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2025年3月25日火曜日

『謎の骸骨島』水谷準

NEW !

同盟出版社
1948年6月発売



★★   水谷準の怪奇冒険ジュヴナイル




この本、巻頭の口絵が一色刷りとはいえ31ページもある。
挿絵を描いているのは高木清。表紙絵は蘭照彦。
彼らの絵は味わい深くて良いのだが、肝心の小説は・・・。



                  

 
 
勤め人の帰宅してしまった関東ビルディング。主人公の鉄也少年は義理の兄・信一が宿直~泊まり込みなので遊びに来ていた。すると、無人な筈の屋上で西洋の剣を持った二人の男が決闘しているではないか。鉄也に見られているとも知らず、濃い髭をたくわえている体格のいい男が若い青年を斃し、その軀(むくろ)を東京湾に沈めてしまおうとする。危険も顧みず髭の男を尾行、そいつの用意していたモーターボートに忍び込む鉄也。しかし悪漢どもに見つかってしまい、縄で胴体を縛られた上、錨(いかり)の重しを結び付けられ、若い男の軀ともども海中に投げ込まれてしまう(このシーンの口絵もあり)。

 

 

小さな帆船の船長だった君島照光はある時、少なからぬ財産を持ち帰り、それを元手に各種事業を成功させた。既に君島氏とその夫人は亡くなっているが、骸骨の形状をした島のような図面が一人娘の小百合に遺されている為、君島氏は南洋のどこかの無人島で莫大な財宝を見つけ出したに違いないと世間ではまことしやかに囁かれている。その図面を手に入れるべく、君島小百合に接近してきたのが例の髭の怪人物・宇垣剛造。



                   
 

 

実質100ページちょっとしかないので中篇程度のストーリーだけど、子供向けとはいえ、あちらこちらに矛盾点やルーズな御都合主義が多いのは困りもの。宇垣剛造と決闘して胸を剣で刺されたのに、一週間休んだだけで何事も無かったかの如くピンピンしている阪東淸彥。てっきり死んでしまったと鉄也が思うぐらい重傷だったんじゃなかったのか?グルグル巻きにされて海に沈められた鉄也もその直前、悪漢が船底に落とした短刀を手に掴んでいたというけれど、両手の自由が利かないのにどうやって短刀で縄を切れるんだ?それなりの理由付けをしないと、子供の読者にだって笑われるぞ。





タイトルは「謎の骸骨島」なのに鉄也&阪東淸彥コンビと宇垣剛造の攻防は島へ渡るところまで描かれず、悪漢の魔手から島の図面を守り切った時点で終了。執筆依頼元から「適度に短めの尺で収めて下さいね。宜しくお願いしま~す」と云われ、そのお気楽な注文どおりの出来になったのかもしれない。内部事情はともかく、所詮ジュヴナイルだから・・・などと言いたくはないが水谷準の筆の熱は伝わってこない。話の骨子はこのままに、戦前の博文館雑誌『文藝倶楽部』や『朝日』で連載していた通俗スリラーぐらいの長さとテンションが本作にもあれば、それなりに面白くなったかもしれないのだが・・・。

 

 

 

(銀) 江戸川乱歩/横溝正史に限らず、後世に名前が残った作家はジュヴナイルでも手抜きをしたりせず一定のクオリティーを保ちつつ作品を書き上げている。リアルタイムでむさぼるように本作を読んでいた昔の子供だってバカじゃない。〝タンテイショーセツ〟と名の付くものならどんなに酷い内容でもマヌケ面して喜んでいる知能の低い令和の年寄りとは違うのである。終戦直後の少年少女も〈面白いものと面白くないもの〉〈作家が腰を据えて書いているものと書いていないもの〉を彼らの幼い感性なりに見分けていたのではないか。
残念ながらこの『謎の骸骨島』では、そんな子供たちのハートをガッチリ掴むのは難しい。


 

 


2024年11月15日金曜日

『合作探偵小説コレクション⑧悪魔の賭/京都旅行殺人事件』

NEW !

春陽堂書店 日下三蔵(編)
2024年10月発売



★★   あってもなくてもいいもの




二年前に始まった「合作探偵小説コレクション」も今回が最終巻。全八巻における数々の合作・連作・競作を振り返ってみると、一つの傾向が見えてくる。もし戦前の「江川蘭子」(昭和5年/第一巻収録)が成功していれば、目鼻立ちのハッキリした主人公を押し立てて物語を進行させるパターンはそのあと度々繰り返されたかもしれない。だが、そうはならなかった。江戸川乱歩が担当した第一回のインパクトを後続メンバーが理想的にバトンリレーすること儘ならず、「江川蘭子」は尻すぼみに終わってしまう。

 

 

「畸形の天女」(昭和28年/第二巻収録)もまたしかり。「全体のストーリーならまずまず整ってるんじゃないの?」と評価する声があったとはいえ、「江川蘭子」と同じく第一回にて乱歩が提示した女子高生・北野ふみ子の淫靡さを他の作家達が十全に引き出せたとは言い難い。

連作のプロットも様々あるだろうが、一人の強力なキャラクターを軸に物語を拡げてゆく場合、一番手を担当する作家が主人公を魅力ある存在に設定できるかどうかがまず最初の課題になる。だがそれは言い方を変えれば、箸にも棒にも掛からぬ主人公を立ててしまった日には、その時点で全てがおじゃんになってしまう訳だし、一番手の背負い込む責任は小さくない。

更に、いくら一番手の作家が主人公の造形に凝ったところで、回を重ねるたび方向性がどんどんブレてゆくのも事実。「楠田匡介の悪党ぶり」(昭和2年/第六巻収録)だとか「桂井助教授探偵日記」(昭和29年/第七巻収録)のような一話完結型ならそこそこ上手くいくものの、書き手側はメインキャラの個性を売りにする続きものに対して、あまり意欲を喚起されなかったようだ。




最近文庫化された小森収の対談本で誰かが言っていたと思うのだけど、社会派ミステリがつまらない理由のひとつにヒーローが生まれない点が挙げられていた。合作・連作・競作にも同じことが言える。一般の読者に認知してもらえる良作さえ作れないのに、どうやってポピュラーなアイコンが生まれるというのか。オブラートに包まず率直に言えば、そこまで力を注ぐ必要性を作家は感じておらず、個人名義の作品に比べたら合作・連作の如き企画なんて取るに足らないお遊び的な仕事。あってもなくてもいいようなものにすぎない。

 

 

漠然とした印象だと、この手の企画には文学派より本格派の探偵作家のほうが個々の良さを発揮できている気がする。文学派の作家とて、大下宇陀児が楠田匡介と組んで書き下ろした「執念」(昭和27年/第七巻収録)みたいに合格点を与えられるものもなくはないが、総体的に見たら、本格派作家の奮闘が記憶に残る。結局のところ纏まりが良いのは、第四巻に収録された「十三の階段」(昭和29年)はじめ戦後派の面々が頑張った数作(☜)で、あのレベルのクオリティーを備えた作品にはなかなかお目にかかれなかった。
 

 

 



順序が逆になってしまったが、
本書第八巻『悪魔の賭/京都旅行殺人事件』についても触れておこう。

 

 

「鯨」(昭和28年)

島田一男 → 鷲尾三郎 → 岡田鯱彦

 

「魔法と聖書」(昭和29年)

大下宇陀児 → 島田一男 → 岡田鯱彦

 

「狂人館」(昭和30年)

大下宇陀児 → 水谷準 → 島田一男

 

この三作は『狂人館』(東方社)の記事(☜)にて言及しているので、御手数だが左記の色文字をクリックし、そちらを御覧頂きたい。本巻の中でも私はやっぱり「鯨」が好きだな。

 

 

「薔薇と注射針」(昭和29年)

前篇  薔薇と五月祭      木々高太郎

中篇  七人目の訪客              渡辺啓助

後編  ヴィナス誕生              村上信彦

 

前篇を受け持つ木々高太郎がそれなりに状況設定を拵えており、本格派の作家なら、そこに登場している顔ぶれだけでケリを付けようと苦心して続きを書きそうなもんだが、なんと渡辺啓助は新たな登場人物・天宮寺乙彦を追加投入。そのあと彼が少なからず事件の鍵を握る存在になってしまって、池田マイ子殺しの犯人と動機を推理する物語として読むには甚くバランス悪し。

 

 

「火星の男」(昭和29年)

前篇  二匹の野獣        水谷準

中篇  地上の渦巻         永瀬三吾

後編  虜われ星          夢座海二

 

永瀬三吾と夢座海二が無理くりフォローしてはいるが、シリアスなオチで終わらせたいのなら、前篇の水谷準がここまでぎくしゃくしたプロローグにするのは間違っている。前篇の終りで殺人を犯した男が酔って崖から転落してしまうため、てっきり読者は「ああ、これは笑わせる方向に持っていこうとしているんだな」と思ってしまうよ。加えて大した必然性も無いのに、殺人者の男を火星人(カセイジン)などと呼ばせているのも「プリンプリン物語」じゃあるまいしダサイなあ。

 

 

「密室の妖光」(昭和47年)

大谷羊太郎/鮎川哲也

 

「悪魔の賭」(昭和53年)

問題編①   斎藤栄

問題編②  山村美沙

解答篇     小林久三

 

「京都旅行殺人事件」(昭和57年)

問題編①  西村京太郎 

問題編②   山村美沙

解答編      山村美沙

 

「鎌倉の密室」(昭和59年)

渡辺剣次/松村喜雄

 

昭和生まれの作家、また乱歩が没した昭和40年よりあとに発表された作品となると、もはや私の読書対象では無いので、これら四作品についてコメントすべきことは何も無い。とは言うものの強いて一言述べるとすれば、鮎川哲也と松村喜雄がそれぞれ関与している「密室の妖光」及び「鎌倉の密室」はいかにもあの二人らしい内容で、本格好きの読者には良いんじゃない?


 

 

 

編者解説にて、日下三蔵が全八巻の収録から漏れた十四作品を挙げている。
そのうち昭和30年代までに発表された七作がこちら。

 

「皆な国境へ行け」(昭和6年)

伊東憲/城昌幸/角田喜久雄/藤邨蠻

 

「謎の女」(昭和7年)

平林初之輔/冬木荒之介

 

「A1号」(昭和9年)

九鬼澹/左頭弦馬/杉並千幹/戸田巽/山本禾太郎/伊東利夫

 

「再生綺譚」(昭和21年)

乾信一郎/玉川一郎/宮崎博史/北町一郎

 

「謎の十字架」(昭和23年)

乾信一郎/玉川一郎/宮崎博史/いま・はるべ

 

「幽霊西え行く」(昭和26年)

高木彬光/島田一男

 

「一人二役の死」(昭和32年)

木々高太郎/富士前研二(辻二郎)/浜青二/竹早糸二/木々高太郎

 

これらの作品は底本を揃えきれなかった訳ではなく、既巻に収めるスペースが足りなくなりドロップせざるをえなかったそうだ。この「合作探偵小説コレクション」は各巻がキチンと発表年代順に並べた編集にはなっていないから、西村京太郎/斎藤栄/大谷羊太郎/山村美沙/小林久三らのものよりも上記七作を優先して本書第八巻へ収めたところで何ら問題無いのに・・・と私は思うのだが、かつて横溝正史が口にした「ぼくらの年代になると、鮎川(哲也)くんぐらいまでしかほんとにぴったりしないんだ。」という日本探偵小説の定義(☜)を、日下三蔵や論創社の黒田明は全然共有していない様子。




江戸川乱歩/山田風太郎の参加した合作・連作はこれまで単行本化されていたけれど、それ以外のものとなると放置状態だったので、「合作探偵小説コレクション」の刊行により相当数の作品が(過去の春陽堂がご執心だった言葉狩りの被害も無く)読めるようになったことは喜ばしい。

ただそのわりには、合作・連作に該当しない江戸川乱歩の中絶作「悪霊」「空気男(二人の探偵小説家)」を無駄に収録したり、本来収録すべき昭和前期の作品を押しのけてまで西村京太郎や斎藤栄を入れてしまう日下の方針はいつものことながら私には理解不能である。 

 

 
 

 

(銀) それにしても春陽堂書店と日下三蔵の相思相愛ぶりが・・・。人を見る目が無いというのは実に危ういことだ。







■ 日下三蔵 関連記事 ■















 


2023年9月22日金曜日

『エキストラお坊ちやま』水谷準

NEW !

岩谷文庫 4
1946年7月発売



★★★    敗戦直後に書いたとは思えぬ軽妙さ

  



「岩谷文庫」とネーミングされてはいるけれど、戦後すぐの刊行ゆえ物資不足もあってか、A6判で50ページあるかないかの超薄い本。収録されているのは各巻短篇一作のみ(江戸川乱歩『恐怖の世界』だけは小説でなく随筆六編を収録)。九人の作家ぶん九冊出ており、現在に至るまで、「岩谷文庫」でしか読めない作品はほぼ無い。例外にあたるのは武田武彦の『踊子殺人事件』、そして水谷準の『エキストラお坊ちゃま』、それだけ。

 

 

横浜の外人バーでトグロを巻いていた弓尾康作は、店の中で陽気に騒いでいた不良遊民っぽい五~六人の男達に突然取り囲まれる。そのメンバーのひとり牧野平馬が康作とそっくりの外見で、彼らは酔っていた康作をどう言いくるめたのか、平馬の身代わりに康作を牧野家へと送り込む。翌朝になり康作が目覚めると、そこはゴージャスな部屋のベッドの上。康作は牧野平馬として、周囲の者を騙し通せるか?

 

 

先日upした横溝正史『芙蓉屋敷の秘密』(日本小説文庫)の記事にて、あの本には成りすましや傀儡をネタにした作品がいくつも見られると述べたが、正史とはまた異なる軽いタッチで水谷準も本作を書いている。単純すぎるユーモアものだと退屈だけども、一応本作は弓尾康作の成りすましが牧野家の人々にバレるのかバレないのか、またその結果どういうオチが付くのか、興味を引っ張るのでまあまあ面白い。でもエンディングで牧野平馬たちが自分らの目論見をハッキリ語るくだりが無く、読者は「たぶんこういう事なのだろう」と推測するしかないのが言葉足らずな感じ。

 

 

未熟者ゆえに私、本作の初出誌が何なのか知らない。勿論「岩谷文庫」のための書き下ろしかもしれない。それにしては〝遊民〟なんてワードが出てきたり、日本敗戦からまだ一年経ってないのに、書かれている世界観は『新青年』絶頂期っぽいし、戦後のシチュエーションだと断定できそうな箇所は見つからない。まるっきり書き下ろしであれば、混乱した国内の状況でよくこんなカラッと明るい短篇を書けたなと感心もするが、考えてみたら昭和21年の準はパージを喰らっている。本作に漂うこんなオプティミズムが、決して良い精神状態とは思えぬ彼の頭に果たして浮かぶだろうか。

 

 

 

(銀) もともと本日はweb配信された『三康図書館2023年度第一回講演会「三康図書館でみる横溝正史」』(出演:浜田知明/黒田明)をお題にするつもりでいた。でもたいして書きたい事も無いし、たまたま前々回の記事が森下雨村で前回が横溝正史だったから、それなら『新青年』編集長の誰かにしとくかというので水谷準にチェンジ。

 

 

その三康図書館主宰の講演会、事前に予約して先方から送信されるメールにリンクしてあるURLからでないと映像を見られないようになっていたそうでね。以前、春陽堂書店の『完本人形佐七捕物帳』完結の際にもweb鼎談みたいなのやってたけど有料閲覧(1,650円!)になってたし、今回無料とはいえweb閲覧でさえ事前申し込みが必要って、いつも浜田知明はわざと門戸を広げないのか?

 

 

黒田明も自分がSNSで出す出すと触れ回った論創社の本はちっとも出せないのに、某古書店目録への寄稿だとか大陸書館の本の解説執筆とか、本業はそっちのけにして、どこにでも顔を出すんだな。この講演会で浜田知明と司会の三康図書館の人は顔出ししてるのに、黒田だけ都合がどうだのと言って現場にいながら声のみの参加ってのもよくわからん。♪ 編集者は気楽な稼業ときたもんだ~。





■ 水谷準 関連記事 ■
















2023年5月25日木曜日

『ふらんす粋艶集』水谷準(訳)

NEW !

日本出版協同株式会社
1953年2月発売



★★★    殺人鬼・断頭箪笥 vs 名探偵ホルメス



本書の帯には次のような宣伝文がある。 

〝 気品があり、健康的で陽性なエロテシズム、そしておおらかな笑いにみちた仏蘭西粹艶小咄は、古くから世の大方の風流人士の愛好するところとなつているが、現在の暗く嚴しい現実の中でもつと多くの人々が、このセンスを玩味するなら、世の中は常に花園のように明るく楽しいことだろう。 

先に当社で出版した「粹人酔筆」は息づまる様な現実生活の中にしみじみとした人生の悅楽を見出すものとして大好評を博したがそのフランス版ともいふべきものが、本篇である。〟 

早稲田在学時にはフランス文学科を専攻していた水谷準のフレンチ嗜好を前面に押し出した本。タイトルのとおりフランス製のちょっとHなショートショートを集めたもの。エッチといっても半世紀以上前の日本人の感覚だから現代人から見ればたわいもないエロ・コメディばかり。冒頭と最後のカミ作品はやや枚数があり、前者「處女華受難」には名探偵ルーフォック・オルメスが登場(本書ではルウフォック・ホルメスと表記)。



「處女華受難」カミ

「衣装箪笥の秘密」のタイトルで記憶している人もおられよう。しかし殺人鬼の脳を移植された箪笥が暴れ回るって、どんだけ馬鹿馬鹿しいハチャハチャなんだか。

 

「ふらんす粹艶集」(含7本)

 

「金髮浮氣草紙」

アレクシス・ピロン「蚤の歌」

ザマコイス「当世売子気質」

フィシェ兄弟「エレベーターをめぐる」「浮気の円舞曲」「悔い改める」「ぶらさがりの記」

ジャン・フォルゼーヌ「カフェ・ファントムの一挿話」「フォレット嬢の新床」

シャルル・キエネル「美しい眼のために」

レオ・ダルテエ「田舍ホテル」

ファリドン「ベルティヨン式鑑別法」

ピエール・ヴベ「ヴォスゲスの冒険」

アルフォンス・アレエ「金曜日の客」

ヴィリー「シュザンヌの悪だくみ」

 

「ふらんす艶笑小噺」

 

「てごめあだうちきだん」カミ

 

 

あまりに軽~く読み流せる内容なので、カミ以外のものはこの手のコントを受け入れられる人でないと退屈かもしれない。だが、一番華やかだった頃の『新青年』テイストの横溢に興味があるなら手に取ってみるのも悪くはない。古書価もそんなに高くないし。

本書には続篇『第二ふらんす粋艶集』もある。



 

 

 








(銀) 私は持っていないけれど、水谷準には『金髪うわき草紙 奥様お耳をどうぞ』(あまとりあ社)という本がある。これは上記『ふらんす粋艶集』『第二ふらんす粋艶集』を再編集したものだそうで、日本出版協同株式会社の二冊さえあれば無理に探す必要はない。





2022年4月6日水曜日

『狂人館』大下宇陀児・外

NEW !

東方社
1956年10月発売



★★★★    戦後派作家の活躍




本書に収録されている三つの中篇はどれも、探偵作家三名が 前篇中篇後編 を分担して書いているため一見リレー小説のように見えるが、三篇とも同じ雑誌・同じ号に一挙掲載されているので、事前に三人でおおまかな打ち合わせをした上で書かれている可能性はある。初出誌に当たっていないから、この企画の詳しい事情については何とも言えないけれど、通常のリレー小説のように方向性も文体もバラバラな感じが無くて、スッキリ読める。




                     





「狂人館」【『読切小説集』1955年3月増刊号】

上)大下宇陀児

(中)水谷準

(下)島田一男

 

 

三船紀子は小さな食料品会社に勤め、新聞記者の戸沢信一とつきあっている。信一とのデートの途中、弟に貸す約束をしていたカメラを会社に置き忘れたのに気付いた紀子が事務所に戻ると、会社の社長・疋田文平が見知らぬ男二人女一人と密談を交わしていた。それというのが他人に聞かれてはまずい話だったらしく、彼らは紀子を脅して車に押し込み、ある場所へと連れてゆく。その建物はまるで狂人が設計したような奇妙なビルだった。

 

 

〝狂人館〟と名付けられた建物は普通の雑居ビルとは全然違う怪しい造りになっているが、そこまで読者に印象付ける程のものでもない。

このメンバーゆえ、どうという事もないスリラーだけど、ひとつ感心したのは三番手の島田一男が、大下宇陀児と水谷準の蒔いた種をすべて丁寧に回収している事。紀子が信一を呼ぶ時「信一さん」と言っていたのが島田の回のみ「信さん」になっていて、これだけはご愛嬌。

宇陀児/準からすると島田一男は探偵小説界の後輩ではあるが、水谷準と殆ど年齢に差は無く、単にシーンへのデビューが遅かっただけに過ぎない。連作や合作の場合、回収し忘れる些末事はいつもありがちなのに、それが無い点は褒めていい。〝狂人館〟が雰囲気作りの為だけのものでなく、何かしら必然性のある意味合いを持たせられれば、尚良かった。


 

                     

 


「鯨」【『探偵実話』19537月号】

発端篇/血染の漂流船      島田一男

捜査篇/血しぶく女臭      鷲尾三郎

解決篇/血ぬられたる血潮    岡田鯱彦

 

 

漁業仲買人・津上専吉には、お新という年齢が十四も違う若い女房がいる。
お新は男好きのするところがあって、貞淑とはいえぬ女で人の評判もよくない。
専吉の船・第三半七丸に乗り共に働いているのは専吉の弟でギャンブル好きの与太者・啓次と、男前だが最近胸を患っている雇人の坂田為蔵。この二人、あわよくばお新を自分のものにしたい魂胆を抱いている。ある日の午前、第三半七丸が本来戻るべき木更津ではなく、東京港から品川~お台場を経由、南の方角に向かっているのを他の船が目撃。そのまま船は大森へ航進し、大勢の海水浴客が遊んでいる砂浜へと暴走する。それなのに乗り上げた船は無人状態、船倉には大量の鮮血が・・・。

 

 

この作にはトリックがあるので、本書の中では一番興味を引かれた。
「狂人館」では上手くラストを締め括った島田一男が、今度は一番手。
スリラーに設定してもイケそうな発端ではあるが、先程も申したとおり三作家が事前にキッチリ打ち合わせして書いたと云われても納得いくような、スムーズに謎解きを提示する展開を見せている。「鯨」というタイトルから、読み手はある程度犯人の企みを予想できるかもしれないけれども、それだけでは終わらないのが良い。

 

 

                       



「魔法と聖書」【『探偵実話』1954年2月号】

前篇 ― 小心な悪漢    大下宇陀児

中篇 ― 五階の人々    島田一男

後篇 ― 三つ巴の闘い   岡田鯱彦

 

 

丸金商事の外交員・浅井新吉は自分の会社が入っているビルのエレベーター・ガール南条市子を情婦にしている。二人とも悪い意味でのアプレで、新吉はホテルで市子とセックスするか、パチンコ屋に入り浸るかの日々。そんな新吉の行くところに妙な男の影がチラつき、市子はエレベーターの中でセクハラをしてきた丸金商事のエロ支配人が往来で死体となっているのを目にする。彼らの周りでいかなる悪事が進行しているのか?

 

 

う~ん、これは「狂人館」よりもイマイチ。
〝赤と青のインクじみが沢山付いた碁盤縞のハンカチ〟と〝支配人の持ち物だった聖書〟に、
二つで一つとなる秘密を持たせるとしても、あまり有機的なカタルシスは生まれていないかな。ここまで読んで思うのは、トリックに興味が無い宇陀児のような戦前の先輩作家と、戦後デビューした後輩作家を組ませて異世代のケミストリーを狙わせる・・・それもひとつの面白いトライだと理解はできるけれど、こんな企画が持ち上がった時「(戦前の本格派)濱尾四郎が生きててくれれば」とか「蒼井雄がバリバリ本格ものを書き続けてくれていたらなあ」とか、叶わぬ望みが湧いてくるのである。


 

 

 

(銀) なんにせよ、島田一男/岡田鯱彦/鷲尾三郎といった戦後派の作家が頑張っているのはよくわかる。奥付を見ると、本書の著者検印は大下宇陀児のものだった。著者名は大下宇陀児・外になっているし、年長者を立てるということか。





2022年2月22日火曜日

『薔薇仮面』水谷準

NEW !

皆進社 《仮面・男爵・博士》叢書 第一巻
2022年2月発売



★★★★★   佐々木重喜、再始動




あの『狩久全集』を制作した佐々木重喜(皆進社)が長い沈黙を破って再び動き出した。それだけでも私にとってはめでたいニュース。でもまさか水谷準のこのシリーズものを新刊として出してくるとは予想外だった。本書に収録されているのはどれも相沢陽吉という主人公が活躍する戦後発表作品。相沢陽吉の職業に目を向けると新聞記者だったり、その新聞社系列の雑誌記者だったり、意味もなく所属セクションが微妙に変化している。

 

 

 

今回は収録順とは逆に、長篇の「薔薇仮面」から俎上に載せていこう。
他の探偵作家の新聞記者キャラ、獅子内俊次(甲賀三郎)三津木俊助(横溝正史)明石良輔(角田喜久雄)といった顔ぶれに比べると、どの角度から眺めても、悲しいかな相沢陽吉という人物の存在感は貧弱。記者という職業がうまく物語に活かされているでもなし、犯人をはじめ回りを固める登場人物にしたって、何かしらの魅力があったり特徴を持つキャラがいない。

本格テイストでなくとも、サスペンス・スリラーとして面白く読ませるのであればそれでもいいが、プロットさえも平坦なのだから読んでいて気分が盛り上がらず。探偵小説のプロパーでない作家が書いたものならまだ許される余地もあるけど、水谷準クラスがこれでは苦しい。そもそもタイトルを「薔薇仮面」とする必然性が無いのが一番の問題点。





不満は短篇「三つ姓名の女」「さそり座事件」「墓場からの使者」「赤と黒の狂想曲」にも残念ながらチラつく。海外物の翻案は水谷準もやっているが、ここでは「三つ姓名の女」にて誰でも知っている超メジャー仏蘭西人作家が書いた連作短篇のアイディアに頼っている。『新青年』の歴代編集長が書いた創作探偵小説を振り返ってみると、森下雨村と横溝正史はさておき他の面々は作家としてどうだろう?水谷準初期の幻想系短篇は確かに良い。でも作家としてのトータル・キャリアを見た場合、戦後の作品の中から際立ったものを見つけるのは難しい。


 

 

疑問を抱いているのは私だけかもしらんけど、水谷準って世間で云われているほど『新青年』編集長として本当に名伯楽であっただろうか?江戸川乱歩に『新青年』復帰を促した「悪霊」の時だって、確かに乱歩という人は小説を書かせるのに普通の作家の何倍も手が掛かったとはいえ、結局その気にさせて完成させる事ができなかった訳だし、だいいち昔から準は他人の作品を一向に褒めない性格だったんでしょ。(褒めりゃいいってもんでもないけど)編集長の資質としてはそれでよかったのかな?

 

 

 

よって本書の解説もあまりベタ褒めだといかにも嘘臭くなる。解説を執筆した西郷力丸によれば水谷準の意図する「ユーモア」とは普段我々がイメージする〝クスッと笑えるような〟という意味合いではなく「高踏的姿勢」なんだって。「高踏的」という言葉をネットで調べると〝世俗を離れて気高く身を保っているさま〟〝独りよがりにお高くとまっているさま〟とあった。制作サイドとしては無理にでもポジティヴにまとめるしかないからとやかく言う気は無いが、戦後の準はゴルフに没頭してもいたし、探偵小説の仕事に情熱を傾けていたとは言い難い。


 
 
 
 
(銀) 小説の内容が褒められたものではないのに満点にしているのだから「内輪褒めか!」と勘繰られそうだが、私は本書の制作者・佐々木重喜の探偵小説への愛情には敬意を払っている。今回ばかりは特別に佐々木の復帰を喜び、御祝儀の気持ちを込めた。また本書に収録されている作品は入手難なものばかりで、内容うんぬんよりも手軽に読めるようになった事を重視しての★5つと受け取って頂きたい。探偵小説の世界に詳しくない人が今日の記事を読んだら「この★5つは間違いじゃないのか?」って思われるだろうが、いろいろ意味があるのよ。

 

 

 

もっとも(見つけたのは一箇所だけだったが)76ページに「名刺」とすべきところが「刺」になってて正直「皆進社もか」と一瞬怒りかけた。盛林堂周辺や論創社の本で誤字テキストにはもうほとほとウンザリしているから、皆進社の本に今後こういうミスは無いようにしてほしい。それと、いくら本書の購買層が中高年に集中しているとはいっても「秘密戦隊ゴレンジャー」を序文(新田康)の引き合いに出すのは読んでてサブい、というかこっちが恥ずかしくなる。




2021年2月18日木曜日

『殺人狂想曲』水谷準

NEW !

春陽文庫 名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉
1995年9月発売



   語句改変まみれ




先日春陽文庫版『蠢く触手』(江戸川乱歩)の記事をupした後、ライブラリーにて本を整理していたら、ふと私の霊感ヤマ感第六感がビビッときた。

「待てよ。あの本が出た90年代って春陽堂は江戸川乱歩や横溝正史の文庫本でバリバリ言葉狩りしてたよな。この名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉は山前譲が解説を書いているから今迄言葉狩りは無いものだとてっきり思い込んでいたけど、光文社文庫「幻の探偵雑誌」シリーズも編集部がこっそり語句改変をやらかしてたし・・・。」

そんな虫の知らせがしたので、水谷準の著書はこのBlogでもまだ取り上げてなかったのもあり『殺人狂想曲』を題材にテキスト・チェックしてみることにした。

 

                   


表題作の中篇「殺人狂想曲」(昭和66月から半年間『朝日』に連載された時の原題は「翻倒馬殺人譜」)。翻倒馬と書いてファントマ、元ネタはスーヴェストル+アラン。実に荒っぽい翻案の上に荒っぽい終わり方。

 

 

次も中篇の「闇に呼ぶ声」(昭和510月より半年弱『朝日』に連載された時の原題は「心の故郷」)。恋人を倖せにするため北海道から出稼ぎで東京へ出てきた主人公の青年がいきなり与太者に半殺しにされて記憶喪失になり、その後悪人に救われ裏の世界で生きるが今度は獄窓の人に・・・というムチャクチャな悲哀小説。

 

 

最後の「瀕死の白鳥」は解説によれば初出誌が不明との事。乱歩や戦後の橘外男のような美女が誘拐される猟奇ものなので、初出誌が『朝日』で見つからなかったのであれば、同じ博文館雑誌の『講談雑誌』や『文藝倶楽部』にて水谷準ではない別の名で書いているのかもしれない。いずれも『新青年』とは客層が異なる大衆向け雑誌だけど、あれだけ幻想メルヒェンを書いていた準がよくこんなディスポーザブルな小説を臆面もなく書き飛ばしたもんだ。

 

                   


さてテキスト・チェックの話に戻ろう。こんな場合は同じ本の旧い版に目を通してみなければ言葉狩りされている箇所を見つける事はできない。よって昭和7年の春陽堂文庫版初刊本『殺人狂想曲』(私の所有しているのは昭和14年発行22版)を紐解いてみる。すると・・・

 

 

以下、
上段は言葉狩りがされている本書のテキスト
下段は本来の正しい戦前版春陽堂文庫のテキスト(〇)である。
後者は旧漢字・旧仮名遣いのまま引用する。

     

 

行方不明になった前中国大使()     210行目

行方不明になった前支那公使(〇)

 

 

まるで狂気の沙汰としか思われん)  1112行目

まるで気狂ひ沙汰としか思はれん(〇)

 

 

人はただ言葉を失うしかない       )  126行目

人はたゞ無言の唖となつてしまふ (〇)

 

 

「ぼく、ぼく、そんなんじゃない」)  1614行目

「僕、僕、気狂ひぢやない」   (〇)

 

 

あの子は気の毒な母を持った哀れな子供です )  341516行目

だれが一時的に発作を起こさなかったと言えましょう

 

あの兒は狂人を母に持った哀れな子供です    (〇)

誰が一時的に發狂しなかつたと云へませう

 

 

酷すぎる。「殺人狂想曲」の前半だけでこんなに見つかるとは。他の二篇でも改悪箇所はあるのだがキリがないからここに載せるのはこれだけにしておく。この調子で言葉狩りオンパレード、それに加え昔の旧漢字を現行漢字にするだけならまだしも、「様」とか「僕」とか開く必要の無い漢字までひらがなに開きまくり。こんな校訂でよく再刊などしたものだ。

 

 

気狂い/発狂/白痴/唖/聾/満洲/支那、この手のワードがオリジナル・テキストに含まれる作品を再発している昭和50年以降の春陽文庫は × となる訳だが、それでなくとも(もっと以前から春陽堂が行っていた)漢字を無意味に開く校訂が、この〈探偵CLUB〉シリーズでも遠慮なしに実行されているので、テキストとして使いものにはならんことがよく解った。

 

 

乱歩でさえ過去の著書において信用できぬテキストの本が存在する事実を知ることができたのは林美一が河出文庫『珍版・我楽多草紙』で解り易く例を挙げて警告していたからであって、さすがに乱歩の次に本の流通量が多い横溝正史は注意していたけれど、それ以外のあまり有名でない戦前探偵作家の再発本に対しては「まさか、そんなことはあるまい」とたかをくくっていたかもしれない。改めて言う。春陽堂書店の戦後のテキストは全く信用できん。

 

 


(銀) 水谷準の戦前の春陽堂文庫には『殺人狂想曲』ともう一冊、『都魔』という本がある。表題作「都魔」も『文藝倶楽部』に昭和58月から半年ほど連載していた時のタイトルは「虹の彼方へ」だった。こんなにも単行本収録時タイトルを変えるということは、準にとってやっぱりこれらの作は自分の会社の雑誌の埋め草的なやっつけ仕事として書いていたのだろうか。

 

 

平成になって藤原編集室が国書刊行会から〈探偵クラブ〉シリーズを出す時、その頃はまだ健在だった準に「昔の幻想メルヒェンものを揃えて一冊出したい」と打診をしたら「旧作について、それを再び見ることを好ましく思いません」とすげなく断られたという。本書『殺人狂想曲』が出るのはその数年後の話で、藤原編集室が作る本だったら語句改変などされなかっただろうに、ただでさえ自信作ではないと思われる上、こんな校訂を施した『殺人狂想曲』を晩年の準がもし読んでいたならどれだけ不愉快だっただろうかと、私は暗澹たる気持ちになるのであった。