2021年3月30日火曜日

図録『永遠に「新青年」なるもの』

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神奈川近代文学館
2021年3月発売




★★★★    コロナ・ウイルス下の「新青年」展




B  95年に世田谷文学館で『横溝正史と「新青年」の作家たち』という企画展をやりましたが今回神奈川近代文学館は「新青年」そのものを前面に出し、探偵小説だけじゃなくファッションやスポーツにもスポットを当てて、この雑誌の懐の深さを強調しようとしてますね。

 

 

A  「新青年」って探偵小説オンリーじゃないからな。この前ちくま文庫に入った獅子文六の『金色青春譜』なんて今回の企画展開催に合わせて発売されたようなものだし、           スポーツにも注目する構成はいよいよ間近に迫ってきた東京2021を多少意識してる感じ。                     いやまったくどうなるんだろうな、今年のオリンピックは。                                      この図録には載ってないけど戦前に笠置山というインテリの力士がいてさ。         「新青年」に寄稿したり、ちょうど双葉山が無敵の連勝記録を伸ばしていた時には                  双葉山を攻略する為の研究文を雑誌に発表したってんだから今じゃ考えられないだろ?

 

 

B  文筆家の力士がいたんですか? 増井山が歌手として売れて人気あったのは知ってますが。   いまやどオワコンですけど、「新青年」の頃が大相撲の一番幸せな時代だったみたいですね。話を戻すと、この図録の50ページに載っている各国フィギュアスケート女性選手の写真の中で、                      一人だけ子供が紛れ込んだような風情の日本代表・稲田悦子がすごく浮いてます。                     ファッションでいうとやっぱ中村進治郎ですか。探偵作家以外で顔写真が載ってるのは彼だけ。この写真、ホームズみたいにパイプを咥え英国紳士が着そうなガウンを羽織ってるのが流石。

 

 

A  彼は探偵作家じゃないから探偵小説を書いてないんだけど、博文館の他にも映画や実話系の雑誌などあちこちに読み物記事を結構書き散らかしているんだよ。                 進治郎の書いたものを集めて一冊の本にしてくれないかな・・・と前から思ってるんだが、  それを実現してくれそうな人はなかなかいないね。

 

 

B  個人的に気になったのは、27ページ左上に編集長時代の一枚として掲載されている水谷準の写真でして。準はともかくその左に並んで写っているのは横溝正史だと書いてあるんですが、    これってホントに横溝ですか?

 

 

A  正史には見えないよな。準の編集長時代といっても期間が長いし、撮影した年月が書いてないから推測するしかないけども、この写真の準はどう見ても戦後の外見っぽいな。戦前の準はまだこんなふっくらした顔付きじゃないもの。となると準は敗戦後パージにかかってるから、 この〝編集長時代〟というキャプションは疑わしい。もしかして左側の男性は正史じゃなく、 戦後の「新青年」編集長を任された弟の横溝武夫じゃないのか。この写真は準の御遺族の方が 提供して下さったそうだけど同じ横溝姓だもんだから武夫と正史を取り違えたのかもしれない。

 

 

B  我々がよく知っている好々爺の笑顔と比べると戦前の正史の容貌って細面で全然違うからボーッとしてると見落としてしまいがちなんですよね。                                  その上、横溝武夫の顔ともなると頭に浮かばないですし。                    今回の企画展の特徴として、戦後の「新青年」も展示の対象になっています。約70ページの図録にこの雑誌の概要が手際よく紹介されて900円だから、早めに買っとくほうがいいでしょうね。 ヤフオクで三倍の値で売ってるバカ・そしてそれを買うバカがいるようですが、そういうのには決して手を出さないように。




(銀) 『永遠に「新青年」なるもの』展は神奈川近代文学館にて2021年3月20日~5月16日 まで開催中。同時期にさいたま文学館にて開催されている企画展『江戸川乱歩と猟奇耽異』の 図録は、「部数が少ないので来館者優先」という理由から日程が終わって図録の残部が余って なければ通販はしないなどと転売を煽るようなケチ臭い事を言っているが、        「新青年」展図録のほうは神奈川近代文学館が開催初日と同時に通販でも販売してくれており、          会場へ行けない人にも優しい対応がされている。詳しくは公式HPを。




2021年3月29日月曜日

『とりあえず、本音を申せば』小林信彦

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文藝春秋
2021年3月発売



★★★★    『決定版 日本の喜劇人』を準備中?




コンビニで『週刊文春』を立ち読みしても、このコラムがまだ続いているの確認するだけで、「本音を申せば」シリーズの単行本を買って読むのも近年はすっかり惰性になっていた訳です。(桑田佳祐が『文春』にエッセイを連載しているのは、大森隆志の事とか自分やサザンのヤバい部分を極力ほじくり返させなくする為のような気がする)

脳梗塞をやって骨折もして、気分も沈みがちになっていそうで、これ以上小林信彦に仕事をさせるのはさすがに酷なんじゃないか、と。昨年までは発売日をキッチリ押さえ通販で買っていたけれど、今回は楽天ブックスで予約注文するのをてっきり忘れ、書店の新刊コーナーに並んでいるのを見つけて慌てて買うような始末だったんですわ。

 

 

その上にコロナでしょ?もし五体満足であっても映画館へは行けない有事なんだから、信彦氏が欝状態になっててもおかしくはないな・・・と思いページをめくると『決定版 日本の喜劇人』の出版準備をしているという。最終形だと思われた『定本 日本の喜劇人』(新潮社) 収録分『日本の喜劇人』の増補改訂か? まもなく発売予定との噂だが、萩本欽一との『ふたりの笑タイム』について書いた当blog記事(20201127日)で述べたとおり、執筆できる体力があるのは喜ばしいけれど、まっさらな新作の喜劇人本を望むのは難しそう。はてさてどうなる?


 

 

2020年は志村けんの死がショッキングだったのもあって、本書でも紙面が割かれている。故いかりや長介以外ドリフは興味の対象ではなかったため、改めて小林は志村の自伝『変なおじさん』を読んだそうだが、私がビックリしたのは『ドリフ大爆笑』で志村と(〝一等賞〟にこだわっていた頃の)沢田研二、この二人がやる鏡コント(志村が鏡を見ている体裁で、鏡に映っているかのように志村と向かい合っているジュリーが志村の仕草を真似して、そのうちジュリーをおちょくるため志村がフェイントをかけたり、品の無い事をして笑わせるというもの)を、今回の志村の死によって小林は初めて知ったそうで。

あれのオリジナルがマルクス兄弟の〈ミラー・シークェンス〉であると本書は教えてくれるけれど、昭和の人ならほぼ誰でも覚えていそうな志村とジュリーの名コントをまさか小林が知らんかったというのは意外(トシだし忘れてしまったのかも)。



                 志村+ジュリーの鏡コント

                 youtubeにもupされている



『全員集合』ならばともかくスタジオ・コント、しかも大スターのジュリーなら嫌がりそうな事を『ドリフ大爆笑』で演っていたのは、ジュリーもドリフも元は同じ渡辺プロ所属だったから、その縁で仕方なくやってるんだろうな私は思っていた。しかし後年、再びジュリーと志村が組んで歌とコントのショーをやっているのをTVで見た時「この二人はガチで仲が良かったんだな」とわかり、なんとなく嬉しかった。



その他、菅義偉が「ガースー」と呼ばれる理由は『ガキの使い』のプロデューサー・菅賢治からきているのも、小林はどうやら最近知った様子がうかがえる。元祖ガースーはとっくに日テレを辞め、『ガキ』の現場からも離れて数年経っているが、ダウンタウンは小林にとって志村以上に興味の無い存在。博覧強記とはいかない事がいろいろ存在するのでアル。逆に『週刊プレイボーイ』で小林が下着グラビアをチェックしたという林田岬優って誰?ググって見たけど・・・ま、深田恭子しかり氏のオンナの好みは時として私には理解不能なところがあるからな。

 

 

車椅子生活で外出も不自由なのだから本やDVD買うのはネット通販を使えばいいのに、いまだにPCとかスマホとかネットを使う気はないみたい。このお年で、今更使い方なんか覚えたくもないか。その流れでDVDの再生機を〝白いキカイ〟などと書いてて、つい笑ってしまう。

そう、時代から取り残されていようが取り上げるネタに変化が無かろうが、この感じでクスッと笑わせる筆の調子が暗くなっておらず、現在の体の不便さのわりには明るさを失ってなかったからホッとした。激励の意味を込めて、★1つおまけでプラス。




(銀) 本書の中で当blogに沿うようなネタといえば、獅子文六と谷崎潤一郎か。あ、あと『野呂邦暢ミステリ集成』にも少しだけふれてあったっけ。志村けんがいなくなって『志村どうぶつ園』なんかを見てほのぼのしたり、時には泣いてる後期高齢者のバアさんがいて閉口する。昔、ドリフやバカ殿は俗悪番組だ!とか言ってさんざん叩いてきたくせに。バカ殿もある時期から、エロ・ネタを控えるようになってしまった。スケベじゃないバカ殿なんてちっともバカ殿らしくなくて私は物足りなかった。



話を小林信彦に戻すと、元気な時にネットの味を覚えなかったのならば、それは正解だったと思う。ナーバスな気質の上、ネットの陰湿さを知ったら、現在のような体になってしまうと余計に絶望感が増してしまって、生きることもきっとイヤになりそうな氏の気持が想像できるからだ。





2021年3月25日木曜日

『江戸川乱歩大事典』落合教幸/阪本博志/藤井淑禎/渡辺憲司(編)

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勉誠出版
2021年3月発売




     間違いとデタラメをすべて訂正して出し直せ




乱歩に関するこの種の文献というと、まず『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』(新保博久・山前譲/編)がある。国内の探偵作家(専業でない人も含む)について乱歩が書いたルーブリックやエッセイを纏めており、どちらかといえば何かを調べる本というよりも乱歩の随筆集の中の一冊として認知されているかもしれない。

 

 

次に平山雄一による『江戸川乱歩 小説キーワード辞典』。これは乱歩の小説に出て来る単語や事柄を拾い出して作った、文字通りの辞典スタイル。光文社文庫版江戸川乱歩全集で見せた平山の註釈はウィットのあるツッコミが笑えて面白かったのだが、ここでは辞典のアカデミックさを守る目的なのか、そういった遊びの部分は一切無くしており〝読み物〟としてのキャッチーさは持ち合わせていなかった。

 

                   💀


今回勉誠出版から出た『江戸川乱歩大事典』の特色は、項目の対象が乱歩その人及びそれを取り巻く大衆文化へと向けられ、執筆者もかなりの人数に及んでいるので『小説キーワード辞典』 とは全く趣が異なっている。本書で褒められる点はほんの僅かだし、先にそれを挙げとくか。  どちらの本も基本二段組なのだが『小説キーワード辞典』は 1ページの中に詰め込んだ文字の サイズが大きくてギチギチ感があったのに対し、『大事典』は文字を小さくしてレイアウトし、書かれている内容が〝読み物〟の形になっているところは良い。

 

 

編者からして阪本博志以外の三名は立教大学関係者。そして彼らが指名したであろう各項目の 書き手のうち乱歩や探偵小説の専門家あるいは一定のレベル以上理解していると言える人は  (平井家と岩田家の令孫御二方を除くと)中相作・戸川安宣・堀江あき子等に川崎賢子/浜田 雄介/小松史生子/谷口基といった『新青年』研究会のベテラン陣、編者の中では唯一落合教幸のみ、つまり全体(約70名)の二割弱しかいなくて、そんなオーソリティほど担当している項目の数が少ない。あとは下川耿史のような高齢の風俗史家もいるが、立教あるいはその他どこかの大学に属している人の名前がズラッと並ぶ。


                   💀 

 

読み始めて気付いたのは、先週320日(土)の当blog記事にて酷評した藤井淑禎の新刊『乱歩とモダン東京』のテキストが、藤井の担当する項目にほぼそっくりそのまま流用されている事。本書には【土蔵】の項目もあり、そこでぬけぬけと藤井は『乱歩とモダン東京』同様に   「蔵=幻影城」というありもしない虚言を凝りもせず、また繰り返している。

 

 

こういった事典の類は編者の嗜好によって内容が左右されてしまう。                    その一方で小林信彦や『ヒッチコック・マガジン』あるいは大衆文化を掲げながら乱歩の扁桃腺手術で執刀したドクトル高橋らの名前は無く、【戸板康二】に【水上勉】、更には乱歩の事典になぜ必要なのか誰もが疑問に思うであろう【山手樹一郎】の項目が紛れ込んでいたりする。その理由は簡単。本書は『江戸川乱歩大事典』といいながら、その実藤井淑禎~立教大学人脈の研究発表の場に乱用されているから。水上勉は藤井の得意科目だそうだし、樹一郎の項を執筆した 影山亮は現在さいたま文学館の学芸員だが元は立教の人間で、彼が樹一郎の研究をしてきたのは私とて聞き及んでいる。樹一郎と乱歩の間にそれほど関係性も無いのに、               わざわざページが割かれているのはこういう内部事情があるからなのだ。



                    💀 

 


海よりも広い寛容な心で、仮にそういったやり口にも目をつぶったとしよう。                これ程間違いだらけの本をアナタは事典として認められますか?                           さ、おなじみ〝間違いを探せ!〟のコーナー。本書を読んで発見した誤記や不注意の数々をご覧あれ。(ていうか、本の間違いを見つけ出す為にblogを始めた訳じゃないんだが)      尚ここに挙げた分が全てでは決してなく、気付いたけれどあまりに数が多いんで鬱陶しくて  拾わなかったものもあるし、実際誤っている箇所はもっとあちこちに隠れている筈。              (【 】内は該当項目/執筆者/該当ページを指す)

 

 

◆ 巻頭口絵3ページ キャプション/執筆者不明/上から2行目

  なんとも意気(×)   →    なんとも粋(〇)

 

第Ⅰ部 人間乱歩

◆ 【江戸文学】/渡辺憲司/135ページ 上段1行目

  『伊勢の散歩者』(×) →   『伊賀の散歩者』(〇)

 

◆ 【レンズ・鏡】/浜田雄介/166ページ 上段10行目

  『青銅の魔神』(×)  →   『青銅の魔人』(〇)

 

第Ⅱ部 社 会

◆ 【百貨店/アパート】/前田志保/198ページ 下段17行目

  『江戸川蘭子』(×)  →   『江川蘭子』(〇)

 

◆ 【京浜国道】/藤井淑禎/259ページ 上段19行目

   乱歩が愛してやまなかった(?)京浜国道  (×)

   → 書いた本人はシャレのつもりなんだろうが、これも「土蔵=幻影城」同様の虚言

 

◆ 【地下鉄】/近森高明/312ページ 下段11行目

   大曾根龍二(×)   →    大曾根龍次(〇)

 

◆ 【気球・飛行船】/原 克/328ページ 下段9行目

   大曾根五郎(×)   →    大曾根龍次(〇)

   久留須左門が空からアジトを監視する「大暗室」後半に大曾根五郎は登場しない

 

◆ 【猟奇殺人】/下川耿史/341ページ 上段12行目

   乱歩も第二巻の『変態殺人篇』を担当している(×)

  → 天人社「世界犯罪叢書」の事で、これは名義貸しであり乱歩の執筆には非ず

 

◆ 【エログロナンセンス】/斎藤光/348ページ 下段7行目

  『猟奇の果て』(×)  →    『猟奇の果』(〇)

 

◆ 【ルパシカ】/後藤美緒/386ページ 上段3行目

   渡辺剣二(×)    →     渡辺剣次(〇)

 

第Ⅲ部 ミステリー

◆ 【ジョン・ディクスン・カー】/松田祥平/412ページ 上段10行目

   ワンシントンDC(×) →      ワシントンDC(〇)

 

◆ 【大下宇陀児】/小松史生子/456ページ 上段13行目

  『宇宙船の情熱』(×)  →        『宇宙線の情熱』(〇)

 

◆ 【浜尾四郎】/小松史生子/474ページ 下段19行目

   藤枝真太郎(×)   →      藤枝慎太郎(〇)

 

◆ 【怪人二十面相】/宮川健郎/579ページ 上段4行目

   黒蜥蜴である緑川夫人も二十面相も、殺人をきらい(×)

   → 黒蜥蜴=緑川夫人は殺人嫌いではないし、現に明智は水葬礼にされたではないか

 

第Ⅳ部 メディア

◆ 【円本】/柴野京子/630ページ 上段6行目

   第一巻『蠢く触手』(×) →     第一巻『蠢く触手』(代作)(〇)

 

◆ 【『ぷろふいる』】/落合教幸/751ページ 下段8行目

   名中島河太郎(×)    →    中島河太郎(〇)

 

◆ 【全集】/村松まりあ/801ページ 上段1213行目

   代作である「蠢く触手」が収録されている(×)

    → これは1950年代に出た春陽堂版江戸川乱歩全集についての文だが、                        

     「蠢く触手」は乱歩全集に収録された事はかつて一度も無いし今後も無いだろう

      この項は他にもあちこち間違いだらけだ



なんでここまで間違いが発生するのか?しかも浜田雄介と落合教幸までこんなミスをするとは 思えないし。こんな仕事を任せられる程の力量が無い人が多いのも問題とはいえ、          ミスをやらかしている書き手は自分の原稿を見直したり推敲したりしないのか?         原稿を回収した編者はそれらひとつひとつに目を通さないのか? はたまた、              この事典に校正という作業は存在してないのだろうか?最近探偵小説の新刊本を出そうとする 中小出版社は何を考えて本作ってんだか、私にはも~さっぱりわからん。




(銀) 何事もそうだけど、そのジャンルに聳え立つ既存の考えに物申してそれを少しでも変えたいのなら、事実を踏まえてまず自分の意見を聞いてもらえるような姿勢でアピールしないと、藤井淑禎のようなやり方では(私ほど極端に冷淡ではなくとも)乱歩ファン/探偵小説ファンは彼の云う事に耳を貸すどころか完全にシャッターを下ろしてしまうだろう。



藤井の執筆している項目で、あたかも探偵作家(や探偵小説ファン)が自分達の仲間以外の作家(非探偵小説ファン)を排他する傾向があるみたいな物言いをしているページがあった。確かにある面はそうだと認めるけれど、少なくとも探偵作家の中で松本清張をはじめ新しく世に出て きた社会派作家の芽を摘もうとするような言動をした人なんて私は思い当たらないけどな。  むしろ探偵作家に対し「探偵小説を〈お化屋敷(ママ)〉の掛小屋からリアリズムの外に出したかった」発言にはじまり、偉そうな態度を取っていたのは圧倒的に藤井の大好きな清張のほう だったのだから、もし探偵小説ファンが清張嫌いだったとしてもそりゃ自業自得というものさ。

 

 


2021年3月21日日曜日

『大乱歩展記念講演会/小林信彦「乱歩の二つの顔」』

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神奈川近代文学館 デジタル文学館
2021年3月公開



★★★     17分のアーカイヴ音源




2009年秋、神奈川近代文学館にて「大乱歩展」が開催され103日(土)午後2時オープニングトークショーのゲストとして小林信彦が登場した。その日のレポートは当blog 202079『森繁さんの長い影』(小林信彦)の記事に書いておいたが、あの時のトーク音声をまさか神奈川近代文学館がwebサイト上にて公開するとは思わなんだ。小林側もよくOKを出したな。だって前述の記事に書いたように、小林が壇上で喋っている時に(かなりの間)約一名のうすら馬鹿なオヤジが発する大イビキがホール中に響き渡り、そりゃあもう静寂の中の地獄絵図みたいだったんだから。

 

 

このweb音源を聞いてみると、upされたのは約90分の講演時間のうち約1/6,つまりたった17分程度。江戸川乱歩によって『ヒッチコック・マガジン』編集長に取り立てられるキッカケから急に音声が始まり、雑誌作りのやりとりを乱歩邸で行う際のエピソードやら馘を通達される話、小林から見た乱歩と松本清張の関係、晩年の乱歩の悲哀、今回聞くことができるのはこういった話題。聴衆の笑い声もかすかに聞き取れる。

 

 

普通の人はこの17分のトークを聞いて「おお~」と喜ぶのかもしれないが、乱歩についても小林信彦についてもある程度知り尽くしている人間からすると、これまでの小林著書に書かれてきた以上の初公開ネタは無い。本当は宇野浩二の事とか話したかったらしいのだが、どういう聴衆が聞きに来るかわからないのでマニアックなネタは一切控えたみたい。あの場では、当時都知事だった石原慎太郎の「慎太郎ミステリ」についてちょっと言及しようともしていたが、その「慎太郎ミステリ」は今日に至っても盛り上がりそうな気配は無い。(作家・石原慎太郎が再評価される日なんて来るかね?)

 

 

小林がどんな話をしていたにしろ、さすがに例の大イビキが鳴り響いている部分は跡形も無くカットしているので、この音声だけ聞いた人は小林が終始楽しそうに話していたものと誤解してしまいそう。今回の音源はブツ切りをつなぎ合わせた感じには聞こえないけど、全体の90分から都合の悪い部分を排除しただけではなく、実際使えそうな部分を編集しているような気がする。こんな事ならあの場でトークの全編を録音しておけばよかったかな。

 

 

 

(銀) あれから10年程経っているので懐かしくもあったが、このトーク音源を公開したのは(あの時の小林信彦の気持を考えると)ちょっと可哀想。あと改めて思ったのだが小林ひとりにずっと喋らせるのではなくて、神奈川近代文学館長を当時務めていた紀田順一郎が聞き役になっていれば、より望ましい内容になったかもしれない。「大乱歩展」そのものは、2004年に池袋東武百貨店にて立教大学の仕切りで行われた「江戸川乱歩と大衆の二十世紀展」と比べてはるかに素晴らしい内容だった。



え~、よそのブログでは関連サイトへすぐ移動できるリンクを文中に張っておられますが、私のところは不便さが売りであります。神奈川近代文学館のHPへ行けるリンクも本来ならば張っておいたほうがどなたにも便利なのですけれど、そのリンク先であるデジタル文学館上の音源もいつかは儚く消されてしまう運命でしょう。誠に御手数ですが、ご自身でググったりしてデジタル文学館の場所を見つけて下さいませ。




2021年3月20日土曜日

『乱歩とモダン東京』藤井淑禎

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筑摩選書
2021年3月発売




     このセンセイは何も進歩していなかった




立教大学江戸川乱歩記念 大衆文化研究センター長だった藤井淑禎。いや、こう紹介すべきかな。メディアに対して「池袋の旧乱歩邸の土蔵を乱歩は【幻影城】と呼んでいました」という、     全くの事実無根情報を2000年以降懲りずに拡散してきた人物、と。

 

 

以前彼が文章にしてきたテーマを集めてアップデートした単行本とでもいうか、乱歩通俗長篇に絡めた帝都東京の文化的発展を俎上に載せたもの。前置きに『探偵小説四十年』への疑問から 始める(それは中相作が常々提言してきたことの受け売りに過ぎないのに、参考文献+メディアリストが本書に一切記されていない)。2004年に藤井が編纂し執筆もした「国文学解釈と鑑賞」別冊『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』の頃に比べて、乱歩を読み深めて少しは進歩したのか、 御手並拝見。

 

 

2章で、通俗長篇スタート後に明智小五郎が居を構える御茶の水/開化アパートとは当時どれ程の超ハイクラス物件だったのか、開化アパートのモデルと見られる文化アパートの見取図等から そのリッチさを想像する。第34章は蜘蛛男による里見芳枝嬢誘拐ルートを実際の地名と照らし合わせたり、東京市内幹線道路のインフラ拡張に目を向ける。

 

 

56章はエンターテイメント施設。蜘蛛男四十九人娘殺しの舞台に選ばれたのは鶴見遊園の パノラマ館だが、実際あの時代の鶴見に(パノラマ館こそなかったものの)花月園というアミューズメント・パークがあったらしい。片や両国国技館が出て来るのは「吸血鬼」。ランドマークな面以上にあそこで開催されていた菊花大会の明治風おどろおどろしさのほうが乱歩テイストには重要かと(横溝正史にも「菊花大会事件」という短篇がある)。              第7章は芝車町への転居が交通の騒音で落ち着けず乱歩が逃げ込む事になる麻布の張ホテル、  第8章では文代と結婚して住むようになった名探偵の龍土町一戸建て、その文化住宅をチェック。第9章になると、新東京というか三十五区になり作品にも乱歩自身の住居にも郊外志向が現れて くると著者は言う。

 

 

 

こんな感じでほぼ各章の題材を紹介したのは、春陽堂みたいに漢字をいくつも開いていたり  (顰蹙 → ひんしゅく、謙遜 → けんそん etc)そういうのは今回あるけれど前述の『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』で連発していた〝三色パン〟という意味不明な形容は止めているし、      それなりに本書は評価できるかなと思えたから。けれども、                      第11章に来てまたもや〝土蔵 - 幻影城問題というささやかな論争がある〟などと持ち出し、     乱歩の連載エッセイに「蔵の中から」「幻影城通信」ていうタイトルのものがあって、ゆえに「蔵」と「幻影城」は完全に置き換え可能だから〝話題作りに忙しいマスコミ等によって土蔵が幻影城と呼ばれたとしてもやむをえないことだったかもしれない〟という風に藤井は反論する。え? このblogで何度も指摘してきたこの人の発言はいつの間にかマスコミのせいへとすり替わってるじゃん?



改めて言っておきます。江戸川乱歩こと平井太郎氏が一回でも「あの蔵の事は心の中で幻影城という名で呼んでいました」みたいに言ってる証拠、又は近しい家族・知人がそのような乱歩発言を聞いたことがあるというのならば、「蔵=幻影城」という呼び名説もここまで否定しないかもしれません。しかし残念ながら、そんな第三者証言さえ只のひとつも誰も(勿論私も)見聞した事が無い。ありもしない事をあたかもあったかのような発信をいつまでも続けていると、     それはもはや妄想どころではなく虚言癖のある人だとしまいには思われますよ。

 

 

藤井ひとりによる作り話でしかないのだからそんな馬鹿馬鹿しい議論など行われた事も無いし、   そもそも(識者が「それはアナタ違いますよ」と何度もたしなめたのに)藤井が同じ立教の渡辺憲司と一緒に散々「あの蔵は幻影城でーす!」って言いふれまわったからだろが。なんでこうもありもしない事に固執するのか・・・別に「謝れ」って言ってる訳じゃないから、もう二度と 発信しなけりゃそれで済む事なのに。この人、元々自分は松本清張研究者だと自分で申しているけど、江湖の清張研究者に藤井の論考はどう見られているのか是非一度質問してみたい。

 

 

 

(銀) 「国文学解釈と鑑賞」別冊『江戸川乱歩と大衆の二十世紀』にて藤井は乱歩の通俗長篇最高傑作を「吸血鬼」だと臆面もなく言っていた。わざわざここに書くまでもなくあの作品は「一寸法師」同様の苦手な長期新聞連載で、自己嫌悪から休筆へと繋がった出来の悪い長篇だ。今回その発言は削除していたから恥ずかしい過去はすべてdeleteしたものだと安心していたけど「蔵=幻影城」というホラに相変わらずしがみ付いているとはね。今迄こんな人が運営のトップにいながら江戸川乱歩センター(長いから略する)が稼働してきたのは落合教幸学芸員(当時)がいたから。

 

 

研究のテーマが乱歩であれ何であれ、またいくら「通説をひっくりかえしたり、陽の当たって いなかったところに光を当てようとする」(237頁)のがこの人の姿勢とはいえ、明らかな嘘を堂々とばら撒く人間の事が研究者として信用されるだろうか。




2021年3月17日水曜日

『Re-ClaM』vol.2/十五年目の論創海外ミステリ

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Re-ClaM事務局
2019年5月発売



★★★★   論創海外ミステリは500巻を目指すんだってさ



● 日本で翻訳されていないクラシック・ミステリの数々を、原書からコツコツ探して読んで紹介してきた海外ミステリ・マニアの為の同人評論誌『ROM』。そのバトンを引き継ぐように年二回ほどのペースで近年刊行を開始したのがこの『Re-ClaM』。




本号はまだvol.2だからか、間口を入りやすくしている印象。スウェーデンで出版したカーの書影なんかも十三冊ばかり載っていて、昔の古書のほうが装幀に味わいがあるのは日本もスウェーデンも同じなのか、1941年刊『九人と死で十人だ』の書影に惹かれる。葬列のようにエドワーディック号へ乗り込もうとしている船客の絵とタイトル書体とのバランスが見事だし、どこか得体の知れないジャーマン・ロックのアルバム・ジャケットみたいで、なんで日本人はこんな雰囲気のうるさくなく意味深いカバー・デザインを作るセンスが無いんだろう?


 

 

● ROM』時代からの小林晋/林克郎/真田啓介/M.K.といった常連寄稿者以外に森英俊/北原尚彦ら古本ゴロも参加していて不快だが、このvol.2は巻頭特集が論創海外ミステリなのでblogの記事にするかどうか思案してきた。というのも、私の関心が日本探偵小説にあり論創ミステリ叢書はマメに読んでいるとはいえ、このところずっと不甲斐ない本ばかりを出している論創社だから、制作裏事情を知ったところで悪口しか書く事がないし。

 

 

その論創社編集部から論創海外ミステリ現在関わっている黒田明と林威一郎が呼ばれ、対する聞き手は『Re-ClaM』のオーガナイザー三門優祐に盛林堂書房店主・小野純一、この四人によるロング・インタビュー。知らなかったけど論創海外ミステリの担当は今井佑の前にふたりの前任者がいたんだな。今井が去ったのが2013年あたり・・・という事は論創ミステリ叢書でいうと菊池幽芳とか水上幻一郎の頃か。論創社の出すミステリ本についてツイートするのは主に林のほうだそうで、どっちでもいいけど読者からの「これ出して」要望の傾向とかをtwitterだけで決めないでほしいよな。プレゼント企画の応募をtwitterでしか受け付けないクソ企画とか他社でも見かけるけど、twitterをやらない読者の存在は一様に無視かい?

 

 

Re-ClaM編集部が推薦する論創海外ミステリ20選〉という頁もあって(大物作家は除外)、一番古い作はグラント・アレン『アフリカの百万長者』(1897)で、逆に一番時代が近い作はシーリア・フレムリン『溺愛』(1969)とジョン・ブラックバーン『闇に葬れ』(1969)。ちなみに本号で各巻の紹介がされているのは1100巻まで。よってこの20選もその100冊の中からのセレクトなんで念の為。


 

 

● 論創社インタビュー参加者四名のフルネームが末尾の〈執筆者コメント〉欄にしか書いてなかったり、素人っぽい欠点も見られるが定価1,200円以上の収穫は十分あると言えるのでは?


 

私は論創海外ミステリはごくたまにしか買ってないから、当初から指摘されてきた「翻訳の質のショボさが最近は改善されているのか?」問題に突っ込むのは他の人に任せる。何度も述べてきた事だが、論創ミステリ叢書しかりその他の本もコロナのせいにしないで誤字誤植などミスの無い本作りを当り前にやる、それが論創社の最重要課題だろうが。そしてもうひとつ挙げるとすれば、他の中小出版でも自社のwebショッピング・サイトを作り、大手通販サイトで発売日になっても入荷しない本を在庫があればスムーズに購入できるようにしてくれているのに、論創社ときたらユーザーの利便性をちっとも考えようとしないから、発売日以前に新刊本がヤフオクで売られている。ちったあ真面目に考えろ、社長。




(銀) 論創ミステリ叢書をテーマにした誌面上のトークはかつて2011年8月の『図書新聞』に掲載された。その時の対談者が横井司なのは鉄板としても、聞き手が郷原宏だったので対談のボリュームが今回の『Re-ClaM』には圧倒的に負けているだけでなく、理想的な聞き手であったら面白い話をもっと横井から引き出せたのに、と思ったものだ。だからチャンスがあれば再び論創ミステリ叢書をネタにして『「新青年」趣味』あたりで『新青年』研究会メンバー + 旧担当者の今井祐をゲストに招いて座談会大特集をやってほしいけど、今のガタガタな論創ミステリ叢書を考えるとどんなもんかねぇ。




同じ論創社の本なんだし、論創海外ミステリのテキストにだけ語字誤植が無いなんて事は絶対ありえないと思うのだが、誰も気がつかないのかしらん。なんせ読者が老眼のオッサンまたはジイサンばかりだから、おかしな箇所がいくつあっても全然気がつかなくて当り前?





2021年3月15日月曜日

『幻の探偵雑誌10「新青年」傑作選』

NEW !

光文社文庫 ミステリー文学資料館(編)
2002年2月発売



★★★★   佐左木俊郎の異色作「三稜鏡」



『佐左木俊郎探偵小説』の短篇収録内容がなんともセコく、それを少しでもフォローするため、約二十年前のこのアンソロジーを取り上げる。『新青年』から編まれたアンソロジーは過去にいくらでもある。そこのところをしっかり踏まえてマンネリにならないよう定番作家/人気作をバッサリ除外した渋めのセレクトがgood



佐左木俊郎 「三稜鏡(笠松博士の奇怪な外科医術)」
 
ともすれば土臭い内容ばかりの佐左木にローカル色の無い医学ものというのは実に珍しい。
〝切り離された人間の頭部と胴体を接合する手術〟から始まるグロな素材は戦前の日本探偵小説(例/小酒井不木や大下宇陀児など)に見られる典型的な変格で、あれだけリアルな社会格差に拘っていた佐左木がしっかり枚数を与えられて正統派のダークな探偵小説を書いたというのに、ちょっと調べたらこの「三稜鏡」は彼の単独著書で一度も収録されていないのが判明して、呆気に取られる。

 

 

要するに探偵小説の書き手として全体像が顧みられる事も無く、没後の佐左木は農民文学/プロレタリア文学サイドの視点でしかアプローチされなかった弊害により、「三稜鏡」みたいな作品は一切評価の対象にされてこなかった訳だ。

だからこそ論創ミステリ叢書で率先して収録すべきだったし、『佐左木俊郎探偵小説選 Ⅰ 』 の解題であれだけ横井司がこの作品を紹介して推していたのにスルーでしょ?こうやって私が文句を垂れると慌てて『 Ⅲ 』を出して「三稜鏡」を落穂拾いしそうだけど、他人からいちいち云われる前に自らのアタマで考えて本作りしなきゃ駄目なんだよ、論創社編集部は。


 

                   



それ以外の本書収録作にも簡単に触れておく。このアンソロジーが出た後に様々な本がリリースされたので、次に挙げる十一短篇は現行本、もしくは平成以降に発売された書籍で容易に読めるようになった。この中で戸田巽だけ一言コメントしておきたい。当blog『戸田巽探偵小説選 Ⅱ 』の項では彼に対して厳しい意見を述べたが、『 Ⅰ 』に入っていて本書にも収められた満洲から朝鮮半島へ向かう鉄道ミステリの三の証拠」は彼の作品の中ではまあまあ出来の良いほうだ。


 

平林初之輔 「犠牲者」     ➤ 『平林初之輔探偵小説選 Ⅰ 』

小酒井不木 「印象」      ➤ 『怪奇探偵小説名作選10 小酒井不木集 恋愛曲線』

羽志主水  「越後獅子」    ➤ 『戦前探偵小説四人集』

 

瀬下耽   「綱」       ➤ 『瀬下耽探偵小説選』

妹尾韶夫  「凍るアラベスク」 ➤ 『妹尾アキ夫探偵小説選』

濱尾四郎  「正義」      ➤ 『濱尾四郎全集 1 殺人小説集』

 

戸田巽   「第三の証拠」   ➤ 『戸田巽探偵小説選 Ⅰ 』

勝伸枝   「嘘」       ➤ 『延原謙探偵小説選 Ⅱ 』

延原謙   「氷を砕く」    ➤ 『延原謙探偵小説選 Ⅰ 』

 

赤沼三郎  「寝台」      ➤ 『赤沼三郎探偵小説選』

守友恒   「燻製シラノ」   ➤ 『守友恒探偵小説選』 


 

                    



それ以外のものは戦後の単行本では、未だに本書のようなアンソロジー等でしか読めない。

 

川田功 「偽刑事」

元軍人で、そののち博文館に入社するという変わった経歴の川田。街頭で丸髷のいなせな美人を見つけた男はついその後を尾けてデパートへ。その女が万引行為を働いたのを目撃し、事もあろうに男は女を呼び止め刑事のふりをして問い詰めるが・・・。笑いを求めて書いたんじゃないだろうけど滑稽なオチ。

 

 

持田敏 「遺書」

他に見つかる作品が無いし、素性も全然解らない作家。親友である内山検事を訪ねた弁護士の〝私〟は、彼らが関係した事件の証人から送られてきた ❛復讐の鬼❜ を名乗る長い長い遺書を読まされる。後藤雪子絞殺事件には恐ろしき錯誤が隠されていたのだ。謎の反転は悪くないけど ❛小乱歩❜ と称して褒める程のものではない。

 

 

渡辺文子 「地獄に結ぶ恋」

『挿絵叢書 竹中英太郎(三)エロ・グロ・ナンセンス』にも「復讐の書」が収録されていた女性作家。昭和7年坂田山心中事件というカップルの自殺があり、それを題材に使った映画『天国に結ぶ恋』が制作されたのがきっかけで、世間では心中が一種の流行となった。本作のタイトルがその映画をパロっているのは一目瞭然。この人の作風は好みなので、せめて単行本が一冊出来るぐらいの探偵小説を書いてほしかった。

 

 

乾信一郎 「豚児廃業」

これは上記の「偽刑事」と違い、最初からユーモア路線を狙って書いたもの。かなり前から論創ミステリ叢書での発売が予告がされているから『乾信一郎探偵小説選』がもし出たら、きっと収録される筈。もっとも今のフラフラした刊行ペースでは、いつ発売されるか分かったものではないが。

 

 

竹村猛児 「三人の日記」

日中戦争が始まり、探偵小説が不自由になってから世に出た人なのであまり知られていないが、竹村の昭和17年の単行本『蜘蛛と聴診器』は立派な探偵小説集だ。そしてこの「三人の日記」は『蜘蛛と聴診器』の掉尾を飾っている作品。医学系の人でその方面の著作が多く、ここではある女性の喀血を巡って書かれた三人三様の日記をひとつづつ並べてゆき、最後にしょうもないどんでん返し(?)で〆る。

 

 

 

(銀) 別の単行本で読める読めないは置いといて、よく練られたセレクションだから本当なら躊躇わずに★5つにしたいのだが、『幻の探偵雑誌 3「シュピオ」傑作選』の項で書いたとおり、このシリーズは言葉狩りの語句改変が横行している。ところが白痴や気狂いといった標的にされそうなワードが、本書ではなぜかそのまま残っていた。一作一作『新青年』のバックナンバーと照らし合わせた訳ではないから、全面的に信用して★5つにすることはしない代りに、決定的な言葉狩り箇所が見つかってないので大きな減点もしないでおく。あー、ややこし。




2021年3月13日土曜日

『佐左木俊郎探偵小説選Ⅱ』佐左木俊郎

NEW !

論創ミステリ叢書 第125巻
2021年3月発売




★★      『街頭偽映鏡』収録短篇しか入っていない



 前に出された傑作短篇集的な新潮文庫『熊の出る開墾地』や春陽堂日本小説文庫『假面の輪舞』を読んだ時の佐左木俊郎の印象はそこまで悪いものではなかった。佐左木の著書の中でも飛び抜けて古書価格が高い『街頭偽映鏡』(昭和6年刊/赤爐閣書房)をそっくりそのまま収録した本巻を読み終えて、『佐左木俊郎探偵小説選 Ⅰ 』の項にて書いたような「戦前の本で読むとそれなりに面白く感じるのに現行本だとどうも・・・」みたいなギャップ以上の、           首を傾げたくなる点は悲しいかな前巻よりこっちのほうが多かった。


 

 

農民文学臭が少ない、もしくは探偵小説色のある短篇集だというんで『街頭偽映鏡』は古書市場にてレア扱いされてるように思われがちだが、「指と指輪」「告白の芽」「汽笛」「接吻」  「横顔」「私生児」「或る不良少女の記録」「或る有閑未亡人の話」「錯覚の発生」     「街頭の風景」「栓の出来ない話」「線」「指」「嘘」「恋愛・導火線の傍から」     「秘密の風景画」「悪い仲間の話」「或る部落の五つの話」「秋草の顆」「接吻を盗む女の話」「街頭の挿話」といった、一作あたり7ページ以下しかない非常に短い掌編が大部分を占めているのが実情。


 

 

「掌編ではダメだ」とは言わないが、もとより佐左木の短篇は似たようなタイトルが多い上に、扱っている素材が何であれ、作によって書き分けて色合いを変える横溝正史ほどの小器用さは 無いのでここまで掌編だらけだと物足りない(たまにシリアスさを控えたものはあるけれど)。やはり普通に枚数があり、彼のホーム雑誌ある『文學時代』に発表されたものは力作となる 傾向が見られる。上記掌編よりも、大なり小なりページ数のある収録短篇はこちら。                      「街頭の偽映鏡」「錯覚の拷問室」「猟奇の街」「黒馬綺譚」「機関車」          「或る嬰児殺しの動機」「脚気病患者」「運命を手繰る者」「腐敗せる城を脱出して」    「街底の溶鉱炉」「猟犬物語」「仮装観桜会」


 

 

 巻末には編者解題(土方正志)の他にも、佐左木俊郎の遠縁にあたる竹中英俊が執筆した   エッセイ「佐左木俊郎の風景」「佐左木俊郎と吉野作造」があって、三方向から照射している のでいつも以上に作家像は解りやすくなっている。昨年の上半期には仙台文学館での企画展 「作家・編集者佐左木俊郎 農村と都市 昭和モダンの中で」が開催されたものの図録は発売  されなくて、その時の展示物リストまで載っている本巻はまさに企画展にて販売する為のもの だった気配は一読して明らかだ。ところが『 Ⅰ 』が出たのは企画展が終わった 20208月、   『 Ⅱ 』に至っては更にそれから半年以上も発売が遅れてしまい、タイアップには少しも成り得なかった。仙台文学館はいつも図録を出しているから佐左木のも作ってほしかったな。


 

 

収録作の話に戻ると、佐左木俊郎の本は他社つまり土方正志の荒蝦夷からリリースする心算  だった企画を論創社が譲り受けた為、既に確定していた作品選定を再考せず踏襲したのだろうがそれでも『 Ⅱ 』の収録として、なんでこうも『街頭偽映鏡』のみに拘ったのだろう?             中編「假面の輪舞」及び短篇「謀殺罪」「秘密の錯覚幻想」は光文社文庫『平林初之輔  佐左木俊郎 ミステリー・レガシー』で読めるからまだいいとして、『加納一朗探偵小説選』に比べたら今回は 200ページ以上も薄いのだから(価格が3,400円 税なのでかなり値下げしたのかと一瞬 思った)、昭和6年『河北新報』にて五ヶ月間新聞連載したという単行本未収録長篇「明日の太陽」をプラスするなり、最低でも「密會綺譚」のような『街頭偽映鏡』に入ってなくて探偵小説として扱えそうな短篇をどうして追加しなかったのか?


 

 

佐左木のように農民文学/プロレタリア文学/探偵小説、そのいずれにも足を突っ込んでいる 作家の小説に明確にカテゴライズしづらい処があるのはごく自然な事。現に本巻 289ページで、鮎川哲也が鉄道ミステリのアンソロジーを編もうとして「汽笛」の収録が頭に浮かんだが   「これが果してミステリーであろうかと自問すると躊躇せざるを得ず、毎回見送った」    という逸話も紹介されている。                                 けどさあ、論創ミステリ叢書はぜんぜん探偵小説じゃない作品はおろか、その作家の家族が   書いた全くお門違いなものまで、実に節操無く散々収録してきたではないか?        「黒い地帯」は探偵趣味こそ無いけれど ❛ 重要作 ❜ だって竹中英俊が力説しているではないか?       せっかくの機会なのに、収録できそうな作品をむざむざ落としてしまっている。





(銀) カバーデザインからして今回は従来の、収録作品の初出時挿絵をあしらった装幀にせず仙台文学館の佐左木俊郎企画展用に使われたマンガ風イラストを流用。それだけでも私はドン 引きしていたのに、佐左木の重要短篇はほぼ網羅されると思っていたら随分ケチった収録内容で心底ガッカリ。




巻末パートは普段よりページ数が多いぶん勉強になる情報も多いのだけれど、この叢書の売りの ひとつである書誌データが甘い。本書収録小説つまり『街頭偽映鏡』に入っている作品の初出誌情報は一応載ってはいるが第100巻までの解題のように見やすくはなく、第101巻以降の作家の巻に載るようになった作品リストも無ければ、収録作品を逐一記した著書目録も無い。




何故そんな事を言うのかといえば、佐左木の作品には同じ小説なのに収録されている本によって 違うタイトルになっているものがあるからだ。こういう情報は『 Ⅰ 』『 Ⅱ 』とも不足している。本巻でいうと「或る嬰児殺しの動機」。この作品は春陽堂日本小説文庫『假面の輪舞』では  「或る犯罪の動機」へと改題されていた(サラッと見比べた感じだと本文の内容はいじってないみたい)。調査すればこういう例はもう少し見つかるような気がする。              加えて、戦前の佐左木の各著書に重複して収録されている作品も結構存在する。        それを考慮すれば、現在判明している彼の短篇の数は意外と限られ、厚みは増すかもしれないが『 Ⅱ 』一冊に(全ては無理でも)殆ど収められるのではないか?と私は見積もっていた。   だからこの非常に少なすぎる収録内容には不満を憶えるのだ。




やっぱり横井司のいない論創ミステリ叢書はストレスが溜まってしょうがない。





2021年3月7日日曜日

『死との約束』

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フジテレビ
2021年3月放送



★★★    野村萬斎演じる勝呂武尊に関しては毎回絶賛



このシリーズの名探偵勝呂武尊は原型のエルキュール・ポアロに髭しか寄せておらず、    海外の著名な探偵にありがちなハゲにかなり近いデコっぱちの面相ではないのがいい。三年ごとに放送されている三谷幸喜脚本アガサ・クリスティー翻案ドラマ。第一作『オリエント急行殺人事件』は出演者の顔ぶれから正月二夜連続のオンエア編成に至るまで相当フジテレビが製作費をかけている印象を受けたものだ。その視聴率は約15%強で元手を考えるとまあまあの合格ラインだったろうか。

 

 

『オリエント急行殺人事件』はその贅沢ぶりに加えて監督が『古畑任三郎』など三谷脚本の映像化を最も熟知している河野圭太だったが次の『黒井戸殺し』では城宝秀則へと変わり、その事が影響しているのかそれ以外に理由があるのか、この二作目はミステリ史上に残る原作の特性を 映像に活かす事ができたとは思えなくて、これまで何回か再見しようとしてもなぜかすぐ途中で止めてしまう。大泉洋は嫌いじゃないが、その他の出演者のバランスが好みではなかった。  視聴率より内容が重要だけれども低成績が続けば遠からずフジは見限るに違いない。     『黒井戸殺し』は前作の半分の視聴率8%しか獲得できず。クリスティと三谷の名前だけで   高視聴率をとれる筈もなく、世間の興味ではそんなもんなのだろう。


                        

 

そして第三弾には『死との約束』が選ばれた。監督は城宝秀則が再登板。『黒井戸殺し』の時  からもうこの企画は進行していたというし、前回の成績がそんなによくなくても三谷幸喜だと フジテレビも無下にはできないみたいで、作を重ねるたびにフジのプッシュが減少しているのは目に見えて明らかだが実質二時間ちょいのボリュームは確保。原作における舞台の中近東を  昔から霊場とされる南紀地方熊野の山奥に移し替えた。三谷の作品だといつも〝三谷組〟常連の役者が多くなって私は嫌なのだが、今回は比嘉愛未が女医・沙羅絹子として出演するというので録画しつつリアルタイムで鑑賞。

 

 

この作で発生する殺人は一件だけ。サディスティックな笑いをもくろむ三谷幸喜のことだ。  視聴者は事件が発覚するまでのシークエンスにて、本堂夫人(松坂慶子)の傍若無人ぶりを辟易するほど見せられる。エラリー・クイーン原作を翻案映画化した昭和54年の『配達されない三通の手紙』(TVドラマでいえば『水中花』の頃)の絶頂期の彼女を思えば、こんなに太ったコメディエンヌになろうとはね。

 

 

ドラマの出来栄えだが満点を進呈するのは無理としても、謎めく熊野の雰囲気があるのみで煽情的な仕掛けも特に無いわりには意外と飽きずに楽しむ事ができた。最終的な謎解きが始まる直前のあるムーディなシーンによって、原作を知らなくてもミステリのパターンを解っている人には犯人が誰か感づかせてしまうのは感心できないけれど(窓を開けて勝呂の謎解きを別室のある人物に聞かせることで一般視聴者にもバレバレだったのでは?)、しかし天狗の存在の意味といいギャクっぽいシーンに隠されたる真相といい、謎がひとつずつ検証され二度目に視聴する時伏線がどこに張ってあったかを再確認できる本格ミステリの愉しみ基本を丁寧に押さえている点はよかった。  


                        


ラストシーンの名探偵の涙といい、変人の勝呂に『黒蜥蜴』みたいな一般受けするメロウネスを 色付けしないほうが犯人の意外性をもっと与えられたんだが、ミステリ読者じゃない普通の大衆にはああいうのが喜ばれるから仕方がないか。                      三谷幸喜にミステリをやらせても笑いの部分がミステリの部分に浸食しすぎて、結果その作品を駄目にする印象がある。それゆえ彼について、いつも100%は信用していない。

 

 

 

(銀) そういえば野村萬斎もずっと手掛けてきた東京オリンピック式典演出チームを解散させられて、今回のオリンピック騒動によって迷惑を被った犠牲者の一人だ。



そんな萬斎による勝呂武尊は『オリエント急行殺人事件』の時は戦前昭和8年の設定で、今回の『死との約束』は昭和30年の話。22年も経っているのに、第一作の時よりなぜか勝呂の容貌が 若く見えるのは、三谷幸喜のミステリ劇におけるセリフ運びが『古畑』の時と十年一日ちっとも  変わらないのと一緒で、ご愛嬌というしかない。なんにしろ萬斎の作り上げる名探偵像には何の文句も無く、クリスティーの原作ありきとはいえ矛盾の多かった古畑よりずっとよろしい。




2021年3月6日土曜日

『東西怪奇実話/世界怪奇実話集/屍衣の花嫁』平井呈一(訳)

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創元推理文庫
2020年9月発売




★     やっぱり実話ものは拡がりが無いと思う



今まで生きてきて、幸いにして幽霊というものを見たことがない。その手の話で想い出すのは、当時の大宮の外れに住んでいた大学の同級生が口にしていた笑い話だが、そいつの地元の友達が  ❛ 田んぼの中に鎧武者が立っているのを見た ❜ なんていうゴシック(?)な又聞きの恐い話とか、あとこれも大学の友人から聞いたエピソードで、彼は逗子の桜山に住んでいたのだが、自分の部屋で寝ていると、たまに金縛りに遭うらしい。で、ある日やっぱり金縛りにあったその時、亡くなった彼のおばあさんが出てきたそうだ。彼は作り話でホラを吹く人では全然なく、又聞きでもない自らの体験談であって、その話を聞いた頃にはもう国内での超能力とか超常現象のブームは過ぎていたから、前者の鎧武者はともかく、後者のおばあさんみたいな霊現象は人によって実際あるものなんだな、みたいな程度に受け取っていたのだった。

 

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誰が書いたのか知らないが、本書の扉ページにはこんな導入の文章が載っている。
「推理小説ファンが最後に犯罪実話に落ちつくように、
怪奇小説愛好家も結局は、怪奇実話に落ちつくのが常道である。」
は? んな訳ないだろう?

 

 

この『屍衣の花嫁』は昭和30年代に東京創元社が出した「世界恐怖小説全集」全12巻の最終巻を文庫化したものだが、その内容は旧世紀欧米における幽霊話の実話集で、いつも言っているように犯罪実話だろうと怪奇実話だろうと、実話ものはオリジナリティーが少ないのでひっかかりが弱いまま流れていってしまうから、ちっとも心に残らない。平井呈一翁の翻訳であろうとそれは変わりがないみたい。

 

 

それに旧世紀とはいえ、こんなにしょうちゅう幽霊が邸内に現れて接近遭遇するんかい!なんて私は鼻白んでしまう。だいたい霊(魂)が現世にて宿っているのは人間の生身の肉体だけだろ。という事は幽霊として現世に現れる際には(例えば『宇宙戦艦ヤマト』のテレサみたいな)霞のような裸身で出てこないとおかしくない?

白装束でも鎧でもいいけど、人が身に纏う物体は flesh and bloodを伴った生き物じゃないし、ひとりの人間の霊のスピリチュアルなリンクが衣服にまで通じているとは考えにくいから、人の霊とはあくまで生まれたままの姿でしかないのでは?それなのにこういう幽霊話を読んだり聞いたりすると幽霊はいつも裸身じゃないものだから、性格が曲がっている私はどうしても疑いの眼差しで・・・というか納得がいかないのである。


 

 

(銀) 平井呈一の手掛けた作品を読むのなら私は他のものを薦めたい。いたずらに余分な蔵書を増やしただけで、少なくともこれは自分の買うべき文庫ではなかった。この本がつまらなかったから本文中でも幽霊の存在を全否定気味に書いてはいるが、幽霊譚でも探偵小説枠の中でもっと出来の良いやつはいろいろある。


 


2021年3月2日火曜日

『船中の殺人』林熊生

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東都書籍
1943年10月発売



★★★★    内地と違って植民地台湾なら
           戦時下でも探偵小説が許されたのか



このblogなるべく古書は扱いたくない。文章でああだこうだと言及するのは構わないのだが、その本が旧ければ旧いほど書影をネットから気安く拾えないので、書棚から引っ張り出してきて画像を撮らなければならない。で、画像を撮ろうとした古書に購入した時からパラフィン紙がかけられていた場合、そのまま撮ってネットにupしても書影がキレイに見えないし、かと言って、たかがblogの為にわざわざそのパラフィン紙を外してしまうのも馬鹿らしい。

パラフィン紙のかかっている頻度もグッと下がるので(?)、古書を取り上げるとしても江戸川乱歩の亡くなった昭和40年(1965)以後にリリースされた本だけにしておきたいなとblogスタート時から漠然と考えていたけれど、今回はそのルールを無視する。

 

 

戦時中、日本の統治下にあった台湾にて刊行された林熊生の『船中の殺人』。以前記事にしたオンデマンド出版の〈捕物出版〉が〈大陸書館〉という姉妹レーベルを立ち上げた。魔子鬼一『牟家殺人事件』に次ぎ、大陸書館が出す二冊目の本として「船中の殺人」が選ばれたので、最初はこの大陸書館版も入手するつもりでいたけれど、これまでの〈捕物出版〉の新刊よりも楽天/hontoでの発売が遅い・遅い・遅い・・・。



情報によれば、大陸書館の林熊生再発に使用される底本は2001年にゆまに書房が発売した『日本植民地文学精選集』台湾篇⑬の林熊生の巻らしい。ゆまに書房版には解説が付いていたようだが大陸書館版には無いみたいだし、初刊本と思われる1943年に東都書籍臺北支店から刊行された(パラ紙もかかっていない)『船中の殺人』を持っているので、再発ではないオリジナルのこちらをblog用に使うことにした。だから、いつもみたく再発によって変に改悪されていないテキストなのかどうかのチェックはパス。戦前の東都書籍版は結構誤植があり、ゆまに書房→大陸書館がどう処理しているのか気になるところではあるけれど。


 

                       



林熊生こと金関丈夫はれっきとした日本人学者なんだが、台湾の大学に属していた時どのような経緯で探偵小説を書こうと思ったのか、さっぱり解らない。つまりこの人の再発に解説を必要とするのはそういう理由で、私はゆまに書房版を持ってないから彼の探偵小説は書下ろしなのか、それとも台湾の雑誌に発表されたものなのかが五里霧中。


 

 

「船中の殺人」

大陸書館版の表紙には長篇探偵小説とあるが、実際のボリュームは中篇。台湾から内地へ向かう客船の一室で発生した殺人事件に臺北南署の木暮刑事が挑む〝本格〟を意識した物語。最後の一行に「国防献金」というワードが見られるから、大日本帝国は戦争にのめり込んでいて国民への締め付けがかなり進行していた筈。とは言うものの、内地ではお上から明確な禁止令が出ていた訳ではなく、狂える自粛のせいで探偵小説が抹殺されたのを現代の私達は知っている。台湾ではその辺意外に自由というか、民衆の意識も多少違っていたのだろうか。

 

 

兇器や指紋のトリックは普通に好印象だし、この時代の探偵小説専業でもない作家でここまで書けた例は珍しい。容疑者への疑惑のアングルがクルクル変わってゆく過程も悪くないので、語り口のテクニックを持ち合わせていればもっとサスペンスが増しただろうし、せっかく船内の見取図まで用意したんだから、読者にフェアな謎解きを挑戦できるレベルにまでシチュエーション作りを突き詰められたら・・・と高望みは尽きない。ちなみに 四十二(章)に入る直前、東都書籍版でいうと1592行目にこういう一文がある。

 

木田が二十八號室に手拭を探しに入つて廊下にゐなかつた時間は、

 

この二十八は二十七號室の間違い。大陸書館版を買った方はここをチェックしてみて、この部屋のナンバーが正しく二十七に訂正されていれば、大陸書館もしくはゆまに書房がちゃんと内容をよく読んでテキストのチェックと校正をしている可能性が高い。


 

 

「指紋」

こちらは短篇。久方ぶりに金庫破りに着手した陳天籟は現場に指紋を残す致命的なミスをしてしまった。途方に暮れた陳は顔馴染みの若い医者・周混源に頼んで、自分の指に他人の指紋を移植する手術をしてもらう。これで彼の指は警察が認識している指紋ではなくなり危難を免れたかに見えたが・・・。これを読んでも林熊生はストーリーテリングが上手いとは思わないが、巧みにプロットへ捻りを利かせる点は褒めていい。

 

 

 

(銀) 昔、この本を買って読んだ時よりも読後の印象が良かったので、マイナス点もいろいろあるが高評価にした。但しそれは東都書籍版のことで、大陸書館版とゆまに書房版は目を通してないから何とも言えない。テキストの仕上がり次第だね。いずれにしろ、大陸書館から次に出る予定の『龍山寺の曹老人』は未読ゆえ買うつもりでいる。

 

 

でもどうして捕物出版=大陸書館はAmazonと他のサイトの新刊発売開始時期にこんなにも差を付けるのだろう? よんどころない事情があるのか、それともAmazon盲信派なのか。前者だったら仕方がないけど後者ならば困ったものだ。