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2024年1月10日水曜日

『黒い獣/渡辺啓助ジュヴナイル作品集』渡辺啓助

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2023年12月発売



★★★   単行本化されてこなかった啓助のジュヴナイル




渡辺啓助は少年少女小説を執筆している印象が希薄だったけれど、本書のように本一冊ぶん楽に作れるほどジュヴナイルも手掛けていた。意外なのは、啓助の大人向け小説に時々登場する探偵役キャラクター・一本木万助が本書収録作品にも顔を見せていること。
それでは一作ずつ見ていくとしよう。

 

 

 

「幽霊一家」(『少年少女譚海』昭和2512月号)

敗戦後の荒廃で自分の家族の住む家が無くて困っている壮吉は、気になる空家があったのでその家主に訊ねてみると、「あそこには幽霊が住んでいる」と家主の太田は言う。そんな筈はないと信じる壮吉は太田に交渉し、二、三日住まわせてもらうことにした。ただの怪談話か、それなりのヒネリがあるのか、読んで確かめて頂きたい。

 

 

 

「黒聖母島の秘密」(『少年少女譚海』昭和261月号)

孤児・雪村ミサ子は怪しい一味に捕まり、ブラック・マリヤという謎の孤島に連れてゆかれる。どうもその理由というのが、ミサ子は舞踏家・牧園先生の弟子なのだが、映画「狂える白鳥」で主役を務める女優・水島珊瑚とミサ子がそっくりな上、その映画で十分ばかりのバレエ・シーンを珊瑚の代りにミサ子が演じたため、賊はミサ子を珊瑚と間違えて誘拐したようなのだ。SF的なガジェットも交えた、秘密結社の企み。 

 

「氷河の囚人」(『少年少女譚海』昭和2612月号)

渡辺啓助の大人もの小説における特性をジュヴナイルでも表現するとしたら、やはり冒険ストーリーの流れの中に〝秘境〟をもってくるのが一番自然な感じはする。

 

 

 

「黒い獣」(『少年少女譚海』昭和2647月号)

横浜に停泊していた貨物船アルハンプラ号から、コンゴ産の大ゴリラ・イロンクベが脱走する事件が発生した。イロンクベは海に落ちて死んだと思われていたが、少年給仕・正一の勤める愛東貿易会社のビルに出現。女中の玉ちゃんがむごたらしく殺され、片や社長令嬢・雪子は姿を消してしまう。ここで私立探偵・一本木万助登場。 

四回連載なだけでなく、ポオというより日本の超有名探偵作家の或る失敗作からの影響が感じられたりして、なかなか話が凝っているのでアレコレ紹介したいところだけれども、ちょっとでもネタを割ってしまうとこれから読む人が興醒めになるし、何も書くことができん。 

 

「人喰魚」(『少年少女譚海』昭和2711月号)

一本木万助は時折海岸を訪れて、水泳や釣りをやるらしい。日本の海にいるとは思えない熱帯産のフグ=ハリセンボンが呑み込んでいたのは水族館長・星木先生のカフスボタンだけではなく、黒田刑事のガラスの眼玉(偽眼!)。犬が犠牲になったり、なかなか演出がエグいのは発表誌が『少年少女譚海』というのもあるかも。

 

 

 

「シンデレラの片足」(『少年少女譚海』昭和2812月号)

本作に出てくる中学生の三吉、「黒聖母島の秘密」にてミサ子を救出するため孤島へ向かう戦災孤児・春田三吉、そして「人喰魚」の三吉。物語の主役となる少年にたびたび〝三吉〟という名前が使われているが、どうも同一人物ではなさそう。焼場に少年を閉じ込め可燃性の高い状況下でガソリンを天井からポトポト滴らせる責苦は、子供の読者には若干ハードとはいえアイディアは悪くない。

 

 

 

「失われた黒ねこ」(『高校コース』昭和321月号)

四度目の三吉、今度は大森三吉という。ほんの少しだけど密室設定あり(ホントか?)。ジュヴナイルなら周りからそれほど厳しい目で見られないからか、大人ものだと目立たないロジカルなプロットで啓助が遊んでいる気配も感じられる。それなりに・・・だけどね。

 

 

 

「姿なき訪問者」(『中学生の友・三年』昭和32410月号)

半年に亘る連載。さらにリリー製薬ビルで必ず各階にひとり発生してゆく殺しの犯人は誰か?という興味。物語の中では非常に粗末な施設といえども、茨城県東海村に原子力研究所が建てられている設定を昭和32年のジュヴナイルで描いているのは、(のちの東日本大震災の事故を思い起こせば)社会への警告的先見性があって、賞賛に値する。ガイガー・カウンターで放射能を計測するシーンなんてシャレにならないほどシリアス。

 

 

 

「第三の容疑者 熱帯魚殺人事件」(『冒険王』昭和327月号)

短いながらも、啓助にしては意外な犯人を描いている。 

 

「夜歩く銀仮面」(『冒険王』昭和329月号)

江戸川乱歩「黄金仮面」などの華やかな仮面キャラとは違い、銀仮面氏の動機なり素性は、これがもし大人ものだったら、令和の現在よりむしろ当時の昭和の頃のほうが「✕✕被害者を冒涜している!」などとやいのやいの言われそうなヤバさがあるかも。


 

 

「かえる男時代」(『中学生の友・二年』昭和338月号~昭和341月号)

昔は大人も子供も、英国スコットランドのネス湖に〝ネッシー〟なる恐竜が棲息しているという伝説で盛り上がったもんです、ハイ。この作品もその流れで書かれたのだろうが、後半になると壮大なロスト・ワールドの謎に発展。 

 

「地中海であった話 海底の魔女」(『冒険王』昭和346月号)

7頁の掌編。

 

 

 

(銀) レアな渡辺啓助のジュヴナイル作品を読めるし、これが例えば佐々木重喜の皆進社から出た本だったら即★5つにして喜ぶところだけど、解説執筆者は日下三蔵、協力者クレジットには相変わらず善渡爾宗衛の名が。関わっているのはどこぞの自民党と何ら変わりない、古本やミステリで甘い汁を吸い続ける奴ばかり。



盛林堂ミステリアス文庫を観察していて思うのだが、盛林堂書房店主・小野純一はどうやっても善渡爾宗衛抜きには同人出版本を作れないようだ。

 

 

啓助の娘・渡辺東氏も善渡爾と並んで協力者にクレジットされている。いつだって古本ゴロ/ミステリ・ゴロどもはこういった探偵作家の御遺族に言葉巧みに近寄ってきた。彼女もあいつらの本性に気付かず、すっかり信じきっておられるのだろうなあ。
 

 

 

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★★★★  もし再発するなら、必ず戦前ヴァージョンを  (☜)



  


2023年10月8日日曜日

『狂焔の魔女』渡邊啓助

NEW !

湊書房
1948年4月発売



★★★★   啓助の描く女性偶像とは




前にupした『悪男悪女』(桃源社/推理小説名作文庫)がそうだったように、この短篇集にも「狂焔の魔女」というタイトルの作品は入っていない。〝狂焔〟の形容詞にふさわしい短篇は見当たらないが、なにゆえ『狂焔の魔女』なんて書名を付けたのだろう?本書は一年前に藤田書店から出された『壁の中の女』の紙型を流用しつつ二篇を追加収録しているとのこと。前半には戦前、後半は終戦後に発表した作品を収めている。





「壁の中の女」     『冨士』昭和151月号掲載

「出た、ポオ譲りの塗り込め芸!」と煽りたいところなれど、あまりゴシック路線を期待すると梯子を外される。詳しくは書かないでおくが、両親と死別し妹と二人で洋裁店をやっている主人公・戸田綾子が他人から頼まれた事にイヤとは言えず情にほだされやすい、言うなればゴシックテイストにはそぐわぬ性格に設定されている点を押さえておきたい。それにしても塗り込め犯の結末に目を向ければ、「初期の渡辺啓助作品には倫理観が欠落している」と指摘した権田萬治の言葉に一理あるとはいえ、昭和15年の国内状況でよくお上から「伏字にしろ」とかやいのやいの注意されなかったもんだ。

 

 

「消えた啞娘」     『新青年』昭和159月号掲載

女中・お小夜が付き添う鴻巣晃子は社長令嬢であり外見も人並み以上なのだが〝啞〟のハンデを背負っている。その晃子が行方不明になり、あたふたしているお小夜の前に靴磨きの靴墨太郎が現れ、助力を買って出る。詩集を用いた暗号や探偵役を登場させてはいるが、『新青年』へ発表した短篇にしてはいまひとつ。この頃になると以前とは打って変わって明るい作風への変化が顕著。

 

 

「面影の秘密」     『名作』昭和156月号掲載

苗字のアタマに〝小〟の字が付く家ばかりを狙って押し入る不思議なコソ泥。昭和の前半ぐらいまでは幼い子供がよく誘拐されていたもんです。

 

 

「鼠座の踊子」     『新女苑』昭和142月号掲載

素性の知れぬ舞踏団アンナ・ペトロヴエナ一座が公演しているR劇場は明治以来の名建築と謳われながら今では老朽化して「化物劇場」「ネズミ座」と呼ばれている。その千秋楽当日、朝刊に〝舞姫アンナ・ペトロヴエナは本日午後九時十分から十七分の間に変死を遂げるものとして宿命づけられているのだ〟と語る心霊学者ウイリヤム・ウイルスン博士の寄稿が掲載された。

 

突拍子もない殺人方法。この手の殺しは甲賀三郎に書かせたらもっとエンターテイメントっぽくなると思うのだが、残念ながら渡辺啓助には向いていない。

 

 

「冷い薔薇」     『オール読物』昭和148月号

本文より引用。

みたところではまだ子供つぽく、それに、いつたいが着瘦せのする方で、水兵服の肩さきなど、すんなりとなだらかすぎて、ちよつと病身じみた印象さへ與へるけれど、一皮剥いて、プールの人魚になつた水着姿の由美をみると、十九の處女として眩しい美しい緊まつた肉體を持つてゐることがわかるのだ。

(中略)
 
ジヤツクナイフ
スワロー
ハーフトウイスト

(中略)

たらたらと滴を散らしながら、鐵梯子をのぼつていつて飛込臺の上に立つ。水光りする由美の軀はゾーツとするくらい美しかつた。その軀が矢庭に空間に抛り出される。見事な姿態(フォーム)が、夕明りのする大空に黒々とラインを引いて落ちて行く。

 

探偵小説として特別語るべき長所も無いストーリーなのだけど、夕刻になればたったひとり女学校のプールの飛込台に立ち見事なスプラッシュを決める美少女・銀舘由美の魅力に不思議と引き込まれてしまう。

 

 

「小さな娼婦」     初出誌不明

二十六歳の大学生で女性経験がまだ無い旗野旗吉は悪友たちに連れられていった色街で木間スミレという娼婦を見染めてしまい、自分にとってなけなしの持ち物であるヘンドンの時計を質に入れ、スミレをものにしようとする。オリジナルは「六本指の海賊」(『新女苑』昭和137月号掲載)だそうだが、「小さな娼婦」名義で初めて単行本に入ったのは冒頭で述べた昭和22年刊の『壁の中の女』なので、戦争が終わったあと「六本指の海賊」に手を加えたのではないかと推測される。



 

 

ここから下明らかに戦後の作品と確定しているもの。

 

「盲目人魚」     『宝石』昭和211011月号掲載

本作については既に『悪男悪女』の記事にて触れているので(下段の関連記事リンクを参照)、ここでは省略。

 


些細な事だが、同じ「盲目人魚」でも昭和23年刊行の本書『狂焔の魔女』と昭和33年刊行の『悪男悪女』では旧仮名遣いから現代仮名遣いへの変更以外に、テキスト上の表現で微々たる違いが見られる。



1  谷底館第一夜

『狂焔の魔女』収録「盲目人魚」 151ページ8行目

メモによると、私は、六月日の夕刻


『悪男悪女』収録「盲目人魚」  218ページ13行目

メモによると、私は、六月日の夕刻



6  もう一匹の妖魚

『狂焔の魔女』収録「盲目人魚」  206ページ7行目

本所向島丁目といふのは

 
『悪男悪女』収録「盲目人魚」  278ページ11行目

本所向島丁目というのは

 

 

「魔女物語」     『新讀物』昭和2110月号掲載

若き日の苦い初恋の想い出を甥の青年に語ってきかせる老い先短い朝倉信吉。老人はその想い出に関係するらしい女持ちの風呂敷包みを青年に渡すが、中身を見るのは絶対自分が死んだあとにしてほしいと念押しする。渡辺啓助自身の思い入れもあって、本書の中では一番の代表作になるかもしれないが、これなんかも秘密めいた湖のヒロイン・久慈怜子の存在感がすべてであって、彼女の造形を失敗していたら箸にも棒にも掛からぬ凡作になっていた可能性も無くはない。

 

 

 

 

(銀) 渡辺啓助の作品は時に〝絵画的〟とも表現され、〈トリック〉だったり〈ストーリーのひねり〉が評価の決め手にならない場合だってある。だから本書を読んでいても作品の出来どうこうより、銀舘由美(「冷い薔薇」)久慈怜子(「魔女物語」)あるいは「盲目人魚」序盤の聖河順子夫人らが醸し出す謎を秘めた美女偶像のインパクトのほうが私には伝わってくる。






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2023年6月7日水曜日

『聖惡魔』渡邊啓助

NEW !

春秋社
1937年6月発売



★★★★   三十代半ばながら、まだまだ若書きの感




 前回に引き続き今回も渡辺啓助。春秋社版『聖惡魔』は二冊目の著書。この頃長篇「鮮血の洋燈」を書き上げるつもりでいたそうだが結局完成に至らず、同作が「鮮血洋燈」として発表されるのは昭和31年まで待たなければならない。教職がまだ本業の時期であり、啓助は昭和11年に福岡県八女から茨城県龍ケ崎の女学校へと転任している。福岡にて数年過ごしていたのだから、もしも夢野久作と頻繁に交流していれば、お互いの創作へプラスになる何らかの影響を与え合う可能性もあったのではないか。

 

 

 冒頭を飾るのは〝ですます調〟で語られる「血のロビンソン」。『血ぬられたる花』と刻印されし一冊の寫眞帖が、市俄古(シカゴ)の古物商が所有する長椅子の中に詰め込まれてあったところから始まり、日本娘を含む各国の美女殺害を記録したこの寫眞帖の制作者である西洋人・ロビンソンのアイロニカルな最期で結末を迎えるのだけれども、物語の軸となる寫眞帖が太平洋を渡って遠い日本にいるロビンソンのもとへ辿り着く展開は若干都合が良すぎるというか、短篇にしては舞台を移動しすぎじゃない?

 

 

次の「幽靈莊に來た女」もおどろおどろしい出だしで煙幕を張っておいて、女性への憧憬に着地するオチのパターンは変わらず。「聖惡魔」でも聖職たる牧師でいながら、現実の場で信者に接する態度とは真逆の不幸を悦ぶ『悪魔日記』をつける行為に主人公は快感を得ている。これまた前述の美女殺害を記録した寫眞帖と共通する妄想の産物。『新青年』は昭和121月号掲載の「聖魔」を皮切りに、嘱望する新人に連続して短篇を発表させる企画を渡辺啓助にも課したのであった。

 

 

「血蝙蝠」に登場する玉之助少年は生い立ちが不幸なばかりか〝めっかち〟というハンデを背負っている。この短篇を読むたび思うのだが、玉之助は十分過ぎるほど幸福に縁が無く、わざわざ〝めっかち〟にまで設定する必然性が私には感じられない。渡辺啓助自身、幼い時分顔に火傷を負ったつらい過去があり、それが一生拭い去れぬコンプレックスとして彼を苦しめたに違いない。玉之助だけでなく、啓助の作品にはそういったキャラクターが時々描かれる。炭鉱爆発事故で顔を焼かれ、繃帯無しでは夫人と共に生活できぬ境遇にある「屍くづれ」の鳥栖十吉などまさにそうで、啓助の心の奥底にあるコールタールのような愁嘆が反映した造形と見るのは穿ち過ぎだろうか?




かと思えば「タンタラスの呪ひ皿」の怨み重なる相手を白磁の皿の中に閉じ込める趣向なんてのは江戸川乱歩某短篇の影響あり。連続短篇も五作目「決鬪記」となるとそれまでとは趣きを変え【成績は優秀だがひねくれ者で、腕っぷしゼロの諸井蒼十郎】と【国粋派でジャイアン・タイプの安達玄】、このふたりの大学生を対立(?)させる。この両者ともウザいキャラゆえ、読み終わってスッキリしない。たった一滴で人を殺せる〝殺人液〟、そして家賃を納めない大学生との間で煩悶する家主・お牧の騒動を描く「殺人液の話」。ここまでの六作で連続短篇企画は終了。





耳へのフェティシズムをテーマにした「紅耳」。これも啓助独特の女性憧憬の表われの一種なのかもしれないがグロ味もたっぷり。切り落とされた妖しく美しい耳に対し〝何かマヨネーズでもかけてペロリと食べて仕舞ひたい〟って、いったいどんな趣味よ?。「死の日曜日」はその内容以上に、戦前ながら〝ギャグ〟や〝タイアップ〟といったワードが使われていて少々ビックリ。小林信彦がたしか自著の中で「日本人が〝ギャグ〟という言葉を意識し出したのは戦後になってから」みたいな事を書いてたようにずっと思い込んできたけど、それって私の勘違い?

 

 

「悪魔の指」は昭和24年に単行本の表題作にもなっている。哲學者・玉井有隆は生前、フランクフルトに留学していた時代の事だけは周囲の仲間にも話そうとしなかった。しかも獨逸から帰国した時、彼の片手の中指は無くなっていた。一見、日本男児と欧州女性のロマンス風に見せかけてはいるが、その実態は不義。本書収録作のうち最も発表が早い昭和10年の暮に発表されたからまだよかったものの、もし昭和13年以降だったら「日本の男が毛唐の女と密通するなんて絶対許さん!」って規制されていただろうね。巻末の「ニセモノもまた愉し」はエッセイ。各作品解説ではない。

 

 

 

(銀) 渡辺啓助という作家は、頭の中に浮かんでくるイメージの断片をパッチワークして小説を組み立てているような印象が私の中にあり、決してストーリーテリングに長けた作家ではない気がする。長篇に良いものがなかなか見つからないのも、そこらあたりから来ているのではないか。 

 

 

 


2023年6月1日木曜日

『密林の医師』渡辺啓助

NEW !

盛林堂ミステリアス文庫
2023年5月発売



★★★   「幻の一冊をここに復刻」って言っても、
               テキストの底本は初出誌を使用




日本が戦争に負けてしまった為、たとえ探偵作家が書いた作品であっても戦時下に発表され国策協力をベースにしている内容だと、その殆どは「今日読むに堪えない」といった物言いで冷遇され復刊の対象にもなりづらかった。良くも悪くも権田萬治『日本探偵作家論』の影響は大きかったですな。少しずつ風向きが変わってきたのは2000年を過ぎてから。ど定番級の本格・変格並みに評価を得られるポテンシャルを持った良作を望んではいけないが、「色んな作品が読めるようになったほうがいいじゃん」みたいな感じで、国策協力探偵小説(なんとも厳めしい名称なり)とて徐々に新刊本で扱われる機会が増えてきたのは決して悪い話ではない。




『密林の医師』も国策協力的内容ではあれ、この二十年に亘り渡辺啓助の新刊はチョコチョコ世に出ていたから、本書に入っている短篇のひとつやふたつぐらいはそのどれかに収録されているような気でいたが、見事にひとつも無し。渡辺啓助はまだまだ復刊されていない作品がワンサカ残っているのである。八つの短篇はいずれも、本書の元本である春陽堂文庫版『密林の医師』に先行して既に流通していた渡辺啓助著書へ収められていたもの。春陽堂文庫版『密林の医師』が初収録の場となった作品はゼロ。以下、括弧内はその短篇の初刊本を示す。



◘ 「密林の医師」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「異境冒険小説 陸鰐島の囚人」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「ジャガタラお春」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「ビルマの桜吹雪」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「冒険小説 チベットの雪豹」(『陸鰐島の虜囚』)

◘ 「伝記小説 無装荷松前」(『陸鰐島の虜囚』)

 

◘ 「沙漠のヨシツネ」(『沙漠の地下廊』)

◘ 「砂底の聖火」(『沙漠の地下廊』)

本書に見られる「砂底の聖火」の〝砂〟という字だが、ちょっと調べてみたら初刊本の『沙漠の地下廊』も初出誌の『新青年』も〝沙〟のほうを使っているみたいなのに、なぜ「砂底の聖火」と表記を?本当に『新青年』では「砂底の聖火」になってるのか?

 

 



今回の盛林堂ミステリアス文庫版『密林の医師』は日下三蔵の蔵書整理に定期的に駆り出されている盛林堂書房店主・小野純一が、春陽堂文庫版『密林の医師』を日下が所有しているのを知り新刊として出そうと決めたという。誰に尋ねてもまず間違いなく春陽堂文庫版『密林の医師』はお目にかかるチャンスのない文庫本だが、前述したとおり、ここでしか読めない作品は無い。(とはいえ『陸鰐島の虜囚』も『沙漠の地下廊』も十分に稀少本だが)



『密林の医師』を復刊するというんで、てっきり日下の持っている春陽堂文庫を底本にしたのかと思ったら、あまりにもお宝だし触りすぎて破損するのが心配だからすべて初出誌のテキストで代用したとあって思わず吹き出してしまった。本のノドを開いていちいちコピーを取るのは危険行為ゆえ気持ちはわからんでもないけれど、どうせ古本ゴロ仲間なんだからその文庫を小野個人に貸してやって、コピーを取らず現物を見ながらテキスト入力させるってのを日下は認めてやらなかったのかね。春陽堂文庫版を底本にしないのならば「幻の一冊である春陽堂文庫版『密林の医師』をここに復刻」なんて大袈裟に銘打つ必要は無い。

 

 

初出誌での発表から初刊本収録へ至る段階で作品名を微妙に調整したり、渡辺啓助が何らかの手を加えているのは明らか。だから『陸鰐島の虜囚』『沙漠の地下廊』の両方を持っている人でも初出テキストを使って制作された盛林堂ミステリアス文庫版『密林の医師』は読む価値がある。

さりとて昭和20815日のほぼ一年前に刊行された春陽堂文庫版『密林の医師』については、時期的な状況を考えても春陽堂文庫用に『陸鰐島の虜囚』『沙漠の地下廊』のテキストを啓助が再びいじった可能性は限りなく低い。つまり『陸鰐島の虜囚』と『沙漠の地下廊』に収録されていた八つの短篇のテキストと、春陽堂文庫版『密林の医師』全八篇テキストはおそらくほぼ同じであろうと私は想像する。せっかく滅多に出てこない本を持っているんだから、そこんところを確認して解説に記すべきなのに、日下三蔵は春陽堂文庫版を一字一句読んではいないっぽい。

 

 

 

(銀) せっかく読みにくい作品を新刊で出す良い行いをしていながら、日下三蔵や小野純一の言動の裏に透けて見えるのは、作品の内容ではなくレアだとか稀少とかその手の価値目線のみ。実は盛林堂店主の小野純一って、古本を売る立場なのにちょっとレアな本がヤフオクに出ていると気張ってせっせと落札しているって皆さんご存知でしたか?そんな暇があったら善渡爾宗衛の本の校正でも手伝ってやるか、ろくにテキスト入力もできぬ善渡爾にあこぎな同人出版なんて即刻やめるようきっぱり宣告してやればいいものを。





2022年9月10日土曜日

『悪男悪女』渡辺啓助

NEW !

桃源社 推理小説名作文庫
1958年10月発売



★★★★    戦前作家の悲哀




ここに収められている五短篇はいずれも戦後に書かれ発表されたもの。本書における収録順ではなく、初出誌発表順に見ていくとしよう。

 

 

 

 「盲目人魚」     『宝石』昭和211011月号掲載

敗戦にて悲惨な傷を負わされた者達がひっそり湯治している人里離れた奥上州温泉の風情がよく伝わってくる(もう長いこと行ってないけど、温泉はイイよね~)。

なにげに鉱毒に関する記述があって、浜田雄介は「盲目人魚」を再録した『渡辺啓助探偵小説選Ⅰ』解題の中で遠慮気味に本作を「社会派の先駆け?」と評しているが、その部分は単なる枝葉にすぎない。話の後半になると、主人公は本所向島という東京都内でも(昔は)ガラのよろしくなかった地区に探りを入れるため足を運びもするが、この作品はシンプルに〈温泉ミステリ〉と捉えて差し支えないと思う。

初出誌からテキストを起こした『渡辺啓助探偵小説選Ⅰ』では「インテリの刺青」までを前篇、「矢毒とイマジネエション」以降を後篇と銘打っているが、この『悪男悪女』では前篇後篇表記は省かれている。本作が『悪男悪女』の前にも単行本に三度収録されている点は注目していい。

 

 

 

 「ミイラつき貸家」     『宝石』昭和2478月号掲載

このタイトルを見て読者は「ハハ~ン、取り憑かれてミイラを自分で製造する奇人の話か」と想像されることであろう。なんだろうなあ、〈ミイラ製造の狂気〉それと〈美しきファム・ファタールへの執着〉、このふたつの素材は実に魅力的ながら、偏愛対象を二代にしてしまったせいで彼女たちの妖しい美のアピールが片手落ちになっていたり、芦名邸の同居人・瀬渡桂彦の動かし方がいまひとつだったりで、残念ながら満腹感は得にくい。本作は戦時下~戦後の渡辺啓助作品から良作を選りすぐったという平成13年の単行本『ネ・メ・ク・モ・ア』(東京創元社)に再録されたけれども褒め称えるにはもう一息。

 

 

 

 「黒い扇を持つ女」     『宝石』昭和2412月号掲載

自分の保身のため恋仲になった女を実に酷い目に遭わせる教師時代の千崎仙助はサイテーな男。しかも片輪になるぐらいの被害を受ける女性というのが、外見は美しく資産家の娘でありながら特殊部落出身の一家という理由で、周りから差別的な目で見られている不幸な娘。文中に何度か出てくる〝ちょうりんぼ〟という言葉は長吏(ちょうり)、つまり賤民を意味する。

 

 

書き方によっては前述の「盲目人魚」よりもむしろこちらのほうが社会派というか問題提起作になりそうな気がするが、渡辺啓助の美意識はそのようなシリアスなテーマをプロットの軸に選ぶことを良しとはせず、黒い扇を持つ女/女スパイ・陳萬珠の登場(?)によって話がちとゴチャゴチャしてしまった感あり。全体を俯瞰すると決して成功しているとは言えぬ内容なのに、メインキャラ千崎仙助と納戸まさ子の二人が読者に残す印象はなかなかに鮮烈で、下段にて紹介する昭和30年代の渡辺啓助作品よりもずっと心に残る。『渡辺啓助探偵小説選Ⅱ』に再録。

 

 

 

 「素人でも殺せます」     『新生』昭和3378月号掲載

2022年初夏に皆進社から発売された『空気男爵』(渡辺啓助)に再録。この新刊に収録されていた啓助作品は連作長篇「空気男爵」をはじめ殆どのものが〈コメディ〉と呼ぶレベルではないにせよ明るめの演出が施され、「盲目人魚」のようにネットリとした感触のアトモスフィアーは避け、作者自身とは年齢が離れた(1950年代以降当時の)現代的な若者(特に女性)を題材の中心にしている印象を受けた。

 

 

よくこのBlogで指摘している事だが、戦前に青春時代を送った作家からしたら(仮にその人の作家デビューが戦後であったにせよ)彼らが若さを謳歌していた時期というのは、どう足掻いても戦前という過ぎ去りし昔の話で。敗戦の混乱が徐々に落ち着き、国内の世情が明るさを取り戻してきていたとしても、戦前世代の作家達が小説の中で描く戦後の若者像には、中高年が無理して若者の素振りを真似ているようなズレが生じてしまうのが哀しい。本作を書いた昭和33年、啓助は既に58歳。昭和の58歳は令和の58歳と違ってはるかに老齢である。「ハイティーン」と書くべきところ本作で「ハイテーン」と表記しているのを見たら、昭和30年代であっても当時のティーンはやっぱり年寄り臭く感じたのではないかな。




 

 









今年に入って皆進社が刊行した水谷準の『薔薇仮面』、そして渡辺啓助『空気男爵』に共通して言えるのは、この二つの表題作長篇の初刊本が大変レアな為、なかなか読む事がかなわなかったという点。それは見方を変えれば、出来がよろしくないから再発される機会が全く巡ってこなかった、とも言えよう。どう出来が良くないかといえば、気の利いたトリックも無いし通俗作品として見てもアイディア/プロット共に弱く、よく評論家が「その時の最新風俗を前面に出して書けば書くほど、時代が変わればそれは古臭いものになってしまう」と指摘していて、確かにそれもあるだろう。

でもさ、戦前の探偵小説でその時代の最新風俗を描いていても、それらはモダニズムだのエロ・グロ・ナンセンスだのと云われて持て囃されるでしょ?大っぴらに日中戦争を始めるまでの戦前日本の風俗はわりとシャレたものだと受け取られるのに、戦争でボロ負けしたのもあって、戦後の風俗について人はどうしても麗しいノスタルジーの対象にはしたがらない傾向にあるようだ。

 

 

国破れ灰燼と化すという、それまでの歴史上前例の無い悲劇が日本に降りかかってきて、昭和20815日の前と後では凄まじい程の文化の分断が生まれた。敗戦前に十代~二十代を送ってきた作家が敗戦後に青春期を迎える若者像をビビッドに描こうとしたところで、そこにはPC/携帯の出現以前に青春期を迎えた今の中高年に対するどっぷりスマホに洗脳された若者世代以上の、どうにも埋め難いジェネレーション・ギャップがあったに違いないのだ。だってそれまで学校で〝白〟だと教えてきたものを、戦争に負けて天皇が玉音放送を流した途端に手のひら返しで〝黒〟だと教えるんだもの。そりゃショックで日本人の人間性も変わるわな。

 

 

戦前探偵作家が戦後に書いた作品の問題点について取り留めもなく書き連ねてしまったが、渡辺啓助だけでなくほぼ全ての戦前探偵作家にとっては1950年代から、江戸川乱歩逝去後やっと社会派ミステリが飽きられ、ディスカヴァー・ジャパンの波に乗って乱歩・横溝正史・夢野久作のリバイバルが台頭してくる1960年代半ばまでの数年間というのは、どんなカードを切ってもうまくいかない不幸な時代であり、「素人でも殺せます」のような作品もそんな時代の産物だという事を私は述べたかったのである。

 

 

 

 「一日だけの悪魔」     『大衆読物』昭和3310月号掲載

この作品、『悪男悪女』以降の単行本には再録されたことがないのでは?(違ってたらゴメン)某新聞にて「身の上相談」欄を担当している宇原清志のもとに、直接対面で「意見を伺いたい」と妙な男がやってきて、その男が語る強盗事件にいつのまにか宇原が巻き込まれてしまうというストーリー。『宝石』とは異なり『大衆読物』という雑誌はチープなカストリ・マガジンらしく上品ではないエロ・テイストがあり、事件発覚のオチもあるものの特段付け加えることは無い。
 
 

 

 

(銀) 皆進社版の水谷準『薔薇仮面』しかり次に出た渡辺啓助『空気男爵』も、誰でも気軽に読めるようになったことは素晴らしいが、内容的には褒めたい箇所が見つからず、『空気男爵』収録作と発表時期が近いものが半分を占めているこの『悪男悪女』を取り上げた。〝悪男悪女〟というのは書名であって、「悪男悪女」という作品がこの本に入っている訳ではない。ここで『悪男悪女』を★4つにしたのは矢張「盲目人魚」と「黒い扇を持つ女」が載っているからかな。

 

 

 

渡辺啓助は2002年永眠、101歳。もともと戦後の啓助は若い世代と接する機会が多く、「新青年」研究会の古いメンバーなどは啓助と親しい交流があった。戦前から活動していた探偵作家と会うことができたのだから、既に亡くなってしまっていた他の探偵作家に比べて、自然に彼らは啓助への親愛の情を深めたことだろう。そういう理由もあり「新青年」研究会において渡辺啓助(そして弟の渡辺温)は、他の探偵作家よりも幾分か贔屓の度合が強いような気がする。若く新しい読者はこの辺の内部事情を押さえた上で日本探偵小説の世界に踏み込んでいった方がいい。




2020年12月12日土曜日

『ポー傑作集/江戸川乱歩名義訳』エドガー・アラン・ポー/渡辺温・渡辺啓助(訳)

2019年9月20日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

中公文庫
2019年9月発売



★★★★★  数ある乱歩名義代作の中でNo.1は
        渡辺啓助・温兄弟によるポオ翻訳ではなかろうか




昔は大物作家の名を借りた代作が罷り通っていたもので、『蠢く触手』『世界変態叢書第二巻/変態殺人篇』ほか、自ら書いたものではない江戸川乱歩名義の本がいくつも流通していました。昭和3年末「陰獣」の殷賑にて多忙を極める乱歩へ『世界大衆文学全集 第30巻/ポー・ホフマン集』翻訳の話が改造社からも舞い込みます。順を追ってお話ししましょう。

 

 

乱歩はこの仕事を固辞する代替案としてエドガー・アラン・ポオの分の翻訳を、博文館編集者であった横溝正史を通じポオの心酔者・渡辺温へ依頼。ひとりでは時間が足りなかったのか、あるいは同好の士だったからか解らないけれど、温は実兄・渡辺啓助にも協力を頼み、彼らはタッグでポオと格闘することと相成りました。

 

 

後年になって啓助は弟とのポオ訳は大変楽しかったと、乱歩への感謝と共に次のような言葉を述べています。

「原書をふたつに割って温とシェアした。私の訳したのは八篇ぐらいか。
とにかく〝メエルストロウム〟には参った。」

実際のところは次のような分担だったようです。
( ***  は「ポオ傑作集」と題して、昭和7年平凡社版『江戸川乱歩全集第13巻』に再録)


 

「黄金蟲」(温)***

「モルグ街の殺人」(温)***

「マリイ・ロオジエ事件の謎」(温)

「窃まれた手紙」(啓助)***

「メエルストロウム」(啓助)***

 

「壜の中に見出された手記」(温)

「長方形の箱」(温)

「早過ぎた埋葬」(啓助)

「陥穽と振子」(啓助)***

「赤き死の仮面」(温)***


「黒猫譚」(啓助)***

「跛 蛙」(啓助)

「物言ふ心臓」(温)

「アッシャア館の崩壊」(啓助)

「ウィリアム・ウィルスン」(温)

 

 

『ポー・ホフマン集』の形になる時に、その掲載順は原書どおりではなくシャッフルされたのでしょうか? 乱歩の名で世に出るとはいえ、ふたりの人間で訳しているとは見えないほど統一された文章のアンサンブルがあります。やっぱり「Hop Frog」は「ぴょんぴょん蛙」ではなく「跛(ちんば)蛙」ではなければいけません。

 

 

さらにポオのこのクラシックたる十五短篇には後世の探偵・怪奇小説の肝となるエキスがギュッと凝縮されています。日本におけるポオ翻訳史がまだ浅かったというアドバンテージはあれど、啓助・温の仕事が的を得ていたからこそ乱歩はこの訳に感服、いくら自身の平凡社版全集最終巻へ収録する自作が不足していたとはいえ、全集に代作をエントリーしてしまうという、後にも決して例のない最上級の評価をしたのでしょう。もっとも『ポー・ホフマン集』が出た翌昭和5年、渡辺温は事故死にてあまりにも若く短いその生涯を閉じるのですが・・・。

 

 

今回の中公文庫版、テキストが旧仮名遣いで「堤燈」に「ランタアン」といった独特のルビを振ってある箇所は手抜きせずそのままにしてあるところが、まるで古書を読んでいるようで何よりもお手柄であります。今後も中公文庫にはこのような志の高い探偵小説本を出してくれることを望みます。

 

 

なお、本書の渡辺兄弟とは別に江戸川乱歩が珍しく自ら翻訳したとされるポオ「赤き死の仮面」も存在します。昭和24年に雑誌『宝石』に発表、初めて単行本入りしたのは平成24年藍峯舎限定豪華本『赤き死の仮面』。現在では平凡社ライブラリー『怪談入門 乱歩怪異小品集』で読むことができるので、本書の訳とどう違うのか比べてみるのも一興ではないでしょうか。

 

 

<附> この中公文庫の帯では、渡辺兄弟のポオ訳が「乱歩全集から削除された・・・」などと言っていますが、旧乱歩邸土蔵の名称=幻影城などというデタラメと同様に、これまた誤解を招く表現です。乱歩最初の全集から巻数を減らして平凡社が再発した昭和10年の『乱歩傑作選集』の中で、渡辺兄弟のポオ翻訳はオミットされていますが、その後乱歩は自分の全集・選集へ収録するのをを遠慮しました。第三者が書いた代作だからあたりまえの処置です。ポオ翻訳の印税はきっと啓助と温へ渡されたことでしょう。




(銀) 本文中〈ポー〉と〈ポオ〉といった風に表記が揺れているが、書名は忠実に記しつつ、自分の発言の中では〈ポー〉でなく古めかしい〈ポオ〉と書くほうが好きなので、本日の記事に限らず当Blog上で自分の言葉で語る際には〈ポオ〉と表記している。


ところで改造社版『世界大衆文学全集 第30巻』にポオと一緒に収められていながら、すっかり忘れられているかわいそうなホフマン。そんなホフマンの作品を乱歩の代りに翻訳したのは誰?




2020年11月20日金曜日

『カラスなぜ啼く、なぜ集う/探偵作家クラブ渡辺啓助会長のSF的生涯』天瀬裕康/渡辺玲子

2014年1月12日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

文芸社
2014年1月発売




★★★★   彼はSF作家でなく異国詩情的幻想探偵作家なので
              誤解の無いように




弟・渡辺温があまりに短い人生だった分、兄・渡辺啓助は101歳の長寿を全うした。本書はその一生を追ったものだが、帯における「薔薇と悪魔の詩人」なる呼び名には何も異論はないけれど書名の副題「探偵作家クラブ会長のSF的生涯」ってどうなの? 確かに日本探偵作家クラブの四代目会長を務めたし戦後日本SFの世話役としても貢献したが、渡辺啓助という人の看板はそこじゃないだろう。書名にしたって鴉(カラス)は彼の代名詞だけど、もう少し気の利いたタイトルはなかったのか。

 

 

内容は作品論というより、知らない読者にもわかり易いようなバイオグラフィーと作品紹介の趣き。但し全作品リストとか著書目録とかコンプリートな形では提示されていない。昭和50年代以降に出た啓助の著書において、未だ再発されていない作品も数多くあるので、第二〜三章での戦時下/戦後作品案内はビギナーでなくとも有難い。

 

 

小説だけでなく『 』『鴉』といった同人誌での活動、没後における啓助四女の画家・渡辺東や『新青年』研究会を中心とした啓助に関するイベント・刊行物の動き等も正しくフォローされているのは良かった。「吸血劇場」「処女獣」のテキスト異同・初出情報など書誌ネタも面白い。著者の天瀬裕康・渡辺玲子夫妻は文中の語り口調を整理統一した方が字面もスマートになったのではないか、と思う。

 

 

渡辺啓助を初めて読むなら何はなくともまず初期の傑作短編「偽眼のマドンナ」「佝僂記」「美しき皮膚病」「血笑婦」などを集めた『怪奇探偵小説名作選 2 渡辺啓助集 地獄横丁』(ちくま文庫)が最適。幻想系なのでどうしても短編のほうが出来が良いのだが、前述の「吸血劇場」といった中〜長篇も最近流行の同人出版でかまわないから読めるようになってほしい。




(銀) 渡辺啓助の書誌データが欲しければ今世紀に入ってすぐに発売された傑作集『ネ・メ・ク・モ・ア』(東京創元社)の巻末に載っているし、また『新青年』研究会の機関紙『「新青年」趣味』の別冊『渡辺啓助100』では多くの作品紹介が読める。しかし両方とも今では古書で探すしかないのと、後者は同人出版だから発行部数も少なく、見つけるのがやや面倒なのがネックではある。




2020年8月30日日曜日

『クムラン洞窟』渡辺啓助

NEW !

出版芸術社 ふしぎ文学館
1993年11月発売



★★★    事実とフィクションを交配させた異国ロマン



この本が出た90年代は渡辺啓助翁まだ健在なりし頃。懐かしいなあ。これは秘境シリーズとして雑誌『宝石』に発表した作品を纏めたものである。以下、括弧内は初出掲載年月、その右側は各作品の中で題材に使われている国・地域を示す。 


 

□ 「クムラン洞窟」   (昭和342月)~ 中東アジア


 

□ 「島」        (昭和363月)~ マダガスカル

□ 「嗅ぎ屋」      (昭和365月)~ ジャマイカ

□ 「追跡」       (昭和36年7月)~ 南米マット・グロッソ

□ 「悪魔島を見てやろう」(昭和369月)~ 仏領ギアナ・ディアブル島

□ 「崖」        (昭和3611月)~ ネス湖


 

□ 「シルクロード裏通り」(昭和381月)~ 東トルキスタン

□ 「紅海」       (昭和382月)~ 中近東

□ 「逃亡者の島」    (昭和383月)~ 南太平洋

 

 

米国の有名な雑誌『National Geographic』に載っていたリアルな地球上のネタを膨らませたフィクション・ストーリー。〈秘境〉といっても香山滋や小栗虫太郎のように探検家キャラを設定している訳でもないし彼らほど空想的なSF色はないので、兼高かおるならぬ  ❛ 渡辺啓助が描く世界の旅 ❜ とでもいった趣きか。外地を題材にした作品でも戦前における亜細亜大陸見聞記路線の『オルドスの鷹』などと風合いが異なるのは当然。


 

一冊通して地味な内容だし話はフィクション仕立てなのだから、「紅海」に登場する女流魚類学者アグネス・ミラー博士のようなセックス・アピールを振りまくレディを全エピソードに登場させる勢いのケレン味でもって、男性読者を釣っても良かったのではないか。それと渡辺啓助本人によるあとがき、加えて著書リストがわざわざ付いているのだから解説もあってしかるべきなのに、無いというのが ×。




(銀) 私が持っているのは初版だが日下三蔵の仕事だからか校正甘いな。まず目次からして、著者リストじゃなくて著書リストじゃないの? 探偵小説の枠に飽き足らなくなった啓助の戦後のアプローチの一部がSFであったり、また本書に収録されている異国ロマンだったり、いろいろな方向に挑戦はしているが、戦前の『地獄横丁』『聖悪魔』に肉迫するような良いものは生み出せなかった。