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2023年7月3日月曜日

『不木・乱歩・私』岡戸武平

NEW !

名古屋豆本 㐧三十二集
1974年7月発売



★★★   豆本のボリュームではあまりに少量すぎて



大人の手のひらに収まりそうな大きさの、いわゆる豆本と呼ばれるアイテム。〈名古屋豆本〉を刊行していたのは中日新聞社系列の「名古屋タイムズ社」社長だった亀山巌。〈名古屋豆本〉は一冊三百部限定で制作され、亀山がひとりで発送作業を行い購読者へ郵送していたという。



〈名古屋豆本〉の書き手として、戦後故郷の愛知に定住し名古屋の名士になっていた岡戸武平に白羽の矢を立てたのは亀山からするとごく自然な成り行き。その岡戸が豆本の題材に選んだのは小酒井不木江戸川乱歩。もともと岡戸は名古屋新聞東京支局勤めで、大正九年に大阪時事新報社へ移る。そこに在籍していたのが平井太郎(=乱歩)。若い頃の岡戸は酒と女に散財、おまけに不摂生もたたって大喀血するのだから横溝正史と全く同じパターン。昔はこんな人、なにげに多かったんだろうな。

 

 

結核には勝てず全快するまで五年間療養所暮しを余儀なくされるが、不思議な縁から小酒井不木博士の著書『闘病術』(勿論これは探偵小説ではない)を共作するチャンスが巡ってくる。この本はよく売れて、印税5050とはいえ岡戸には良い収入になったに違いない。しかしその不木も昭和四年、急性肺炎で帰らぬ人に。不木の書生みたいな立場にあった岡戸は主人の葬儀を取り仕切らねばならず、ここでようやく乱歩と再会を果たすのである。

 

 

「あの男は見込みがある」と思われたのか、同昭和四年夏には博文館に招かれ、森下雨村や横溝正史のもとで働きつつ改造社版『小酒井不木全集』の編纂も手掛ける忙しさ。私は探偵小説界や博文館内部の秘話を沢山知りたいのに、好色な武平ときたら本書でも自分の浮気や小酒井不木に囲われていた疑惑がある女性のエピソードなど、本当は下世話なネタばかり語りたそう。なんにせよこの本、たった60頁弱ではあまりに薄すぎる。豆本ではなくどうして普通の単行本ぐらいのボリュームで戦前探偵文壇回顧を書いてくれなかったのか。いくら岡戸が手掛けているからって愛知の企業史なんか一生読まんわい。

 

 

 

(銀) 博文館の雑誌を読んでいると、細谷茂傳次という人が時代小説を書いているのをちょくちょくみかけるが、この作家が何者なのか詳細に書いてある文献には出会ったことがない。本書の中で岡戸は少しだけ細谷茂傳次にも言及していて、酒癖が悪く芸者買いが大好き、横溝正史は彼をヒイキにしていたそうだ。細谷みたいな、文壇史にその名が全く残っていない作家の情報を得るためにも『不木・乱歩・私』は『筆だこ』(探偵文壇とはちっとも関係ない岡戸の随筆集)ぐらいガッツリ枚数をとった本にしてほしかった。



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春陽文庫『蠢く触手』を再調査すること  (☜)




2021年2月20日土曜日

春陽文庫『蠢く触手』を再調査すること

NEW !














前回の記事で、春陽文庫が90年代に出した名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉のテキストは全く信用できないシロモノだと書いた。となれば210日の記事にした同シリーズの一冊である『蠢く触手』もそのまま見逃しておく事はできぬ。本当ならば初刊本と春陽文庫を両方並べて逐一比較すべきなんだが、それだとかったるいので1932年に出た新潮社「新作探偵小説全集」の『蠢く触手』初刊本を速読、水谷準『殺人狂想曲』だけでなくこの作品もテキスト比較を行う。じっくり時間をかけてはいないので、もしかしたら見落としがあるかもしれんが読者諒せよ。 

 

上段は春陽文庫版『蠢く触手』のテキスト

下段は新潮社版初刊本『蠢く触手』のテキスト(○)

私が気になった箇所をピックアップしたのがこちら⤵ 


A

いまごろは奴ら無茶苦茶に走っているよ(   902行目

今頃は奴等盲目滅法 めくらめつぱふ  とルビあり)に走つてゐるよ  (○)

 


B

気狂い自動車のように走るぞ()         1064行目

狂人(❛ きちがひ ❜ とルビあり)自動車のやうに走るぞ(○)

 


C

お米の奴ずらかったかもしれないよ(下線部に傍点あり)    11015行目

お米の奴つらかったかもしれないよ(下線部に傍点あり)(○)

 


D

いや、ぼくは案外総監辺りのきんたまを(下線部に傍点あり))    1877行目

いや、僕は案外總監あたりの睾丸を(❛ きんたま ❜ とルビあり)(○)

 


E

そこには何かの秘密がされていのであろうか              21711行目

そこには何かの密が❛ ぞう とルビあり)されていのであらうか (○)

 


F

舶来乞食か狂人としか    ()  24313行目

舶来乞食か、狂人としか (○)

 


G

部屋へ入るなりすぐ腰を屈めて ()   34614行目

部屋へ這入るなりすぐ、せむしのやうに腰を踞めて(下線部に傍点あり) (○)

 


H

ソノ夜ハ気違イニナルホド        42413行目

ソノ夜ハ氣チガイニナルホド  (○)

 

 

元々『蠢く触手』は『殺人狂想曲』ほど言葉狩りされそうなワードを含んでいないのもあって、それほど語句改変されている感じは無い。いわゆる言葉狩りといえそうな改変は Aがヒットするのみで、Bは言葉を変えていても結局同じことだし、Fとはなぜか書き換えされていない。水谷準『殺人狂想曲』とは違う人間が担当しているのは明らかだが、それにしても同じシリーズの本なのにどういうルールで校訂・校正をしているのか私には理解できぬ。



初刊本における岡戸武平の文章は相当急いで書いたのか、変な言い回しっぽいところが頻出するため C や E は新潮社版のほうが間違っているように見えなくもない。春陽文庫はそれを正しく(あるいは現代風に解りやすく)書き直している様子が伺えるけれど、オリジナルのテキストを忠実に再現するという意味で、こういう余計な事をしてはイカンのではないか?

 

 

先日『蠢く触手』の記事を書いた時は、駄作とはいえ珍品だし「文庫本で読めるように再発してくれてありがとう」的な理由で満点を付けたけど、名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉の実態をこれだけ曝した以上、★5つのままにしておく訳にはいかない。よって2月10日の記事の評価は大幅な減点に変更させて頂く。春陽堂のテキスト問題をしつこく検証したおかげで、奇しくも今野真二が上梓した『乱歩の日本語』(2020年6月18日の記事を参照)がいかにトンチンカンであったか誰にでもよくわかる形でプレゼンできたのは怪我の功名だった。




(銀) つらつら考えるに、名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉十八冊中十六冊は戦前の春陽堂文庫(最初は日本小説文庫という名称だった)で出されたものだから、私のようにテキスト改悪が嫌なら戦前の本で読めばいいし、また現行本や安価に買える古書で手軽に読める作品もある。「蠢く触手」とて他の〈探偵CLUB〉収録作と比べるとレアな方だが、それでも初刊本以降昭和前半に三度再発されている。

 

 

もっとも悩ましいのは江戸川乱歩・横溝正史名義で出された『覆面の佳人』。この長篇だけは〈探偵CLUB〉で初めて単行本化されたものなので、春陽文庫のテキストが正常なのかを確かめるには戦前の新聞連載分コピーを入手し、読みにくい文字を追ってみるしか方法が無いのだ。

 

 

はあ~、誰か『覆面の佳人』を原題の「女妖」に戻してもいいから、語句改変の無い100%信じられるテキストで再発してくれんかのお。




 

2021年2月10日水曜日

『蠢く触手』江戸川乱歩

NEW !

春陽文庫 名作再刊シリーズ〈探偵CLUB〉
1997年10月発売



★★     明智小五郎の使用許可



「蠢く触手」を含む新潮社版「新作探偵小説全集」は江戸川乱歩の『探偵小説四十年』によると最初配本を担当した作家で一~二ヶ月、最終配本の作家でも半年しか執筆する時間が無かったという。日本におけるこういう長篇の書き下ろし企画って、最低でも何ヶ月の猶予を作家に与えれば十分といえるのだろうか?

 

                    


新潮社「新作探偵小説全集」内容見本より、「蠢く触手」の紹介部分をご覧頂こう。

 〝 華麗奔放を極めた猟奇的探偵小説である。暗黒の世界に住んで、青白く滑かな、天鵞絨の如き軟かな触手を伸ばして、この世のあらゆる隅々を探り廻つて最も滋味ある獲物を捉へ、その柔き触手をもつてニユルニユルと纏ひつき、その血を啜り、その命を奪ふ妖しき悪魔!人々はその青白き触手を見得るばかりで、暗闇深く身を隠してゐる悪魔の正體を掴む事は出来なかつた。

 

恐怖!戦慄!人々は考へて見るだけでも身の毛のよだつ思ひがした。併し、犯跡に對する緻密な観察と、科學的な推理と、探偵的奇策とによって、悪魔は遂に暗黒の世界から曳摺り出された。恐るべき悪魔の正體!その醜怪極まる姿は人々の前に晒された。青白き触手を持つ暗闇の悪魔とは抑々何者ぞ!

 

猟奇的探偵小説家としての第一人者江戸川亂歩氏の、これは、最も本格的なる猟奇的探偵小説の傑作中の傑作である。 〟

 

 

この紹介文も、乱歩通俗長篇の新連載を取り付けた戦前の雑誌がよくやる無責任な広告文と全く同じパターンで、乱歩自身まだ次作の構想が全然練れておらず、具体的なプロットや設定も決まっていないのに編集部が勝手にでっちあげた、おどろおどろしい雰囲気を伝えるだけの法螺にすぎない。だから猟奇・・・猟奇・・・猟奇の繰り返し。

 

                   


諸兄姉御承知のとおり本作は乱歩が岡戸武平に代作を頼んだものだが、思えば乱歩が第三者の手になる代作によくも明智小五郎の使用を許したものだ。『蠢く触手』が発表された時期は平凡社版『江戸川乱歩全集』配本が終わった数ヶ月後で、「蜘蛛男」「魔術師」「黄金仮面」など明智の人気は最高潮。「蠢く触手」の前年に完結した「吸血鬼」のフィナーレで明智は恋人の文代と結婚すると語られている事から、乱歩は名探偵のハッピーエンドな退場を考えていたと見る人もいる。そんな明智は正に虎の子のキャラクター。代作を頼んでいるとはいえ自分以外の者に明智を扱わせて乱歩は平気だったのかしらん

 

 

乱歩本人が通俗長篇に明智を登場させる場合は大抵〝 名探偵明智小五郎 〟という風に、形容が強調されている。しかし本作では、最後の最後に正体を明かす明智に名探偵の冠は付いておらず「お馴染みのアマチュア探偵界の王者であり、現警視総監の愛婿と目されている男だ。」って、なんか紹介がチープ。それに総監の愛婿・・・???

 

 

仮令明智を使わなかったとしても、いつもの粘着質な乱歩調は露ほども感じられないし、1932年に初刊本が出た時、文体がいつもの乱歩とは全然違うから読み手にもバレていそうで、よくクレームが来なかったものだ。カバー絵に使われているKKKもどきの覆面集団も印象が薄く、内容としては褒められたもんじゃない「蠢く触手」だがそれは岡戸武平のせいではない。1997年のこの春陽文庫版には初刊本に添えられていた林唯一の挿絵も数点入っており、一応貴重な再発ではあったのだ。



追記

2020年2月18日(木)の記事『殺人狂想曲』(水谷準)並びに2月20日(土)の記事「春陽文庫『蠢く触手』を再調査すること」にて述べた理由をもって、当初★5つにしていたこの本の評価は★2つへと変更した。




(銀) 岡戸武平の探偵小説著書『人を呪へば』『殺人芸術』探偵小説随筆集『不木・乱歩・私』、そして雑誌『幻影城』に連載された博文館時代を回想するエッセイ、更に単行本になっていない彼の創作探偵小説もあれば、それらをコンプリートした書籍がほしい。



この人は著書の数こそかなり多いけれど、探偵小説に関するものはほんのわずか。彼はやっぱり作家というより編集者とみるほうが相応しいかも。