ。仮に東京オリンピック前の昭和を〈旧・昭和〉それよりあとの昭和を〈新・昭和〉と呼ぶならば、私は〈旧・昭和〉の日本を描く手塚作品に最も中毒性を感じる。他人の作った筋書きを手塚がコミカライズしたものってひとつも思い浮かばないから、あくまで自分が考えたプロットでないと納得しなかったのかもしれないけれど、「アドルフに告ぐ」そして「奇子」を読むと、日本の探偵小説を忠実にコミカライズした長篇漫画を一作ぐらい手掛けてほしかった思いに駆られる。手塚だったら日本人が忘れてしまった昔の風景・昔の身なり・昔の言葉遣いをきっちり再現してくれそうな気がして。

 

 

 

(銀) 〝半端ないリアリティ〟と書いたが「奇子」の中で一箇所だけ文句を言いたいところがあって、それは天外仁朗が自分の車で下田警部を送る途中、横付けしてきた車に乗っていた殺し屋に銃撃され重傷を負うシーン。天外仁朗は暗黒街のボスだから運転席後部の右座席に乗るのは当然で、下田警部は後部左座席に乗っている。後方から近付いてきた殺し屋は天外仁朗の車の左側に停車して銃撃するため殺し屋の車に近い下田警部のほうが被弾するはずなのに、彼は軽傷。天外仁朗は十二発も喰らってしまう。日本は右ハンドルかつ道路左側通行ゆえそうせざるをえなかったのかもしれないが、この不自然さはなんとかしてほしかった。

 

 

『火の鳥(オリジナル版)/04鳳凰編』で予告していたとおり、復刊ドットコムより復刊された手塚作品の言葉狩り問題を検証しなければならない。ここまで結構長くなってしまったため次回に先送りとする。

『奇子〈オリジナル版〉』(☜)へつづく。





2023年7月5日水曜日

『雪原の謀略』甲賀三郎

NEW !

大道書房
1943年10月発売



★★★★   獅子内俊次最後の事件?

 

 

 「雪原の謀略」が角書きどおりの防諜探偵小説であるのを知ってもらうにはオープニングの数行を御覧頂くのが手っ取り早い。



支那事變に入つてから既にさうであつたが、殊に大東亞戰爭が勃發してから、我國の情勢が急激に變貌した。新聞もこの例に洩れず、殊に社會面の如きは面目を全く一新した。すべてが大東亞戰を勝ち拔く爲の一點に集中したのである。

 

昭和日報の記者獅子内俊次の仕事も亦一變した。最早單なる殺人事件の追求や、特種爭ひや、讀者の興味を唆る記事の作成ではなくなつた。彼の主なる仕事は防諜であつた。國民に防諜に對する關心を起させ、防諜に關する知識を興へ、進んで實際の防諜に當る事であつた。かうした仕事は彼の先天的の探偵手腕と膽力と機敏による爲であり、之まで「姿なき怪盗」その他いろいろの探偵事件に成功し、殊に最近「印度の奇術師」事件で、敵性スパイ國を殲滅した才能を認められたのによるものであつた。

 

 

 「印度の奇術師」「雪原の謀略」の初出は書き下ろしかそれとも連載だったのか現在でもまだ判明していい。とはいえ上記のとおり獅子内俊次直近の事件は「印度の奇術師」だったと書いてあるし、さしあたり「雪原の謀略」を獅子内俊次第六番目の長篇と見做しても問題はなかろう。

 

 

第五長篇「印度の奇術師」は東京市民の若い女性がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練に励んでいるシーンから開幕。同じくその第一章にて獅子内の上司である「昭和日報」の尾形編集長が日本に対して英国が資金凍結を行っていると口にしていたり、日米が一発触発の危険な状態にあるのはハッキリしていた。それが「雪原の謀略」では遂に大東亜戦争勃発、容易ならぬ戦時体制の中で獅子内は活躍しなければならない。東京市民がモンペ+火事頭巾姿で防空訓練をやり始めたのはいつだったのか、しっかり精査していないので曖昧だけれども、作品の中に描かれている当時の日本の状況から「印度の奇術師」「雪原の謀略」執筆時期を考察してみると次のような流れになる。

 

 

昭和1210日     日本、防空法施行


 

昭和167月       英国、在英日本資金を凍結

昭和1611月     日本、防空法改正

この頃、甲賀「印度の奇術師」執筆開始?

昭和1612月     日米開戦

 


昭和174月       米国B25機、初めて日本本土を飛来空襲

(のちの大空襲とは違い、この頃はまだ軽いジャブ程度の攻撃だった)

昭和176月       甲賀、日本文学報国会事務局総務部長に就任

昭和178月     『印度の奇術師』、今日の問題社より刊行

この頃、甲賀「雪原の謀略」執筆開始?

 


昭和1810月     『雪原の謀略』、大道書房より刊行

 

 

「雪原の謀略」に着手するのはもう少し早い昭和17年前半の可能性もある。より細かくテキストを追っていけば更なる手掛かりが見つかるかもしれないが、今日は時間が無いので執筆時期調査はここまで。タイトルに〝雪原〟と入っているのは獅子内がシベリアとか極寒の大陸へ潜入するからではなく、信州方面が舞台になるのがその理由。国と国がキナ臭くなる前に相手の国へ忍び込み、非常時になったら間諜として暗躍を開始する者のことを甲賀は本作の中で〈残留スパイ〉と呼んでいる。ネットで調べてもヒットしないのだが、これって甲賀の造語?

 

 

 獅子内俊次シリーズ長篇は当初から本格テイストでなくアクティヴなスリラーだったのが幸いしたのか、こうして国家の情勢により獅子内が敵対する相手の毛色は変わっても、小説のノリ(groove)はそんなに変わらない感じがする。獅子内にしても尾形編集長にしても戦時下だからといってキャラ変させられる憂き目は回避できたようだ。本作で獅子内を退場させるつもりなど甲賀には毛頭なかったろう。それだけに、戦争が終わったあと再び獅子内の活躍を楽しむことができなかったのは探偵小説読者にとって痛恨の極み。

 

 

 

(銀) 獅子内俊次シリーズ長篇のすべてが手放しで高評価できる内容とは限らない。本作も「姿なき怪盗」と肩を並べられるかといえばそれは難しい。とはいうものの敵役はスパイなれど犯罪色は残っているので日本探偵小説における戦時下の長篇としてみるならそんなに悪くもない(昭和17年~20年の間に日本の探偵作家が書いた長篇を思い出してほしい)。さすがに★5つは控えたけれど甲賀が好きなのでこの本には愛着がある。

 

 

 

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