2021年4月30日金曜日

『雪割草』横溝正史

NEW !

戎光祥出版
2018年3月発売



①  初刊本制作時に不完全だった最終回のテキストが確定




今回の記事は基本、再発された角川文庫版『雪割草』を軸に書いている。                     幻の長篇だった「雪割草」は戎光祥出版のハードカバー本(以下、初刊と略す)を所有してるしまして角川だから買う気などサラサラなかったのだが、単行本の底本に使われた新聞のマイクロフィルムにて最終回冒頭における一部分の文字がごっそり欠落していたため、仕方なく初刊では浜田知明が欠落箇所を推測して埋めるような処置を施していた。つまり横溝正史が書いた本来のテキストの完全な復刻ではなかったのだ。もっとも正史の著書は昭和末期から今に至るまで、 角川書店をはじめ各大手出版社による言葉狩りを何度も喰らってきたのだから、テキストの完全復刻がされていないのは今に始まった事ではない。「死仮面」なんていまだに一度も正しい形で再発されてない体たらくで、ただ「情けない」と冷笑するばかり。




で、「雪割草」最終回の欠落していた部分が首尾よく発見され、今回の角川文庫版(以下、本書と略す)を用いて正しく訂正されるというので、しぶしぶ入手せざるをえなかった。          但し初刊にはあった【校訂通則】【連載予告(作者の言葉)/初めて読まれる方に】、        そして『新潟毎日新聞』~『新潟日日新聞』に矢島健三が描いた味わいのある【挿絵】、        これらが省かれてしまっている。 


                    



それじゃあ小栗虫太郎「亜細亜の旗」の時と同じように、                            今回沢田安史が見つけ出した新潟以外の掲載新聞も含む「雪割草」連載紙を一覧にしてみたい。


 

『京都日日新聞』  1940611日~1231日連載

ぴったり大晦日で完結しているのは、編集局側と横溝正史の間で年内に完結させる擦り合わせが滞りなくできていたからだと思われる。                                         「雪割草」の後に連載されたのは小栗虫太郎「美しき暁」(「亜細亜の旗」の旧題)。


 

『九州日日新聞』  1940107日~1941715日連載

この新聞のみタイトルが「雪割草」でなく「愛馬召さるゝ日」にされており、                 なぜ他の新聞より34ヶ月長い連載だったのかもよく解らない。物語の大詰めで馬が御国のため供出される重要なシーンがあり、先行紙『京都日日新聞』でその場面へ辿り着くのは『九州日日新聞』が連載を始めて既に2ヶ月経過した頃。まさか九州は雪が少ないから〝「雪割草」じゃなく別の題名にしてほしい〟なんて要望が『九州日日新聞』から出された・・・とは考えにくいけどいずれにしろ「愛馬召さるゝ日」より「雪割草」のほうがはるかに、            この物語の全体像を歪める事なく伝えうるタイトルであるのは衆目の一致する意見だろう。


 

『徳島毎日新聞』  1941111日(?)~82日連載


 

『新潟毎日新聞』→『新潟日日新聞』  1941612日~1229日連載

初刊本書ともに、テキストの底本として使われているのは最初に発見されたこの新聞。                      途中で掲載紙名が変わっているのは例の「一県一紙令」が発令されたから。


 

という具合で、現在判明している掲載紙はこれだけ。このように当時未刊だった新聞小説の場合後から手を加えられる可能性も考えてやはり後発テキストを優先すべきなのか、それとも最初のテキスト(「雪割草」でいうと『京都日日新聞』)を重んじるほうが良いのか、判断が難しい。しかし悲しいかな、どの新聞も完全に保存されている訳ではないのでどうしても欠落した回が 出てくる。そうなると、なるべく全ての回が揃っている新聞を使って、              欠けている回がもし見つかったなら他紙テキストで補う、そういった手順にせざるをえない。


 

                    



次に、今回の文庫化で最大の売りとなる〝初刊制作時欠落していた部分のテキスト確定〟だが、本書を見ても最終回のどこの部分が欠落していたのか解りやすいように記してないので、     ちょいと長くなるが 該当箇所をここに挙げて比べてみよう。                      本書には収録されていないが、初刊421頁『新潟日日新聞』マイクロフィルム複写図版を見ると最終回の数行にわたる上部数文字がゴッソリ空白になっているのが確認できる。



下の【初刊】テキストで色付けした部分が、                               本来のあるべき【本書】テキストとは異なっていた箇所。


 

【初刊】  407頁下段 「花の宴」(八)

昨日、楓香先生の奥さんがいらしてくださったのね。どこでお聞きになったのでしょうか、 餞別だといわれて、本当に沢山のものを頂戴したのよ」                  有爲子は驚いてしばらくは言葉が出なかった。                      代わりに仁吾が感慨ふかく呟くのだった                                「そういう人なんだよ、あの人は。そうして何事も徹底しなければいられない性質なんだ。 ああいう人がこうと決めたとすれば、こちらは従うしかない。木實さん」          と改って、                                      「僕からもお願いします。その餞別は快く受取っておいて下さい」             と頭を下げる。                                    木實は声を昴めて、                                  「あたし余りに嬉しかったので、餞別を頂戴したのが嬉しかったというより畏れ多くて。あたしのような者にまで、気を配って下さる。というのも、つまりはそれだけ、奥さんは有爲子さんがお気に召しているのだと思って仇やおろそかには受取れませんでしたの」


 

【本書】  567頁 「花の宴」(八)

「ええ、楓香先生の奥さんがいらして下さいましてね。どこでお聞きになったのですか、   餞別だといって、ずいぶん沢山のものを頂戴したんですよ」                               「まあ!」                                      有爲子も仁吾もしばらくは言葉もなかった。                          やがて仁吾が感慨ふかく呟くのである。                         「そういう人なんだよ、あの人は・・・・・恩讐ともに徹底しなければいられない性質なんだ。ああいう人に怨みを買ったとすれば、こちらが悪かったのだ。木實さん」                         「はい」                                              「僕からもお願いします。その餞別は快くおさめておいて下さい」                      「ええ」                                               木實も力をこめて、                                         「あたしも実は嬉しかったので。いいえ、戴きものが嬉しかったという意味ではなくて、あたしのような者にまで、気を配って下さる。というのも、つまりはそれだけ、奥さまに有爲子さんがお気に召しているのだと思って仇やおろそかには受取れませんでしたの」


 

 

こうして見ると浜田知明が埋めたテキストは殆ど的中していないのがよく解る。            我々に馴染み深い戦前の正史作品以上に「雪割草」では旧くて美しい言葉遣いがされており、   正史オタの浜田のみならず現代人がその文体を真似するなんて土台無理な話だったのだ。



以上、書誌データを書くのに思ったよりスペースをとってしまった。内容その他の話題は明日。                   ②につづく。



2021年4月25日日曜日

『童女裸像』宮野村子

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2021年4月発売




★★★★   この作家に従来見られなかった
           「童女裸像」における少年目線の青い性




『無邪気な殺人鬼』に続く宮野村子未刊作品集第二弾。                          改めて掲載誌一覧を見るとマイナー雑誌への発表多し。以下、カッコ内は初出年度。


 

   「狂い咲き」(昭和24年)

無邪気な殺人鬼』はなかなかエグい作が入っていたが、本書もいきなりヒステリーにまかせて猫を殺すという動物愛護にうるさい人が読んだら激怒しそうなシーンからスタート。      美津江は人並み外れた美しさを持ちながら、度が過ぎて傲慢かつ奇矯な女に育ってしまった。     後半の展開を読んでも果して読者は美津江にシンパシーを感じるだろうか。 

 


    「かなしき狂人」(昭和25年)

タイトルに〝狂人〟とあっても、こちらにはまだ哀切がある。                        終戦から三年後突然復員してきた正春だったが、酒に溺れてすっかり荒れた性格に変貌。                正春の母に仕えるユキは今に起こるかもしれない凶事に脅える。



   「草の芽」(昭和27年)

探偵趣味は無いが『無邪気な殺人鬼』収録の「運命の使者」とも通じる温かさを覚える一篇。 主人公・お重は生活こそ困らねど、とっくに夫はこの世を去り息子・弘一も戦死。女の悦びとも縁遠くなっていたのだが、部屋を貸してほしいと突然やってきた老人に世話を焼きつつ愛情を 抱き始める。この頃宮野村子はまだ30代半ばの年齢だが孫に「お祖母ちゃん」と呼ばれるような初老女の面倒見の良い性分がよく書けている。

 

 

    「山の里」(昭和31年)

若い時分命がけで愛していた妻が、自分が目をかけていた若い男と密通したため両者もろとも 射ち殺した過去があるという赤沼。酒場を辞め山中の村でそんな赤沼と一緒に住み始めた絹枝。      この作品を読んで、どっちに非があるとアナタは思いますか?                       ぶち殺される狐。ここでも動物に容赦ない宮野。

 

 

    「蝋人形」(昭和33年)

地方新聞の部長をしている敬治は街娼ルミと出会う。まるで蝋人形のような冷やかさを持つ彼女を囲おうとして、戦争で不具者になってしまい人目を嫌って隠遁生活している旧友・勝也の家に匿わせる。男性探偵作家にはよくピグマリオン嗜好が見られるが、この作の蝋人形はどうなる?

 

 

    「狂った罠」(昭和35年)

たいした趣向でもないけれど香りを用いた殺人トリック。そのためにシェパードが利用される。                  動物に対して、もうやりたい放題じゃん。


 

   「雨の日」(昭和38年)

⑧  「花の影」(昭和37年)

宮野村子には珍しく、この二作どちらにも広岡巡査というキャラクターが出てくる。          両方とも『別冊週刊漫画TIMES』という雑誌に発表したせいだろうか。                     あと、「花の影」にも冒頭の「狂い咲き」にも〝種子〟という登場人物の名が見られるが、   特に関係はなさそう。この本、発表順に並べているのに「花の影」だけ「雨の日」より後に   載っているのはなんで?

 

 

   「童女裸像」(未発表「宮野村子」名義)

これのみ中篇で、生原稿を高木彬光が預かったままになっていたもの。同じ未発表原稿でも  『無邪気な殺人鬼』収録の未発表作「死者を待つ」よりこちらのほうが良い。少年の眼を通して描かれる少女の透き通った裸体から匂い立つ青い性なんていうのはいつもの宮野には見られない題材。男性作家が書きそうな肉のエロティシズムとは少し違って、どちらかといったら精神的なな性表現。



戦争前とても可愛がってくれた深見義行のもとへ、愛する三重子自分は殺してしまったかも  しれないと頼ってきた淳。しかし弁護士であり少年時代の淳をよく知っている義行はどうしてもそれを信じる事ができない。三重子の死の真相は?淳の脳裏に今もハッキリ残っている子供の頃の清らかな三重子の裸体はなぜ汚れているというのか?折角余韻を残すエンディングで終わる のに本書のテキストを打ち込む人間がそこでまたミスをしており興醒め。


                            淡くほのぼとの → (✖)

                            淡くほのぼのと → (〇)




(銀) 宮野村子の新刊が読めるのは嬉しいけれど、                           前回の解説を書いたのが彩古(古書いろどり)で今回は野地嘉文。盛林堂書房の本だとこういう奴等に御鉢が回ってくるから嫌だ。解説執筆を頼むべき適任者はもっといるだろうが。



その解説の中で野地は宮野村子を酒豪扱いしているが、実際どうだったんだか。       その都度どういう状況にあって、宮野がどういう飲み方をしてたのかわからんし。      でも山田風太郎との一件(2020年7月7日当blog記事を見よ)を読む限り、           飲み過ぎて「抱いて」と絡んでくるような女性の事を酒豪とは普通言わんけどな。




2021年4月23日金曜日

『秋聲翻案翻訳小説集/怪奇篇』徳田秋聲(訳)/蓜島亘(編)

NEW !

徳田秋聲記念館文庫
2021年3月発売



★★★★     金沢発のオシャレな文庫本




通販で北陸方面の古書店を利用すると、一体どういうつもりで商売しているのか腹に据えかねる店が時たまあって、その代表が石川県の金沢文圃閣。本の状態を正しく記載せずに販売している杜撰さでは日本一。昔から福井人が好きじゃないし私は北陸とウマが合わないのかもしれん。 この店は出版業も行っており、そっち方面の業績は認められているのかどうか知らないが、  古書通販の面ではなんでこんなに年中いい加減なんだ?                             片や、通販における古書店員の対応の無礼さNo.1はダントツで都内の古書ワルツだけどね。           青梅店・荻窪店いずれも同様で、店長の性格が捻じ曲がっているとしか思えない。

 

 

同じ金沢でも今回取り上げる文庫を発売した徳田秋聲記念館はとても感じのいい接し方だった。         だいたい個人作家の記念館を経営する事だけでも困難を伴うのに、帯まで付いたシックな装幀の文庫を制作できるなんてたいしたもの。そのポテンシャルは街の人口の多さだとか作家の知名度とは全く関係なく、運営者のセンス・実行力・愛情が揃っているからここまで実践できている のに違いない。勿論、自治体など地元の金銭面バックアップも行き届いているんだろうけど。 


                    


さてさて徳田秋聲という作家について、私は全くの門外漢。                              シャレたこの文庫本にはどんな小説が収められているのか、興味津々。                   



前半はナサニエル・ホーソン『トワイス・トウルド・テイルズ』から採られた三篇。             どれもイソップみたいな、あるいは三橋一夫「まぼろし部落」シリーズのような寓話風。  

    

△「楓の下蔭」(原作「デイヴィッド・スワン」)翻案

本書中これだけが「~にあらずや」「~なりき」といった涙香みたいな明治調の文章なのは、  秋聲の師・尾崎紅葉補ゆえ?粗末な身なりだが人品賤しからぬ旅の少年が、川のせせらぎの心地良い叢で熟睡している。そこに通りかかった数組の通行者が少年の寝姿を見つけてそれぞれ   一悶着あるのだが、そんな騒ぎなど何も知らぬまま少年は目を覚まし、その場を去ってゆく。

 

△「霊 泉」(原作「ハイデガー博士の実験」)翻案

老境の将軍と政治家、そして昔は美人だったのに独り者のまま汚れた身に堕ちてしまった媼。 この三人に対し、仙人のような医師が〝それを飲むと昔の相貌を取り戻すという支那の霊泉〟を勧める。すると・・・。 

 

△「人の哀」(原作「大望を抱く客」)翻案

凍える夜。前に断崖、後ろに山裾が聳える過疎の地に住む貧しい家族の住処に一人の旅人が  立ち寄る。人の好い家族は旅人と打ち解け彼の大望の話を聞いてゆくうちに・・・。

 

                      

 

▲「一 念」(原作ウィルキー・コリンズ「奥様のお金」)翻案

伯爵未亡人・磯子が振り出した為替券が紛失し、磯子が目を掛けている十八の娘・美津子に容疑が向けられる。 

 

▲「肖像画」(原作マーガレット・オリファント「肖像画」)翻案

主人公の冬吉は産まれてまもなく母を亡くしている。暫く家を空けており実家へ帰省してみると客間に一枚の肖像画が据えてある。やもめの父はそこに描かれた可憐なる少女こそお前の母親だと云うが、その絵については秘められた因縁があった。 

 

▲「氷美人」(原作コナン・ドイル「ポール・スター号船長」)翻案

最もメジャーな作なのであえて説明の必要も無いとは思うがこれも紹介しとこう。        日本の海軍軍医・敷島太郎は英国北洋捕鯨船の一員。北極海を航行中に船長が奇怪な行動を取り始めたり、身震いするような謎の叫び声を耳にする現象が発生。                        ある夜、船長は誰もいる筈の無い氷上の霧に向かって突然語りかけ、そして遂には・・・。 

 

▲「ロッシア人」(原作アレクサンドル・プーキシン「その一発」)翻訳

露西亜人なのに名をシルヴィオと異国風に呼ぶ男がいる。ピストル射撃に長けた剛の者なのに 乞われた決闘に応じなかったシルヴィオは人々の尊敬を失う。数年後この物語の語り手はさる村へ引っ込む事になり、その土地の伯爵邸でシルヴィオの名を話題に出したところ、意外な反応があった。

 

                       


【怪奇篇】とはいっても広義的で、本当にそういえるのは「霊泉」「氷美人」ぐらいではあるが編者の蓜島亘が丁寧な解題・解説を書いてくれてて有難い。                                   今後もこの文庫シリーズは続いていきそうな感じ。                                   内容的に★4つにはしたけれど、徳田秋聲記念館の挑戦には諸手を挙げて支持する。

 

 

 

(銀) これだけかぐわしい文庫が1,000円で入手できるのだからエライ。           以前、徳島県立文学書道館が発売している「ことのは文庫」ラインナップの中の海野十三の   『三人の双生児』『十八時の音楽浴』を紹介したが、こんなインディーズの形で各地の文学館も今迄読めなかったマテリアルを単行本化してくれるとより楽しい。




2021年4月20日火曜日

『臨海荘事件』多々羅四郎

NEW !

春秋社
1936年5月発売



★★★★    戦前のアマチュアが挑戦した本格長篇



 

春秋社書き下ろし長篇募集企画で蒼井雄「船冨家の惨劇」北町一郎「白昼夢」と争い、二席に入選した作品。しかし過去に一度雑誌『幻影城』に再録されたのみで、2021年現在に至るも再発されそうな気配が一向に無いので救済のため古書ではあるが取り上げることにした。


            ◆


多々羅四郎という人は医者が本業で、何作かの小説をメディアに投稿した経歴はあるけれども、『新青年』『ぷろふいる』といった探偵雑誌との関わりが無い。再び注目される機会がなかったのはそういう処にもハンデがあるのだろう。「臨海荘事件」の六年前『サンデー毎日』大衆文芸一般公募枠に入選した「口火は燃える」という短篇がある。彼の小説で私が読んだ事があるのはおそらくこの二作だけだと思う。他にも別のペンネームを持ち、俳句を作ったり鉄道唱歌の本を出しているようだから、一種の投稿マニアだったのか。昭和18年病死。

 

 

「臨海荘事件」は多々羅自身が探偵作家とはいえぬアマチュアながら本格長篇にチャレンジした戦前では珍しいケースだ。東京大井町にある高級アパートメント「臨海荘」、その13号室に住む本野義高は昔鉱山関係の仕事で成功を収め今は悠々自適の日々を送っている裕福な独り者。その義高が内側から完全にロックされた自室の中で、彼の所有物である鉱石で後頭部を殴られ心臓を鋭利な刃物かなにかで刺されて息絶えているのが発見される。加えて彼が金庫の代わりとして通帳等を入れていたスーツケースが紛失していた。死体の傍の机の上には「高砂」の謡本が開いたまま放置されており、この謡本の存在は終盤まで覚えておくべきアイテムとなる。

 

 

警察サイドが容疑者として睨んだのは義高殺害当日、13号室周辺にいた次の五名。

本野義夫  (被害者である義高の甥)

大枝登   (声楽家)

秋川澄江  (映画女優)

太田耕作  (「臨海荘」の管理人)

中居村二郎 (太田に雇われている小使)

これに対し酒癖が悪いのが玉に瑕の老刑事・長瀬幸太郎が食らい付く。

 

             ◆


アマチュアのわりに文章そのものは読み易い。反面、物足りないのは登場人物や状況設定の在り方が良くも悪くも現実的で、どこか犯罪実話ものを読んでいるような気分にさせられる点。その分リアルではあるし、後半近藤医師襲撃事件が起きたり怪しい人物の尾行シーンなどサスペンスが無い訳では決してないけれど、各キャラクターのアイデンティティにもう一癖二癖あってもいいし、何よりいけないのは(ネタバレになるから詳しくは書けないのだが)13号室を密室状態にしなければならない ❛ある小道具❜ のトリックがいかにも御都合主義であること。この部分さえ誰からも文句を言わせないぐらいの真相に仕立てていれば、もっと評価をグンと上げられるのに。★4つにしているけど実質は★3.5。

 

 

地味でハッタリが少ない分、もし現行本になってもウケがあまり良くないかもしれない。ただ私の場合は『幻影城』の再録ではなくこの春秋社版初刊本で初めて接したせいか、とてもサクサク読み終えることができたし、北町一郎「白昼夢」よりはこっちのほうが好み。本格にトライした長篇だから「口火が燃える」等の短篇探偵小説をプラスして再発してもいいと思うのだけど、「臨海荘事件」は戦前に単行本で出されていながら多々羅四郎が人々の口に上がる事は不思議と無い。

 

 

 

(銀) 古書で小説を読むと、どうしても二~三割、いや時にはもっと面白く体感してしまう。だからあまりに過大評価するのは禁物・・・とはいえ、これよりずっと面白くないのに現行本になってる作家・作品はいくらでもある。なぜ誰も多々羅四郎の再発に動こうとしないのだろう?




2021年4月17日土曜日

『「新青年」名作コレクション』

NEW !

ちくま文庫  『新青年』研究会(編)
2021年4月発売



★★★★ 『永遠に「新青年」なるもの』展の図録と
                   セットで読みたい




B  現在絶賛開催中の神奈川近代文学館『永遠に「新青年」なるもの』展、2021330日の当blog記事で取り上げた企画展図録ともリンクする文庫本が発売されたんですけど、『新青年』研究会というより浜田雄介がこの本も取り仕切っているので、従来のアンロソジーとは少し差別化された内容になってますね。

 

 

A  そうだな。何はなくとも小説から見ていこうか。横溝正史は創作じゃなくてビーストンの 翻訳「決闘家倶楽部」。翻訳短篇はこれのみだけど、あと二、三作入れてもよかったかも。過去のアンソロジーにいつも入っていそうな定番創作でいうと「ニッケルの文鎮」甲賀三郎/「黄昏の告白」濱尾四郎/「空を飛ぶパラソル」夢野久作/「地獄横町」渡辺啓助/「妄想の原理」木々高太郎。

 

 

B  それ以外は、どこかしら一捻りしたセレクトがされています。久山秀子「代表作家選集?」は江戸川乱歩・谷崎潤一郎・甲賀三郎・小酒井不木をネタに使ったパロディで、どっちかというと軽めのコントみたいな。城昌幸「神ぞ知食す」/渡辺温「降誕祭」は、いかにも彼らの特徴を示す掌編。

 

あと谷譲次「白い襟をした渡り鳥」/水谷準「追い駆けられた男の話」とか。本書は年代順に沿って全5章で構成されてるんですが、第3章以降から小説もマニアックなものになっていきます。まず海野十三ではなく丘丘十郎名義で書かれた「軍用鮫」、そして蘭郁二郎は「エメラルドの女主人」と渋いところを突いててちょっと嬉しいです。

 

 

A  だよな。探偵小説自粛期となる第4章以降に見られる著名探偵作家の小説は小栗虫太郎だけで、南洋ものの「血と砂」。中村美与子「聖汗山の悲歌」は『中村美与子探偵小説選』でも読めるけれど、「祖国は炎えてあり」の摂津滋和や「クレモナの秘密」の立川賢、「放浪の歌」の鈴木徹男など、大抵の読者は知らんわな~。戦後版『新青年』からはあと二作、山本周五郎の忍ぶ恋を描いた時代もの「山茶花帖」と稲村九郎名義による三橋一夫の掌編「不思議な帰宅」。ここまで来ると、もう探偵趣味なんか1mmも無いぞ。

 

 

B  いやまったく。で、収録小説をズラズラ紹介してきましたが、本書の本当の肝はそこじゃなくて小説以外の部分にあるんですよね?

 

 

A  そのとおり。アンソロジーというか単行本には載せにくい非小説/コラムの類ね。小酒井不木のエッセイ「毒及毒殺の研究より」なんかすごく面白い。もっと不木の随筆集にも光が当たってほしいもんだ。平林初之輔+ムサシ・ジロウの「未来望遠鏡」は奇しくも現在のリモート・コミュニケーションを予言(?)している。

それから『新青年』毎号巻末に編集部が一筆書いていた「編輯局より」「戸崎町より」等の編集後記もあるし、「阿呆宮一千一夜譚」のコーナーはわざわざ説明する必要もないだろ。今度このblogで、乾信一郎のコントを集めた本を記事にしてみようかな。

 

 

B  初期の頃にも課題に対するアンサーを読者から応募する企画がありましたが、ここに収録されたのは作家(大下宇陀児)+ 挿絵画家(茂田井武)の出題するテーマ【奇妙な佳人】に応えて三人の作家(久生十蘭/石黒敬七/橘外男)がアンサーを提出したショート・ショートだったり。

 

本書のように600ページ価格1,600+税というボリュームをもってしても小説をメインにせざるをえないから、それ以外の記事を載せるスペースはどうしたって限られてしまうんですが、そういった部分での〝遊び〟が『新青年』の強みでもあった訳ですから、是非とも神奈川近代文学館の企画展に行ってその魅力を掬いとってもらえたらいいですね。



A  それと大事なのは、本書に収められたテキストは単行本ヴァージョンじゃなくて(当り前なんだけど)『新青年』初出ヴァージョンであるところ。最近リリースされる探偵小説本には、昭和中期以降に出された単行本のテキストで適当にお茶を濁しているケースが多くて困る。その点も浜田雄介なら安心して任せられるかな

 

 

 

(銀) 本文では触れなかったが、本書は田所成恭「田中支隊全滅の光景」という軍記読み物で始まっている。実に場違いな内容で大正初期シベリア出兵時の話のようだが、これ実は、編集長だった森下雨村が積極的に採用したもの。最初の頃の『新青年』は海外雄飛奨励が売りだった。そしてまた、雨村の軍国主義が横溢していた事実も、この「田中支隊全滅の光景」を読むとよくわかるのである。


 


2021年4月16日金曜日

『地球の屋根』大下宇陀児

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大都書房
1943年2月発売


★★★       壮大な凡作



● 本日は大下宇陀児のトンデモ珍作をご紹介。古書で宇陀児の著書をいろいろ買ってきたが、私が最も面食らった一冊といったらこれかな。連載された雑誌は『キング』。19416月号から翌194212月号という、一年半にもわたる大長篇ではある。

 

 

● として生まれた片輪者で、周囲に村八分にされ単身山奥の谷底へ逃げてきた與吉。一方、山窩として育ってきたが仲間うちで内紛、その結果ひとり逃れてこの谷底へ流れてきたおくめ。人間文化からはほど遠い原始的な生活を送るこの賤しい男女の間にひとりの男の子が誕生。戸籍など無縁な環境にある非人同然の彼は、名前を付けられる事もなく言葉もろくに覚えぬまま自然児として成長するが、與吉おくめは死んでしまう。

 

 

オープニングはまるで三角寛の山窩小説あるいは下村千秋の悲惨小説を思わせ、この調子でドロドロした暗黒物語へと突進していけば面白かったのだけど、「地球の屋根」が執筆されたのは昭和1617年。そんな内容ではお上が絶対許しちゃくれない。日本は戦争の真っ最中だし「この聖戦下に一人のルンペンもいてはならぬ!」てな注意が作家へも通達されていた時代だ。話は実に奇妙な方向へと転回。



「地球の屋根」を読んでもらうと解るのだけど、作者宇陀児は ❛お叱り❜ を恐れた編集者に頼まれ急ぎ方向転換した訳では決してない。500頁近い初刊本、始まってまもない50頁の時点で主人公に早くも岐路が訪れるからだ。「悲惨な出生であったとしても努力し、国家を背負って立つ人間にならなければならない」という当時の日本の国家状況に沿った啓蒙が含まれた構想で執筆していたことが窺える。ちなみにこの初刊本冒頭「作者の言葉」には次のような文章が。現代の立場から見ると、なんとも皮肉めいてますな。


生き甲斐のある世の中だ。素晴らしい時代だ。世界の整理と革新とが断行され、輝かしい大東亜建設の槌の音が響く。この偉業を完成するため、我らは常に最も叡智に富み、勇気があり、そして將来へのはろかなる(ママ)希望を持たねばならない。こゝにこの時代を行きぬく讀者諸君のために、正しく逞しき愛と智と夢と冒険との愉しい一篇の物語をささげる。

 

 


● 元小学校の校長だった篤志家の高岡順造に拾われ、主人公の運命は根底から変わってゆく。父・與吉の苗字が川端だった事実さえも判明、少年には順一郎という名が授けられた。こうして彼は立派な青年へと孵化。そこに深海開発計画を進める者達が登場して順造と順一郎はその計画に加わる流れになるけれど、アクシデントが発生し順一郎は頭髪が真っ白に変貌。

 

 

その後順一郎は研究者としての道を歩む。バックグラウンドに世界大戦の影があるのは言うまでもない。この時代によくある防諜小説とも違うし、かといってSFストーリーと見做すのも正しくない。壮大ではあるけれど、なんか座りの悪い長篇で私はあまり楽しめなかったなあ。何年も前に初めて本作を読んだ時、こりゃ一種の立身出世物語じゃん、と感じたものだ。連載誌の『キング』を刊行している大日本雄辯會講談社がこのテーマを得意としているのは既に『少年倶楽部』なんかでお馴染みだしね。あと近年の研究では、同じ宇陀児の長篇「魔人」は悪の因子の成長物語であると云われており、そういう目で見れば「地球の屋根」は善の因子の成長物語とも受け取れる。


 

 

(銀) 宇陀児作品の中で好きか嫌いかといったら、どうしても個人的ワーストなほうに入ってしまう珍品だ。この作品の再発はず~っと後回しでいいと私は思うけど、今後もしミステリ珍本全集が再開して大下宇陀児がラインアップの候補に挙がるような事にでもなったら本作とか晩年の「ニッポン遺跡」あたりが収録されてしまいそう。ウヘ~、「ニッポン遺跡」もあんまり好きじゃないんだよな~。




2021年4月15日木曜日

『センター通信 第15号』

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立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター
2021年3月発行




★★★   乱歩のプライベート・フィルム商品化を希望する



やることがいろいろ立て込んでいて新刊本の消化が全然できていないから今回は軽めのネタで。当blogにおける20201021日『大衆文化 第二十三号』の項で紹介したように、『センター通信』というのは立教大学の江戸川乱歩センターが年1回発行している約12ページのフリーペーパーである。雑誌『大衆文化』同様、記事の内容は乱歩ばかりではなくジャンル的に近いもの、あるいは何の関係も無いものまで様々。さて本号はというと___。

 

 

    建築史・都市史的視点からみた旧江戸川乱歩邸   石榑督和

立教大学は旧乱歩邸について2020年秋から建物の歴史的調査を行う事になったんだと。ふーん。筆者は東京理科大の人だが、立教サイドから声を掛けられてプロジェクトに参加しているそう。私は建物はどうでもいいというか関心が無いけれども、都市史にまつわる何らかの発見があるといいね。なにより立教大/乱歩センターの発行物で特に旧乱歩邸への言及となれば、即座に「また〝幻影城〟とかデタラメ言ってんじゃねーのか?」と冷たい視線を投げ掛けるところなれど、そんな誤った表現もなくて平穏無事だった。

 

旧乱歩邸土蔵を〝幻影城〟などとのたまっているのは藤井淑禎と渡辺憲司みたいな老害だけで、大学の若い人達は誰ひとりそんな呼び方してないんだよな、実際。あの土蔵を〝幻影城〟などと呼ぶ呼ばない論争なんて、よその国土の所有権を「ここは2000年前から我らのものだ」とかほざいている中国と一緒で、何の確たる根拠も無いんだから。


 

   メディアと人によって「つくられる」怪異
  -「日本の怪異 その発生と展開について」講演会感想-   八巻詩子

   「立教探訪」撮影の裏側   杉本佳奈

   乱歩の土蔵で眠っていた鳥羽造船所の蔵書   宮本祐希


 

   江戸川乱歩書き入れ旧蔵書   米山大樹

旧乱歩邸の建物研究よりも、私はこういう方面のアプローチを進めてほしい。ここに紹介されているのはウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』軍隊版ペーパーバックへの書き込み。昔、乱歩センターにお邪魔させてもらった時に閲覧した濱尾四郎『鉄鎖殺人事件』初刊本にも、鉛筆で乱歩の書き込みがされていたのを思い出す。


 

   旅する乱歩 ~別府編~   丹羽みさと

この記事が一番面白かった。戦前の乱歩は放浪癖もあって国内のあちこちを旅しているが、その全ての行き先が明らかになっている訳ではない(当り前か)。 寒いのが嫌いな乱歩だから、北海道・東北方面はそんなに制覇してないかもしれないけど、南だったらどこまで足を延ばしたのだろう?

 

本号にてクローズアップされたのは昭和12年春、きく(母)隆子(妻)隆太郎(息子)を連れての別府行き家族旅行。東京から大阪までは汽車で行き(?)、そこから高松→道後→別府→広島を船で遊覧するというルートだった模様。押さえておきたかったポイント温泉のようだ。ちょうど別府では国際温泉観光大博覧会が開催されている。この旅行で撮影されたプライベートな動画フィルムだけでなく、朱印帳まで残されているというのがなんとも乱歩らしい。

考えてみるとこの時期って戦前にのんびり旅行できる最後のタイミングだったろうし、別府行きの体験が実作に何らかの影響を与えているかといえば・・・例えば〝地獄めぐり〟が「大暗室」の地底のユートピアに活かされているかどうか、でも乱歩の創作バイオリズムがもう上向きとは言えない頃だから、そう解釈するのは難しいかも。


 

   捕物帳の作家たち~捕物作家クラブ展   影山亮/丹羽みさと

元は立教大学に在籍し現在はさいたま文学館の学芸員となり、もうすぐ終了する『江戸川乱歩と猟奇耽異』展の図録を「来館した人にしか販売しない」と言って、埼玉の桶川まで足を運べない人には一切買わせなくしたのが他ならぬ影山亮。おかげでこの図録は神奈川近代文学館企画展『永遠に「新青年」なるもの』図録と一緒に、fuakl07037というIDの出品者によって悪質な高額で何冊もヤフオクで転売されている。414日の時点でfuakl07037が出品した『江戸川乱歩と猟奇耽異』展図録は四冊落札されており、それとは別に一冊まだ出品中だ。こいつはさいたま文学館で最低でも五冊は転売用に買い占めたという事になる。

 

かつて各地の文学館で探偵小説に関する企画展が開催された時、それに伴い図録などのアイテムも販売されてきたけれど、こんな問題のある図録の売り方は他に例を見ない。ヤフオク転売者のfuakl07037も、出品地域は埼玉県になっている。こんな風に性根が卑しいから埼玉県人は昔タモリに「さいたま~!?」って馬鹿にされたんだよ(もう30年以上前のネタだが)。


 

 

(銀) 国際温泉観光大博覧会の wikipediaがあって、そこにはこう記されている。

会場となった旧別府公園には、六大館と位置づけられた温泉館、観光館、産業本館、陸軍館、海軍館、電気科学館、大分県館に加え、美術館、宗教館、台湾館、朝鮮館、南洋館、農具機械館、特許実演館、善光寺館、日の丸館、三偉人館、別府館、世界一周館、ミイラ館、海女館、歴史館、ラヂオ館、非常時国防館といった多数のパビリオンが建設されたほか、野外演芸場や矢野サーカス演技場等も設けられた。期間中の有料入場者は、計467,852人にのぼった。》

思ったよりスゴそうな大イベントだったようで、これなら乱歩ならずとも行けるものなら私だって是非観てみたい。



図録の話とは別に、落合教幸がいなくなってからの立教大の乱歩センターは資料のアクセスがとてもやりにくくなったと、それとなくある方から聞いていた。それが最近になって平山雄一も似たような発言を twitter上でしているのを見かけたから、困っている人が少なからず存在するのであろう。私は研究者じゃないけど、それは看過できない。

 

 

学内外を問わず、研究者の作業がスムーズに捗るよう資料を提供するのが旧乱歩邸を引き継いだ江戸川乱歩センターの役目ではなかったのか?二松学舎大学もそうだし立教大学に至るまで毎度毎度余計な批判を書かせないでくれ。




2021年4月7日水曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎

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★★★★★   ④  売された事を今は素直に喜びたい



陸軍報道班員としてマレーに赴き現地で日本軍の残虐・横暴ぶりを目の当たりにした小栗虫太郎はその怒りを「海峡天地會」(1943)という作品にて表現するも、                内容が「けしからん!」と当局にチェックされ憲兵どもに自宅を強襲されてしまう___。                      このエピソードが有名であるが故に、虫太郎という人は戦前日本の八紘一宇スローガンには元来反発していたんだろうな、と実に軽く私は考えていた。しかしそれが大きな勘違いだという事をこの春陽堂書店版『亜細亜の旗』は示唆するのだ。


 

 

本書には「亜細亜の旗」連載に先立つ予告として紙面に載った「作者の辞」も抜かりなく収録されている。その文章の締め括りには「私は、事變の當初から現代にひきつゞいて、國策の實現に献身しつゝある人々に満腔の敬意を表しつゝ、ペンをすゝめたいと思ふ。御聲援を願ふ。」 とある。こういった〝作者からの挨拶〟は往々にして作家本人の意思とは別に編集者が勝手に でっちあげるケースもあるけれど、参考までに紹介しておく。


 

 

今回の単行本は非常に良く作られており、作品背景を探る【解説】【編集後記】に加えて虫太郎令息・小栗宣治が昭和の半ばに執筆したあの「小伝・小栗虫太郎」を再録、更には【小栗虫太郎著作目録】まで載っているので、作家の歩んできた歴史も多面的に解るよう構成されている。   そんな巻末資料を眺めながら、今迄何回も読んだつもりだった「小伝・小栗虫太郎」の中に                     こういう一節があるのをてっきり忘れていた事に私は気付いた。


「とても陛下を好きな人であった」「共産主義がきらい」

「終戦直後の共産党がやった口汚い天皇攻撃に便乗した私(小栗宣治)が、             全面賛成と得意面でそれを繰り返すと〝お前に何が分るか〟と一喝、途端に目から火が出た」

「何かをジーッと見ている人であり、軽率に言葉を吐かない人であった」 

 

息子による父の回想の一例として、竹中英太郎(父)の語り部だった竹中労(息子)の文章にはある誇張や虚飾めいた部分があったりもした。今回の虫太郎スペシャルにて私は小栗宣治の言葉を全面的に信じて記事を書いているが、人間のやる事ゆえ思い違いだったり、また時には意図的に盛ったり消去したりする場合だって絶対無いとは言えない、と一言添えた上で話を進めよう。




共にマレーへ同行した海音寺潮五郎・井伏鱒二らがそうだったように、頑として権力に靡かない 性格の虫太郎が何故陸軍報道班員になったのか?戦闘義務こそないけれど日本軍の末端に加わる事には変わりがないではないか。                            我々は戦争の悲惨な結末を知っているから何とでも言えるけれど、あの時代をリアルタイムで 生きていたら戦争そのものはどんなに嫌だろうが、開戦してしまった以上どうにか負けないで ほしいと願うのは自明の理だ。江戸川乱歩をはじめどの探偵作家も(国策協力小説を書くのか  どうかは個々のスタンスがあるとはいえ)みな愛国心を抱いていた筈だし、                   虫太郎もきっと同じだったからこそ「亜細亜の旗」という作品を書いたのだと思う。                ただ、その直後南方へ行った事でショックを受け、かなり考えを変えざるをえなかっただろう。 しかも彼を待っていたのは真珠湾攻撃の知らせ。日本は米英とも戦わざるをえない最悪の事態に陥ってゆく。


 

 

Twitterに見られる探偵小説/本好きの人達の物言いの傾向として、その殆どが体制批判というかよその国がどんなに非道な事をやっても何も言わないのに、どれだけ政治・経済について解って いるのかしらんが自民党政権の罵倒をしている発言が圧倒的に多い。残念ながら日本の政治家の能力は相当低いし品位は下劣だ。でも、なんなんだろうな・・・・昔のパンク・ミュージシャンでさえ言わなくなったような体制批判だけしておけば賢く見られるとでも思ってるのかな?      100年前も今も、政治とか愛国心なんていうものは単純に ❛ 右 ❜ と ❛ 左 ❜ の二極で収まりがつく程幼稚なもんじゃないし、小栗虫太郎という人間に見られる政治性にだって、きっと一面だけでは      切り取れない複雑な想いがあったに違いないのだから。


 

 

四回にわたって書いてきたように、発掘されたこの長篇はどうにも虫太郎らしくないし探偵小説でもない。「亜細亜の旗」にマイナス要素を探せばいくらでも見つかるだろう。       でも決め手になる事実が出てこない限り、私はこれが虫太郎の真作だと信じたいし、            山口直孝はともかく本多正一などよくわかっている人材が尽力してくれたので、                単行本として出すには理想的な形に仕上がったんじゃないの? 小説の内容だけの評価ではなく  一冊の本として総合的に見て★5つ進呈。心から褒めたくなる新刊は本当に久しぶり。



 

 

(銀) これまで私は戦前の国内新聞小説を探す際、国書刊行会が平成の序盤に新装版として 出した『新聞小説史年表』という文献を参照してきた。ただ30年も前の本である事もあり、   そこに記載されていない新聞連載探偵小説はまだまだかなり埋もれているんだなあ、と「亜細亜の旗」の出現を知って改めて認識させられた。                        それにしても虫太郎の書誌を研究してきた沢田安史は『新青年』研究会の強者なのに、なにゆえ今迄本作を発見できなかったんだろう。また「亜細亜の旗」は今迄誰も発掘できなかったのに、山口直孝が偶然『九州新聞』版テキストに出くわした途端、どうして他の掲載紙も短期間の内に    続々と見つける事ができたのか? これこそ最大のミステリーだ。

 

 

四十七都道府県の主要県立図書館と文学館がその土地の新聞のデータを徹底的に調査して、   各新聞に掲載された全ての小説を(わかる範囲でかまわないから)リスト化してくれたら、  発表以来長い間眠ったままの未知の小説の存在を我々は新たに知る事ができるのだが・・・。      現にそういう作業を積極的にやっている所もあるけど、ああいう仕事先に勤める人は所詮公務員だから余程小説好きの奇特な人でもいない限り、そんな前向きな調査を望むのは無理ってか。




2021年4月6日火曜日

『亜細亜の旗』小栗虫太郎

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③  真作?  代作?




熱烈な小栗虫太郎信者ほど「亜細亜の旗」を読んで、怒ったり落胆しているかもしれない。  プロットにも文章表現にも〝らしさ〟というものが微塵も感じられないからねぇ。            同じく地方新聞に連載された大下宇陀児「幽霊紳士」について、私は別の理由から「これって 誰かに書かせたんじゃないの?」と埒も無い疑問を投げかけてみた(202121日分の当blog 記事を見よ)。 横溝正史「雪割草」のように生原稿の一部が残存でもしていれば一件落着するのだけど、あんな幸運は他の探偵作家には望むべくもない。                         果して「亜細亜の旗」は虫太郎本人が書いた真作なのか? それとも誰かが書いた代作なのか?

 

                    


まず最初に忘れちゃならないのは、いくら虫太郎の体臭が皆無だといっても小説自体はストレス 無く読めるものであること。仮に虫太郎が叩き台だけを作ってやり、それを基に第三者が文章を考え執筆したとしても、ここまでスラスラ読める長篇をズブの素人が一から書き下ろせるとは とても考えにくい。                                   本書の中でも代作疑惑について触れてあって、疑わしき数人の名前が挙がっている。     上記の理由から作家でない人は外すのが妥当だとして、いくらか可能性が残っているのは二人。まず『ぷろふいる』の編集者で上京後も虫太郎が面倒をみていたという左頭弦馬。でもなあ、  数少ない短篇を読む限りではこの人の小説って稚拙だし、逆に「亜細亜の旗」レベルの長篇を 書けるのであれば虫太郎だって「キミには才能が無いから郷里に帰りなさい」とは言わんだろ。 

  

 

最後に残ったのは、虫太郎の短篇を代作した事がある旨を晩年告白した九鬼紫郎。この人なら   著書の数も多いし「亜細亜の旗」を書き下ろせる筆力はあるかもしれない。可能性としては最もありえる。ただ本人が〝代作したのは短篇〟と明言している訳で、さすがに長篇と取り違えたりはしないんじゃないか?                                  それに九鬼は甲賀三郎の門下生であって虫太郎の庇護の下にいたのではない。          彼と虫太郎との接点はこの〝短篇代作発言〟以外あまり思い当たらないから、虫太郎がわざわざ代作を頼む相手としては納得しづらいのだ。そんなこんなで強力な決定打が見つからない以上、           このまま疑い続けても不毛だから当面のところ代作説は却下しておく。


 

                    

 

さて。                                         おとといの記事(①)でも例に挙げたが、虫太郎の稀少な新聞連載のひとつで1938年に『徳島 毎日新聞』に掲載された「女人果」は後発の「人外魔境シリーズ」以上に読み易くなっており、「亜細亜の旗」に近い書き方がされている。この頃から虫太郎独特の難解な表現が使われなく なっているのがハッキリ見て取れるけれど、漢字単語に彼らしい特殊なルビを振る手法はまだ 活きていた。「亜細亜の旗」ではそのルビ手法さえも姿を消してしまっている

 

 

 

ここで改めて虫太郎の年表を振り返る。御承知のとおり彼は1941年(昭16)の11月になると 陸軍報道班員として南方マレーに赴き、帰朝するのは翌年末。この南方派遣の話を受諾したのがいつだったのか正確にはわからんけど、日本を離れている間は作品の執筆・発表ができなくなるのが必定。『「新青年」趣味』ⅩⅧ号/特集 小栗虫太郎の著作目録を見ても194111月~1942年12月の間に発表された小説は「海螺齋沿海州先占記」「南東貿易風」そして「北洋の 守り星」、この三作しかない。                               これを考えると昨日の記事()で述べた「亜細亜の旗」の各紙連載が何度も中絶している原因には、虫太郎の南方行きも少なからず影響しているのか。

 

  

 

1941年の10月あたりまでは虫太郎自ら原稿を書いて渡せる事ができたかもしれないが、   11月に入りマレーへ出発してしまったら、現代のように執筆したデータファイルを離れた土地 から一瞬でメール送信、なんて事はできない。それどころかコピー機さえも無い時代だから複数の新聞社で「亜細亜の旗」を連載するには、その新聞社の数だけいちいち原稿を新たに書き起こして送り出さなければならない。妻・小栗とみが虫太郎のマレー出張中に夫の原稿を書いていたという小栗宣治の貴重な回想こそ、虫太郎の置いていったオリジナル原稿の「亜細亜の旗」を 手本にして、各新聞社へ渡す為とみ夫人がせっせと書き写す作業を行っていた、その立派な証左となる。 

 

                     

 

もう一度昨日の記事(②)を御覧頂きたい。第二の連載新聞だった『東奥日報 夕刊』は196回で連載を打ち切られたけれど、掲載最終日(1941年9月19日)には物語の結末をダイジェストにして読者に知らせたという。とするとマレー出発前、というよりも19419月のうちに虫太郎は「亜細亜の旗」最終回まで原稿を一旦書き終えていたとしてもおかしくはない。                           本書【解題】【編集後記】によれば「亜細亜の旗」の執筆依頼の大元は当時国内のプロパガンダ機関として稼働していた同盟通信社からの斡旋があったのでは?と推理されている。戦意高揚の為に動いている同盟通信社が窓口となって「プロパガンダに反しない内容を持つ小説を複数の 新聞に連載させますから小栗先生ひとつお願いできますか?」みたいな執筆依頼がもしされて いたならば「「亜細亜の旗」はどうしてこんなにいくつものの新聞に連載されたのか?」という 疑問の答えにもなり得るのである。(本書637頁に京都日日新聞社/東奥日報社/伊予新報社/防長新聞社、これらはみな同盟社員新聞社であった事が資料より引用されている)




家族に貧乏をさせても気に入らない仕事は絶対しなかった虫太郎が、長期マレー行きで執筆収入が滞る事が無いように同盟出版社のオファーを受けたというのも考えられない行動だ。「亜細亜の旗」の仕事は金が目的だったと見るよりも、むしろ昭和16年時の日本の拡大政策に一役買う つもりで引き受けたのだと解釈したほうが齟齬が少ないのではないか。              虫太郎は最初から皇軍に反発したり大陸への進出を全否定していたのではなかったのだから。




④につづく。