2020年11月30日月曜日

『梅蔭書窩主人/久米延保遺稿集』

NEW !

非売品
1985年7月発行




★★★★★     久米徹 探偵小説選




久米徹/本名:久米延保     明治45年北海道生まれ  昭和60年逝去(享年73)

20歳の時(昭和7年)、処女作「K医学士の場合」が『サンデー毎日』大衆文芸賞に入選

もともと文学を志していたが世情悪化の為、歯科の道に進む

昭和16~33年の間は故郷の北海道上川郡、昭和34年以降は神奈川県川崎市に居住

 

 

この人もいわゆる幻の探偵作家なのに識者にさえ全く知られていないのか、書物でもネットでも言及されているのを見たことがない。私ごときのBlog紹介で僭越だが、彼の事が少しでも認知されるようになれば幸い。これは久米の一周忌に会葬者へ配布された俗に言う饅頭本であり、書店等で販売されたものではない。仕様は函入り/布表紙ハードカバーの本体がパラフインにて保護されている

 

 

K医学士の場合」  昭和7年『サンデー毎日』掲載

挿絵:竹中英太郎  四点収録

その医者は、酔った叔父から暴行されたという美しい箱入娘に「許婚にバレたら終わりだから堕ろしてほしい」と懇願される。しかし悲しいかな戦前の堕胎は刑法上の罪人になるので、度々の娘の頼みも素気無く拒否 。案の定、娘は海に入水して自殺。すると意外な事実が発覚し・・・。

 

 

「シネマが殺す」  昭和8年『サンデー毎日』掲載

挿絵:林唯一(本書には挿絵未収録)

ある映画を観た圭二と槙子。そのクライマックス・シーンをなぞるように兇器を握った怖ろしい賊が槙子を襲うのは何故?

 

 

「手 術」  昭和14年『新青年』掲載

挿絵:川瀬成一郎  三点収録

諸井巡査は、除村病院の院長が実は無免許だという事実を知らされる。ちょうどそれは諸井の大切な妹・千鶴が急性盲腸炎で除村院長の手術を受ける直前の青天の霹靂だった。手術を止めさせようとする諸井を除村院長は自信に充ちた言葉で説得してオペを開始。だが・・・。

 

 

「裁かれた人」  詳細不明

大下宇陀児ばりの、子供の目線を軸にした物語。希一少年はおきよの連れ子。希一の実父は既に無く母おきよは塩田耕作と再婚し、因業な耕作の両親に冷遇されている。希一は学校の先生との会話をきっかけに、それまで胸にしまいこんでいた疑問を母にブチまけ、不幸な境遇の理由を知ってしまう。これから少年の犯罪が始まるというところで残念ながら未完。

 

 

「銀座裏綺譚 ―〈北側の窓〉の失策 」  昭和7年『漫談』掲載

酒場にて話しかけてきた客。彼は四年前に起きた実業家の新夫人服毒自殺の真相を語り出すが、それは何を意味していたか?

 

純粋に探偵小説と呼べる作品はここまで 

 

「情痴の果 ―不義の肉塊を斯くして殺した―」  昭和7年  発表誌不明

二十代の寺男が女中とデキて孕ませた一度目の赤子は遺棄、更に二度目の妊娠も死産。寺男が遂に捕縛される迄を描いた、ひねりの無いエログロ犯罪実話。

 

 

「六人殺傷事件の顛末(埼玉県日進村の惨劇)」  発表年/発表誌不明

これも創作探偵小説ではなく実話系。

 

 

「ぼうぶら物語」  発表年/発表誌不明

短い怪談騒ぎ噺の五本立て。

 

 

「色なき虹」  発表年不明  長崎新聞掲載(?)

映画小説とあるが、ブルジョワと平民/都会と田舎の格差があり、恋する相手が実は血がつながっていたり、いかにも当時の人が好みそうなメロドラマ。

 

 

「離 愁」  発表年/発表誌不明

昔好き合っていたふたりが再会してみると今はお互いお荷物な配偶者がいるので、不幸な現実から逃れたい気持でいっぱい。でも男は現実をかなぐり捨てて女を選ぶでもなく、本気で情死するつもりもなく・・・。

 

 

その他、小品短篇、エッセイ、詩、久米への追悼文、年譜が収められている。発行者は娘の久米攸子。



(銀) エッセイを読んでいると久米徹は戦前の雑誌『文学建設』にも関わっているらしく、『「文学建設」誌総目次』で確認したらそのとおりだった。遺族は本書作成の為に国会図書館等でかなり調査をしたそうだが、初出発表誌を見つけられない作品もあったという。


飛び抜けた個性には欠けているしチープな犯罪実話にまで手を出しているのは惜しいが、この20年間で二回しか見かける事がなく多くの部数は作られていないであろう本書を運良く入手できたのは、自分にしては珍しく幸運だったと思う。内容的にはとても高評価に価するものではないけれど、久米徹の為にここまで立派な本を作り上げた家族や知友の愛情に感銘を受けたので満点にした。




2020年11月29日日曜日

『白昼艶夢』朝山蜻一

2014年3月10日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

出版芸術社 ふしぎ文学館
1995年5月発売



★★★★     感情を拒む被虐の世界




覗き・騙し・盗み、そして殺人。人がタブーとする行為を描くのが探偵小説だとしたら、朝山蜻一にとってのそれは人間性を忘れたようなサドマゾ絵巻。


                   


「くびられた隠者」は首を絞められる事だけに悦びを覚える孤独な画家とその家政婦の話。

「白昼艶夢」は女の胴をコルセットで締め上げ、

「掌にのる女」はゴム袋の中に窮迫し肉塊と化した妻を愛で、

「巫女」では凌辱好きの男が自分の女を霊媒に仕立て怪しげな宗教の教祖になる。

被虐者は責める者にただ従順であって、むしろそれを懇願さえもする。これぐらいはまだいい。

 

 

老人形師が好いた女の分身たるマネキンを次々に製造し、
魂を吹き込む為にマネキンの膣に射精する「人形はなぜつくられる」


性交せずに生きられない錺職人の為に、
死んだ妻が亭主好みの女に憑依して強姦を手助けする「死霊」


これまたコルセットで括れた女体を好む青年と決して躰を許さない妻同様の女を描く「天人飛ぶ」は悲哀があってまだ共感できる余地がある。


しかし女体の代わりに羊を抱かせる「ひつじや物語」と、
犬同様の扱いを受ける「僕はちんころ」はいくらなんでも・・・。




輪姦ユートピアを描いた長篇『真夜中に唄う島』(扶桑社文庫)も胸の悪くなるような小説だったが、ここまで生臭いとイケナイ背徳感の陶酔さえ、させてもらえない。 


                    


耽奇小説といえどあまりに異質なので、『わが懐旧的探偵作家論』収録分を短縮した山村正夫のエッセイを再録するより、もっと解り易い書き下ろし解説を付けた方が初読者には親切だった。この「ふしぎ文学館」は企画自体とても良いのだけどカバーデザインがもうひとつなのが不満。特に書題の極太ゴシック体文字はなんとかならないか。
 

 

朝山についてアレコレ申したけれども、これも戦後探偵小説の一つ。『密売者』『キャバレー殺人事件』『断崖の悪魔』が復刻されたら私が喜んで買うのはいうまでもない。

 

 

(銀) 私の最も好む朝山蜻一作品は長篇「処女真珠」(別題「海底の悪魔」)。ミステリ的にではないが風俗探偵小説として海女の生態が生々しく描かれているところが素晴らしい。「真夜中に唄う島」よりずっと面白いと思うのだが。

 

 

数年前、某所にて『朝山蜻一未刊行作品集(仮題)』が企画されている気配があったのに一向実現せず、〈昭和ミステリ秘宝〉の『真夜中に唄う島』以降朝山の新刊が出そうな動きも無い。
Oh God!



2020年11月28日土曜日

『私は呪われている』橘外男

2014年12月31日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

戎光祥出版 ミステリ珍本全集⑥ 日下三蔵(編)
201412月発売




★★★★★   忌まわしき少女猟奇小説「双面の舞姫」



自主規制病まみれの平成の世において、偕成社版単行本の伊勢田邦彦による挿絵まで併せてよくもまあ「双面の舞姫」を復刻したもんだ。異臭を放つが如き橘外男のあくどい一面 ~ 醜い獣人による美女誘拐蹂躙 ~ を披露せしめるこの長篇は次のような変遷を経ている。

 

■「青白き裸女群像」(舞台=海外/大人もの) 昭和25年刊  

            『陰獣トリステサ』(平成22年刊/河出書房新社)に収録

             ↓

■「双面の舞姫」(舞台=日本に改作、少女雑誌に連載)    昭和29年刊

             ↓

■「地底の美肉」(「双面の舞姫」を大人ものへ再びリライト、

              終盤の展開が一部異なる) 昭和33年刊

 

普通なら大人ものの「地底の美肉」を採るところを旧単行本のレア度と古本市場での需要を考え「双面の舞姫」の方を本巻に収録したのは五月蠅い読者への実に機敏な配慮。論創ミステリ叢書に欠けているのはこういうところなんだよね。詳しくはバラせないが「地底の美肉」「青白き裸女群像」より控えめとはいえ、胸の悪くなるような素材が扱われている、そういう意味での問題作だと警告しておく。 


                   


もうひとつの伝奇怪談「私は呪われている」はいわゆる怪猫もので作者最晩年の長篇。山陰地方の廃寺に迷い込んだ学生が狂死、更にまた別の犠牲者が。オソロシイ調子で物語は現代での事件から時を遡り、あの「八つ墓村」にも比すべき80年前の残虐な因縁話へと雪崩れ込む。

 

 

悲劇の若君・八千丸が惨殺された後、それまでのオドロオドロしさの中に時々コミカルさが混じるのはユーモア物も手掛けた橘外男ゆえ? 最後に再び話は現代へ戻り、怨霊が狂死者を祟る理由付けがやや遠かったり、260頁あたりで語り手が謎の解明を完全にやりきらないのが ちょっと雑でもある。

 

 

それでも偕成社版『双面の舞姫』に併録されていた「人を呼ぶ湖」も含め、前巻の高橋鐵にあったリーダビリティー不足を感じさせず、厭きる事なく一気に読み通せるのが強みでもあり、本巻は橘外男を読む入門一冊目としても取っ付き易くて良いセレクトだなと思った。「蒲団」「逗子物語」しかり、海外よりも日本が舞台の作のほうが私は好きだ。書き忘れたが「ムズターグ山」「魔人ウニ・ウスの夜襲」「雨傘の女」という単行本初収録三短篇もあり。

 

 

さてこれで本全集も第一期が終了との事。第二期以降もこのユニークな視点で質を落とす事なく価格は上げる事なく続けてもらいたい。




(銀) 国書刊行会が現在『定本夢野久作全集』を配本中だけど(近々このBlogで取り上げる予定)、初収録ものが殆ど無いし、あまり売れてなさそうに見えるのは気のせいか。むしろ橘外男の初めての全集でも出したほうが業界も盛り上がったのに。(でも巻数は結構多くなりそう)



オークションとかネット上で売られているマイナー古雑誌に、見たことのないタイトルの橘外男作品が載っているのを見かけると、単行本未収録な彼の作品ってどれぐらい残っているのだろうか? と時々考える。例えば戦後のタブロイド紙『東京タイムズ』には「肉塊と獣人と王弟殿下」という小説を書いていたようだが、それ以外にも新聞に連載されたまま本になっていない長篇が埋もれていないかな。




2020年11月27日金曜日

『小林信彦萩本欽一/ふたりの笑タイム/名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏』

2014年1月27日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

集英社
2014年1月発売



★★★★   小林信彦の目の黒いうちに出る喜劇人本としては
              これが最後になるのかもしれない




(探偵小説には何の関係もない内容だが小林信彦の本だし、せっかく書いたレビューだからこのBlogへ救済しておく。彼の年齢・体調を考えると既発物の再編集、あるいは今迄世に出してなかった原稿を蔵出しする本ならば発売される可能性は残されているけれど、今後新しく喜劇人本を書き下すのはかなり難しい作業だと思われる。幸い小林は脳梗塞から復帰して『週刊文春』エッセイを連載しているが、まっさらな新作となる彼の著書を我々はあと何冊読むことができるだろう?)


                    ☟



小林信彦が執筆するいつもの喜劇人評伝スタイルを採らず、今回は萩本欽一とのリラックスしたトーク。欽ちゃんのキャリアを辿るのではなく、彼らふたりの好きな喜劇人について語り合い、それゆえお互いの関係性も改めてよくわかる。




欽ちゃんが「あれはどういうことなの?」と聞き手側に回っている部分が多いのは、長年のつきあいによる信頼と彼のバランス感覚なのかなと思っていたら、本書は萩本サイドから小林と話をして本を作りたいとオファーを出したという。そういう訳で既出の小林信彦喜劇人本とは一味違う風合いになった。




名プロデューサー井原高忠の話に始まりコント55号「飛びます飛びます」の成り立ちへ。TVよりも舞台での演者の魅力に自然と話は傾く。3章以降に登場するのは渥美清/クレイジー・キャッツ/フランキー堺/エノケン/伴淳三郎/森繁久彌/由利徹/三木のり平ほか多数。浅草演芸界の楽屋話もある中、萩本の師匠である深見千三郎の存在が話題に出てこなかったのは不思議。このトークでの萩本の興味は、同じ深見の弟子であるビートたけしについても対象にしていなかったようだ。

 

 

現役選手だと伊東四朗やタモリには触れているが、若手(?)で名が出てくるのは作家畑の三谷幸喜と宮藤官九郎ぐらいか。それは80年代の漫才ブーム以降、彼らが「いい」と思える喜劇人が誰もいないことを暗に示してもいる。

 

 

対談だからこそ語れる、初めて知る逸話もいろいろ。紙面上では萩本の語り口にTVで見るあのクドさが表れないのが良かった。9歳年下の萩本が日本の喜劇史について小林に教わっている構図がなんとも言えずおかしい。




(銀) この本のレビューで思い出すのは、くだらない事に詳しい知人がその頃私にしてくれた話。そいつ曰く「集英社ってさ、新刊本が出ると発売日には速攻でAmazonにその本の絶賛レビューが付くんだよ。そのレビュワーが過去にどんなレビュー書いたか見てみると、集英社の本にしかレビュー書いてなくてどれも全部★5つ。すごいわかりやすいステマ活動だわな~。」

 

 

知人によると、女性タレントの写真集界隈でその話がネタになっていたらしい。で、めったに集英社の本を買わない私も本書を買ったのでAmazonにレビューを投稿したら、もう既に本書の発売日(124日)に絶賛レビューを投稿している〈コトブキ ツカサ〉という人物がいて「ああステマってこういうことね」と納得。たしかこの時、出たばかりの集英社の本を試しに三~四冊(何の本だったか忘れてしまったが)アトランダムに選んでAmazon上で見てみるとどれも同じ状態。発売日に早速絶賛レビューが投稿済みだったのでやっぱり単なる噂では無かった。

 

 

Blogへ本書のレビューを救済するので久しぶりにAmazonで本書のレビュー欄を見てみたら、その〈コトブキ ツカサ〉という集英社ステマ工作員のレビューはまだ残っており(ちなみに私の投稿したレビューはこのBlogに掲載した時点でAmazonからは撤退済み)、この人のペンネーム部分をクリックし過去の投稿レビューを見ると四件しかなくて、そのどれもが集英社の新刊で絶賛ばかりなのが今でも確認できる。

 

 

今でも集英社が相変わらずAmazonでレビュー工作をしているのか、知らない。このBlogを書くだけで大変なのに、そんな事までいちいち調べている暇も無いしね。でも「集英社 ステマ」で検索すると「ジャンプ編集部がステマを謝罪」「集英社がワンピースのステマ活動を認め炎上」という記事が色々ヒットしてくるから、懲りずに手を変え品を変えセコい自作自演を続けているのだろう。




2020年11月26日木曜日

『甦る推理雑誌4「妖奇」傑作選』

NEW !

光文社文庫 ミステリー文学資料館(編)
2003年1月発売



★★★    尾久木弾歩の長篇「生首殺人事件」




「十二人の抹殺者」を書いた幻の探偵作家/輪堂寺耀は九谷巌雄が本名だそうだが、単純に輪堂寺耀=尾久木弾歩ともいえないようで、ミステリ珍本全集②『十二人の抹殺者』巻末の日下三蔵による解題を引用するとこうなる。



● 尾久木弾歩とは雑誌『妖奇』の編集部が投稿作品を掲載する時に用いたハウスネーム

● 尾久木弾歩名義作品のすべてが輪堂寺耀によるものではないらしい

● 探偵・江良利久一の登場する作品は輪堂寺耀作品だと考えていいようだ


「~らしい」とか「~のようだ」とか疑わしい物言いばかりだが、それもこれも情報元が若狭邦男ゆえ。若狭の言いたい事が文章になると、正確に第三者へ伝わらない。安易に信用するのは躊躇われるけれど、とりあえず本書収録の尾久木弾歩名義による長篇「生首殺人事件」は輪堂寺が書いたものとして受け取っておこう。

 

                    


『妖奇』は『宝石』と違ってマイナー雑誌ゆえ既発作品の再録が多かったけれど、徐々に新作も増えていった。本書にセレクトされた小説は次のとおり。

 

■「化け猫奇談 片目君の捕物帳」 香住春作

関西探偵作家の一人である香住の定番キャラ/片目珍作もの。ユーモア色が濃いこのシリーズは『香住春吾探偵小説選Ⅰ/Ⅱ』に纏められている。

 

 

■「初雪」 高木彬光

『妖奇』にメジャーな作家が新作を書くのは稀だった。女の一途さから法廷劇へもっていくテクニックはさすが彬光。

 

 

■「煙突綺譚」 宇桂三郎

この人も関西探偵作家だが素性はよくわからん。不倫相手の女を殺してしまった〝私〟。しかし現場を大煙突の上から見ていたと思しき守衛がいた。〝私〟はその守衛を亡き者にせんと策を弄するが・・・。

 

 

■「電話の声」 北林透馬

中村進治郎とは遊び仲間だったという戦前派の北林。一種のアリバイもの。

 

 

■「生首殺人事件」 尾久木弾歩


冒頭には二十人以上にもなる登場人物一覧があり、探偵・江良利久一の叔父として警部がいたり解決篇の直前には読者への挑戦があったり、エラリー・クイーン物真似芸やらかしてます。  


切り取られた首の見つからぬ殺人が三連続で起こる度に事情聴取を連ねて・・・という感じの実直な本格風展開だが、〈トリック〉と〈積み重ねた謎〉の見せ方があまり上手くないのが痛い。ラストで全ての殺人の真相と動機を整理して見せるあたり、作者は几帳面な性格なのかもしれないけれど。




(銀) 戦後は岡山~広島を拠点に執筆活動をしたようだが、探偵小説の一作目と見られる「妖鬼」を昭和22年後半『妖奇』に発表するまで、輪堂寺耀はどこで何をしていたのだろう? 本業となる仕事は別にあったのだろうか?


そして『妖奇』での執筆は投稿からのスタートだとすると、昭和17年の『印度の曙』はどうやって刊行にこぎつけたのか? 実績の無い人がいきなり単行本を出してもらえるとは考えにくい。『印度の曙』の他にも戦前に、輪堂寺耀あるいは違ったペンネームで何か書いている可能性はある。


ちなみにミステリ珍本全集②『十二人の抹殺者』531頁を見ると、「『妖奇』に東禅寺明という名で発表した作品は貴方の手によるものか?」との若狭邦男の問いに輪堂寺は頷いたとある(実に微妙な反応だが)。それが事実なら、もうひとつの仮説を組み立てる事もできる。


『印度の曙』を出したのは啓徳社という東京の出版社なのだが、その啓徳社が昭和18年に刊行した本で『源中納言顕家卿』というのがあり(私は未見)著者の名は東禅寺龍之介という。輪堂寺が戦後に東禅寺明という別名も使っていたのなら、これは偶然の一致なんだろうか?参考までに東禅寺龍之介で検索してみると『源中納言顕家卿』の他にもう一冊、新興音楽出版社という会社から昭和17年に出ている『新田義貞』という本が見つかる(こちらも未見)。



本書だが、もっと良い評価にしたかったけれど帯の宣伝文句とか解説に喜国雅彦がチョロチョロ出てきて興醒めなのでマイナス。




2020年11月25日水曜日

『心の流浪/挿絵画家・樺島勝一』大橋博之

2014年3月14日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

弦書房
2014年3月発売



★★★   川上機関大尉(@海野十三)や
        本郷義昭(@山中峯太郎)を描いた写実派の画家




あの重厚なタッチから、樺島勝一という画家は毛並みのいい人だと勝手に私は思い込んでいて、従来の吃音と貧困が理由で画業に人生を賭けたとは知らなかった。当時担当した単行本の装幀を見ても非常に尖端性があり、本人の言う地方出身の野暮ったさなんて微塵も感じさせないから。



樺島は生前、家族を相手に自身の昔話をオープンリールのテープに記録させており、それは本書にも活かされている(ただし学生時代までしか語られていない)。資料価値は非常に高いのだがこの談話をそのまま取り込む事が本文の構成をギクシャクさせている感も。樺島家のルーツに関する序盤が重たくて、話が転がりだすのは第四章「『飛行少年』のころ」あたりから。著者・大橋博之の地の文に前半「テープから起こした樺島一家発言」と後半「令嬢お二方のインタビュー発言」が入り混じっているのもあり、読み易く見せる工夫を編集者がアシストすべきだった。


                   


雑誌『新趣味』『英語精習』『海国少年』の表紙書影があったり、可愛らしい漫画「正チャンの冒険」でさえも緻密さが冴えている。著者曰く「船の樺島」ということで勿論それも素晴らしいけれど、私は「浮かぶ飛行島」「亜細亜の曙」等の名場面挿絵のほうが好ましい。

 

 

黄金期といえるのは海野十三・山中峯太郎・南洋一郎と組んだ『少年倶楽部』時代だが、最もおいしい部分であるこの期間の回想が前述のテープ談話で残されなかったのがなんとも残念。樺島は他にも平田晋策・森下雨村・野村胡堂・久米正雄・保篠龍緒(アルセーヌ・ルパン!)などの仕事も手掛けていて、有名作だけでなく細かいところにも著者の言及があればよかった。作るのが大変だろうけど挿絵・装幀リストとかね。

 

 

福岡の弦書房の本なので九州人立志伝の匂いがあったりして。ヴィジュアル面も考えると、別の出版社からの刊行だったら樺島作品の華がもっと伝わる一冊になったんじゃないかな。この点、著者にちょっと同情する。




(銀) 樺島勝一はこれまでに五~六冊の画集がリリースされている。昭和初期、彼の挿絵に彩られた小説を食い入るように読んだ人達の支持はそれだけ熱かったのだろう。 

 

ただ私の趣味にピッタリ合う画集というと残念ながらまだ無い。山中峯太郎や南洋一郎的なものだけでなく、上記の本文で言及した探偵小説や今まで樺島の関与をあまり知られていなかった小説に提供された挿絵を(装幀仕事も含めて)ふんだんに収録した究極の画集が見てみたい。






2020年11月24日火曜日

『岡田鯱彦探偵小説選Ⅱ』岡田鯱彦

2014年9月5日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第78巻
2014年8月発売



★★★★★   複雑なヴァリアント
   



前巻『 Ⅰ 』のレビューにて岡田鯱彦作品にはタイトル・登場人物等の異同が多いことに触れたので、『 Ⅱ 』でもそこを中心に見ていこうと思う。


「幽溟荘の殺人」

長篇。本書は初出誌を底本とし、読者への挑戦や手掛かり索引がある。しかし初刊から三年後、単行本に再度収録された時(1958年)には「黒い断崖」と改題され、探偵が在原竜之介 尾形幸彦へと変更、その他に一部の固有名詞や各章題も変えられ手掛かり索引は削除された。内容的にはあと数人、容疑者が欲しい。


 

「愛の殺人」

魔の淵・仏浦で次々に起こる同じような悲劇。令嬢・住友紀美は果たしてビッチなのか?


 

52番目の密室」

若妻のエロな習慣を描くも × × トリックあり(ネタバレ防止の為、伏字とす)。


 

「夢 魔」

これも作者から読者への挑戦物。この作は単行本に初収録なのか既に収録された本があるのか、本書の初版では解題執筆者は書き忘れている。前はこんな事は無かったのだが・・・。


 

「三味線殺人事件」

探偵小説家として尾形幸彦登場。ううむ、この殺害方法はミステリ好きなら冒頭ですぐ解ってしまうぞ。


 

「雪の夜語り」

教授として尾形登場。上記の尾形幸彦と同一人物かどうかは不明。しんみりする一品。


 

「空間に舞う」

訳あって人里離れた地へ主人公が訪れ、そこで出会った美しい若妻が異様な夫婦関係にあるという設定は長篇「犯罪の足音」(本書未収録)にそっくり。登場人物や結末は違うが、この短篇をリサイクルして「犯罪の足音」が書かれたのだろうか?


 

G大生の女給殺し事件」

G大教授として尾形幸彦登場。単行本収録(1958年)時には「青春の断崖」と改題。本書の初出ヴァージョンでは各章題が数字のみだが、「青春の断崖」ではちゃんと章題があり、微妙にテキスト異同もある。

例/本書316頁の最期の行     「一人の無辜の青年」  

  改稿(「青春の断崖」)   「無実の罪に苦しむ一人の青年」 



「あざ笑う密室」

『ヒッチコック・マガジン』に発表され、単行本初収録。


 

その他エッセイを十七篇収むる。鯱彦が乱歩作品の中で「何者」を最も褒めているのが嬉しい。私も「何者」は過小評価だと思っているので。今回、本叢書で鯱彦の巻が二冊出た訳だが、まだ残っている彼の作品は結構ある。




(銀) 岡田鯱彦も例外なくジュブナイル作品を書いているのだが、今まで単行本になったのは1958年の『黒い太陽の秘密』(東光出版社)のみ。これが尾形幸彦こそ出てくるとはいえ、鯱彦らしくないサイエンス・テイストが入った長篇。最低でも二十作近いジュブナイルの存在が確認されており、そこに鯱彦らしさはあるのだろうか? いつかはそれらも本になるといいけど、まずは大人もので埋もれたままになっている作品を読めるようにするのが先だな。





2020年11月23日月曜日

『岡田鯱彦探偵小説選Ⅰ』岡田鯱彦

2014年8月6日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

論創ミステリ叢書 第77巻
2014年7月発売



★★    久しぶりに、待ち望んでいた作家の巻



✤ 長篇「紅い顎巻」。ヒロイン中御門紅子と彼女を秘かに愛する、語り手であり探偵小説家の「私」。対するに養子ながら紅子の兄にあたる茂樹と従兄妹の大隅武夫・嘉子。元侯爵だった紅子の父・公友のせいで複雑なる過去を持つ三人。彼らに憎しみの殺意はあるのか、ないのか?ジリジリするような緊迫感を味わえる。

 

 

本巻は初出誌が底本だが、この作は後に「黒い疑惑」「恐怖の影」と改題。本巻では全八章の章立てだが、「黒い疑惑」以降その章立てが無くなり細かく小見出しが付けられ、筋の変更は 無さそうだが単語の書き換えがされているようだ。岡田鯱彦描くところの主人公は男性ホルモンの少なそうな男が頻繁に出てくる印象がある。この作などもまさにそう。「私」がさっさと紅子をものにしていたなら、最悪な結末に誘う後半のスキー旅行・狼峠の惨劇を避けられたものを。

 

 

✤ 続いては、『地獄の追跡』58年/和同出版社)に収録されていた鯱先生物盗り帳十篇。ライトタッチなルパン風の白浪物。その中ではケミカル・トリックの「生不動ズボン」が鯱彦にしては珍しい。

 

 

✤ 残る三短篇。「地獄の一瞥」はお得意の樹海サスペンス。「獺峠の殺人」「紅い顎巻」の原型のようなプロットだが、発表は一か月こちらの方が遅い。「獺峠の殺人」で新進探偵作家として登場する尾形幸彦の存在は、前述の鯱先生シリーズの或る作品では私立探偵またはG大学教授として侠賊の偽名に使われている。鯱先生は明らかに尾形幸彦ではないが、本書以外の他の作品に出てくる尾形をすべて同一キャラと見做すにはよく検証が必要。この時代にはやたらと作品の改題・改稿が多く、その弊害でもある。「天の邪鬼」は初めて彼の小説が活字になったと云われる1949年の非ミステリもの。


 

 

✤ 80年代以降、『噴火口上の殺人』01年/河出文庫)を除くと「薫大将と匂の宮」ばかりを中心に本が出ていたので、他の鯱彦作品にも光が当たる機会が廻ってきて喜ばしい。前巻の金来成がカテゴリ違いな上に愚作、どうにも首をひねりたくなる収録内容だったから、今後は期待を裏切るなかれ。次回配本は『岡田鯱彦探偵小説選 Ⅱ』。




(銀) 上記で述べた以外にも岡田鯱彦の著書を古書で探す折には注意すべきものがあり、例えば代表作のひとつである長篇『樹海の殺人』は、内容は同じなのに『樹海殺人事件』という微妙に違うタイトルに変えて別の出版社から出されていたり、また『樹海殺人事件』と紛らわしい(でも内容は全く別物の)『断崖殺人事件』という長篇もあったり、上記で紹介した「紅い顎巻」の別ヴァージョンに『黒い疑惑』という本がありながら、つい見間違えそうな『黒い断崖』なる別の作品もある。こんなんばっかりだと、同じ作品/同じ本だと勘違いされて商業的に損するぞとか当時の人は考えなかったのかしらん。




2020年11月22日日曜日

Amazon.co.jpという巨悪ウイルス

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【一】 AmazonはVine先取りプログラムも中国製まみれ





Amazonを見ていると、時々投稿されたレビューにVine先取りプログラムメンバーのカスタマーレビューというタグの付いている商品があって、「これってどういう意味?」と疑問に思われた事はないだろうか。



Vine〉というシステムを本国アメリカのAmazonが始めたのは2007年、日本は少し遅れて20106月のことだったかな。それまでレビューを投稿していたユーザーの中から、Amazon側に「優良レビュワー」だと認定され招待された者がVineメンバーとなり、招待されたユーザーのAmazon IDとパスワードはVineの専用サイトにログインすることができる。これから発売される商品のサンプルをAmazonVineメンバーへ提供し、商品を販売する企業の為のプロモーションとしてレビューを書いてもらうという一種のモニタリング・システムだ。

 

 

私が何となしにAmazon.co.jpにレビューを書いてやるようになったのは2009年の春か。とにかく何か買うと「レビューを書きませんか」と催促メールがしつこく送られてくるんで、本の感想がてら「次はこんなものを出してほしい」という声を作り手に伝えたい欲求もあってか、ヒョイと投稿してみる気になった。その頃はまだ、日本の探偵小説の新刊本に継続してレビューを書く人なんて稀少だったのかもしれない。レビュワー・ランキングというものがあって、のちに私も500位以内にまで上がった事があったが、〈Vine〉が日本でもスタートした2010年といったら、レビューを書き始めてまだ一年目だし、自分のランキングの順位なんて全然高くもなかった記憶がある。

 

 

それが何故か私にもAmazon.co.jpからVineメンバーへの招待が来て。メンバーを選出する最低基準としてAmazonでどれだけ買い物しているか、それも彼らは見ていたのだろうが、私はちっともヘビー・ユーザーではなく、他の人間があまり書かないジャンルの書籍レビューで何かしら貢献しているとでも思われたのかね。わからんけど。

 

 

Vine〉がスタートした当時は、何曜日だったか忘れたが毎週(?)朝10時になると提供される商品リストが、web上にて更新。メンバーは早い者勝ちで欲しいアイテムを奪い合うことになる。普通の人は仕事をしている時間だから(私もそう)、いつでもホイホイ好きなものを取れる訳がない。最初の数年は今と違って良いものが多く高額アイテム(電化製品とか)も時々提供され、ハイエナのようなレビュー業者どもが掻っ攫っていく。




        
    現在の〈Vine〉サンプルはこんな感じで、専用サイトにて提供されている






Vine〉が始まった頃から2ちゃんねるにもスレが立ち、高額なものを取ったことを自慢する奴とか、何も取れなくてブチブチ文句を言っている奴とかいたが、中にはAmazonから提供されたサンプルを転売している事まで書く貧民がいてね。Vineサンプルを転売するクズが湧いてきたという事実はAmazonにとって頭の痛いことだったろう。

 

 

あの頃の〈Vine〉はまだ、安いだけで使いものにならない中国製商品のバラ撒きなど無かった。それが次第に、日本の各企業も「いくらAmazonだからって、こんなシステムに新商品を無料でサンプル提供しても有益なプロモーションにならんわ」と気付きだしたんでしょうな。要するに読む価値の無いベタ褒めレビューばかりじゃ見る人に信用される訳がない。海外ではどうか知らんけど、日本の〈Vine〉で提供されるサンプル・アイテムは年々クオリティが急降下してゆく。いや~、このところサンプル提供されているものがどれだけチンケなmade in china商品ばかりなのか、詳しくお見せできないのがホントに残念。




① Amazon.co.jpの中華汚染は、普通のユーザーが思っている以上に酷い

② 本来のAmazonにはあった筈のサイト内コミュニティでの自由な意見のやりとりをさせないようにするなど、自分達に都合の悪い情報は削除しまくっている

③ 自分達さえ潤えば、納入業者は潰れようが死のうが知ったこっちゃないという経営理念 

 

本日はいつもの探偵小説の記事をお休みし、あまり知られていないであろう〈Vine〉先取りプログラムにスポットを当て、上記三つのテーマのうちを中心に語っていますが、このBlogAmazon.co.jpに言及する場合、私の伝えたい趣旨は、 

 

Amazon.co.jpが日本人に推し進めてきた高圧的でブラックな姿勢を止めない限り、
Amazon.co.jpになど絶対金を使ってはいけない」、 これがすべてなのです。




て、もう少し話を続けましょうか。




Amazonでは、各商品のレビュー欄で上のほうに掲載される投稿というのは「参考になった」票の率が多い(正確には以前存在していた「参考にならなかった」票と相殺した)順番によって目立つ位置に並ぶものだから、売り手が雇っているサクラをはじめ、レビューを毎日何件も投稿するのが仕事の所謂レビュー業者とか、そいつらの書く感想はどれもこれも無批判に褒め上げるだけの☆5つ満点レビューしかない。



私は性格が悪いので、タダでもらったサンプルだろうが自分がちっとも「良い」と思わないものをヨイショする気持など微塵もない。自分が過去に〈Vine〉でリクエストしたサンプルのレビュー一覧を見返してみると、例えばKONKAという中国の小型加湿器が(ASINB07ZQ94F7Nで検索してみるといい)使い物にならないということを包み隠さず披露したら、速攻でAmazonお得意の報復削除を喰らった。



サンプル品を提供させる以外にも、各業者から〈協賛金〉というブラック・マネーをぶん取っているAmazon.co.jpのことだから、ユーザーからの都合の悪い意見を速攻でdeleteするのなんて日常茶飯事。昔からレビュー投稿に関してだけは何を問い合わせしようが、はっきりしない返信しかしてこないのがAmazon.co.jpのレビュー管理部門で、その中でも村山・木嶋という二人の担当者の接客態度は日本人とは思えぬ無礼さ。昔から居座っているこの連中をレビュー管理部門から排除しない限り、いくらAmazon.co.jpに公平なレビュー管理を求めたところで時間の無駄なのだ。



Vineでの提供品を転売する人間だけでなく、その商品の中身をよく知りもしないのに、「参考になった」票が欲しいがために、ただ褒めているばかりのレビューの跳梁。ちゃんとわかっている人達には早い段階から「もうAmazonなんか(特に満点レビューばかり書いている人の感想は)信用できん」という考えが浸透していたが、ようやく気が付いた真っ当な企業もVineにサンプル提供なんかしなくなってきた。結果、良識のある人間はAmazonに真面目にレビューを投稿するような無駄な事など誰もしなくなっていったのである。



 

2020年11月21日土曜日

『村に医者あり』大坂圭吉

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2020年10月発売



★★★     この肯定感はどこから



 東京から帰ってきた青年医師・倉松志氣太が実家の医院を継ぎ、村の人々の為に身を捧げるという、探偵趣味の欠片も無い長篇小説。この若先生の周りには三人の若い女性がおり、結局のところ最後まで興味を引っ張るのは、その三人娘のうちの誰が志氣太のハートを射止めるのか?という点。とはいえ実質一番彼の近くにいて、倉松医院で働いている石渡千尋が本命であるのを読み手は皆わかっているのだが。



明朗でペーソスがあるという以上に、家郷で生きてゆく事に対して愚直なまでの肯定。地元新聞からの要請とはいえ大阪圭吉は何故こんな小説を書いたか? 解説では本作のモデルケースとしてアナトール・フランス「聖母と軽業師」や池谷信三郎/龍胆寺雄あたりのモダニズム文学が指摘されている。



▼ 圭吉は本作を書き上げると上京、日本文学報国会に勤務する。日本文学報国会は「村に医者あり」が『豊橋同盟新聞』で連載されている間に設立、一言で言うと「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の施行実践に協力する」のを目的とした保守派の啓蒙団体である。甲賀三郎が事務局総務部長だったので、それで圭吉にも声が掛かったか。

 

 

探偵作家の中にもその頃、国家寄りな行動をとっていた人はいて。「現在の世界情勢を熟慮し、それに見合った憲法になるように、変えるべき箇所は変えられるよう国民も考えるべき」と提言するだけで、何の考えも無く「右傾化だ! 軍国化だ!」という声が上がってくるのが今の日本だ。当時日本文学報国会に所属していた作家達を戦争協力者だと独り決めするリベラルかぶれもきっといるのだろう。彼らの全てが好戦的かつ拡大路線を望んでいた訳ではなく、故国存亡の危機を怖れ、同胞の生存を願っての動きだっただけかもしれないのに。

 

 

▼ 重苦しいところが一切無くあたかもNHK朝ドラのような展開の「村に医者あり」だが、どの登場人物の背景にも【非常時】の意識はごく自然にサラッと書き込まれている。日本文学報国会に所属するぐらいだし国に奉公する気持は強かったのだろうが、時代の趨勢に対処してやむなくこういう作品を書いた・・・・圭吉という人に探偵作家一筋であってほしいと望むのであれば、そんなちょっと内向きの執筆姿勢だったと思いたい。



ところが、冒頭に置かれた一片の曇りもない前向きな「作者の言葉」に続いて本文を読み進めてゆくと、どうもこれは探偵小説を書く事が許されないから自分を曲げて書いたとは思えぬようなポジティヴィティしか感じられないのである。

 

 

▼ 仮に戦争で命を失わなかったとしても、既にもう圭吉は探偵小説のパッションを出し尽していたのかもしれない。また、そうではないかもしれない。ここで「もし復員して創作を再開していたら、それは探偵小説ではなくユーモア小説だったであろう」という圭吉令息・鈴木壮太郎の言葉が再び浮上してくる。近年の圭吉本解説で「後年の彼は色々なジャンルを器用に書き分ける作家だった」と云われているが、それは見ようによっては「後年はもうそこまで探偵小説に執着していなかったのでは?」という風にも受け取れる。



日本の探偵作家の多くが探偵小説を長い期間追求できずに他方面へ手を出したり、あるいは書くのを止めてしまう。乱歩や正史ほどのスピリットを死ぬ迄持ち続けるのは容易じゃない。非探偵小説である本作は淀みがなさすぎて、もしかすると大阪圭吉の中で探偵小説の炎は(世情のせいもあるが)消えつつあったのかもしれない。もしそうだとすれば残念だ。

 

 

横溝正史も同時期に長篇「雪割草」を書いているが、一生探偵小説に拘り続けた正史は探偵趣味が少しも無い小説を書いたことを恥じていたのか(?)近年発掘されるまで「雪割草」の存在は生前一度たりとも言及される事が無かった。正史ほどの探偵小説への執着が圭吉にもあったかと訊かれると、私は「ウ~ム・・・」と考え込んでしまいたくなる。いずれにせよその疑問に答えられる圭吉本人はとっくにこの世の人ではなく、どこまで行っても只の推測でしかないのだが。




(銀) 「村に医者あり」というタイトルは初出連載時に実際使われていた訳ではなく、当時圭吉が案として要望していたものにすぎない。であれば本書の書名は元通り『ここに家郷あり 初出版』とでもすべきじゃなかったか。遺族に許可をもらったとはいえ、ちょいとやりすぎに思えた。


大阪圭吉の名前がなかったらこんな内容の小説は絶対読まないだろう。あの戦争さえなければ、彼の探偵作家活動期間も(きっと、あと少しは)長くなったのかもしれない。




2020年11月20日金曜日

『カラスなぜ啼く、なぜ集う/探偵作家クラブ渡辺啓助会長のSF的生涯』天瀬裕康/渡辺玲子

2014年1月12日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

文芸社
2014年1月発売




★★★★   彼はSF作家でなく異国詩情的幻想探偵作家なので
              誤解の無いように




弟・渡辺温があまりに短い人生だった分、兄・渡辺啓助は101歳の長寿を全うした。本書はその一生を追ったものだが、帯における「薔薇と悪魔の詩人」なる呼び名には何も異論はないけれど書名の副題「探偵作家クラブ会長のSF的生涯」ってどうなの? 確かに日本探偵作家クラブの四代目会長を務めたし戦後日本SFの世話役としても貢献したが、渡辺啓助という人の看板はそこじゃないだろう。書名にしたって鴉(カラス)は彼の代名詞だけど、もう少し気の利いたタイトルはなかったのか。

 

 

内容は作品論というより、知らない読者にもわかり易いようなバイオグラフィーと作品紹介の趣き。但し全作品リストとか著書目録とかコンプリートな形では提示されていない。昭和50年代以降に出た啓助の著書においていまだ再発されていない作品も数多くあるので、第二〜三章での戦時下/戦後作品案内はビギナーでなくとも有難い。

 

 

小説だけでなく『 』『鴉』といった同人誌での活動、没後における啓助四女の画家・渡辺東や『新青年』研究会を中心とした啓助に関するイベント・刊行物の動き等も正しくフォローされているのは良かった。「吸血劇場」「処女獣」のテキスト異同・初出情報など書誌ネタも面白い。著者の天瀬裕康・渡辺玲子夫妻は文中の語り口調を整理統一した方が字面もスマートになったのではないか、と思う。

 

 

渡辺啓助を初めて読むなら何はなくともまず初期の傑作短編「偽眼のマドンナ」「佝僂記」「美しき皮膚病」「血笑婦」などを集めた『怪奇探偵小説名作選 2 渡辺啓助集 地獄横丁』(ちくま文庫)が最適。幻想系なのでどうしても短編のほうが出来が良いのだが、前述の「吸血劇場」といった中〜長篇も最近流行の同人出版でかまわないから読めるようになってほしい。




(銀) 渡辺啓助の書誌データが欲しければ今世紀に入ってすぐに発売された傑作集『ネ・メ・ク・モ・ア』(東京創元社)の巻末に載っているし、また『新青年』研究会の機関紙『「新青年」趣味』の別冊『渡辺啓助100』では多くの作品紹介が読める。しかし両方とも今では古書で探すしかないのと、後者は同人出版だから発行部数も少なく、見つけるのがやや面倒なのがネックではある。