2020年10月30日金曜日

『雷鳴の中でも』ジョン・ディクスン・カー/永来重明(訳)

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ハヤカワ・ミステリ文庫
1979年12月発売



★★★★★   彼らを転落死させたものは何か




車を運転していたら知らぬ間になにか地面にポタポタ垂れていた、なんて事がありますね。車のボディーにはいろんな液体が装備されていますが、さすがに私もそのすべては把握しきれてないのが実情です・・・。

1939年】

絶景の地として知られるベルヒテスガーデンには総統アドルフ・ヒットラーの所有する山荘〈鷲の巣荘〉がある。人気絶頂のハリウッド映画女優イブ・イーデンはナチスの賛美者。イブは総統に表敬訪問を申し出、運良く許可が下りたので彼女の婚約者ヘクター・マシューズと共に山荘を訪れる。総統との午餐に際し、イブは美術館長ジェラルド・ハサウェイ卿を招待していた。

 

 

そして総統が到着するのを待っている間にイブはマシューズを眺めの良いテラスへと連れ出し、二人は低い手摺のそばに。この時、ハサウェイ卿ともうひとりの部外者である若き女性ジャーナリスト/ポーラ・キャトフォードはテラス続きの部屋の中にいた。山荘の警護隊は次の瞬間、何者かの悲鳴を耳にする。調べるとマシューズがテラスから30m下へ墜落し死んでいるのを発見。しかし何故マシューズが高台のテラスから落ちたのか、誰にも理由がわからなかった。

 

                    


1956年】

戦争が終わり、イブはハリウッドへは帰らなかった。彼女は、昔花形だった老俳優デズモンド・フェリアーと結婚。デズモンドには前妻との間に生まれた息子フィリップ・フェリアーがいる。

 

 

本作の主人公ブライアン・イネスは旧友ド・フォレスト・ページから、娘のオードリーがスイス/シャンベリーの別荘へ行くのをなんとかして止めてくれと懇願される。その別荘へオードリーを招待したのは他ならぬイブ。ド・フォレストは1939年のマシューズの謎の死からイブのことを危険視していた。

 

 

にもかかわらずオードリーは山荘へやって来た。当時と同じようにハサウェイ卿とポーラ・キャトフォードも呼ばれている。それとは別にイブの夫デズモンドによって招かれていたギデオン・フェル博士の姿も。この別荘にも〈鷲の巣荘〉と同様に高台のバルコニーがある。ブライアン・イネスが不穏な様子に気付くと、イブとオードリーが口論している。この時も二人のそばに居た者はいない。一閃の稲妻が光った時、イブは両腕を空中に伸ばし、バルコニー下の樹海へと転落していった。似たような状況での、このふたつの死にはどんな意味があるのか?

ちなみにマシューズもイブも、遠くから銃で狙撃されたり変な光線を喰らって落っこちた訳ではないので念の為。墜落死の謎にばかり目が行きそうだが、この物語の中で起きている男女の仲にはそれなりの意味がある。しかしナチスやヒットラーという存在は、別になければならぬ必要も無く、只のお飾りなのでちょっと残念。カー作品ではよく事件発生時に雷が落ちるのが常だし、ここではタイトルにも ❛ 雷鳴 ❜ と入っているからてっきり感電か何かの気象トリックが関係するのかと思って読むと、これまた無関係でうっちゃりを喰らう。

 

 

本作を紹介する際に〈フェル博士対ジェラルド・ハサウェイ卿〉の推理合戦が見所、みたいな事を言う人がいるが、そこまでの魅力と存在感をハサウェイ卿は持ち合わせていないし、なによりフェル博士も(作者カーと足並みを揃えて)年をとってしまったからか、ハサウェイ卿に好きなように言われっぱなしだったりして、どことなく威圧感に欠ける。それでも解決篇において全てのパズルのピースが収まるべき処に収まるのが快感だったので、どうにかこうにか★5つとした。ラストの謎解きまでモタモタしていたならもっとマイナス評価にしただろう。


                     

 


(銀) まったく同じ素材のままで、本作がもし1940年代のうちに書かれていたら、解決篇に至る迄の会話ひとつひとつのメリハリといい、登場人物のどれもハッキリしない態度といい、より高いテンションで引き締められたのではなかろうか。でもまあ、カーが亡くなる17年前の作品にしてはよく頑張ったということで、ここは前向きにねぎらいたい。

 

 

『囁く影』でフェル博士もメンバーの一人だと言及されていた、実際の殺人事件について研究するサークル〈殺人クラブ〉がここでも登場。一方、これまでフェル博士と共に捜査に当たってきたハドリー警視は引退していると語られており、作品世界の中でも時の流れを感じさせる。