2023年2月28日火曜日

『別冊太陽/江戸川乱歩/日本探偵小説の父』

NEW !

平凡社 戸川安宣(監修)
2023年3月発売




     旧乱歩邸土蔵=幻影城なんて妄言を
             発している者がまだいるとは




 江戸川乱歩をフィーチャーした平凡社のムック本は過去にもあって、95年には『別冊太陽』で「乱歩の時代―昭和エロ・グロ・ナンセンス」と題した一冊を制作しているし翌96年『太陽』6月号でも江戸川乱歩の特集をやっている。前者は乱歩を含む『新青年』黄金時代のカルチャーに焦点を絞った作り。今月発売された『別冊太陽/江戸川乱歩/日本探偵小説の父』は作家乱歩をトータルに俯瞰した内容ゆえ、後者の焼き直しと言っていい。表紙からして96年『太陽』6月号と同じ乱歩の写真を使っているので余計に紛らわしい。



          



ずっと乱歩を追いかけてきた人間にとって今回の『別冊太陽』には特筆すべきものは何も無い。強いていうなら、岩田準一が乱歩に関して描いた挿絵やスケッチの数々だったり(岩田家所蔵とクレジットがあるから使用されているのは原画らしい)、「孤島の鬼」の諸戸屋敷がある例の島のモデルではないかと最近云われるようになった南紀・九龍島の雄大な写真だったり、惹かれるのは一部のヴィジュアルだけで、よく見る顔ぶれが寄稿した文は殆ど、どこかで既に読んだようなものしかない。もともと『太陽』はヴィジュアルを効果的に見せるムック本なのだけど、どうかな~、この内容で乱歩ビギナーや一般読者は楽しめるのか、私には判断が付きかねる。

 

 

紙のメディア上で乱歩の特集というのは過去に何度も何度も何度も何度も目にしてきた。巻頭言で戸川安宣が呟いている如く、特集のパターンなんてやり尽くされている。乱歩以外の他の探偵作家の単独特集だったらこのスタイルの編集方法でも好事家は「おおっ!」と喰い付くと思うんだけど、さすがに乱歩/横溝正史/夢野久作、この超有名な三人だとキッツイですわな。

 

 

✺ 本書の中で一番問題なのがコチラ☟。初っ端6ページからしてこうだもん。

 

怪人乱歩の土蔵

蔵の中の幻影城

江戸川乱歩の終の棲家となった池袋の邸宅に、

蔵書が収められた土蔵がある。人呼んで「幻影城」。

 

〝人呼んで〟って、誰も呼んでないんですけどね。あの土蔵を何の根拠もなく「乱歩が幻影城と呼んだ」とする妄言を、懲りもせず繰り返しているのは藤井淑禎とか池袋界隈のごく数名のみ。今回立教大学江戸川乱歩センターは資料提供でしか関わっていないように一見映るけど、現センター長の石川巧や、元センター員で今はさいたま文学館学芸員になり企画展図録を通販で売らせないようにして転売を促進させている影山亮もこっそり本書に寄稿しているから、何も知らない平凡社の編集者に吹き込んだ犯人は彼らかもしれない。



現在さいたま文学館で開催されている企画展「金田一耕助さん!埼玉で事件ですよ」の図録が、以前の「江戸川乱歩と猟奇耽異」展図録同様に、通販で買えない人々を釣って定価以上の価格で転売されている。その出品者はいつも同じ人物(ヤフオクID:fuakl07037)。制作者が横溝正史について詳しくないらしく「たいした内容ではない」との声あり。決して買うべからず。



世の中には学習能力が完全に欠如した人間がいる。平井憲太郎氏が黙認してるんで、調子こいて訂正しないつもりなんだな。さして乱歩の事など好きじゃないからこんな妄言を発したくなるに違いないのだ。もしも夢野久作や杉山家に対して斯様なありもしないでたらめを広めた日には、杉山満丸氏なら絶対キツめに注意すると思うんだが。いずれにせよこの本、Not to buy

 

 

 

(銀) 宮本和歌子による、「屋根裏の散歩者」を乱歩が書き上げた鈴鹿の岩屋観音についての頁に写真が二葉入っていて、もっと現地の風景を見たかった。いっそのこと、聖地巡礼じゃないけど乱歩及び彼の作品にゆかりのある全国の土地の写真集にしてしまったほうがフレッシュな風を取り入れられたかもよ。戸川安宣監修ってなってるけど、頼まれたから仕方なく名前を貸してやっただけだよね?じゃなかったらシャレにならんわ。

 

 


2023年2月25日土曜日

『民ヲ親ニス/第9号』

NEW !

「夢野久作と杉山三代研究会」事務局
2023年2月発売



★★★★    継続はチカラ 





「夢野久作と杉山三代研究会」発足十年。年に一回研究大会を開催し続け、会報『民ヲ親ニス』は創刊から数えて本号で九冊目を迎える。プラス、別冊『夢の久作のごとある』も出した。よくここまで辛抱強く頑張ってきたものだ。本当ならこれで夢野久作記念館みたいなメルクマールがあれば理想的なのだろうけど〝箱物〟というものはまことに金喰い虫であり、見栄を張って建てたはいいが、資金を安定して保持できなければ遅かれ早かれ自滅してしまう。それを考えると、身の丈に合わぬ〝箱物〟に手を出そうとせず今日まで来たのは正解。



                   




本号では「〝母を想う夢野久作〟をたずねて」「杉山三代つれづれ」など、夢野久作のご令孫・杉山満丸による記事が目立つのが嬉しい。発足して十年の間に新しく若いファンが誕生しているのを意識してか、久作研究の基礎を改めて見直せるよう杉山龍丸「夢野久作の生涯」/鶴見俊輔「ドグラマグラの世界」/江戸川乱歩「夢野久作とその作品」といった、『夢野久作の世界』(西原和海/編)に収録されていたコンテンツが再録されてもいる。

 

 

杉山満丸によると、現在絶版になっている父・杉山龍丸の著作をもう一度世に出したいそうなのだが、出版社へ話を持ち込んでも「一度出版されたものは売れる見込みが立たないので出版できない」などと云われ、断られているらしい。本当だろうか?だとしたらオファーを受けた出版社の見識を私は疑うね。『わが父・夢野久作』もそうだし、私が以前から欲し続けている『夢野久作の日記』のアップデート版にしても、再発に携わる人間が無能だったら出す意味がないどころか、かえって逆効果になる。盛林堂書房周辺・捕物出版/大陸書館・論創社に代表される、テキスト校正チェックさえろくにやろうともしない(カネだけが目当ての)連中は論外、たとえ有名でなくとも杉山家に愛情をもってじっくり本を作ってくれる版元に出会えるまで、再発は待ったほうがいい。



            
       
会報別冊『夢の久作のごとある』。こちらもnow on sale。


 

 
「夢野久作と杉山3代研究会」もふたつめのdecadeに突入する。私個人、(それは仕方のない事なのだが)大作「ドグラマグラ」についての論考ばかりになりがちなのが気になっている。たまには「暗黒公使」なんかも話題に挙げればいいのに。それと、このBlogで『定本夢野久作全集 第8巻』の記事にも書いたけど、久作の眼から見た東京人や関東大震災といったルポルタージュに関心を持つ人がどうしていないのか。自然と研究テーマが偏りがちになってはないか。

 

                    



今、日本は中国という侵略者にじわじわ乗っ取られようとしている。そんな ❛今そこにある危機❜ を踏まえ、杉山茂丸が明治~大正の御代にやってきたことを、口先だけで誰かと繋がっていなければ何もできぬ現代人にでもわかりやすく学習させられる評論書というのも欲しい。本号を読むと、梅乃木彬夫という人物が『鬼滅の刃はドグラ・マグラ』と題された小説を近日刊行するそうで、「鬼滅の刃」と夢野久作がどう繋がるのか遺憾ながら全然わからないが、私はファンの妄想云々ではなくリアリスティックな文献を求める。十年目を過ぎると、様々な点でマンネリが目につく局面も出てくるとは思うが、杉山家の研究にどんな新しい変化が見られるのか楽しみだ。

 

 

 

(銀) 本号の内容が告知され、私が一番楽しみにしていた記事は沢田安史「国書刊行会『定本夢野久作全集』編纂に関わって」だった。これも当Blog上にてさんざん述べたとおり、あの全集の編纂作業の裏側でいったい何が起きていたのかを知りたかったから。ところが、この記事は第9回研究大会の中で沢田が発表する際に参加者へ配布したとおぼしきレジュメの転載でしかなく、沢田自身による文章は何もなくて落胆した。会場ではいろいろ突っ込んだ話がされたのかもしれないが。

            

ついでにこの場に付け加えておくと、『定本夢野久作全集』全巻購入者特典「新聞型冊子・挿絵つき『犬神博士』」だが、複写元の『福岡日日新聞』が鮮明ではないマイクロフィルムしか残存していないのか、青柳喜兵衛の挿絵はまだしも紙面上の文字に読み取りにくい箇所が多く、企画自体に若干無理があったように思う。

 

            


2023年2月21日火曜日

『紙の爪痕』花屋治

NEW !

光風社
1962年1月発売



★★★★   騙すなら、完璧に騙して




 江戸川乱歩の親戚筋にあたり、名著『怪盗対名探偵』『乱歩おじさん』で知られる松村喜雄花屋治のペンネームで発表した長篇。昭和30年代の日本は社会派推理小説やハードボイルドがメインストリームになっていたし、従来の探偵小説マナーのままだと古臭く受け取られてしまうのを意識してか、東京株式取引所での自身の経歴をプロットに落とし込み兜町を舞台にして幕が上がるあたり、(私の好まぬ)サラリーマン・ミステリっぽくも映る。国際線の運航が広がってゆく復興日本の有り様が見て取れるので、同時代のいなたい探偵小説よりも近代的な印象。

 

 

 ヒロイン・西島由利のアパートへ刑事が来襲、隣室に住んでいる前沢朝子が失踪したというので、あれこれ由利を問い詰める。さらに山中証券における由利の上司・武林三蔵 外国部長が何の前触れもなく長期休暇届を会社へ送り付けたまま、こちらも行方知れずに。出だしは西島由利がお節介な気質で事件に首を突っ込んでゆくので、このままこのヒロインが厚かましく素人探偵気取りになったらイヤだなあと様子を見ていると、もうひとりの女性キャラ・小林二葉の登場によって物語は徐々に探偵小説らしくなってくる。(以下、伏せておくべき文字は  で記す)

 

 

この作品、アウトラインさえ迂闊に漏らしてしまうと地雷を踏んでしまいそうだから下手な粗相は書けない。小林二葉の身分が明かされた後、読者に背負い投げを食わせるトリックが次々繰り出され特にクライマックスでは「エッ、実はあの人 ✕✕ だったの?」的な驚愕(?)の真相が。そう、前半こそ話がゆるゆる進むけれども中盤以降になると徐々に本格らしさが姿を現してくるのだ。し・か・し。そうは言っても、「本格だ!本格だ!」と大喜びして安直に賛辞する訳にもいかない。

 

 


 次に述べる不満さえ無ければ★★★★★を進呈してもよかった。ギリギリの線でこれぐらいなら言ってもいいだろう。冒頭、刑事からの聴取で西島由利は隣人の前沢朝子について「音楽とモードのことを話しただけ」「二、三度しかまとまった会話はした事がない」と言い切る。それなのに話が進むにつれ、実は由利は ✕ を前沢朝子に貸した過去があった事実が浮上。待て待て、そんなん聞いてないわアンフェアやん。それに(ぼやかして書かざるをえないけど)終盤で暴露される前沢朝子のとんでもない秘密を、親しいとまではいかなかったとはいえ由利が気付かない筈がないだろ~。

 

 

初期の『ゴルゴ13』で旅客機ハイジャックをテーマにしていた「At pin Hole!」や「ジェット・ストリーム」あたりの逸品エピソードも数十年前だから成立していたが、空港での保安検査が煩わしくなった現代では絶対にムリ。それと一緒で、本作の〝トリック〟も今となっては使えないネタである。時代が限定されたりあまりに素っ頓狂なトリックは社会派ミステリ花盛りの時期にはどうしたって不利だし、あげく主流になり損ねてしまった作品なのであった。

 

 

 

(銀) 最後の最後でもうひとつひっくり返して、グレーな感じで終わる・・・みたいな演出は乱歩の「陰獣」を真似してみたかったのかな。それと、松村喜雄は証券取引の世界で働いていたので本作に描かれている公債の話は満更フィクションじゃないと思うけれども、我が国が戦争に負けたどさくさで実際こんな犯罪って起こり得るものなのか。本作に書かれている業界のことは私は知識が足りなくてよくわからない。



恥ずかしい事に、当Blogの過去の記事にて松村喜雄と書くべきところを松村善雄と誤記していたので、今回すべて訂正しておいた。




2023年2月18日土曜日

『あたしが殺したのです』森田雄三

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河出書房新社
1961年7月発売



     比類なきつまらなさ
   



❦ 直木賞受賞作家である木々高太郎が昭和38年に立ち上げた同人文芸誌『小説と詩と評論』。その主宰を木々より引き継いたのが森田雄三。木々が明治30年生まれで森田は明治43年生まれ。大阪圭吉より二つ年上の世代になる。世間では〝森田雄蔵〟名義で通っているみたいだが、今回取り上げる『あたしが殺したのです』のクレジットは〝森田雄三〟なので、当Blog内でのラベル(=タグ)は〝雄三〟表記で扱おうと思う。




『小説と詩と評論』ってガチで芥川賞や直木賞を欲しいと思っている人間が集まる場じゃなかったっけ。森田の立場も、言うなれば〈ゲージュツ性〉を重んじる文学派である筈。そのわりにはこの長篇、ストーリーにヤマが無いし、単にヘンテコな小説でしかないじゃん。若い頃は『新青年』を愛読していた森田からすれば、好機到来とみて変格ものに取り組んだつもりだったのかもしれないが、結論から先に言えばここまでどうしようもないイカモノにはなかなかお目にかかれない。そんなレベルの珍作奇作怪作、つまるところ駄作。この人の文章、上手いと思えないのも問題だし。

 

 

 

❦ 内容に触れる前に、この画像をクリックして見て頂きたい。

本書の目次ページなのだが、ひとつひとつの小見出しが奇妙に長く、読む前から「何これ?」感を発し、読者をとまどわせる。 

 

K坂病院。院内はドロドロした人間関係が裏で渦巻いているらしい。主役といっていいであろう婦長は深夜、ある状況下になったら豊かな髪を振り乱しピンクのネグリジェを脱ぎ捨て、死臭漂う霊安室で一種のトランス状態に陥る。江戸川乱歩作品なら〝一寸法師〟と表現されそうな小男の雑役夫・無名瀬茂呂(むなせもろ)には、指先のテクニックをもって(まるで乱歩の「盲獣」のように)婦長をトロけさせる愉しみがある。この小男が次々とけしからん行為だったり残忍な殺人淫楽にふけるのかと思いきや、怪しのアイコンはむしろ婦長のほうだったりして・・・。

 

 

 

❦ 猟奇的だろうがエログロだろうがサドマゾだろうが、小説は面白ければ素材は何でもいい。とにかくこれはちっとも面白くない。ネタバレに気をつかう必要もないんだろうけど、タイトルにリンクしてくるキャラクター背景は現代の大手出版社ならきっとビビるに違いないし、(度が過ぎる)ポリティカル・コレクトネスに必ずひっかかりそうな匂いがする。乱歩が本作の推薦文を書いているのは北川千代三『H大佐夫人』の例もあるからまだわかるとして、宇野浩二までもがどうして宣伝に協力したんだろう?どんなにヘンタイ度が濃くとも、せめて木々高太郎の代表作「睡り人形」みたいな普遍性(?)が欲しい。

 

 

 

(銀) これだったら栗田信「醗酵人間」のほうがまだリーダビリティがある。私は森田雄三という人について詳しくないので、彼がなぜこんな小説を書いたのか、どなたか御存知の方は教えてもらえませんか?





2023年2月14日火曜日

『新ふしぎなふしぎな物語』三橋一夫

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2022年年12月発売




★★      原点回帰のような




文芸評論家で、なおかつ翻訳者でもある吉田健一のもとに預けられていた三橋一夫の未発表草稿を一冊にまとめたものらしい。すべての草稿に脱稿日が記していないから全部がそうだと断定はできないが、昭和30年代の終わり頃に書かれたものっぽい。ここに収められた各短篇は、三橋の代表作であるしぎ小説〟シリーズのunreleased materialと思って下さればよいのである。

 

 

「山鳩」

「再婚通知」

「こうだん風砲」

「峠から来た客」

「水居の人」

「道化面のペンダント」

「一つの眼」

「候氏」

「鈴石」

「鏡影」

 

 

相変わらず天狗が出てきたり(「峠から来た客」)キツネが出てきたり(「水居の人」、昭和のむかし話みたいな内容には全然私は惹かれない。とはいえトップに置かれた「山鳩」には、私の嫌いな三橋の年寄り臭さが感じられず、端整で文学的で、中学高校の国語の教科書に使われてもおかしくないような気さえした。

 

 

後年の三橋は吉田健一の力を借りて、それまでの貸本隆盛期に主戦場だった倶楽部雑誌とは真逆の『オール讀物』みたいな王道文芸誌へ進出したかったのでは?と解説では述べているが、この「山鳩」なんかは特にそんな三橋の意志を感じる。それと、ここに収められた短篇の多くが湘南地区を舞台にしており〝湘南小説〟といった趣きも少しある。

 

 

最後の「鏡影」だけは犯罪もあるし、オチの出来はまあともかく薄気味悪いジギルとハイドみたいな黒いマントの男の正体をめぐり、最後まで興味を引っ張ってくれるので楽しめた。同じ意味で「鈴石」も、行き遅れてしまった三十女の道枝が、本当は気の良い男なのに一度キレると暴力沙汰を起こしてしまう祐造と結婚したのはいいが、彼女の献身をもってしても祐造の短気は犯罪を起こしてしまうのか?そんなサスペンスがほんのり忍ばせてある。

 

 

未発表とはいえ、これまで春陽文庫や出版芸術社から刊行されてきた三橋一夫の〝ふしぎ小説〟シリーズを好きな人なら問題なく楽しめる内容。

 

 

 

(銀) この作家を特に好きではない私が言うのもなんだが、三橋一夫が現行本で出るとなるといっつも森英俊と日下三蔵が関わってくるんだな。三橋も不幸な作家だ。今回の草稿は吉田健一の遺族が神奈川近代文学館に寄贈したもので、それを森英俊が文学館側から許可をもらって全て目を通し盛林堂からの刊行にこぎつけたという。古本でアコギに甘い汁を吸いまくっている人間に貴重な草稿を開放しちゃって、神奈川近代文学館も不用心じゃね?人は選ばないと。





2023年2月12日日曜日

ゆうちょ銀行及び日本郵政のハンパない改悪が我慢ならん

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🔥 紙の目録でもネット通販でも、郵送扱いで古書を買う人なら殆どの方が(いわゆる〝ぱるる口座〟の頃から)ゆうちょ銀行を使ってきたはず。手数料の面で非常に使いやすく、少し前まではヤフオクにて何かを落札した時も、出品者へ振り込むのに銀行口座払いを手数料無しで行う事ができて(過去形に過ぎないが)なにかとゆうちょは便利だった。他行と比べ、どんな都道府県にさえ郵便局のATMがいたるところにあるのも大きなメリットだったが、最近は「全国におけるこの郵便局の多さが逆に日本郵政の首を絞めている」との指摘もある。配達員不足も問題だし。

 

 

2010年を過ぎていつの間にか、どの銀行もインターネットバンキングを推すようになり、ATMで現金の移動をしたら、これまで以上にムダな手数料を取られるような仕組みへと変貌してきた。そうなればネット上で金のやり取りをすると当然セキュリティの強弱が問われるのは自明の理。ゆうちょ銀行のインターネットバンキング〝ゆうちょダイレクト〟にも送金等にワンタイムパスワードが必要であって、そのパスワードというのはゆうちょ用のトークンから得るか、あるいは自分が〝ゆうちょダイレクト〟に登録した(PC以外の)メールアドレスへパスワードが送られてくるシステムの二択。わざわざゆうちょ銀行へトークン入手を申請して送ってもらうのも面倒だし、私は自分のケータイへワンタイムパスワードを送信させるやり方を利用してきた。


 

 

 

🔥 ところが、(去年から通知されてはいたのだが)ゆうちょ銀行では本年20235月より、今までメールアドレスへ送信されてきたワンタイムパスワードのシステムを撤廃してしまうというではないか。結果、送金時などに必要となるワンタイムパスワードを取得するには次の二つしか方法がなくなってしまった。

 

 ゆうちょ銀行からトークンを送付してもらう。但し手数料発生。20234月までのトークン送付にかかる手数料は825円だが5月以降は1,650円。以前よりトークンを手元に持っていた利用者も電池切れ等で使えなくなった際には、再送付のたびにその都度自分のゆうちょ口座から必ず1,650円徴収されてしまう。

 

 もうひとつの方法はスマホへの〝ゆうちょ認証アプリ〟のダウンロード。この場合手数料は発生しないのだが、まあ試しに〝ゆうちょ認証アプリ〟というワードをネットで検索してごらんなさい。「認証アプリなのにちっとも認証できねえぞ」「使えん」「クソすぎる」といった怒りのコメントが溢れかえっているのだ。どうしようか迷って〝ゆうちょ認証アプリ〟の利用方法をネットで調べてみたがウザイ手順だし、こんなに批判の声だらけではとても使う気になれない。 

 

よって私は結局トークンを選んだ。小銭がかかるとはいえこっちのほうがラクチンである。他行のトークンの寿命は知らないが、ゆうちょトークンの寿命は約5年だそうだ(ちなみに三菱UFJ銀行のトークンだけは数年前から持ってるけど、ホンのたまにしか利用機会がないせいか、今のところ電池切れもせずまだ使えてるぞ)。よって私と同じ環境の方は試しに5年ほどゆうちょトークンを使ってみて、その間にもし〝ゆうちょ認証アプリ〟の使い勝手が改善されるようならば、トークンがおシャカになった時点でアプリへ乗り換えればいいのではないか。



 

 

🔥 ただ、警戒すべき別の落し穴が潜んでおり、今のところ〝ゆうちょ認証アプリ〟を一度でも選択してしまうとトークン使いには戻れないのだ。更に〝ゆうちょ認証アプリ〟をダウンロードして最初の登録を済ませる際に、身分を証明するいくつかの手順をすっとばした状態でゆうちょダイレクトを使用すると、一回に可能な送金限度額が否応なく50,000円に限定されてしまったりはた迷惑な縛りがもれなく付いてくる。特にスマホを持っていない人なんかは今回のゆうちょの改悪のために慌ててスマホを買って、そのあげく〝ゆうちょ認証アプリ〟を入れてみたら、何もできなくなって最悪の事態に落ち入る事例も報告されている。百歩譲って、手数料の発生は仕方ないとしても、使えんアプリ作ってどおすんだよバカタレが。

 

 

そんな理由からしても(手数料を払ってトークンを入手するのは気分が悪いが)とりあえず割引期間の825円のうちにトークンを申し込んどいたほうが、これまでとほぼ変わらぬやり方で、PCだけでゆうちょダイレクトを使う事ができるからまだマシみたい。もちろん「ごく稀にしかゆうちょは使わないから、扱いが面倒でもアプリで十分」「スマホがあるのにわざわざ手数料払ってまでトークンなんか使いたくない」「ゆうちょのアプリが使えんなんて、そんな訳ないだろ」とお考えになる方もいるだろう。あとは貴方の判断次第。


 

 

 

🔥 ここまでゆうちょ銀行の許しがたい改悪をお伝えしてきたが、ご本尊の日本郵政とて国民に多大な迷惑を与えているのは何ら変わりない。郵便料金が値上げする一方で、そのサービス低下ぶりを放置しといていいのか。確かに人は手紙というものは出さなくなったよ。けどその反面、ネット通販のおかげで扱われる郵便物の量はとてつもなく増加しているし、また大きめの郵便局に行くと、私用/仕事にかかわらずレターパックやゆうパックと、荷物を出しにきたり受け取りにきている人をけっこう見かける。それなのに日本郵便が行う配達は全体的に、前よりも日数がかかるようになってしまった。ビジネスにおいて土曜の普通郵便配達を止めてしまった事で、「勘弁してくれよ、もう」と困っている人達は意外に多いのだ。

 

 

「東京都知事選に出てくれ」と言われたらホイホイ立候補し、「日韓グリッド接続構想」なんて日本に何のメリットもない案を持ち出す増田寛也が日本郵政の社長になってから、よくなった点は只のひとつも無し。上記で述べたシステム改悪によって「ゆうちょ銀行はもう二度と使わん」と憤っている人は多く、その場合はシンプルに貯金を他行へ移せばそれでどうにかなるけれども日本郵政の推し進めてきたことは個人で対応できるレベルでは決してない。一刻も早くどうにかしなければ、遠からぬ将来、日本の郵便事情は崩壊してしまうぞ。Go To Hell !!





2023年2月10日金曜日

『DINO』柳沢きみお

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小学館 ビッグコミックス
1994年9月発売(第12巻)




★★★★   「俺と父が味わった苦しみ、
                今度はきさまらが味わう番だ!!」




お気に入りな漫画のひとつ。ピカレスクな復讐物語でムチャクチャ面白いのにビッグコミックスの初刊本が出た後は紙の単行本で再発されていないらしく、柳沢きみおフリーク、あるいは当時の『ビッグコミックスピリッツ』連載を毎号読んでいた人を除けば、残念ながら忘れられた作品になってるっぽい。これではイカンと思い立ち、この漫画の存在意義を世に問う(?)のが今日のテーマ。左上にupしている書影はビッグコミックス『DINO』全12巻のうちの最終巻である。第十二巻のディーノの表情が好きなので、第一巻よりもこちらを選んだ。

 

 

プロローグ

老舗大手である丸菱デパート。その七代目社長・菱井丈一郎のひとり息子として菱井ディーノは誕生した。若くして亡くなった息子ディーノの名をエンツォ・フェラーリが自社の開発した新型フェラーリに命名した経緯に感激した丈一郎は、ダンディーな生き方を重んじ理想を追い求める性格から、自分の息子にもディーノと名付ける。

 

本来ならディーノは次期社長となるべき御曹司だった。ところが古くから丸菱で番頭格を務めてきた樽屋家の長・樽屋吾郎をはじめとする丸菱役員の陰謀により、菱井丈一郎は失脚させられてしまう。丸菱デパートだけでなく資産も奪われ妻にも見限られてしまい、失意の果て酒に溺れた丈一郎は肝硬変で死亡。両親を失った8歳のディーノは遠縁の杉野家に引き取られるが、杉野家の次女あや以外はみなディーノに冷淡で、彼は夢も希望もない日々を送らざるをえなかった。

 

そんなディーノが高校に入学したある日、丈一郎の旧友・須貝大二郎が現れ、世田谷区の住宅街にある小さな間取りの(しかし一人で暮らすには十分な)一軒家へディーノを連れてゆく。その家のガレージにはディーノが生まれた年に発売されたスーパーカー〝ディーノ206GT〟が。家と名車、いずれも父・丈一郎がディーノへの愛ゆえ、秘かに遺していてくれたものだった。かくてディーノはハッキリと自らの宿命を悟る。父を地獄に落とした連中に、父と同じ苦しみを味わわせなければならぬ。別人のように生まれ変わったディーノは猛勉強して東大を首席で卒業、杉野ディーノと名乗り、将来の幹部候補として丸菱デパートに入社。丸菱会長・樽屋吾郎の跡継ぎ息子で、同期入社でもある樽屋英雄の片腕になりすまして復讐に着手し始める。

 

 

 

頭が切れ、整った長身のルックスでどんな女性さえも落としてしまう。下手すれば白々しくなりがちなほどに一見非の打ちどころが無さそうな主人公ディーノだが、トラウマからくる精神的な弱さが彼にはあって、決して完全無欠ではない人間像がよく描けている。柳沢きみおの作画には好みが別れそうなクセがありつつも(あまり上手そうにみえない)あの絵が重苦しいストーリーとうまい具合に中和しているのもいい。これがもし池上遼一のように写実的なデッサンだったらリアルすぎて読者は読み疲れしそうだもの。

 

 

ディーノの勤務場所がハイブランド服飾売場であるとか、セックス描写が頻繁に出て来たりとか物語の骨子を包むこの辺のバブリーなテイストは、本作が連載された9294年頃のムードをダイレクトに放つ要素だ。個人的に「DINO」が書かれた頃というのは人生で一番楽しかった年代でいつも『スピリッツ』『ヤンジャン』を友達と回し読みしていたから、なんとなく懐かしささえ覚えてしまうけれど、LGBTにばかり口煩くなって異性愛をないがしろにする傾向にある現代人この漫画を読んでどう思うのだろう。「オンナを都合よく利用してユルセナイ!」って怒る女性もいたりするのかねえ。

 

 

瑕瑾が無い訳でもなくて、丸菱の人事課長が昔から丈一郎のシンパだったとはいえ、ディーノが隠している菱井のルーツが役員たちに全くバレずに済んでいるのは「ありえんだろ」と突っ込む輩もいるだろう。また、若い男とデキて菱井家を出ていったと序盤で説明されているディーノの母が後半になって登場するんだけど、そこで彼女が語る過去というのは〝若い男とデキて〟っていう当初の設定とは矛盾してないか?って首をひねる点もあったりする。でも、そういったモロモロをいっぺんに吹き飛ばすぐらい面白いストーリー。

 

 

ディーノの前に立ち塞がる敵もさまざま。特に最強の敵は樽屋吾郎らが雇う武闘派SPで、肉体的にも精神的にもディーノは絶体絶命の危機に追い込まれる。頭脳明晰な彼は自分を捕まえようとする者をどうやって撃破するのか。私はサラリーマン・ミステリは好きじゃないんだが、本作に関してはサラリーマン社会の描写、そしてその人間関係の中でのエロティックなシーンがいいし肉弾戦/心理戦とも高いテンションで描き込まれていて中弛みが無い。

 

 

 

 

といった感じで穏便に終了したいところだが、この作品を語るのであればどうしてもいくらかは結末について触れざるをえない。できる限りネタバレはしないように書くけれども、「DINO」を読んでなくて、終盤の核心部分に言及する以下の文章を読みたくない方はここから先スキップして下さい。

 

▼▼▼

目的のためには籠絡すべき女を抱き犯罪に手を染めるほど鉄の意志を持って、ひとりひとり丸菱役員に天罰を与えてゆくディーノ・・・なんだけど、木暮敦子が出てくる終盤あたりには雲行きが怪しくなってくる。普段は同期としていつもツルんでいる、ディーノの復讐の最終ターゲットである樽屋英雄に相対しなければならんのに、それをせぬまま、それまでの緊張感を放り投げたような無難な幕切れではイカンだろ。これまで悪事の限りを尽くしてきたディーノならば、樽屋英雄と何らかの応酬があった上、すさまじいラストで締めなければここまで付き合ってきた読者は納得しなかったんじゃないの?(少なくとも私は納得がいかない)

 

 

柳沢きみお作品について詳しい方にお尋ねしたいのだけど、ファンはこの終わり方で満足してるのだろうか?もしかして柳沢もまた『スピリッツ』編集部から「早く終われ」と強要されてこうなってしまったのか?結果として中盤にディーノが罠に嵌まりSPに捕まりそうになる流れの中で、ディーノの秘密を握ってキーパーソンとなる樽屋社長の娘・瞳(彼女はJKながらレズの悦びを家庭教師の女性に教え込まれている)を、いつまでもディーノのそばに置いておいたのが物語の足枷になってよくなかったかも。それまで息をもつかせぬ怒濤の展開だっただけに最後のほうの成り行きがどうしても悔やまれてならない。

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(銀) 着地点さえ間違わなければ、何のためらいもなく★★★★★にしたかった。そもそも、この物語の最大の問題はあのエンディングになって堅気な生活を送ろうとするディーノを、警察よりはるかにオソロシイ裏社会の友人・片桐は許してくれないんじゃないのか?って疑問が残ること。ヤクザは地球の裏側までも追ってくるんじゃなかったっけ。






2023年2月6日月曜日

『密室殺人』楠田匡介

NEW !

青樹社
1963年5月発売




★★★★★  今も復刊されていないトリック・ミステリ短篇集





 長篇推理小説と銘打っているけれど本書の中身は短篇集で、その殆どはトリックを軸とした内容。昭和2030年代に書かれた探偵小説を眺めれば、一線級になりきれず歴史の中に埋もれてしまった作家が様々いる。楠田匡介/鷲尾三郎あたりも鮎川哲也/高木彬光とは姿勢が異なり、キャリアの中で本格風なトリックがある作品は少数しか書いていないのに、昭和末期以降は再発される事がなく稀少扱いされ、彼らの旧い単行本を一部の本格ミステリ狂やら古本狂が妙に珍重するもんだから古書価が跳ね上がってしまった。それもトリック小説である/ないに関わらず、である。誠に滑稽で笑ってしまう。

 

 

「ストリッパーの怪死」「誰も知らない」「拳銃の謎」「奇怪な腕」

「灯殺人」「河豚の皿」「人肉製紙」「殺人スキー」

 

 

 本書収録作すべてレギュラー・キャラ田名網幸策警部が登場。とはいえ必ずしも田名網警部が最終的な謎解きをする訳ではない。書名どおり楠田匡介が密室殺人に取り組んでいるのはいいとして、状況を描写すべき部分が粗っぽくそれが少々気になる。やっぱ願わくば読み手に対して100%フェアじゃないとね。「ストリッパーの怪死」にて兇器に使われる家庭用製麺機なんか、今この短篇を現行本に収録するには、それ自体どういう形状なのかを注釈で説明する必要があるのかもしれない。

 

 

後半はトリック以上に悪趣味なグロを押し出した作も入っており「人肉製紙」は楠田の別の著書『人肉の詩集』(あまとりあ社)に収録されていた表題作を改題・再録したもの。「河豚の皿」にも殺人トリックはあるのだが、印象に残るのはフグを食する蘊蓄のほうで、どのトリック作品もこれぐらい丁寧仕掛けを描いてほしい。

 

 

楠田匡介は北海道の人だから「殺人スキー」に見られる北国の小ネタはよく書けているし、またパルプ工場勤めの知識も「人肉製紙」に十分注ぎ込まれていて、彼の十八番ともよべる脱獄ものがそうだが、自分の経歴がうまく活かされている時の楠田作品は輝きを増す。


ただ昔から江戸川乱歩が言っていたように、日本人は本格を書こうとする人に限って文章が拙くなる傾向がある。トリックに挑んでいる時の楠田はその欠点が露呈してしまうのが惜しい。本格ミステリ狂/古本狂は深く考える事もなく、どんな珍トリックだろうとありがたがるだろうが、かつて松本清張が探偵小説を批判する時によく口にしていた〝実際ありそうにもない無理矢理なからくり〟そして〝どぎついグロ〟といった点では、探偵小説プロパーではないリアリティを求める読者から拒否反応を示されそうな要素も孕んでいる。

 

 

 そんなこんなで不満な点もあるけれど、楠田匡介本人には何も非は無いのに湘南探偵倶楽部の悪質な同人本(2022年10月の記事を見よ)のおかげで、至極真っ当な常識を持つ世間の人々に対しあまりにも悪い印象を与えてしまったのもあるし、本書収録短篇はアンソロジーなんかで小出しにされる事はあっても、未だに纏めて現行本にはなっていない。他人様の作品の本を出す資格など1ミリもないボケた老害人種ではなく優秀な編者の手で近い将来この『密室殺人』も万人が読める日が来るよう、少し甘めながら★5つ。

 

 

 

(銀) 私が持っている『密室殺人』は再発の青樹社版なのでこちらを使ったけれど、本来は1959年刊同光社出版のものが初刊本。同じ紙型かな?





2023年2月5日日曜日

『マジンガーZ(オリジナル版)』永井豪

NEW !

講談社漫画文庫
1999年12月発売




★★★★★   お手頃価格でも初出ヴァージョンは復刻できる




昔大好きだったマンガが愛蔵版スタイルなだけでなく、雑誌連載時における初出ヴァージョンで再発されているのをネットでよく見かける。永井豪の作品もその例に漏れず、「凄ノ王」「手天童子」「デビルマン」「バイオレンスジャック(『マガジン』連載分)」など初出ヴァージョン単行本が刊行されている。今回のテーマである「マジンガーZ」も、『マジンガーZ 1972-74 初出完全版』全四巻が20172018年に復刊ドットコムより発売されたのだが、これウルサ型の超マニアにはいいんだろうけど、一般読者にはお値段が高過ぎてコストパフォーマンスに疑問が残る。てことで、初出ヴァージョン復刻コミックスの理想形として約20年前にリイシューされた講談社漫画文庫版初出ヴァージョン『マジンガーZ』全三巻を私は激賞したい。

(この本はありがちな自己規制/語句改変がなされている箇所を発見していないので、そういうのが無いものとして話を進める。「完全復刻」というキャッチ・コピーはあてにならないので、もしも見落としていたらご容赦下さい。)



             💀

 

 

例えば「デビルマン」。初刊の講談社コミックス後に再発された単行本で読むと、永井豪は連載当時の作画の美しさを台無しにしてしまう加筆をしてしまっていて、あれは酷い。本当に酷い。加筆自体が絶対ダメだ!というのではなく、連載中あるいは連載終了直後コミックス化する際に作者が書き足りなかった箇所を加筆するぶんには全く問題ない。何がまずいのかといえば、連載終了からずいぶん時が過ぎてしまうと、作者の画風が変化してしまっているため加筆した場合に連載時とは全然異なるタッチになってしまって、その部分だけがどうにも見苦しくなり作品全体をスポイルしてしまうのが許せないのだ(「デビルマン」の当時のヴァージョン本と改悪ヴァージョン本の両方を見た事がある人はよくおわかりでしょう)。逆にいえば、連載終了から年数が経っていても、当時と全く同じタッチで手を加えることができ、なおかつストーリーをプラスの方向に持っていけるのであればいいのだけれど、作画というのは実に繊細なものだし、そんな訳にはいかない。 

 

 

よく漫画家は、その作品を単行本化する際に手直しして連載分に加筆するばかりでなく、時にはカットしてしまう部分も出てくる。そのことは前に手塚治虫『アドルフに告く オリジナル版』(国書刊行会)の記事で詳らかに述べたが「アドルフに告ぐ」の場合にも手塚は単行本化に際し入念に手を加え大胆に加筆したページとカットしてしまったページがあった。それでも連載からそう月日が経ってない時期の加筆ゆえ、初出連載時のヴァージョンと単行本ヴァージョンを比較しても、どちらも気持ちよく読むことができる。発表から何年も経って、リイシュー時に自分の作品をやたらいじりまくる漫画家がどのくらいいるのか私は詳しく知らないが、永井豪の無神経な加筆は、話の流れ的にも絵の質感点にも、とにかく目に余ってしょうがない。 



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さて「マジンガーZ」。この作品は最初『週刊少年ジャンプ』に連載され、ジャンプ・コミックスから単行本が出ていたのだが、最後のエピソードは単行本化されなかった。そりゃそうだわな~「ドクター地獄の命をかけてマジンガーZをほうむってくれる!バードス島出撃!」って煽りでマジンガー対ドクター地獄の最終決戦がこれから始まるところなのに作者・永井豪のコメントがあって「ええ―いよいよすごくなるマジンガーZですがウヒッいろんなつごうにより今回で終わりにさせてもらうでガスよゴメンチャイ」だもの。なんじゃい、それ? 残念ながら制作側のテンションが保たれているのは、ちゃんと〝つづきもの〟になっている『ジャンプ』連載エピソードの「ブロッケンの妖怪」篇まで。その後は絵もストーリーもどんどん雑になってしまうし『テレビマガジン』エピソードは強引な一話完結型だからダイナミズムに欠けているのが実情。

 

 

あの「デビルマン」でさえ、『少年マガジン』編集長から横槍が入って打ち切りにされたために現在我々がよく知っているあの流れで結果として素晴らしいエンディングを迎えた事実が、のちになって「激マン! デビルマンの章」で明らかにされた。『少年ジャンプ』に連載された「マジンガーZ」も編集部が乗り気でなかったんで終わらされたというけれど、「ゲッターロボ」といい「凄ノ王」といい、不完全燃焼で連載が終わってしまった例が永井にはいくつもあるし、本当に編集部だけのせいなの?と疑いの目を私は向けてしまうんですな。

 


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ここまで述べてきた問題が永井豪作品には常につきまとっている。とはいえ、いや、だからこそ本来あるべき『ジャンプ』連載順に忠実にエピソードを並べ、同じく(第三巻にボーナス扱いで収めてある)『テレビマガジン』エピソードも発表順かつ完全網羅したこの初出ヴァージョンの講談社漫画文庫版「マジンガーZ」は、いただけない加筆ヴァージョン本の100万倍素晴らしい。後発リイシュー本では『ジャンプ』連載エピソードが発表順でなかったり、『テレビマガジン』連載エピソードとゴッチャにされていたり、不可解な構成だったもんね。「マジンガーZ」も昔の加筆はあって、「ローレライ」篇でのマジンガーとドナウα1が戦うシーンを見比べてみると一目瞭然。でも、このシーンは「デビルマン」の加筆ほどにはタッチに落差が感じられないので左程不快感は無いというか、この場合に限っては加筆ヴァージョンのほうが好みという人もいそう。 

 

 

『マジンガーZ 1972-74 初出完全版』を全巻揃えるとなると、定価でも20,000円以上かかる。対して、こちらの講談社漫画文庫版なら全三巻の定価は2,500円もしない。サイズが大判かとかそういうのにこだわらない限り、誰にでも買いやすい復刻のほうがいいに決まってる。今のバカ高いリイシュー商法は考えなおしたほうがいい。本日の満点は読者が切に求めているものを的確に提供してくれた講談社編集部を称えての評価。内容となると、文字どおり竜頭蛇尾なのは言うまでもない。


 

 

 

(銀) 「デビルマン」はなんというか、文明批評みたいな面があったから永遠の大傑作扱いをされているけれど、「マジンガーZ」や「ゲッターロボ」のようなロボット系作品は勧善懲悪以外の要素が少ないため「デビルマン」ほどの評価は得られていない。でもキャラクター・デザインの素晴らしさは存分に楽しめる訳で、私のこのBlogの〝バードス島〟という名称も当然「マジンガーZ」からインスパイアしたものだ。 

 

 

もう一度、オリジナルである『ジャンプ』連載版「マジンガーZ」を読み返してみてもらいたい。ドクター地獄が世界征服のため送り込む機械獣というのは、元来ドーリア人の侵略に対抗すべく古代ミケーネ人が作った巨人戦士であり、何世紀もの間エーゲ海に浮かぶバードス島にそれらが隠されていたのをドクター地獄が見つけ出したというのがもともとの設定だった。リアルタイムで『ジャンプ』を読んでいた私はこの壮大なロマンがたまらなくてマジンガーを好きになったのだけど、第三エピソードでは早くもその設定が忘れられ、古代ミケーネ人とは関係がない〝にせマジンガーZ〟が出てくるんだよね。最後まで古代ミケーネ人の設定はキープしてほしかったけど昭和のヒーローものはすべからく世界征服を企む悪の組織はなぜかいつも日本ばかり襲ってくるというおマヌケな矛盾を背負っているのだし、多くを望む私のほうが間違ってるんだが。

 

 

漫画家・永井豪に関してはホントに言いたい事が山ほどあって。一回の記事ではとても語り尽くせないので、また別の機会に改めて吠えたいと思う。今日のところは『改訂版マジンガーZ』も『激マン!マジンガーZ編』も、どれもこれも只のゴミだと断罪して終わりたい。



 


2023年2月3日金曜日

『松川事件の犯人を追って』大野達三

NEW !

新日本出版社
1991年11月発売




★★★★    同じ禍が我々にも降りかかるかもしれない




 NHK『未解決事件』シリーズは昨年「帝銀事件」を題材にしていたが、本日は「帝銀事件」と並んで松本清張『日本の黒い霧』の中で取り上げられている戦後の謎に満ちた怪事件のひとつ「松川事件」について書かれた本を見ていきたい。昭和24817日午前3時すぎ、当時の福島県松川町を通過していた青森発上野行き上り蒸気機関車旅客列車が脱線・転覆し、乗務員三名が死亡。明らかに何者かによって脱線を目論んで事前に線路のレールを外す等の破壊工作がされていた。これが「松川事件」である。今回紹介する本は清張と対談したこともある大正11年生まれのジャーナリスト・大野達三の著書『松川事件の犯人を追って』。

 

 

 

 「松川事件」のおおよその流れはネットや文献を見ればすぐわかるから、この本の中で私が注目した点に絞って話を進めよう。『日本の黒い霧』の「松川事件」の章を読んでいて私がその不気味さに喰い付いたのは実行犯が誰かというミステリー以上に、事件の周辺でチラチラ見え隠れしている疑惑の存在、そして都合の悪い証言者となりそうな人達を追いかけてくる心胆寒からしめる口封じの魔の手であった。いつもこのBlogで書いている作りものの探偵小説とは違って、これらはみな実際に起きた事なので背筋が寒くなる。現代の日本でも同じような禍が私達に降りかからないとは決して言えないのだから・・・。

 

 

Point ①】

事件当日の深夜、列車が転覆する線路の近くを斎藤金作という男性がたまたま歩いていた。彼が自宅に辿り着こうとしたその時、背後から尾行してきたものと見ゆる男が「今夜見た事は決して誰にも口外してはならぬ」と告げる。その後もなにかとCIC(米陸軍諜報部隊)へ出頭を求められたりして只ならぬ恐怖を感じた斎藤は、横浜に住む弟のもとに身を寄せ輪タク屋をやっていたのだが、後日変死体となって入江に浮かんでいるのが発見された。『日本の黒い霧』の斎藤金作についての記述はこの程度だけれども、本書では更に突っ込んだ情報が提供されている。

 

 

全部書いてしまうとこれから読む方の楽しみを奪ってしまうから、最低限のチェック・ポイントのみ挙げておくなら、

 

      引揚者で、帰国後日本共産党に入党していた斎藤の過去

      斎藤の妻/弟/旧友といった近親者の証言

      松川事件弁護人/松本善明弁護士宛てに届いた、
          真犯人を名乗る者からの書簡をめぐる考察

 

斎藤金作も不幸な被害者だが、真犯人を名乗る者からの書簡が届いてからというもの、この松本弁護士周辺にも見えない触手が伸びてくる。戦後松本は東大在学中に日本共産党へ入党しており妻はあの童画家いわさきちひろ(!)。松本善明/ちひろ夫妻はおろか、松本家に住み込むお手伝いの少女・亀井よし子にさえ誘拐→監禁→帰阪後に怪死する事件が起き、その上帰阪後よし子に関係した幾人かまでもが行方不明あるいは死亡するといった奇妙な出来事が。これではまるでドイルの「緋色の研究」に描かれていたモルモン教徒のやり方と選ぶところがないではないか。 

 

 

Point ②】

次に興味深いのは〝松楽座〟という松川駅からほど近い芝居小屋にて、「松川事件」発生の数時間前まで興行をしていた〝日本少女歌劇団〟というレビュー一座。この一座だけでなく芝居小屋関係者が実に怪しい奴らだらけで、この点も『日本の黒い霧』ではさわり程度しか書かれてなかったが、本書ではもう少し手掛かりを得ることができる。他にも「松川事件」の予行演習とみられる類似事件とか、事件当夜線路付近にいた数人の背の高い男と遭遇したという土蔵破り・村上義雄/平間高司らの目撃談があったりして、とにかく面白い。「松川事件」の犯人は旧軍人で、シベリアからの引揚者だと推理する高木彬光の説も紹介。


 

 


 後半はなんと「下山事件」と、一冊で二倍楽しめる(?)構成。「下山事件」関連本は過去の項にて取り上げたので短く述べておくと、のちに〝自殺説〟へ宗旨替えするだけでなく、松本清張や他殺説主張者に対して過度とも思える敵意を見せた佐藤一(この人も「松川事件」容疑者のひとりとして当時挙げられていたが結局無罪)を、本書の著者・大野達三は非常におだやかな物言いながらも批判している。なにかと感情的なのが佐藤一の大きな欠点なんだよな。

 

 

私も当Blogの「下山事件」に関連する項で書いたように、下山総裁自殺説を採るとなると、轢死するため線路まで歩いていくのに絶対必要だった眼鏡が落ちてなかったのはどう説明するのか?という疑問に必ずぶち当たる。大野達三も同様に考えていたみたい。

中には下山総裁が数人の男たちに囲まれて車に乗っていたのを目撃したという(当時の佐藤栄作政調会長の秘書)大津正の証言を強く信じている文章もあって「うーむ、そっちのほうはどうかなあ」と私は思ったけど。大野曰く、五反野付近でうろついていた総裁らしき人物の目撃証言はどれも総裁本人を知らない人のものばかりであり、反対に大津正は総裁を知り尽くしているのだから、どちらが信用できるのか考えるまでもないといった見方。ネックになるのは〝車の中に乗っている下山総裁を見た〟って点でね。道端を歩いてる同士だったらまだしも、車中の人をそこまで断定できるかしらん。

 

 

 

 巻末には「秩父事件・スパイM、祖母のことなど」という小さな章もある。「下山事件」や「松川事件」が起きたのは、日本が共産主義に取り込まれぬよう米国が暗躍していた時代なので〝反共〟を抜きにしてはこれらの事件は理解できない。大野も日本共産党中央委員会法規対策部副部長という役職を歴任していたそうだ。今日の記事の中で、共産党だった人が何人も出てくる事実をなにげに見逃してはならぬ。

 

 

 

(銀) 「帝銀事件」もそうだし「下山事件」もしかり、一冊ですべてを網羅できている書籍というのはさすがに無いが、この本は読む価値があった。



佐藤一そして彼の著書『下山事件全研究』に大野が反論しているのはいいんだけれど、佐藤一が下山事件研究会員に反旗を翻す事になった理由が明確には書いてなくて、そこの部分が私は知りたかったな。佐藤本人の言い分だけじゃなく、第三者の公平な目撃談としてね。