2021年6月29日火曜日

これまで『「新青年」趣味』に特集された作家達

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当記事の左上にupした書影は、まだ『新青年』研究会が結成されてすぐの1988年に刊行された懐かしい『「新青年」読本』。今でも総目次使わせてもらってます。これが全ての始まりで、 その後『新青年』研究会の機関誌『「新青年」趣味』1991年に創刊、今年もキッチリ第21号が発売された。第12号から第14号の間には八年のブランクがあり(現在のところ第13号は欠番扱い)会員の多くは本業を持ちながら、ほぼ年一ペースで継続してきたのだから立派なものだ。初期の会員で今は参加していない人もいて、それが残念。

 

 

『新青年』という雑誌は戦後も存続したのだが、『「新青年」趣味』も各会員の活動も主に   戦前の『新青年』をターゲットにして研究が行われている。下記の一覧に見られるとおり、  会員の偏愛から探偵作家でも『新青年』作家でもない中井英夫が『「新青年」趣味』の巻頭に 特集されるという例外はあったが、今後は戦後版『新青年』への作品発表にこだわらず、    戦後探偵作家へのアプローチも見られるかもしれない。

 

 

今年は『「新青年」趣味』創刊30周年でもあるし、これまでの号でどの作家が大きく特集されてきたかを振り返ってみたい。一人の作家について複数記事を組んだ大きな枠の特集を始めたのは   第4号(1996)からなので、それ以降のバック・ナンバーから集計。             作家名の右側にある⦅ ⦆は特集された号をを示し、上から特集回数の多い順に並べている。   別冊として刊行された『渡辺啓助100』(2001)『江戸川乱歩で行こう!』(2018)も   カウントしている〝別〟と表記)。

 

 

江戸川乱歩  ⦅4⦆⦅8⦆⦅12⦆⦅16⦆⦅〝別〟⦆

渡辺啓助       ⦅7⦆〝別〟

横溝正史       ⦅10⦆⦅11⦆

佐藤春夫   ⦅6⦆

海野十三       ⦅9⦆

 

中井英夫       ⦅11⦆

森下雨村       ⦅11⦆

夢野久作       ⦅12⦆

久生十蘭       ⦅15⦆

谷崎潤一郎    ⦅16⦆

 

大下宇陀児    ⦅17⦆

小栗虫太郎    ⦅18⦆

濱尾四郎       ⦅19⦆

甲賀三郎       ⦅20⦆ 

木々高太郎    ⦅21⦆ 

 

 

この一覧に記されてない号は単独作家の特集を行っていない。やはりと言おうか、乱歩の特集が多いですな。あと渡辺啓助の記事が多いのは彼が2002年まで長寿でいてくれたのもあるだろう。この他例えば、大倉燁子の記事などは内容からして非常に読み応えのある内容で、本来なら第16号の谷崎特集よりボリュームもあるのだが、一括特集ではなく第910号に分載となったため 不本意ながら上記の一覧にカウントしなかった。執筆者の阿部崇には申し訳ない次第。



小酒井不木と大阪圭吉の大特集が無いのが意外だが、各号に分散しているものの不木の記事は ちゃんと存在する。圭吉が十分読めるようになったのはつい最近の事で、盛林堂がいろいろと  圭吉本を出しているからなんとなく機会を逸したか。                   さて今後特集が考えられる作家は、戦前デビューの作家にこだわるならば橘外男か蘭郁二郎が   予想される。そうなると蘭に詳しいそうな研究家、すなわち三一書房版海野十三全集に参加したメンバーの協力を望む。なんせ読めない作品が多過ぎて。



現会員には橘推しの谷口基がいるし、この夏三冊新刊が出るから橘外男のほうが手を付けやすいのかもしれない。そのためにも橘外男の代表作、もう少し手に取りやすくなってくれたら。




2021年6月28日月曜日

『探偵新聞/占領期のカストリ・探偵小説関係新聞』

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金沢文圃閣  石川巧(監修・解題)
2021年5月発売



     読み取りにくい文字、疑問の価格



敗戦から二年後、松崎尚という人物が江戸川区小岩を拠点に発行し始めた『探偵新聞』。マイナーなカストリ新聞で、普通の新聞のようにバックナンバーが図書館に所蔵される事もなく歴史の闇に消え去ってもおかしくないところだったのだが、江戸川乱歩が大部分の号を保存してくれていたので、足りない分は旧ミステリー文学資料館と国会図書館のプランゲ文庫にて補い、復刻発売に漕ぎ付けることができたと云う。私も見るのは初めて。

 

 

19477月から19493月まで旬刊ペースで全55号発行。今回第35号だけは入手できなかったそうで、完全なコンプリートではない。最終号では「終わります」とも何も告知が無く、突然のカット・アウト。タブロイド判の新聞そのものを適宜縮小して複製収録した〈本体〉と、解題・目次細目を載せた〈別冊〉の二冊セットによるリリース。(追記:本体リリース後、金沢文圃閣は欠けていた第35号の複写を頒布した。)

 

                    


本書刊行の知らせを聞いて私は、日本の探偵作家が積極的に紙面参加し当時発生した実際の犯罪に向き合ってその都度コメンテーターの役割を果たすという、そんな内容を想像していた。確かに乱歩以下探偵作家クラブがこの新聞を支えているのは間違いないが、乱歩たち探偵作家が事件にコメントしているのは意外にも一度だけ。『探偵新聞』のおおまかな紙面構成はこんな感じである。


 

創刊号は8面、第2号からは4面構成

A  その時々のホットな猟奇エログロ犯罪(トップ記事)

B  探偵作家の寄稿

C  探偵作家近況・映画・その他の情報記事

本紙のキャッチ・コピーは「社会の照魔鏡 防犯の羅針盤」と掲げられているが、防犯に役立つ記事なんてあったかな?

 

 

では何と言っても「帝銀事件」を取り上げた回数が一番多い。事件発生から半年ちょっと経った第40号に平沢貞通の名がデカデカと登場。戦後は何も悪い事をしていないのに阿部定と妻木松吉(=説教強盗)の扱いが大きいのは、この二人が戦前日本犯罪史のズバ抜けた著名人(?)である証拠。

 

は一般公募作品も含み掌編、コント、翻訳、犯罪実話もあるのだが、探偵小説として一応押さえといたほうがよさそうな作品だけ簡単に紹介しておこう。当り前だが新聞という性格上、一回分の量は雑誌に比べるとずっと少ない。(連)は連載ものを示す。

 

東震太郎 「黄色い影」「盗賊入門―死刑囚懺悔録―」
保篠龍緒 「指紋のナゾ」「窓ガラスの破片」「刑事手帖」(連)
香山滋  「呪いの古墳」(連)
城昌幸  「秘密の秘密性」(連)
楠田匡介 「雪」(連)(連)


中里十七 「五行會殺人事件」(連)
達海昇  「舞姫殺人事件」(連)
岩田賛  「花壇に降つた男」(連)
渡邉知枝 「赤い屋根の家」(連)
杉本章  「或る自殺者」(連)

 

『探偵新聞』における収穫は創作小説よりむしろ、若き中島河太郎青年のデビューとなった「日本探偵小説略史」。日本探偵小説ヒストリーを綴る彼の仕事はここからスタートしたのだ。

 

                      


他の場所なら今回の復刻を「バンザーイ、バンザーイ」と誉めそやして終わるのだろうが、私のBlogは正しい情報を伝えるのが基本姿勢なので、悪い点も指摘しておかなければ。現物の『探偵新聞』を手に取ったらまだ少しは文字が読み取りやすいのかもしれない。だが本書だと、序盤は大きめの倍率で複製され安心して読めるのだが次第に状態が粗くなり、元々組版も小さくなっていったのか、ここまで縮小しないと一冊に収まりきらなかったのか、どうにも読み取りにくい箇所が多いのには参った。冗談ではなく虫眼鏡がないと読めんわ。 



戦後のカストリ時代の印刷物は雑誌・仙花紙本問わず紙質も印刷技術も悪いから、文字の不鮮明な箇所があったり裏写りしてたりするのはよくある事で、そのような原本を使って今回のような影印本にすると、どうしてもこんな結果になってしまう。裸眼で本を読んでいる私でさえお手上げなのだから、老眼の人は一体どうするのだろう?いくら資料価値が高くても、文字が読み取れないのでは意味が無い。

 

                      


更に疑問に思うのは仕様というか価格。このような高額な復刻本だから三人社のように(『探偵小説研究 鬼 復刻版』の項を見よ)立派な函入りハードカバーなのかと思ったら、平凡社の「別冊太陽」シリーズみたいな作りで。      



発行元の金沢文圃閣は古本販売の他に書誌研究の専門書を制作販売しているし、大学の紀要の下受けも行っているらしい。だから彼らの作る本はおしなべて少部数だと思われるが、仮にこの『探偵新聞』復刻版を100部ロット(もしくはそれ以下の部数)で制作したとしても、〈別冊〉を抜きにした〈本体〉が19,800円というのは納得できる価格ではない。だって復刻した『探偵新聞』全54部の原本は今回の為にわざわざ購入した訳じゃないのだから、そこにコストはかかって無いはず。定価が約二万円になるほど一冊分の原価が本当に発生しているのか?




(銀) 例によって、またSNSで本書を入手した事を触れ回っている輩がいるけれど、こういう内容こういう価格だからネット上で購入自慢するのが目的ではなく真剣に読みたいと考えている方には残念ながら積極的に薦められない。『探偵新聞』に載っている内容を今後企画する新刊に部分収録したくなっても、正確なテキストが確定できないなら使えないじゃん。文字が殆ど読み取れるのだったら、もっと高い評価にしたのだが。



金沢文圃閣から通販で古本を買っても、発送にはゆうメールかゆうパックしか使わせてもらえずレターパックのような便利な手段は一切拒否されるという実に融通の利かない店だ。その割には今回のような新刊を買った時ゆうパックで発送されてきても(新刊の場合、送料は無料のようだが)、何ともきったないダンボールでの梱包。あれだけゆうパックを強制する割には、郵便局で売っているゆうパック専用BOXを使いもせず、Amazonとか通販サイトが送ってくるそこそこの梱包箱(の二次使用)でもない。セコい頑固さは迷惑の極みでしかない。

 




2021年6月25日金曜日

『婦人警官捕物帖』城昌幸

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春陽文庫
1952年7月発売



★★★    これでも昔は男性をムラムラさせる小説だった?



作家・城昌幸には捕物帖の顔、詩人の顔、探偵小説の顔がある。城の探偵小説は幻想的な短篇群の一部のみが再発され、「金紅樹の秘密」「死者の殺人」といった長篇は話題に上る事もない。特にあまり知られていないこの「婦人警官捕物帖」という作品は城のキャリアの中でも一際忘れ去られてしまった、いつもの彼の探偵小説とは肌合いがかなり異なる軽めの読み物。

 

 

「黑い手帳」「女性の冒險」「奇妙な戀」「誘惑」

「色ッぽい女」「不良少女」「底無し沼」

「戀の命」「指紋の謎」「大きな幸福」

(テキストは二段組/旧仮名遣い)

 

 

本書は10のエピソードから構成され、基本的には一話完結だが全体を通して連続性が持たされている。いわば戦前の木々高太郎「風水渙」みたいなものだと思って頂ければよい。若い婦人警官の久子はコンビを組む照江と共に新橋あたりの省線(今のJR)に暗躍する満員電車の掏摸を検挙するのが日々の仕事。彼女の父は警察部長まで勤めた人だったが数年前にこの世を去り、家族は母と弟の三人暮らし。そこにもう一名遠い親類に当たり、父が昔面倒を見ていて今は警部補にまで出世したナイスガイの小野寺(独身)も同居している。

 

 

「婦人警官捕物帖」の初出誌は何なのか不勉強で私は知らないけれども、物語の中で〝焼け跡〟について頻繁に言及されているし、本書前半のエピソードでは省線と言っていたのに途中から国電と呼び方が変わっているので、この作品は1949年頃書かれたのではないだろうか?婦人警官だとバレないよう久子は若干派手めのファッションをしている事が多い。パーマで軽くウェーブを作り脚線美を見せるルックスを作者から「パンパンと間違えられそうだ」と描写されてしまうのだから、東京はまだ敗戦を引きずった横顔を見せている。久子のような女性キャラでも当時は清純キュートな妄想を殿方の読者に抱かせていたのかも。婦人警官ネタは時代がずっと下ればどのようにでもエロく出来るものだしね。

 

 

初めて読んだ時には最初「またスリかぁ、どうして日本人はこうもスリの探偵小説が好きなのかねえ」と思った。でも事件は単純なスリばかりでなく、麻薬を密輸入する暴力団にエッチな事をされそうになったり、いたいけな少女をやくざな道へ引きずり込もうとする不良に久子が撃たれそうになったり、夫が外地に行ったまま帰ってこない淋しさから闇屋のチンピラ・ブローカーに弄ばれる女を救おうとしたり、マンネリに陥らぬよう考えながら書いているのはよく解る。「色ッぽい女」のどんでん返しや「戀の命」のちょっとしたトリック(?)も、全体にメリハリが利いて良い効果が出ている。

 


 

(銀) この文庫は古本1,000円で買ったのだが、よく考えると当時はイカモノ小説とでも誤解され売れなかったり処分されてしまったのか、古書市場であまり見かけない。こういうのは何冊も読まされると飽きるので、文庫一冊ならばちょうど適量。城昌幸もそういえば論創ミステリ叢書でスルーされている作家だったな。平成以降に刊行された『怪奇製造人』(探偵クラブ/国書刊行会)と『みすてりい』(怪奇探偵小説傑作選4/ちくま文庫)に収録されてない探偵小説はこのままほったらかし?本作とか『美貌術師』とか『ひと夜の情熱』とか、その他モロモロさあ。



数年前に盛林堂書房から城昌幸の未刊ジュブナイルが出たけれど、これが内容・時代考証ともに完全無視、何も考えていない気持ちの悪い装幀。こういう結果になるからアニオタが探偵小説に関わるのはひたすら御免蒙りたいのだ。
                                    
















2021年6月21日月曜日

『盲目の理髪師』ジョン・ディクスン・カー/三角和代(訳)

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創元推理文庫
2018年5月発売



★★★★  「びっくり箱殺人事件」よりこっちのほうがずっとマシ



え~、赤の他人に成りすます人物といったら、我々はすぐにアルセーヌ・ルパンや怪人二十面相を思い浮かべます。あのふたりほどワンアンドオンリーの超人的七変化ではありませんが、カー作品の中にも身近な人間に見破られないぐらい変装の上手い犯罪者が果しているのやら・・・。

ファースな探偵小説は肌に合わないと自分でも自覚している。横溝正史の場合だと「びっくり箱殺人事件」。あれは正史の長篇ワースト3に入るほどくだらないと思っていて、考え方次第では小林信彦の(時代をパロディ化する)諧謔小説の元祖と呼べる部分もあるのだけど、「びっくり箱」の何がイヤって灰屋銅堂(若い人は「ハイシドードー」ってどういう意味かわかるかな?)とか登場人物のネーミングの際立つダサさに加え、物語の中に差し込まれるギャグがどれもこれも古くて黴臭いのだ。

 

 

夜遊びに忙しかった博文館時代の正史なら、自らの若さに世の中の華やかさが味方して、もっと モダンというかマシな ❛笑いの探偵小説❜ を書けたかもしれない。けれども病を持ち、外出を禁じられ、田舎に疎開していたのもあって、戦争が終わるといつの間にか老け込んでしまっていた。だから世間の流行に便乗した笑いを取ろうとしても、オヤジギャグ的というか年寄り臭さが漂ってしまう。戦後の作品はその年寄り臭くなったところがしょっちゅう露呈していてツライから、その点では戦前の正史のほうがいい。老化を問うなら乱歩も同じなんだけどね。閑話休題。

 

 

 

「盲目の理髪師」正史「びっくり箱殺人事件」を書く時に参考にしたと云うけれども、同じファースでもこちらのほうは、意外と初読時から退屈して眠りに落ちるようなことも無く受け入れられた。たぶんその理由は、読むのが恥ずかしくなるような死語(例えば今「チョベリグ」なんて口にしたらどんだけ白い目で見られることか)などを小手先で使って笑わそうとしていないからじゃないかな。レストレードやグレグスンといったホームズ物語の警部達を ❛無能さ❜ の引き合いに出す場面なんかは毎回吹き出しそうになる。

 

 

この長篇が地面の上のありきたりなシチュエーションなら評価はもっとガタ落ちしたと思うが、洋上を航行する豪華客船という限定された空間が全編のムード作りに一役買っている。

本作の芯になる謎は三つ。〝国際問題になりそうなプライベート・フィルムの盗難〟〝盗まれた筈だったのにスタートン子爵のもとへなぜか戻っていたエメラルド〟〝船室に倒れていた素性がわからぬ女の消失〟だが、呆気にとられるようなトリックは残念ながら無いので、ガチャガチャした騒ぎの中で伏線隠しとその回収がどう行われているか、そこが注意点。

ミステリ作家のヘンリー・モーガン君は前作「剣の八」に続いて本作にも登場するが、そこまで強く記憶に残るキャラでもないし、彼の連投を気に留める読者はどの程度いるかな?ギデオン・フェル博士は客船には乗っておらず、船が英国に到着後助けを乞うて来たモーガンの話を一通り聞いた上で推理を組み立てる。ドタバタ続きの流れから一転してラストに背筋も凍る真相と結末を持ってきたなら、 ❛陽❜ から ❛陰❜ への物凄いコントラストを付ける事ができるし、それはそれで別の意味でもっと笑えたような気もするけれど、なにしろカーの作品としてはトリックの見せ場が弱い。

 

 

 

(銀) 「ファースは好かん!」と言いながら、そこまで大嫌いな作品でもないので☆4つ。他のカーの高評価作品みたいに、ブツブツ言いたくなりながらもアッと驚かされるようなショックな要素がひとつでも備わってたら血迷って☆5つにしてたりして。

 

「盲目の理髪師」をウザいと感じる読者は「くだらんドタバタは前半だけにしときゃいいものを後半までやってるから疲れる」といった感想を見かける。ん~、むしろ見事なトリックを含んでいても「序盤~中盤で全く動きが無い本格には退屈する」という人には、本作は常に動きがあるのでその点はいいのかも。




2021年6月19日土曜日

新刊本の店頭入荷状況に見る地方差

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② ジュンク堂書店の場合(発売日当日~翌日~翌々日)





前回(2021519日の記事を見よ)紀伊國屋書店全店舗における創元推理文庫新刊の店頭入荷状況の差を見ていったが、今回はジュンク堂書店で新刊入荷状況をチェック。前回は発売日のみウォッチングしたが、二回目でもあるし今回は発売日とその翌日翌々日、三日間続けたらどんな結果が得られるか調べてみた。


                   


調査対象店はジュンク堂書店国内全店舗。以前のジュンク堂は単独のネットストアを持っていたけれど、2016年にBK1と統合したhontoへ吸収されてしまい、現在ジュンク堂の店頭在庫を確認するにはhontoにて自分の探している本の商品ページを検索し、「店舗お取扱い状況」欄の中に入って見なければならない。hontoはジュンク堂だけでなく丸善と文教堂の店舗在庫も見られるようになっているが、その全てをチェックしていたらあまりにも数が多くなり過ぎるのでジュンク堂店舗のみをチェックの対象とした。

 

 

調査対象新刊は2021616日(水)発売の
探偵くらぶ『白昼鬼語』 谷崎潤一郎
光文社文庫 1,100円(税込)。
しかし同人出版でさえあまり見られない程の、
購買欲が全く湧かないpoorなカバー装幀だな。
光文社はやる気あるのか?(当記事の最上段にある画像をクリック・拡大して見よ)
の本の発売日である616日(水そして翌17日(木)翌々日18日(金)の午後に在庫状況を確認。hontoにおけるジュンク堂書店在庫表記の仕方もおそらく紀伊國屋書店と同じ感じで、[○] は複数冊の在庫があり、 [△]は一冊程度しかないという意味なのだろう。

 

[] = 在庫あり
[] = 在庫僅少
[✕]  = 在庫なし

各店舗名の[]が発売日当日、[中]が翌二日目、[右]が三日目の在庫状況を表わす。



 

【北 海 道】

札幌店 [][✕][✕]

旭川店 [✕][][]

旭川医科大学店 [✕][✕][✕]

 



【青 森】          【秋 田】

弘前中三店 [✕][][]    秋田店 [][][]

 

【岩 手】          【宮 城】           【福 島】

盛岡店 [][][]       仙台TR店 [][][]     郡山店 [][][]

 

【埼 玉】          【千 葉】

大宮高島屋店 [][][]  南船橋店  [✕][✕][✕]

                柏モディ店 [][][]

 



【東 京】           【神 奈 川】       【山 梨】

池袋本店 [][][]     藤沢店 [][][]    岡島甲府店 [][][]

プレスセンター店 [✕][✕][✕]

渋谷店 [][][]

吉祥寺店 [][][]        

大泉学園店 [][][]       

立川高島屋店 [][][]

 

 

 

【新 潟】                             【静 岡】

新潟店 [][][]      新静岡店 [][][]

  

【愛 知】          【滋 賀】                                【奈 良】

名古屋店 [][✕][]      滋賀草津店 [][][]            橿原店 [][][]

名古屋栄店 [][] []                     奈良店 [][][]

 

 


【大 阪】                             

大阪本店 [][][]         

天満橋店 [[[―] (6月18日はなぜか非表示)                  

難波店 [][][]

梅田店 [][][]

上本町店 [][][]

近鉄あべのハルカス店 [][][]

松坂屋高槻店 [][][]

 

 【兵 庫】

三宮店 [][][]

三宮駅前店 [][][]

神戸住吉店 [][][―](6月18日はなぜか非表示)   

芦屋店 [][][]

姫路店 [][][―](6月18日はなぜか非表示)   

西宮店 [][][]

舞子店 [][][]

神戸さんちか店 [✕][][―](6月18日はなぜか非表示)   

明石店 [][][]

 



【広 島】           【香 川】             【愛 媛】

広島駅前店 [✕][✕][]    高松店 [✕][✕][✕]        松山店 [✕][][]

 

 

 

【福 岡】           【大 分】             【鹿 児 島】

福岡店 [✕][✕][]     大分店 [✕][✕][✕]         鹿児島店 [✕][✕][]

 

【沖 縄】

那覇店 [✕][✕][✕]


                   



明らかに西日本への新刊の入荷は遅い。そしてそれは単に距離の問題では無いような気がする。東京と大阪のフラッグシップ店だけは新刊が発売日前日から入荷している事が多い。それなら、やろうと思えばある程度、全国均一に新刊が届くような流れを組むのは物理的に絶対不可能な筈がない。発売日に東日本は入荷できて、西日本には入荷できない理由は何なんだ?あと普段私はhontoを殆ど利用しないから通常よくあるトラブルなのかもしれないけれど、ビックリしたのは三日目の入荷をチェックしていたら、大阪と兵庫のいくつかの店舗で、在庫状況が表示されなくなっていた。何これ?こんなんでhontoの管理システムって信用できるのか?


地方の新刊の入荷が遅いと聞くと「二、三日も待てないのか」などと知ったような口を叩く東京近郊の人間がいる。そしてだいたいこの手の田舎者は何かというと自分がフラゲ出来るのをSNSで自慢していたりする。こういう連中は遠い尖閣諸島にでも島流しにしてやればいい。どのジャンルの趣味だろうと、欲しいニュー・アイテムは誰でも一日でも早く手に入れたいのが人情ってもんだ。本が好きで西日本、特に沖縄県に住んでいらっしゃる方々は色々不便も多く、さぞ大変だろうなあと同情する。




「本が売れなくなった」と言うが、実際新しくリリースされる単行本や雑誌の数はそこまで減っていない。ゴミみたいな本が濫造される一方、全国へ満遍なく配送されるシステムに改善しようとする者は誰もいない。新刊の種類によっては、二、三日どころか半月や一か月以上過ぎないと入ってこない土地もあるそうで、そんなんじゃマメに本を買おうなんて思う人はいなくなるのが当然。ここまで書店業界のシステムが偏向していては話にならない。

 

小泉進次郎が嫁に踊らされて始めたビニールのレジ袋有料化(あれって海や山に捨てる奴こそが一番の癌じゃないのか?)という悪法が罷り通るどさくさに紛れて、全国展開している書店ではどうして紙の袋まで有料されなければならないのか?こんな下らん事には速攻で追従しやがって実に許し難い。買物に行く機会が多い主婦ならまだしも、マスクを忘れないようにするのでさえ面倒な上に、仕事中エコ・バックなんかいつも携帯してられるか。フツーの人が実店舗の書店になんか行きたくなくなっても、それはごく自然な現象なのだ。



 


2021年6月16日水曜日

『豚と薔薇』司馬遼太郎

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東方社
1962年3月発売



    レアなミステリだからと有り難がる必要無し




歴史小説の超大物として罷り通っているこの人の非常に稀少なミステリ作品は再発される気運が全く無いものだから古書市場で珍重されている・・・というのが世間の定評。遠慮なく感想を述べさせてもらうと面白くもなんともない小説である。ミステリ目的ではなく、ピュアに司馬遼太郎作品を制覇したいから高額突っ込んで古書を買ったという人もいるだろう。そんな司馬遼マニアでさえ「つまらなかった」と少なからず肩を落としたのでは?自分が安価で購ったから言う訳では決してないけれど、古書価格2,0003,000円位ならチャレンジしてみてもいいとは思うが『豚と薔薇』に無駄な投資をするのは全然オススメできぬ。

 

 

「推理小説がはやっているからお前も書け」と周りから云われて書いてはみたものの、「推理小説にほとんど興味をもっておらず」「テーマを犯罪のナゾ解きに置くことを怠り、他のことに重心をおいた。当然、作品のぬえ(下線部は傍点)のようなものになった。」とあとがきで作者が吐露しているぐらいだから、何をか言わんや。たとえミステリに関心が無いまま書いたとしても偶然のまぐれ当たりでいいから面白いものが出来上がりさえすれば良かったんだけど、大阪が舞台という特色さえ活かされているとは言い難い。

 

                    


「豚と薔薇」は昭和35年に週刊誌連載、おりしも司馬遼が新聞記者を辞め作家に専念し始めた頃に書かれた。その主人公・田尻志津子は下半身がユルそうなみすぼらしい女。〝古墳保存協会〟の職員で年齢三十。何のとりえも無さそうな彼女は二~三年の間に行きずりの男と関係を持つ事三度ばかり。志津子は尾沼幸治という男と酒場で出会い、詳しい素性さえ知らされず度々部屋へ訪ねてこられては身体を求められるだけ、男に都合がいいばかりの情事を半年ほど続けている。

ところが聞き込みにやってきた刑事の口から尾沼の水死体が橋の下に浮かんでいるのが発見された事実を聞かされ志津子の気持は揺れる。同時に若い時分自分の兄の友人だった那須重吉がブン屋になっていて事件をきっかけに再会。彼女は尾沼の死の謎を知りたいと思うのだが、たいして未練も無さそうな男の死に志津子が深入りしていくのは初期設定として弱い気がする。

 

 

「推理小説に登場してくる探偵役を、決して好きではない」という司馬遼の考えはもしかすると大下宇陀児の名探偵嫌いとも共通するのかもしれない。目を引くトリックは無くても同じ素材を宇陀児のようなベテランの探偵作家が捌いていたら可成マシな出来栄えになっていた可能性はある。お約束のフォーマットといおうかミステリの肝である謎が少しづつ解明してゆく展開が「豚と薔薇」の場合は雑過ぎて、特に後半で豚の毛が手掛かりとして出現するくだりなど唐突だし、「もう少しひとつひとつの段階を踏みながら読者に提示してくれよ」と文句を言いたくなる。

最後の着地点で盛り上がる事も無く、あまりに書き方が下手なので「その程度の動機による犯罪だったんかい?」とシラケてしまうのだ。こんな弱いネタでも宇陀児だったら市井の人間を描くドラマとして上手く料理してくれるんだがなあ。性にユルそうな志津子とこれまで性に対して禁欲に生きてきた那須重吉の関係も、より腐れ縁的なバディ風に演出すれば書き方次第ではもっと旨みが出せそうなのに。

 

                     


「豚と薔薇」は短い中篇なので「兜率天の巡礼」という短篇も併録(こちらは司馬遼初期の作にあたり現行の文庫でも読めるから別にレアではない)。多くを欲しない地味な妻の異様なる死に方を目の当たりにして、主人公である法学博士・道竜は彼女が発狂したものと考え、妻の血筋に精神病を持つ者がいないかどうか調べ始める。この短篇の出だしはgoodなのにその後はミステリの範疇から逸脱し古代史のロマンみたいな話になってしまって落胆。もっとも「兜率天の巡礼」は「豚と薔薇」と違いミステリをを狙って書かれた訳ではないから、非ミステリな展開になっていても作者を責められないのだが。

 

 

 

(銀) 今回紹介した『豚と薔薇』は淡い山吹色の函版で、あと灰色函版とカバー版、計三種類の装幀が存在している。頁数も全体で200頁と非常に薄い。司馬遼太郎好きな人達の為に「豚と薔薇」が再発されるとしたらそれなりの意義もあるかもしれないけれど、少なくともミステリ好きの読者向けに出したところで〝どうしようもない駄作〟なのを令和の世にアピールするだけ。もっと他の、長年埋もれたままになっている探偵小説の発掘を望む。




2021年6月13日日曜日

翻訳者・江戸川乱歩の謎

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(二)「黒い家」「赤き死の仮面」「魔の森の家」が
                 乱歩自身の訳である信憑性





前回の記事を踏まえて、問題になっている三篇が本当に江戸川乱歩自らの翻訳であるかどうか、鑑定(?)していきたい。


                   


   「黒い家」エラリー・クイーン

   「赤き死の仮面」エドガー・アラン・ポオ

   「魔の森の家」カーター・ディクスン

 

まず、生前の乱歩本人によるこれらの作品の扱いぶり。
(一)にて言及したとおり、自著に収録したのは ① だけである事と、
何故か ② は乱歩の作った自作目録から抜け落ちている事、
そういった観点から見れば、乱歩が意識していた順番は自然とこうなる。

①「黒い家」 > ③「魔の森の家」 > ②「赤き死の仮面」

 

 

次に実際読んでみて、訳文から感じ取れる乱歩らしさの順番でいうと、

②「赤き死の仮面」 > ①「黒い家」 > ③「魔の森の家」

戦前の絶頂期に見られた粘り付くような語り口を求めるなら、
訳する対象がポオとはいえ、ダントツで ② に乱歩らしさが濃い。
③ よりは ① のほうが発表時期が10年早いのもあるけれど、
「荒涼たる森林地帯の一つ家、ヴィクトリア調風の古い石造邸宅、名づけて黒い家という。」で始まる ① の語り出しには ② のテイストも少し感じられるし、〝オドオド〟や〝ニヤニヤ〟など 擬音語・擬態語が点在していて ③ よりは信用できそうなところが多い。
③にも「よござんすわ」なんて戦前の人らしい言い方は見られるのだが、決め手には欠ける。

 

                    


三番目は江戸川乱歩研究の最尖端・中相作の見解を参考にさせてもらった。

②「赤き死の仮面」 > ①「黒い家」 > ③「魔の森の家」

氏は訳文を吟味して ② に乱歩らしさを感じ取っただけでなく、
藍峯舎『赤き死の假面』に寄稿した解説にて、こう説明している。

>乱歩は自伝に〝「赤き死の仮面」を自から新訳してのせた〟と記しているが、
不要と見える「自から」という語句からは、
翻訳が乱歩の自発的意志にもとづくものであったことが窺える。
(〝 〟は見やすいように私=銀髪伯爵が「」から変換した)


プロは実に些細な部分までじっくり読み込んでおられる。そんなの全然記憶に無かったよ。前回の記事(一)で、『海外探偵小説作家と作品』の【クイーン】の項にて乱歩が ① について「私自身原作の半分ぐらいに抄訳し」と書いていることを覚えといて下さいと私が申したのは、この中相作による ② への指摘と併せて納得してもらいたかったからだ。あと ① の真贋について氏はどう考えておられるのか、質問できる機会があったら是非訊いてみたい。


         


一方、③ について『江戸川乱歩執筆年譜』の中で、このように中相作は述べている。

>翻訳作品は(中略)いうまでもなく大半は代訳で、
昭和三十一年七月の「魔の森の家」にも下訳があったことが知られている。

この下訳に関する出元の記載はされていないが、ポケミス『51番目の密室』(オリジナルは世界ミステリ全集第18巻『37の短篇』)に載っていた石川喬司、稲葉明雄、小鷹信光による座談会が情報源だと思われる。どっちも私は持っていなくて現物に当たれないから確かな判定を下せないが、どうやらその本にて ③ には下訳があったと明言されているところからこの説が発せられたのは間違いなさそうだ。「なるほど」と思う反面、そのとおりならば興醒めというかガッカリ。


                     

 

以上の検証を総合してみると、③ を100%純粋な乱歩本人の訳として扱うにはやや無理がある。翻訳された文章を読む限りでは ① より ② のほうが乱歩らしさが勝っている。然は然り乍ら、① に関しては『探偵小説四十年』の【昭和二十一年度】に引用されている当時の日記の四月十日と四月十六日の部分を読むと、他人の力が混じっていた気配を想像しにくい。創作もの「十字路」ほどではないにせよ一応「これは自分の訳ですよ」と自信を持っている節も見られなくもない。それに ① が発表されたのは戦争が終わって間もない昭和21年夏。この頃は気安く下訳を頼めるような取り巻きが、まだそれほど乱歩の周りにいないんじゃなかったっけ。

何度も言うけど、どうして乱歩は生前 ②「赤き死の仮面」を全集に入れなかったり、自作リストから漏らしていたのだろうか?桃源社版全集は翻訳オミット方針だからまあいい。春陽堂版全集へ収録する気があるなら、時期的に既に配本が終わっていたから ③ は無理でも② なら何の問題も無かったのに

 

 

考えられるとしたらふたつ。戦前に渡辺温・啓助兄弟に頼んだポオの代訳を戦後もそのまま江戸川乱歩(訳)として再発した『モルグ街の殺人 他九篇』が春陽堂探偵双書シリーズのラインナップに入っており、そこに渡辺温の訳した「赤き死の仮面」も含まれていた事が原因ではなかろうか?

もし春陽堂版乱歩全集終盤の巻に自分で訳した「赤き死の仮面」を収録してしまうと、乱歩名義の二種類の異訳が春陽堂から出される『モルグ街の殺人 他九篇』と乱歩全集とでバッティングし、同時期に書店に並ぶことによって読者に混乱を招くのを恐れたから。乱歩が ② を春陽堂版全集に収録しなかった理由はこれしか思いつかない。

もうひとつは「赤き死の仮面」の自分の訳が渡辺温に勝てるという自信をどうにも持てなくて、自分の訳には極力スポットライトが当たらないように細工したため。細かい乱歩が自作リストに自分の訳した「赤き死の仮面」をわざと記さなかった理由があるとすれば、これでしょ。


                    


戦後まったく創作意欲が湧いてこないのであれば、その間だけでも翻訳業に打ち込む選択肢とて乱歩にはあったのではないか。「幻の女(ファントム・レディ)」と「トレント最後の事件」は途中まで翻訳しており、後者など雄鶏社の推理小説叢書 9として刊行予定リストに上がっていた事までハッキリ解っているのだから。「トレント」を訳している途中で、日本がそれまでのように無断翻訳する事ができなくなったから止めてしまった、と乱歩は言っているが、それを無条件に信用していいものやら。

探偵小説界のキングとして君臨していくには実作(特に本格長篇)があったほうが理想ではあるにせよ、評論仕事は充実していたとはいえ、悲しいかな、いくつかの作を除けば創作は少年ものばかり。だったら戦後は翻訳者としてやっていった方が探偵文壇の中で格好が付いたような気もするけれど、翻訳仕事のメインに据えるのは大乱歩の意に沿わなかったか。もっとも、そうしようと思っても(同業作家含め)周りが許してくれなさそうなのもあるし、自分の売る本の主力が翻訳ものになったら、少年ものほどの莫大な収入を得るのは難しくなる。やっぱ無理?