2023年1月31日火曜日

『スイッチインタビュー/細野晴臣×小林信彦』

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NHK Eテレ
EP1   2023年1月23日放送/EP2   2023年1月30日放送




★★★★    あの日に帰りたい




 この対談は細野晴臣のほうが希望していて、小林信彦の脳梗塞さえ無ければもっと早く実現していたそうなんですけれども、まさか本当にテレビで二人のツーショットが見られるとは。 去年の暮れにも、細野は日曜夜の森高千里の番組にトークゲストで出てまして、久しぶりに見た細野の人相が変わってたもんで、思わず「えっ、どうしたの?」とビックリしたんです。


 

 若い頃から歯が悪くて、クラウン時代の中華街LIVEでも前歯が欠けてたんだ、彼は。だからおそらく最近入れ歯にしたかなんかでそんな風に見えるんじゃないか。オンエア観てても、喋りは衰えてなかったよ。なんせDJやってるぐらいだし。YMOの中で唯一、丈夫でいるのが細野だけなんて30年前にはまず考えられなかった。(注:この番組は高橋幸宏の逝去前に収録されておりもし収録日が幸宏の死の直後だったら、細野は中止もしくは延期を申し出ていたかもしれない)

 


 ええ。一方の信彦氏もTVに出てくれるぐらいだから体調自体は悪くはないんでしょうけど、さすがに90歳だし、喋るのがシンドそうでしたね。表情にも(大瀧詠一の話題になって涙ぐんだ瞬間以外は)変化が無いというか。

 


 大瀧のことだから生きてても絶対テレビに出る筈は無いのに、細野が「本当は僕の代わりに(大瀧が)ここにいるべきなのに・・・」って言って、小林があんなにホロッと涙ぐむ顔をカメラの前で見せるとは思わなかった。 


この番組の前回の対談は武豊×郷ひろみだったんだ。彼らはまだバリバリ元気だから会話が弾むんだけど、細野×小林では間が持たないとでもスタッフが心配したのか、インサートが多いのは気になった。それに加えて往年の『夢で逢いましょう』や『YMONHK』の同じ映像シーンを繰り返し使うのは、EP1EP2合わせてたった60分しかないんだから、時間をムダにしないでほしい。私がディレクターなら絶対重複しないインサート素材を使ったんだがな~。とはいうものの、『YOU』で小林が『ひょうきん族』の頃の片岡鶴太郎とトークしている映像は今になってみると貴重なシーンだね。細野は細野で同じく『YOU』出演時の映像が流れ、Emulatorにフロッピーをつっこんで音を出しているのがなんとも時代を感じたよ。



 二人を取り持つ存在がどうしても大瀧詠一になるんで、大瀧の話ばかりになってしまうのかなあと懸念しましたけど、タイタニックの話題で盛り上がるとは意外でした。まあ、信彦氏は『文春』の連載を止めて現在小説を執筆中なのかどうか、そんな近況は聞けなかったですけど、細野は「もうやる事はやったし、あとは趣味として音楽をやるだけ」って言ってましたね。


 

 Sketch ShowTin Panを最後に細野は新しい音楽を追求する事をしなくなった。その後の細野の作ったアルバムで聴きたくなる作品は、ソロ・デビュー・アルバムをリメイク・リモデルした『Hochono House』だけだなあ。もうYMOが三人でやる機会も永遠になくなってしまったからな。十分なんじゃないか?とはいいながら、まだ心のどこかでちょっとだけ、細野と小林の新作に期待している自分もいるんだ。

 

 

 


(銀) いや~、貴重な対談でありました。願わくば小林の体が不自由になる前に、『細野晴臣イエローマジックショー』の〈2〉あるいは〈3〉でガッツリこの対談をやってほしかった。

 

 

話は逸れるのだけど、先日BSフジで『HIT SONG MAKERSCITY POPスペシャル」』再放送をやっていて、日本のテレビ業界の音楽史観はなんもかんもはっぴいえんどばかりで閉口する。雑誌『レコード・コレクターズ』もそうなのだが、まるで彼らの頭の中にははっぴいえんど人脈ミュージシャンしか存在していないみたいで。そりゃあ、松本隆も鈴木茂も大瀧詠一も細野晴臣も日本のCITY POPに多大な貢献をしてるけどさあ。なんでそれ以外の人達にはひとつも目を向けようとしないのかね、音楽ライターや評論家と名乗る手合いは?

 

 

日本のCITY POPのリバイバルにおいて、海外で最も注目された楽曲として松原みき「真夜中のドア」が筆頭に来る。CITY POPリバイバルは日本語がわからない外人からの反応によるところが大きいのでシンガーとサウンドばかり取り上げられ〝作詞〟は忘れられているんじゃないの?「真夜中のドア」の作詞は三浦徳子。日本の作詞家といったら阿久悠や松本隆とか、男性作詞家はBOXやコンピレーションが制作されるが、女性作詞家の功績は殆ど評価されない。メディアがはっぴいえんど人脈ばかり特集して、三浦徳子や阿木燿子の才能に気付かないのは不勉強というほかない。かつて彼女たちに言及したのって近田春夫ぐらいだもんな。






2023年1月27日金曜日

『こわい本2-異形-』楳図かずお

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角川ホラー文庫
2022年6月発売




★★     楳図マンガにも編集部による表現狩り疑惑が




「笑い仮面」(初出:1967年)と短篇「地球最後の日」(初出:1966年)を収録。楳図かずおの幼年期というのは日本国民が老いも若きも「大日本帝国バンザーイ、天皇陛下バンザーイ」と崇めさせられ、生地獄を味わった昭和10年代。そんな日本は惨めに降伏、子供達は戦前の価値観を180度ひっくり返されるトラウマを心に負いつつ育っていった。「笑い仮面」(前)は斯様な時代を生きた楳図少年の脳髄から迸る怒りの飛沫なのかも。


 


         

 

 

「地球最後の日」も「笑い仮面」も、「ウルトラマン」と同時期に描かれているため絵のタッチが近く、筆の滑りも若い。〝笑い仮面〟のマスクは挿絵画家・吉邨二郎が作り出した江戸川乱歩〝黄金仮面〟の造形を受け継いでいるのかな?とつい考えてしまうが、ここでは紳士怪盗が顔を隠すために自らマスクを被っているのではなく、日本軍が天文学者・式島博士に下した死んでも外すことができぬ永久拷問手段であって、イメージ的には北村寿夫「新諸国物語/笛吹童子」の萩丸が顔に貼り付けられる〝されこうべの面〟みたいな感じ。

 

 

 

昨年、角川ホラー文庫より再発全11巻が出揃ったシリーズ「こわい本」。本書の二作はどちらもSFホラー・テイストだが、〝笑い仮面〟を被せられた式島博士が閉じ込められる流刑場の名が〝獄門島〟だったり、「笑い仮面」(後)の舞台が九州の寒村で、村人が松明を持って怪物狩りに向かうシーンもあったりして、直接関係は無いけれど横溝正史ネタのようなコマも見られる。数巻にわたる長篇でこそないけれども、なかなか楽しめる内容なり。



 

          

 



てことで、作品には何の不満もないが、なんせ言葉狩りが大好きな大手出版社の出す文庫だ。 自己規制改悪本イラネと思っている人は、今回の角川ホラー文庫からの新編集再発「こわい本」シリーズは注意したほうがいい。というのも「読者の皆様へ」という断り書きがあって、これはおそらく全11巻すべての巻末に一律載っていると思われるが、その中にこんな文があるからだ。(編集部には正しい日本語が使えない人間がいるのかヘンな物言いもあるが、決してワタクシの引用ミスではないので誤解のないように)

 

 

🌩🌩「こわい本」は、1960年代~80年代に発表された著者の作品を、1981年~2007年の間に版を変えて刊行されてきました。本書は、そのシリーズを再編集し、角川ホラー文庫に収録したものです。🌩🌩

 

🌩🌩 今回、新たにこれらの作品を刊行するにあたり、表現の再検討が必要ではないかと、著者と話し合いを重ねました。そして、作品発表当時から現在にいたるまで、著者に差別的な意図はまったくないことから、表現を見直し、修正をいたしました。🌩🌩

 

🌩🌩 しかし、(中略)その時代背景と作品の文学性を鑑みて、当時の表現のままの収録としたところもあります🌩🌩

 

 

私自身、本書第二巻だけで今回の角川ホラー文庫版「こわい本」の他の巻を購入するのを止めてしまった理由は書店で立ち読みして上記の断り書きがあるのを知ったからだ。いつもながら角川編集部の言っていることはちっとも論理的でなく意味不明。著者・楳図かずおに差別的な意図がないのであれば、表現を見直し修正する必要がどこにあるんじゃ?そのくせして〝当時の表現のままの収録としたところもあります〟って、全然首尾一貫してないやん。こんなんでよく楳図もOKしたもんだな。遡ると、1990年代末に刊行し現在も流通している小学館文庫版『漂流教室』も語句改変されていると聞くから、大手出版社のポリ・コレ病には楳図も早々にあきらめていたのだろうか?

 

 

 

いつも私のBlogではテキストが改竄された作品のBefore & Afterテキストを並べ、「再発本ではこんな風に改変されてますよ」と誰にでもわかるよう努めている。残念ながら「こわい本」シリーズの初刊や旧ヴァージョン単行本は持っていないので、角川ホラー文庫版「笑い仮面」「地球最後の日」のどの部分の表現が改変されているのか確定させる事はできなかった。それゆえ本来ならば★1つにすべきところだが、(証拠が挙げられないので)★2つとした次第。もしかしたら本巻では表現狩りされていないかもしれないし。ただ世の楳図ファンの間では、今回の角川ホラー文庫版における各エピソードの編集のやり方にはダメ出しをしている人もいるという。本書「笑い仮面」の底本は80年代の朝日ソノラマ版だそうだ。

 

 



(銀) 「笑い仮面」(後)の主人公探偵少年・五郎。彼は「首なし男」(=「首なし人間」)にも登場するキャラクター。

 

 

 

これもかなり前の話だが、まだ旬だった頃の釈由美子がミレーヌ・ホフマン役で声優を担当する「0091」(原作:石ノ森章太郎)がアニメ化されるという話を耳にして新装コミックスを買おうとしたら、その時流通していた中公文庫版はカバーデザインがダサいだけでなく言葉狩り本。運良くアニメとのタイアップで、コンビニ・コミックとして角川が出した上・下巻編成の『0091』は言葉狩りがされてなかったからすぐにそっちを購入したんだけど、同じ角川でもこんな風に改悪を免れているコミックもある。まったくふざけてるよな。角川春樹といい角川暦彦といい角川グループの場合はテキストとか表現の改変に力入れる暇があったら、警察の世話にならない真人間が社長やれ!と言いたい。





2023年1月22日日曜日

『血闘』三上於菟吉

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ヒラヤマ探偵文庫 24
2023年1月発売



★★★    新刊で於菟吉の小説が読める



 三上於菟吉の創作というと、(時代小説もそうなのか詳しくないのだが)当時の現代を舞台にした長篇はどれも、重ぐるしい流れのままエンディングを迎える傾向にある。なんでそういうニヒリスティックな作風に染まっていったのかは想像するより他にないが、彼のキャリア初期は翻訳仕事が多く、自分が手掛けた海外作品からの影響を如実に受けていると思われる。ところがこの「血闘」はいつもの於菟吉長篇と毛色が違い、無難にハッピーエンドで閉幕するのが特徴。月刊誌雄辯』に〝探偵小説〟の角書き付きで連載されていたそうで、普段の彼の芸術性よりも勧善懲悪タッチの大衆性を重んじた内容になっている。

 

 

 

物語の出だしで関東大震災発生。大川商事のトップである老実業家・大川信兵衛は瓦礫の下敷きになって絶命する。それまで忠実な顔をして信兵衛に仕えていた秘書の山口詮一はこれ幸いと、信兵衛の財産を我が物にすべく卑劣な企みを実行に移す。他の於菟吉長篇ならばこのまま山口が悪事を極めたのちに足元を掬われて失脚・・・といった山崎豊子『白い巨塔』の主人公・財前五郎のような rise & fall を描きそうなところ、(本作では早い段階で)行方知れずになっていた信兵衛の子・大川芳一(この人は自分ひとりで悪と戦える力は無い)そして彼に味方する謎の米国漂流者・細沼冬夫のふたりが中心となって山口の悪行に立ち向かう。

 

 

 

 ヒラヤマ探偵文庫にてよく扱われる大正以前の長篇探偵小説が発表されていた年代は、プロパーな探偵作家でさえまだ力作と呼べる長篇を生み出せていない時期でもあり、この「血闘」も「こんなご都合主義でいいのか?」と笑ってしまうような展開もあるのは否定できぬ。『雄辯』も結局は大日本雄辯會講談社の雑誌だし、編集部からわかりやすい作品にしてくれと注文されたのか。(そういえば後年の於菟吉長篇探偵小説「幽霊賊」も講談社の雑誌『キング』での連載だった。)

 

 

 

アクションや秘密結社を盛り込んだりするのも別に悪くはないけれど、通常の於菟吉調でもって全編ヘビーなトーンを貫く探偵小説、つまり秘書・山口詮一法学士のピカレスクな面を押し出していたらクールな仕上がりになったんじゃないかなあ。最後には山口の破滅で締めくくるとしても、帝都を崩壊せしめた関東大震災の惨状も絡めた大正期の悪漢小説を書いていれば、きっと後世になって新しい需要をもたらし、震災ノベルとして注目されたろう。でも「血闘」が書かれた大正末期はまだまだ破邪顕正な内容でないと受け入れられなかったんだろうね。私なら本作よりもまず「黒髪」を読むのをオススメするな。ん~、残念ながら今回の内容に高評価は与えられないけれど、令和になってやっと三上於菟吉の新刊が久々に出された事は非常に喜ばしい。できればちくま文庫とか中公文庫あたりのメジャー畑でも於菟吉の本が出ないかな。


 

 

 

(銀) ちなみに戦前の作品であるこの「血闘」は、戦後になって長篇推理小説『真昼の幻影』と改題して再発されている。三上於菟吉は1944年に亡くなっており、この改題は作者の意図とは全く関与しないところで勝手になされたもの。






2023年1月20日金曜日

『空中紳士』耽綺社

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博文館
1929年3月発売



★★★     光文社文庫版乱歩全集「空中紳士」にて
              言葉狩りされていたワードとは?




名古屋を拠点とする小酒井不木を中心に、国枝史郎/土師清二/長谷川伸、そして江戸川乱歩、この五人からなるグループ〝耽綺社〟が雑誌『新青年』へ発表した合作長篇。「飛機睥睨」の名で連載されるも、単行本化する際「空中紳士」に改題。1994年春陽文庫にて再発されるまでは、この作品の単行本は本日紹介する初刊の博文館版しか存在していなかった。普通に考えてみても「空中紳士」のほうが営業的にイケてそうな感じはするが、「飛機睥睨」にしろ「空中紳士」にせよ、何故このタイトルなのか物語の最後に辿り着くまで読者は全く意味が解らない。


 

                     

 


「江川蘭子」などリレー小説というものはなかなか統一感が保てず成功する事は難しい、という記事を去年の元旦にupした。〝耽綺社〟の作品はリレー形式ではなく皆でワイワイ案や筋をひねり出し、代表してひとりが執筆するスタイルを取っている。「空中紳士」(=「飛機睥睨」)は掲載誌が『新青年』というのもあったからか、執筆は(岩田準一がピンチヒッターとして書いた第三回「物語る博多人形」「阿片窟に現れる獅子」「アトリエの内と外」を除き)江戸川乱歩が担当させられる仕儀に。この時期の乱歩は前年の「一寸法師」の失敗でやる気を失くして、筆をなかなか取ろうとしなかった。乱歩を強力に支援する小酒井不木博士にしても、『新青年』編集長として原稿を受け取る側の横溝正史にしても、とにかく乱歩に書かせなければという気持ちで頭はいっぱいだったろう。

 

 

 

しかし冒頭、あの乱歩が書いたとは思えぬグダグダな文章で始まり、話が盛り上がらない。岩田準一が代筆した第三回が好評だったと聞いて乱歩はクサったというが、いくら〝耽綺社〟合作の名義でもこのままではマズイと思ったのか、それ以降は僅かながらも筆に熱が感じられるまでには持ち直す。でもねえ、乱歩が書こうが不木が書こうが、五人の合作ってのも実際難しかろう。どうしても合作小説を作りたいなら、せめて二人一組でやるしかないんじゃない?とにかく国枝史郎と乱歩はウマが合わないのだし、小酒井-国枝コンビなら揉め事は起きないだろうけれど、やはり合作じゃなくて個々の作品がいいに決まってる。後年、横溝正史が「あれはおよそくだらなかったな」と語ったのも当然の話で。

 

 

                      



後ろ向きな気持ちでの参加ゆえに、江戸川乱歩はプロットの面では殆ど主張をしていないように映るけれども、のちの通俗長篇や少年ものの片鱗がちらちら見え隠れしている箇所が意外に発見できる。果してこれらは乱歩本人から出たアイディアなのか、それとも他の四人のものなのか、是非知りたいところだが、それをジャッジできる材料が無いのが悩ましい。唯これだけは言えるだろう。1928年における「飛機睥睨」終盤の執筆と華麗なる乱歩復活作「陰獣」の執筆とは時期が重なっている。ということは〝耽綺社〟の他のメンバーが考えたプロットとはいえ、「飛機睥睨」を(しぶしぶながらも)書き続ける作業は「陰獣」を生み出す為の肩慣らしになったと思えなくもないし、もっと重要なのは、自作の長篇が売れる為には何が必要なのか、漠然と心の中で乱歩は再認識できた可能性もあるんじゃないかと私は考えるのである。

 

 

 

現にそれまで「闇に蠢く」「空気男」「一寸法師」と、長篇で悉く失敗していた乱歩だったが、翌19291月よりスタートさせた「孤島の鬼」では、同性愛を小説に盛り込むにあたり岩田準一の助けもあったとはいえ、初めて長篇で大成功を収めた。おまけに同年夏にはそれまで敬遠していた講談社系の雑誌にて大衆受けを狙った「蜘蛛男」さえもスタートさせている。そんな昭和24年の乱歩の動向を思い起こすと「空中紳士」は内容こそちっとも成功していないとはいえ、乱歩にとっては次のステップへ離陸するための滑走路的な作品になったのかもしれない。

 

 

 


(銀) 光文社文庫版の『乱歩全集』で語句改変されてしまった箇所として知られているのは、第四巻収録「孤島の鬼」における〝皮屋〟というワードである。で、第三巻に収録された「空中紳士」においてもそんな語句改変されたワードがあり、このような何の益も無いテキスト改悪を許さない為にも、ここにメモしておく。

 

 

博文館版『空中紳士』 初刊本(本書)

196ページ9行目

屠牛會社の經營者なら牛殺しぢやありませんか。〟

 

 

光文社文庫版江戸川乱歩全集第三巻『陰獣』収録「空中紳士」

440ページ14行目

精肉会社の経営者なら牛殺しじゃありませんか。〟

 

 

 

はるか昔の日本において、牛馬などの動物を処分する生業(なりわい)というのは下層における被差別民のする事だと見做し〝四つ足〟〝四足〟などと呼んでいた。光文社文庫版乱歩全集での〝皮屋〟〝屠牛〟なる言葉が書き変えられてしまう原因も同じ理由から来ている。この乱歩全集と同時期に出ていた他の光文社文庫では〝気違い〟が言葉狩りされていたのに、乱歩全集第三巻「空中紳士」で連発される〝気違い〟については特に標的にされてはいない。なんでやねん?

あと、春陽文庫版『空中紳士』のテキストについてはスルーする。春陽文庫のテキストの酷さは過去に度々書いてきたし、改めてここに取り上げる価値もないからだ。





2023年1月14日土曜日

『幽霊薬局』大下宇陀児

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八紘社大陸版
1939年1月発売




★★★★   「脱獄囚」(=「巡業劇団」)にみる
               宇陀児の改稿ヴァリアント




この『幽霊薬局』は長篇()一作と短篇()二作を収録している。

 

 


「幽霊薬局」

昭和の時代、住む人が誰もいなくなって立ち腐れたような家を見つけると子供達は「お化け屋敷だ、ユーレイ屋敷だ」と恐がった。ここに題された〝幽霊薬局〟という作品名はそんな意味合いに近く、他にもっとピッタリなタイトルがあるように思えなくもないけど。青年画家・汐見史郎と若く美しい人妻・比企栄子は謎の人物の手引きによって邂逅。栄子には無理矢理嫁がされた唾棄すべき年上の夫がいるのだが、偶然にも似通った点が史郎と栄子にはあって互いに惹かれ合うようになる。彼らにはどのような生い立ちが隠されているのか?

 

 

多くの大下宇陀児長篇に通底するラブロマンス・サスペンス。主人公汐見史郎&比企栄子の立場からしたら純愛なのだけど、ちょっと見方を変えてみれば栄子は不倫している立場でもある。「幽霊薬局」は1938年(昭和13年)に連載されており、作家が自由に小説を書きづらくなってくる年代ではあるが、時期的にギリギリ「不倫なんて書いてはいかん!」とお上に警告されずに済んだのか。そんな不倫という観点からすると、本作のラストはドイルのある短篇の殺人方法を想起させる。総じて特に優れた長篇ともいえないけれど、宇陀児のストーリーテリングのうまさでスイスイ読んでしまう。

 

 

 

「脫獄囚」

これが今日の記事のメインディッシュ。近年になってようやく宇陀児作品には改稿ヴァリアントがある事がちょくちょく語られるようになってきた。この「脱獄囚」は何年も前に、私が初めて宇陀児作品の改稿を意識するきっかけになった短篇である。この作品がどのような経緯を辿っているか、記してみよう。

 

 

A 雑誌『キング』掲載「脫獄囚」   

193611月臨時増刊号   初出誌 

これは持ってないので未見。初出誌を入手しテキストを検証してからこの記事を書こうと考えていたが、入手する前にupしてしまった。読者諒セヨ。

 

 

『幽霊薬局』収録「脫獄囚」

19391月発行 八紘社大陸版(本書)   単行本初収録

上記の『キング』を見ていないから断定はできないけれど、おそらく初出誌と同じテキストではないかと想像する。

 

 

C  『緑の奇蹟』収録「巡業劇團」

19425月発行 大都書房

ここでタイトルが「脫獄囚」から「巡業劇團」へと変更。いつもの如く、お上のプレッシャーによるものであろう事は想像に難くない。小見出しを比較してみる。

 

『幽霊薬局』「脫獄囚」    →     『緑の奇蹟』「巡業劇團」

巡業劇團                 一、困つた少年

意外な贈物                         二、意外な贈物

峠越え                   三、峠越え

惡鬼                     四、惡鬼

屍衣を着る                 五、不幸な着物

エピローグ                   六、結び

 

『緑の奇蹟』が発売された昭和17年の日本は軍事統制下にあり、『幽霊薬局』収録の「脫獄囚」にはなかった〝軍人〟だとか〝産業戦士〟という単語が目に付くようになるばかりでなく、削除され新たに書き加えられた文章もある。

 

 

D 『烙印』収録「巡業劇團」

194910月発行 岩谷選書 3

この本に再録された際、〈作者後記〉にてこの作品の改題/改稿の背景が語られた。     それによると、

 

〝戰時中(「脫獄囚」を再び)單行本に入れることになり、内容を少し變更した。〟

〝女優に戀する少年が時局上そのままではお叱りを受ける恐れがあり、一部書き直したり題名も「巡業劇團」に改めた。こっちの題のほうがよいと思う。〟

〝内容は(この岩谷選書版では)發表當時の状態に戻した。そのうち、また書き改めたい。〟

 

と宇陀児は述べているが岩谷選書「巡業劇團」の最初の小見出しは初刊本時の〈巡業劇團〉ではなく〈少年と女優〉となっていたりして、そっくりそのまま元に戻っている訳ではない。

 

 

このように戦前の作品の中でどれがどのように変化しているか、大下宇陀児の小説の中でそれを探してみるのも楽しいと思う。

 

 

 

 「殺人病患者」

宇陀児作品の中では猟奇性の濃い一品。

 

 

 


(銀) 当Blog における20211125日付の記事にて取り上げた「街の毒草」と今日の記事の「脫獄囚」は、大人の世界をまだ知らない少年の年上の女性への思慕を描いている点で、姉妹編みたいな感じも受けますな。






2023年1月12日木曜日

横溝正史翻訳コレクション『赤屋敷殺人事件』A・A・ミルン

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論創海外ミステリ 第290巻
2022年12月発売




★★★★  扶桑社文庫版『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』の
                続巻たるカタチで読みたかった




本作に登場する素人探偵アントニー・ギリンガムはいわゆる金田一耕助の元ネタな存在だと云われているわりに、読めば誰でもわかるけれども、ギリンガムの風来坊的な登場のさせ方とか、彼のちょっとした発言内容にそれらしきものが嗅ぎ取れる程度で、焼き直しと呼べるほどの共通点は両者には無い。その点よりも、ミステリの数は少ないのにシャーロック・ホームズのパロディを物しているAA・ミルンが、ドイルを意識しつつ自分なりのオリジナリティを盛り込みながらどのようにホームズ/ワトソンのパターンを発展させた本格長篇を書こうとしているか、自然とそちらのほうが気になる。犯人や周辺キャラの存在感はさほど強くはなく、ギリンガムと相棒であるビル・ビヴァーレイのタッグ関係が結果的にやっぱり目立っている。

 

 

                     



1921年(日本だと大正10年)に書かれた長篇だけに、物足りなさもチョコチョコ見受けられるのは事実。事件冒頭で赤屋敷から外へ出た某登場人物が(目的の場所へ行くには遠くなる筈の)建物の左側へなぜ走ったのか?とか、小間使・エルシーが耳にした「今度は儂の番だ!」というマーク・アブレットの謎の言葉とか、いくつかの謎を張り巡らせているミルンの努力は十分買うけれども、「あと何人かは容疑者がいてほしいな」とか「ウーン、ここはもっと論理的であってほしいな」と思わされる箇所がある。ルルー「黄色い部屋」の約二十年後に書かれた作品だし、評価のハードルは少しだけ高くなりがち。

 

 

 

それになんたって、この横溝正史訳は博文館の月刊誌『探偵小説』に掲載するため完訳の六割位に凝縮されたヴァージョン。章が進むにつれて、喰い足りない部分が発生してしまうのは仕方がない。とはいえ横溝訳の後に手掛けられた(戦前~戦後にわたり数種の単行本が出ている)妹尾韶夫訳もあるし、新しいものではつい最近出た2019年新訳版『赤い館の秘密』(創元推理文庫)など、この長篇を読む為の単行本は(古書を含めるならば)よりどりみどり。こだわって読むのなら好きな訳/好きな単行本を選べばいい。本書はあくまで横溝正史訳を欲する人向けのもの。


 

                    

 


それにしても「横溝正史翻訳コレクション」のタイトルで思い出すのは2006年にリリースされた扶桑社文庫〈昭和ミステリ秘宝〉『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密。あれは内容・造本共に大変好ましい作りだったし、あのシリーズ内で「横溝正史翻訳コレクション」が続刊されるを私は楽しみにしていたのだが結局叶わず。正史の翻訳作品が収録された単行本が再び世に出るのを本書が出るまで実に16年も待たされなければならなかった。横溝正史を好きな者なら殆どの人が持っているに違いない緑304時代の旧角川横溝文庫をテキトーな改装新版として現在再発し続けている角川書店も相当のアホだけれど、既に持っている旧角川文庫とほぼ変わらない本の再発版を嬉々として買って喜ぶ金田一オタの気持ちが私にはさっぱり理解できない。あれ、買う価値がどこにあるのかね?

 

 

 

そんな訳で、横溝訳「赤屋敷殺人事件」単行本初収録とはいえ、いくらなんでも待たされる年月が長すぎたような気がする。扶桑社文庫『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』から16年はないよなあ。常々言っているように、いくらネットでやれ横溝だ金田一だと騒いでいる連中がいても、こういう翻訳ものだと買う人は限られてしまう。横溝オタの、ミステリに対する興味なんてその程度のものだから。



 

 

 

(銀) 論創社は2020年のツイートで〝「赤屋敷殺人事件」を出す際には(同じ横溝正史訳の)「紅はこべ」とカップリングにする〟と予告していたが(☟ 下の画像をクリック拡大して御覧下さい)、本書は「赤屋敷殺人事件」しか収録されていない。正史訳の長篇には他にもランドン「灰色の魔術師」があるし、アントニー・ホープ「風雲ゼンダ城」だってある。さらに翻訳した短篇ものとなると、かなりの数が存在している(『鍾乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密』の巻末を見よ)。なんで今回「赤屋敷」しか収録しなかったんだろうか?





 

本書には校正も担当している浜田知明による解説が付されていて書誌データも載っているのだがその中にある注釈が読む人に誤解を与えそうなので、ここに一筆書いておく。本書2218行目にある(注6)そして13行目にある(注7)は、前者が(注7)で後者が(注8)の間違いでは?  加えて昭和40年代に刊行された講談社版『世界推理小説大系』につき、正史が監修者として名義貸し以上の役割を果していたことが判明したと浜田は書いており、その根拠として、注7で〝くまもと文学・歴史館所蔵の乾信一郎氏宛書簡による。【横溝正史書簡(乾信一郎宛)解説動画】としてYouTube上で順次公開中。〟とも述べている。

 

 

 

しかし2023112日現在、くまもと文学・歴史館がupしている関連動画は5本だが、その5本のどれを見ても講談社版『世界推理小説大系』に対し横溝正史が監修者としての名義貸し以上の役割を果していた事について言及されてはいない。一応(昨年当Blogでも紹介した)同館企画展配布資料『横溝正史書簡(乾信一郎宛)目録』10頁を開くと、1973年(昭和47年)1216日付書簡内容欄には〝講談社「世界推理小説体系(ママ)」監修で完訳の価値を知る。〟とあった。浜田はこの日の書簡内容を根拠にしているのかもしれないが、『横溝正史乾信一郎往復書簡集』なる書物がいまだ完成していない以上、この浜田発言は注意を要する。





2023年1月4日水曜日

『定本夢野久作全集/第8巻』夢野久作

NEW !

国書刊行会  西原和海/川崎賢子/沢田安史/谷口基(編)
2022年11月発売



★★★     不幸せな結末




 難産になるだろうと予想していたとおり、本全集を締め括る第8巻は前回の第7巻から二年のインターバルを置いてリリースされた。それでもスタートから完結迄二十年ちょっとかかった葦書房版『夢野久作著作集』に比べればかわいいものである。今回、国書刊行会は全巻購入者へ特典として『新聞型冊子・挿絵つき「犬神博士」』を進呈する予定だが、現在のところまだ発送されそうな気配も無いので、以前予告しておいたこの『定本夢野久作全集』についての総括的な感想を述べたいと思う。





 とは言っても、Blogにおける2021115日付の『定本夢野久作全集 第1巻』記事にて述べた印象が大きく変わるほどの喜びは無く、あそこに書いた事が全てという感じで終わった。久作の父・杉山茂丸関係者が大正期に発行していた雑誌『黒白』にて、久作が執筆していた連載小説の未発見ぶんを果たしてコンプリートできるかどうか、久作のお孫さん杉山満丸が今回この全集への協力を一切固辞している以上、数少ないセールス・ポイントとしてそこに注目していたのだが、誠に残念ながら「発明家」も「首縊りの紛失」も「蠟人形」も「傀儡師」も欠号を発見することはできなかったようだ。

 

 

 

でもこの点につき責めるのは酷というもの。西原和海などは欠落号を数十年も探し続けたのに、それでも出てこないのだから。戦前日本の植民地だった、例えば満洲みたいな土地で発行された雑誌や単行本が内地に残存していないのは致し方ないとしても、『黒白』ならば日本のどこかに眠っていてもおかしくないし・・・と希望を持ち続けてきたが、ここまでネットが発達したのにそれでも発見されないのだから諦めざるをえないのかもしれない。ちなみにどこぞの奇特な方が『黒白』の現存状況をリストにしてネットにupしておられる。私のBlogへはリンクはしないけれども、興味のある方はググってみてはいかが?

 

 

 

『黒白』のミッシング・イシューがあるとはいえ、編纂サイドが少しでも新しいネタを見せようとして(小品ではあるが)既刊全集/著作集に未収録だった短歌などを載せており、そういった努力は理解してあげたい。それと新発見なネタでこそないけれど、この最終第8巻の冒頭を飾る「東京震災スケッチ」だとか「東京の堕落時代」といった非小説のノン・フィクションものを昔から私は評価してきたのだが、世間一般においてそんな声は聞いたためしがない。どう考えても〝能楽〟だとか〝人物伝〟よりはるかに面白くて一級の資料なのに。「ドグラ・マグラ」はもういいから、こっちにも少しはスポットを当ててもらいたいよ。

 

 

 

 本日の記事の締めに、夢野久作が好きだけど本全集第8巻はまだ買っていないという方々へまさかの情報をお知らせしておく。何と、今まで普通に夢野久作作品として扱われてきながら、本全集からオミットした童話ものが六十八篇もあるのだ。よく知られている代表的な作品で言えば「ルルとミミ」。ざっくり書くなら「ルルとミミ」は久作の継母・杉山幾茂の兄・戸田健次の息子=戸田健が実際関わった原稿であるとみられ、久作のアダプテーションは認められるものの本全集編纂メンバーで協議した結果、夢野久作を作者としてみなすことはできないという結論に至ったという。

 

 

 

他の童話についても、完全なる久作個人の作と確定するには疑義があるそうで。どうもこれって本全集が配本開始された後に浮上してきた問題みたいね。というのも第一巻発売前に版元が配布した『定本夢野久作全集』内容見本をよく見ると、集中的に童話を網羅する第6巻の収録予定作品の中にハッキリ「ルルとミミ」は存在してるし、何がどうしてこんな事になったんだ?

未収録にした根拠こそ第8巻巻末に書いてはあるけれど、疑義発生から確定までの詳細な流れは記されていない。こうなると、今回久作作品としては認められぬとされてしまった作品を今まで久作作品だと認定してきた西原和海は相当プライドを傷付けられただろうなあ。そしてまたとんだ受難に逢う羽目になってしまった『定本夢野久作全集』に対して熱心な久作ファンはどのように考えているのか。思わず私は岡村靖幸ばりに「♪どぉなっちゃってんだよ、ど・ど・ど・どぉなっちゃってんだろう」と困惑を隠せないのだった。

 

 

 

(銀) 夢野久作研究の第一人者として長年君臨してきた西原和海としては、全ての久作執筆物を一同に会した本当の意味での全集を生きているうちに作り上げたいという強い野望があったに違いない。ところがあちらこちらからケチ(?)が付いてこんな結末を迎えてしまい、本全集はどうにもHappy Endとはいえない完結にならざるをえなかった。個人的には前にも書いたとおり近年の久作研究のオイシイところがすべて『民ヲ親ニス』へもっていかれてしまって、全集本編以外の部分(特に月報)がツマラナカッタのが悔やまれる。全巻購入者特典『犬神博士』が届くのを待たずにこの記事を書くに至ったのも、本全集への失望が拭えなかったからだ。






2023年1月1日日曜日

『未解決事件/松本清張と帝銀事件』

NEW !

NHK総合 NHKスペシャル
2022年12月放送




★★     ムダに清張を推しすぎだし、
             なにより動機の考察に欠けていた




「下山事件」関連書籍を取り上げた2021719日の当Blog記事の中で、「NHKが力を入れているドキュメンタリー番組『未解決事件』においても〈下山事件〉など昭和前期の素材まで遡ればいいのに・・・」と私はつぶやいた。こういう声を上げてNHKスペシャルの制作サイドへ一石投じることができたかどうかはさておき、シリーズ最新作に「帝銀事件」が選ばれた事については諸手を挙げて歓迎したい。

だが、一瞬喜んだそのあとオンエア直前の番宣CMで〝松本清張推し〟の勘違いな作りだと知り、清張役の大沢たかおが「ウォー」と大袈裟に叫ぶシーンを見せられて「あ~あ、相変わらずこのシリーズのプロデューサーは肝心なところが解ってないなあ」と苦虫を噛み噛みした気分に。ま、観るべきものが何もない年末のTVの中では唯一集中して向き合えた番組ではあったけれども。


 

 

 

【 B A D 

「帝銀事件」「下山事件」「松川事件」・・・。これら敗戦直後に起きた異様な怪事件について昭和以降の世代にも広く知らしめた功績は間違いなく松本清張その人にある。それは決して否定しない。しかしながら『未解決事件』という番組内容の中で(特に1229日に放送された第一部/ドラマ篇において)、「帝銀事件」の中心にいた訳でもなければ捜査員でも何でもなく、外部の一ジャーナリストにすぎない清張を主役に据えて「帝銀事件」の実録ドラマを進行させるのは納得がいかない。まして井川遥演じる清張夫人・松本ナヲなど松本家の描写に関する部分なんて全く尺の無駄。

極端な喩えかもしれないけど、令和になって白日の下に晒された統一教会の悪行三昧が後年ドキュメンタリー化される時、再現ドラマの狂言回しを鈴木エイトに設定するのはなんか変でしょ?

 

 

あの時代は撮影された映像素材が少ないものだから、ニュース映画の同一フィルムが繰り返して使われるのはやむを得ない。とにかく第二部/ドキュメンタリー篇において平沢貞通を徹底して無辜だと結論付けたいのならば、いかにも犯人だと決めつけられそうな背景が当時の平沢には不幸にして多く存在していた事実をなるべく数多く掘り下げ、それらを軒並み否定して外濠を埋めてしまう細かさを見せるべきだった(そのためには第二部もせめて90分位の枠は欲しい)。あれでは相当「帝銀事件」に精通している人以外の視聴者はみな、平沢貞通が実行犯のモンタージュにわりかし似ていて、コルサコフ症という病気に起因する虚言癖があるといった程度の理由で犯人に仕立てられたのかというざっくりした印象を持ってしまいそうな懸念が残る。

そもそもNHKには『ファミリーヒストリー』という著名人の家族のルーツを探索するノウハウがあるのだから、ドキュメンタリー篇にまで清張を持ち込むぐらいなら、徹底して人物像やバックボーンを見せることで画家・平沢貞通の(いかにも怪人物だと思われてしまいそうな)複雑さを表現できた筈。


 

 

 

【 G O O D 

事件発生後、最初に有力な容疑者と目された松井蔚なる人物(彼の名刺には「厚生技官」の肩書があった)を写真付きで紹介したのは良かった。松井蔚には動かぬアリバイがあったそうだし、単に名刺だけが悪用されたのであれば、そのあたりの警察捜査の流れをこそドラマ篇で描くべきじゃないの?

それと、平沢が警察の取調べにて毒物混入のやり方を再現させられているフィルムも私は見たことがなかったので興味深かった。あのフィルムについて番組は「70年以上警察が保管していた門外不出の映像」と紹介していたが、本日の記事を書くために「帝銀事件」wikipediaを見たら、同じ取調べ時の画像がupされていた。1948年秋に刊行された雑誌『アサフグラフ』に掲載されたものらしく、当時から警視庁はこの取調べの写真だけは公表していたらしい。

 

 

それから、実際に毒物を呑まされた被害者の女性が「私は平沢が犯人とは思えない」と明言していた旨を彼女の遺族がハッキリ証言する映像が撮れているのも良かったが、面通しの結果、強力に断定できる人こそいなかったものの、「平沢=犯人」と証言した人も当時確かにいた事は押さえておくべきだろう。

制作サイドとしては清張を持ち出した以上、731部隊更にその後ろで糸を引くGHQの暗躍へと着地点を持っていきたいのは自明の理。731部隊及びその指揮官・石井四郎については2017年に初出オンエアされたNHKスペシャル『731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~』という番組があって、それに紐付けして構成されているように私は感じた。褒められるべき箇所もあったのだが、今回の番組で視聴者が最もいぶかしく思ったであろう点は〝犯人がどういう目的で帝銀事件を起こしたか?〟それが(仮令推論であっても)番組内で明確に提示されなかったことだ。


 

 

 

この『未解決事件』シリーズは〝なぜ解決に至らなかったのかを、NHKに保管される当時の取材データや、新たに取材して得られた新事実をもとに検証する〟という原則があり、100%完全な解決は到底無理でも、それなりに何らかの新事実が見つかった場合にのみ、番組として成立するものだと思っている。

今回、米国に渡ってそれなりの資料・証言を得てきてはいるが、一定以上「帝銀事件」について知っている者からすると、そこまでブランニューな発見があったとは言い難い。限りなくクロい存在と思われる〝憲兵A〟に関しては番組では明かされなかったが、没年時期が判る資料があるのだから氏名だって制作サイドは知っている筈。毒を呑まされ命を落とした人々の顔がドラマ篇では普通に映されていたのに、翌日のドキュメンタリー篇ではボカされていたりして、半世紀以上が過ぎた事件であっても怪しげなコンプラが邪魔をし、鋭く突っ込んだ番組作りができずにいる。てな不満を多々踏まえた上で、次は是非「下山事件」「松川事件」にトライしてくれませんかね、NHKさん。勿論、ムダな〝清張推し〟は一切無しで頼む。

 

 

 


(銀) 近年NHKで制作される金田一耕助ものや、満島ひかりに明智小五郎を演じさせた一連のドラマを観ていて感じるのは、とかくネット受けすることばかり考えて作ってるようにしか映らないという不満。あれなら三遊亭円朝が原作の『怪談牡丹燈籠  -Beauty&Fear- 』(主演:尾野真千子)や探偵怪奇ものではないけど奈緒目当てで観た『雪国  -snow country- 』(主演:高橋一生)のほうが全然再見に耐えうる出来だったな。

 

 

今回の『松本清張と帝銀事件』ドラマ篇の中で平沢貞通を演じたのは榎木孝明。かつて稲垣吾郎金田一シリーズ第四作の『悪魔が来りて笛を吹く』で椿英輔/飯尾豊三郎を演じていたのも榎木だった。言うまでもなく『悪魔が来りて笛を吹く』は現実の「帝銀事件」をいくらかネタにして書かれている小説。それを意識してNHKスタッフが平沢役に榎木をキャスティングした可能性もなくはない。こういうのに単純な横溝オタやネット民は速攻で釣られて騒ぐのであろうが、気を遣ってほしいのはそういうとこじゃなくてさ。



結局のところ『日本の黒い霧』に取り上げられている怪事件の謎というのは昔から言われ続けているように、米国が厳重に秘匿しているGHQ関係の資料がフルオープンにでもならぬ限り、そこまで驚天動地な新事実の解明は残念ながら望めない気がする。せめて元・世田谷区民である私にとってリアルタイムな未解決事件であった「世田谷一家殺害事件」だけでも早く真相が明らかになってほしいと願っているが・・・。