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2023年8月23日水曜日

『真田十勇士』柴田錬三郎(原作)石森章太郎/すがやみつる(まんが)

NEW !

学習研究社
1975年7月発売(第2巻)



★★    マンガはこの先も復刻されなさそうだけど
          NHK人形劇の映像はやっぱりもっと観たい




前回のつづき、というか〝おまけ〟。
NHK連続人形劇が「真田十勇士」を始めるので、学研はそれにタイアップした描き下ろしマンガを売り出そうと考えた。ここからは、あくまで私の想像。

八犬士も十勇士も、言ってみれば歴史上の戦隊もの。戦隊もののマンガで真っ先に思い付くのは「サイボーグ009」、〝そうだ石森章太郎先生にお願いしよう!〟でも売れっ子の石森にこの仕事を引き受けられる余裕はとても無い。ならば石森のアシスタントで、三年前【石森章太郎(原作)】クレジットのもと『仮面ライダー』シリーズの作画を担当、正式デビューを果たしていたすがやみつるに描いてもらえばいいじゃないか。ストーリーの叩き台はNHKから番組台本を回してもらうかして、とりあえずキャラクターデザインのみを石森、それ以外すべての執筆はすがやにやってもらおう。

そんな感じで「真田十勇士」コミカライズ企画が始まったとみても不自然ではなかろう。

 

 

すがやみつるの『真田十勇士』を読むと、皮肉にも柴田錬三郎原作の良いところと悪いところがより浮き彫りになってくる。「新八犬伝」にはそれぞれの犬士ごとにわりかし知名度のあるエピソード(例えば女田楽師に化けた犬阪毛野が果たす父の仇討ち等々)があって、物語全体の流れもなんとなく掴みやすい。しかし「真田十勇士」は真田家の流転/豊臣vs徳川の睨み合いこそすぐ頭に浮かぶわりに、十勇士ひとりひとり大衆によく知られているエピソードが無い。「猿飛佐助の活躍譚って何だっけ?」と訊かれてハッキリ答えられる人がどれぐらいいるだろうか。

 

 

いや、なにも「真田十勇士」に見るべきところ無しと言ってるのではない。序盤で佐助の師匠・戸沢白雲斎を暗殺する地獄百鬼は柴田錬三郎作品にふさわしい妖気漂う悪役キャラで、のちのちまで物語に絡んできたりする。ただ十勇士の顔ぶれを見ると、立川文庫の時に存在していた海野六郎/根津甚八/望月六郎の三名は柴田錬三郎版「真田十勇士」では出てこなくて、その代わり高野小天狗/呉羽自然坊/真田大助が設定された。主役の佐助をはじめ三好清海/高野小天狗/霧隠才蔵/穴山小助には見せ場が多く持たされているからいいものの、残りの五名(筧十蔵/由利鎌之助/為三入道/呉羽自然坊/真田大助)は若干存在感が薄い。八犬士ほど全員に均等感が無いのは瑕瑾。十人って多すぎるのかも。

 

 

そういった弱点に加え、「真田十勇士」は当時の人形劇映像が「新八犬伝」以上に残っていないから尚更苦しい。その結果、読者が十勇士個々の印象的なエピソードを想起しにくいため、(前回の記事で紹介したノベライズ本『真田十勇士』にもやや同じ印象を感じたのだが)特にすがや版『真田十勇士』は話が超特急すぎてシバレンが人形劇のために創作したストーリーの味わいがガッツリと出しきれてないような感触が残るのだ。コミカライズなんてどれもそんなもんだし、まして本書はターゲットが小学生なんだから、改めて指摘するほどでもないんだけどね。

 

 

逆にマンガ版の良いところは、華やかさをグッと抑えて作られた辻村ジュサブローの人形に寄せることなくPOPに全キャラクターがデザインされているので、人形劇だと忍者にしては神経質そうで明るさが感じられなかった佐助が本書ではいかにも主役らしくハジけて描かれている点かな。作品全体を俯瞰するとシリアス6:コメディ4。巻頭ページがカラーだったりカバー裏面にも見る箇所があったり、子供向けにしてはよく出来ている本だと昔は思った。


                    

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ノベライズ本『真田十勇士』が一度だけでも集英社文庫より復刊されたその陰で、すがやみつる『真田十勇士』は意外にその存在を知られてないのか、カルトな需要に留まっているようにも見える。古書市場に全八冊セットで出ると結構な値が付いてしまうし、だから私は(たとえノスタルジー込みであっても)復刻を望んでいたのに・・・。ここまで来てしまうと、もう再発は実現しなさそう。

 

 

これも想像にすぎないが、十勇士というだけあって、本来学研サイドはすがやみつる『真田十勇士』を全十巻で完結させたかったのでは?日本放送出版協会版ノベライズ本が全六巻のところ全五巻で終わってしまった影響はこちらにもありそうで、本作の終盤はとんでもなく駆け足に終わる。真田家全滅ではいくらなんでも悲惨すぎるとNHKが危惧したか、人形劇では佐助たちが豊臣秀頼を蝦夷地(北海道)に逃がして終わるけれど、あの中途半端な終わり方も良くなかった。

 

 

真田幸村を題材に選んでしまった以上、〝滅びの結末〟にならざるをえないのは最初から解っていたこと。だったらどんなに悲惨なエンディングであれ十勇士は全員、主の幸村と共に討死して終わるべきだったと私は思う。





(銀) ノベライズ本もコミカライズ本もあまり良い評価にできなかったけれど、それは「新八犬伝」と比較しての話であって、このあとの連続人形劇「笛吹童子」「紅孔雀」「プリンプリン物語」「三国志」より「真田十勇士」が劣っているなんて言うつもりは毛頭無い。



これでもし近い将来「真田十勇士」の映像がドバッと発見され、それを我々が手軽に観られるような状況になったなら、今回抑えめにした評価はドカーンと跳ね上がるかもしれない。




■ NHK連続人形劇 関連記事 ■












2023年8月22日火曜日

『真田十勇士〈全五巻〉』柴田錬三郎

NEW !

日本放送出版協会
1975年5月発売(第一巻)



★★★    「新八犬伝」ほどウケなかった理由





大成功を収めた「新八犬伝」の次にNHK連続人形劇が企画したのは「真田十勇士」(昭和5052年)。「八人の犬士達がひとりひとり姿を現わして主君のため活躍する話がウケたことだし、今度は十人の勇士で行ってみよう」、スタッフの胸の内はそんなところだったんじゃないかな。「新八犬伝」と共通しているのは勇者の集結、そして前作に引き続いての辻村ジュサブロー人形制作。それ以外の面では一見同じような時代ものであれ、受ける印象はだいぶ違っていた。




「新八犬伝」のオリジナルである『南総里見八犬伝』が江戸時代から大衆に読み継がれてきた古典だったのに対し、「真田十勇士」の起源はややファジーで明治末期の立川文庫だと云われている。それなりに戦後の日本人に認知されてはきたが、「真田十勇士」には『南総里見八犬伝』ほど鉄板の原作がある訳ではなかった。柴田錬三郎に白羽の矢が立ったのは、彼のそれまでの著書の中に『真田幸村』『猿飛佐助』があったからだと思う。

 

 

TVで人形劇になった「真田十勇士」を当時の私はこんな風に観ていた。

〝悪くないんだけど、『新八犬伝』に比べると音楽(メイン・テーマ/挿入歌含む)も人形たちの表情も語り手のノリも渋すぎるし地味になっちゃったなあ。主人公・猿飛佐助の性格からしてナイーブというか内向きだし。〟

〝八犬士が仕える里見義実は名君なのに、真田幸村と十勇士が命を捧げる豊臣家の実質的な主であるオバハン(秀吉が死んだあとの物語終盤、このポジションに来るのは淀君)はヒステリーなだけで、秀頼は幼過ぎてとても徳川家康には太刀打ちできん。こんな豊臣家に忠誠を誓ったってバッド・エンディングにしかならないじゃん。〟

愚かな主(淀君)のために徳川家と戦うなんて、あの頃番組を観ていた子供達には共感を得にくかったんじゃないの?最後に勝つのは悪(=徳川)なのだから。

 

 

「新八犬伝」は最初から馬琴の原作を石山透がすべて再構築して脚本を手掛け、前に紹介したノベライズ本『新八犬伝』(下の関連記事リンクを見よ)では坂本九・名調子の下支えである石山透の脚本を損なわないよう、重金碩之がうまいこと文章に置き換えていた。でも「真田十勇士」の場合、この記事で取り上げているノベライズ本の作者は柴田錬三郎になってはいるが、彼は番組の脚本まではタッチしていない。ノベライズ本『真田十勇士』には前述の重金碩之のような代筆者がいたなんて情報こそ無いけど、シバレン自ら執筆したかどうか100%は信用できぬ。もっともこの記事の左上にある書影を見てもらうと〝私が書き下したこの本によって、ストーリーが展開しているのです。 柴田錬三郎なんてキャッチ・コピーが帯に刷り込まれており、微妙なことこの上ない。

 

 

ノベライズ本『真田十勇士』は平成28年に集英社文庫から復刊されたとはいえ、カバー表紙に辻村ジュサブローの人形写真をまったく使っておらず、当時の視聴者がすぐに気付くほど目に留まるような装幀ではなかったため、実にマズい再発だった。翌平成29年角川文庫から出た再々々発のノベライズ本『新八犬伝』は一応買ったが、集英社文庫版『真田十勇士』はあまりにも売り方がお粗末ゆえ買う気が起こらず。だからこの記事で紹介しているのは元本の日本放送出版協会版なのである。

 

 

日本放送出版協会版『真田十勇士』全五巻のほうなら手放しで褒められるかと言えばそうでもなく、日本放送出版協会版『新八犬伝』は挿絵の代わりに番組劇中のスチール写真をふんだんに文中に取り入れていたので、のちのちヴィジュアル面で記憶を辿るのに非常に役立った。それが『真田十勇士』になると、巻頭口絵として劇中のカラー写真を4ページ載せてはいるものの、文中の図版はジュサブロー氏の手になる簡素な挿絵に変更されてしまっている。う~、コレじゃないんだよ。図版の見せ方はノベライズ本『新八犬伝』を踏襲してほしかったのに。

 

 

いま手元にある当時刊行された日本放送出版協会版『真田十勇士』帯の広告文を見ると、【全六巻】と印刷されている巻もある(これも記事左上の書影を見よ)。全六巻?てことは実際五巻で完結してるから一冊早めに打ち切ったのか?このあたりの事情も池田憲章が健在だったら明らかにしてくれたかもしれないのだが、どういう理由によるものなのか私にはわからない。番組そのものは別に打ち切りで終わってはいないもんね。

 

 

 

(銀) 当時リリースされた連続人形劇「真田十勇士」公式本と呼べるものはここで紹介した日本放送出版協会版ノベライズ本全五巻/人形を接写した写真集『辻村ジュサブロー作品集 真田十勇士』に加えて学研から発売されたコミカライズ本(マンガ)がある。そちらも本日まとめてお見せするべく予定していたが、Blogを書いている時間がなくなってしまったので次回に繰り延べ。本日これまで。

 

 

  NHK連続人形劇/柴田錬三郎 関連記事 ■ 

 

『新八犬伝』石山透

★★★★★  新たにTV第86話が発見されたらしい !!  (☜)

 

『辻村寿三郎作品集 新八犬伝』

★★★★  『新八犬伝』と『真田十勇士』では人形の表情に大きな違いがある  (☜)

 

『第8監房』柴田錬三郎

★★★  どう贔屓目に見ても〝傑作〟ではない  (☜)





2022年3月1日火曜日

『第8監房』柴田錬三郎

NEW !

ちくま文庫 日下三蔵(編)
2022年1月発売




★★★   どう贔屓目に見ても〝傑作〟ではない




  「柴田錬三郎って最初から時代小説/剣豪小説の書き手として君臨していたイメージが持たれているけど、キャリア初期の頃は〈なんでも屋〉みたいなところがあって、ジュヴナイルもせっせと書いている。そういう出自のせいなのか、彼のミステリ作品を読んでると〈他と違う個性〉というよりは〈どこかしっくりこない感じ〉が残るんだ。あまりよろしくない意味での〈プロパー探偵作家の書くミステリとは明らかに異なる書き方〉とでもいうか。」

 

 

  「【幽霊紳士】にしても〝なんで喪黒福造みたいな幽霊なんだよ〟とか〝どうしてそんなにたびたび再発されるのか全然ピンとこない〟っていつも言ってますもんね。今回ちくま文庫から出た『第8監房』はどうです?」

 

 

◆ 甲  【平家部落の亡霊】なんてすごく面白そうじゃん?飛騨の山奥を走っていたバスが突然故障して、乗り合わせていた乗客達がやむをえず〈平家部落〉と呼ばれる、幽霊が現れると噂のある僻地に足止めされる。こんな設定があれば読み手は断然橘外男や大河内常平みたいなおどろおどろしいホラーを期待するのに、なんだか訳アリな乗客達のゴタゴタのほうがメインになってしまって亡霊の怖さが全然無く、最後に露顕するお化けの正体ときたら・・・期待外れ。」

 

 

◆   「なるほど。【盲目殺人事件】は〈めくら〉で性的不能者の画家を夫に持つ、箱入り娘として育った四十代の妻との逢曳を重ねていた不良青年がカネ欲しさに画家を意図的に穴に落下させて亡き者にしようとします。なんだか一時期のとんねるずのような事をしてますが、これは〈ムダな部分〉も無く、まとまっているような気がしましたよ。」

 

 

◆ 甲  「うん。その〈ムダな部分〉があると思わせるのが問題なんだ。【銀座ジャングル】は物書きの疋田壮一が手相見に〝銀座の裏面を見てみろ〟と云われ、零落れたスター・守屋与詩子の死に巻き込まれる話で、別れた疋田のカミサンは頭の足りぬ若い女とペアになって街娼をしており、疋田はわざわざカネ払って彼女たちを買ったりもするんだけど、一短篇の中にいろいろ枝葉を増やし過ぎ。もう少しシンプルでいいのに。このBlogの前回の記事に取り上げたNHK連続人形劇『新八犬伝』の次作だった『真田十勇士』も原作はシバレンだったんだけどさ、あそこでも宮本武蔵や佐々木小次郎が出てきて。果してこのふたりを出す必要はあったのかとも思うし。」

 

 

  「でも『新八犬伝』の脚本を石山透が請け負っていたように、『真田十勇士』の脚本はシバレンじゃなくて成沢昌茂らが担当していましたから彼らが付け足したのかもしれませんよ。話を戻して【第8監房】も〈枝葉が多い〉作品なんですかね。普通に考えるなら【第8監房】は 高森八郎という裏社会の一員に落魄れているけれど本来は仁義に厚い軍人という設定があって、プロットを彼寄りに絞り込んでもいい気はします。」

 

 

◆ 甲  「だろ?「【三行広告】は一応短篇ではあるけれど章立てが三つもある。美男美女の夫婦が互いに倦怠しきっており、おまけに彼らの家には夫婦の険悪な仲を中和させる為に夫の兄が娘を寄宿させている状況。この夫が怪しい出会い・体験を斡旋する秘密クラブに足を踏み入れるという、まあなんだか映画『アイズワイドシャット』みたいなところもある内容で、こうして見ると本書は風俗ミステリ的な側面も多分にあるね。」

 

 

   「そして後半の三篇、【日露戦争を起した女】【生首と芸術】【神の悪戯】は実話ものです。こんなのも書いてるんですね。」

 

 

◆ 甲  「本書の359頁に〝私は、もともと、フィクションとノン・フィクションを劃然と区別するのはおかしいと思っている。(中略)いかなる実話も、筆者の想像が加えられない筈はない。〟と語るシバレンの考え方が載っているけど、んなこたぁない。不肖私は〝フィクションとノン・フィクションを劃然と区別するのはおかしい〟と思うことのほうがおかしいと思っている。」

 

 

   「そんなややこしい物言いで字数を無駄に増やさないでください。」

 

 

◆ 甲  「でもね、探偵小説と探偵実話は全然別個のもんだと常に主張しているこの私でさえ、明治時代の少年臀部肉切り事件で名高い野口男三郎を描いた【神の悪戯】のほうが前半の創作五篇よりスッキリしていて引き込まれるもの。この事が柴田錬三郎の創作ミステリの弱さを暗に象徴してるんじゃないのか?だからシバレンについてずっと前から小説よりも人形劇『真田十勇士』を石森章太郎/すがやみつるが漫画化した学研刊『真田十勇士』全八巻(19751976年)をオリジナルのまま復刻しろって言い続けてるのに。」

 

 

   「あ~、でも大河ドラマで『真田丸』をやった年にもそんな話は浮上してきませんでしたし、なんかいろいろ裏事情があるみたいですから、あのマンガを復刻するのは相当ハードル高そうですよ。」

 

 

◆ 甲  「・・・・・・・。」




(銀) ネット書店のWEBサイトで調べてみると、2000年以降「眠狂四郎」を中心にコンスタントにシバレンの新刊は出ていて「へえ~」と思った。需要あるんだな。