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2025年1月3日金曜日

『非小説』黒岩涙香

NEW !

春陽堂書店  日本小説文庫
1934年6月発売



★★★★★  大筋以上に、
       小ネタを活かした伏線の回収が素晴らしい




この文庫に序文を寄せているのは明治文学研究者・柳田泉。
今回取り上げる黒岩涙香長篇「非小説」への批評と共に、こんな事を彼は語っている。

 

 数ある涙香物のうち、これがmy favorite

 「非小説」のネタはコリンズと思われるも、肝心の作品を特定できていない

 「非小説」の内容はコリンズ「白衣の女」と似通っている

 

柳田はウィルキー・コリンズ「カインの遺産」(「The Legacy of Cain」)を元ネタと見込んでいたようだが、「非小説」の原作は今もまだ解明されていない様子。そもそも「カインの遺産」自体、商業出版物としてちゃんと邦訳されてないみたいだし。それならばと海外のwebサイトを検索、「The Legacy of Cain」の粗筋を調べてみたものの、「非小説」に繋がる要素なんて無いじゃん。やっぱ「カインの遺産」説はガセか・・・。

 

なら、何を根拠に柳田はコリンズなど持ち出したのだろう?まあ「白衣の女」はコリンズの代表作には違いないけど、そこまで「非小説」と内容似通ってるかなあ。些細な設定/作中の雰囲気なら時代を鑑みて共通点はあるかもしれない。でも「非小説」の美点はコリンズに通ずるロマンティシズムもさながら、流し読みしていると見落としてしまいそうなミステリ的小ネタの輝きにあると思うのだ。

 

                   

 

アクティブかつ義侠心に富む安野田露人は毎夕新聞の探訪者(明治期はニュースのネタを取ってくる係を探訪、そのネタを書き起こす係を記者と呼び分けていたという)。本作が『都新聞』に連載されたその翌年(明治26年)、この世に生を享けた井﨑能為はのちに探偵作家・甲賀三郎となり、堀井紳士殺しの裏に潜む謎を追うだけでなく不幸な村原恵美子・恒子母娘を救うため本業そっちのけで悪漢と対峙することも厭わぬ「非小説」の主人公に刺激を受けて、同じ職業の探偵役・獅子内俊次を創造したものと私は想像する(安野田は獅子内ほど短気な性格に非ず)。

 

 

今日はこの長篇を褒めまくるつもりでいるが、序盤の掴みだけ見れば正直そこまでキレキレとは言い難い。「第一篇 表面の事實」の幕開け、夜のゼラルド街を徘徊していた安野田露人が助けを求める叫び声に気付いて事件の第一発見者に・・・なんていうのは古典ミステリにありがちなきっかけで平凡だし、1/3ほど話が進行したあと時間軸が一旦過去に遡り、村原恵美子が現在の苦境に陥った背景を綴る「第二篇 裏面の事實」にしても、極悪人・ドクトル枝村が霧島次郎をネチネチ強請り窮地に追い込むくだりは、やや鈍重。ずっとこの調子が続いていたら★4つ止まりでもおかしくなかった。

 

 

話を再びオープニングに戻すと、堀井紳士が死んでいるその室内には血が流れているにもかかわらず、彼の死体にそれらしき外傷が無く、しかもその死体が現場から消失するとあって、この後トリッキーな真相が待ち受けていたり、(涙香長篇のわりに)推理・謎解きが楽しめるかもしれない期待を抱かせてくれるのも、また事実。そうそう、忘れちゃいけない。安野田には後輩探訪員のQが付いていて、手堅いサポートぶりを見せるのだけど、もうひとり重要な協力者がいる。剛情でおちゃめな少女・お曾比だ。凄惨な拷問を受けても揺るがない安野田とお曾比の強い絆で胸熱になりたければ、前半にて二人の信頼関係が徐々に築かれてゆく過程を見逃すべからず。



                   
 
 

このような下地があって「第三篇 露見の事實」に突入、安野田がドクトル枝村の経営する狂癲病院へニセ患者としてお曾比を潜入させるに至り、物語は一気にヒートアップ。よくある動きの無い本格長篇のように、途中まで我慢させられたあと解決の快感を味わうストーリーではないにせよ、「第三篇」以降の手に汗握る展開こそ「非小説」の真骨頂。

 

 

上段にて触れた〝ミステリ的小ネタ〟についても書いておかねばなるまい。まず堀井紳士の部屋に落ちていた短銃に、訳あって安野田は小刀で〝堀〟の字を刻み付けておくのだが、これが終盤の法廷シーンを迎えて犯人の逃げ道を塞ぐ大きな意味を持ってくる。さらに村原恒子を見初めて結婚を申し込む堀田十次郎は眼病を患い、めくら同然の身になるのだが、十次郎の目を見えなくさせた設定がこれまた巡り巡って判決の行方を左右するのである。

 

 

もう一つ、私が最も評価したいのは戸籍改竄トリック。村原恵美子の昔の婚約履歴を上書きした怪人物がいて、そいつは元の記載を墨塗りした上から同じ名前をまた書き込んでいる。改竄するなら当然別の人物の名前を上書きしてしかるべきなのに、そこには思いもよらぬ意図が隠されていて、ここ好きだなあ。本作が黒岩涙香自身のオリジナルでないなら尚の事、この戸籍改竄トリックを考え付いたのは誰なのか、その原作者を私は知りたい。





いや、この出来栄えなら柳田泉のみならず、若かりし頃の野村胡堂や江戸川乱歩が夢中になって読むのもむべなるかな。こんなに波瀾万丈で面白い小説を、原文テキストが文語体で難し過ぎるとか、〝唖〟だの〝気狂い〟だの不適切なワードが頻繁に出てくるからとビビって復刊しないのだから、令和の出版人の知性は地に落ちている。






(銀) なぜ涙香は「非小説」と名付けたのか、疑問に思ったことはありませんか?本作のエンディングで安野田露人は毎夕新聞の主筆へ送りたる書信にて〝余(安野田のこと)の執筆中なる非小説(堀井紳士變死事件の顛末)と同時頃に出版さるべく〟と 述べており、要するに安野田がこの事件を実録として書き記すという意味合いから、涙香は「非小説」なるタイトルを考案したのであろう。ウィルキー・コリンズに「非小説」という作品は無いそうです。

 

 

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2024年9月19日木曜日

『有罪無罪』黒岩涙香

NEW !

榮館
1920年4月発売



★★★    危険な情事





原作はガボリオ「首の綱」。それを黒岩涙香が翻案小説として発表したのが「有罪無罪」。
「首の綱」は1930年、春陽堂探偵小説全集/第18巻に収録されたっきり、後に続く訳書が出ていない。春陽堂版の翻訳者クレジットは江戸川乱歩になっているが、乱歩の名義だけ借りた代訳であるのはいつものとおり。

 

 

齢六十になろうかという貴族の嫡流・黒戸伯爵の住まいは、町からおよそ三里を隔てた春邊村にある。深夜、屋敷の放火に気付いて庭に出た伯爵は、待ち構えていた何者かに鉄砲で撃たれ重傷を負う。周辺捜査の結果、幾人かの目撃情報によって星川武保侯爵に容疑が掛かり、連行。武保は近日中、山堂家の一人娘・錦嬢と婚礼を挙げる予定だった。黒戸伯爵に殺意を向けるほど怨恨を抱く理由は見当たらないものの、あらゆる状況証拠から武保は不利な立場に追い込まれる。

 

 

最初から読者は星川武保がシロだと知らされている反面、只事でない秘密を抱えた武保は警察に自分の無実を立証することができず獄に繋がれている。そこへ、思い詰めたフィアンセの錦嬢が金の力で牢番を買収、武保を脱獄させ二人で国外に逃げようと持ち掛けたり、はたまた後半でも買収によって一時的に武保が獄から出られたりして、古い時代の小説ながら、実に御都合主義でユルユル。

 

 

全体の折り返し地点に至り、沈黙し続けてきた事実をようやく武保は弁護サイドに打ち明ける。その長い告白シーンは、それまで表舞台に出てこなかった人物の黒い側面が露わになり、本作の中で最もサスペンスフルだ。最終的に事件は法廷に持ち込まれ、本来ならばそこが最大のクライマックスになるはずなのに、なんと被害者の黒戸伯爵が死んだり生き返ったり(?)「一体どっちやねん!」って感じでツッコミどころ満載。

 

 

序盤での記述に謎の伏線を張っておき、代言人・大川方英たちの尽力によって明らかになる事実とピッタシ辻褄が合ってゆくような流れで物語が書かれていれば、傑作になったかもしれないのだが悲しいかな、そこまで論理的じゃないんだよな。本当に色々な点で惜しい作品。

 

 

 

(銀) 明治期に書かれた涙香の小説は改行が全然無いのも、現代人に読みにくさを感じさせる要因だろう。ただ会話の部分は、誰の発言か一目でわかるようになっている。

 

「其名の現はれるのは猶結構ではありませんか、誠の罪人の名が分れば愈々貴方の潔白が分りませう」


これは錦嬢のセリフで、彼女の発言のアタマには〝錦〟と記してある。
他にも例えば代言人・眞倉のセリフだと、彼の発言のアタマには必ず〝眞〟の字が。

 

「僕には何うしても此辯護は出来ぬから君に讓らねばなりません」

 

こうすることで、海外ミステリを読む際の、冒頭に記されている登場人物一覧表をいちいち見て確認するような手間は省ける。加えて戦前の本は総ルビだから、思ったほど読みにくい文章ではない。





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2024年7月23日火曜日

『江戸川亂歩全集第十一巻/白髪鬼』江戸川亂歩

NEW !

平凡社
1932年4月発売



★★★★★   光文社の「屠殺」狩り





昭和6年から一年に亘り刊行された平凡社版『江戸川亂歩全集』は、乱歩にとって初めての個人全集である。長篇「白髪鬼」「地獄風景」短篇「火縄銃」はいずれも、この時初めて単行本に収められた。その中から、「涙香白髪鬼」にすっかり魅了され、自らも筆を執った「乱歩白髪鬼」について見ていこうと思う。

 

 

「白髪鬼」の元ネタはマリイ・コレリ「ヴェンデッタ」。「涙香白髪鬼」は外国舞台のまま、疫病のため主人公が死亡~埋葬されてしまうところなど、「ヴェンデッタ」に準拠している部分が多い。乱歩はそこから更に固有名詞をすべて日本風に移し替え、エゲツない演出をプラスし、エロ・グロ・ナンセンスの風潮にも合いそうな改作を行っている。

 

 

オリジナルの「ヴェンデッタ」からして主人公はもともと悪人ではないのだが、「乱歩白髪鬼」の大牟田敏清 子爵は復讐モードに入っている間はともかく、生来のお人好しぶりが目立つ。その落差があるからこそ、蛇のような彼の執念が快哉を呼ぶとはいえ、マリイ・コレリ/黒岩涙香/江戸川乱歩による三作品のうち、好みの分かれるポイントは意外と主人公の性格付けにあるのかもしれない。それぞれに良さがあり、私はどれも好きなので優劣は付けないけどね。






ところで「乱歩白髪鬼」後半、「死刑室」の章には次のような一文が見られる。
(以下、下線は私=銀髪伯爵による)

 
 平凡社版『江戸川亂歩全集 第十一巻 白髪鬼』
 
罠にかゝつた哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。そして、彼の血走つた兩眼は、屠殺者の斧を見返す、牝牛の目であつた。




同じ箇所を光文社文庫版『江戸川乱歩全集』で確認すると、こんな具合。


 光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面』所収 「白髪鬼」


罠にかかった哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。

 

そう、『空中紳士』の記事(☜)にて述べたとおり、『江戸川乱歩全集』を担当した光文社の人間には、「屠牛」「屠殺」等の単語があると語句改変したり、あるいは文章丸ごと消去すべしという方針があったようだ。だから光文社文庫版『江戸川乱歩全集』のテキストでは、〝そして、彼の血走つた兩眼は、屠殺者の斧を見返す、牝牛の目であつた。〟の部分はごっそり削除されている。




では、その他の全集はどうかというと、


 講談社版第二次『江戸川乱歩全集 第7巻 吸血鬼』所収 「白髪鬼」

 

罠にかかった哀れな小動物の悲鳴としか聞えなかつた。そして、彼の血走った両眼は、屠殺者の斧を見返す牝牛の眼であった。


こちらは当り前に、平凡社版全集どおりの正しいテキストを再現。








もうひとつ、平凡社版全集「白髪鬼」における「死刑室」の章には、こんな文章もある。


 平凡社版『江戸川亂歩全集 第十一巻 白髪鬼』

 

川村は犬殺しの檻の中へ投げ込まれた野犬の樣に、ギヤンギヤンと狂はしく泣き叫んだ。

 

横溝正史「八つ墓村」のオリジナル・テキストには「犬殺し棒」という言葉が使われているのだが、角川書店90年代以降流通させている『八つ墓村』では、この言葉が「棍棒」へと語句改変されている旨、既にこちらの記事(☜)にてお知らせ済み。




「犬殺し」は野犬捕獲員、「屠殺」は食肉業者を差別することになるって理由から、我々の与り知らぬところで、これらの言葉は自粛の対象に指定されているらしい。

 

 

「犬殺し棒」と「犬殺し」では、出版社にクレームを付け恐喝してくる集団にとって扱いがどう違うのか、私には判別しかねる。しかし「乱歩白髪鬼」のテキストを光文社文庫版全集と第二次講談社版全集で調べてみると、どちらも平凡社版全集そのまま、「犬殺し」なる言葉を含む上記の一文は普通に掲載されていた。牛はダメだけど犬ならいいのか?生き物の命の尊さはすべて平等じゃないんかい?だからこの手の言葉狩りは何の意味も無いのだよ。

 

 

 

 

(銀) 光文社文庫版『江戸川乱歩全集 第7巻』で突っ込まれているように、「乱歩白髪鬼」は辻褄の合わないシーンもあるのだが、だって乱歩じゃから仕方がなかろう。翻案に手を出したのは本作が最初のように思われがちな乱歩。でも初期の「踊る一寸法師」だってポオ「Hop-Frog」の翻案みたいなもんさ。

 

 

誰も気付かないような場所に相手を監禁し、復讐者が積もり積もった怨みの言葉を吐いて彼らを地獄へ送ろうとするのが通俗長篇のお約束。いつもならそこに明智小五郎が現れて復讐者の企みは粉砕されてしまうのだけれども、「乱歩白髪鬼」は警察も探偵も助けに来てはくれず、大牟田子爵は計画を完遂する。

謎解きは無いが、物語そのものが大牟田の一人称で進行するため、探偵小説マニアでない読者にも非常に感情移入しやすい構造になっている。

 

 

叩き台は「ヴェンデッタ」「涙香白髪鬼」なれど、大牟田子爵が別の人間・里見重之に生まれ変わるくだりは「パノラマ島綺譚」をも彷彿とさせるので、つい苦笑。ストーリー展開で行き詰る可能性はあまり無さそうだったのに、連載中「乱歩白髪鬼」は三回も休載した。「黄金仮面」が完結して乱歩の精魂尽き果てた感がハンパ無い。







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2023年11月11日土曜日

『梅花郎』黒岩涙香

NEW !

大川屋書店
1942年6月発売



★★★★    毒女の企み





これはフランスを舞台にした物語です。
梅花郎とはなんだか〝真珠郎〟みたいな名前ですけれど、べつに彼は社会へ復讐するため世に放たれた人間バチルスでも何でもないノーマルな青年紳士でして、夜会の折に知り合った村津家の令嬢・小枝に恋心を抱いており、また小枝のほうも梅花郎を憎からず思っています。

 

 

小枝には初音という腹違いの姉がいるのですが、こいつが小枝とは全く対照的なビッチで腹黒いことこの上なく、時には男さながら馬を乗り回し、自分の欲しいものならどんな手段を使ってでも手に入れようとする、名状しがたき毒女に他なりません。

 

 

さて梅花郎ですが、骨牌で勝利し大金を得た無二の友・蝉澤が目の前で何者かに銃殺された為、警察は完全に梅花郎を殺人犯だと決め付けます。監獄行きは免れますが、梅花郎を新しい情人にしようと舌舐めずりしている初音はその事件以来、まるで蛇のように彼にまとわりつき始めるのです。

 

 

ここにもう一人、油断ならぬ放蕩者・森川子爵を紹介しておかなければなりません。森川はギャンブルの不正を指摘され、梅花郎を逆恨みしています。初音は梅花郎を手中に収めるため、この森川をも利用して小枝を陥れようとするのですが、ここから先は(現行本で流通していないので古書を探すしかありませんが)どうぞ小説をお読み下さい。

 

 

 

目を剥くようなトリックや意外性は見られませんし、梅花郎が濡れ衣を着せられるからといって法廷劇に向かう話でもありません。小枝嬢の下女・撫子の活躍にやや頼りすぎているよう感じさせられる点なんかは、黒岩涙香が原作の筋にアレンジを加えてもよかったんじゃないかなと思いますが、終盤に来て一旦クライマックスを迎えつつ、さらにもう一波乱起きる二段構えの展開が待っています。古めかしささえ苦手じゃなければ、一気に読めるサスペンスは持ち合わせている作品です。

 

 

 

(銀) 「梅花郎」は涙香作品の発表順でいうと「海底の重罪」と「片手美人」の間に位置しており、まだ二十代前半での執筆。そんな若さも影響しているのか、この辺の作品は(魚に例える訳じゃないけど)活きの良さが伝わってくる。







2023年9月24日日曜日

『黒岩涙香探偵小説選Ⅱ』黒岩涙香

NEW !

論創ミステリ叢書 第19巻
2006年9月発売



★★★    やっぱ長篇のほうが読みがいがある
   


   
収められているのは短篇オンリー。
解題を担当しているのはいつもの横井司ではなく小森健太朗。





「幽霊」

オリジナルの作品は不明。英国/軽目田村の郷士・竹生義成の妹・お塩は二十になる美人だが、ろくでなしの軽目田夏雄と恋仲になってしまい、周囲の大反対もむなしく彼らは結婚して米国へ発つ。出だしの雰囲気だと不幸の果て命を落として幽霊になるのはお塩だとばかり思ってしまうけれども、話はあらぬ方向へ。怪談としても因果応報ものとしても煮え切らぬ内容。

 

 

「紳士の行ゑ」

巴里府マレー区の豪商・塩田丹三が失踪した。この事件を担当する散倉老人は人をおちょくったような探偵なのだが、本作のオリジナルはガボリオの短篇「失踪」で、散倉老人は「ルルージュ事件」に出てくるタバレの翻案キャラ。保険金犯罪なれども涙香の別作品「生命保険」とは無関係。

 

 

「血の文字」

本書の中では最も枚数がありダイイング・メッセージが題材だし、これと上記「紳士の行ゑ」は涙香作品の中では推理味が強いとあって評価が高いらしい。オリジナルはやはりガボリオの「バチニョルの小男」、探偵役・目科とはメシネ氏を翻案したキャラ。小森健太朗によればガボリオ原作にはちょっとした矛盾があり、その点涙香が(完全に解消したとまではいかなくとも)補筆して解りやすくしているのだそう。へえ~、ただ勢いに任せて書いてるんじゃないんだな。

 

 

「秘密の手帳」

単行本初収録。原作不明ゆえガボリオのものかどうかも解らないとのこと。殺されし女優の顔が見分けも付かぬ無惨な状態になっているところなど、ミステリ読者が喰い付きそうな美点はそれなりに備わっている。


 

 

 

残りはかなり短いものばかり。


「父知らず」

現代でもよく見る、凶悪殺人犯が心神喪失というので無罪になるパターン。ブラックなオチ。

 

「田舎医者」

薬局が間違えて処方した薬を受け取った女。彼女は帰路暴漢に襲われ、その薬を暴漢の顔へ投げつけたところ・・・。

 

「女探偵」

2ページしかないショートショート。

 

「帽子の痕」

メシネーという人物が出てくるので「血の文字」と同じメシネ氏らしいがここでは翻案名が目科にはなっておらず、オリジナルがガボリオのどの作品なのかも判明していない。メシネが絡んでいることもあってか論理性は無くはないが、この短さでは物足りなさも。

 

「間違ひ」

名にし負う瞞引(まんびき)王の小咄。

 

「無実と無実」

私の好きでない実話系である上、未完なのでノー・コメント。

 

その他〈評論・随筆編〉として、「探偵談と疑獄譚と感動小説には判然たる区別あり」「探偵譚について」を収録。


 

 

さすがに掌篇がズラズラ続くと読んでてかったるい。黒岩涙香に何を求めるかにもよるが、もしもアナタが血沸き肉躍る涙香節を堪能したいのであれば、こういった短篇は小粒すぎて向いていない。迷わず長篇を読みましょう。

 

 

 

(銀) 涙香も2000年代に何冊かチョロっと新刊が出たあと、復刊の動きは全然無い。伊藤秀雄の後継者になってくれそうな人材がいないのか・・・。




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2023年5月6日土曜日

『幻影城評論研究叢書5/黒岩涙香研究』伊藤秀雄

NEW !

幻影城
1978年10月発売



★★★★  明治期初版本テキストしか信用できないって本当?
   




伊藤秀雄が手掛ける黒岩涙香研究書・第三弾は島崎博が1970年代に主宰していたミステリ雑誌『幻影城』評論叢書の一冊として刊行された。収録されている項目の殆どは既存の紙媒体に発表済みの文章を集めたもので、或る箇所では手を加えたり又書下ろしも二点プラスしたりして構成されている。以下目次。




 涙香の魅力 

 幻の『西洋女大学』について 

   「法廷の美人」の発見 

   「無惨」について 

   『今日新聞』と『都新聞』の涙香小説について

   


◆ 「何者」について

◆ 新発見の「紳士の行ゑ」をめぐって

◆ 「我不知」について

◆ 涙香小説拾遺

◆ まぼろしの「春残香」

 


◆ 「幽霊塔」雑感

◆ 「仙術霞の衣」の原作

◆ 涙香のSF

◆ 「今より三百年後の社会」について

◆ 涙香の小説書

 


◆ 萬朝報と人身攻撃

◆ の離婚と再婚

◆ 涙香の恋文

◆ 涙香の墓

◆ 涙香伝再説

 


◆ 涙香研究家・阿川参悠

附録

黒岩涙香年譜

黒岩涙香書誌

あとがき


 

 

作品論と人物論とがそれほど系統立ててカテゴライズされてはおらず、時折引用される明治期の文章がさなきだに小難しい感じを与えるのもあって、本書にとっつきにくい部分が無いとはいえない(だから実質的には★3.5)。読みものとして楽しみたいのなら以前紹介した『涙香外伝』のほうが向いている。この時代はまだ判明していなかった事実もあって全般的に研究途上の印象。それゆえ「幻影城評論研究叢書」のうち何度も再発された権田萬治『日本探偵作家論』は別格としても本書はこのままリイシューするには適しておらず、だからこそこの後も伊藤秀雄をはじめ幾人かの識者によって涙香研究書は上梓され続けた。

 

 

そうは言ってもチェックすべきポイントは多々あり、伊藤は涙香著書について「大正期に入ってからの縮刷版(新聞のことではない)は本屋側の改悪的な添削がなされていたりするので明治の初版本または新聞でないとテキストは信頼できない」と度々書いている。え~っ、じゃあ涙香の死後、すなわち元号が昭和に変ったあと世に出た涙香著書の信頼度って・・・・適切なテキストの底本を用いて制作された単行本は果してどれぐらい存在するのか、深く考えるとだんだん頭が痛くなってきそうな問題だ。


 
 
楽しい話題も振っておこう。柳田泉は涙香の傑作として初期の純探偵物からは「人耶鬼耶」「死美人」「幽霊塔」「非小説」、中期のロマンスを加味したものでは「巌窟王」「鉄仮面」「武士道」「人外境」、後期の人情味乃至家庭小説の味を加えたものでは「噫無情」「野の花」「山と水」をセレクトしたという。江戸川乱歩はベスト・スリーに「巌窟王」「噫無情」「幽霊塔」を選出、その三作の中でも伊藤をはじめ「幽霊塔」をNo.1に挙げている人が多い。

 

 

黒岩涙香という男は土佐の出身なのもあって復讐心が人の数倍強い、という説には思わず笑ってしまった。〝いごっそう〟という言葉からして、昔の高知の男性には血の気が多そうなイメージが確かにある。それでもフヌケな令和の社会からは「レッテル貼りするな!」なんて声が上がるのだろうか。駄弁はさておき復讐をテーマにした涙香作品が断然面白いのは誰も否定のしようがない。

 

 

 

(銀) 巻末の「幻影城評論研究叢書」広告ページを眺めると、この時点では未発表に終わった鮎川哲也『探偵作家尋訪記』が刊行予定に入っているのが泣かせる。数年後鮎川は晶文社から『幻の探偵作家を求めて』と改題してようやくこれを発表に至らせるも、2019年に再発された『幻の探偵作家を求めて【完全版】』にて日下三蔵と論創社編集部が本来のコンセプトを破壊、尋訪記以外のものまで味噌も糞も一緒くたに叩き込む無能な悪編集を施してしまったことは各位よく御存知のとおり。




 

2023年4月10日月曜日

『怪の物』黒岩涙香

NEW !

明文館書店  縮刷涙香集第二十二編
1921年10月発売



★★★★★   いまこそ、涙香に還れ

 

 


「怪の物」と書いて「あやしのもの」と読む。

縮刷涙香集『怪の物』にはドクトル・エマニエル原著/黒岩涙香譯とあるが、本当のオリジナルはエドモンド・ドウニイの「小緑人」。ちなみに私はオリジナル版の忠実な翻訳を読んだことが無い。そもそも「小緑人」って近年翻訳されているのか、またエドモンド・ドウニイという作家には他にどんな作品があるのか、それさえも自分で調べていなくて不明な事だらけ。

 

 

語り手である江間寧児医師のキャラからして、「余は極めて陰気なる人にして幼き頃より他人と多く交るを好まず、従って親友と云う者も無く(中略)余は此世の中に、独り鬱々と塞ぎ込み、楽しからぬ月日を送る程楽しき者は無しと悟れり」ときている。厭人癖が強かった戦前の江戸川乱歩は江間をそっくりそのまま地で行っているようなもので、そんな乱歩がこの小説を好まぬ筈がない。

 

 

倫敦西部の町外れ。外科開業医某氏の後を買い受け、荒地の寂しい一軒家に引き籠って暮らしている江間はある夜、(その一帯に建っている)長く人の住んでいない荒廃家の窓に燈火の光が洩れているのを見た。その翌晩窓辺に佇んでいた彼は、宵月にして薄い霧が立ち込める茂みの中に異様なる怪物の眼が光っているのに気付き戦慄する。印象深きこのシーンが乱歩小説いずれにサンプリングされているか、あえて説明の必要もあるまい。

 

 



黒岩涙香作品は明治から大正初期に書かれ、その文章は文語体から成る。だからといって学校で習う古文ほど難しくはないのだから、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』同様その気になれば現代人だって決して読めないテキストではないのだが、敷居が高いのかムチャクチャ面白いわりにちっとも復刊されない。幸運にも「怪の物」は学研M文庫『伝奇ノ匣 〈7〉 ゴシック名訳集成/西洋伝奇物語』に収録されたが、もう二十年前の本ゆえ今では再び現行本で読めない状況にある。

 

 

馬琴も涙香も原文に味わいがあるのであって、これを下手に現代語訳してしまうと面白くもなんともなくなってしまう。2018年に河出書房新社が乱歩訳の涙香『死美人』を復刊したが、これは例によって乱歩が名義貸ししているだけで自ら筆をとった訳ではないから、涙香の良さも乱歩の良さも全く味わえない。涙香も乱歩も、語り口の醍醐味が魅力の半分以上を担っているのだし、それを表現できない書き手が現代語に移し替えたところで意味が無い。

 


私自身二次創作ものを毛嫌いするくせに『新八犬伝』だけ例外的に褒めちぎっているのは、石山透と坂本九のふたりが馬琴節の美味しいところを絶妙に噛み砕いて講談調に移し替える事が奇跡的にできていたから。言い方を変えれば、同じ辻村ジュサブローの人形を使っていながら『真田十勇士』が『新八犬伝』ほどウケなかった理由はいろいろあるけれど、やっぱり石山透+坂本九レベルの(耳に)心地良いノリを生み出せなかったためだろう。それほどまでに〝物語る力〟は重要なのだ。

 

 

 

(銀) 二週間前の326日付記事にて竹田敏彦『薔薇夫人』を題材にし、「やっぱ涙香は面白いよな」と再認識したのもあって偏愛するゴシック長篇「怪の物」を取り上げた。スマホ中毒になっている令和の日本人に文語体の明治大正小説を受け入れさせるのはなかなか難しいにせよ、せめてニッチな読者だけでもある程度の涙香作品が読めるようになればいいのに。でも、現代語でさえろくに校正・校閲しない奴が多いのだから、文語体だとますますグシャグシャなテキストにされそうだ。




2020年9月11日金曜日

『涙香外伝』伊藤秀雄

NEW !

三一書房
1995年6月発売



★★★★    正史の「幽霊鉄仮面」にも涙香の遺伝子が





明治探偵小説の専門家・伊藤秀雄による黒岩涙香研究本のひとつ。彼は大正14年生まれで、紀田順一郎や小林信彦よりほぼ一回り上の世代。リラックスして読めるエッセイみたいな側面もあり「明治の小説は文語体だから、読もうにも大変そう」と涙香を今まで読まなかった人にもお薦めできる。残念ながら本書は現行本として入手できないので古書を探さねばならない。




「涙香小伝」

『国立国会図書館所蔵明治期翻訳文学書全集目録Ⅲ』に掲載された、文字どおりのコンパクトな黒岩涙香ヒストリー。


 

 

以下「多摩川随想」までは『日本古書通信』に発表された、涙香に纏わる人達についてのエッセイ。


乱歩邸訪問記

江戸川乱歩と伊藤秀雄の交流は当然涙香文献の情報交換になる訳だが、当時伊藤は推理小説家になりたい願望があって原稿を乱歩に読んでもらうものの、ダメ出しの反応をされた伊藤は若干乱歩にムッとしているような素振りが見える。

 

横溝正史について

正史との接触はなかったのだろうか。「幽霊鉄仮面」を中心とした涙香と正史ジュヴナイルとの関係について触れている。

 

吉川英治について

探偵小説以外、つまり時代小説にも涙香の影響が及んでおり、その最たる作家が英治。

 

野村胡堂について

胡堂作品にも涙香調のものがあるが、涙香本蒐集家としての胡堂も忘れてはならない。


 

氷川瓏氏について

本書の中で個人的に最も注意を引いた章。伊藤と氷川のやりとりから次の事が判る。


江戸川乱歩(訳)名義のポプラ社版ジュヴナイル「海底の黄金」はボアゴベ「潜水夫」 →  涙香「海底の重罪」を氷川がリライトしたもの。その際使用した原書は米国シーサイド・ライブラリーの一冊である英訳本『The Nameless Man』であった。伊藤によれば涙香「海底の重罪」より氷川「海底の黄金」の方がボアゴベの原作を尊重しているので、面白いのは後者とのこと。


江戸川乱歩名義で出された(別の人間が代作した)ジュヴナイル本はいくつも存在するが、そんな場合、代作本に発生する印税は再版分が乱歩の手取りだったという。言い換えるとそれぞれのジュヴナイル代作本初版分印税は代作者のものとする方法をとっていたそうだ。

 

快楽亭ブラックについて

吉田精一先生のこと

湯朝竹山人について

吸霞の伝の人/多摩川随想



松村喜雄氏について

ここも重要な章。人付き合いの悪い伊藤を、多忙ながらも業界で名が知られるようアシストしていた松村。伊藤は度々松村に「乱歩伝を書くように」と勧めていたそうだが、松村は徳間書店を相手にかなりつっこんだ乱歩の話をしてテープに録音してあったとも書いてある。これは『乱歩おじさん』とは別の内容なのだろうか?すごく気になる。

 

 
 後半は涙香ゆかりの人々についてのエッセイ・インタビュー。


黒岩菊郎氏について/鈴木たま夫人は語る/鈴木勉氏は語る/大村華子夫人は語る/黒岩善雄氏は語る

 

黒岩涙香ブック・ガイド/黒岩涙香年譜/初出一覧/あとがき




(銀) 数ある黒岩涙香作品の中で、私の最も好きなものは「怪の物」(原作=ドーニイ『小緑人』)。近年の本でこの作が読めるのは『伝奇ノ匣⑦ ゴシック名訳集成 西洋伝奇物語』なのだが・・・・out of print 。涙香は読んだらムチャクチャ面白いんで、変に現代語訳になどしていないテキストで、もっと現行本が流通してほしい。