2024年1月29日月曜日

『裏切りの塔』G・K・チェスタトン/南條竹則(訳)

NEW !

創元推理文庫 名作ミステリ新訳プロジェクト
2021年5月発売



★★★★   満点にしてもよかった位の創意




古典海外ミステリの新訳が出ると、旧訳と比べてどのぐらいその作品が読み易くなったのかは、やっぱり気になる。わざわざ言うまでもなく、チェスタトンの言い回しが偏屈なのは誰もが知るところ。本書に収められた「高慢の樹」は戦前に小酒井不木が「孔雀の樹」のタイトルで翻訳しているので、参考がてら見比べてもらおう。サンプルにしたのはオープニングの数行。

 

 

本書「高慢の樹」11ページ/南條竹則(訳)

大地主ヴェインはイギリスの教育を受け、アイルランドの血統を引く初老の少年だった。
立派な寄宿学校で受けたイギリスの教育は彼の知性を完全に、
そして恒久的に少年時代のまま保存していた。
しかし、アイルランドの血統は無意識のうちに彼の中の老少年らしい謹厳さをくつがえし、
時として腕白少年の明るい人生観を返すのだった。

 

 

『小酒井不木全集第四巻』「孔雀の樹」489ページ/小酒井不木(訳)

殿様ヴェーンは萬年坊ちやんである。アイルランド人の血を受け、
イングランドの某高等學校を出たのであるが、その學校生活の御蔭で萬年坊ちやんとなり、
それをアイルランドの血が(しんねう、とルビあり)かけて居るために、
その坊ちやん振りは、まさに堂々たるいたづら坊ちやんである。

 注/下線部の〝之繞(しんにゅう)を掛ける〟とは、「一層おおげさにする」の意味


 

いかがだろう。新訳のほうがムツカシイ?
まあそう言わずに最後までトライしてみて頂きたい。初めて「高慢の樹」(=「孔雀の樹」)に接し、冒頭からいきなり〝初老の少年〟って何?と思われる方もいらっしゃるかもしれないので昔の小酒井不木訳と並べてみた。

 

 

 

本書の解説を担当している垂野創一郎は、その小酒井不木をはじめ国枝史郎/中島河太郎/小栗虫太郎/夢野久作を引き合いに出し、私のような人間には実に好ましい内容になっているので、彼の解説に沿って、この記事も進めていきたいと思う。

 

 

 

上記にて二種の翻訳文を見てもらった「高慢の樹」。人喰い人種のように孔雀を食い尽くした伝説を持つアフリカ産の怪樹が鍵となるこの物語は、国枝史郎が大変感激したというだけあって、小酒井博士よりも国枝の創作世界のほうに共通項があるかもしれない。できれば髷物小説ではない設定で、国枝もこんな感じの奇妙な作品を書いてくれてたら、もっと私も楽しめたのだけど。それはともかく、ブラウン神父シリーズしかチェスタトンの小説を読んだことが無い方は、こういうものもあるのでよかったら一度読んでみてもらいたい。

 

 

 

さて私個人は、怪談テイストから離れて、より謎解きを楽しめるここからの三作が好み。「煙の庭」の殺人方法はヨーロッパらしい品のある(?)ものだし、「剣の五」はフランス人ポール・フォランとイギリス人ハリー・マンク、この二青年が偶然決闘の場に出くわす話。敗れた男の死に疑問を抱いたフォランは、決闘の勝者側/敗者側どちらにも感情的に偏ることなく隠れた謎を突き止める。

 

 

 

表題作「裏切りの塔」。これは作中の地理関係が掴みづらいかもしれないというので、垂野創一郎が解説ページにて手書きのイラストを描いてくれている。垂野も言及するように、フィクションとはいえ本作における〝或る行為〟は本当に可能なのか私も気になった。ハッキリ書く訳にはいかないけれど、例えばゴルゴ13がいくらデイブ・マッカートニー(「ゴルゴ13」の数少ないセミ・レギュラー/Gが最も信頼を寄せる職人)に依頼したところで、この✕✕は素材的に無理なんじゃないかな。横道に逸れてしまったが、大時代的な話そのものはvery good

 

 

 

【名作ミステリ新訳プロジェクト】とはいえ、最後の戯曲「魔術」だけは日本語に訳されるのが初だそうなので、これはおまけ的な扱い。垂野創一郎はこの戯曲を「ブラウン神父譚の愛読者には必読」と言い、その理由を示しているが、「高慢の樹」「煙の庭」「剣の五」「裏切りの塔」ほどの深みは感じられなかった。またいつかブラウン神父シリーズを最初から最後まで再読する機会もあるだろうから、そのあとで、もう一回読み返してみたい。

 

 

 

 

(銀) 南條竹則/チェスタトンといえば、私はちくま文庫での新訳ブラウン神父シリーズを楽しみにしていたのに、「無心」「知恵」で止まってしまい、「懐疑」「秘密」「醜聞」は出ずに終わってしまって遺憾だった。

 

 

ちくま文庫と南條竹則がやらないなら、平山雄一が作品社から刊行しているあのスタイルで、(思考機械やマーチン・ヒューイットのように)当時の挿絵をもれなく収録したブラウン神父シリーズ完全版が読めるようになるのも理想的だったのだけど、昔から創元推理文庫が『童心』『知恵』『不信』『秘密』『醜聞』を定番商品にしている以上、その辺が障害になるのかな。


 

 


2024年1月26日金曜日

『伊賀一筆FMと乱歩誕生』中相作

NEW !

名張人外境
2024年1月発売



★★★★★   賽の河原の如き名張でひとり戦う中相作





 本日の記事左上にある書影の内訳から説明しておくと、
右側が令和2年から令和5年にかけて十六冊発行されたフリーマガジン『伊賀一筆FM』、
左側は『伊賀一筆FM』既刊十六冊プラス単体では発行されなかった第十七号「仰天終刊号」を合本、そこに令和四年名張市にて開催された創作劇『乱歩誕生』シナリオを併録した出来たてホヤホヤのブランニュー・アイテム『伊賀一筆FMと乱歩誕生』
郷土史家/編集者/漫才作者、そして江戸川乱歩研究家として名高い中相作の個人誌だ。
(乱歩ファンには名高いが、氏の住んでいる三重県では名高くないかも。残念ながら三重の人は乱歩にそれほど関心が無いようなので。)

 

 

 

名張人外境主人・中相作に欠かせぬ表現のスタイルとして〝笑い〟と〝漫才〟がある。
何故〝漫才〟なのか?若き日の氏は上方漫才の父・秋田實の門下生だったのだ。
(ご本人は秋田先生晩年の短い時期にちょっとだけ、と謙遜しておられるが)
初めて中相作を知る読者のために、ここで氏が江戸川乱歩と名張に拘り続けるその理由を(ごく簡単に、だが)述べておくのも無駄ではないだろう。本当なら一から十までじっくり説明しなくちゃ中氏に「たったそんだけかい!」とツッコまれそうだけど、きょうびの人間はSNSに脳汚染されてしまい、ちょっとでも文章が長くなると拒否反応を起こすので、最低限の基礎知識のみ語らせてもらう。

 

 

 

 時は大正。まだ只の一青年・平井太郎に過ぎなかった江戸川乱歩は同郷のよしみもあって、伊賀にその人ありと知られた政治家・川崎克より一方ならぬ温情を受ける。乱歩は終生その事を感謝し、川崎克を恩人と呼んで敬った。やがてそののち川崎克の息子・川崎秀二が政治家として克の後継者になる訳だが、乱歩を生み中相作を生んだ名張という〝まち〟は昭和29年の町村合併で名張市になったのもあってか、ずっと図書館の無い状況が続いていた。それでも乱歩が身罷った昭和40年代に入ると「やはり図書館は必要なのでは?」という市民の声が強まり、昭和44年に名張市立図書館が開設される。中相作はというと、まだ16歳の学生。

 

 

 

時をほぼ同じくして、ちょうど没後最初の江戸川乱歩全集が講談社にて企画される。社会派ミステリなどというクソつまらんものに靡いていた大衆もようやく目が覚めたのか、乱歩だけでなく戦前日本の探偵小説に回帰する気運が高まりつつあった。そんな中、第一次講談社版乱歩全集の月報(第一回配本分!)執筆者に指名された川崎秀二は、自分にも父・川崎克にもゆかりの深い乱歩をリスペクトし「郷土名張に江戸川乱歩文庫を作って顕彰しようではないか」と提言。そうなると名張市立図書館も知らぬ存ぜぬでいられる筈がなく、乱歩の旧い著書をせっせと古書で買い集め始める。

 

 

 

ところがところが。かの名張市に巣食う役人達はどんな風に系統立てて乱歩資料を集め、どのようにそれを活かせばいいか、1ミリたりとも理解できていなかった。ここで更に、時は平成7年へ飛ぶ。いよいよ中相作が名張市立図書館乱歩資料担当嘱託となり、有能なる氏が『乱歩文献データブック』『江戸川乱歩執筆年譜』『江戸川乱歩著書年譜』を一気に制作せしめ、「今後このように名張市立図書館は資料を集め、情報提供していけばいいのですよ」と一定の方向性を打ち出した事は、いまさら説明の必要もあるまい。それにも関わらず、のんべんだらりとしているのがモットーの名張市は中氏の言う事に耳を貸さず、最初から資金不足なのに筋違いな案件にはカネを浪費したり、川崎秀二の提言はどこへやら、乱歩に対する真の顕彰などこれっぽっちも示さぬまま今日に至っている始末。
 

いま我々が名張の地にて乱歩へのささやかな愛情の発露を見つけたとしても、それは全て中相作がたったひとりコツコツコツコツ賽の河原に種蒔きし、それに共鳴したごくごく僅かな人達の手になるものであって、決して名張市や三重県がコミュニティ単位で成しえた産物だと誤解してはイケマセンヨ。

 

 

 

 思い返してみると、これまで名張には珍妙な事件が幾度となく発生してきた。
(なんだか松本清張『日本の黒い霧』みたいになってきたな)
慶應OBが善意で名張市立図書館へ寄贈したミステリ図書の死蔵問題・・・
細川邸エジプト化問題・・・
webサイト『名張人外境』BBSにて中氏にイチャモンをつけてきたアホは(訳のわからない中国人とか)何人かいたけれど、その中でも特に滑稽だった〝怪人19面相〟・・・
あげくの果てに、名張の役人が中氏に向けて発したセリフが「現段階では乱歩に関して外部の人間の話を聴く考えはない」だからね。きっと彼らの脳みその構造は、こういうの(☜)とかこういうの(☜)と同じなのかもしれない。この種の手合いには、氏の日本語をあやつる見事なテクニックなど全く楽しめないだろうな。

 

乱歩そして名張を愛し、義に厚い中氏が二十年以上乱歩関連の情報を無償提供するだけでなく、名張や三重の自治体に問題提起し続けているのはこういった背景があるからなのだ。

 

 

 

♚ 『伊賀一筆FM』に目を向けてみれば、名張や三重を中心とした地方自治、乱歩/ミステリ関連の話題だけでなく芸能から政治まで、この四年間の世相が秋田實直伝のしゃべくり漫才芸によって鮮やかにぶった斬られている(?)。こういう笑いのネタは第三者があれこれ説明してしまってはちっとも面白くないので是非本誌を読んで頂きたいが、中でも〝伊賀市がさっぽろ雪まつりに松尾芭蕉の雪像を設置してもらって、あわよくば伊賀が芭蕉の生誕地であることをPRしようとする案〟をおちょくるくだりで、脱線して昭和の歌謡曲ネタ連発、私なんかリアルタイム世代でも何でもない布施明「霧の摩周湖」のフレーズに、なぜだか大ウケしてしまった。

 

 

 

 

(銀) 「乱歩じまい」を宣言した中相作。本誌でも最終ページにて「いろいろお世話になりました。ただただお礼を申しあげます。 おしまい」と締め括っている。私からも「長いお勤め、ご苦労様でした」、ではなくて「長い間、多くの事を教えて頂いて本当に有難うございます。」と感謝の言葉を伝えたい。

 

 

そうは言うものの『名張人外境』はまだ完全にクローズされた訳ではない。例えば、本誌の中で話題に挙がっている『岩田準一日記』という未刊本がある。これ実は『子不語の夢』の版元・皓星社が00年代前半に出す予定だったそうなのだが、皓星社が放置プレイ状態にしたまま時間だけが過ぎてゆき、今はもう2024年でっせ。

 

 

私の大いなる勘違いかもしれないけれど、諸問題さえクリアできれば、岩田準一研究に携わっている森永香代(過去の記事でお名前を〝佳代〟と誤表記してしまい、深くお詫び申し上げます)及び小松史生子チームの援軍となって中氏が『岩田準一日記』の刊行に一枚噛んでくれるんじゃないかと秘かにニラんでいる。そしてその場合、新しい版元は藍峯舎へ移るのではないか?私は『岩田準一日記』を早く読みたい。出す気が無いのなら、絶対妨害すんなよ皓星社。 

 

 

   中 相作 関連記事 ■




























2024年1月22日月曜日

合作探偵小説コレクション⑤『覆面の佳人/吉祥天女の像』

NEW !

春陽堂書店  日下三蔵(編)
2023年12月発売



★★     鬼っ子




この巻は結果的に、横溝正史の参加した合作/連作/リレー小説が並ぶ構成になった。

 

「吉祥天女の像」 甲賀三郎 → 牧逸馬 → 横溝正史 → 高田義一郎 → 岡田三郎 → 小酒井不木

昭和2年発表。作品名にもなっているアイコン〝吉祥天女の像〟が第一話から早速ストーリーの中に放り込まれ、その像にはどうも人に害を与えそうな何かが備わっているらしい。一話ごとに担当する作家がそのまま実名で登場してくるので、各人のキャラがどれぐらい投影されているのか気に留めながら読むと楽しい。

 

〝吉祥天女の像〟の秘密には甲賀十八番の理化学トリックが隠されているのかな?と期待させてもくれるし、登場人物としての〝甲賀三郎〟が電車の中で気になった令嬢を尾行してゆく導入部からして掴みは悪くないのだけど、そこはそれリレー小説だから全体がガタピシしてしまって、こういう企画になるとアンカーを押し付けられがちな小酒井不木はクロージングに四苦八苦。

 

第一話の甲賀篇で彼らしい滑り出しを見せてくれるぶん、「江川蘭子」「畸形の天女」を全て江戸川乱歩の筆で読みたかったように、これも連作ではなく甲賀三郎単独作品として書いてほしかった、とも一寸思った。

  

 

 

「越中島運転手殺し」 大下宇陀児 → 横溝正史 → 甲賀三郎 → 濱尾四郎

昭和6年発表。本作の二年前、雑誌『朝日』昭和410月号に濱尾四郎の「富士妙子の死」という陪審小説が掲載されている。これは当時の日常に起こりそうな一つの事件を濱尾がお題として提示し、それを読んだ読者はどのような判決を下すのか、編集部が誌上陪審を募集する企画であった。

 

「越中島運転手殺し」の掲載は女性誌『婦人サロン』。こちらは実際の事件を叩き台にした企画なので、「富士妙子の死」の読者陪審募集とは少し異なり、タクシー運転手殺人事件を編集部がお題として提示。読者ではなく大下宇陀児/横溝正史/甲賀三郎がこの事件に関わる三名の男性の行動をアダプトして描写、締めを受け持つのは検事でもあった濱尾四郎。犯罪実話ものの趣きなのでリレー小説のようなデコボコは無い代わりに、それぞれの個性の見せ場も少ない。





対談「探偵作家はアマノジャク・・・探偵小説50年を語る」
山田風太郎/高木彬光/横溝正/横溝孝子

昭和52年発表。本書の中で、私は一番面白かった。
なぜ探偵作家の座談・鼎談・対談ばかりを集めた本を、誰も作らないのだろう?

 

 

 

〈六大都市小説集〉

東京「手紙」(国枝史郎)/大阪「角男」(江戸川乱歩)/京都「都おどりの夜」(渡辺均)/横浜「異人屋往来」(長谷川伸)/名古屋「ういろう」(小酒井不木)/神戸「劉夫人の腕環」(横溝正史)

昭和3年発表。
「手紙」「角男」「劉夫人の腕環」以外のものを読めるのが今回のセールス・ポイント。
「角男」が横溝正史による代作である内情以外、特記すべき事は無い。 

 

「一九三二年」北村小松 → 佐左木俊郎 → 中村正常 → 岩藤雪夫 → 舟橋聖一 → 平林たい子 → 水谷準 → 横溝正史 → ささきふさ → 里村欣三 → 尾崎士郎

昭和7年発表。戦前に発売されていた日記本の中の読み物。
参加しているのは殆ど非探偵作家だし、
一作家あたりの(本書における)分量は1+1/4ページ。
こちらも軽めの紹介で十分。

 

 

 

 

横溝正史の参加した合作/連作/リレー小説を集めた単行本は一向に出される気運が無かったので、今回まとめて読めるようになったのは良い事だが、タイミングとしてはやや遅きに失した感がある。さて、最後に残った問題だらけの新聞小説「覆面の佳人」(江戸川乱歩/横溝正史、この長篇については前々回/前回の記事を費やしたので、そこで書けなかった事のみ触れておく。

 

 『覆面の佳人-或は「女妖」-』江戸川乱歩/横溝正史

もともと駄作ではあったが、この酷評は春陽文庫の校訂・校正方針に対してのもの  (☜)


「覆面の佳人(=「女妖)」(江戸川乱歩/横溝正史)のテキストは今度こそ信用できるものなのか?① (☜)

「覆面の佳人(=「女妖)」(江戸川乱歩/横溝正史)のテキストは今度こそ信用できるものなのか?② 

 


上記のリンクを張っている記事①②では、本書『覆面の佳人/吉祥天女の像』に収録されている「覆面の佳人」のテキスト(Ⓐ)に対して、このBlogにて二年前に行った【春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』、及びその異題同一作品である『九州日報』連載「女妖」との対比に基づく明らかなテキスト異同一覧(Ⓑ)】とのチェックを再度敢行した。

そこで『九州日報』のテキストと一致しない箇所を拾い出したのだが、
せっかく春陽文庫版の時には正しく表記されていながら、
本書(Ⓐ)でまた新たに、間違えて校訂・校正されている箇所が発生。
もうこれまでのようにズラズラ書き並べるのはしんどいので、
一例を挙げるとすればコチラ(☟)。

 
本書(Ⓐ)20

このシーンでは蛭田紫影検事と予審判事が一緒に登場しているのだが、〝蛭田検事〟と表記すべきところを〝蛭田判事〟にしてしまっている誤りが数ヶ所あり。

 

 

 

思えば本書は、日下三蔵の都合によって編集から発売までスケジュールが遅延してしまったそうだから、校正担当者:浜田知明と佐藤健太は春陽堂の編集部からタイトな日程を組まれてせっつかれ、十分にテキストを確認する時間をかなり削られてしまったのかもしれない。であれば上段のようなミスが起きるのは気の毒というか同情したくもなる。

 

 

日下三蔵は評論家を名乗りながら評論というものが一切書けない男ゆえに、今回の「覆面の佳人」も岡戸武平/山前譲/浜田知明らが過去に記した推論以上のネタを掴む為の調査はしてないだろうし、横溝正史の執筆の背景だけでなく内容に至るまで、この長篇がどれだけ混乱を来しているか等、【編者解説】欄で言及することはまず無かろうなと予想していたが、現在判明済みの「覆面の佳人」を掲載した新聞のうち『満洲日報』を抜かしてしまっているのは、いつも書誌データにのみ執着する日下にしては手落ちじゃないか。 

 

 

江戸川乱歩サイドと横溝正史サイド、その両方から継子扱いされてきた「覆面の佳人」(=「女妖」)。何度も言うけどストーリーは支離滅裂だし、その成り立ちがどういうものだったかさえハッキリしない鬼っ子のような作品である。今回二度目の単行本になったが、どうやっても本作はこのような煮え切らない復刊になる運命を背負っているのかもしれない。それだけにプロフェッショナルの仕事人/中相作や『新青年』研究会のベテラン・メンバーがファイナル・アンサー~本作の最終形と呼べそうな本を作るべく正面から取り組んでくれればなあと思うが、如何ともしがたいこの作品内容では所詮夢物語かな。

 

 

 

 

(銀) 【合作探偵小説コレクション】の真のヤマ場は、これ以降の第68巻。
果してどうなることやら。
 
 

 

■ 合作/連作/リレー小説 関連記事 ■




























2024年1月19日金曜日

「覆面の佳人(=女妖)」(江戸川乱歩/横溝正史)のテキストは今度こそ信用できるものなのか?②

NEW !

   





 (☜)からのつづき。
202312月に発売された春陽堂書店版『覆面の佳人/吉祥天女の像』の表題作となっている江戸川乱歩/横溝正史合同名義による新聞連載長篇「覆面の佳人」のテキスト(Ⓐ)と、二年前に私がこのBlogにて行った【春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』及びその異題同一作品である『九州日報』連載「女妖」との対比に基づく明らかなテキスト異同一覧】(を照らし合わせ、リリースされたばかりの「覆面の佳人」(Ⓐ)の校訂・校正は信頼の置けるものになったのか、検証しているところである。

 

 

前回の記事では➊「雪中の惨劇」から➒「古塔の老婆」まで、前半の九章を見ていった。本日は残る後半八章をチェックしていく。前回申したとおり、この色文字を使っている部分は春陽文庫版『覆面の佳人ー或は「女妖」ー』(1997年刊)のテキストと同じ表現になっていて、それだと全面的には信用できないのだけど、もしかしたら私の手元にない『北海タイムス』『いはらき』のテキストが春陽文庫と同じ表現かもしれず、それゆえの制作者がそちらを採用した可能性もありうるので、100%おかしいとは決め付けずグレーな扱いにしている。それぞれの比較箇所にて示しているページはのノンブルを指す。

 

 

 

❿ 「過去の影」

 

この章の(一)は、
〝入って来た千家篤麿と春日龍三、顔を合せるなり、お互にはっとした模様だった。〟
という一文から始まるべきなのに、なんとでは、
前章❾「古塔の老婆」の最後の回(14)が、
「過去の影」の冒頭にズレて組み込まれてしまっている。

本来なら❾「古塔の老婆」は(1)~(14)の十四回分、
❿「過去の影」は(1)~(9)、つまり九回分の話がなければならないのだが、
のテキストは「古塔の老婆」が実質十三回、「過去の影」は十回になってしまって、
幸い話の重複/欠落こそしていないものの、❿には(四)が二つあるという情けないミス。
 
もし『北海タイムス』や『いはらき』がそのような章構成になっており、
その形を選択したのであれば、文中もしくは解説に必ず一言注記を入れてしかるべき移動だ。
それをしていないのだから、制作者のミスだと思われても仕方がない。

 

 

174頁上段/しかも、あの春巣街の事件の

『九州日報』での下線部は〝折柄〟と表記。これだと何がマズいのだろう?

 

 

175頁下段/コップに一杯それ注ぐと、ぐっと飲み干した

『九州日報』では〝コップに一杯それ注ぐと、ぐつと飲み干した〟と表記。

 

 

182頁上段/お母さまだと信じきっていたんですが

『九州日報』では〝お母だと信じきつてゐたんですが〟と表記。

 

 

 

⓫ 「打続く惨劇」

 

197頁上段/由良子は漸く涙を拭きながら

『九州日報』では〝由良子は漸く涙を干(ほし)ながら〟と表記。

 

 

 

⓬ 「恐怖の別荘」

 

203頁上段/細い肩にまとっているショール

『九州日報』では〝細い肩にまとうてゐるショール〟と表記。

 

 

205頁下段/自分の生命(いのち)をとりに来るのではないだろうか

『九州日報』では〝自分のを取りに来るのではないだらうか〟と表記。

 

 

206頁上段/今にもガラスがれそうである

『九州日報』では〝今にもガラスがれさうである〟と表記。

 

 

207頁下段/あたしろしいなんか少しもありませんよ

『九州日報』では〝あたしろしいことなんか少しもありませんよ〟と表記。

 

 

213頁上段/篤麿はあっとばかりに跳ね起きた

『九州日報』も〝跳起(はねお、とルビあり)きた〟となっているが、このシーン、千家篤麿は倒れていた訳ではないのだから、この箇所に限っては準拠すべきでない春陽文庫の〝跳び退いた〟のほうが文脈には合致する。こんな場合、どう処理すべきなのか実に難しい。

 

 

215頁上段/半ば失神した花子の耳許で大声叫んだ

『九州日報』では〝半ば失神した花子の耳許で大聲叫んだ〟と表記。

 

 

216頁上段/窓から半身を乗り出すようにして

『九州日報』では〝窓から半身(はんしん)乗り出すやうにして〟と表記。

 

 

 

⓭ 「奔 馬」

 

224頁上段/この間までお婆様がいたんだけど

このあとの小夏の口振りは『九州日報』でも全て〝お婆さん〟に変わっており、もそれに倣っている。基本的には底本に従うのが定石であるが、この点に関しては全て〝お婆さん〟で通してしまった春陽文庫のように、〝お婆様〟or〝お婆さん〟のどちらかで統一するのがいいように思った。他にも呼び名が揺れているところは多い。

 

 

225頁上段/白鳥が二三羽群をなして泳いでいる。

『九州日報』では〝白鳥が二三羽宛(づつ)群をなして〟と表記。
漢字の〝宛〟は〝ずつ〟と読む場合もあるので、〝宛〟を削除してしまうのはどうだろう?

 

 

227頁上段/綾小路さんのお家(うち)のお方ではありませんか

『九州日報』では〝綾小路さんのお方ではありませんか〟と表記。
『北海タイムス』か『いはらき』、どちらかのテキストに〝お家の〟の部分はあるのか?

 

 

233頁下段/不意この打撃頭が狂った

『九州日報』では〝不意この打撃〟と表記。
もし私なら、この箇所は〝不意のこの打撃に〟と修正するね。

 

 

236頁下段/うっとりと聞きとれていた。

前回の比較時に、私は〝聞き入っていた〟じゃないの? などと指摘したが、
うっとりとして聞くことを〝聞き蕩(と)れる〟と言うそうなので、
『九州日報』の表記に倣ったは決して間違いではない。good Job

 

 

239頁下段/其の名も何時の間にやら山根星子と変えて

この人物名は『九州日報』でも〝山根星子〟になっている。これは春巣街の死美人のことで、ストーリーが進むにつれ彼女の呼び名が二転三転していることは、以前この記事(☜)に記しておいた。❹「時計の中」の章では、濠州通いの船の水夫だった庄司三平が半年前の船客名簿上の氏名を覚えていて、「あの死美人の名は白根星子だ」と申告しているため、矛盾が生じている。死美人が濠州にいた時、白根星子という苗字を微妙に変え、
山根星子と名乗っていた時もあった・・・と押し通すこともできるけれど、
山根と白根、ここではいずれの苗字を採用すべきか?アナタならどちらを採る?

 

 

 

⓮ 「黒い棘」

 

243頁下段/彼女の周囲は真暗(まっくら、とルビあり)闇だった

『九州日報』では〝彼女の周圍は真闇(まっくら、とルビあり)だつた〟と表記。

 

 

249頁上段/度肝を抜かれたで由良子の顔を見た

『九州日報』では〝度肝を抜かれた(てい、とルビあり)で由良子の顔を見た〟と表記。
ルビを振ったのままでいいのに。

 

 

249頁下段/薄紫の靄が屋根に降り始めた。

『九州日報』の下線部は〝家の屋根に降り始めた。〟と表記。

 

 

252頁下段/花子はもう(なかば、とルビあり)失神したような気持ちで

『九州日報』では〝花子はもう半ば失神したやうな氣持で〟と表記。

 

 

257頁上段/身動きする事も出来ないのだった

『九州日報』では〝身動きをする事も出来ないのだつた〟と表記。

 

 

259頁上段/恐ろしい拷問の備えを此処へ持ってきておいたのだ。

『九州日報』では〝恐ろしい拷問の場合を〟となっている。これはおそらく『九州日報』のミスで、きっと作者は〝恐ろしい拷問のを此処へ持ってきておいたのだ。〟と言いたかったのだと想像する。『北海タイムス』や『いはらき』に〝備え〟という表記が無いのなら、似たような意味であってもこんな風に変えてはいけない。

 

 

261頁下段/突然出現した人物の顔を見つめていた。

『九州日報』は旧い読ませ方の〝瞶(みつ)めてゐた〟で表記。
上記Ⓐの一文から四行後では〝遉(さすが)〟という字を使っているんだし、
〝見つめて〟じゃなく〝瞶めて〟でもよかろうて。

 

 

 

⓯ 「疑問の家」

 

262頁下段/そう弱音を吐く様じゃ頼もしくありませんぜ

『九州日報』では〝さう弱音を吹く様ぢや〟と表記。
ネットで調べたら意外にも「弱音を吹く」という言い方を昔の人はしていたそうだから、
そのまま活かすべきだったのだ。この旧い表現、私も知らんかったけど、
校正者もきっと知らなくて〝吐く〟に変えてしまったんだな。

 

 

263頁上段/「へえ、一体誰ですねえ」

『九州日報』では〝へゑ、一體誰ですねゑ。〟と表記。

 

 

266頁上段/手別けして二人の行方

『九州日報』では〝手別して(ママ)二人の行衛を〟と表記。
これも上記の〝瞶めて〟同様、旧い文字遣いを活かしてほしかった。

 

 

269頁下段/自分も(ま)のあたりに見て

『九州日報』も春陽文庫も〝目〟の字を使っているのに、何故〝眼〟の字を?

 

 

271頁上段/凝っと聴き耳をたてゝいたが

『九州日報』での下線部は〝聽き耳たてゝゐたが〟と表記。

 

 

273頁上段/その人影は身動きもしないで、

『九州日報』での〝人形〟、春陽文庫での〝人間〟、その両方ともは異なっている。

 

 

278頁上段/春巣街のもあなたは、

『九州日報』も春陽文庫もこの下線部は〝(うわさ)〟になっていたが、
それだと意味が通じないから、私は過去の記事にて〝〟が正解なんじゃないか?と述べた。
の校正者がこのBlogを見ていたかどうかはともかく、
ここは〝時〟以外に選択肢は無いと思う。

 

 

 

⓰ 「袋の鼠」

 

279頁上段/(しか)も自分はその中心にいるのだ

『九州日報』では〝(しか)も自分はその中心にゐるのだ〟と表記。

 

 

この章(⓰)における綾小路浪子と木沢由良子のお互いの呼び方が『九州日報』では、
「由良さん」「由良子さん」/「浪子さま」「浪子さん」といった具合に一定していない。
ういう時は統一したほうがいいのだろうか?
それとも底本のとおり揺れたままにしておくべきなのだろうか?改めて考えさせられる。

 

 

283頁上段/あたしは花子さんまでも殺そうとした

『九州日報』では〝  あたしは花子さんまで殺さうとした〟と表記。
無理に〝も〟を加える必要は無い。

 

 

287頁上段/蛭田検事がまだお見えになりませんので

このセリフの下線部を『九州日報』も春陽文庫も蛭田君と表記していたが、これまた過去の記事で指摘したように、同僚ながらまだ若い刈谷検事が蛭田のことを君付けするのはおかしい。
だからにて〝蛭田検事〟へと修正したのはgood job

 

 

289頁上段/ひらり自分から先に飛降りた

『九州日報』では〝ひらり自分から先に飛び下りた〟と表記。

 

 

289頁下段/「あなた、油断しては駄眼ですよ。気をつけよ」

駄目〟を〝駄眼〟としていたり、『九州日報』では〝気をつけなさいよ〟とされているのに〝気をつけてよ〟になっていたり、恥ずかしい校正ミス。

 

 

290頁上段/手に鉄の棒のようなものを持ってきた

『九州日報』には〝棒〟なんて表記は無い。『北海タイムス』や『いはらき』にも〝鉄の棒〟とは書いてないような気がする。

 

 

294頁上段/「何しろ、お兼が殺されているので、

『九州日報』では「!お兼が殺されてゐるので」、春陽文庫は「なにせ、お兼が殺されているので」と言った風に、どれも異なっている。

 

 

 

⓱ 「剥がれた仮面」

 

296頁上段/物凄い輝きが、めらめらとその眼の中に

『九州日報』の下線部は〝物凄い輝きがヂロヂロと〟と表記。

 

 

297頁下段/あたしはもう死にそうです

『九州日報』では〝あたしはもう死にさうだ〟と表記。
お嬢様の春日花子は通常ならこんな言葉遣いはしないだろうが、自分の目の前で愛する成瀬子爵が息の根を止められそうになり、錯乱状態だったから思わず〝死にそうだ〟なんて荒っぽい言葉を吐いたのだと妄想するのも一興。

 

 

301頁上段/彼はピストルを左に持ち換え右の手で壁の表を探っていたが、

及び春陽文庫のように〝左に持ち換え右の手で〟とするよりも、『九州日報』の表記どおり〝左の手に持ち換え〟にしたほうがずっと自然な感じがする。

 

 

302頁上段/花子は最早あたりを構う心の余裕もなかった

『九州日報』における下線部の漢字は〝餘裕〟。

 

 

302頁下段/勇気ある方はついて来て下さいよ

『九州日報』では〝勇氣のある方はついて来て下さいよ〟と表記。

 

 

303頁下段/定まらぬ足どりで、こちらへ近づいてくる

『九州日報』では〝定まらぬ足どりで、此處(ここ)へ近づいて来る〟と表記。

 

 

306頁下段/千家篤麿は最早逃げたり隠れたり決して致しませんわ。

これもねえ、『北海タイムス』や『いはらき』にて〝隠れたりは〟と表記しているのならわかるけど、の校正者はなんで『九州日報』の〝逃げたり隠れたり決して致しませんわ〟だと不服なのかな?

 

 

308頁上段/「あの人何が言えますものか。

『九州日報』は〝あの人何が言へますものか。〟と表記。

 

 

311頁下段/いや子爵ばかりではない。

〝子爵〟と〝蛭田〟を取り違えている作者の失態。
他の中途半端な箇所よりも校正者はこの下線部こそ〝蛭田へと訂正しておくべきだった。

 

 

 

 

以上、このような結果になった・・・疲れた・・・。テキストの面だけ見れば、言葉狩りのみならず校訂・校正者が好き勝手に細部を書き変えているのが目立つ春陽文庫版に比べると、底本におけるオリジナルの語り口に可成近付ける事が出来ていると思う。

だがそれでも、今回の比較を通して見てもらうとわかるように、
表記が揺れている名称を全て同じように統一したほうがいいのか、
判断に迷う箇所が多くて、校正者は大変だったに違いない。
それとは別に、漢字を含む旧い表現をどこまで残し、どこから先は現代風に直すのか、
その辺のルールが固定されていない印象も受けた。

なにより、❸「古びたる肖像畫」での章題誤記や、
❾「古塔の老婆」と❿「過去の影」の間に見られた一話分のズレなど、
みっともないミスが生じたのは遺憾。

 

 

いくら戦前の小説であっても、単行本や全集にするため作者もしくは第三者がキチンとした校訂を一度でも施しているテキストを用いて復刊するのなら、それほど混乱はしないだろう。なにせ「覆面の佳人」(=「女妖」)は作者がラフに書き飛ばしたまま長年放置されていたものゆえ、文章の粗さだけでなくストーリーにも矛盾点が多すぎるため、そんじょそこらの人間が復刊作業に携わるには相当ハードルが高すぎた。

 

 

 
 
(銀) たまたまかもしれないが、章によって気になる箇所の発生している数が異なっており、❾「古塔の老婆」以降の後半部分のほうが目に付く差異がズラズラ出てきて参った。それは執筆した横溝正史のせいなのか、それともの校正を担当者した佐藤健太・浜田知明のいずれがどの章を担当したかによるものなのか、邪推するのも面白い。 

 

 

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