☻ 春陽堂書店が現在刊行している「合作探偵小説コレクション」の第五弾として、『覆面の佳人/吉祥天女の像』が発売された。この本全体についての記事は近日中にupするので少々お待ち頂きたい。
さて当Blogでは以前、春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』(1997年刊)と、1930年の『九州日報』に連載された異題同一作品「女妖」のテキストを十七回に亘って全編比較し(本日の記事の最下段にある関連記事リンクを見よ)、その結果春陽文庫の校訂が実に胡散臭いものである事を再確認した。この新聞連載小説の作者は江戸川乱歩/横溝正史の合同名義になっているが、江戸川乱歩は殆ど執筆に関わっていないというのが大方の見方であり、私もそのように捉えている。
「覆面の佳人」(=「女妖」)を収録する単行本としては、今回が二冊目。前回と同じ春陽堂の仕事なのだが、今度こそ底本に忠実な校訂は行われたのだろうか?最新の単行本『覆面の佳人/吉祥天女の像』に収録されている「覆面の佳人」(これをⒶと呼ぶ)を手元に置き、このBlogで全十七章それぞれのテキスト比較から拾い出した十七回分の記事による【春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』と『九州日報』連載「女妖」との明らかなテキスト異同一覧】(これをⒷと呼ぶ)とを見比べ、再び試みたチェックの結果をお伝えするのが本日の主題だ。
☻ 「合作探偵小説コレクション」の編者・日下三蔵はⒶの制作に際して、『北海タイムス』連載の「覆面の佳人」/『九州日報』連載の「女妖」/『いはらき』連載の「幽霊別荘」、つまり(『満洲日報』を除く)この長篇が連載された当時の新聞三紙を参照したという。本書の校正担当者は佐藤健太と浜田知明。で、ⒶとⒷとを比較してみたのだが、流石に二度目の単行本だし、前回の春陽文庫版ほどグチャグチャな校訂・校正ではなかった。だがそれでも私からすれば、気になる箇所はやっぱり点在している。
それらの気になる箇所を、二年前に行った【春陽文庫テキスト/『九州日報』テキスト】比較時のように書き出してみた。前回のテキスト比較一覧で疑問の残る表記としてピックアップしていながら今回触れなかった箇所というのは、私がⒶを読み「これならばOK、問題なし」と見做したものだ。
とはいえ私は『九州日報』のコピーしか持っていない。Ⓐのテキストにて『九州日報』の表記と異なっている箇所が、あのどうしようもない春陽文庫のテキストに準拠したように思える表記であれば当然私は怪しんでしまうのだけど、もしかしてⒶの制作担当者は、春陽文庫と偶然同じ表記だった『北海タイムス』『いはらき』の記述を採用しているのかもしれない。そんな100% OKと断定しづらいグレーな箇所については下段の比較で色文字を使っているので、春陽文庫テキスト準拠の疑いが全く無い箇所と区別する目安にして頂きたい(旧漢字から新漢字へ、旧仮名遣いから現代仮名遣いへの変更はOKとする)。それぞれの比較箇所にて示しているページはⒶのノンブルを指す。
☻ ちなみに日下三蔵は今回刊行されたⒶの解説にて、先行した春陽文庫『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』における基本ベースの底本は『九州日報』を使用、『九州日報』のマイクロフィルムに欠けていた部分は『北海タイムス』マイクロフィルムで補っていたと述べているが、これをスンナリとは信じられない。
しかも今回刊行されたⒶ収録「覆面の佳人」は、『北海タイムス』『九州日報』『いはらき』、それにご丁寧に春陽文庫まで照合しつつ本文テキストを決定したと言っているけれど、どの新聞を基本ベースの底本にしたのか不明。つまり、どの新聞をベースの底本にしているかがハッキリしないため、以下のような疑問がウジャウジャ湧いてくるのである。
Ⓐ4頁下段/又暴れ出しますよ
Ⓑ又荒れ出しますよ
前後の文脈から考えると〝暴れ出し〟のほうが正しく感じる。ただ〝暴れ出し〟というのは春陽文庫に見られた表記であり、それをそのまま安易に準拠している疑いも無いとはいえないので、以下こういったものはグレーな扱いとする。
Ⓐ18頁上段/二十七八歳位の頑丈そうな
Ⓑ二十七歳位の頑丈そうな
Ⓐ35頁上段/春日花子が浮浪人体の男から手渡された手紙の末尾に〝なるせ〟の記名が。
Ⓑ『九州日報』テキストには〝なるせ〟の記名が無い。
Ⓐ38頁上段/〝あたしを苦しめるため検事になったのです。〟
Ⓑ『九州日報』テキストでは〝あたしを苦しめる検事になつたのです。〟となっている。
『北海タイムス』や『いはらき』にて〝苦しめるため〟と書かれているのならば問題は無いが、もしそうでないのならⒷのほうが文脈にフィットしているだけに、勇み足と勘繰られかねない。
この章は問題が多い。まず章題。『九州日報』も春陽文庫版もこの章の章題は「古びたる肖像画」となっているのに、Ⓐでの章題はすべて「古びた肖像画」にされてしまっている。どうも〝古びたる〟の〝る〟をすっかり抜かしてしまったとしか思えぬ恥ずかしいミスだ。
Ⓐ41頁上段/セイヌ河口に面したパリーの裏町
Ⓑ『九州日報』テキストでは〝パリー〟でなく〝巴里〟と表記。もれなく調べてはいないけど、本作の中では〝パリー〟表記で統一しているようだ。
Ⓐ45頁上段/恰好のいゝ踵(くるぶし)が覗いている。
この章のタイトルは「古びたる肖像畫」であって、決して「古びたる肖像写真」ではない。確かに本作の作者はこの章にて、綾小路浪子が訪れる木澤由良子の部屋に掛かっていた楕円形の肖像を〝写真〟と書いたり〝肖像畫〟と書いたり、非常に混乱させている。底本の表現は守るべきだが、章題が「古びたる肖像畫」である以上、〝写真〟とされている箇所も〝肖像畫〟に統一してよかったんじゃないかな?
Ⓐ76頁上段/船渠へ入っておりました船の修繕も
Ⓑ『九州日報』では〝おりました〟の部分は〝居りました〟と記されている。特に間違いではないけれど、漢字を使ったこの手の古い表現を他の箇所ではそのまま底本どおりに活かしているので、ここでも〝居りました〟とするのが望ましい。こういうミスとは呼べない些細な漢字の開き(また、その逆)はあちこちに見られる。
Ⓐ81頁下段/政界要路の大立者
Ⓐ82頁下段/英国大使館附の武官として
Ⓑ『九州日報』では〝某國大使館附の武官〟と表記。
Ⓐ96頁下段/この男の握っている秘密が一度でも曝露したら
Ⓑ『九州日報』では〝この男の握っている秘密が一度で曝露したら〟と表記。
Ⓐ97頁下段/無気味さと混惑を感じた。
Ⓑ〝困惑〟のタイプミス?
Ⓐ102頁下段/確お名前は白根弁造さまとおっしゃいましたが
Ⓑここでの〝確〟は〝たしか〟とルビを振るか、もしくは〝確か〟と表記すべき。
Ⓐ113頁下段/小型のピストルを化粧箱の抽斗から
Ⓐ118頁下段/浪子は不安に胸を波打たせながら、遠廻りをしながら
Ⓐ123頁上段/お前直ぐに会うかい」
Ⓐ130頁上段/茂みの中に身を隠した黒ん坊の安公は、
Ⓑ『九州日報』では〝繁み〟と表記。
Ⓐ141頁下段/土左衛門が見つかっちまやア何(ど)うにもならねえからな」
Ⓑ『九州日報』では〝土左衛門が見つかつちまやヤ何(な)にもならねゑからな〟と表記。
Ⓐ146頁上段/それが霧の中に、鈍く、いっそ物凄く光るのだった。
Ⓑ『九州日報』では〝それが霧の中に、鈍く、それが一層物凄く〟と表記。
Ⓐ148頁下段/外国の貴族らしい中年の紳士。それについで、青年貴公子。
Ⓑ『九州日報』では〝外國の貴族らしい紳士。それについで、中年の青年貴公子〟と表記。
話の流れからしてⒷは明らかに間違いなのだが、この〝中年の〟の部分は本当に『北海タイムス』と『いはらき』のテキストでもⒶの位置にあったのだろうか?
Ⓐ149頁上段/シャトワール村へさえ着けば、
Ⓑ『九州日報』では〝シャトワールの村さへ着けば〟と表記。このままで何ら問題は無いのに、Ⓐのようにイジる必要ある?
Ⓐ151頁上段/四五町でございましょうか」
Ⓐ156頁上段/薄暗い、埃(ほこり)っぽい階段を
Ⓐ159頁上段/浪子はそれを見ると急いで駆け寄った。
無惨にも咽喉を絞められたと見えて、
Ⓐ159頁下段/きょろきょろと辺りを見廻していたが
Ⓑ『九州日報』では〝きよときよとと邊を見廻してゐたが〟と表記している。
Ⓐ166頁上段/さながら墓場から抜け出したようである。
Ⓑ『九州日報』にも春陽文庫にも〝墓場から〟という言葉は存在していない。