2023年11月28日火曜日

『世田谷文学館資料目録1/横溝正史旧蔵資料』

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世田谷文学館
2004年3月発売




★★★★  『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』の話は
                    露と消えたのか?




▬ 江戸川乱歩が池袋の自宅に遺した旧蔵書のうち探偵小説に関するものだけを目録化、国内外問わずどんな本があの土蔵の中にあるのかを一目でわかるよう編集せしめた『江戸川乱歩探偵小説蔵書目録/幻影の蔵』が2002年東京書籍からリリースされたのを意識してか、その二年後には横溝正史の旧蔵資料を管理している世田谷文学館が資料目録『横溝正史旧蔵資料』を制作・発売している。

 

 

函入りハードカバー仕様だった『幻影の蔵』とは異なり『横溝正史旧蔵資料』はシンプルな作りだが、一応監修者として新保博久をクレジット。なにより『幻影の蔵』は新保博久・山前譲対談に何の関係も無い喜国雅彦がでしゃばって参加してたり、本のデザインまで喜国にやらせていたものだから全然印象がよくなかった。本書『横溝正史旧蔵資料』にはそのような目障りな要素が無いのが嬉しい。

 

 

乱歩邸土蔵に収納されている蔵書をすべて目録化するとなるととんでもない事になるので、『幻影の蔵』は探偵小説関連図書のみに限定していたけれども、正史蔵書は乱歩ほど膨大な量ではないから雑誌のたぐいや原稿、あるいは乱歩から送られた正史宛て書簡、西田政治からの正史宛て書簡なんかも目録化されている。

 

 

 

 

▬ 本日のテーマは横溝正史の旧蔵書にどんな特徴が見られるのか・・・ではない。この『横溝正史旧蔵資料』、初回限定350部には「横溝正史宛て江戸川乱歩書簡」CD-ROMが付属、二十三通の書簡が画像だけでなく文章翻刻もされており、本書の価値を更に高めている。それはそれとして、ネット上にてずっと私が書いてきた文章を読んで下さっている方ならば、何年も前から『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』を待ち望んでいると何度も私がアピールしてきた事を記憶されているかもしれない。
 

 

乱歩と正史がやりとりした書簡の数々は本書付属のCD-ROMをはじめ、何度か小出しに発表されてきた。二人の書簡で現在残存確認が取れている正確なトータル数は何通になるのか、私は突き止めていない。本書CD-ROM以外で主だった乱歩~正史書簡掲載メディアとなると『探偵小説五十年』の「乱歩書簡集」など数点あるが、ここで注目したいのは2003年のKAWADE夢ムック『江戸川乱歩/誰もが憧れた少年探偵団』にて読むことができる「横溝正史宛て江戸川乱歩書簡」。

 

 

そのページで注釈・解題を書いているのも新保博久。彼によると、あの時期新たに発見された正史宛て乱歩書簡複写箋は三十四通ぶんあり、そのうち八通ぶんの翻刻が許可を得て披露されていた。新保は『乱歩~正史往復書簡集』とは言っていないものの、新たに発見された正史宛て乱歩書簡複写箋三十四通ぶんは〝いずれ東京創元社から刊行される予定〟と明言。となれば前後の成り行きからしても当然、東京創元社から刊行予定だというその本は乱歩~正史間で取り交わされた書簡で現存しているものを全て集成した往復書簡集になる筈だと考えてしまうのは無理からぬ話ではあるまいか?



 

 

▬ 既に二十年経過・・・・『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』が刊行される話はどうなってしまったのだろう?ポロっと口にした新保もその後、この件に関して何も語っているようには見えないし、こういった企画には積極的な戸川安宣もまたしかり。いったい何が障害になっているのか知りたくて、以前或るふたりの方(本日の記事で名前が挙がっている人に非ず)に訊いてみたことがある。そのうちのお一人は〝刊行実現を非常に望んではいるけれど、超強力コンテンツだけに東京創元社が権利を手放す可能性はまずなかろう〟と仰られた。

 

 

話を総合する限り、鍵を握っているのは東京創元社のようだが、それにしてもいったいどのような理由でこの企画をほったらかしにしているのか・・・やる気がないのなら他の版元(例えば藍峯舎)に任せればいいのに。本一冊ぶん構成できるだけの書簡がありながら、書籍化に向けて誰も動こうとしないのは(動こうにもヘゲモニーに邪魔され動けないのかもしれぬ)納得がいかない。近頃『貼雑年譜』データ版が途方もない金額でリリースされたものの、大枚払っていつ何時突然閲覧できなくなるかもしれないデータ資料なんぞより、紙の書籍として『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』を後世に残すほうが遥かに重要だと思いませんか?

 

 

 

 

(銀) 私以外で『江戸川乱歩~横溝正史往復書簡集』刊行を望む旨の発言をした人は、『新青年』研究会メンバーの村上裕徳ぐらいしか思い付かない。探偵小説関連の良書を作ることができる手練れの面々も年々高齢化し、かといって若手で有望そうな人材も出てこないし、このまま企画倒れに終わってしまったら探偵小説界の大損失となるのは火を見るより明らかだと言わざるを得ない。




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2023年11月25日土曜日

『夜の顔ぶれ』松本孝

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光風社
1963年1月発売



★★    ポルノ小説へ転向した男




「黒い巨人の踊り」
「突然、マリコは消えた」
「殺されるまで」
「殺してやる」
「夜の顔ぶれ」

 

 

上記五短篇のいくつかは『宝石』に発表。本書は江戸川乱歩へ献呈されたようで、『江戸川乱歩探偵小説蔵書目録/幻影の蔵』を開くと、乱歩蔵書一覧の中に署名為書の入った『夜の顔ぶれ』を見つけることができる。

 

 

このように松本孝も最初のうちはミステリ寄りのフィールドで作家稼業を始め、「夜の顔ぶれ」は昭和35年直木賞候補にノミネートされたが、すぐポルノ小説の世界へ方向転換、最終的に彼の著書の殆どはそっち系のジャンルで占められている。



 

 

狩久のようにソフィストケイトされ、陶酔感のあるエロティック・ミステリーなら歓迎するけれども、パンパンの棲息する薄汚れた新宿を舞台にしていて、SEXと暴力の印象が強いところは大河内常平や朝山蜻一の亜流にしか映らない。なんでもいいから、この人ならでは・・・と呼べるような要素や、名刺代わりになる作品が他にひとつでも存在していれば、本書に入っている短篇を受け入れる気持も起きてくるのだが。

 

 

戦争に敗れ、すさみきった東京を活写する風俗ミステリとなると時に陰惨、時には貧しく醜い。「殺されるまで」は連れこみホテルの一室で扼殺された女(膣内には多量の精液が残留)をめぐり、一人ずつ関係者の証言を連ねてゆく構成なので、なにかしら作者の背負い投げを望んでしまうけれど、さしたるヒネリも無く終わってしまう。「夜の顔ぶれ」のみユーモア色があってガス抜きにはなる。

 

 

巻末の〈あとがき〉で松本は「今後もいろいろなかたちと題材で、大都会の暗黒面(ダークサイド)を描いてゆきたい」と語っている。そんな方向性が、転身後のポルノ小説でも継続しているのか、私は知らない。





(銀) 短篇「夜の顔ぶれ」は直木賞候補になったと先程書いたが、審査員・木々高太郎は28松本孝の小説を「あまりつくりごとが多いようであるが、主人公の一方に徹底した考え方は、つくりごとでなくて書けると思うが、どうか。」と述べ、六段階評価(◎>❍>☐>△>■>◍)のうち、下から二番目の■(中立的な反対、賛成・態度不明から最終的に反対、長所も認めるが結果的に反対)と評した。





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2023年11月22日水曜日

『図書新聞3616号/対談「定本夢野久作全集」沢田安史×日下三蔵』

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武久出版
2023年11月25日号



★★     新版『夢野久作の日記』現在制作中




 国書刊行会版『定本夢野久作全集』について、編纂メンバーのひとりだった沢田安史が日下三蔵を迎え先月1013日に行った対談が『図書新聞』の一面トップに掲載されている。全集完結からもう一年経っているのに今頃こんな対談?と感じるほど時期外れなタイミング。あくまでも邪推に過ぎないが、全集がそれほど売れてなくて、もう一押しプロモーションせざるをえない?売れぬ全集は出版社にとって重い負荷になってしまうから大変だ。

 

 

この対談、全集を作る際の資料集めはキリがないというボヤキと、少々の自慢(口にしているのは沢田安史ではなく日下三蔵のほう/これまでやってきた自分の仕事に対して)を滲ませている印象が残るぐらいで、さして目新しい情報は無い。見つけられずに終わった雑誌『黒白』の欠号を残念がっている沢田の気持ちは私も同じ。

 

 

沢田によれば、以前同じ国書刊行会から『定本久生十蘭全集』を出した時には外部からの情報提供があったけれど、今回の『定本夢野久作全集』の制作時にはそれが無く、最終的に西原和海蔵書+沢田が発見した資料で賄ったそうだ。たまたまなのか、それとも外部の人が積極的に資料を提供してくれる作家とそうでない作家があるものなのか、どっちなんだろうね。

 

 

今回の全集において例の一部の童話を未収録にする方針は、版元・国書刊行会の礒崎純一と伊藤里和、そして(沢田を含む)編集委員によって決められた、とも。御大・西原和海は反対しなかったのか気になるところだが、もし方針の不一致で対立していたら、きっと彼はどこかのメディアに反論を書いたりすると思われるし、全集完結後そのような気配も無いので(心の中ではどうなのかわからないけれど)西原は静かに受け入れたのだろう。



 

 

✷ グッド・ニュースをひとつ。所にてこっそり告知されていたNew Edition『夢野久作の日記』、やはり同じ版元・国書刊行会にて鋭意制作中みたい。編集チームは浜田雄介/大鷹涼子/沢田安史+国書の編集者・伊藤里和。やっぱり西原和海は杉山満丸が良い顔しないから外されちゃった?

 

 

あの日記を復刊するなら英文箇所は絶対日本語訳を付けなければ出す意味が無い。その点を踏まえてもらって、『新青年』研究会メンバーの御三方にはグーの根も出ないような良い本を作ってくれるのを期待したい。発売予定は再来年らしいが内容が内容だし、もしかするとリリースは若干延びるかも。



 

 

✷ 対談の中で夢野久作とは関係ないが、沢田安史の「木々高太郎もしっかりとした全集がほしい」という発言に対して、日下三蔵が「なかなか厳しい」「そこまで人気があるといえばすこし弱い」「雑多で変なものも多いからむしろ傑作集向きの作家」などとのたまっている。反対に香山滋は「作品が粒揃いでなくてもなぜかすべて読みたくなる作家」だとさ。何を言ってんだか、それって単に自分の好き嫌いだろ。そんな余計な事を言うから木々の新刊が全然出ないんだよ。

 

 

世間のユーザーから、大物探偵作家の中で木々高太郎が地味な印象を持たれているのは私も否定しない。さらに先日の記事こちらをクリックして見よ)で言及したように、木々がもし本当に(リアルタイムで彼に接していた業界の人々から)ごっそり人望を失っていたならばその影響は意外に根深く、平成以降に論者が代替わりしたミステリ界であっても、彼の再評価や作品復刊を促す声が上がりにくい状況を今でも引き摺っているかもしれない。『新青年』研究会として、このままじゃダメでしょ?沢田氏よ、日下の言う事など耳を貸さなくていいから、木々の本を出して下さいませ。


 

 

 

(銀) 日下三蔵が夏に入院したとかで春陽堂の「合作探偵小説コレクション」の刊行も第四巻で止まったまま、第五巻がいつ出るのか不明。前にも言ったけれど、編者が最初から底本をすべて揃える目処を立てられてもいないのに、なぜ版元はこんなシリーズものを見切り発車で始めるのか私には理解できない。

 

 

日下が論創社へプレゼンした企画は「少年小説コレクション」「論創ミステリ・ライブラリ」と既に二つもショートしている。版元の編集者にも問題はあるのだろうが、「合作探偵小説コレクション」は最後まで責任をもって完結させてもらいたいものだ。このシリーズ、全巻ぶんの代金を前払いで春陽堂に振込済みの読者もいるんだからな。






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2023年11月20日月曜日

『怪奇探偵小説名作選10/香山滋集/魔境原人』

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ちくま文庫 日下三蔵(編)
2003年9月発売



★★★★★    どの秘境でもモテまくる人見十吉




世界の魔境を探検する六尺ゆたかな巨躯のコスモポリタン・人見十吉をフィーチャーした十九の短篇を収録。彼の行くところ行くところエキゾティックな女性がいて、たいてい相思相愛の仲になるモテモテぶりは完全に日本男児の枠からはみ出ている。情熱的で正義の信念を持ってはいるけれど完全無欠なヒーローでは決してなく、時にはやむなく悪事に加担したり、囚われの身にもなってしまう主人公のビターな描かれ方にはオトナのフェロモンが漂う。

 

 

本書はそれぞれの短篇が初出誌へ発表された年月順に収録されているので、以下その順番に沿いながら各エピソードに対し簡単にコメントしてゆく。人見十吉のバックボーンにはよくわかっていない部分が多く、どちらかというと〈ストーリーの見どころ〉や〈魔境・ヒロインについての一言紹介〉よりも、シリーズとして見た人見十吉の周辺情報に重きを置いている。すべて一話完結型。



 

 

「エル・ドラドオ」

南米ヴェネズエラ/ギアナ高原の一角にあるという黄金郷。その黄金郷へ人間が足を踏み入れるのを許さぬかのような、〝神に見離された沼〟と呼ばれる魔の地に人見はアタックする。第一作登場時における彼はバミューダ島沖の深海にいる嘴のある鰻を探索するため、W・ビーブ博士の助手を勤めていた模様。 

 

「美しき獣」

秘境案内人ミハエル・ゴンチャロフに連れられ、南洋ワウ渓谷の金鉱脈へ向かっていた人見は颱風に遭遇しパプア島に不時着。其処で彼らは水陸両棲の習性を持つ、光を放つ肺魚(デプノイ)の一群を発見する。かつて人見は濠州の奥地を探検した際、餓死の危機を肺魚に救ってもらっているらしい。本作にて初めて登場するザウエルという、金剛石よりもはるかに価値がある超宝石の名を覚えていてもらいたい。 

 

「海蛇の島」

凶猛な殺人鬼アダフ・バリパラに弱みを握られた人見は奴隷同然の身となり、ハワイ/モアナ島で過酷な条件のもと海綿採集のために働かされている。人見が足を踏み入れる秘境は赤道方面が多いように思えるが、どうやら過去にはモスクワまで足を延ばした事もあるのがだんだん分ってくる。 

 

「沈黙の復讐」

ダンドロ・ムニエ侯爵が支配している小島はマダガスカル南三哩の沖合いに位置すると文中にあるから、本作はアフリカ南東部が舞台だろうか。人見を愛する十八歳の処女メディアはペルシア人で、彼女の家族はわざわざこの島へ渡ってきたのである。メディアの父である教主ナクシ・ダシュットは島の海岸に漂着した人見を救ったが、その人見の口からダンドロ・ムニエ侯爵が鬼畜の殺人嗜好狂であると知らされる。 

 

「美しき山猫」

大東亜戦争が起きていた頃、人見はキューバ沖合十浬にある沙漠性の孤島〔大山猫島〕に、キューバ国立地理学協会の庇護のもと住み着いていたと作者は語る。え?真珠湾攻撃を境にキューバは日本に宣戦布告したんじゃなかったっけ。さらに人見は恩師・南条泰三博士と共に往年ガラパゴス探検をしたとも回想。本作にて言及される悲しい戦争〟なるものが間違いなく第二次世界大戦を指しているのなら、人見の探検暦は1945年以前から始まっていたようだ。



 

 

「人魚」

本作の出来事よりも前に、ボルネオ島の有尾人/フィリピン島のイゴロット蕃族/北満奥地の二本角を生やした皮角病患者/頭部だけで生きている無胴体畸形胎児といった怪奇生物にめぐりあっている旨を語る人見。「美しき獣」に出てきたあのミハエル・ゴンチャロフが宝石商として再び登場。一年間五千ドルの契約で、彼は人見に州珊瑚海岸に真珠養殖の実地調査を依頼している。 

 

「緑の蜘蛛」

人見は州珊瑚海岸の真珠養殖事業に失敗、巨額の負債を背負う羽目に。夜逃げ同様着の身着のままで某国密輸船の情けにすがってジャワまで逃げてきたというから、時間軸でも「人魚」より後の話か。 

 

「爬虫類奇譚」

この一年というもの、ニューギニアの奥地で愛する女との永住を決意するも悪疫の流行から全民族が滅亡、その後埃及の木乃伊発掘人に身売りし、カイロに向かう途中では海賊船と出くわし、自分の命を保持するため悪事に加担さえしていた人見。彼はよくある綺麗事だけのヒーローではないのだ。人見が所有しているたったひとつの財宝、すなわち例の超宝石ザウエル再び。 

 

「タヒチの情火」

人見は小間使いのマオリ娘テフラに、かつて彼がニース自然科学博物館にてモーチモア博士の助手として働いていた頃博士の秘書をしていたヴェミダの面影をダブらせる。情熱的なこの二人の女の間で揺れる人見。それにしても、なんでここまで彼は世界中の女にモテまくる? 

 

「心臓花」

本書冒頭のエピソードに続き、またも軟体人間現る。香山滋の頭の中では、南米大陸の奥地には軟体人間が棲息していることになってるのかしらん。




 

 

「魔林の美女」

有尾人クーナン・バトウの生活を探るため、北ボルネオに滞在している人見。となると本作は「人魚」より前の出来事と推測できよう。 

 

「不死の女王」

ジャワ先住民族バリアガ土人部落の民衆から紫真珠や樹脂などを搾り取る支配者オスカー・サンダースン。ここでまた会話の中にモスクワの宝石商ゴンチャロフの名前が出てくるので、本作は「美しき獣」と「人魚」の間のどこかに当てはまる冒険譚となる。サンダースンの素性をよく知らなかった人見は年一回奥地を探検する目的でジャワにやってくるのもあって、サンダースンとゴンチャロフの取引を仲介してしまっていた。 

 

「シャト・エル・アラブ」

人類最古の文明は人見十吉シリーズの中でいくつ存在するのだろう?まあそれはさておき、メソポタミアの空白地帯/シャト・エル・アラブ大湿原地帯は人見が秘境探検史の最後の幾頁かを飾るため目指してきた場所だという。 

 

「有翼人を尋ねて」

本作に登場する泉学士は人見十吉とは親友であり、火の山ラオエを拠点に化石発掘の仕事をしてきた。有翼人をめぐる者達の欲望を描きつつ、本作の中で人見は一度も姿を見せない。その演出のやり方がニクいね。 

 

「熱沙の涯」

白人に対する黒人の根深い反感の中、人見はナイジェリア総督セシル・ケイリー卿に〝惨めな沙漠の中のトウム部落で数万のニグロ・ゲリラ部隊が何をしようとしているのか確かめる為、自分に行かせてほしい〟と申し出る。




 

 

「沙漠の魔術師」

秘境で出会った女に「ぼくの生まれた国、日本へ渡ろう!」と時々口説く人見。ここサハラでもそのセリフを言っているが、実際彼が日本に帰ろうとする描写は一度も出てこないのがお約束。 

 

「ソロモンの秘宝」

旧オランダ植民政庁バリ支庁長ヴァン・カルボ・マンキャックは数年前、期限切れの旅券をうっかり行使してしまった人見がジャカルタで投獄された時には唯の牢番だった筈。なぜに彼はここまでのし上がったのか?捕えられた人見に課せられる野生の処刑が恐ろしい。 

 

「マンドラカーリカ」

パキスタン・イスラム共和国での、水を使ったトリックの駆け引き。不老不死ネタは本シリーズの中で何度か扱われている。 

 

「十万弗の魚料理」

シリーズ発表順どおりに作中の時間が進行しているかどうかはもっとしっかり検証する余地があるけれども、ここでの人見は三十路を迎えている。世界中を巡る秘境魔境探検を単身始めたのは十九歳。これをシリーズ短篇最終作と意識させる特別な演出は無い。







(銀) 香山滋は三一書房版全集にして全14巻+別巻1に収められるほど作品数がありながら、今世紀以降の彼の本のリリースはほぼ壊滅状態に等しい。三一書房版全集は嵩張るのでゆっくり自室で寝転がって読むのでさえ大変な上に、あの出版社は言葉狩りを前提で本を作っていたからテキストの信頼性も低い。



文庫でも単行本でもいい。香山こそ、言葉狩りの無い正確なテキストでコツコツ復刊してゆかなければならない作家なんだが。それにしても、この頃のちくま文庫は良かったなあ。最近は探偵小説に関係なく「買いたい」「読みたい」と思えるものが一向発売されなくて、書店に行ってもちくまのコーナーをじっくり眺める機会は大幅に減ってしまった。






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2023年11月17日金曜日

『美女舞踏』三上於菟吉/湯浅篤志(編)

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ヒラヤマ探偵文庫 大正時代の不思議小説パンフレット01
2023年11月発売



★★★   50頁もないパンフレット仕様では寂しい




大正12年元日の『上毛新聞』に発表された「美女舞踏」と大正1310月号の雑誌『世紀』に発表された「獣魂」。二篇とも古雑誌からよく見つけたなと思えるような短篇。前者は病的に蛇を忌み嫌う男が、イタリアからやってきた舞妓(ダンサー)による舞台上のパフォーマンスを見て✕✕してしまう話。後者はドイル「這う人」の翻案。

 

 

どちらも枚数が少ないながら、三上於菟吉の現代小説としては幻惑的なものなので内容には十分満足できる。ただ、かなり薄めな70頁という本の作りに戸惑った前回の森下雨村『二重の影』同様、今回も38頁しかないというのはちょっと寂しいかも。普段のヒラヤマ探偵文庫は二段組みテキストで、この『美女舞踏』はいつものこのレーベルの本よりグッとフォントを大きくしての一段組みだから、余計にボリュームが少なく感じた。

 

 

何故こんな風に薄めのパンフレット形式を選んだのだろう? 想像してみた。


「美女舞踏」「獣魂」と一緒に収録できるような傾向の於菟吉作品が見つからなかったから。 


ユーザーに「もっと本の価格を安くしてほしい」と云われて、その結果ページ数を大幅に減らしたから。もっとも、『写真集 1906年のロンドン風景』はA5438頁の本を3,500円で売ってるぐらいだし、そんな事ってあるかな?

 

「獣魂」は今年の始めにレーベル側が三上於菟吉『血闘』を刊行した時にも、一作単独の小冊子『獣魂』として少部数販売された。今回の『美女舞踏』も前回の『獣魂』よりは買いやすくなっているものの、今のところ限定販売扱いになっている。盛林堂書房が以前出した『勤王捕物 丸を書く女』(大阪圭吉)みたいな売り方をヒラヤマ探偵文庫もやってみたくなったのか?


印刷業社の製本コストが上がっている影響から。

 

 

理由ならば製作者にも一冊ごとにコンセプトがあるだろうし、まだ理解できる。はどうにもいただけない。少部数限定でレア感を煽るようなやり方などヒラヤマ探偵文庫らしくない。でも(湯浅篤志はどうだかわからないが)平山雄一は盛林堂にどっぷりだから、あり得なくもない。は最近よく聞く話。

 

 

もしだったとしたら、そんな要望をレーベル側に申し越したユーザーに言いたい。ヒラヤマ探偵文庫の本は同人出版として買い手に優しい価格設定だし、本の作りを考慮しても全然高くはないですよ。私の知ってる同人出版本の数なんてたかが知れているけれども、自分が買うジャンルの本に関して言えば、適正というか常識的な値段で売ってるものが殆どのような気がする。綺想社や東都我刊我書房など、善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳が関わっているレーベルのボッタくり本は論外だが。

 

 

海外ミステリと違って、日本の探偵小説は今後も時々こんな風に薄いパンフレット形式で出すつもり?先ほど述べたとおり、私はこれまでのヒラヤマ探偵文庫の本の価格は抑えめに設定されていると思っているので、今回の『美女舞踏』にしてもここまでスリムにするぐらいなら、なにか中~長篇なり随筆なりをボーナス収録して価格は20003000円程度になってでも、既存の仕様(二段組み/最低でも200頁程度のボリューム)のままの本のほうが望ましいな。

 

 

 

(銀) ヒラヤマ探偵文庫は於菟吉の翻訳ものは出すつもりないのかな。面白そうなものがあったら是非。




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2023年11月15日水曜日

『西尾正探偵小説選Ⅰ』西尾正

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論創ミステリ叢書 第23巻
2007年2月発売




★★★★  論創ミステリ叢書がまだ
               正常に刊行されていた頃の巻





身体は健康でなく、作風からして怪奇性の強い印象を持たれている西尾正ゆえ、彼に対し内向きかつあまり物申さぬ人物像を思い浮かべがちだが、存外探偵小説評者として弁の立つ人で、私の見方からしても共感できる言説は少なくない。
 

 

〝江戸川乱歩氏が実話嫌いだと言っていられるが、僕も実話はあまり面白く読めない。(中略)実話なんかよりフィクションからより多く真実性や迫真性を感じ得る。〟

 

〝井上良夫の(中略)「探偵小説の魅力の大半は謎々に在るというよりもむしろその作品の持つ緊張と興奮と不安の漲る探偵小説独特の雰囲気に在る」とはまことに同感〟

 

〝探偵小説壇が如何に狭いとは言い条、死者に対する追悼文のごとき御世辞たらたらの御座なりを言い合っている〟

 

〝僕は飽くまでも面白い探偵小説が読みたいのであって、難解な法医学や物理学(中略)、そういうものを難解極まる探偵書の形式にした文章は苦労してまで読みたくはないのである。〟

 

〝探偵小説にユウモラスな味を盛ろうとする主義には根本的に賛同し兼ねる。〟

 

 

西尾の雑感を読んでいると、心から江戸川乱歩を愛し、探偵小説に深く心酔しているのが手に取るようにわかって微笑ましい。だからこそ〝海野十三の主張する「科学小説」も高級読者が的となるものであろうが、作品を検討するに「赤外線男」「浮囚」「人間灰」などは、材料の奇抜さにまけて、馬鹿馬鹿しさが先に立ち甚だ失礼な言い分だが、子供ダマシのような気がする〟など歯に衣着せぬ厳しい意見をビシバシ放っていても、そこに不快感はいささかも受けず、ナチュラルな人なんだなァと思うばかり。本巻には【評論・随筆篇】86ページほど収録されているので西尾正の本音の部分をじっくり確かめて頂きたい。

 

 

 

それに比べると小説のほうは、美点に負けず劣らず欠点も見受けられるのが問題。お上から発禁を言い渡された「陳情書」なんかエロ・グロ・ナンセンス後期にふさわしいムードが漂ってて良いには良いのだけど、いくらドッペルゲンガー云々といったところで、オリジナリティの足らぬまま歩「猟奇の果」前半部のテイストをサンプリングしているように映ってしまう。

 

 

「打球棒殺人事件」「白線の中の道化」は野球という、❛病的であること❜が売りの探偵小説とは相反する世界観を伴うスポーツを題材にしている。でも男女間の欲望が渦巻く殺人が発生するとはいえ、ダーク・トーンを突き詰めたい西尾にとって、果して野球ネタはアリだったのかな?その「打球棒殺人事件」しかり「土蔵」しかり、謎の二転三転ぶりがどうにもクドく、作品の造形を素直に享受できない。「海よ、罪つくりな奴!」では鎌倉の夏の海で楽しむ若者の流行心を綴ったりしているところから、病弱な西尾も実は心の隅で華やかな青春に憧れを抱いていたと想像することも可能だろう。




「床屋の二階」「青い鴉」「奎子の場合」「海蛇」

「線路の上」「めつかち」「放浪作家の冒険」

 

 

「骸骨 AN EXTRAVAGANZAは力作と呼んで差し支えないし、変格怪奇探偵作家として読者を引き付けそうな体臭は持ち合わせているのに、魅力的な素材を咀嚼しひとつの作品へ形を成すための❛構成する能力❜が足りてないような気がした。よって【評論・随筆篇】★5つ、【創作篇】は★4つ未満。デキる編集者が常に傍にいてアシストしていたら、きっとこの人はさらに良いものが書けた筈。

 

 

 

(銀) この巻の頃のように、論創社が論創ミステリ叢書を滞りなくリリースしていた時期もあった。それが今では、論創社編集者の黒田明が「出します出します」と坂上二郎もどきのツイートをしておきながら去年はたった二冊、今年に至っては一冊さえも出せていない。
参考までに、このツイート画像をクリック拡大して見てほしい。


























論創ミステリ叢書は一向に出せないばかりか、さんざん放言してきた甲賀三郎翻訳セレクションも「刊行予定は現在のところ〈なし〉という状態です」だとさ。甲賀といえば「随筆『欧米飛びある記』も復刊します」とか無責任に拡散してたよな。母さん、あの甲賀本の話、どうしたんでせうね?




今日も今日とて論創社公式X(旧ツイッター)では論創nonfictionの名のもと、左巻きの見本のような編集者(ミステリ担当者ではない)がこう発信している。




 

 

 



〝「責任はある。けれど取らない」という傾向が政治家にまん延するように。こんな生ぬるいままでいいのか?〟だそうだ。例によってこの編集者のオッサンは自民党叩きにばかり忙しく、日本の政治家が皆使い物にならない事はそのとおりだけども、「あの本出します」「この本出します」とさんざん触れ回った告知を何ひとつ実行に移そうともしない点は、自民党の政治家も論創社の国内ミステリ編集者もまるっきり一緒ではないか。

 

 

気に食わない対象には好き放題言っときながら、こいつのツイートや論創社に関して批判が向けられると〝どうぞ暖かい目で見て下さい〟などとホザいて逃げを打つ。〝こんな生ぬるいままでいいのか?〟とおっしゃるアンタのセリフ、そっくりそのままお返しする。




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2023年11月11日土曜日

『梅花郎』黒岩涙香

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大川屋書店
1942年6月発売



★★★★    毒女の企み





これはフランスを舞台にした物語です。
梅花郎とはなんだか〝真珠郎〟みたいな名前ですけれど、べつに彼は社会へ復讐するため世に放たれた人間バチルスでも何でもないノーマルな青年紳士でして、夜会の折に知り合った村津家の令嬢・小枝に恋心を抱いており、また小枝のほうも梅花郎を憎からず思っています。

 

 

小枝には初音という腹違いの姉がいるのですが、こいつが小枝とは全く対照的なビッチで腹黒いことこの上なく、時には男さながら馬を乗り回し、自分の欲しいものならどんな手段を使ってでも手に入れようとする、名状しがたき毒女に他なりません。

 

 

さて梅花郎ですが、骨牌で勝利し大金を得た無二の友・蝉澤が目の前で何者かに銃殺された為、警察は完全に梅花郎を殺人犯だと決め付けます。監獄行きは免れますが、梅花郎を新しい情人にしようと舌舐めずりしている初音はその事件以来、まるで蛇のように彼にまとわりつき始めるのです。

 

 

ここにもう一人、油断ならぬ放蕩者・森川子爵を紹介しておかなければなりません。森川はギャンブルの不正を指摘され、梅花郎を逆恨みしています。初音は梅花郎を手中に収めるため、この森川をも利用して小枝を陥れようとするのですが、ここから先は(現行本で流通していないので古書を探すしかありませんが)どうぞ小説をお読み下さい。

 

 

 

目を剥くようなトリックや意外性は見られませんし、梅花郎が濡れ衣を着せられるからといって法廷劇に向かう話でもありません。小枝嬢の下女・撫子の活躍にやや頼りすぎているよう感じさせられる点なんかは、黒岩涙香が原作の筋にアレンジを加えてもよかったんじゃないかなと思いますが、終盤に来て一旦クライマックスを迎えつつ、さらにもう一波乱起きる二段構えの展開が待っています。古めかしささえ苦手じゃなければ、一気に読めるサスペンスは持ち合わせている作品です。

 

 

 

(銀) 「梅花郎」は涙香作品の発表順でいうと「海底の重罪」と「片手美人」の間に位置しており、まだ二十代前半での執筆。そんな若さも影響しているのか、この辺の作品は(魚に例える訳じゃないけど)活きの良さが伝わってくる。







2023年11月9日木曜日

『わが思い出と冒険』コナン・ドイル/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1965年8月発売



★★      素晴らしき大英帝国主義




ドイルの自伝と聞けば本書を未読の方は、シャーロック・ホームズ生みの親ばかりかSFなどでも名を馳せた作家だから、さぞ創作の裏話が満載だろうと期待に胸膨らませるだろう。しかし残念な事に小説家たる内面を明かしたり自作に関して回想する気持ちがドイルには非常に薄く、最も自信を持っていた歴史小説でさえあまり言及していないぐらいなので、正直、万人にオススメできるような内容ではない。ドイルの著書を完全読破したい人、あるいはドイル研究者向け。

 

 

 

船医として捕鯨船に乗り北極洋を航海した青年時代の話、ホームズばりに無辜の罪で逮捕されたジョージ・エダルジの冤罪を晴らした話あたりは、ホームズ本を所有している人ならばきっと一度はお読みになられた経験がある筈。それはともかく、この新潮文庫版解説末尾で訳者の延原謙こんな感想を漏らしている。

 

悪口をいうつもりは毛頭ないが、ドイルには妙な癖があるようだ。高位高官の人とか、そうでなくても有名な人に会ったとか会食したとか、やたらに書く癖だ。大切な用件があっての事ならば話は分かるのだが、何の用件もないのにただ会ったということ、こういう人も知っているというだけのことなのだから、少しどうかと思う。

 

なるほどそんな気配も感じられなくはないけれど、この自伝を読んでいて私が飽きてしまう理由は文章が堅苦しいのと、大英帝国・愛をアピールする姿勢が少々強過ぎる気がするから。(〝ナイト〟に叙せられる人だから、当り前といえば当り前だが)

 

 

 

ドイルが生きた時代のイギリスはそれこそ帝国主義まっしぐら。英国人なら誰でも愛国心に染まっていただろうし、現代に見られる一部の日本人みたいに、自分の国をディスってばかりいる品性下劣な人間に比べれば、ずっとマシなのは確か。だからといって政界にまで打って出るようなドイルはあまり好きじゃないな。これぞ騎士道精神の延長なりと肯定する見方もある反面、シャーロック・ホームズは英国に忠誠を誓いつつ個人主義を貫いていた訳で、願わくばドイルもそうあってほしかったと私は考えたりする。そうそう、悪名高き心霊関係についてはしっかり発言しています。

 

 

 

ここに挙げた新潮文庫版ドイル自伝が完訳でない事は日本の研究者によって指摘されているわりに、商業出版として完訳版を出そうとする動きは全く見られない(私が気付いていないだけかもしれないが)。新潮文庫版における翻訳省略部分は新潮社編集部の意向ではなく、延原謙の判断によってバッサリ刈り取られてしまったという話。

何年もかけてじっくり訳してきたホームズ物語とは事情が異なり、『わが思い出と冒険』刊行の三年後に高血圧が原因で倒れた延原は、その後亡くなるまでの九年間寝たきり状態だったそうだから、本書に携わっていた頃から知らず知らずのうちにコンディションを崩しつつあった可能性もある。

 

 

 

延原謙の訳した古典海外ミステリに接して、読みにくいなあと感じたことは無い。とはいえ本書における文章の堅さはドイルと延原、ご両人とも高齢になった事から来ているのか、あるいは新しく翻訳し直したらもっと読み易くなるのか。もし新しく訳し直すとしても、詳細な註釈は絶対不可欠。

 

 

 

(銀) 今世紀になりながらこのドイル自伝が新規完訳されず(笹野史隆の仕事についてはごく一部の人しか入手できない私家版ゆえ、ここでは触れない)、ダニエル・スタシャワーの評伝等のほうが台頭しているのは、ドイル自伝を新訳したところで、やっぱり第三者が書いた評伝のほうが読んでて面白いと誰もが思っているから?





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2023年11月6日月曜日

『讀切小説傑作探偵篇』月野櫂太

NEW !

旺玄書房
1947年11月発売



★★★     謎の作家 月野櫂太





五短篇が収録されているこの仙花紙本は、オモテ表紙・背表紙・目次のどこにも作家の名前が書いていない。本のタイトルからして一見アンソロジーに思えるけれど、奥付を見たら著者/月野櫂太とクレジットがあったので「ああ、これは長篇『黒岩鍾乳洞事件』(京光堂/1947年刊)を書いた人の著書か」と判断した次第。なにせ情報が無く、既存マイナー作家の別名義である可能性もなくはないけど、どういうキャリアを持ち他にどんな作品を残しているのか掴めていないのが実情なのだ。

 

 

「片腕のない男」

「黒岩鍾乳洞事件」に出てきた語り手の〈私〉(名前は兼治というらしい)/󠄁の姉の夫で新聞記者の山形壯太郎(探偵役)/町田刑事、この三名は引き続き登場する。兼󠄁治の生活環境の変化から推し量ると、この短篇は「黒岩鍾乳洞事件」後の話らしい。

 

美しい流行歌手・花山香代子は片腕を切り落とされる悪夢を見たと兼󠄁治に告げ、怯える。その後も腕の無いヴィナスの石膏細工が香代子の家に届いたり、早朝庭にいた香代子の前に醜悪な顔の片輪男が姿を現わす。不穏な出来事が続いたあげく、香代子の身近な者が一人また一人殺されてしまうが、山形壯太郎はちょっとした矛盾から犯人のトリックを見破った。

 

レギュラー・キャラを起用し、謎解きに挑戦している点は(詰めの甘いところはあるけれども)悪くない。ただ犯人の動機と猟奇的行為とを結ぶ根源について、作者は曖昧にせずもう少しだけ説明しておく必要があろう。

 

 

「あるマダムの悲劇」

独り者になって三年になる二十八歳のマダム・時枝は喫茶店「あむーる」の顔。そんな時枝は、仲間から普段馬鹿にされているパッとしない学生・風島俊男に自分でもよくわからぬ思慕を抱くようになる。複雑な気持ちにさせるラストシーン。

 

 

「寶石が笑つた話」

戦争が終わるまで大陸にいてケチな悪さをしてきた三五郎/丹次/蛇六/半吉のグループ。銀座の時計店・一味堂からお宝を盗み出すため、親分三五郎はドジで下っ端の半吉に一芝居打たせて一味堂に潜入させるが・・・。笑いがメインの小悪党ミステリ。町田刑事はチョイ役出演。

 

 

「蚊蜻蛉の復讐」

青山鐵男青年は先天性なのか後天性なのか、子供の頃尖ったコンパスの先で自分の片目を刺す衝動が起きたり、普段はそうでもないのに時として残虐な一面がムクムク鎌首をもたげてくるような猟奇の徒。せっかく初恋の相手とつきあっていながら、結果青山は血みどろの殺人を犯してしまう訳だが、些細な事から彼のアリバイは崩れてしまう。事件担当は前述の町田刑事なれど探偵役と呼べる程の存在感は無い。

 

 

「秋の突風」

古谷貞江は富も美しさも備えている貿易商人の一人娘。貞江には立派な医者の長男・藤川重夫ともういつでも式を挙げてもいい仲である筈なのに、重夫はなぜか貞江から離れようとする。道端で貞江に声をかけてきた見知らぬ女・みち子は重夫とどういう関係にあるのか?

 

 

 『傑作探偵篇』と題していても、「あるマダムの悲劇」と「秋の突風」の二篇は(事件・犯罪ではなく)男女間のモヤモヤが主題。作風に様々ヴァリエーションを持たせられるワザがある人なのか判断は付かないけど、月野櫂太には「片腕のない男」「蚊蜻蛉の復讐」みたいなもの、あるいは山形壯太郎登場作だったり「黒岩鍾乳洞事件」のように幽気漂う中~長篇をもっと書いてほしかったな。★4つに限りなく近い★3つ。

 

 

 

(銀) 月野櫂太の著書はこの二冊ぐらいしか知らない。プロパーな探偵小説を書く時には、それなりに謎解き要素を含ませようとしているし、ある程度活動を続けて作品数を残せていたら、本格風味の作品も書いている人として、もしかして好事家には注目されたかも。



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『謎の二重体』段沙児  ★★★★  ダンセイニをもじったような筆名  (☜)