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2025年3月5日水曜日

『2001年映画の旅/ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200』小林信彦

NEW !

文藝春秋
2001年12月発売



★★★★  昔のミステリ洋画には本格タッチの良作が無い




往年の著書『地獄の映画館』の中で小林信彦が述べている二つの点に着目。

〝本格物のトリックってやつは、
画面でタネ明かしされると、なんだかバカにされたような気持ちになるのだ。〟

SF映画は、史的にみても、ずっと、マイナーな存在であった。
一九五〇年代に作られたSF映画の多くは、ゲテモノ、特撮を用いた見世物映画であった。

(中略)

後年、SF映画史を語るとすれば、おそらく「2001年(宇宙の旅)」以前、以後、といった区分がなされると思う。SF映画がプログラム・ピクチャーでなくなり、つまり〈芸術〉の殿堂に入ったという意味合いで。〟

小林の言うとおり、「2001年宇宙の旅」(1968年公開:監督 スタンリー・キューブリック)がエポックメイキングな作品になったことで、SF映画はB級/ゲテモノ扱いのレベルとは段違いの大作が生み出されるようになった。しかし、当Blogで取り上げている類の小説を原作に持つミステリ映画となると、〈芸術〉の殿堂に入るどころか、映画の専門家たちが選ぶ古今東西傑作映画セレクションの中にランクインするかどうかも怪しい。その種の映画は果たしてどれぐらい評価されているのだろう?

 

 

本来ならせめて十名ぐらいのクリティックスが選ぶそれぞれのベスト100作品をチェックすべきところだけど、それはさすがに大変だし、なにより小林は映画同様、ミステリにも精通している人だから、本書『2001年映画の旅/ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200』における洋画ベスト100+邦画ベスト100を参考にさせてもらって、原作のあるミステリ映画に小林が推したくなるようなものは何本あるのか、調べてみたいと思う。


                                                 


 
個人の嗜好とはいえ、小林がそれぞれベスト100を選ぶ際に課したルールのうち、次の点は明記しておかなければならない。

・ 小林自身が繰り返し観た作品、または、もう一度観たいと思っている作品
・ アニメーション映画は除外

こうしてまず20世紀の洋画100が選ばれた訳だが、そのうち探偵小説/推理小説を一応原作に持つ作品では次のものがラインナップに上がっている。

 

「影なき男」(1934年公開:原作 ダシール・ハメット)

「バルカン超特急」(1938年公開:原作 エセル・リナ・ホワイト)


「裏窓」(1954年公開:原作 コーネル・ウールリッチ)

「必死の逃亡者」(1955年公開:原作 ジョセフ・ヘイズ)

「現金に体を張れ」(1956年公開:原作 ライオネル・ホワイト)

「情婦」(1957年公開:原作 アガサ・クリスティー)

「めまい」(1958年公開:原作 ボワロー=ナルスジャック)


「サイコ」(1960年公開:原作 ロバート・ブロック)

「太陽がいっぱい」(1960年公開:原作 パトリシア・ハイスミス)

「血とバラ」(1961年公開:原作 J・シェリダン・レ・ファニュ)


「羊たちの沈黙」(1991年公開:原作 トマス・ハリス)



私の好みの海外ミステリ作家はあまり含まれていない。


                                                 


 
よくフィルム・ノワールってどこまでを範疇とするのか、議論になる。ミステリ映画もその対象をどこまで広げるのか明確なラインは無い。ともかくさすがは小林信彦、100本中これだけ原作小説のある作品をセレクトしており、これにいわゆる準ミステリ、つまり、ミステリ作家の原作こそないもののサスペンス/スリラー/フィルム・ノワール/クライム・ストーリーに該当する映画を加えると「ミュンヘンの夜行列車」(1940年公開)をはじめ更に数が増えるが、そんなに列記したら煩雑になるので、あとは本書で確認して頂きたい。

 

 

さて、次は邦画ベスト100。探偵趣味を内包する作品のなんと少ないことよ。強いて言えば、「待って居た男」(1942年公開)は上記「影なき男」シリーズの換骨奪胎だそうだし、黒澤明の「野良犬」(1949年公開)もフィルム・ノワールと呼んで差し支えないだろう。が、悲しいかな私のBlogに登場する日本探偵作家の小説を原作にしたものは影も形もない。
「赤い殺意」(1964年公開:原作 藤原審爾)「霧の旗」(1977年公開:原作 松本清張)はランクインしているが、この辺の作家にミステリ的な愉しみを求めていないので今日のところはスルー。




以上の結果を見て解るとおり、極論と云われようとも、昔のショービズ界には論理的な本格探偵小説を正しく映像化する意識と技術が著しく欠落していて、ミステリ映画といってもその殆どがハードボイルドやスリラーでしかない。

ただ、SFものに差を付けられているとはいえ論理性を持たせたミステリ映画も「オリエント急行殺人事件」(1974年公開:監督シドニー・ルメット)あたりから、それなりに大きな興行収益を得るようになったのではないか。それ以前は『地獄の映画館』にて触れられているディクスン・カーの「火刑法廷」を映画化した「火刑の部屋」(1963年公開:監督ジュリアン・デュヴィヴィエ)など、原作の良さがまるで活かされていないものばかり。

本格以外にも、ルーファス・キング作「青髭の女」を映画化した「Secret Beyond The Door」だって監督フリッツ・ラングと聞けば期待してしまうけれど、これまたイマイチな出来。





日本の映画界はもっと酷い。謎解き要素のある探偵小説を原作にしたもので、どうにか観られるようになったミステリ映画と言えば、例の「犬神家の一族」(1976年公開)より前になんかあったっけ?結論。探偵小説は活字で楽しむのが一番。






(銀) 小林信彦の洋画ベスト100といえば、あれだけ『文春』の連載で褒めたたえていたニコール・キッドマン出演作がひとつも無いが、よく考えたら彼女がビッグになっていくのはトム・クルーズと離婚したあと。もしこのベスト100セレクトが十年遅かったら、何かしらランクインしてたかな? 

 

 

 

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2023年11月3日金曜日

『読書中毒●ブックレシピ61●』小林信彦

NEW !

文春文庫
2000年5月発売



★★★★    人はそれをスキャンダルという





本書第一部は単行本『小説探検』を改題して再録。帯には「これが究極のブックガイドだ」と謳っているけれども、よくあるガイド本のように一作家一作品と決め打ちしてページを埋めているのではなく、一人の作家でもあらゆる角度から掘り下げてみたり、時には映画ネタも交えたりして、新旧国内外問わず小林信彦が興味を抱く〝ストーリーが面白い作品〟の数々を、手を変え品を変え語りまくる。 

 

フレデリック・フォーサイス『ジャッカルの日』/マイケル・バー=ゾウハー『無名戦士の神話』/トマス・ハリス『ブラック・サンデー』/ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』/『濹東綺譚』永井荷風/アーサー・ヘイリー『ニュースキャスター』/ノーマン・メイラー『裸者と死者』/ロバート・バーナード『暗い夜の記憶』/ジョン・D・マクドナルド『死刑執行人』/中里介山『大菩薩峠』/マルセル・プルースト『失われた時を求めて』/川端康成『雪國』

 

これらは本書に出てくる作家・作品のほんの一部。通り一遍に褒めちぎる筈もなく、疑問や不満をためらうことなく投げ掛けるのが信彦流。シムノンなんて、敗戦後一通り読んだけれど映画化されていた『男の首』以外どこが面白いのかわからなかった、と吐露しているし、アメリカの大衆小説はやたら長くなってしまったとボヤきもする。

 
 
小林信彦しかり、人はその対象が好きだからこそ批判を述べたりするものなのに、やれ銀髪伯爵は毒舌だ辛口だと書き散らかす輩がいるから、こちとら呆れる。一から十まで持ち上げてばかりいられるかってんだ。第二部には『週刊文春』1996425日号から19971120日号に掲載された〈読書日記〉を収録。

 

 



今日の本題はここから。本書を読んでいると個人的に押さえておきたい箇所がちょこちょこ出てくるのでメモ代りに書いておく。もちろん日本の探偵小説界に関する小林のコメントである。

 

 

 谷崎終平による回想記『懐しき人々・兄潤一郎とその周辺』には、「蓼食う虫」のモデルとして高夏秀夫=佐藤春夫/阿曾=大坪砂男だと述べてあって、〝後者には驚かされた〟と小林は書いている。

 

 

   本書72頁にはこんな記述が。

〝一九六〇年前後のいわゆる〈推理小説ブーム〉のころ、推理小説では直木賞がとれないというのが常識であった。当時の関係者なら誰でも知っていることだが、戦前に直木賞を得た推理作家が選考委員にいて、推理小説を片っぱしから落とした。(中略)いかになんでもズレているというわけで、問題の推理作家は選考委員から外された。〟

ここで小林があえて名前を伏せている推理作家は木々高太郎以外に考えられない。
小林の言うとおりだったのか十分に検証する必要はあるだろうが、まったくの事実であっても、今後この事についてズバズバ言及する者が果して現れるかね?木々の持つ一面として我々は覚えておかねばなるまい。

 

 

 一つ面白い場面があれば、あとは少しぐらい出来が悪くてもよい、というのが植草甚一の推理小説感。東京創元社と仲が悪くなったあとの植草に江戸川乱歩が『別冊宝石』の作品選定を頼んだが、その好みには一般性がなかった。

 

 

 209頁「松本清張の語り口」の末尾には〝はるかむかし、ぼくは、石神井の旧松本邸を訪れて、原稿を依頼したことがある。〟としか書かれていないが、後年のコラムで小林は、最初清張は原稿を書くことを了承していたのに実際受け取りに行くと「そんな約束をした覚えはない」と一蹴された内情を暴露。清張に対してはそこまで怒っていなかったようだが、木々高太郎にはかなりフンガイしている小林。

 

 

 鮎川哲也の編集した光文社文庫『硝子の家』を読んで、小林は島久平「硝子の家」に対し〝なつかしい。ガラス張りの家(一九五〇年にはこんな家はあるはずがなかった)の中での密室殺人で、三百枚余の(当時の用紙事情からすれば)〈大作〉である。〟と語っている。

 

 

 

(銀) ブックガイド・エッセイでありつつ、こんな風に私の気を引く情報がちりばめられているのだから、小林信彦の本を時々読み返す癖はやめられない。それにしても木々高太郎の直木賞選考における言動について、探偵小説関係書籍で誰も触れようとしないのは何故なのか。小林も感情的になりやすい性格だからしっかり調査すべきとはいえ、こんな事してたんじゃ木々は当時の新人ミステリ作家だけでなく、その周辺からも悉く人望を失ってしまったんじゃないの?





■ 小林信彦 関連記事 ■




























2023年1月31日火曜日

『スイッチインタビュー/細野晴臣×小林信彦』

NEW !

NHK Eテレ
EP1  2023年1月23日放送/EP2  2023年1月30日放送




★★★★    あの日に帰りたい




 この対談は細野晴臣のほうが希望していて、小林信彦の脳梗塞さえ無ければもっと早く実現していたそうなんですけれども、まさか本当にTVで二人のツーショットが見られるとは。去年の暮れにも細野は日曜夜の森高千里の番組にトークゲストで出てまして、久しぶりに見た彼の人相が変わってたもんで思わず「え、どうしたの?」とビックリしたんです。

 

 

 若い頃から細野は歯が悪くて、クラウン時代の中華街LIVEでも前歯が欠けてたんだ。だからおそらく最近入れ歯にしたかなんかでそんな風に見えるんじゃないか。オンエア観てても喋りは衰えてなかったよ。なんせDJやってるぐらいだしね。YMOの三人のうち唯一丈夫でいるのが細野だけなんて40年前にはまず考えられなかった。(注:この番組は高橋幸宏の逝去前に収録されており、もしも収録日が幸宏の死の直後だったら細野は中止もしくは延期を申し出ていたかもしれない)

 

 

 ええ。一方の信彦氏もTVに出てくれるぐらいだから体調自体は悪くはないんでしょうけど、さすがに90歳だし、喋るのがシンドそうでしたね。(大瀧詠一の話題になって涙ぐんだ瞬間以外は)表情にも変化が無いというか。

 

 

 大瀧のことだから生きていても絶対テレビに出る筈は無いのに、「本当は僕の代わりに(大瀧が)ここにいるべきなのに・・・」と呟いた細野の言葉に反応して、小林があんなにホロッと涙ぐむ顔をカメラの前で見せるとは思わなかった。

 

 

この番組の前回の対談は武豊×郷ひろみだったんだ。彼らはまだバリバリ元気だから会話が弾むんだけど、細野×小林では間が持たないとでもスタッフが心配したのか、インサートが多いのは気になった。それに加えて往年の『夢で逢いましょう』や『YMONHK』の同じシーンを繰り返し使うのは、EP1EP2合わせてたった60分しかないんだから、時間をムダにしないでほしい。私がディレクターなら絶対重複しないインサート素材を使ったんだがな。とはいうものの『YOU』で小林が『ひょうきん族』の頃の片岡鶴太郎とトークしている映像は今になってみると貴重だね。細野は細野で同じく『YOU』出演時の映像を流してたし、Emulatorにフロッピーを突っ込んで音を出しているのがなんとも時代を感じたよ。

 

 

 二人を取り持つ存在がどうしても大瀧詠一になるんで、彼の話ばかりに終始するのかなあと懸念してたらタイタニックの話題で盛り上がるとは意外でした。まあ信彦氏は『文春』の連載を止めて現在小説を執筆中なのかどうか、そんな近況は聞けなかったですけど、細野は「もうやる事はやったし、あとは趣味として音楽をやるだけ」って言ってましたね。

 

 

 Sketch ShowTin Panを最後に、細野は新しい音楽の追求をしなくなった。その後の細野の作ったアルバムで聴きたくなる作品は、ソロ・デビュー・アルバムをリメイク・リモデルした『Hochono House』だけだなあ。もうYMOが三人でやる機会も永遠になくなってしまったけど細野には十分楽しませてもらったよ・・・と言いつつ小林の新しい著書しかり、まだ心のどこかでちょっとだけ細野の尖った新作を期待している自分もいるんだ。

 

 



(銀) いや~、貴重な対談でありました。願わくば小林の体が不自由になる前に、『細野晴臣イエローマジックショー』の〈2〉あるいは〈3〉でガッツリこの対談をやってほしかった。

 

 

話は逸れるのだけど、先日BSフジ『HIT SONG MAKERSCITY POPスペシャル」』の再放送を観ていたら、相変わらず日本のTV業界の音楽史観がなんもかんもはっぴいえんどばかりで閉口した。雑誌『レコード・コレクターズ』もそう、彼らの頭の中にははっぴいえんど人脈のミュージシャンしか存在していない。そりゃあ松本隆も鈴木茂も大瀧詠一も細野晴臣も日本のCITY POPに多大な貢献をしてるけどさあ。なんでそれ以外の人達にはひとつも目を向けようとしないのかね、音楽ライターや評論家と名乗る手合いは?

 

 

日本のCITY POPのリバイバルにおいて、海外で最も注目された楽曲として松原みき「真夜中のドア」が筆頭に来る。CITY POPリバイバルは日本語がわからない外人からの反響によるところが大きいのでシンガーとサウンドばかり取り上げられ〝作詞〟は忘れられているんじゃないの?「真夜中のドア」の作詞は三浦徳子。日本の作詞家といったら阿久悠や松本隆とか男性作詞家はBOXやコンピレーションが制作されるのに、女性作詞家の功績は殆ど評価されない。メディアがはっぴいえんど人脈ばかり特集して、三浦徳子や阿木燿子の才能に気付かないのは不勉強というほかない。かつて彼女たちに言及したのって近田春夫ぐらいだもんな。







2022年1月29日土曜日

『日本橋に生まれて』小林信彦

NEW !

文藝春秋
2022年1月発売



★★★    『文春』コラム完結す



「人生は五十一から」と題した『週刊文春』コラムは199811日号よりスタート。
途中でタイトルを「本音を申せば」に変更し、長い長い連載は地道に続いてきた訳だが、
昨年(2021年)の夏に前振りも無く突然このコラムは終わりを迎えたので、
同シリーズの単行本も二十三冊目の本書が最後。今回はいつもと異なり、
前半に201811月からコラム内企画として八か月間執筆された「奔流の中での出会い」が、
後半に2021114日号から78日号最終回までの通常運転コラム「最後に、本音を申せば」25回分が収められている。
 

 

 
「奔流の中での出会い」は小林と関わりがあった故人の想い出話と早合点されそうだけど、
現在活躍している人についても言及あり。中でもひとりだけ若い柄本佑の回があるのは、
NHK2016年に小林の『おかしな男 渥美清』をドキュメンタリー・ドラマ化した折、
渥美清を演じたのが彼だったから。
その登場人物を掲載順に記すが( ⤵ )費やされたページ数(掲載回数)は人によって異なる。

 

野坂昭如/山川方夫/渥美清/植木等/長部日出雄/

大瀧詠一/井原高忠/江戸川乱歩/柄本佑/笠原和夫/

横溝正史/橋本治/内田裕也/大島渚/坂本九/タモリ/伊東四朗

 

小林の著書をマメに読んでいる人なら度々目にしたエピソードでおなじみの顔ぶればかりだが、若い頃渡辺プロに所属していた内田裕也が先輩の植木等のところに謙虚に挨拶にくる話や、新宿で赤塚不二夫と飲んでいた小林がすっかり酩酊、赤塚に飼われていたタモリにタクシーで送ってもらう話などはこれまで読んだことのない蔵出しネタかも。
橋本治の回で山崎豊子を礼賛しているのもGood。



あと普段はナイアガラのCDを聴いてはいるけれど、大瀧詠一を妙に神格化する世間の無節操さには違和感があって、大瀧や山下達郎のことを〝師匠〟だの〝御大〟だのと呼ぶ輩や音楽雑誌(『レコード・コレクターズ』)はなんだか頭悪いな~と思っている。そんな自分にとって小林が大瀧の幼児性を(やんわりと、だが)指摘しているのは、大瀧より年上だからとはいえ、久しぶりに「さすが小林信彦」と感心できる瞬間だった。大瀧に対し、こんなシビアな発言ができる人間がいるとしたら、もう松本隆と小林ぐらいしかいないもんな。

 

 

その反面 、江戸川乱歩の回で、無職時代の小林は乱歩邸に招かれる前に戦前の新潮社版『江戸川乱歩選集』を貸本屋で借りて読んだと述べているけれども、以前、文春文庫版『回想の江戸川乱歩』182~183ページ「文庫版のためのあとがき」で、

「乱歩邸を再訪したのは三十一年ぶり、
(中略)〈二十畳ほどの洋間〉の外には、
ぼくが初めて目にする古書(例えば新潮社版の『江戸川乱歩選集』など)が多く置かれていたのが目に付いた」

って書いてたじゃ~ん?
この数年ずっと危惧してきた事だけど、ご老体の記憶力の減退は如何ともしがたく、
同じ本の中でさえ見飽きた同じネタが繰り返し出てくるのはちょいとキツイ。
(植木等の「まだ営業、イケますかね?」発言とかね)
小林が『あまちゃん』に入れ込んでたのっていつだっけ? 八年前(2013年)か。
あの頃に思い切って連載終了してもよかったのかも。
結果論とはいえ、2017年には脳梗塞になってしまうのだし。



◕ ひとつ苦言を。
これは小林信彦と『週刊文春』に限った事じゃなく、日本のメディア全体に対して。
例によって小林は菅義偉内閣をボロカスに言ってて、それは結構なんだけどさ。
日テレ/細野邦彦プロデューサーの子供の頃の武勇伝が書かれている251ページで、
細野少年の喧嘩相手を〝某国の少年たち〟なんて著者は書いているが、
前後の文脈から、どう考えてもこれ朝鮮半島出身者のことではないか。
なんでわざわざ〝某国〟なんてボカす必要があるんだ?自国の事は言いたい放題なのに、
朝鮮半島人の事になると何故こんなにへっぴり腰になるのか?
こんなヘタレな表現は実に見苦しく、いい加減に止めたらどうよ。
 

 

 
◕ 話を元に戻そう。連載終了といえば、
新年早々「二〇二一年もよろしくお願いいたします」と書いていながら(本書158ページ)、
なぜ小林はこのタイミングでコラムを唐突に終わらせたのだろう。
あれだけ批判していた東京オリンピックが決行されてクサっちゃったのかな、とも考えたし、
奇しくも小林著書の装幀仕事をいつも担当してきた平野甲賀が亡くなったのがこのコラムの終了する数ヶ月前だったから、その影響も大きかったのかなとも想像するけれど、
〝どうして終了するのか〟本書のあとがきで、その理由はなにも触れられていない。
終わる時なんて、そんなものなのかもしれないが・・・。
 
 

 

コラムの終了した翌月に『週刊文春』に掲載された小林信彦特別インタビュー「数少ない読者の皆さんへ」は本書に収録されるかと思ったが、されなかった(文庫にボーナス収録か?)。
そのインタビューから拾い出してみると、
「これ(毎週のコラム連載)やっていると、結構キツイ」
「やっぱり小説を続けないわけにはいかないだろうと思います。
もともとそういうつもりでこの世界に入ったから。」
だそうで。小林の自己都合で終了したのならいいけど、
最近はラジオもテレビも長寿番組が次々リストラされるご時世。
「もう止めるほうが正解」だと思いながらも、連載の終わり方を私が気にするのは、
小林の好きな伊集院光のラジオ番組打ち切りと同じような理由で、
『文春』の連載が終わらされたのでなければいいが・・・と、ふと懸念したからだ。
 



(銀) とにもかくにも、長い間お疲れ様でした。
二十数年、なんだかんだ言いながら楽しませてもらったのは間違いない。
これでコンビニに行った時に立ち読みする雑誌がなくなってしまった。
その代わりじゃないけど、現代の喜劇人として小林が最も期待している大泉洋が源頼朝役で出演する『鎌倉殿の13人』は私も最後までバッチリ観るつもり。
 

                   

 


2021年6月1日火曜日

『1960年代日記』小林信彦

NEW !

ちくま文庫
1990年1月発売



★★★★★   個人的でありながら何とポップな日記




何も無いゼロから新しいものを生み出すのが〝小説〟だとするならば、
小林信彦という人は小説家にはあまり向いていない。
批評する対象がまずあって、それをしつこく突き詰め咀嚼し自分なりの〝ひとつの表現〟として編集する才のほうが彼は長けている。「喜劇人」本も『小林旭読本』もそうだし『文春』コラムで長く続けている映画評論にしたって同じ、彼のハラワタから形を成して出てきたものだ。

小林の書く小説は一通り読んできたけれど、自分自身の投影(怨念のこもった内容が実に多し)あるいは既に存在しているテーマや偶像のパロディ、このふたつの要素に集約される気がする。あれだけミステリにもSFにも詳しいのに、その方面でオリジナリティあふれる飛び抜けた成功作は無い。小林の場合は小説以外の仕事がどうやっても小説仕事に勝ってしまう。

 

 

先日『「新青年」趣味』の記事で「探偵作家の日記って、どうしてこんなに面白いんだろう」と洩らしたが、この言い方は正しくなかった。ブライアン・イーノ『A Year』等の例を挙げるまでもなく、興味を抱いている人の日記だったら探偵作家じゃなくてもそりゃ飛びつくでしょ。最初から商売目的で書かれていない無責任さが好ましいし、余計な修飾が無いぶん日記本は何度でも読み返せる。まして小林信彦は活字の世界のみならず、番組の中で北島三郎と一緒に歌を唄ってしまうほど黎明期のテレビ業界とも係わりが深かった多面体な人。『横溝正史読本』だけでなく重要な一冊である日記本の魅力に世間がちっとも気付いてくれないから、今回はこの本にズームイン。

 

                    🖋



小林は幼少期から欠かさず日記を書いていて、出版社から「60年代を背景にした小説を」という要望が来て、こういう形へと落ち着いたそうだ。「これは正確には日記(抄)である」と断っているのは、本書の原文である60年代に書いた個人的な日記の中から〈時代の表出〉にマッチし、なおかつ特に小林がこだわりたかった部分だけを選りすぐっているため。世に知れるとヤバそうな箇所を全て抜いていったとしても、19591970年分の日記をもれなく収録してたら、とても単行本一冊じゃ足りそうにないもんね。

 

 

小林信彦個人史的で見ると『ヒッチコック・マガジン』の立ち上げに始まり、井原高忠との付き合いを中心としたテレビ・ラジオでのマルチタレント業、そして宝石社の退職、作家を目指すもすぐに結果は出ず、小さな雑文業で食い繋いでゆくうち『喜劇の王様たち』出版の話が来る、といった2637歳の時代。この10年の重大ニュースとして本書にて言及されている中では、最後のほうに出て来る〝三島由紀夫自決〟もショッキングだが、なんといっても注目は〝東京オリンピック〟であろう。あの頃から小林は日本でのオリンピック開催を嫌っており、どうやら今回の令和 Tokyoオリンピックは彼にとって前回以上の憂鬱な日々になりそう。同じくオリンピックの日本開催否定派を貫いてきた久米宏は今何を考えているのか。

 

                     🖋


好きな人間と嫌いな人間に対する意識の差が実に極端、という傾向もある。
「こんな嫌いな奴の事なんて日記に書く必要ないのに」と私なら思ってしまうようなことでも、彼は書かずにはいられないのだろう。とはいえ『ヒッチコック・マガジン』編集長を降ろされる前後の経緯は『夢の砦』に書いたせいか、ここでは省略された。芸能界と小説執筆の舞台裏に関する分量は申し分ないとして、江戸川乱歩及びその周辺についての生々しい情報がもう少し知りたい。日記の原文には書いてあって、本書にする時カットしたのかもしれないが。それとのちに彼が地味ながら食道楽になるのは、この時代にテレビ関係者と会食する機会が増え、シャレた食い物の味を覚えたからに違いない、と私は見ている。

 

 

若くて血の気が多かった頃の信彦氏の一挙手一投足は自然と、もう戦後ではない日本の首都東京で起きていた60'sカルチャーの貴重なレポになっていて、失礼を承知で言わせてもらうならば、もし小林信彦が天命を全うしたなら通常の作家のような ❛小説をメインとした全集❜ ではなしに ❛日記全集❜ で追悼して頂きたい。だって小説もエッセイも評論ものも数が多すぎて、今時そんなボーダイな巻数になる全集なんてどこの出版社も出そうとしないだろ。

でも日記の全集ならば・・・本書のように各10年分を一冊にeditしてみるとか。最大の理解者である賢夫人の奥様に本当は編纂をお願いしたいところだが年齢的に難しそうだし、編集者の仕事をしている娘さんならどうか? 小林本人がまだ健在なのに調子に乗って没後の話をするのもアレだけど、『小林信彦日記全集』が刊行されたらきっと過去に前例のない時代観察資料になる。


 

 

 (銀) 余談をいくつか。本書の初刊である白夜書房版単行本は『小林信彦60年代日記』という書名で発売された。残念ながら、そちらは持っていない。日テレが『ズームイン!! !』を始めるきっかけを作ったのも井原高忠。昔から私は夜型ゆえ朝テレビを見る習慣がなくて、あの番組をじっくり見た事が一度もない。それと本書を読んでビックリするのは、この時代の芸人には字を読めない人がいたということ(視力が弱いという意味ではない)。彼らのステイタスがあまりに低かったのは、こうした貧しい出自と無関係ではあるまい。

 

 

横溝正史の生前に刊行された幾つかの著書に収録されていた日記(抄)が、文庫化の折、すべて削除されてしまい、現在に至っていることは前にも述べたかもしれない。プライベートな記述があって、それを家族が嫌がるのであれば、そういう箇所はdeleteしてかまわないからせめて創作に関して語っている部分だけでも拝読させてほしい、というか一切合切闇に葬るのだけはヤメテクレ。正史の娘が結婚する前にお見合いがポシャっていたとか、少なくともそんな話は私の興味の対象ではないのだから。




2021年3月29日月曜日

『とりあえず、本音を申せば』小林信彦

NEW !

文藝春秋
2021年3月発売



★★★★  『決定版 日本の喜劇人』を準備中?




コンビニで『週刊文春』を立ち読みしても、このコラムがまだ続いているの確認するだけで、「本音を申せば」シリーズの単行本を買って読むのも近年はすっかり惰性になっていた訳です。(桑田佳祐が『文春』にエッセイを連載しているのは、大森隆志の事とか自分やサザンのヤバい部分を極力ほじくり返させなくする為だと思う)

脳梗塞をやって骨折もして気分も沈みがちになっていそうで、これ以上小林信彦に仕事をさせるのはさすがに酷なんじゃないか、と。昨年までは発売日をキッチリ押さえ通販で買っていたけど今回は楽天ブックスで予約注文するのをてっきり忘れ、書店の新刊コーナーに並んでいるのを見つけて慌てて買うような始末だったんですわ。

 

 

その上にコロナでしょ?もし五体満足であっても映画館へは行けない有事なんだから、信彦氏が欝状態になっててもおかしくないな・・・と思いつつページをめくると『決定版 日本の喜劇人』の出版準備をしているそうで。最終形だと思われた『定本 日本の喜劇人』(新潮社) 収録分「日本の喜劇人」の増補改訂だろうか? まもなく発売予定との噂だが、萩本欽一との『ふたりの笑タイム』について書いた当blog記事(20201127日)で述べたとおり、執筆できる体力があるのは喜ばしいけれど、まっさらな新作の喜劇人本を望むのは難しそう。
はてさてどうなる?


 

 

2020年は志村けんの死がショッキングだったこともあり、本書でも紙面が割かれている。故いかりや長介以外ドリフは興味の対象ではなかったため、改めて小林は志村の自伝『変なおじさん』を読んだそうだが、私がビックリしたのは『ドリフ大爆笑』で志村と(〝一等賞〟にこだわっていた頃の)沢田研二、この二人がやる鏡コント(志村が鏡を見ている体裁で、鏡に映っているかのように志村と向かい合っているジュリーが志村の仕草を真似して、そのうちジュリーをおちょくるため志村がフェイントをかけたり、品の無い事をして笑わせるというもの)を、今回の志村の死によって小林は初めて知ったそうで。

あれのオリジナルはマルクス兄弟の〈ミラー・シークェンス〉だと本書は教えてくれるけれど、昭和の人ならほぼ誰でも覚えていそうな志村とジュリーの名コントをまさか小林が知らんかったというのは意外(トシだし忘れてしまったのかも)。



                 志村+ジュリーの鏡コント

                 youtubeにもupされている



『全員集合』ならばともかくスタジオ・コント、しかも大スターのジュリーなら嫌がりそうな事を『ドリフ大爆笑』で演っていたのは、ジュリーもドリフも元は同じ渡辺プロ所属だったから、その縁で仕方なくやってるんだろうな私は思っていた。しかし後年ジュリーと志村が再び組んで歌とコントのショーをやっているのをTVで見た時、「この二人はガチで仲が良かったんだな」とわかり、なんとなく嬉しかった。



その他、菅義偉が「ガースー」と呼ばれる理由は『ガキの使い』のプロデューサー・菅賢治からきているのも、どうやら最近知った様子がうかがえる。元祖ガースーはとっくに日テレを辞め、『ガキ』の現場からも離れて数年経っているが、ダウンタウンは小林にとって志村以上に興味の無い存在。博覧強記とはいかない事がいろいろ存在するのでアル。逆に『週刊プレイボーイ』で小林が下着グラビアをチェックしたという林田岬優って誰?ググって見たけど・・・・ま、深田恭子しかり氏のオンナの好みは時として私には理解不能なところがあるからな。

 

 

車椅子生活で外出も不自由なのだから本やDVD買うのはネット通販を使えばいいのに、いまだにPCとかスマホとかネットを使う気はないみたい。このお年で、今更使い方なんか覚えたくもないか。その流れでDVDの再生機を〝白いキカイ〟などと書いてて、つい笑ってしまう。

そう、時代から取り残されていようが取り上げるネタに変化が無かろうが、この感じでクスッと笑わせる筆の調子が暗くなっておらず、現在の体の不便さのわりに明るさを失ってなかったからホッとした。激励の意味を込めて、★1つおまけでプラス。




(銀) 本書の中で当blogに沿うようなネタといえば、獅子文六と谷崎潤一郎か。あ、あと『野呂邦暢ミステリ集成』にも少しふれてあったっけ。世の中には志村けんが亡くなった途端『志村どうぶつ園』を見てほのぼのしたり、時には泣いてるバアさん達がいて閉口する。昔、ドリフやバカ殿は俗悪番組だ!とか言ってさんざん叩いてきたくせに。バカ殿もある時期からエロ・ネタを控えるようになってしまった。スケベじゃないバカ殿なんてちっともバカ殿らしくなくて私は物足りない。



話を小林信彦に戻すと、元気な時にネットの味を覚えなかったのならば、それは正解だったと思う。ナーバスな気質の上、ネットの陰湿さを知ったら、現在のような体になってしまうと余計に絶望感が増してしまって、生きることもきっとイヤになりそうな氏の気持が想像できるからだ。





2021年3月21日日曜日

『大乱歩展記念講演会/小林信彦「乱歩の二つの顔」』

NEW !

神奈川近代文学館 デジタル文学館
2021年3月公開



★★★     17分のアーカイヴ音源




2009年秋、神奈川近代文学館にて「大乱歩展」が開催され103日(土)午後2時オープニングトークショーのゲストとして小林信彦が登場した。その日のレポートは当blog 202079『森繁さんの長い影』(小林信彦)の記事に書いておいたが、あの時のトーク音声をまさか神奈川近代文学館がwebサイト上にて公開するとは思わなんだ。小林側もよくOKを出したな。だって前述の記事に書いたように、小林が壇上で喋っている時に(かなりの間)約一名のうすら馬鹿なオヤジが発する大イビキがホール中に響き渡り、そりゃあもう静寂の中の地獄絵図みたいだったんだから。

 

 

このweb音源を聞いてみると、upされたのは約90分の講演時間のうち約1/6,つまりたった17分程度。江戸川乱歩によって『ヒッチコック・マガジン』編集長に取り立てられるキッカケから急に音声が始まり、雑誌作りのやりとりを乱歩邸で行う際のエピソードやら、馘を通達される話、小林から見た乱歩と松本清張の関係、晩年の乱歩の悲哀、今回聞くことができるのはこういった話題。聴衆の笑い声もかすかに聞き取れる。

 

 

普通の人はこの17分のトークを聞いて「おお~」と喜ぶのかもしれないけれど、乱歩についても小林信彦についてもある程度知り尽くしている人間からすると、これまでの小林著書に書かれてきた以上の初公開ネタは無い。本当は宇野浩二のこととか話したかったらしいのだが、どういう聴衆が聞きに来るかわからないのでマニアックなネタは一切控えたみたい。あの場では、当時都知事だった石原慎太郎の「慎太郎ミステリ」について言及しようとしていた。その「慎太郎ミステリ」は今日に至っても盛り上がりそうな気配は全く無し。(作家・石原慎太郎が再評価される日なんて来るかね?)

 

 

壇上の小林がどんな話をしていたにしろ、さすがに例の大イビキが鳴り響いている部分は跡形も無くカットしているので、この音声だけ聞いた人は小林が終始楽しそうに話していたものと誤解してしまいそう。今回の音源はブツ切りをつなぎ合わせた感じには聞こえないけど、全体の90分から都合の悪い部分を排除しただけではなく、実際使えそうな部分を編集している様子。こんな事ならあの場でトークの全編を録音しておけばよかったかな。

 

 

 

(銀) あれから10年位経っているので懐かしくもあったが、このトーク音源を公開するのは(あの時の小林信彦の気持を考えると)ちょっと可哀想。あと改めて思ったのだけれども、小林ひとりにずっと喋らせるのではなくて、神奈川近代文学館長を当時務めていた紀田順一郎が聞き役になっていれば、より望ましい内容になったかもしれない。「大乱歩展」そのものは、2004年に池袋東武百貨店にて立教大学の仕切りで行われた「江戸川乱歩と大衆の二十世紀展」と比べてはるかに素晴らしい内容だった。



え~、よそのブログでは関連サイトへすぐ移動できるリンクを文中に張っておられますが、私のところは不便さが売りでして。神奈川近代文学館のHPへ行けるリンクも本来ならば張っておいたほうが便利に違いありません。しかし、そのリンク先にあるデジタル文学館上の音源とて、いつかは儚く消されてしまう運命にあります。誠に御手数ですが、ご自身でググったりしてデジタル文学館の場所を見つけて下さいませ。





2020年11月27日金曜日

『小林信彦萩本欽一/ふたりの笑タイム/名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏』

2014年1月27日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

集英社
2014年1月発売



★★★★   小林信彦の目の黒いうちに出る喜劇人本としては
              これが最後になるのかもしれない




(探偵小説には何の関係もない内容だが小林信彦の本だし、せっかく書いたレビューだからこのBlogへ救済しておく。彼の年齢・体調を考えると既発物の再編集、あるいは今迄世に出してなかった原稿を蔵出しする本ならば発売される可能性は残されているけれど、今後新しく喜劇人本を書き下すのはかなり難しい作業だと思われる。幸い小林は脳梗塞から復帰して『週刊文春』エッセイを連載しているが、まっさらな新作となる彼の著書を我々はあと何冊読むことができるだろう?)


                    ☟



小林信彦が執筆するいつもの喜劇人評伝スタイルを採らず、今回は萩本欽一とのリラックスしたトーク。欽ちゃんのキャリアを辿るのではなく、彼らふたりの好きな喜劇人について語り合い、それゆえお互いの関係性も改めてよくわかる。




欽ちゃんが「あれはどういうことなの?」と聞き手側に回っている部分が多いのは、長年のつきあいによる信頼と彼のバランス感覚なのかなと思っていたら、本書は萩本サイドから小林と話をして本を作りたいとオファーを出したという。そういう訳で既出の小林信彦喜劇人本とは一味違う風合いになった。




名プロデューサー井原高忠の話に始まりコント55号「飛びます飛びます」の成り立ちへ。TVよりも舞台での演者の魅力に自然と話は傾く。3章以降に登場するのは渥美清/クレイジー・キャッツ/フランキー堺/エノケン/伴淳三郎/森繁久彌/由利徹/三木のり平ほか多数。浅草演芸界の楽屋話もある中、萩本の師匠である深見千三郎の存在が話題に出てこなかったのは不思議。このトークでの萩本の興味は、同じ深見の弟子であるビートたけしについても対象にしていなかったようだ。

 

 

現役選手だと伊東四朗やタモリには触れているが、若手(?)で名が出てくるのは作家畑の三谷幸喜と宮藤官九郎ぐらいか。それは80年代の漫才ブーム以降、彼らが「いい」と思える喜劇人が誰もいないことを暗に示してもいる。

 

 

対談だからこそ語れる、初めて知る逸話もいろいろ。紙面上では萩本の語り口にTVで見るあのクドさが表れないのが良かった。9歳年下の萩本が日本の喜劇史について小林に教わっている構図がなんとも言えずおかしい。




(銀) この本のレビューで思い出すのは、くだらない事に詳しい知人がその頃私にしてくれた話。そいつ曰く「集英社ってさ、新刊本が出ると発売日には速攻でAmazonにその本の絶賛レビューが付くんだよ。そのレビュワーが過去にどんなレビュー書いたか見てみると、集英社の本にしかレビュー書いてなくてどれも全部★5つ。すごいわかりやすいステマ活動だわな~。」

 

 

知人によると、女性タレントの写真集界隈でその話がネタになっていたらしい。で、めったに集英社の本を買わない私も本書を買ったのでAmazonにレビューを投稿したら、もう既に本書の発売日(124日)に絶賛レビューを投稿している〈コトブキ ツカサ〉という人物がいて「ああステマってこういうことね」と納得。たしかこの時、出たばかりの集英社の本を試しに三~四冊(何の本だったか忘れてしまったが)アトランダムに選んでAmazon上で見てみるとどれも同じ状態。発売日に早速絶賛レビューが投稿済みだったのでやっぱり単なる噂では無かった。

 

 

Blogへ本書のレビューを救済するので久しぶりにAmazonで本書のレビュー欄を見てみたら、その〈コトブキ ツカサ〉という集英社ステマ工作員のレビューはまだ残っており(ちなみに私の投稿したレビューはこのBlogに掲載した時点でAmazonからは撤退済み)、この人のペンネーム部分をクリックし過去の投稿レビューを見ると四件しかなくて、そのどれもが集英社の新刊で絶賛ばかりなのが今でも確認できる。

 

 

今でも集英社が相変わらずAmazonでレビュー工作をしているのか、知らない。このBlogを書くだけで大変なのに、そんな事までいちいち調べている暇も無いしね。でも「集英社 ステマ」で検索すると「ジャンプ編集部がステマを謝罪」「集英社がワンピースのステマ活動を認め炎上」という記事が色々ヒットしてくるから、懲りずに手を変え品を変えセコい自作自演を続けているのだろう。




2020年9月9日水曜日

『四重奏(カルテット)』小林信彦

2012年8月16日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

幻戯書房
2012年8月発売



★★★★  再録に頼らず、単行本初収録作のみで構成していれば



日本のミステリ業界に関わっていた小林信彦の青春期を縦軸、戦前の博文館から戦後の宝石社の内幕を横軸に織り成し、そこで小林と交差した者たちのポルトレエを収むる。四篇のうち「夙川事件」(単行本初収録)だけは小林が生まれる前の出来事なので全て実名でドキュメンタリー風に書かれた、谷崎潤一郎・渡辺温を中心とする戦前の『新青年』余聞。「半巨人の肖像」「隅の老人」「男たちの輪」(単行本初収録)は人物を擬人化し(小林信彦=今野、江戸川乱歩=氷川鬼道)、『宝石』『ヒッチコック・マガジン』の人間関係を活写。



恩人・乱歩の晩年の憂鬱をここまで筆に出来たのは小林だからこそ。また乱歩と同じく全篇に登場する真野律太は戦前は博文館の社員だった人で、『講談雑誌』の編集長を務めたこともあるのだが、小林が出会った頃は宝石社で校正を担当するみすぼらしい老人だった。国枝史郎の「神州纐纈城」をきっかけに真野が小林に心を開くシーンは何度読んでも心温まる。「半巨人の肖像」「隅の老人」そして「男たちの輪」のリンクした三篇は重い結末を迎えるとはいえ、「男たちの輪」のラストで今は亡き翻訳者・稲葉明雄(=佐竹)と小林の友情が永遠のものとなり、唯一私達は救われる。

 

 

老齢になった氏の現在の興味がもう日本のミステリに向いてないのは重々承知していても、小林信彦だからこそ、このジャンルでもう一仕事してくれる事をついつい望んでしまう。内容的には★5つにしたいのだが、長年の読者からすると近年の文庫で入手が難しくない「半巨人の肖像」「隅の老人」の代わりに新しいものを書き下してほしかったという気持が強くある。

 

 

より読み易くする為、登場人物や雑誌名を統一し手を加えているので「隅の老人」は従来のものと別versionになってはいるが、誰か小林とウマが合いそうな才人を聞き手に、濃厚な日本の探偵小説対談でもしてくれれば・・・人嫌いの氏がいまさら未知の人と対談するのが困難なのは長い付き合いでよく解っているつもりだけどね。

 

 

それに四つの要素から一つのテーマを表現したいという文学的意図はよく解るけれども、もっとミステリ・ファンが食い付きやすい書名とカバーデザインにした方がより売れるのでは? 出版社を見てみる。「幻戯書房」って聞かない名だなと思いググったら、言葉狩りなどテキスト改悪が大好き~売れさえすれば中身はどうでもいい角川書店の系列会社ではないか。小林に非は無いが版元が嫌いなので評価★4つにはしたが実質は★3.5と見てほしい。




(銀) 『四重奏(カルテット)』はおそらく本書リリースの三年前の夏に突如雑誌『文學界』に発表された「夙川事件」をなんとか単行本に入れたいと編集者からオファーされ、それで出すことになったのではなかろうか。

 

 

Amazon.co.jpに投稿されたレビューなんぞ当てにならないもんばかりなのは各位よくご承知のとおりだが、本書の感想でも小林に対してルサンチマン呼ばわりしたり(本を読まないでいつもレビュー投稿している人間がよういうわ)、常盤新平・大坪直行への恨みつらみがどうのこうのとか、Amazonに常駐している三下レビュアーなんてそんな事しか読み取れないアホしかいないのだと、小林信彦に代わって毒を吐いておく。

 



2020年7月9日木曜日

『森繁さんの長い影』小林信彦

2010年5月13日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

文藝春秋
2010年5月発売



★★★    この年後半の「本音を申せば」では
          乱歩についてもっと語ってほしかったのに





2009103日神奈川近代文学館開催「大乱歩展」のオープニング記念講演で小林信彦が久々に人前に登場。「生の小林信彦が!」「『ヒッチコック・マガジン』編集長だった頃の江戸川乱歩との知られざるエピソードが聴けるかも!」と信彦ファンのみならずミステリ・ファンは色めき立ち、当日は平井憲太郎や新保博久も姿を見せるなど聴衆が殺到。しかしその講演内容は来場者が〝濃いネタ〟についてこれず退屈してしまうのを懸念したのか、目新しい話は殆ど聴けずに終わってしまった。トークの調子も大竹まことのラジオに出演する時のような軽妙さに欠け、いささか緊張気味だったか。

 

 

雑誌『文學界』20097月号掲載にされた『回想の江戸川乱歩』外伝ともいうべき「夙川事件谷崎潤一郎余聞」は非常に良かった。おなじみ『週刊文春』の連載コラムで「大乱歩展」講演についての仄めかし(本書中に3ヶ所)があって、〝濃いネタ〟を聴けなかった103日の講演とは違い、今度こそ「ディープな乱歩ネタを!」と再度ファンは期待した。しかし・・・この時期タイムリーな乱歩の話題ではなく、どうして笠原和夫の想い出話だったのか? しかも二回も。

 

 

このところ「衰えた」とよく言われる信彦氏。かつてグアムの空港で偶然大竹まことに出会った想い出とか、確かに「またこの話?」と言いたくなる昔話を度々コラムで読まされるようになった。もうすぐ80歳の老体だし仕方のない事ではある。それでも未だに、ラジオしか聞かないと言いながら何だかんだでTVのチェックをしているのがこの人。福田沙紀がどうの貫地谷しほりがどうのと言っているうちはまだまだイケル筈と思いたい。それだけに往年の毒や切れ味は鈍ってもコラムのネタの選択はブレないでほしい。

 

 

小説二本の構想を練っているようだが、小林の真価はオタク度や思い出し怒りが昇華された時にこそ光る。『うらなり』のような小説よりはエンターテイメントの見巧者、日本ミステリー界の生証人、古き良き東京人としての仕事を望みたい。残された時間で氏は何を見せてくれるのか。CDブック『藤沢周平名作選』に執筆した「森繁さんの長い影」をボーナス収録。 


 

 

(銀) 本書とは関係ないのでAmazonレビュー投稿時には詳しく書かなかったけれど、「大乱歩展」の講演は小林にとってなんとも気の毒な結果に終わった。このBlogでなら、あの場で起こっていた事を書いてもいいだろう。「大乱歩展」が開催されたあの年、10月アタマといっても外はまだまだ暑かったのを今でも記憶している。会場のホールは空調が効いており、暑い中、山手の丘の上まで汗をかきつつ足を運んだ来場者が心地良くなるのはごく自然な状況だった。

 

 

小林の講演が始まってどれぐらい経った頃か、ひとりの男性のイビキが静寂なホールに響き渡り始め、その騒音は次第にボリュームを増していった。ホール最後列にいた私の位置でさえ物凄くうるさかったぐらいだから、そいつの傍の席に座っていた人の気持ちは如何許りか。なにより一番の被害者はそんな劣悪な状況下、ひとり話し続けなければならない壇上の小林信彦だ。露骨に気分を害しているオーラが私にも手に取るようにわかる。客席はというと、誰もみな気づかないふりをしている。

 

 

イビキが止まないと判断して、神奈川近代文学館の職員がそいつをホール外へ叩き出すべき、と言いたいところだが、百歩譲ってもイビキを発しないようせめて誰かが「起きなさい」と注意すべきだった。絶対に。私がそいつの隣に座っていたら100%どついていただろう。「うるせえ!信彦さんが話してるんだ。眠いのなら出ていけ!」と後方からでも怒鳴ってやればよかったと、あとになって私はすごく後悔した(ホントに)。マナー知らずのイビキ野郎に何も言えないような人ばかりしか(私も含め)その場所に来ていないのが不幸だった。

 

 

そんな参加すべきではないオヤジがたった一人来ていたおかげで、他の聴衆はどう思ったのか知らんけど、私にとってはサイアクの講演に終わった。きっと信彦氏もまことに不快な仕事だったろうと、帰路私は同情の念を抱いたのだった。