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2025年2月6日木曜日

『Philo Vance Collection』(映画「The Canary Murder Case」「The Greene Murder Case」「The Benson Murder Case」)

NEW !

KL Studio Classics   Blu-ray(1枚組)
2024年5月発売



★★★  映画版「カナリア殺人事件」「グリーン家殺人事件」
        「ベンスン殺人事件」




前々回、前回のヴァン・ダイン記事は本日取り上げるファイロ・ヴァンス映画ブルーレイの前座代わりに書き起こしたものゆえ、必要に応じ別ウィンドウを立ち上げるなど、お好みで参照して頂けたら幸いである。長篇「ベンスン殺人事件」「カナリヤ殺人事件」「グリーン家殺人事件」は原作の発表とほぼ同じ時期、本国アメリカ・パラマウントによって映画化されており、Kino Lorberがリリースしたこの北米盤ブルーレイ『Philo Vance Collection』はその三本を最新HDマスターにて収録。

 

 

ファイロ・ヴァンスを演じているのはウィリアム・パウエル。原作みたいにモノクル(片眼鏡)こそ掛けていないものの、様々なワードローブを着こなす彼の佇まい、醸し出す雰囲気は良い。相棒ヴァン・ダインは登場人物に設定されていない。主役を務めるウィリアム・パウエルの他、マーカム地方検事役のEH・カルバート、ヒース部長刑事役のユージン・ポーレットが三作全てに出演。

それではコンテンツをチェックしてゆこう。
原作発表の順番と映画公開の順番は一致しておらず、本盤でも映画は公開順に並べられている。シーンごとのチャプターは無し。

 

 

【 仕 様 】

字幕:英語

音声言語:英語

リージョン:A(日本のBDプレーヤーで再生可能)

パッケージ:スリップカバー入りトールケース

 

 

【 画 質 】

100点中80点といったところ。ネット上にupされているボヤけた映像に比べれば段違いのクオリティーだし、現在観ることのできるマテリアルとしては最高の状態と言っていい。ただ旧い素材なので劣化の激しいリールがあるらしく、その部分を完璧に修復しきれていない。コントラストの強弱もあと少し処理できていたら、より美しい映像になっただろう。35mmフィルムを用いて「カナリヤ殺人事件」「グリーン家殺人事件」は4Kスキャン・レストア、「ベンスン殺人事件」には2Kスキャン・レストアが行われているが、この中で一番ブライトな画質に感じるのは「ベンスン殺人事件」。薄暗いシチュエーションの場面が少ないからだろうか。

 

 

【 収録内容 】

 The Canary Murder Case」(=カナリヤ殺人事件) 80

原作発表:1927年 / 映画公開:1929

監督:マルコム・セント・クレア






三作通して言えることだが、ちょうど無声映画からトーキーへの端境期ということもあり、役者の喋るセリフは普通に録音されている反面、劇中の音楽は無く効果音も僅かしか入っていない。それゆえ戦前の映画を観慣れていない人には退屈で、少々ハードル高し。下手に褒めちぎって妙な期待を持たせないよう、その旨前置きしておく。

 

絞殺に至るまでの生きているマーガレット・オーデル嬢(カナリヤ)を回想ではなく現在進行形で見せているため、踊り子たちのレビュー・シーンが挿入され、それなりに華やか。本作の重要なポイント「密室偽装トリックアリバイ・トリックポーカー・ゲームによる心理洞察」のうち➋➌は再現できているけど、小道具を用いたのトリックは可視化されていない。あと小説では犯人自ら選択したあの結末だったのに、え、何それ?

 

 

 The Greene Murder Case」(=グリーン家殺人事件) 68

原作発表:1928年 / 映画公開:1929

監督:フランク・タトル






本格長篇をむりやり一時間前後の枠にまとめている訳で、どの作品もヴァンスお得意の衒学趣味を差し込んでいる余裕が無く、必要最低限なプロットを軸にストーリーは進行。とはいえ、ちょっとでも雪を降らせて侵入者の足跡に注意を向けさせたり、シベラの飼っている愛犬が省略されずに出てきたり、発生した事象一覧をヴァンスが書き付けているシーンも見せるなど、脚本家がヴァン・ダイン原作を活かそうと努力しているのはよく解る。ここにキャスティングされているレックスやアダ役の役者は小説の中でこちらが勝手にイメージするあの二人のヴィジュアルより整って見えるけれども、それはそれで悪くない(本作のアダも「カナリヤ殺人事件」のアリス・ラ・フォスも同じ女優ジーン・アーサーが担当)。

 

序盤から、グリーン家の人々が住んでいる邸の屋上を高い位置に組んだキャメラで捉えるカットが散見され、小説にはそんな屋上など描かれていなかったし何か意味が?と思っていたら、原作ラストにおけるカーチェイスの代りにグリーン家の屋上で・・・これ以上は自粛。

 

 

 The Benson Murder Case」(=ベンスン殺人事件) 65

原作発表:1926年 / 映画公開:1930

監督:フランク・タトル






原作三篇のうち「ベンスン殺人事件」が最も面白くない以上、映画の内容で比べても評価は低くなる。よって原作「ベンスン」の記事は今回書かなかった。読者諒セヨ。



 特 典

・三作品のオーディオ・コメンタリー(字幕無し)

・映画「Blackmail」予告篇

・映画「Lucky Jordan」予告篇

・映画「The Hour Before The Dawn」予告篇

(いずれもKino Lorberから北米盤ブルーレイ絶賛発売中)




画質が100点満点に近いか、あるいは「カナリヤ」「グリーン家」のエンディングが原作に準拠しているか、そのどっちか実践できていたら★4つにしたのだけれど、歴史的価値はともかく一本の映画として鑑賞するには集中力を要する。と言いつつウィリアム・パウエルのファイロ・ヴァンスで「The Bishop Murder Case」(=僧正殺人事件)が撮影されなかったのは残念。  

 

 

(銀) 本日紹介した三作以外にもヴァン・ダイン作品映画はあり、幾人かの男優がファイロ・ヴァンスを演じている。一部海外ファンの間では特に、ウィリアム・パウエルが主演ながら配給元がパラマウントではなくワーナー・ブラザーズであったため本盤未収録となった「The Kennel Murder Case(=ケンネル殺人事件)」(1933年)のブルーレイ化が待たれているようだ。

 

 

 

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2025年2月4日火曜日

『グリーン家殺人事件』ヴァン・ダイン/延原謙(訳)

NEW !

新潮文庫
1959年3月発売



★★★★  プロットが力負けせずにトリックを受け止めている




かつて「美味しんぼ」で読んだネタだが、例えば二種のハンバーガーがあったとしよう。
 極上のハンバーグ + 肉に対してクオリティーが全く釣り合っていないパン
 格下の材料を使ってはいるが、食感のバランスは取れているハンバーグとパン
この二つを食べ比べてみると、不思議にのほうが旨く感じるそうだ
前回記事にした「カナリヤ殺人事件」など、まさに物語(=パン)が貧弱だったおかげで、
トリック(=ハンバーグ)を活かしきれず全体の印象はすこぶる悪かった。



                  🏺



課題を克服すべくヴァン・ダインも一念発起したのか、それまでとは比べものにならないぐらい第三長篇「グリーン家殺人事件」は完成度がアップしている。ウェット&ドライの起伏を鮮やかに使い分けられるほど器用じゃないし、中には彼の作風に拒否反応を示すユーザーもいるから、そういった意味では客を選ぶ作家である。でもコレと次の「僧正殺人事件」、歴史に名高いこの二作を受け付けないのであれば、その人は残念ながらクラシック本格ミステリには縁が無かったと諦めて頂くしかあるまい




父祖の代からの黴くささがにじみだして、内もそとも色あせた大きな家はがらんとして、じめじめと煤けだち、穢ならしい河水にすそを洗われた手入れのわるい庭をひかえて、まるでお化(ばけ)でも出そうじゃないか。しかもそのなかにはそろいもそろって不健全でおだやかならぬ六人の家族が、毎日おもしろくもない顔をつきあわせて四分の一世紀も暮さなければならない - それが死んだトバヤス・グリーンの倒錯した好みなんだ。そして六人はくる日もくる日も太古の毒気のただようあの家のなかに ― 実力がないのか踏切るだけの勇気に欠けているのか、家を出て自活の道を選ぼうとはしないで、安易な生活のうちに、たがいに憎しみあい、不平をならしあい、嫉妬しあい、怨みあい、罵りあい、神経をすりへらしているのだ。

~本書 第七章「ヴァンスの説明」より(延原謙・訳)




毎度おなじみレギュラー陣ではなんといってもフィロ・ヴァンスの鼻持ちならない理屈っぽさが整理され、だいぶ風通しが良くなった。対するに捜査される側、すなわちグリーン家の顔ぶれを見渡すと、シベラ(次女)やレックス(次男)は悪態をつくことで一家の仲の悪さを曝け出し、中風を患い不具者同然のトバヤス・グリーン老夫人(チェスタ/ジュリア/レックス/シベラ/アダの母)ときたら、ザ・被害妄想な上にヒステリック。こうなるとマーカム検事/ヒース部長刑事、そしてヴァンスの三人は彼等をなだめ賺しながら事情聴取するしか手立てが無く、押され気味なその構図が陰惨なムードの中でなんとなくおかしい。





とめどなき連続殺人ゆえ、常に事件は変動しており、話がダレそうなエアポケットも無い。ミステリ好きな人にとって必修科目みたいな長篇だから数回読み返している方も多かろうが、作者の意図する煙幕/伏線を再確認して楽しむのもまた良し。ミステリに関する情報の伝播量が昭和世代よりはるかに多い現代の若いビギナーは最終章に辿り着く前段階、第二十章「第四の惨劇」における毒物混入のくだりを読んで「おや、コイツ怪しくね?」と感付くかもしれないが、そこはそれ百年前の本格長篇ですから。



                  🏺




延原謙の「グリーン家殺人事件」翻訳本が刊行されるのは戦後になってからのこと。それまでは平林初之輔訳「グリイン家惨殺事件」を収めた博文館版『世界探偵小説全集24 バン・ダイン集』しか流通していなかった。よって戦前の読者は「グリーン家」といえば平林の訳を思い浮かべるだろうし、昭和10年以降に生まれた人は延原謙、あるいは井上勇の訳でこの長篇を初めて読んだものと思われる。

 

 

延原謙 「グリーン家殺人事件」訳書一覧

新樹社     ぶらっく選書7   昭和25年刊

新潮社     探偵小説文庫    昭和31年刊

〃             新潮文庫(本書)    昭和34年刊

 

 


基本的に延原の訳文は読み易くて好きなのだけど、この新潮文庫版に関しては〝風邪〟を〝風〟〝昼食〟を〝中食〟などと表記していて校正の甘さが目に付く。邦訳に限らず戦後の探偵小説本は国内作家の作品でもテキスト上の漢字をやたら開きまくっているため、逆に私はひらがなの多さがフィットしない。本書でも延原は〝まゆね〟という言葉をちょくちょく使用しているのだが何故漢字で〝眉根〟と表記しないのか理解に苦しむ。
 

 

 

(銀) 延原訳「グリーン家殺人事件」が新潮社から二冊刊行されているけれども、その際先行したぶらっく選書版の訳に手を入れているのか、あるいはそのまま流用しているのか、本書には言及が無かった。「グリーン家」の原作自体には★5つ献上したかったが、先程も述べたように、本書の訳文には気になるところが多々あったので★一つマイナス。 

 

 

 

   S・S・ヴァン・ダイン 関連記事 ■

 


 








2025年1月30日木曜日

『カナリヤ殺人事件』ヴァン・ダイン/瀬沼茂樹(訳)

NEW !

角川文庫
1961年5月発売



★★   トリックの創造以外、問題ありまくり




〝・・・・マーカム君、そんなロマンティックな犯罪学的な考え方をして、君をまよわせたもうなよ。また雪の中の足跡にあまりに近づいて、熱心につつきたもうなよ。君を、まよわすこと、この上なしだからね。君はあまりにこの邪悪な世界を信用しすぎているよ。それにあまりにまじめすぎるよ。僕は君に警告するね。どんな馬鹿な犯人だって、君の巻尺や測経器(ママ)におあつらえむきに、自分の足跡を残しておく奴なんか、ありはしないとね〟

~本書 第二章「雪の中の足跡」より(瀬沼茂樹・訳)

 

 

「カナリヤ殺人事件」歴代翻訳者はこちら。
 
平林初之輔  平凡社版「世界探偵小説全集19」        昭和5年刊

瀬沼茂樹   新樹社 「ぶらっく選書9」         昭和25年刊

  〃        早川書房「HPM 135」           昭和29年刊

井上勇    東京創元社版 「世界推理小説全集32」    昭和32年刊

    〃      創元推理文庫                          昭和34年刊

瀬沼茂樹         角川文庫(本書)                      昭和36年刊

日暮雅通         創元推理文庫~SS・ヴァン・ダイン全集   平成30年刊

 

 

こうしてみると訳書の数でいえば、(現時点では)瀬沼茂樹のものが一番多い。
【本書あとがき】の中で瀬沼は次のようにコメントしている。

 

平林初之輔の抄訳を引き継ぎ、ぶらっく選書では完訳を目指し、学友・金子哲郎の助力をあおいだ。その際、使用した底本はGrosset & Dunlap版。

 

ぶらっく選書~ポケミスにおいて不徹底だった箇所に対し、本書(角川文庫版)は全編にあたって悪訳・誤訳を正した他、用語を平易にするよう努めた。

 

後発の井上勇訳も参照した。原作者(ヴァン・ダイン)の付註の他には極力割註を避け、本文におりこんで読み易くした。

 

後発の翻訳者が他者の手掛けた先行訳書を参考にすることは決して珍しくないけれども、自らの「カナリヤ殺人事件」が三度目の刊行になるとはいえ、後追いの井上勇訳書をも参照するなんて謙虚な姿勢だな~と思っていたら、瀬沼より井上のほうが三つ年上なばかりか、翻訳者としてのキャリア・スタートも瀬沼に比べ井上はだいぶ早かった。あとwikipediaを見て気付いたのだが、井上勇も同盟通信社(☜)に勤めていたとは知らなんだ。今後彼に関する資料や訳書をもう少し注意して見ていきたい。

 

 

フィロ・ヴァンス(本書ではこう表記されている)長篇第二作。本作については大抵、
 日本のドラマにさえ散々パクられてきた密室偽装トリック、
 ✕✕✕✕を用いたアリバイ・トリック、
 ポーカー・ゲームによる容疑者たちの心理洞察、
この三点が議論の中心になる。現代の一般読者に子供騙しだと冷笑されるのトリックだが、発表時、のhow toを知った読者は絶対「おお~」って驚嘆した筈。ハンス・グロス文献からの頂きだったにせよ、百年も前、つまり1927年(昭和2年)の話であることに留意しなきゃいかんぜよ。もきっと物的な推理対象だけじゃ物足りず、もう一手ダメ押しすべくヴァン・ダインはこんなシーンを終盤に挿入したんだと思う。

 

 

旧世紀のクラシックな佇まいを好む私でさえ批判したくなる本作の問題点は、トリック等を全部とっぱらった物語の部分が絶望的につまらないところ。語り手=ヴァン・ダインの存在が100%空気状態であってもさほど気にはならないが、全体の半分以上を占めるフィロ・ヴァンス/マーカム検事/ヒース(本書の役職表記は警部)のやりとりに人間味や温度が殆ど感じられないため退屈。主人公のヴァンスがひたすら皮肉/気取り/イヤミしか口にしていないように映ったら、読者にシンパシーや親近感は生まれ得ない。時代の趨勢を考えれば、謎の提示をこのレベルまで実践できたことは評価に値する。でも面白くないものは何度再読しようがやっぱり面白くない。

 

 

フィロ・ヴァンス長篇は第七作「ドラゴン殺人事件」以降、低調になっていったと誰もが云う。読み物としての出来で言えば、二作目の「カナリヤ殺人事件」だって褒められたものではない。瀬沼茂樹訳だから不満なのではなく、原作そのものに至らぬ点が多過ぎ。


 

 

(銀) 海外古典ミステリの新訳本が発売されると「旧訳はつまらなかったのに、以前とは比べものにならないぐらい劇的に面白くなった!」、そんな感想をよく見かける。訳の向上は間違いなくあるだろうが、サクラによる誇大広告でないとも限らないし簡単に信用するのは危険。自分の目で読み比べて確かめるのが一番。







2024年9月1日日曜日

『僧正殺人事件』ヴァン・ダイン/宇野利泰(訳)

NEW !

中公文庫
1977年8月発売



★★★★★   どの訳者で「僧正」を読むか




戦前におけるヴァン・ダインの人気が高かったため、昭和の頃は多種多様な本が出ていた。ましてや彼の代表作として一、二を争う「僧正殺人事件」となると、翻訳者の顔ぶれも様々。以下、括弧内は初版刊行年を示す。

 

 

武田晃         改造社(昭和5年)

                                  新樹社/ぶらっく選書02(昭和25年)

              HPB 176(昭和30年)

 

井上勇         世界推理小説全集17/東京創元社(昭和31年)

            創元推理文庫(昭和34年)

            世界名作推理小説大系11/東京創元社(昭和35年)

 

中村能三        新潮文庫(昭和34年)

 

宇野利泰        世界推理名作全集7/中央公論社(昭和35

            世界推理小説名作選/中央公論社(昭和37年)

            中公文庫(昭和52年)*本書

            嶋中文庫グレート・ミステリーズ(平成16年)

 

鈴木幸夫        角川文庫(昭和36年)

            旺文社文庫(昭和51年)

 

平井呈一        世界推理小説大系17/東都書房(昭和38年)

            世界推理小説大系7/講談社(昭和47年)

            講談社文庫(昭和51年)

 

日暮雅通        集英社文庫 ~ 乱歩が選ぶ黄金ミステリーBEST10(平成11年)

            創元推理文庫 ~ SS・ヴァン・ダイン全集(平成22年)

 

 

全集の端本もあるとはいえ、こんなに選択肢が多いと、初めてヴァン・ダインを読もうと思っている人は、(古書も対象とするのであれば)どの訳者のものを選べばいいか、迷ってしまうかもしれない。もちろん入手しやすいのは日暮雅通が新しく訳し直している近年の創元推理文庫版。しかし新訳だと、わかりやすさを重視しすぎて訳文から味わいが失われたり、最悪の場合、和爾桃子のように言葉選びがなってなくて、作品の世界観をぶちこわされることもありうる。

 

 

ここに列挙した「僧正殺人事件」訳書を全部制覇している訳ではないので、イチ推し!とまでは言わないものの、今日はこの中から中公文庫版の宇野利泰訳をピックアップした。中央公論社の流れで世界推理名作全集→世界推理小説名作選→中公文庫と来て、この三種の宇野訳『僧正』は手直しの入っていない同一テキストなんじゃないかとニラんでいる。本書・中公文庫版には宇野による5ページ分の解説はあるが、世界推理名作全集版あるいは世界推理小説名作選版、どちらのテキストを底本にしているとか何も書かれていないため、断言はできないけれど。

 

 

同じ宇野訳でも嶋中文庫は、言葉狩りの度が過ぎて『人形佐七捕物帳』で作品ごと削除してしまった悪例があるから/クリックしてリンク先を見よ)、テキスト確認はしていないが、グレート・ミステリーズ版はお薦めしない。集英社文庫版(乱歩が選ぶ黄金ミステリーBEST10)もしかり、刊行の時期的に言葉狩りが盛んな年代なんで注意は必要。とりあえずアドルフ・ドラッカーの〝せむし〟を、「僧正」のwikipediaみたいに〝脊椎が彎曲異常〟だなどと表記していたら即アウト。

 

 

古書として世界推理小説名作選版(このシリーズは共通してオモテ表紙が赤のチェック柄にデザインされている)と中公文庫版の『僧正』はあまり見かけないような気がする。いずれにしても宇野訳は読み易い。この前、当Blogでも記事にした中公文庫版『スミルノ博士の日記』(☜)の宇野訳がしっくりきたなら、本書もきっとフィットする筈。宇野訳『僧正殺人事件』のサンプルとして、文章をひとつ紹介しておこう。

 

6   それは私よ、雀がいった   四月二日 土曜日 午後三時


〝「狂人の仕業だよ」とヴァンスは、いつになく真剣な表情で言明した。「それもただの気ちがいじゃない。おれはナポレオンだ、などと考えこんでいるやからとはわけがちがう。あまりにも頭脳が偉大すぎて、正気をそのまま、人智のゆるすかぎり、倒錯の世界にもちこんでしまった男だ。いいかえれば、彼の肉体そのものを、四次元世界の型式としてしまったわけだ。」


(中公文庫『僧正殺人事件』 112ページ15行目)

 

この部分、アナタがお持ちの『僧正』ではどんな風に訳されていますか?

 

 

 

(銀) 本作の内容に関して一言触れるとするなら、大詰めでのファイロ・ヴァンスのあの行為はドラマティックではあるけれど、人道的には賛否両論あるだろうね。一人また一人、不気味な粛清を続ける僧正。その隠されたる動機を推理しながら読むのが醍醐味。




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