2023年6月29日木曜日

『占領下の文壇作家と児童文学』根本正義

NEW !

高文堂出版社
2005年7月発売



★★★★   完全解明できそうもない書誌データを追った労作




 戦前の日本は空襲を受け刊行物があらかた灰燼と化し、敗戦直後の混乱期になると大人もの子供もの関係なく粗末な仙花紙本が濫造されたため未来に残す正確な出版記録など望むべくもなかった。だから昭和前期にはどんなジュブナイル探偵小説本が出ていたのか、その全貌を100%完全に解明するのはまず不可能。せめて我々は残存する単行本や紙資料を基に実態を追い続けるしかない。本書は日本が米国の占領下にあった時代の少年少女小説単行本情報を可能な限り調査した一冊である。但し書影の数は限られており、ヴィジュアル面まで期待してはいけない。




▰ Ⅰ(第一章)は少年少女小説の単行本を出していた出版社を、版元ごとに代表作となるものをリストアップしながら見せてゆく。まずは九十社前後にも及ぶマイナー出版社の数々を、あいうえお順に掲載。探偵小説に関係した出版社となると、湘南書房/愛育社/まひる書房/新浪漫社浅田書店/労働文化社/ともだち社/むさし書房/PHP出版社/世界社/六桜社あたりが目に付く。

 

 

続けて偕成社/光文社/ポプラ社/東光出版社/宝文館/講談社/河出書房といった比較的大手な出版社の大衆児童文学作品を紹介。さすがに偕成社/光文社/ポプラ社は少年少女小説に強いので本のデータ数も多く、それらの本の概況も記されているから作品内容を簡単に掴みやすい。宝文館は昭和36年に倒産したので現代では殆ど知られていないが、昔は勢力があった会社。上記七社の中では最もジュブナイル探偵小説と縁がない。

 

 

Ⅱ(第二章)は子供向け雑誌を取り上げ、『少年少女漫画と読物』『冒険活劇文庫』『冒険クラブ』『冒険少年』『少女世界』『世界少年』『東光少年』『少年時代』『少年少女譚海』『冒険ブック』『少女ロマンス』『まんがブック』にスポットを当てる。Ⅲ(第三章)は火野蘆平の少女小説論。Ⅳ(第四章)は「大衆児童文学の戦後史」と題し、総論というより適宜テーマを絞りこみ、昭和四十年代に少年少女雑誌が漫画雑誌に取って変わられるまでの流れを示す。

 

 

あとがきによると著者は〝本書は当初、三一書房の『少年小説大系』の「月報」に、昭和六十一年二月から平成三年六月まで、十一回連載した「大衆児童文学の戦後史」を、全面的に書き直して充実させたいという考えから出発している。〟と述懐。そして本書を書くにあたり、二上洋一蔵書も借用したそうだ。根本正義は日本の児童文学全体を研究している人だが、同じジャンルでも探偵小説に強い二上の協力には納得。根本は現在も健在な様子。二上は平成21年に亡くなっている。

 

 

 

(銀) 探偵小説の書誌に踏み込んだ本となると、森英俊とか実にウサン臭い輩が関わっていることが最近は多く、絶賛できるものがなかなか無い。本書にそういった古本ゴロの影が全くないのはとても気持ちがいい。90年代後半あたりからミステリの業界は二上洋一や根本正義みたいな真面目な人達を押しのけて探偵小説本を金儲けのネタにする古本ゴロどもがのさばり出し、図々しく研究者ヅラするようになってしまった。


 

盛林堂書房周辺の連中が売り捌いている、全く校閲をしておらずとても売り物とは思えない同人出版の新刊に対して何の批判もせず、「本が届いた。今日は良い日だ。」と喜ぶばかりの低能なユーザーが増えたのは森英俊や喜国雅彦ら古本ゴロどもの重罪。




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『欧米推理小説翻訳史』長谷部史親

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2023年6月26日月曜日

『女性軌道』大下宇陀児

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盛林堂ミステリアス文庫
2023年6月発売



★★      これはキッツイ



この小説の中でザ・ピーナッツへの言及がある。あの二人が歌手デビューするのは昭和342月で時期的に矛盾してはいないけれど、一年も経っていない同年の暮頃、そんなに早々と彼女達の存在を大衆は認知していたのかな。それにパンパン。昭和34年にもなって、まだパンパンをやってる日本女性はホントにいたのか?と疑問に思ったが、ネットで調べてみるとどうやらまだ棲息していたらしい。



『大阪新聞』に半年ちょい連載されながら単行本化・・・とはいえ『「新青年」趣味 ⅩⅦ』特集 大下宇陀児の「大下宇陀児著作目録」作成時には既に発掘されていたこの長篇。宇陀児が亡くなるのは昭和41年だが、なにせ本作の連載が始まった昭和34年11月以降、宇陀児の新作小説発表はほぼ無くなったと言ってよく、つまりこれは晩年の作品と呼んで差し支えない。そして一冊の本になって大変有難い反面、同時期に書き下ろされた長篇「悪人志願」の出来を考慮してみても過度の期待は禁物だろうな、そんな警戒心を抱きつつ『女性軌道』を読み始めた。

 

 

保健所に勤め、真面目で清純というか男性の免疫が全然無いウブな主人公・三船周子を中心に、戦後を生きる若者たちの青春群像を描いているだけで、探偵趣味の感触は全くしない。書かれた時代こそ違うものの、大坂圭吉『村に医者あり』(=「ここに家郷あり」)に近い明朗さ。外人相手に周子の友人・池辺紀子が販売しているレリーフ(押絵のようで羽子板のようなもの)には善渡爾宗衛の売っているゴミ本同様のバッタもん臭が漂い、そこらへんから一悶着起きそうな気配こそしているわりに折り返し地点まで読み進んでも何も起こらないので、ページを追いながらだんだん徒労感が増してゆく。

 

 

二人のアプレ青年(ひとりはオカマ)が犯罪を計画したり血腥い殺人事件に巻き込まれたりで、後半ようやくサスペンスの色合いが見えてくるけれど、それまでの流れがあまりにノンビリしていたため、探偵小説らしさを無理矢理挿入した風に映らなくもない。結局この物語は三船周子がどんな男性と結ばれるかが落としどころなので、だらしのないアプレ青年の不良性/或る男女の殺人、この部分が仮に存在せず全編当たり障りの無いエピソードに終始していたとしても、周子の行く末が成り立たなくなる訳ではない。それをどう受け取るか・・・。

 

 

宇陀児の名誉の為に言っておくが、本作における〝探偵小説らしい部分の唐突感〟というのは、年がら年中探偵小説を読んでいる人間(私だ)の偏向した見方から受ける印象であり、最後まで読み終えた上でストーリーテリングのテクニックだけ取り上げるなら、木に竹を接ぐ不自然さや大きなキズと化すところまで行っていない。あちこちに拡げた設定を取りこぼすことなく全て回収しているあたり、老いてもさすがの腕前。

 

 

権田萬治は大下宇陀児論にて、「ロマンチック・リアリズムとは巨視的な社会的視野に立つものではなくてむしろ庶民意識に根ざすもの」だと述べた。その意味で言えば本作をロマンチック・リアリズムの形容の中に包んでしまうことは間違ってはいない。だが本書解説で沢田安史の述べるまま何も考えず「女性軌道」をミステリ長篇と捉えてしまっていいのかな?この点に関してはもっと踏み込んだ議論があってしかるべきじゃなかろうか。

 

 

 

(銀) 仮に探偵小説的な内容でなくとも、小栗虫太郎「亜細亜の旗」や横溝正史「雪割草」のようになにがしかの緊張感があれば十分楽しめただろうが・・・。なるべく後ろ向きな感想にはしないつもりだったけれども、良いか悪いか好きか嫌いかと問われれば明朗小説がお呼びでない私にはキビしい作品である。本音を申せば★1つでもいいほど。ただやっぱり腐っても大下宇陀児だし、初めての単行本化を喜ぶ気持ちは勿論あるので★もう一個おまけ。

 

 

盛林堂御用達のYOUCHANという人が描いた本書カバー絵だが、池辺紀子は貞操も商売道具だと割り切る女なので金には困っていないキャラだからいいけど、他の女性たち(オカマの栗林君も含む)はみな地味もしくはビンボーゆえ、服装髪型ともこんなモードなファッションでいられる筈がない。時代考証/作品内容考証は正確に。 

 


 

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『「新青年」趣味ⅩⅦ 特集 大下宇陀児』 『新青年』研究会

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『地球の屋根』

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2023年6月23日金曜日

『リュウの道』石森章太郎

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講談社コミックス
1970年10月発売(第一巻)




★★★    神と人類




1968年、「2001年宇宙の旅」公開。その翌年にはアポロ11号月面着陸。宇宙/UFO/超能力/世界の魔境/ノストラダムスの大予言・・・核の脅威に世界が脅え、1970年代に入るとなお一層オカルトで非現実なものに若者が熱狂した時代。漫画の世界では手塚治虫「火の鳥/黎明編」が1967年にスタートしている。カオスな時流の中で「リュウの道」は1969年、子供向けTVアニメタイアップ無しのガチSF作品として『週刊少年マガジン』に発表された。本日紹介しているのは初刊本講談社コミックス全八巻。現在に至るまで再発回数が少ないのもあってか、過去の単行本のうちカバー表1(=オモテ表紙のこと)のデザインはダントツでこの講談社コミックス版が優れている。

 

 

【プロローグ】

シリウス第五惑星へ向け旅立つ日本初の恒星間旅行船フジ一号に単身無断潜入した柴田リュウ。船内で気を失っていたリュウを乗員が発見したのは地球を出発して三日後だったため、再び地球に戻ってくる四十年後まで彼は冷凍睡眠筒(コールド・スリープ・カプセル)の中に入れられ、長い長い眠りについていた。

 

リュウが目を覚ました時、フジ一号はある星に無事着陸していたが、既に全員死亡していた乗員達が書き残した航海日誌を読むかぎり、フジ一号は地球へ帰るよう自動操縦装置がセットされていたこと以外何もわからない。宇宙船の外へ降り立ったリュウはそこが自分の記憶とは全く変わってしまった地球(=日本)だと悟るが、原生林より双頭のヒョウ/猿人/異臭を放つ食肉植物が姿を現わし彼に襲いかかる。

 

 

グッとくるのはなんといっても重厚に描き込まれた背景画。『少年マガジン』黄金期に連載されていただけあって、今オトナが読んでも全然チャチではない。リュウがマリア(美少女)/ジム(マリアの弟)/ペキ(リュウに助けられた猿人)/アイザック(大量生産ロボットの一体)/一つ目小僧・ムツンバイ(奇形ミュータント)/ゴッド(事故に遭ったため自らをサイボーグに改造した老人)/コンドル(額に第三の目を持つミュータント)と出会ってゆき、謎の支配者に辿り着くまでの第一部(講談社コミックスでいうと第五巻まで)は☆5つ進呈したってかまわないくらいの面白さ。

 

 

ところが第二部へ突入して、イルカが人間批判したり日本の開国に反対する浪人が出てきたり、リュウとコンドルがニッポン島へ乗り込むあたりも公害問題を持ち出したはいいが、うまくエンターテイメント昇華できていないところに疑問が残る。しかも、最終局面を迎えて神と人類に対する言及が観念的になり過ぎ、広げた大風呂敷をキレイに納められなくて、カタルシスを得られないまま物語が終わってしまう。それがなんとも惜しくてならない。人類の未来を背負う運命を自覚する主人公だが、もしかするとゴッドやコンドルらと比べてリュウが一番キャラ立ちが弱くなってしまったような・・・気のせいだろうか?第二部なり結末に満足していれば、そうは思わなかったのかもしれないが。

 

 

私の手元にある講談社コミックス版『リュウの道』は全巻すべて初版ではなく昭和50年代の再刷だから絶対大丈夫だと断言はできないが、年代的にこの初刊本はギリギリ言葉狩りを免れているのではないか。講談社コミックスよりも後に再発された単行本でこれから「リュウの道」を全編お読みになられる際、

〝なんて気ちがいじみた世界〟

〝気がくるいそうだっ〟

〝人間の住んでいる部落〟

〝地球発狂論〟

〝生まれそこないかたわ者〟

〝小僧は・・・・おしじゃねえのか?〟

これらの語句がもし見当たらなかったら、その本は自主規制で歪められた言葉狩りの欠陥本だと思って頂いてよろしい。

 

 

 

(銀) 神と人類・・・・それは「火の鳥」や「デビルマン」でも見られた素材。対象が壮大なだけに、うまくエンディングを着地できればその漫画は傑作として持て囃されるけれど、見込みを誤ってしまうと折角そこまでよくできていても台無し。「サイボーグ009」にしたって地下帝国ヨミ編で完結しとけばよかったのに、そのあと未練がましく続けたあげく作品の価値を薄めてしまった。日本の漫画業界は雑誌連載が基本システムだから、いつの時でも続きものの長篇だとややこしい内部事情が漫画家サイドには発生するんだろうなあ。「デビルマン」の場合はアニメが終了するから『マガジン』の連載を早く終わらせろって編集部が永井豪に強要した結果、ああいうエンディングになり皆凄い凄いと絶賛するけれど、たまたま運が良かっただけの偶然の産物にすぎない。




2023年6月20日火曜日

『陰獸トリステサ』橘外男

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文潮社
1948年11月発売



★★★★    跛の不具者の苦悩

 

 

トリステサ(悲哀)とは犬の名前。本作は〝人獣同士のまぐわい〟がメイン・テーマだと云われがちである。しかしながら犬畜生のトリステサは自らの意志で、情欲に狂った人間のレイピストのようにドローレス・メツサリイノの身体を貪るのではない。彼は金と名誉に取り憑かれた愚かなるマダムを陥れるべく、ある不穏な人物の手でそういう性質に仕立てられており、ウーマナイザー同然の性的道具にされてしまったこの犬も、また被害者なのだ。この物語の最大のevilは、高慢ちきで人を人とも思っていないドローレス・メツサリイノ夫人だろうな。



主人公のロドリゲス・アレサンドロは少年時代から成人して銀行頭取になるまで常に裕福な環境にありながら、跛の不具者であるがゆえ唯一の理解者だと信じ切っていた友達のフロールにまで実は侮蔑されていた昔のトラウマが付き纏っている。こういうのは現実世界でもよくある事で、子供ってどんなに家が金持ちでも(例えばイジメとか)対人関係で心に傷を負わされると、その悪夢をのちのちずっと引き摺るケースは多い。

 

 

そんなロドリゲスの心の闇というか卑屈さにつけこんで、ドローレスが好き放題やりまくる前半に一息つける場面は皆無、救いがない。だが「青白き裸女群像」でもそうだったように、全てを悟ったロドリゲスが天誅を加えんと反撃に出る後半の展開は前半と対照的で、この強力なコントラストがあるからこそ橘外男作品はどんな気色悪い題材であっても読者を捉えて離さない。ありきたりのハッピーエンドには決してならないのもいいし。

そして「青白き裸女群像」しかり、「陰獣トリステサ」にも同じ方向性で書かれた別の橘作品が存在する。それは過去に取り上げた橘外男の本の中に入っているので、これまでupしてきた彼の関連記事のリンクを張っておくから是非探してみてほしい。



本書にはもう一作、短篇「スカヴアンゲルの一夜」を収録。第二次大戦末期の話で、ノルウェーに侵攻してきたナチスが村の女を輪姦、戦争によって人の心を失った軍人の冷血ぶりを被害者側から描いたもの。

 

 

 

(銀) 〝人獣同士のまぐわい〟・・・文中ではどんなまぐわい方をしているのか具体的な描写は無い。上記でウーマナイザー云々と書いたが、実際トリステサの●●●はドローレスの●●●に●●されているのか、それともトリステサが●でドローレスの●●●を●●●●しているだけなのか、気になるところではある。(あつかましい私でも、さすがにこれは伏字にせざるをえませんな)



思うに「陰獣トリステサ」は〝ケダモノに蹂躙される美女の災厄〟というより、黒岩涙香/江戸川乱歩「白髪鬼」の(いやマリー・コレリ「ヴェンデッタ」の、かな)〝悪女に陥れられた男の怨念〟のほうが、物語の成分の多くを占めている気がする。また単に、ロドリゲスの女の選球眼が悪すぎという見方もできなくもない。


 

 

   橘外男 関連記事 ■
 


『私は呪われている』

★★★★★   忌まわしき少女猟奇小説「双面の舞姫」 (☜)

 


『燃える地平線』

★★★★★   怪人・橘外男の語り口に酔いしれる (☜)

 


『予は如何にして文士となりしか』

★★★★★   探偵作家として括りきれない型破りな個性 (☜)

 


『皇帝溥儀/墓碑銘』

★★★★★   版元から三冊すべて購入すると先着で特典冊子『墓碑銘』が進呈 (☜)

 


『青白き裸女群像』

★★★★★   悪趣味なエログロばかりが本作の売りじゃない (☜)

 


『橘外男日本怪談集 蒲団』

★★★★   線香を焚きながら読みたい (☜)

 


『橘外男海外伝奇集 人を呼ぶ湖』

★★★★   ある意味では笑えるエグさ (☜)





2023年6月17日土曜日

『肌色の街』森田雄蔵

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光風社書店
1970年10月発売



     陥  穽

 

 

テキストの入力がムチャクチャな同人出版の新刊を毎回買って喜んでいるアホ丸出しの自称ミステリ・オタよりまだいくらかマシな例ですが・・・。

どんな内容か知りもしない古書を見つけたはいいけれど、自分の脳センサーが「こりゃ買ってもヤバイぞ」と伝えていて、それなら大人しくやめておけばいいのにミステリっぽいワードが散見されるからとついつい欲が勝って購入。いざ読んだらとんだ落し穴に嵌まっていた・・・そんなオマヌケ話を一席。



『あたしが殺したのです』の時は森田雄三、本書『肌色の街』は森田雄蔵として発表。ちなみに生前の彼は日本推理作家協会メンバーでもあった。

 

 

何年前だったか失念してしまったが、古書店に立ち寄った際、たまたま出くわしたこの本。一応『あたしが殺したのです』を書いた人の作品だし、なんとなく手に取ってみた(その時の光景はなぜかしっかり覚えている)。目次を開けば「ああ麝香臭の女よ」「火葬場はデラックス」とあって、長篇だけどシリアスな内容じゃないのは確か。文章にしても〝キマリというのは、お泊りのことです。身体を張って獲得した代償の金額を意味します。〟などと書かれておりコレジャナイ感がプンプン漂ってくる。だが生憎その日は他に買いたい本が全然見つからず・・・。

 

 

しつこくページをめくってゆくと〝自殺か他殺か判らない〟〝蝶々とボクの肉体関係は誰も知らないはず〟〝推理の根底となる証拠〟〝開けっぴろげの家だから、密室ではないと設定もしがたい〟〝染香には、蝶々を殺害する動機がないものでしょうか〟そんな断片が目に飛び込んでくるではないか。これはもしかして艶笑ミステリなのか?島久平や宮本幹也にだってその手の作品がある・・・とりあえず買って読んでみるか。そんな思いが脳センサーの警告を遮ってしまって、結局レジに持ってゆき会計を済ませた私だった。

 

 

さて、後日この本を読んでみると・・・人のいい料亭の男主人が禁を破って身近な芸者と懇ろになってしまうも、その女がガス中毒で死んでしまい、自殺か他殺か謎めく要素こそ終盤まで引っ張るわりには、なんてこたぁない全編のんびりとした只の花柳小説。森田雄蔵は雑誌『愛苑』に「現代 芸妓風俗史」なんて連載もしていて、そっち方面のほうが御執心だったのか。だったら〝推理〟とか〝探偵〟とか〝密室〟なんてワードを無闇に使わんといてほしいわ。下町風情豊かな芸者の世界だったり、ちっとも煽情的でない明朗ミステリが好きな人なら楽しめるかもしれませんが、私にとっては風俗ミステリと受け取ることもできず、稀に見る大ハズレでありました。その日の収穫が何も無いからといって、自分に必要の無い本をセコく買ってしまうのは品性あるオトナのする事ではありませんね。

 

 

 

(銀) 巻末に載っている(本書の版元)光風社書店広告ページには川上宗薫の著書がズラリ。要するにそういう事なのだろう。もっともその後には柴田錬三郎/中田耕治/高橋泰邦らの本も載っているが。 

 

 

   森田雄蔵 関連記事 ■ 


『あたしが殺したのです』森田雄三  ★  比類なきつまらなさ  (☜)






2023年6月15日木曜日

『近世説美少年録(下)』曲亭馬琴

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国書刊行会 叢書江戸文庫22 内田保廣(校訂)
1993年5月発売




★★★★   ❸ 濫 行 邪 淫




一年ぶりに「近世説美少年録」。

上巻➋の記事末尾にて「下巻(❸)へつづく」と告知しておきながら、何故こんなに間が空いたのかといえば、南総里見八犬伝」と違って、本作は大まかなストーリーさえ知られていない。ならば導入部分だけでも解り易くしておきたいと考え、当Blogとしてはかなり突っ込んで上巻のあらすじをお伝えしたものだから、最後までずっとネタバレも辞さないあの調子で行くのか?と受け取られるのは本意でなかった。それゆえ、このBlogを覗いて下さる方が「近世説美少年録」について書いていたことなどすっかり忘れてしまいそうな頃まで次の記事は寝かせておこうと思い、❸をupできるタイミングを計っていたのである。閑話休題。

 

 

今日の本題に入る前に一言。下巻の主人公【末松珠之介=末朱之介晴賢】を描写する際、作者・曲亭馬琴がちょくちょく使う形容がある。

 

便佞(べんねい): 口先は巧みだが、心に誠実さのないこと

 

上巻の終わりで、辛踏旡四郎の口利きにより近習として珠之介を引き受けた日野西中納言兼顕だったが、誠実ならぬ何かが珠之介の内に宿っている事を察知。兼顕卿はこう思うのである

〝特に怜悧(さかし)き少年なれども、その性便佞利口にて、進止(たちふるまい)に表裏(かげひなた)あり。(中略)善悪邪正は今よりして、料(はかり)知るべき事ならねども、この者成長したらんには、いかにしてわが為に、なるべき。

この珠之介の本性こそ、本巻の背骨になるのでお忘れなく。

 

 

 

中納言兼顕卿から香西元盛へ。仕える先が変わりながらも優美な男子に成長する珠之介だったが香西元盛兄弟の不和に端を発した事件に巻き込まれ、彼が流れ着いたのは備前国三石の浜。そこで生みの親・陶興房と感動の再会。珠之介は母・阿夏から叔父だと聞かされてきたため興房が実の父とは知らず、興房にしても阿夏との恋は不倫だったせいか、珠之介に自分が父だとは明かさない。

この再会からひと盛り上がりありそうなんだが、他郷に蟄居している身で珠之介と暮す事は許されないと言い聞かせる興房は武蔵國の扇谷朝興に仕官するよう珠之介に告げ、末朱之介晴賢の名を与える。ずっと興房の目の届くところに居たなら、この先待ち受ける珠之介の前途はもう少しマシなものになったのかもしれないのだが。

 

 


本書月報で高橋則子が述べているとおり、ここに至るまでの珠之介・・・じゃなかった朱之介は寵童として日の当たる道を歩くことができていたけれど、これ以降は転落の一途を辿るばかり。彼は扇谷朝興の命を受け大和國に赴いたところ義父・末松木偶介の先妻落葉と出逢う。姪の斧柄の命を救ってもらった恩義もあったので、落葉は斧柄に朱之介と婚姻を結ばせる。ところが、落葉・斧柄との同居は朱之介にとって息苦しいばかりか、夜の営みに何の面白みも無い斧柄に愛想を尽かし、とうとう他人の妻に手を出したところ相手はなんと美人局(つつもたせ)。さんざん金は巻き上げられるわで、騙されっぱなしの朱之介。

 

 

主君・扇谷朝興がそばにいないのをいいことに、命じられた仕事はそっちのけ、色事好き・酒好きの悪癖が全開になってしまった朱之介と比べれば、網乾左母二郎(「南総里見八犬伝」)のほうがずっとクールな色悪に思えるぐらい、本巻の主人公は冷酷な悪人どころか只のダメ男に成り下がってしまった。上巻で阿夏と珠之介を救った近江の福富家の面々が再登場したり、物語冒頭で滅ぼされた山賊・川角頓太連盈一味の残党がまたしても現れたり、阿夏が福富家に返してやった五色の玉が朱之介の手に巡ってきたり、序盤のエピソードにリンクする点は楽しめるけれど。

 

 

没落した福富家の孫娘・黄金(こかね)は左界で商いを営む母方の叔父・船積荷三太のもとへと遣わされ、不幸にして顔醜く頭も足りぬ荷三太の息子・桟太郎の妻になっている。朱之介は黄金とも再会するのだが、すっかり美しくなった黄金にまた懲りもせず手を出し、もう一人の荷三太の息子・城蔵から密通をネタに脅されてスワッピング状態。どうにも情欲を抑えきれない男達。こんな調子で、いまだ姿を見せぬ〝善〟の主人公・大江杜四郎と渡り合えるのか朱之介よ?

 

 

 

(銀) 「近世説美少年録」はここまで順調に書かれてきたけれども十三年の空白期間がある。それは天保の改革による取り締まりがやかましかったからだそう。この後の物語は「新局玉石童子訓」と改題し発表されるが、のちの世の翻刻本はどれも一括して『近世説美少年録』名義で発売。そのほうが営業面でもユーザーを混乱させなさそうだしね。だからこの国書刊行会版は初出にこだわった作りだといえる。

 

 

伝奇小説というよりドロドロした愛欲小説じみてきているが、朱之介が女に嵌まり込むくだりはそれほどつまらない訳でもなく退屈はしない。ただ、錦絵のようだった「南総里見八犬伝」(特にその前半)と比較してしまうと、どうしてもプロットにキメ細かさが欠けており、天啓の如き閃きが感じられないのは否めない。本巻に該当する部分を書き上げたあと馬琴は眼の異常を覚え始め、七年後にはとうとう失明。つまりこの後の「新局玉石童子訓」は「八犬伝」の終盤同様、息子滝沢宗伯の嫁・お路に口述筆記させながら執筆を進めなければならない状況にあった。

『新局玉石童子訓(上)』 へつづく。




■ 曲亭馬琴 関連記事 ■



『近世説美少年録(上)』









2023年6月13日火曜日

『火の鳥〈オリジナル版〉/04鳳凰編』手塚治虫

NEW !

復刊ドットコム
2020年11月発売



★★   〈オリジナル版〉を謳いつつ、その実態は言葉狩り本




  復刊ドットコムは2011年、「火の鳥」の初出誌連載ヴァージョンを【オリジナル版 復刻大全集】と銘打ってリリース。函入りハードカバー上製B5判(雑誌サイズ)全14巻。一冊あたりの価格は巻によって異なるが、だいたい7,700円~10,450円。この函入り仕様は今でもまだ市場に残っている巻がある。




全ての巻をまだ売り切っていないのに、やっぱり「火の鳥」はマネーになるのだろう。2020年になるとプライスダウンしたソフトカバーA5判12巻が再び発売される。私なんかは「火の鳥」に対してそこまで思い入れも無いし、一冊が7,000円以上もする昨今の豪華本コミックス商法には疑念を抱いているので、様子見するつもりで『04 鳳凰編』のソフトカバー版を入手してみた。もともと「鳳凰編」2011年版の函のデザインも好ましいと思ってなくて、ソフトカバー版の落ち着いたカバーデザインのほうがずっと良かったから。(2020年ソフトカバー版『04 鳳凰編』の価格は4,290円)


2011年の函入りハードカバー『火の鳥(オリジナル版)/04 鳳凰編』


先程も述べたように、この復刊ドットコム版は雑誌『COM』に連載された時の初出ヴァージョンを初めて単行本化したものゆえ、通常の単行本では見ることのできない各回の扉絵が元通り収められているし、コミックス収録にあたって手塚治虫が加筆・修正するその前の構成が楽しめる。「火の鳥」は妹が昔持っていた90年代の角川文庫版以来の再読だったのもあって、異なるヴァージョンで読めるのは嬉しいものだ。

 

 


 「鳳凰編」は「火の鳥」全エピソード中、間違いなく三本の指に入る傑作だし、どなたでも一度ぐらいはお読みになられた経験があると思うが、生後まもなく父親の不慮の事故によって、片目片腕になってしまった我王の物語である。私は今『COM』を手元に持っていないけれども、我王について連載時には〝カタワ(片輪)〟〝めっかち〟と形容していたそうだ。ところがこの復刊ドットコム版は初出に忠実な【オリジナル版】を謳っておきながら、〝カタワ(片輪)〟〝めっかち〟という言葉がどこにも見つからない。結局、角川書店や講談社など大手出版社の本と何ら変わりない言葉狩りが横行している。〝こじき〟〝気がくるった〟はOKで〝キチガイ〟〝白痴(こけ)〟はダメだという釈然としない倫理観。

 

 

復刊ドットコムって復刻・復刊が主力の会社だろ?「火の鳥」にやらかした要らざる語句改変が果たして手塚プロダクションのルーティーンなのか、それとも復刊ドットコムの方針なのか私には解らないが、どっちにしろこんな高すぎる価格を設定しといて言葉狩りが当り前ならば、復刊ドットコムはまことに信用ならない会社だ。他の復刊ドットコムの本を積極的に買う気なんて、これっぽっちも湧かないけれど、もし機会があったらチェックしてみないとな。

 

 

 

(銀) 私のBlogで取り上げてきたマンガは、内容的にはどれも皆好きなものばかりなんだが、ポリコレ自主規制のもとで再発されたコミックスは減点せざるをえないのがツライ、というか腹が立つ。復刊ドットコムの『火の鳥』なんて【オリジナル版】と言っているのに語句改変って、詐欺じゃん?こんな風に昭和のマンガは探偵小説とは比べものにならないほど言葉狩りの標的にされ、正しい形でリイシューされる機会は殆どない。「発売当時のまま!」とか、「オリジナルどおり!」とか、嘘っぱちの売り文句に騙されてはいけない。

 

 

まったくテキスト校閲をしていない善渡爾宗衛のゴミ本を買う奴らもそうだが、こういう欠陥品を考えなしにホイホイ買う莫迦が多いのも諸悪の根源のひとつ。LGBTなんてやる必要のない法案など全部チャラにして、ポリコレ自主規制病から日本の創作物を守ってくれるような正常な感覚の政治家が誰かひとりぐらいいないのか。




■ 手塚治虫 関連記事 


★★★★★  誰でも気軽に買えないような売り方は嫌だが内容的には満足 (☜)




2023年6月11日日曜日

『嬰児虐殺』倉田啓明

NEW !

東都我刊我書房  片倉直弥(編)
2023年6月発売



★     しまいにゃ隠れてコソコソ本を売り出すクズども


 

いつもなら東都我刊我書房が新刊を発売する際 twitterで事前に告知をバラ撒いているが、足りぬ頭の彼らでもちっとは「ヤバイ」と察し始めたのか、倉田啓明新刊『嬰児虐殺』に関する情報はコソコソ目立たぬよう公開され、発売前日に通販サイト「書肆盛林堂」内で〝明日(610日)朝11時『嬰児虐殺』発売開始〟と更新、同じく盛林堂書房店主・小野純一のパシリをやらされている古本ツアー・イン・ジャパンこと小山力也のブログで『嬰児虐殺』発売について言及、あと盛林堂による発売当日午前11時通販開始のツイート、表向きはこの三つだけだったそうな。

 

 

どうせ裏で、莫迦な連中をターゲットにDM使ってこっそり知らせる事だってやろうと思えば可能だし、また実際まんだらけや神保町PASSAGEでシレッと『嬰児虐殺』は売られている。いくら倉田啓明だからって、いまだにテキストが崩壊した東都我刊我書の本を必死になって買っているのはどんな人間なのか、いっぺん顔を見てみたいと思いません?少なくとも小説を読んで楽しむ脳味噌を持ち合わせていない御仁なのは確かでしょうがね。

 

 

『嬰児虐殺』の内容がまた盗人猛々しく、過去に盛林堂ミステリアス文庫として出した『我が屍に化粧する』のうち、「龍宮歌舞伎」「影売若衆」「花夜叉の怨霊」「刺青屏風」「女装の死刑囚」「嬰児虐殺」「白金の義歯」だけを抜き出すだけでなく、龜鳴屋の『倉田啓明譎作集/稚児殺し』から「人魚の肉」をかっぱらってきている。『我が屍に化粧する』が高値取引されているのにつけこんで、手軽にあぶく銭儲けしようとする魂胆みえみえ。それなら盛林堂ミステリアス文庫の『我が屍に化粧するをそっくりそのまま増刷すればいいだけの話だろ。『我が屍に化粧する』から半数も落していながら、価格はプラス2,000円上乗せして相変わらずぼったくりの5,000円。

 

 

テキストはどうよ?ってですか。そりゃ私、龜鳴屋版『稚児殺し 倉田啓明譎作集』と盛林堂ミステリアス文庫版『我が屍に化粧する』は所有してるし、いくら人柱となって毎回ボランティアでゴミ同然な本のレポートをしているったって、今回は買いませんよ。それに買おうが買うまいが意固地な善渡爾宗衛が自分で本を制作している以上、正しいテキスト入力をする可能性はゼロ。本書の編者は片倉直弥になっているけれど、善渡爾宗衛があんなヒドイ作りで『倉田啓明文集』を復刊しといて、何事もないかのように『嬰児虐殺』が続けて発売されるのだから、片倉直弥が善渡爾と同じ穴の貉なのも確定。まともな感覚の持ち主なら善渡爾や小野純一らのやっている事をほっとく筈がないものな。

 

 

 

(銀) 五年前にレーベル名:暗黒黄表紙文庫で盛林堂を経由して販売された大下宇陀児『空魔鉄塔』。この本のクレジットは編者:善渡爾宗衛となっていながら巻末の文章は番場ハジメなる人物が執筆していた。協力者への謝辞も述べられているのだけど、本文レイアウト担当者として片倉(直弥)の名前は出て来るのに、善渡爾の名はなぜか一切無い。

 

 

片倉直弥も善渡爾の偽名のひとつかと疑っていたが、〝番場ハジメ〟のほうが〝紫門あさを〟と同様、善渡爾本人のようだ。なんでもいいけどこの情報も善渡爾宗衛を訴える予定のある方々のご参考になれば幸いでーす。




■ 倉田啓明 関連記事 ■


『倉田啓明文集/附 一圓タクシー』

★  龜鳴屋版『倉田啓明譎作集/稚児殺し』は宝物だが東都我刊我書房のこの本は汚物☜)

★  善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳、

そして盛林堂の小野純一よ、一体いつまでこんな酷い本を売り続けるつもりだ?☜)



 


2023年6月9日金曜日

『黑バラの怪人』武田武彦

NEW !

ポプラ社
1955年1月発売



★★★★    氷上を滑りくる生首




 この人はジュブナイルにおける翻訳/リライト仕事にばかり目を奪われてしまうが、『探偵雑誌目次総覧』をチェックすると蘭妖子名義も含め、そこそこ短篇を書いているのが解る。単行本一冊ぐらい楽に作れそうなものだけど、彼の存在を気に掛ける人が誰もいないのか、武田武彦の創作探偵小説を集めた書籍を望む声はどこからも聞こえてこない。

 

 

そんな武田の数少ない創作探偵小説著書『黑バラの怪人』。勿論これもジュブナイル、というか初出はどうも昭和27年の『少女の友』に連載された「薔薇悪魔」らしい。たまたまネットを見ていたら、ヤフオクで以前出品されていた『少女の友』の画像の中に武田武彦が連載している長「薔薇悪魔」のページを写したものも含まれており、そこから読み取れる章題と登場人物名より「薔薇悪魔」=「黑バラの怪人」だと判断したのである。初出誌を各号読んだ訳ではないから、改題以外に本文はどの程度異同があるのかないのか、そこまで詳しい調査はしていない。

 

 

 十四歳の少女・進藤洋子は、夜は銀座の花売り娘だが昼は黑田千恵バレエ団の花形で、日本初の氷上バレエ「不思議の国のアリス」出演が決まっている。彼女は街頭で片目の老船長と名乗る男から預かった小さなボール箱を主人公アリス役の妹尾ゆり子へ渡す。中身は眼玉のないゼンマイじかけの道化師人形で、そいつはこんな歌を唄い始めた。 ♪ わたしゃ悲しい盲目(めくら)の道化師(ピエロ)、紅い血吸って、生きている・・・・・ 道化師人形の出現と共に〝薔薇島の秘密〟をめぐる連続殺人の幕が切って落とされた。片目の老船長、そして男か女かわからぬ西洋悪魔のような謎の人物・黑バラの怪人、そのしもべらしい猿神太郎。彼らはいったい何者?

 

 

「黑バラの怪人」といってすぐ私の頭に浮かぶのは、氷上バレエの公演中スポットライトを浴びているゆり子に向って、血まみれになった青白い生首が氷の上を滑走してくるシーン。武田武彦は宝塚歌劇ファンだそうだが、残虐美をフィギュアスケートに取り込んだこのアイディアは忘れ難い。この生首滑走があるだけで、本当なら満点にしたかったぐらいの名場面。終盤には「サロメ」とヨカナーンの首も出てくるし、十代前半を対象とした昭和20年代の少女小説にして、ちっとも手加減してないのもいい。早く復刊すればいいのに、これ。

 

 

 

(銀) 武田には大人ものの探偵小説で、『踊子殺人事件』という薄っぺらい岩谷文庫の著書がある。それ以外にも、『探偵雑誌目次総覧』にカウントされている小説(「雪達磨事件」「殺人電波」「舌は囁く」「蝦蟇供養」「毒薬」)ほか数作、また蘭妖子「天の鬼」「二個の死体」「山がら事件」等、これらを一冊の本に纏めてみたら意外に佳作があるかもしれない(ないかもしれないけど)。




2023年6月8日木曜日

『曠野に築く夢』大庭武年

NEW !

大陸書館(楽天ブックス POD)
2023年5月発売



★★★★   強制終了
   



以前ワタシに喧嘩を売ってきた大陸書館(=捕物出版)の長瀬博之。その詳しい模様はコチラをどうぞ。

 

🕷 他人の小説を、テキストの最終チェックもせずに平気で売り捌く愚人達のこと①  

🕷 他人の小説を、テキストの最終チェックもせずに平気で売り捌く愚人達のこと②  

 

自分の暴言は棚に上げて「イヤなら買うな!」だのツベコベ言うので、向こうの要望どおり大陸書館/捕物出版の新刊はこのBlogで無視してきたが、例の盛林堂書房周辺の連中(善渡爾宗衛/小野塚力/杉山淳)がいつまでたっても悪質極まりない本の販売を止めないから、「大陸書館(=捕物出版)のほうも同じ状態なんだろうか?」とふと思い、ちょうど大庭武年の未刊長篇が出ていたので読んでみる気になった。

 

 

本書に収められた「曠野に築く夢」は昭和63月から6月まで『満洲日報』に連載されるが突然打ち切りになった作品(その点については後段で触れる)。言うまでもなく大庭武年のホーム・グラウンドである満洲を舞台にしたストーリー。支那南方政府の大官ながら亡命して今は大連に居を構えている黄宝廷のもとに、昵懇の間柄たる老翁・呉雨亭が訪ねてきて十万弗貸してほしいと迫るのだが、断固として黄は拒否するばかり。ふたりの口論が殺人事件に発展し、我らが郷英夫警部登場。彼の容貌は〝眉目秀麗の偉丈夫〟と表現され、なんだか短篇の時よりも男前度数が幾分かupしている感じ。本書60頁には黄宝廷が殺された書斎の略図が掲げてあるので、これだとつい本格風のストーリー展開を期待してしまうが、なかなかそうはいかない。

 

 

ロシア人老将アレキサンドル・ワシリッチ・スミルノフ、そして彼の息子達セルゲイやミハエルはなにやら秘かにクーデターを計画しているし、バンプな若き未亡人・山村斎子は伴雍一という年下の燕に入れ込んでおり、わざわざ東京から飛んでくるものの伴がつれないので日英混血不良青年ジョンニィ・スミスと火遊び。そんな風に話がいろんな方向へ枝分かれして先が見えない。中盤を過ぎた「癮者の秘密」の章に至ると、しばらく見せ場がなかった郷警部が黄宝廷殺人事件に関する推理を語り始め、あっちこっちに散らばったエピソードが収束モードに入りつつある?と思わせたところで連載中止。ええ~っ、嘘だろ?

 

 



中絶した他の探偵小説案件と本作が異なっているのは、書ききれなかった「曠野に築く夢」登場人物の行く末を連載中断告知の中で作者・大庭武年自身がわりとハッキリ明かしている事。これを読むかぎり、大庭が執筆に行き詰ったようには見えない。そうなると『満洲日報』側から連載中止を言い渡された可能性しか残らないが、〝社にも色々の方針があり、僕にも又多少の創作態度がありますので、兎に角談合の末、当小説は「七十四回」限りで、一先ず打ち切る事に致しました。(中略)社の方からは、終結に到るまでの筋書を ― と言うんですけれど、さアどうしたものでしょうね? (中略) 又いつか続きを書きます。その時ゆっくり読んで下さい。〟と語る大庭の言葉を我々はどう受け取ればいいのやら。

 

 

阿片窟のシーンとか(阿片はインポテンツによく効くって書いてあって笑った)、当時としては煽情的かもしれない山村斎子の振る舞いとか、退廃した描写は多々あるけど別に連載を打ち切られるほどのものとも思えぬ。では満洲に対する支那人やロシア人の暗躍が関東軍のお気に召さずに注意された?それもどうかな。『満洲日報』が合併されたり休刊していたかといえば、昭和6年の時点ではそのような気配も伺えない。中絶の理由はグレーだが最後まで完走できなかったのが悔やまれる。

 

 

長瀬博之のテキスト作成を見ると、善渡爾宗衛の信じられない崩壊テキストを毎度毎度読まされているせいか、本書は普通に真っ当な作業を行っているように感じた。冒頭にて連載開始直前の「作者の言葉」を載せているのも良し。本来「ハハーン」であるべき箇所が「はハーン」になっていたりしているぐらいで、こんなのは昔の新聞の植字ではよく見かけるレベル。こうして他の自主出版を眺めてみて、盛林堂書房周辺の人間だけが飛び抜けて常軌を逸してるんだなと改めて再認識。まあどんなに大陸書館の本を褒めようとも訳のわからん理由で長瀬博之がキレてああだこうだ言ってくるのは目に見えてるし、好意的な物言いもこの程度にしておく。

 

 

 

(銀) 大庭武年の記事を書くので『大庭武年探偵小説選』Ⅰ/Ⅱを引っ張り出してきた。横井司は十七年前「曠野に築く夢」について、〝本叢書への収録を見合わせたが、別の形での刊行を予定しているので、ご期待いただきたい〟と記している。果して横井の考えていた〝別の形での(「曠野に築く夢」の)刊行〟とはどのようなものだったのだろう?



■ 大庭武年 関連記事 ■

『大庭武年探偵小説選Ⅰ』 ★★★★★  満洲の探偵小説家 ☜)





2023年6月7日水曜日

『聖惡魔』渡邊啓助

NEW !

春秋社
1937年6月発売



★★★★   三十代半ばながら、まだまだ若書きの感




 前回に引き続き今回も渡辺啓助。春秋社版『聖惡魔』は二冊目の著書。この頃長篇「鮮血の洋燈」を書き上げるつもりでいたそうだが結局完成に至らず、同作が「鮮血洋燈」として発表されるのは昭和31年まで待たなければならない。教職がまだ本業の時期であり、啓助は昭和11年に福岡県八女から茨城県龍ケ崎の女学校へと転任している。福岡にて数年過ごしていたのだから、もしも夢野久作と頻繁に交流していれば、お互いの創作へプラスになる何らかの影響を与え合う可能性もあったのではないか。

 

 

 冒頭を飾るのは〝ですます調〟で語られる「血のロビンソン」。『血ぬられたる花』と刻印されし一冊の寫眞帖が、市俄古(シカゴ)の古物商が所有する長椅子の中に詰め込まれてあったところから始まり、日本娘を含む各国の美女殺害を記録したこの寫眞帖の制作者である西洋人・ロビンソンのアイロニカルな最期で結末を迎えるのだけれども、物語の軸となる寫眞帖が太平洋を渡って遠い日本にいるロビンソンのもとへ辿り着く展開は若干都合が良すぎるというか、短篇にしては舞台を移動しすぎじゃない?

 

 

次の「幽靈莊に來た女」もおどろおどろしい出だしで煙幕を張っておいて、女性への憧憬に着地するオチのパターンは変わらず。「聖惡魔」でも聖職たる牧師でいながら、現実の場で信者に接する態度とは真逆の不幸を悦ぶ『悪魔日記』をつける行為に主人公は快感を得ている。これまた前述の美女殺害を記録した寫眞帖と共通する妄想の産物。『新青年』は昭和121月号掲載の「聖魔」を皮切りに、嘱望する新人に連続して短篇を発表させる企画を渡辺啓助にも課したのであった。

 

 

「血蝙蝠」に登場する玉之助少年は生い立ちが不幸なばかりか〝めっかち〟というハンデを背負っている。この短篇を読むたび思うのだが、玉之助は十分過ぎるほど幸福に縁が無く、わざわざ〝めっかち〟にまで設定する必然性が私には感じられない。渡辺啓助自身、幼い時分顔に火傷を負ったつらい過去があり、それが一生拭い去れぬコンプレックスとして彼を苦しめたに違いない。玉之助だけでなく、啓助の作品にはそういったキャラクターが時々描かれる。炭鉱爆発事故で顔を焼かれ、繃帯無しでは夫人と共に生活できぬ境遇にある「屍くづれ」の鳥栖十吉などまさにそうで、啓助の心の奥底にあるコールタールのような愁嘆が反映した造形と見るのは穿ち過ぎだろうか?




かと思えば「タンタラスの呪ひ皿」の怨み重なる相手を白磁の皿の中に閉じ込める趣向なんてのは江戸川乱歩某短篇の影響あり。連続短篇も五作目「決鬪記」となるとそれまでとは趣きを変え【成績は優秀だがひねくれ者で、腕っぷしゼロの諸井蒼十郎】と【国粋派でジャイアン・タイプの安達玄】、このふたりの大学生を対立(?)させる。この両者ともウザいキャラゆえ、読み終わってスッキリしない。たった一滴で人を殺せる〝殺人液〟、そして家賃を納めない大学生との間で煩悶する家主・お牧の騒動を描く「殺人液の話」。ここまでの六作で連続短篇企画は終了。





耳へのフェティシズムをテーマにした「紅耳」。これも啓助独特の女性憧憬の表われの一種なのかもしれないがグロ味もたっぷり。切り落とされた妖しく美しい耳に対し〝何かマヨネーズでもかけてペロリと食べて仕舞ひたい〟って、いったいどんな趣味よ?。「死の日曜日」はその内容以上に、戦前ながら〝ギャグ〟や〝タイアップ〟といったワードが使われていて少々ビックリ。小林信彦がたしか自著の中で「日本人が〝ギャグ〟という言葉を意識し出したのは戦後になってから」みたいな事を書いてたようにずっと思い込んできたけど、それって私の勘違い?

 

 

「悪魔の指」は昭和24年に単行本の表題作にもなっている。哲學者・玉井有隆は生前、フランクフルトに留学していた時代の事だけは周囲の仲間にも話そうとしなかった。しかも獨逸から帰国した時、彼の片手の中指は無くなっていた。一見、日本男児と欧州女性のロマンス風に見せかけてはいるが、その実態は不義。本書収録作のうち最も発表が早い昭和10年の暮に発表されたからまだよかったものの、もし昭和13年以降だったら「日本の男が毛唐の女と密通するなんて絶対許さん!」って規制されていただろうね。巻末の「ニセモノもまた愉し」はエッセイ。各作品解説ではない。

 

 

 

(銀) 渡辺啓助という作家は、頭の中に浮かんでくるイメージの断片をパッチワークして小説を組み立てているような印象が私の中にあり、決してストーリーテリングに長けた作家ではない気がする。長篇に良いものがなかなか見つからないのも、そこらあたりから来ているのではないか。