2022年5月27日金曜日

『近世説美少年録(上)』曲亭馬琴

NEW !

国書刊行会  叢書江戸文庫21  内田保廣(校訂)
1993年4月発売



❷ 阿夏 流離



【上巻後半のあらすじ】

阿夏は幼い珠之介を守るべく、母子共々死ぬよりも二人組の山賊・十々鬼夜行太/野干玉黒三の慰み者となって生き延びる道を選ぶ。この山賊ども、元はといえば肥後國飯田山に巣食っていたあの川角頓太連盈の手下で、(前回の記事で紹介した)大江弘元による討伐から逃れ、遠く離れた近江佛生山を巣穴(すみか)にして悪事を働いていた。



なまじっか阿夏が美女であるがゆえに、夜行太と黒三は両箇の犬が孤牝を愛でるが如く、かわるがわる彼女を弄ぶ。モロな性的表現こそされていないものの、なかなかエグい状況なり。阿夏の屈辱の日々は七年続くのだが、その間、事情がよくわかっていないながらも「自分にはトトさまが二人いる」と言いくるめられている珠之介は弓を覚えたり野山で遊びながら成長。

幼い主人公が極悪人のもとで育つというとなんだか『荒野の少年イサム』みたいだけど、根っからの正義漢であるイサムが最後に対決する敵となるウインゲート一家とは違って、「お前の厄が解ける日は近い」と夢の中で馬頭観音に告げられた阿夏の罠に嵌められる夜行太と黒三は・・・以下自粛。詳しくは現物の本でどうぞ。

 

 

遂に阿夏と珠之介は賊の巣穴から脱出し、這う這うの体で辿り着いた里に住む人々から好意的な扱いを受ける。それというのも、この里の大庄屋・福富大夫次に黄金(こがね)という名の孫娘がいて、その黄金が大切にしていた〝五色の玉〟なるお宝が紛失して彼女は嘆いていたのだが、偶然にも〝五色の玉〟を盗んでいたのは誰あろう十々鬼夜行太で、以前よりその玉は阿夏に預けられていた。その事実を伏せて阿夏が気前良く玉を大夫次に返還してやったものだから、福富家は家ぐるみで不幸な身の上の阿夏珠之介母子を大切にする。

 

 

この里で珠之介少年も友達ができ、彼らと一緒に寺へ手習いに通わされるようになるとはいえ、そこはそれ珠之介は八犬士ではないのだから手習いをサボって武芸のほうに入れ込んだり、阿夏から金を騙し取ったり酒屋に出入りしたりと、悪ガキながら次第に聖人君子とは逆な方向へ染まってゆく。ただ本巻ではまだ母親・阿夏のほうが物語の中心にいるし、珠之介の悪の芽はあまり目立ってはいない。〝五色の玉〟に蛇の因縁が絡んでいる点にも注目したい。

 

 

そうこうするうち、五年が過ぎた。どうしても陶瀬十郎興房のことが忘れられない阿夏は、引き止める里の人々を振り切って瀬十郎のいる周防山口へ。しかし周防に着いてみると、誰からも「瀬十郎など知らない」とのつれない返事が。そのうち〝瀬十郎〟というのは京における名前であって、今は陶駿河守興房と名乗り周防から離れた左界の城にいるらしい事実がわかってくる。「遠からずあの人はきっと帰ってくるから、この地で待っていたほうがいい」との助言を受け、阿夏はそのまま周防の宿に居続けるのだが、阿夏も珠之介も金遣いが荒く、せっかく福富家から持たせてもらった路銀も尽き果ててしまう。 

 

 

更に和泉は管領・細川高国の領地ゆえ左界の城を争う戦が起こり、瀬十郎の駿河守興房は高国の軍に敗れ、海へ逃げ去るところを船が転覆し命を落としたという悲惨な知らせが。絶望の果て、無一文の阿夏は珠之介と険悪な日々を送りながら、柳町なる賑わいのある土地の料亭・侯鯖楼で歌妓として住み込ませてもらっていた。

ところが捨てる神あれば拾う神あり。数年前、瀬十郎が京を去る時に阿夏との最後の別れをセッティングしてくれていた旧知の武士・辛踏旡四郎と再会。なにげに昔から彼は阿夏のことを好いていたのもあって、「自分は故郷の陸奥へ帰るつもりでいる。現在阿夏が抱えている借金は全部返済するから一緒に陸奥へ行かないか?」と救いの手を差し伸べる。頼るべき瀬十郎を亡くした阿夏にとっては願ってもない申し出だった。 

 

 

辛踏旡四郎は京へ戻ると、阿夏珠之介を連れて日野西中納言兼顕に接見。兼顕卿は理解を示し、旡四郎が職を辞して故郷に帰ること、並びに珠之介を近習に預り置くことを許す。こうして武家に取り立ててもらった珠之介は不幸続きだった母・阿夏が旡四郎に連れ添って陸奥に旅立つのを涙ながらに見送るのだった・・・・と書けばなんだかホロリとする一幕だが、そうは問屋が卸さない。美しい顔立ちの珠之介が徐々に〝ワル〟な面を見せ始めるその顛末は、次の記事に解分るを聴ねかし。

 

 

 

(銀) 補足しておくと、十々鬼夜行太/野干玉黒三の手から逃れた時点で珠之介はあの山賊二人が自分の親ではない事、加えて周防にいる陶瀬十郎興房が叔父であるという風に母・阿夏から聞かされている。それにしても辛踏旡四郎の故郷陸奥へ阿夏が旅立つシーンで、文中には「旡四郎阿夏が事。話是下になし。」と馬琴は書いていて、いくら善悪二者の美少年が主役とはいえ、ここまで物語を引っ張ってきた阿夏が、死ぬ訳でもないのにこんなカタチであっけなく退場してしまうのはすごく違和感があるけどね。

以下、『近世説美少年録(下)』へつづく。


 

 


2022年5月23日月曜日

『近世説美少年録(上)』曲亭馬琴

NEW !

国書刊行会 叢書江戸文庫21 内田保廣(校訂)
1993年4月発売




★★★★★   ➊ 白 大 蛇





江戸川乱歩の長篇「大暗室」を取り上げた時(2020627日の項を見よ)、この曲亭馬琴・作「近世説美少年録」についても少々言及したが、「南総里見八犬伝」と並んで読む価値がある作品だし、今でもどうにかこうにか現行本が流通していて決して入手難状態ではないから、もっと多くの人に興味を持ってもらえるよう記事にしてみたい。

ネットを見ると「南総里見八犬伝」に関するサイトは沢山見つかるし、そこで様々な情報を得る事ができる。けれどもこの長篇について語られているサイトは決して多くない。本作はどういった内容なのか、まずはざっくり知ってもらうためにも、普段このBlogでは一冊の本につき一つの記事で済ませるのが通例だが、今回はなるべくわかりやすくアウトラインを伝えたいので、一冊につき二回ぶんの記事を使って、大まかなストーリー紹介でもって進めていきたい。

 

 

 

【上巻前半のあらすじ】

室町幕府の将軍・足利義稙(本書には〝義種〟とあるが以下このように記す)の時代。山陽地方から北九州に及ぶ七箇國の守護大名である大内義興は京の管領職に登用され、日の出の勢いにある。その頃、謀反を起した南朝の大将・菊池武俊が肥後國阿蘇の古城を拠点にして近郷に猛威を振るっていた。これを征伐すべく幕府は管領たる大内義興を大将に任命、義興は七箇國から召集した五万の軍勢を引き連れ、阿蘇に入る。

 

 

義興の軍の中にかつて源頼朝を支えていた大江廣元の血族にあたる大江弘元という武士がいて、神仏を敬う彼は阿蘇沼の畔にある霊蛇の神社を本陣にするつもりの義興に諫言するのだが、大将の義興は聞き入れず。すると、凄まじい豪雨がこの地を襲い幕府軍がガタガタになる中で、敵の菊池武俊はまんまと逃亡。しかも武俊があらかじめ仕込んでいた地雷の火が山の硫黄に着火し、義興は武俊を捕えるどころではない状態に。

 

 

大江弘元は豪雨による洪水に流され、危うく命を落としそうなところを地元の漁師・子自素它六妻・綾女と名乗る夫婦に救われた。素它六はただの村民にしておくには勿体無いような男で、弘元に「菊池武俊を逃した代わりとして、武俊一派を裏切ってここからほど近い飯田山を根城にしている山賊・川角頓太連盈の首級を挙げれば、将軍に責められる事もないでしょう」と策を授ける。素它六+綾女夫婦の家を後にした弘元は飯田山へ向かう途中で、洪水で行方不明になっていた数十名の家臣と再会。どうやら彼らもあの夫婦に救われていたらしい。

 

 

弘元は素它六の策に従って山賊・川角頓太連盈を捕えた。一方、義興は逆徒(菊池一族)の建立した神社が残ってはならじと本陣の一帯に火を掛ける。その時大地を揺るがして両箇(にひき)の白大蛇が出現。白大蛇と、それを追って飛んできた山雞(やまとり)達との闘いの末、一隻(いちわ)の孔雀が白大蛇の息の根を止める結果に。

弘元はようやく飯田山から戻ってきて義興の陣に合流できたが、一足違いで蛇神とその社を守ることは叶わず。とりあえず幕府軍は解散、義興は京へ戻ったが弘元はひとり残って蛇塚を建て、自分を救ってくれた蛇神を弔うのだった。

 

 

ここまでがプロローグの〝阿蘇白蛇篇〟。現代人でも知っているように、白蛇は縁起の良いものと元来云われてきた生き物。その白大蛇の住む穴を無惨にも管領・大内義興は焼き尽くしてしまった訳で、この後大内家にどのような祟りがあるのか、馬琴はそれを文中でほのめかしている。本巻の装幀に流用されている本文中の蛇の挿絵は、この白大蛇と山雞(やまとり)達と闘いを描いており、これから「近世説美少年録」を読む人は、本作において ❛蛇❜ が物語の鍵となることを頭の片隅に置いていてもらえればよいのだ。

 

 

 

さて。大内家に仕える家老の子で、陶瀬十郎興房という風流に通じた男前の若き侍がいた。彼は大内義興の近習で例の菊池武俊征伐に駆り出され、義興が京に帰ると共に付いて戻り、そのまま都勤めをしている。ふとしたきっかけから瀬十郎は阿夏と名乗る婀娜っぽい女と出会い、つい懇ろな仲に。実は阿夏は芸妓で、病人の母の面倒を見なければならない苦しさから、五歳の幼い娘小夏がいる頭が悪くて冴えない商売人・末松木偶介の連れ合いになっていた。それを知った瀬十郎は阿夏と会うのを控えていたが、ある酒宴の場に白拍子として呼ばれていた阿夏と再会、またしてもふたりは一夜を共にし、結局阿夏は珠之介という瀬十郎似の美しい男児を産んだ。

 

 

三年後。末松木偶介と阿夏の住む家の家主・池澄屋亀六には鮒九郎なる放蕩息子がいて、人妻である阿夏にのぼせあがっていたのだが、彼は珠之介の父が陶瀬十郎興房であるとの噂を耳にし、逆恨みの果てに屈強な乞食を数名雇って瀬十郎を殺そうとする。もちろん鮒九郎は瀬十郎の敵ではなく、お上の詮議で瀬十郎は罰されなかったが、不祥事は不祥事ゆえ周防山口へ戻される処分が下される。阿夏との別れ際、瀬十郎は自分の手と息子・珠之介の手にそれぞれ親子の証を示す消えない黒子の跡を残して、京を去っていった。

片や、息子の鮒九郎を失った池澄屋亀六は凶事の原因として阿夏を憎む。こうして京には居られなくなった木偶介/阿夏/小夏/珠之介の四人は鎌倉に移り住むべく東へ旅立つ。ところが近江磨鍼峠の道中、凶悪なる二人の山賊が現れ木偶介を斬り小夏もろとも谷底へ投げ捨ててしまう。果して阿夏と珠之介はどうなる?

 

 

 

(銀) 「南総里見八犬伝」は善人キャラと悪人キャラが明確に分かれており、勧善懲悪が基本ゆえ、八犬士などあまりに善人で欠点が無さ過ぎなどという指摘をよくされる事が多い。それに対し、本作における珠之介の両親、陶瀬十郎興房はいけないいけないと思いながら情事に溺れてしまうし、阿夏は阿夏でいろいろ災難に遭う女だけれども、かといって淫婦と呼ぶほど悪女でもない。いずれにしても、この時点で物語の行く先はまだ何も見えていない。

 

 

ようやく登場した主人公のうちの一人・珠之介はまだ幼子。誰も人の通らない峠道で山賊に襲われた阿夏の身は?

へつづく。


 


2022年5月19日木曜日

『南総里見八犬伝㊉』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    盛者必衰



 前回まで各巻の見どころを紹介してきた訳だが、最後の第十巻についてはこれから初めて読む方の楽しみを奪わないためにも、多くを語らずにクローズしようと思う。結末が知りたい方は是非本を読んでみてほしい。ネットを調べれば、ある程度のことはわかるけどね。NHK連続人形劇の『新八犬伝』がテレビ的な終わり方だったとすれば、曲亭馬琴の原作は古典文学マナーに準じたエンディングとでもいうか、「里見家万歳、めでたしめでたし」のままでは終わらない。




長い物語の序盤、伏姫が富山での生活を始める章の冒頭では(その後の彼女の悲劇を予告するかのように)〝祇園精舎の鐘の声は、諸行無常の響あれども〟〝盛者必衰の理りを顕せども〟といった「平家物語」の有名な文言がサンプリングされていた(第一巻 第十二回を見よ)。その〝諸行無常/盛者必衰〟的観念をもって本巻で里見家と八犬士の大河小説は完結する。とはいえこれだけじゃナンだし、ちょっとしたチェックポイントを箇条書きにしてみるか。

 

 

 八犬士の体にあった牡丹の花のような痣は消えてゆき、彼らがそれぞれ持っている霊玉に浮かんでいた仁義礼智忠信孝悌の文字も消えてゆく。

 

 政木大全孝嗣はすっかり九人目の犬士みたいな扱いに。父の河鯉守如ともども主君の扇谷定正には酷い目に遭わされたし、幸せな結末を迎えて良かったね。

 

 同じく谷定正の家臣で、八犬士の敵役だった巨田薪六郎助友。あまり知られていないかもしれないが、この人までも後々里見家に仕えることになるという驚愕の事実。孝嗣といい助友といい、有能な人材を活かせなかったのだから、事程左様に定正は無能な管領だった。

 

 こうして原作を最後まで読み終わってみると、善の神翁・役行者の出番も玉梓同様、序盤部分に限定されていたのがわかる。『新八犬伝』にて霊験が示されるシーンでは伏姫よりも役行者のほうが出番は多かったのだが、原作にて霊験を顕すのは(犬士列伝が始まってからは)もっぱら伏姫神女の役目。死んだ伏姫が里見家の守護神となるのは変わらないけれども、原作のほうが ❛神❜ としての伏姫の存在感は強い。 

 

 

本編の後には作者・馬琴が執筆舞台裏を語る「回外剰筆」、
付録として幸田露伴「馬琴の小説とその当時の実社会」、
そして内田魯庵「八犬伝談余」が収録されている。
特に最後の「八犬伝談余」は言いたい放題のことが書かれていて必読。
おざなりに作品をヨイショした感想を読まされたって、こちとら面白くもなんともない。この内田魯庵の八犬伝論をアホな現代人は毒舌などと口にするだろうが、言っていることは至極正論ばかり。微に入り細に入り作品を読み込んでいるからこそ、これだけのキツイ感想も述べられるのだ。

 

 

 

◕ 高校の時以来、数十年ぶりにオリジナル文語体の『南総里見八犬伝』を通読。とりたてて明治以前の小説を多数読み散らかしてきたとは言えないし、文語体に脳を慣らしてした訳でもないのに、意外と昔よりもサクサク読める自分に少し驚いた。

もちろん註釈を必要とする難しい語も存在しているのだが、まあ「南総里見八犬伝」の場合は(ダイジェストとはいえ)白井喬二の現代語訳もあるし『新八犬伝』みたいな副産物もあるから「ここでどういう事が起こってどういう人物が登場するのか」、他の作品に比べるとそれが把握しやすいアドバンテージはあるだろう。私ごときの頭でも読めるのだから、ある程度昔の小説に慣れている本好きな人ならきっとオリジナル文語体で読めると思う。

 

 

 

そして私は気付いた。一度オリジナル文語体テキストが読めてしまえば、もう現代語訳の「南総里見八犬伝」はつまらなくて読んでられない体になってしまうことに。

これまでの記事でも触れてきたが、馬琴の音楽的でリズミカルな文体は訳してしまうとその魅力が悉く失われてしまう。たぶんそれは「南総里見八犬伝」以外の作品でも同じだろう。「南総里見八犬伝」のように同一作品の続きもので、これ程のボリュームを楽しめる小説は捕物などの時代小説はおろか探偵・幻想小説でもありはしない。「大菩薩峠」ほど無駄にダラダラ長いのは困りものだが、単行本全十巻程度だからちょうどいい塩梅。

 

 

 

「八犬伝談余」にて内田魯庵はこう評している

〝一体馬琴は(中略)大まかな荒っぽい軍記物よりは情緒細やかな人情物に長じておる。〟
〝線の太い歴史物よりは『南柯夢』や『旬殿実々記』のような心中物に細かい繊巧な技術を示しておる。〟
〝いずくんぞ知らん馬琴は忠臣孝子よりは悪漢淫婦を描くにヨリ以上の老熟を示しておる。〟

この辺の特徴こそ、「南総里見八犬伝」が我が国における探偵小説あるいは伝奇幻想文学に影響を及ぼした所以なのかもしれない。

 

 

 

(銀) 「南総里見八犬伝」の挿絵画家についてはこれまで特に言及してこなかったが、二十八年にわたる執筆だけあって同一画家がひとりでこなしてきた訳ではない。やはり挿絵についても物語前半のほうがずっとクオリティは高い。



 


2022年5月6日金曜日

『南総里見八犬伝㊈』曲亭馬琴

NEW !

岩波文庫 小池藤五郎(校訂)
1990年7月発売



★★★★    合戦の火蓋




 関東管領 扇谷定正は里見家そして怨み重なる八犬士を討伐すべく大軍勢を集結させた。
扇谷の内管領・巨田道灌の名代として、嫡男である巨田薪六郎助友は今回の大戦をやめるよう諫言するも、怒れる定正は聞く耳を持たず。定正と山内顕定の両管領は風を自在に操る謎の翁・風外道人を味方につけ、その弟子だという売卜(ばいぼく)の浪人・赤岩百中を海上戦の自軍に加える。

 

 

片や里見勢。八犬士随一の知者ゆえ軍師を任された犬阪毛野は、蟇田素藤の乱にて敵方に味方し里見に捕えられていた千代丸豊俊に「里見を恨んで管領軍に味方する」という偽りの言い分を持たせ、定正側へ送り込む作戦を取る。その間諜の助力として音音・曳手・妙真・単節ら四人の女たちも千代丸豊俊の家族と称し、危険な敵地へ潜入。

 

 

 

 三つの地にて、合戦の火蓋は切られた。

【下総行徳戦】

里見の防禦師は犬川荘介/犬田小文吾。兵の数で圧倒的に劣る里見勢は、千人ぶんの藁人形を作る奇策をもって敵に立ち向かう。師走の冷たい川の中に潜るため、〝人魚の膏油〟なるアイテムが(脱獄ミステリなどに散見される手法の先駆けとして)使われるのだが、探偵小説の誕生よりもずっと昔の江戸時代から、馬琴はこんな知識を既に自家薬籠中の物としていたのだから本当に感心する。戦前日本の探偵作家たちが「南総里見八犬伝」を夢中になって読んでいた理由がよくわかるというもの。

 

 

行徳へ出陣せし管領軍を率いるのは、まだ少年に過ぎない扇谷家の嫡子・五郎朝良、犬阪毛野に討たれた馬加大記の主君だった石浜城主・千葉介自胤、額蔵時代の荘介を罪人扱いにした大塚城主・大石憲重。第四巻で箙大刀自の命令により死刑にされる筈だった荘介/小文吾の命を救った稲戸津衛由充は今回の大戦では越後にいる女帝が派遣させた軍勢の将として、此の地で里見軍と対峙。恩人である稲戸由充に対し、荘介と小文吾はどう戦うのか?意外とココが本巻における一番のハイライトかも。

 

 

 

 【下総国府台戦】

若い大将の里見義通を盛り立てる防禦師として犬塚信乃/犬飼現八。対する管領軍の大将は山内顕定、信乃現八両名とは因縁浅からぬ足利成氏/横堀在村らがいる。山内顕定は銃手と弓手を六人二列、計十二人の武者を一台の荷車に乗せて馬で引かせる〝駢馬三連車〟という名の戦車で攻撃。まともに戦っては勝機が無い信乃たちは六十五頭の野猪に蕉火を付け、敵の戦車を炎上させる。

 

 

しかし長尾景春の手勢も加わって里見軍は苦戦。その時、政木大全孝嗣/石亀屋次団太らの援軍さらに京から戻ってきた犬江親兵衛一行も合流。(第二巻において)滸我で苦い目にあわされた信乃と現八は足利成氏/横堀在村をどのように処するのか? せっかく犬士たちに再び活躍する場が与えられ、話が盛り上がっているというのに、又しても親兵衛の描き方には鼻白んでしまう。第六巻での再登場以来、親兵衛には伏姫神女から授かった神薬が持たされ今迄にも使用されてはいたが、御都合主義にて薬が底を突くこともなく、ここでは傷ついた里見軍の味方ばかりか敵兵までもその薬で助け、挙句の果てには死者さえ蘇生させてしまうのだ。何それ?

 

 

そりゃねえ、里見義実/義成は「この戦はあくまで自衛目的だから無益な殺生はするな」とお達ししてるし、親兵衛はもとより博愛仁恕キャラに設定されてるさ。とはいえ、これは少々やり過ぎじゃないか?その上、底無しの穴に愛馬ごと落ち込んでも、過剰な霊験のおかげでデリケートな馬さえ何の負傷もせず穴から脱出しちゃうんじゃ、下総行徳戦の〝人魚の膏油〟を使った霊験に頼らない人間の知恵とは対照的でつまらん。他の七犬士と比べると伏姫(というか作者馬琴)による過保護も度が過ぎて、それが犬江親兵衛の人気を獲得できない大きな要因なんだよね。

 

 

 

 【三浦~洲崎沖 海上戦】

ここには里見軍の総大将・里見義成がいて、その脇を固める犬阪毛野/犬山道節。対して洲崎へ攻めんとする管領軍は総大将・扇谷定正と、その長男・朝寧ら。間諜として潜入していた犬村大角/音音の活躍などがあって管領軍は撃破され、海上から追われた定正は陸に上がり、残り数百名になってしまった手勢と共に逃亡。そこへ追ってきたのは誰あろう、三度目の正直で仇敵の首を取らんと吠える犬山道節。だが白井城下~荒芽山と常に道節の前に立ち塞がってきた、あの巨田薪六郎助友が突如出現。道節、今度こそ定正を討ち取る事ができるか?第九巻ここまで。次はいよいよ最終巻。

 

 

 

(銀) 本巻の肝は何といっても、それぞれの犬士と彼らを苦しめてきた大物が再び相まみえるシーンじゃないかな。上記で述べたように親兵衛の設定でシラける箇所がある事、それと合戦が始まって人の出入りが激しくなるので、顔なじみじゃない小物脇役キャラが増えちゃって、まどろっこしい事。この二つが無ければ満点にしたのだが・・・。

 

 

 

ところで話は全然変わるけれども、「南総里見八犬伝」研究書によく引用される書物に『犬夷評判記』というものがある。曲亭馬琴が「南総里見八犬伝」を執筆していた頃、伊勢松坂に殿村篠斎という馬琴の大ファンな人がいて、彼が「南総里見八犬伝」の感想というか批評を述べ、それに対し作者馬琴が返答するという、作品の舞台裏を知ることができる貴重な資料なのだ。

でもこれ、他の馬琴作品「朝夷巡島記」についても触れており「南総里見八犬伝」だけが議論の対象ではないのと、「南総里見八犬伝」を語るとはいっても序盤(岩波版でいう第一巻)しか言及されていないのがネックでね。

 

 

 

「南総里見八犬伝」は三十年近くかかって完成した歴史があるから、そのすべてを問答するのは無理だったろうけど、せめて親兵衛篇が始まる直前(岩波版でいう第五巻)あたりまでフォローされていればなあ・・・。この『犬夷評判記』だが、単独で再発されるのはおろか『南総里見八犬伝』のボーナス・トラックとして収録された過去もない。量的にはそれほど多いものでもないし、岩波文庫あたりが読み易いテキストにして発売してくれればいいのに。





2022年5月4日水曜日

『辻村寿三郎作品集 新八犬伝』

NEW !

復刊ドットコム 高木素生(写真)
2017年1月発売




★★★   『新八犬伝』と『真田十勇士』では
               人形の表情に大きな違いがある




NHK連続人形劇「新八犬伝」のために辻村寿三郎が制作した人形の数々を被写体にした写真集。次作「真田十勇士」も同様の写真集がリリースされている。これまで何度も嘆いてきたとおり、この二つの番組の映像をNHKが殆ど保存してこなかったため番組の魅力を令和のいま感じ取ることは非常に困難。それゆえDVD、ノベライズ本に次いで当時の熱気を多少なりともシェアできる公式アイテム、それがこの写真集だといえる。

 

 

 

この本のオリジナル旧版はNHK系列の出版社である日本放送出版協会からリリースされていた。その頃辻村はジュサブローと表記していたので旧版でのクレジットは辻村ジュサブローだったが今世紀に入って本名の寿三郎表記に変えたため、今回のクレジットでは全て辻村寿三郎になっている。帯のデザインもすっかり変わっているし、『辻村寿三郎作品集 真田十勇士』のほうには新しく坂東玉三郎のエッセイがプラス。当時の定価は3,000円だったが、この新版は5,060円。まあ復刊ドットコムからの再発だと、どうしても高めの価格にはなる。

 

 

 

内容は人形の〝かしら〟(=頭部)をメインとし、カラーとモノクロそれぞれのページで接写。この写真集を眺めることで、よりディティールを確認できるメリットがあって、

 

✿ 人形の肌に使用されている〝縮緬(ちりめん)〟素材の質感。

  細部というのはやっぱり接写してみて、よくわかるものだ。

 

✿ 「新八犬伝」と「真田十勇士」では、人形の顔の作り方がだいぶ異なっている。

  例えば眼(まなこ)。

  「新八犬伝」の人形はだいたいどれもカッと見開いた目をしているが。

  「真田十勇士」の人形の目は、細く切れ長なのが特徴。

  中には戸沢白雲斎/徳川家康/柳生但馬守のように、

  まるで目を閉じているかのごとき表情に作られているものも多い。

  口元の装いの違いにも注目したい。

 

 

 

その他にも、この写真集を開けばDVDやノベライズ本では見る事のできないキャラクターがどんな顔の人形に作られていたのかが解って楽しい。犬塚信乃琉球篇に登場する毛国禎、物語終盤で管領軍と里見軍どちらにつくのか視聴者をジラした北条早雲、犬崎新をフィーチャーした丹後國篇に登場する橋立小女郎あたりが見られるのはいいね。北条早雲の顔も相当コワイけど蟇六や馬加大記クラスになるとデフォルメしすぎて、もはや人間の顔をしていないのはどうなのよ。

その反面『辻村寿三郎作品集 新八犬伝』では雑兵とか腰元といった無名のキャラ達にページを割いている反面、扇谷定正/巨田薪六郎助友/海賊・漏右衛門/朦雲といった名悪役しかり、犬村角太郎の許嫁・雛衣や、何より運玉ノ義留が載っていないのはさびしいですな。




映像が残されなかったぶん、この写真集が劇中での各場面をフルカラーで撮影したものだったら★10個ぐらいの勢いでもって大絶賛していただろう。番組を撮っている最中に度々スチール撮影するのはなかなか難しいだろうなとは思うけれども、映像はおろか劇中写真さえしっかり残っていないのだから、それが惜しまれてならない。

あと、当時この本を編集した人ってあまり番組の事をよく理解していなかったのでは?左母二郎が左母次郎になっていたり、各自の名前がちゃんとフルネームで表記されていないとか(例えば安西景連だったら、景連としか書かれていない)その辺にも不満は残る。

 

 

 

巻末にはエッセイもあり、「新八犬伝」の脚本を担当した石山透も寄稿者のひとりとしてこんな発言をしている。


〝「南総里見八犬伝」はご存知のように大長編で、特に序盤の伏姫と犬の八房が死ぬまでのおもしろさは、獣姦という怪奇性もあって抜群です。しかしそのあとは、話がすすむにつれてそれほどでもなくなるという奇妙な作品ですから、テレビ向きの脚本に作り変えるにもそれなりの苦心がありました。〟


いまBlogで書き続けているように、確かに成長した犬江親兵衛が中心となってからの「南総里見八犬伝」にあまり人気がないのは否定しようがない事実だけど〝(伏姫八房譚のあと)話がすすむにつれてそれほどでもなくなる〟とはちょいと言い過ぎじゃないの? それに獣姦って・・・。

 

 

 

八犬士は伏姫と八房の間に生まれた子供だってことで、世の中では「八犬士とは人間と犬が性交して誕生した子供」だと勘違いしている人が多い。言っとくけど伏姫が八房に体を許したみたいな描写は一度として原作には無い。あくまで人と畜生の精神的結婚のもとに八犬士はこの世に生まれたのであって、彼らにはそれぞれ現世における産みの父母が存在しているのだから、決して伏姫は八房に犯されて八人の子供を産んだ訳ではない。「南総里見八犬伝」の中で獣姦といえるのはニセ赤岩一角と窓井の間に生まれた牙二郎ぐらいでしょ?(♀側が畜生の場合も含むのであれば蟇田素藤と妙椿も該当する)あれだけ曲亭馬琴の他の作品も読み「新八犬伝」の中に取り込んでいた石山透にして、伏姫と八房を獣姦の夫婦だと誤解していたのならば私はとても残念。

 

 

 

(銀) 本日の記事を読んで下さった方のうち、この辻村寿三郎作品集『新八犬伝』『真田十勇士』を買おうか買うまいかと迷いながらまだ入手できていなかった方へ、ささやかな朗報。只今楽天ブックスは定価のほぼ半額でセールを開催中。ご所望ならば至急楽天ブックスへGO。ただしセール期間は615日までとはいえ、販売部数はホンの少ししか残っていない。本当に好きな人が買えるよう、幸運を祈る。




「新八犬伝」の総集編となる回では伏姫八房譚が毎回リピートされていた理由が、本書における石山透のエッセイを読むと腑に落ちる気がする。彼にとってはあの序盤部分こそが八犬伝の全てだったんだな。そう考えると処刑された玉梓を怨霊にして、犬士達が苦しめられる場面には必ず登場させるようにした意図も見えてくるし。

 

 

 

「新八犬伝」ノベライズ本にも相当省かれている箇所がある事は前にも触れた。これ以上映像の発掘が望めないのであれば、せめて全464話の脚本ぐらい誰か残してくれてはいないかな。ノベライズ本は石山透が脚本にした全ストーリーのうち、単行本三冊に収まるように重金重之が構成したものであって完全とはいえない。もし全464話ぶんの脚本がすべて残っているのなら、それをコンプリートな形で再構成すれば、より濃厚な「新八犬伝」本が出来ると思う。その実現に向けてやる気のある出版社はいないか?全ての脚本を大事に残してくれている関係者の方はどなたかいらっしゃらないだろうか?