2020年6月27日土曜日

『大暗室/江戸川乱歩全集第10巻』江戸川乱歩

2013年6月18日 Amazonカスタマー・レビューへ投稿

光文社文庫
2003年8月発売



★★★★★  懲悪の騎士・有明友之助 対
       邪悪の寵児・大曾根龍次の闘争(「大暗室」)




一昔前まで流通していた、子供向けに悪役を怪人二十面相に変えて江戸川乱歩が戦後に武田武彦に代作リライトさせたジュブナイル版「大暗室」と本書収録のオリジナル「大暗室」を混同している人が世の中にはいるようなので、新しい読者に誤解のないよう書いておきたい。

 

 

世界的旅行家である有明友定男爵を裏切り海原の骸にした極悪人・大曾根五郎は、男爵の若い夫人・有明京子を騙し彼女の再婚相手に収まったため、男爵の一子・有明友之助とは異父兄弟となる五郎の子・大曾根龍次が生み落とされる。まだ幼い友之助の命を奪おうとした事から五郎の企みを知る京子。五郎は有明家を業火に包み、莫大な財産を奪って姿を消した。そして二十年の時が流れ、善と悪ふたりのアドニス、因縁の闘争が始まる・・・。

 

 

曲亭馬琴『近世説美少年録』の乱歩版とも云われる「大暗室」。謎解き・トリックが肝ではないから乱歩もストーリーの整合性に苦しむことはなかったようで、昭和1113年の一年半と長期に亘る連載がなされた。ユートピア路線に括られるのは一読瞭然だが、興味深いのは大暗室の主・大曾根龍次が「帝都を火焔地獄で焼き尽くす」暴帝ネロの夢を持っていること。美女群の肢体に彩られたビザールな王国のみならず、己の破滅を賭けてまでも攻撃的な最終目的を掲げるこの点だけは「パノラマ島奇談」「影男」と少し異なっている。

 

 

昭和89年の本格長篇「悪霊」が中絶し、「緑衣の鬼」等の翻案はあったといえ大衆的通俗長篇しか書けなかった乱歩の厭世観が「疎ましい現実もなにもかも灰になってしまえ」と意識下で呟いていたのだろうか。物語中で父・大曾根五郎が息子・龍次に何故そんな薫陶をしたのか説明がなく、龍次の野望が何をキッカケに生まれたのか読者はわからないので、ついそんな妄想をしてしまう。

 

 

また乱歩の通俗長篇には「猟奇の果」後半での「労働争議」のように、連載当時の世相の中から乱歩らしくないネタが時々ヒョイと顔を出す事がある。「大暗室」でも後半で「軍隊」という単語が時折出てくるのも2.26事件の影響か。

 

 

いずれにしてもこんな壮大で面白い小説は乱歩にしか書けない。他の探偵作家には無理だ。この光文社文庫版全集の特徴として、小説は大人ものとジュブナイルを区別せず純粋な発表順で収録されており、この巻では「怪人二十面相」を併録するという過去に例のないカップリング。「怪人二十面相」はポプラ社版と違って戦前発表時のテキストに戻してあるので、その当時の空気もよく伝わってくる。

 

 

 

(銀) よく読んでいると大曾根龍次の野望の根源以外にもツッコミたくなる点がある。序章、陸地からまだ遠い海面のボート上で大曾根五郎に狙撃され海中へ落ちた久留須左門は、その後どうやって大曾根の目につかずにいられたのか?意識があったにしろなかったにしろ、長時間海中にいたら出血多量でとても生きてられなかっただろうに・・・なんて事を言っちゃ野暮ってもんか。

 

 

馬琴の代表作『南総里見八犬伝』は白井喬二が元の文語体から現代語訳した文庫が河出から出ているけれど、『近世説美少年録』など他の作品も雰囲気を壊さず現代語訳したハンディな文庫があるといいのに。